淀川にかかる御幸橋の横上には、京滋バイパスが平行しているので、淀川を見ると、トンネルの中からのぞいているようです。古くなった橋を架け替えるので、淀川の川べりは草を刈ってありました。
こういうものを作ったり壊したり、これに依存しなくてはもう生きてはいけない私たちって・・・「ちょっとくらいのエコなんてもうどうしようもない!」と叫びたくなります。
子ども達に、微笑みかけて、「お帰りなさい。」と言う。机の上に登る子に穏やかに「机から降りて、宿題をしよう。」という。
理由もなく友達を蹴りつづける3年生のBくんに「蹴るのはやめて!」と間にわって入ってとめる。
「あほ!あっちいけ!くさいんや!お前は!」っていいながら、今度は私を蹴る子に「あなたはいい子だから、友達を蹴るようなことをしては似合わない。」と穏やかに言う。
「そんなん信じられるっか!」荒れ狂って私を蹴る子どもに、それでもできるだけ穏やかに「あなたはいい子だよ。みんな大切な友達、仲間だよ。」という。
「うそ付け、俺に仲間なんかいるか!」
「みんな大切な児童会の仲間だよ。一年生とか尊敬してるよ。」
「ほっとけ!あほ!俺を尊敬してる奴なんかどこにもおらん!」
「そんなこと無い。先生も尊敬してるよ。あなたはいい子だよ。だから、こんなことしてはいけない。」
「うっさい!だまれ!うざい!」思いっきり蹴りつけられて、どっかに行ってしまった。
2ヶ月前は毎日こんなだった。Bくん。
今月は、水道栓の上に立つBくんに「それは、強く見えるけれど、折れてしまうかもしれないよ。もし折れてBくんが怪我をしたら先生はいやだな。」
「ふん、やめたらぁ。」とすぐに下りてくれる。
先週は、一回も注意しなくていけないようなことはなかった。ずっと、宿題をして友達と仲良く遊んでいます。これが続いてくれることを期待します。
水滴が岩に穴を開けていくような作業は、こちらが理性を手放したり、あきらめたら終わり。怒鳴ったり、感情的になっても終わり。大声を上げて、すぐにやめさせたら、成果を挙げているような気がすると思います。それでは、理由があれば暴力を奮っても良いと教えているようなものです。
小さな力は、すぐに成果は見えないけれど、気がつくといつの間にか積もって、岩に穴を開けていることがあると言うことを、子ども達は教えてくれます。
エコロジーも同じようなものかもしれません。それでも、あきらめたら終わり。