音楽の喜び フルートとともに

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プラタナス

2008-11-20 00:51:02 | 子ども

昨日は、1年生のAくんとプラタナスの葉っぱを拾いました。
決められたおやつの時間も部屋の中に入らず、外に出たままお迎えの来る5時まで。

いろんな背景を抱えた子どもは、普通の落ち着いた向き合い方ではなく、特別な注目を求めてきます。ルール破りは、その表れ。ジャングルジムに登り、つばを吐きかけ、「あほ、死ね、豚!」どんなに深く、この子は傷ついてきたんでしょう?落ち葉の色を楽しみながらのんびり、穏やかな気持ちの良い時間を誰かと過ごす。暴力も、きつい言葉も無い時間が、彼には足りない。

保育範囲外の築山の土を蹴り続けて、挑発しようとするA君を、尻目に、もう部屋に返すことは無理。

この荒れた彼の心がこれ以上、荒れないためには何ができるだろう?おいしいおやつも、暖かい部屋も、彼は、いらない。
見渡すと、紅葉したプラタナスの葉が一面に落ちていて美しい。でも、この美しさにも目もくれず、彼は自分の穴を掘り続けている。
えーい!仕方ない。自分が楽しみを見つけるしかないか。
「ほら、きれいだよ。この赤い色見てご覧?」
「わぁ。きれいこの葉っぱ!」
と葉っぱを集めていると、
「先生、そんなん、虫食ってるやん。これ、あげるわ。」ときれいな葉を持ってきてくれた。
「まあ、きれい!ありがとう。」
「ふーん、先生そんなん好きなんか。」
「だって、きれいでしょ。」
あそんでいると、落ち着いてきて、いろんなことを話してくれました。

ヴァイツゼッカーが「心の病としての平和不在-核時代の倫理学-」(南雲堂)で、
「平和不在は現実への順応の欠如 健康とは現実に順応できることである だから平和不在は心の病気だった」と書いています。

美しいものを見たり、聴いたり、穏やかで当たり前の幸福を楽しめるようになるまで、私は付き合うことに決めました。彼が平和に幸せに生きていくことができるように。


エスペレ・ウン・ポコ

2008-11-18 23:59:25 | 音楽

屋根の上のアイビーだけが色づいて、imagesimagesimagesミュシャの絵模様のようです。今日は急に冷え込みました。明日はもっと冷えるそうです。秋はいろいろ本番がありますが、準備期間の最後は、風邪を引きやすい私は冬はいつも体力勝負になります。風邪を引かない体が欲しい。

23日はアンデスのフォルクローレのグループ、「エスペレ・ウン・ポコ」の、子ども向け、コンサート&ワークショップがメセナひらかたで14時からあります。
アンデスの、演奏、踊りを鑑賞し、ケーナ、ボンゴ、サンポーニャ、パンフルートを体験できます。

なんと、私もケーナ体験の講師をします。今からでもまだ申し込めます。お申し込みはメセナひらかたへどうぞ。

エスペレさんのKさんとの出会いは、5年位前、メセナの企画を主催した時に、最後のお祭り企画で、友達の紹介で演奏をお願いしました。色鮮やかで暖かい民族衣装で、奏でられるケーナやサンポーニャの音色に心も、色鮮やかに、そして暖かくなりました。
以来、枚方で活動している同士、チョコチョコお目にはかかるのですが、一緒に仕事をする機会もなく。いつかできるといいね。と言い合っては分かれていました。それが、今回、やっと実現します。

世界にはたくさんの人がいて、たくさんの考え方があって、たくさんの音楽があります。日本人同士だってみんな一人一人違います。違うと言うことを認めるから、コミュニケーションは開けます。同じだと話す必要もないです。しかし、話す必要も無いほど同じというのは、あり得ないと思いませんか?でも、私もそうですが、どこかでそんな気になっています。近ければ近い人ほど。

人と違うということを楽しめたら、もっと、世界は楽しくなると思いませんか?アンデスの音楽はそういうことをきっと教えてくれると思います。本番が楽しみです。


 


チベット医学

2008-11-18 01:59:46 | Weblog

チベット医学では

欲望(色欲、執着)
憎しみ(怒り、嫌悪)
無知(怠惰、愚痴)

の心を持ったら、病気であるとしています。
言葉に出したり、形に表れていることは、わずかです。
こういう心をもったらいけない、それは他人を害すると教えるのが世界中のほとんどの宗教の教えですが、チベットでは、こういう心を持つのは病でその被害を受けるのは、自分自身である。と言う考えのことだと私は思います。
確かにこういう心を持っているときの自分って自分のことを好きになれなかったり、気分がよくなかったりします。

しかし、病ですから、こういう心を持つ自分を罰することはありません。必要なのは治療だそうです。

こういう病う心のエネルギーをたたきだしたり、無かったことにするということではなく、あるがままに受け入れ、転換し、昇華するということらしいです。
たとえば、世の中にはいろんな理不尽なことがあふれていますが、その理不尽さへの怒りを人に向かってぶつけると恐ろしいですが、その正体を見きわめて、理性的に使えば、世の中をより良いものに変える原動力になって行ったりします。
こういう感情を消すのではなく、コントロールできる。そういうことが可能であるとチベットの医学をいっているのです。

音楽、言葉あらゆる表現は、チベット医学がいうように病を昇華する方向にありたいものです。


小さな力

2008-11-17 01:10:06 | Weblog

淀川にかかる御幸橋の横上には、京滋バイパスが平行しているので、淀川を見ると、トンネルの中からのぞいているようです。古くなった橋を架け替えるので、淀川の川べりは草を刈ってありました。
こういうものを作ったり壊したり、これに依存しなくてはもう生きてはいけない私たちって・・・「ちょっとくらいのエコなんてもうどうしようもない!」と叫びたくなります。

子ども達に、微笑みかけて、「お帰りなさい。」と言う。机の上に登る子に穏やかに「机から降りて、宿題をしよう。」という。

理由もなく友達を蹴りつづける3年生のBくんに「蹴るのはやめて!」と間にわって入ってとめる。
「あほ!あっちいけ!くさいんや!お前は!」っていいながら、今度は私を蹴る子に「あなたはいい子だから、友達を蹴るようなことをしては似合わない。」と穏やかに言う。
「そんなん信じられるっか!」荒れ狂って私を蹴る子どもに、それでもできるだけ穏やかに「あなたはいい子だよ。みんな大切な友達、仲間だよ。」という。
「うそ付け、俺に仲間なんかいるか!」
「みんな大切な児童会の仲間だよ。一年生とか尊敬してるよ。」
「ほっとけ!あほ!俺を尊敬してる奴なんかどこにもおらん!」
「そんなこと無い。先生も尊敬してるよ。あなたはいい子だよ。だから、こんなことしてはいけない。」
「うっさい!だまれ!うざい!」思いっきり蹴りつけられて、どっかに行ってしまった。

2ヶ月前は毎日こんなだった。Bくん。
今月は、水道栓の上に立つBくんに「それは、強く見えるけれど、折れてしまうかもしれないよ。もし折れてBくんが怪我をしたら先生はいやだな。」
「ふん、やめたらぁ。」とすぐに下りてくれる。

先週は、一回も注意しなくていけないようなことはなかった。ずっと、宿題をして友達と仲良く遊んでいます。これが続いてくれることを期待します。

水滴が岩に穴を開けていくような作業は、こちらが理性を手放したり、あきらめたら終わり。怒鳴ったり、感情的になっても終わり。大声を上げて、すぐにやめさせたら、成果を挙げているような気がすると思います。それでは、理由があれば暴力を奮っても良いと教えているようなものです。
小さな力は、すぐに成果は見えないけれど、気がつくといつの間にか積もって、岩に穴を開けていることがあると言うことを、子ども達は教えてくれます。

エコロジーも同じようなものかもしれません。それでも、あきらめたら終わり。














ヘルマンハープとフルートのアンサンブル

2008-11-16 00:29:06 | 音楽

24日の本番を控えて、ヘルマンハープとアンサンブルの練習をしました。
先回の課題だった「カヴァレリア・ルスティカーナ」のアヴェマリアのさびの部分、ハープの音が薄かったので、ハープのぴよさん、まいさんが音を増やして楽譜を書いてきてくれました。今日は、それがどんな音になるかを、実際に試してみました。

ヘルマンハープは反響板も薄く元来大きな音が出る楽器ではありません。だから、ffを表現するには工夫が必要です。音量を出すために、3本のハープで同じ音を単音で鳴らしたほうがいい場合と、逆に音の数を増やして、厚みを出した方がいい場合とが、あります。ロミオとジュリエットの場合は単音にした方が響きましたが、このフルオーケストラの感じは分散和音で中音域を弾き、バスが単音で動くと、総動員のffがよさそうです。楽譜を書き直して、実験。なかなかいいです。

目論んだことがあたるかどうか、やってみるのはそれだけでもワクワクします。そして結果は、大当たり・・・やったー!

今日は、もう一つ発見がありました。モーツアルトの「魔笛」から魔法の笛しましたが、消音機のついていないハープは、スタッカートの表現を出すのが大変難しいです。
チェンバロなら、指を上げたら消音なんですが、ハープは残響がずーっと残って、和音がにごって何をやっているのかわからなくなります。

魔笛は、スタカートが多く大変。今弾いた弦をもう片方の手で押さえながら、演奏すると言うのはとても難しいみたいです。そりゃそうですね。音は出無いけれど、一つの音符に付き一つずつ手間が増えるんですものね。

苦しんでいたら、くるみさんが思いついてやてみたのが「おつまみ奏法」・・・これはなかなか大発見。
いきなり音が整理されてクリアーに実際の奏法はコンサートにきて確かめてね。

今日になっても楽譜をいじり続けていますが、段々期日が気になってきました。
後一週間。
でも、少しでもよくなる可能性があるうちはやめられない。のだめカンタービレの千秋もあまりにもこだわり、磨き続けるので「ねちっこい」と言われてましたが、星のパレットのメンバーも私も負けず劣らず「ねちっこい」

このプロセスがたまらなく興味深いと思う私は、やっぱり変人?いや変態?まあ、本番までこらえてください。


ピアノリサイタル

2008-11-15 01:48:28 | Weblog

今日は、晩秋にしては暖かい日でした。夕方雲が出てきました。
夜、新大阪ムラマツリサイタルホールに、「寺嶋千紘 ピアノリサイタル」をききに行ってきました。

寺嶋さんはドイツリューベック音楽大学在籍中。テラモ国際コンクール1位など、数々の賞に輝いた才能ある若手ピアニストです。
実は星のパレットのぴよさんの娘さんです。

プログラムは

バッハの平均律クラヴィーア第一巻よりプレリュードとフーガ es-moll
ショパンのバラード第4番 F-moll
ラヴェルの夜のガスパール オンディーヌ-絞首台-スカルボ
シューベルトのピアノソナタ21番 B-dur

どれも、素晴らしい演奏でしたが、私はショパンとスカルボが良かったと思いますが、いかがでしょうか?
聞き逃しか方は、来年、2月28日枚方市退職教職員会の主催の早春コンサート(メセナひらかた)にも出演されますので、ぜひ、お出かけください。










曽根崎心中

2008-11-14 02:34:11 | 本・映画など
お初天神は、近松門左衛門の曽根崎心中の舞台でもあります。今は、こんな感じ。

曽根崎心中は1703年実際に起こった心中事件を元に、近松が書き、人形浄瑠璃で大流行したものです。歌舞伎や文楽は日本のオペラとでもいうべきものだと私は思います。
そこで、使われるのは太棹と言われる三味線ですが、普通の地歌で使う三味線と違って、棹が太く重い響きがします。義太夫節で物語が語られます。その節回しは重々しく、私には、グレゴリオ聖歌や、声明に近いような気がします。

天神橋筋商店街には、「お初徳兵衛 恋の手本となりにけり」と言うのぼりがたくさん立っています。

徳兵衛は継母や、叔父の勧める縁談よりも、遊女のお初を選んでいます。そのせいで叔父に勘当され、仕事も首になり、叔父が徳兵衛の継母に渡してしまった結納のお金も7日以内に返済するように申し渡されます。やっとのことで、継母にお金を返してもらったのに、帰る途中に、友人の九兵次が困っているときいてその金を3日で返すならと、貸してしまう。ところが約束の日が来てもお金は返らず、九兵次に請求したら逆に、公衆の面前で、罵られ、殴られてしまいます。
徳兵衛は身の証を立てるにはもう死ぬしかないと、覚悟を決め、お初を連れ、露天神の連理の松のしたで、お初を脇差で刺し、自分も刺して心中してしまいます。

これを機に、あまりにも流行して、当時心中事件が激増したそうで、ついには心中物は上演を禁止されてしまいます。
再復興されたのは1950年代になってから。今見ると美しいですが、お金をそこでなんで貸しちゃうの?と思ったり、身の証を立てるために心中?自分にかけられた疑いを晴らすのが一番の理由なら、徳兵衛と九兵次と叔父さんの問題じゃないの?お初は関係ないんじゃないの?なんて、現代の私は、いろいろ考えてしまいますが、作品としては、充分に見ごたえ、聴き応えがあります。特に太棹は腹のそこにビンビン響いてきてとっても気持ちいいです。まだの方はぜひ文楽劇場に足を運んでみてください。

頭脳流出

2008-11-13 02:28:08 | Weblog

今日は、梅田でレッスンの日imagesimagesimages左からフェニックスホール、中ノ島新線の大江橋駅、御堂筋のイチョウ。
レッスンの楽器店があるのは、梅田のはずれ、淀屋橋に向かって歩くと、エスト1とかおしゃれなところはすぐに過ぎて、天神橋筋商店街、パチンコ屋さんやポルノ店が並び、昼間でも、一人で歩くのはちょっと緊張します。

やっと息をつくのがお初天神。向かい側のフェニックスホール辺りに来ると写真を撮るほど余裕がでます。先月まで高木綾子さんのポスターがかかっていました。今日は、ロシアのヴァイオリニスト。舞台の背面に大きな窓があって、全開すると夜景の前で演奏できます。昼間は逆光でだめですが、夜はなかなか素敵です。ソロ楽器や、室内楽向けホールとしてはなかなかのものです。

しかし、大阪では歌劇のホールはついになくなってしまいました。
イタリアヴェローナの円形劇場で、トゥーランドットを見ましたが、古代ローマの遺跡を半分に区切って、一方は観客席、一方は舞台。3万人収容。一番上で見たら、音響が良くて声はびんびん響きますが、人は米粒のようにしか見えなかったです。その階段席の一番上からトゥーランドット姫が家臣と登場し、コーラスがずらっと並ぶ様子は、それはそれは絢爛豪華でした。

そこまでいかなくても、ローマの普通の劇場で見たアイーダだって、4頭立ての馬車に乗って走りこんで登場しても大丈夫な舞台でした。

大阪ではフェスティバルホールで、ドミンゴ、スカラ座のラ・ボエームを見に行きましたが、3階建ての舞台に人が何十人も乗り、お祭りの花車をひいた本物のロバが出演していました。それでも、狭くてはしょっていたそうです。
それさえも今はなく、歌劇をまともに上演できる舞台は大阪にはなくなってしまいました。

大阪の音楽家達には本当に優秀な人たちがたくさんいます。世界のコンクールで、賞をとっています。音楽家は個人の努力で、勉強し、海外を目指し、もっとも優秀な人たちはヨーロッパや、アメリカで、他国で活躍し、その国の人を育てています。そりゃ、草野球レベルの場で食えない大阪にいるより、大リーグ球場で活躍できるならそちらの方がずっといいよね。しかし、これでいいのだろうか?


アルルの女のメヌエット

2008-11-12 01:21:06 | 名曲
ビゼーのアルルの女のメヌエットは、フルートの曲を一曲あげるとすると、この曲というほどフルートで有名な曲です。
ドーデの戯曲「風車小屋だより」が原作です。
じつは、ビゼーの友人のギローが組曲に編纂しなおした時に、ビゼーのもう一つの歌劇「美しきパースの娘」の二重唱をフルートの曲に編曲して、第二組曲の間奏曲として組み入れました。

私は、この曲を聴いたら、ゴッホが描いたアルルの黄色い橋が思い浮かぶほどですが、パースは、16世紀スコットランドの首都だそうです。どう聴いてもスコットランドって感じじゃないなぁ。
実は、情景音楽ではなく、公爵がロマの女王を口説く唄で、フルート部分ではなく、対旋律の一部が歌になっています。ロマとは、流浪の民のことです。

アルルの女は、主人公フレデリが闘牛場で見かけた女で、彼が恋焦がれているにも関らず、他の男と駆け落ちしてしまいます。実際には歌劇に一度も出てこず、通り過ぎていく流浪の民の一人だったのかもしれません。

そう思うと、この曲は公爵スコットランドの曲と言うより、ロマの女王の故郷からきた音楽だったのかもしれません。

アルルの女のファランドールはロマの音楽そのもの、この音楽の中、フレデリは正常と狂気の中をさまよい、ついにはアルルの女を追ってバルコニーから飛び降りて死んでしまいます。

ロマの女の音楽とそれを誘惑するスコットランドの公爵の曲を第二組曲に選んだギローはビゼーの音楽の性格を深く理解していたのだと思います。
これは、ビゼーのほかの歌劇を通して、語られている特徴とも通ずるところがあります。
カルメンとホセ、洗濯女と官吏の葛藤。自由に男から男へと放浪するカルメンと、生真面目なホセ。アルルの女でも、フレデリは清純な相手にふさわしい婚約者と、奔放なアルルの女の間を行きつ戻りつします。

ビゼーは、パリの音楽家の両親の息子で、幼い頃から恐ろしいほどの才能があり、パリ音楽院で純粋培養とでもいう環境で育った人でもありましたが、最下層に生きる、ロマの音楽や、流浪に、魅了され、憧れ続けた人でもあったのだと思います。それは、正統派音楽の中で育ちながら、クーデターを起すというほど、当時としては大変なことだったのです。実際カルメンを上演した時はスキャンダルが巻き起こり、不評でした。ところが、すぐにそれは名声に変るのですが、ビゼーはついにその成功を知ることなく、3ヵ月後亡くなっています。

地域のボランティア募集

2008-11-11 02:16:32 | Weblog

家には、めだかもいます。卵を抱いているのもいます。とっても映せないですが。どじょうも、たなごも、めだかも夫と次男が近所の川で取ってきました。二人で、休みになると世話をしています。私はもうちょっと意志の通じる生き物の方が好きですが、強いアレルギーのせいで、犬猫を飼えないのです。それでも、生き物がいると和みます。

明日は、子育てサロンの運動会。幼稚園のお遊戯室をお借りして、室内玉いれや、ハイハイかけっこをなどします。先月からちょこちょこ準備して、(ずっとではなく、ためておいたのでこうなったのですが)さっき、チーム分けの名札を作り終わりました。

玉や、ボウリングのピンすべて手作りです。福祉委員会自体は社会福祉協議会(税金と、募金からなっています)から、お金を頂いていますが、すべて材料代で消費します。人件費0。主婦と名のつく人たちが減っている今、どこの地域も維持するのが大変。ここのメンバーも、完全主婦は50代より上の人だけで、40代以下はパート主婦。30代の人員確保はどこでも難しい。
私は、子どもの小学校にCAP(子どもへの暴力防止プログラム)を入れて欲しくて、子ども会をやって、地域の人たちのおかげで実現し、御礼のつもりで始めたら、PTAやらなんやらで切れめなく続ける羽目に陥り、もう8年位かな。子どもは卒業してしまった。まあ、CAPの理念でもある、子どもを支える地域と、家庭、学校の連携を実践するのはライフワークと思い、何か一つはボランティアを続けようと思っているので、ありがたくさせていただいています。

上手な人もいますが、私はへたくそなので、どんな小さなグループでも運営は大変ですが、仲間に助けられて、楽しくやっています。ちょっと一月に一回くらいお茶飲みながら、手作りのお手伝いをしてもいいとか、一月に一回2時間ほど赤ちゃんとあそんでも良いという人、どうぞ、地域の子育てサロンの窓口を訪ねてください。みんな大歓迎してくれると思います。