秋と言えば、菊。ここ枚方は菊人形の開催地でした。枚方市民ならひらパーに一度や二度は菊人形を見に行ったことがあるはず…。しかし、今では入場者数が確保できず、赤字のため、数年前から取りやめに。その頃PTAをやっていたのでうすが、伝承者がいないので、小学校で、菊の技術を伝承して欲しいと、教育委員会から人が来て頼まれました。伝承者は後数名だそうです。伝統の技術も失われつつあるようです。
不景気は厳しいです。くらわんか花火大会もなくなりました。骨董品のように、残るものなら、いつでも美しい色を鑑賞できるのに。
音楽の演奏も、消え去っていく技術。録音は生演奏とは全くの別物。その時、そこで命の時間を共有したということでしか、味わえない何か。それが音楽の演奏だと思いますが。
消えていく何か、自分にしか出せない音。そして、明日にはもう自分にさえ再現できない・・・一期一会。
録音して閉じ込めて永遠にしておきたい。そう思うこともあるのですが。それではきっと音楽の何割かは死んでいるんだと思います。コンサートは怖い。怖いけど楽しい。
いつかは、演奏できなくなってしまうでしょう。その日まで、音楽とともに、人とともにありたいと思います。
台湾のおみやげといえば、「ウーロン茶」と「からすみ」。夫の会社関係の台湾の人が来日。お土産にからすみをいただきました。今まで、からすみを何度も頂きましたが、この紙袋
「鳥魚子」の字のよこに美しい仮名遣い。
対してこちらは、2大お土産のウーロン茶のお茶缶に、日本語でかかれたお茶の入れ方。
「1を突きました。茶具が沸き立つホットウォーターで洗い落として加熱したあと、適量な茶の葉に入れてまたボイリングウォーターで洗い落として漬けるといい、三分間通じたあと茶の葉の・・・」
「2一回の茶の葉、個人によってつづけて突いて漬けて3~4で回を誘うことが好きました。・・・」
多分ネットの無料日本語翻訳ソフトだと思います。
笑うなかれ・・・私がフランス語とか、英語をしゃべったら、こんな調子・・・たぶん。
ところが、最初のからすみは中の日本語の説明もちゃんとしたものです。
からすみの方は、たぶん、日本語を実際に使っている人や日本の文化を理解している何人かの意見などいろいろな方面から聴いて作られていると思います。しかし、お茶の方は、ネットとか、翻訳機の力を借りるだけで、満足してしまったのでしょう。
からすみには、日本の文化への敬意と愛情を感じます。お茶は、おもしろいけれど、そんなもんかいって感じ。
私達が西洋音楽を学ぶ学び方も、からすみかお茶か?考える必要があるでしょう。
一筋縄ではいかないでしょう。でも、もともと他者を理解するのは、国境を越えなくても大変なこと。
きっと、理解しあえる。その信念だけが、私を支える力です。からすみか、お茶か?