町作り研究会(容子の部屋-別室)

町作り関連。地方新聞トピックス等

らいおんはーとを読んで・・・・

2006-08-10 14:26:09 | 雑感

 

 

             □ 目  次

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[らいおんはーと ~ 小泉総理のメッセージ]

● 歴史探訪 [大臣のほんねとーく]
● 携帯電話の番号ポータビリティ(総務大臣 竹中平蔵) [特別寄稿]
● ライフワークへの道((有)みやぎ地震対策コンサルタント 庄子敬明)
● 睡蓮 [政府インターネットテレビ番組ガイド]
● ビデオで見る総理(2CH)「山口県下を視察」 など [小泉内閣の動き]
● 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参列 など ==================================================================== [らいおんはーと ~ 小泉総理のメッセージ]

● 歴史探訪  小泉純一郎です。 ninteisiki.jpg

 先週、山口県を訪問し、幕末の偉大な変革者、吉田松陰と高杉晋作ゆかりの
史跡を視察しました。

 私は、吉田松陰と高杉晋作の生き方、志、そしてその言葉に感銘を受け、大
きな関心を持ち、また、尊敬の念を抱いています。

 吉田松陰の言葉は、演説などで何度も引用させてもらいながら、今まで一度も
お墓参りをしたことがない、今回、駆け足でしたが、視察できて、改めてその偉
業に感銘を受けました。

 吉田松陰が教えを説いた「松下村塾」、見聞をひろめようと密航を企てて投獄
された「野山獄(のやまごく)」、誕生の地と墓地など、いずれも綺麗に手入れが
されていて、今もなお地元の人たちの尊敬を集めていることが感じられました。

 高杉晋作が身分に関係なく組織した奇兵隊。わずか80名あまりを率いて挙兵
したのが功山寺。その数はあっという間に増えて、倒幕・明治維新の先駆けと
なりました。

数え年29歳で病に倒れた高杉晋作を弔うために晋作の愛人「おうの」が結ん
だ庵(いおり)が東行庵(とうぎょうあん)。その裏手にある清水山(しみずやま)に
高杉晋作は眠っています

 お墓のそばには、「動けば雷電のごとく、発すれば風雨のごとし」と伊藤博文
が高杉晋作をたたえた墓碑が建てられていました。

同じ長州藩の主流派、反主流派の戦い、次には長州藩と幕府の戦い。最初か
ら勝つという見込みはなかったと思います。

そして、いざ倒幕が実現するという矢先に病に倒れました。
 「おもしろき こともなき世を おもしろく」と辞世の句を遺した高杉晋作。
数えで29歳といえば、今でいう27歳です。

短い生涯でよくあれだけの偉業をなし遂げたと思います。KoizumiKantei.jpg
 
「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」と詠んだのは
江戸の伝馬町で刑死した吉田松陰。

彼が松下村塾で教えていたのはわずかに1年あまり。

8畳一間ほどの小さな私塾から、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、
山田顕義、品川弥二郎
など、幕末、明治維新に活躍した多くの人材を輩出しま
した。

 吉田松陰がこの世を去ったのは、数え年で若干30歳、
短い生涯でありながら、時代の変革者というものは、想像を絶するような熱い志
を持って、苦労を重ねてきたことがよくわかりました。

 このほか、山口市内の500年以上前に雪舟が築いたといわれる見事な庭園
のある常栄寺、五重塔で有名な瑠璃光寺、広々とした丘陵地にごつごつとした
石灰岩が立ち並ぶ秋吉台、幻想的で神秘的な鍾乳洞の秋芳洞などを視察しました。

日本の魅力をたくさん発見した2日間でした。  8月6日は、広島の原爆死没者
慰霊式・平和祈念式、昨日9日は、長崎の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に出
席し、06hirosima1.jpg犠牲者への哀悼と平和への祈りを捧げました。
 先週のメルマガでお伝えした私の平和に対する思いには、たくさんのご意見を
いただきました。


 今日は朝早く、モンゴルの首都ウランバートルに向けて出発します。モンゴル
は、今年は、チンギス・ハーンが即位してから800周年にあたります。

 日本の大相撲では横綱朝青龍、大関白鵬をはじめ35人のモンゴル出身力士
が活躍していますが、モンゴル国内では十両以上のすべての取組を毎日テレビ
で生中継するほど、日本の相撲は人気が高いそうです。

 モンゴルの世論調査では、日本は「好きな国」「行きたい国」「親しくすべき国」
の全てで高位を占め、7割以上の人が日本に親しみを感じているそうです。

 日本の小学校の教科書には、「スーホの白い馬」というモンゴルの民話が載せ
られています。
今年の3月に東京でエンフボルド首相とお会いした際に「モンゴルの小学校の教
科書にも日本の民話を載せたいが、・・・・
どういう話を載せたらよいかアドバイスして欲しい」という話があったので、

今回のモンゴル訪問の際に、「かさこじぞう」と「鶴の恩返し」がよいのではないか
とお話しするつもりです。

 1泊2日の短い日程ですが、エンフボルド首相とエンフバヤル大統領にモンゴル
建国800周年への日本からの祝意をお伝えするとともに、日本とモンゴルの友好
関係と協力関係をますます発展させることについて話し合ってきたいと思います。

(以上が小泉首相の談話をそのまま載せました)
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今回は私の心に響いた、小泉首相の談話のみを掲載いたしますた。

上記の談話を呼んでいると小泉首相の政治への情熱は、この幕末期の若者達
が日本の動乱期を倒幕・明治維新の先駆として活躍した事を、教訓としている
事が多いのではないかしら・・・と思われました・・・

「時代の変革者というものは、想像を絶するような熱い志を持って、苦労を重ね
てきたことがよくわかりました・・」(小泉談話)

といっているように、どんな困難でも、この平成の時代を時代をよりいいものに
するためには、批判を覚悟の上で、果敢に改革者としての責務と果たそうとして
いる心意気が感じられ・・・・

「今日の日本の平和と繁栄は、心ならずも戦争で命を落とした方々の尊い犠牲
の上に築かれていることを、私は決して忘れません・・・」といっているように、日
本の今日は、幕末期・明治期、そして、第2次世界大戦が結果として敗戦という
形で終結を見ましたが・・・・

その各時代を日本の偉人も、庶民も日本の繁栄を信じ、命を懸けてそれぞれ
の時代を懸命に生きた日本人がとても、いとおしく、尊く感じられます。
小泉首相のこのような素直で、日本人に対する強烈な愛情・誇りが感じられる談
話でした。

 



関東の代表的な寺院・・・

2006-08-05 14:53:08 | 市町村実践編


 

東京に御住まいになっている方でも、以外の知らない、いいお寺さんを今日は書
こうと思います。
京王線に乗って高幡不動という駅があります。

       

ここの高幡不動尊は,草創は1100年も前、平安初期に清和天皇に勅願によって
この地を東関東の霊場と定め・・、中山に不動堂を建立して不動明王を安置したのが始まりなそうです。

この不動堂は関東ではまれなほどの古文化財であり、続いて立てられた仁王門も
重要文化財に指定されております。

足利時代の高幡不動尊は「汗かき不動」と呼ばれて鎌倉公方をはじめとする戦国
武将の尊祟をあつめ、江戸時代には関東十一檀林に数えられ、火防の不動尊として広く庶民の信仰をあつめたとようです。

            

当時は、門末三十六ケ寺を従え、関東地方屈指の大寺院であったが安永8年の
業火により大日堂をはじめ大師堂、山門、客殿、僧坊等を一挙に焼失した草で本
当に惜しい事です。

昭和50年代以降五重塔・大日堂・鐘楼・宝輪閣・大回廊・奥殿等の工事が相継ぎ
往時を凌ぐ程の寺観を呈するようになったとの事です。

総重量1100キロを超える巨像で古来日本一と伝えられた重文丈六不動三尊は此
の度千年ぶりの修復作業が完了し現在奥殿にご安置されている事も私今回はじめて知りました・・・

  
 

 

  
                         土方才蔵の像

これだけの寺院建築も関東には少ないだけに、もっと東京都内を散策して、見
てはいかがですか??・・・

この不動尊に守られ、土方才蔵も永遠の眠りについておられます・・・

 


小泉内閣メールマガジン・・・抜粋

2006-08-01 15:58:41 | 地方新聞

           小泉内閣メールマガジン

       □ 目 次

● ドミニカ共和国移住者ご苦労をおもって

● 「大臣のほんねとーく」  手作りの「町おこし」行政改革担当相 「特別寄稿」

● イラクの未来へ~陸上自衛隊によるサマーワででのイラク  人道支援活動を終えて  (第1次イラク復興支援群長 番匠幸一郎)

● 真心というお土産(別府外国人案内所事務局長 樫山敬一)

      ==========================
[らいおんはーと ~ 小泉総理のメッセージ]

●   ドミニカ共和国移住者のご苦労を思って
ドミニカ共和国地図 
 小泉純一郎です。 
  今週の29日、カリブ海にあるドミニカ共和国で、日本からの移住50周年記
念式典が開かれます。

 昭和30年代前半、政府が進めた移住事業により、夢と希望を胸に、遠く離れ
たこの国へはるばる海を渡って入植した日本人は1300人あまり。  

しかし、入植先に関する事前調査や情報提供が適切に行われなかったなどの
事情により、移住先は、石ころだらけの荒地などとても農業ができるような土地
ではなく・・・・、

くわえて移住先の社会の混乱と自然災害の頻発などの不幸なできごとが重なり
移住者の方々は長年にわたり、私たちの想像を超える大変な苦労をされました。
 この移住事業についての政府の当時の対応により、移住者の方々に多大の
ご労苦をかけたことについて、政府として率直に反省し、お詫び申し上げます。

そして、政府は、移住者の方々に対し、そのご努力に報いるためにも、特別一
時金の給付を行うことにしました。

 日本人は、真面目で勤勉、約束を守ると国際社会の中で信頼されています。

これは、気候も違う、言葉も違う、風習も違う、食べ物も違う、そういう海外の地
で現地の人以上に努力している移住者の方々の行動、そして、海外に出ている
企業の方々の活動があるからこそ築かれた信頼だと思います。

 移住者の方々が困難を乗り越え、努力を重ね、日本とドミニカ共和国の友好
関係の発展に寄与してこられたことに深い敬意を表します。

これからも、日本とドミニカ共和国の両国が友好裏に発展していこうという思いの
うちに50周年の記念式典が開かれることになり、本当に良かったと思います。

両国の人々による温かい祝賀となることを期待しています。
      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ●手作りの町おこしを・・・ 地域担当相 中馬弘毅   


 今回は、私が見てきた最近の「町おこし」を紹介いたします。

 まず、「昭和の町」を紹介します。大分県の豊後高田市では、寂れた商店
街を、「昭和30年代」をテーマとした「昭和の町」に再生していますが、
よくある税金を投入した再開発やテーマパークとは対極の取組を行っていま
す。

 個々の商店が、アルミ看板を取り払って後ろに隠れていた昔の看板を表に
出す、サッシ戸を木製に戻す、蔵や倉庫に眠る昔の日用品や玩具を店頭に並
べる、駄菓子屋を開くなどアイディアを絞り、コストをかけずに手作りの
「町おこし」を進めています。



 私も、地域再生の仕事を通じてお手伝いをさせていただいている関係で、
先般お伺いし、昔懐かしいコロッケやアイスキャンディーを食べながら、昔
のテレビなどが並ぶ店を覗いて回りました。通りは買い物客や観光客で賑わ
っており、そして何よりも、商店街の皆さんが生き生きとしていたのが印象
的でした。

 次に紹介するのは、「どぶろく特区」です。これは、私の担当する構造改
革特区を活用して、農家民宿などで酒税法の規制を外して「どぶろく」を製
造、提供できるようにするものです。最初に特区となった岩手県の遠野市で
は、どぶろく目当ての観光客が急増したそうで、過日私がお伺いした宮崎県
の三股町でも、製造が追いつかないほどの活況でした。

 現在、全国に58の「どぶろく特区」がありますので、近いうちに「全国
どぶろくツアー」もできるか?と夢を膨らませております。

 また、最近では、東京の下町谷中の「澤の屋」旅館を訪ねました。ここで
は、長期滞在の外国人旅行者に部屋と朝食だけを提供し、他の食事
は近くの食堂や居酒屋を紹介し、日用品などは地元商店街で買い物をしてい
ただくことにより、外国人の方に日本の下町情緒を味わってもらうと同時に、
町の人達との交流も盛んになっています。

旅館では、商店街の英語マップを作る、商店街の歩き方を案内するなど様
々な工夫が行われていました。

商店街でも、外国語の案内やメニューを置く、盆踊りや花見、もちつきなどの
行事に外国人旅行者を招待するなどの取組が行われており、行政に頼らない
で「町おこし」を行っている様子は、非常に頼もしく力強く感じました。

  旅館では、商店街の英語マップを作る、商店街の歩き方を案内するなど様
々な工夫が行われていました。商店街でも、外国語の案内やメニューを置く、
盆踊りや花見、もちつきなどの行事に外国人旅行者を招待するなどの取組が
行われており、行政に頼らないで「町おこし」を行っている様子は、非常に
頼もしく力強く感じました。

メールマガジンにはその他の記事がありましたが私が特に注目した記事を載
せました・・・