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音楽の喜び フルートとともに

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市場のにぎわい

2025-04-22 21:04:00 | バロック
月曜日からソウルに戻りましたが、ホテルのWi-Fiが弱く?なぜかgooブログだけ繋がりません。
海外Wi-Fiの容量があるので、みなさまのブログを訪問できるほど無いので、水曜日に帰国しましたら訪問させていただきますね。

コンサート当日の朝は。西門市場に行ってみました。
前の夜エスカルのメンバー女子5人で夕食の後、ぶらぶらと徒歩30分を歩いて行くと、
薬膳博物館や(外回りだけ)



西門

を見ながら女子トークをしながら行くと
残念閉まってました。
平日は開いていますが、土曜日は6時まで…!!

写真撮って

仕方ないので、スタバ古民家カフェで

お茶して帰りました。

日曜日の朝はたくさんの店が…。
冒頭写真は薬膳のお店。

アクリルたわし屋さん…でなくて、毛糸屋さん。

八百屋さん、



お食事処、 
お菓子を揚げる横でおしゃれな法服を売っていたり…。
カオスな感じが活気を感じておもしろい!

スリッパとヘアークリップをお買い上げ。
日本の3分の1の、お値段でした。

オーランド・ギボンズ(Orlando Gibbons, 1583 - 1625年)イングランド王国カンタベリー生まれ、イングランド王国カンタベリー没

は、イングランド・テューダー朝後期からジャコビアン時代にかけて活動した作曲家、オルガニストです。

1596年から1598年にかけてイギリスのケンブリッジのキングス・カレッジの聖歌隊に参加し、このカレッジでは現在も毎年チャペルで彼の命日の典礼を行っています。 

ギボンズは1606年に学士号を取得しました。

ジェームズ1世(1566-1625年)
スコットランド王国エディンバラ城生まれ、イングランド王国シーアポールズ宮殿没

は彼を王家礼拝堂のジェントルマンに指名し、彼はその礼拝堂で少なくとも1615年から亡くなるまでオルガニストを務めました。

ギボンズはカンタベリーで卒中のため逝去し、カンタベリー大聖堂に彼の記念碑が建てられました。

当時のイングランドで最も多才な音楽家の1人であったギボンズは、大量の鍵盤楽器作品、およそ30曲のヴィオール

ヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴィオールと言いました。
のための幻想曲、相当数のマドリガル(「白銀の白鳥 The Silver Swan」が最もよく知られています。)、そして多くの有名なヴァース・アンセム(イギリスの宗教的合唱曲)を作りました。

ギボンズのコラール音楽は、メロディに合わさった、完璧に熟練した対位法が特徴です。

おそらく彼の最も有名なヴァース・アンセムは「ヨハネの証はかくのごとし This is the record of John」であり、これはフルコーラスと交代するソロのカウンターテナーあるいはテノールに降臨節の聖句を置いた作品です。

ソロ歌手は各ポイントで相当の技術的な腕前を披露することが要求され、作品は同時に聖句の修辞的効果を上げています。

彼はまた、第2礼拝とショート・サーヴィスの2種類の晩課を作っています。前者は詩句と節のすべてを合わせた派生的な作品であり、後者は美しく表現豊かなヌンク・ディミティス(「今こそ主よ、僕を去らせたまわん」)、またはシメオンの賛歌、シメオンのカンティクム(ラテン語: Canticum Simeonis)は、キリスト教聖歌のカンティクムの一つ。カトリック教会、聖公会をはじめとする西方教会において、聖務日課の「終課」や「夕の祈り」などの中で歌われる。)を含みます。

ギボンズのフル・アンセムには、表現豊かな「おお、主よ、御身の怒りで O Lord in thy wrath」や、聖枝祭用の8声の「手を打ち鳴らせ O clap your hands together 」などがあります 。

ギボンズの「ロンドンの物売りの声」
『The Cries of London』