霊(たま)の十日間1
霊の中で、記憶を探る。
私の力では十日前までしか遡(さかのぼ)れない。
と。
奥の奥、十日前の意識に入り込むことができた。
自分の中から霊(れい)が出てゆくのを霊(たま)は感じた。
玄関。時刻は夜の6時をわずかに過ぎている。
貞子は気絶してその場に倒れてしまった。残ったのは、疫幽儚(えきゆらはかな)の死体と幼なじみの健介だけである。
貞子が倒れたのを見て、健介の表情が変わった。
儚をおんぶして家を出る。
必死の形相で疫幽家の敷地から出て、森に入っていった。
跡をつけてみる。
しばらくして、
「よし、ここまで来れば……」と健介。
俊敏な子供でなければなかなか辿(たど)り着けないだろうところに洞穴(ほらあな)があり、そこに儚を隠した。
夏の終わり。
ちょうど、近くでひぐらしが鳴いている。
健介は霊が見ているとも知らず、これでひとまず安心だという顔になっている。
そして、
「ハナちゃん……ごめんね……」
儚を抱きしめて健介は泣いた。
刻々と失われてゆく体温を保持するように、強くつよく、抱きしめていた。
霊(たま)は疑問に思う。
一度は疫幽家に運んでおいて、なぜ健介は儚をこんなところに隠したのか。
その点と、自分の飼い主だった儚のこれからが気掛かりで、霊は現場を離れることができないでいた。
辺りが暗くなる前に、健介は森を抜け、家に帰った。
儚は洞穴に残したままである。
さすがに健介の家に入り込むことはできなかったので、玄関に近いところに霊は身を隠した。
そして儚の父、好男(すきお)がやってくる。
応対した健介の母は、彼は風呂だと言っていたが、儚を運ぶのにてこずったため、夕食よりも先に風呂に入っているのだろう。
娘の所在がつかめないまま、儚の父は健介の家をあとにした。
夏の終わり、鈴虫の鳴く夜。
霊はその場で眠ってしまった。
一旦。
黒幕が降りるように瞳を閉じて、黒の濃霧の中を漂う。
いくらかして、浮遊感とともにぼんやりと視界が開(ひら)ける。
眠っている自分が少し遠い下方にあるのが見える。
そして健介の家の明かりが見えた。
霊は眠っている時、幽霊となって散歩をするのである。
もちろん、普通の人間には見えない。ごく一部の知的生命体にだけ見えるのだ。
また、この幽霊と呼ばれる状態になれる知的生命体も限られていた。
よく、死んだ人は幽霊になると言われるが、ほとんどは死んですぐに冥界に自動転移する。なんらかの理由で転移が失敗したり、強い未練があってこの世に留(とど)まるのは、かなりレアなケースだ。
だから普段、他の幽霊に出遭うことはあまりない。
こんな説明をなぜいましているのか。
それはいつか彼女が霊(たま)――つまり僕の過去を視(み)るだろうからである。
そうなることはとっくに予測していた。
というよりたぶん、そうするように僕が導くのだ。
そんな予測があるからこそ、説明を記憶に刻むことができた。
なぜそんな予測ができたのかということはさておいて。
家の中では健介たち家族三人が夕飯を食べていた。この三人は父母と息子だろう。
「ところで健介、なんで今夜は帰りが遅かったんだい?」
なにか不安げな顔をしている健介に、彼の父は問うた。
「…………」
箸が止まる。健介は黙考したが、何も答えが浮かばなかったようで沈黙は長かった。
「あとで父さんの部屋に来なさい。隠し事はしなくていいんだよ」
にっこりとそう言って、父は健介の頭をそっと撫でた。
健介の家について、霊(たま)はよく知らない。
この辺りでは珍しいご近所さんなのに、健介の苗字すら知らないのである。
健介の母は一度、健介が泊まりがけで来た時に心配で疫幽家に来たことがあったので、顔は覚えているのだが。
夕食後、健介は言われたとおり父親の部屋に向かっていた。
疫幽家とは違い、床はフローリングで戸は蝶番(ちょうつがい)のドアである(疫幽家は襖(ふすま)だ)。
健介の背丈と同じくらいの高さに、
「石動鉋(いするぎかんな)」というネームプレートが貼られていた。
コンコン、とノックする。
「入りなさい」と応答があった。
健介がドアを開けると、そこに広がっていたのは異世界であった。
つづく
霊の中で、記憶を探る。
私の力では十日前までしか遡(さかのぼ)れない。
と。
奥の奥、十日前の意識に入り込むことができた。
自分の中から霊(れい)が出てゆくのを霊(たま)は感じた。
玄関。時刻は夜の6時をわずかに過ぎている。
貞子は気絶してその場に倒れてしまった。残ったのは、疫幽儚(えきゆらはかな)の死体と幼なじみの健介だけである。
貞子が倒れたのを見て、健介の表情が変わった。
儚をおんぶして家を出る。
必死の形相で疫幽家の敷地から出て、森に入っていった。
跡をつけてみる。
しばらくして、
「よし、ここまで来れば……」と健介。
俊敏な子供でなければなかなか辿(たど)り着けないだろうところに洞穴(ほらあな)があり、そこに儚を隠した。
夏の終わり。
ちょうど、近くでひぐらしが鳴いている。
健介は霊が見ているとも知らず、これでひとまず安心だという顔になっている。
そして、
「ハナちゃん……ごめんね……」
儚を抱きしめて健介は泣いた。
刻々と失われてゆく体温を保持するように、強くつよく、抱きしめていた。
霊(たま)は疑問に思う。
一度は疫幽家に運んでおいて、なぜ健介は儚をこんなところに隠したのか。
その点と、自分の飼い主だった儚のこれからが気掛かりで、霊は現場を離れることができないでいた。
辺りが暗くなる前に、健介は森を抜け、家に帰った。
儚は洞穴に残したままである。
さすがに健介の家に入り込むことはできなかったので、玄関に近いところに霊は身を隠した。
そして儚の父、好男(すきお)がやってくる。
応対した健介の母は、彼は風呂だと言っていたが、儚を運ぶのにてこずったため、夕食よりも先に風呂に入っているのだろう。
娘の所在がつかめないまま、儚の父は健介の家をあとにした。
夏の終わり、鈴虫の鳴く夜。
霊はその場で眠ってしまった。
一旦。
黒幕が降りるように瞳を閉じて、黒の濃霧の中を漂う。
いくらかして、浮遊感とともにぼんやりと視界が開(ひら)ける。
眠っている自分が少し遠い下方にあるのが見える。
そして健介の家の明かりが見えた。
霊は眠っている時、幽霊となって散歩をするのである。
もちろん、普通の人間には見えない。ごく一部の知的生命体にだけ見えるのだ。
また、この幽霊と呼ばれる状態になれる知的生命体も限られていた。
よく、死んだ人は幽霊になると言われるが、ほとんどは死んですぐに冥界に自動転移する。なんらかの理由で転移が失敗したり、強い未練があってこの世に留(とど)まるのは、かなりレアなケースだ。
だから普段、他の幽霊に出遭うことはあまりない。
こんな説明をなぜいましているのか。
それはいつか彼女が霊(たま)――つまり僕の過去を視(み)るだろうからである。
そうなることはとっくに予測していた。
というよりたぶん、そうするように僕が導くのだ。
そんな予測があるからこそ、説明を記憶に刻むことができた。
なぜそんな予測ができたのかということはさておいて。
家の中では健介たち家族三人が夕飯を食べていた。この三人は父母と息子だろう。
「ところで健介、なんで今夜は帰りが遅かったんだい?」
なにか不安げな顔をしている健介に、彼の父は問うた。
「…………」
箸が止まる。健介は黙考したが、何も答えが浮かばなかったようで沈黙は長かった。
「あとで父さんの部屋に来なさい。隠し事はしなくていいんだよ」
にっこりとそう言って、父は健介の頭をそっと撫でた。
健介の家について、霊(たま)はよく知らない。
この辺りでは珍しいご近所さんなのに、健介の苗字すら知らないのである。
健介の母は一度、健介が泊まりがけで来た時に心配で疫幽家に来たことがあったので、顔は覚えているのだが。
夕食後、健介は言われたとおり父親の部屋に向かっていた。
疫幽家とは違い、床はフローリングで戸は蝶番(ちょうつがい)のドアである(疫幽家は襖(ふすま)だ)。
健介の背丈と同じくらいの高さに、
「石動鉋(いするぎかんな)」というネームプレートが貼られていた。
コンコン、とノックする。
「入りなさい」と応答があった。
健介がドアを開けると、そこに広がっていたのは異世界であった。
つづく
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