自分がいろいろと想い描く世界、
それを私たちは、
心の領域だと考える。
そして、
それは単なる空想であり、
意味のない儚いものだと考えている。
ところが、
どうもそうではないようだ。
スピリチュアルの世界と関係するようになって、
私は多くの霊能者と知り合いになった。
そして、
多くのことを知るようになった。
個人の領域の、
自分だけのものだと思っている「心」は、
実はすべてとつながっている。
そう思うようになった。
一つの例として、
自分がよく知っている誰かのことを考えたとする。
「ああ、あいつ、今日は俺に酷いこと言いやがったな。
明日からは話しかけるのは止めよう。」
そう考えたとしよう。
そうすると、
翌日、さっそくその相手と朝会ぅ。
すれ違うその彼の愛想が、
実にこちらを無視しているのだ。
此方の思ったことが、
即座に相手の態度に出ている。
そんなことってあるでしょう?
また、
こんなこともありますね。
私たちの心の世界は、
想念から成り立っていますが、
純粋な精神から成り立っている世界もあるのです。
それを「三界」(欲界・色界・無色界)と、
仏教では言いますが、
全く別々のものではなく、
つながっているのです。
複層的に考えても構いませんが、
密度の違いとしてとらえても良いと思います。
そこには、
想念だけで存在する者や、精神だけで生きている、
ある種の「エネルギー体」、
または、
「生命体」と呼んでもよいものが活動している。
そう考えられるのですね。
私たちは一瞬一瞬を、
様々な意識を持って生きています。
その一瞬一瞬の意識に応じて、
その「エネルギー体」が集まってくるのです。
いや、
一瞬一瞬の意識が集めるのだ、
とも言えるのではないかと思います。
ここまで来ると、
自分自身の心の世界が、
どうやらたわいない、
意味のないものだと、
いうことにはならないようですね。
これはどうやら、
日頃の意識の持ち方は、
自分の人生を左右する、
大切な要素だということに気が付きますね。
その人の心の持ち方一つで、
その心=意識に応じた「生命体」が寄ってくる。
言葉を換えれば、集められるわけです。
そして、
悪念(執念・怨念・憎しみ等)を持ち続けると、
その悪念に応じた「エネルギー体」が寄ってくる。
反対に、
いつも良い心で生きていると、
その心に応じたエネルギー体が寄ってくる。
そして、その心の実現に力を貸すようになる。
すると、どうでしょうか。
心には力があると考えられないでしょうか?
その心の状態に応じて、
さまざまなエネルギー体が寄ってきて、
その人の心を決定する。
ということは、
一瞬一瞬の心の持ち方で、
毎日の心構え一つで、
私たちの人生が創られていく。
そして、
運命が形成されていくんだと。
これは大変なことですよね。
心の深さを知ると同時に、
心の力・作用についても知ることになるわけです。
「生命体」にも、様々な存在があるようです。
小さなものから大きなもの、
また、
力の大小にも違いがあり、
善なる存在、低級な心の存在、
いろいろあるようです。
それらが、
あなたの心に付着すると考えるとどうでしょう?
心の持ち方をバカにしてはいけないようですね。
心の世界を軽く見てはいけないようですね。
日々の行いを見つめ直すと同時に、
日々の心持ちも同時に、
見つめ直して、
良き人生を創っていきたい。
そう思いますね。
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