先々週行った木津川近辺の里山。
鷺をうまく撮れました。
機種変したからかな。
田んぼの緑も盛り上がって来ました。
田んぼの緑も盛り上がって来ました。
カール オルフ(1895-1982年)
ドイツ公国バイエルン王国ミュンヘン生まれ、西ドイツ ミュンヘン没
軍人の家系に生まれましたが、早くから音楽の才能を発揮。
3歳のオルフ
公立学校を中退、ミュンヘン音楽学校で学びます。
9歳のオルフ
1915-1919年は兵役に付きます。
9歳のオルフ
1915-1919年は兵役に付きます。
このとき東部戦線で塹壕に生き埋めにされて生死の境をさまよいます。
1920年ドロテー ギュンターとミュンヘンに体育と音楽と舞踏を教えるギュンター シューレを設立。
アリス ソルシャーと結婚。翌年女児をもうけました。
25-36年の間音楽を教え、モンテベルディのオルフェイスの編曲をします。
1930年スイスのエミール ジャック ダルクローズ(1865-1950年)の提唱したリトミックの理論とヒンデミットの実用音楽の影響を受け、こどもの初期教育の音楽を書き、現在も世界中の教育現場で利用されています。
1936年ベルリンオリンピックのために「オリンピックロンド」を作曲しています。
翌年「カルミナ・ブラーナ」を作曲、大成功をおさめます。
しかし、第二次世界大戦によって他国との文化交流が断絶したため、国外で知られることはありませんでした。
1954年59歳になってからレコード化されようやく世界中で評価されるようになりました。
1939年ガートルード ウィラードと再婚、1953年離婚。
オルフはナチスとの関係を疑問視されています。
ベルリンオリンピックはヒトラーのプロパガンダに利用されています。
反ナチス抵抗運動の地下組織「白いバラ」(Die Weiße Rose)の創設者のひとり、クルト・フーバー教授 (Kurt Huber: 1893-1943)の友人で、オルフはフーバーが逮捕された日にたまたま彼の家を訪れていました。
フーバー夫人は、オルフに彼の影響力を使って夫を助けてほしいと懇願しますが、オルフは「もしもフーバーと親しいことが発覚したら、私の身を滅ぼします」と夫人に言って断りました。
その後、フーバー教授は、人民法廷で国家反逆罪の罪で有罪となり、1943年に処刑されます。
オルフは戦後、フーバー夫人にわびています。
また、連合軍の尋問に白バラ設立の一員だったと証言しますが、彼の証言以外に証拠はなく、フーバー夫人は、「白バラの活動に関心がなかったようだ。」と発言しています。
ナチスに積極的に協力した形跡もなく、彼は開放されます。
「カルミナ・ブラーナ」は、ナチスにも人気がありましたが、古典的な音楽様式ではなく、非難されることもありました。
「カルミナ・ブラーナ」は、1803年ドイツ南部にある修道院から発見された詩集の名前です。
13-14世紀に流浪僧や吟遊詩人がつづった歌や詩は、自然賛美のほか、反権力、反道徳的でもありました。その猥雑でエネルギッシュな内容に衝撃を受けたオルフは、全部で250余りある詩の中から24篇を選び「カルミナ・ブラーナ」を完成させました。
作風はどの派にも属さず、独自のものです。
懐かしいです♪
面白い曲ですよね!(^▽^)
コーラスで歌ったなんて羨ましいです。
いい曲ですね👍
個性的な曲ですね。
私のは浅学なので、深く知りたい場合は、本などをお読みくださいね。