音楽の喜び フルートとともに

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川にまつわる交響曲

2023-07-11 21:02:00 | ロマン派
月曜は京都の富久田先生のレッスンに行ってきました。
モーツァルトのフルート四重奏Ddurの本番が8月6日に演奏会で披露するので見ていただきました。
この曲、まだまだ磨けます。

今出川大宮のバス停の近くに近畿産業信用組合のゆるキャラ「とらきち」が立っています。
銀のとらきち…微妙。

鴨川もお天気悪い。

叡山電鉄まで行って、電車拝んでから、「雨降る前に帰らなきゃ。」と、帰ってきました。
家についた途端に雷雨が降ってきました。

ル メックの餡とラズベリーのパン、お昼ごはんに、忘れず買って帰りました。

鴨川が京都を代表する川なら、ライン川。ドイツの歴史はこの川を中心に展開しています。

実は全長1233kmうち、ドイツを流れているのは698kmだそうです。
源流はスイスでフランス、オランダを経由して北海へながれています。


ロベルト シューマン(1810-1856年)プロイセン王国ツヴィッカウ生まれ、プロイセン王国エンデニヒ没


交響曲第3番変ホ長調op97は「ライン」と呼ばれています。

1847年5月に長男を失い、11月に親友のメンデルスゾーンが亡くなり、シューマンは衝撃を受けます。

それでもドレスデンの男性合唱団の指揮をすることになり、シューマンはこれを混声合唱団に拡大するなどして力を注ぎます。

1849年5月にドレスデンで革命蜂起(ドレスデン5月蜂起)

立憲君主制を求め新憲法民主的な選挙により選ばれた議員たちが新憲法の元に王を選ぼうとしましたが、拒否され、新憲法を巡ってプロイセン王国内であちこちで蜂起が起きました。200人の死傷者を出し失敗。
が起きるとシューマンは心情的には自由主義の立場でしたが、精神障害や家族の安全のこともあってマクセンに避難します。

ここでも数曲完成させ、1850年、デュッセルドルフ管弦楽団、合唱団の音楽監督に招かれます。

9月に到着すると盛大な歓迎を受けます。

シューマンはライン川沿岸を好んで散歩し、9月と11月には ライン川上流に位置するケルンにも足を伸ばしました。

壮大なケルン大聖堂

に感銘を受け、おりしもこの時期に挙行されたケルン大司教ヨハネス フォン ガイセル

の枢機卿就任式
の報に接し、交響曲の霊感を得たと言われています。
11月にチェロ協奏曲を完成させると、直ちに交響曲の作曲に取りかかって12月には完成しています。

「ライン」の副題はシューマンがつけたものではないですが、ライン川の川下り、それを取り巻く環境に触発され、その関連は深いといわれています。

第1楽章ローレライ

ローレライが歌声で船人を水底へ引き込んだと言われる伝説がある
第2楽章コブレンツからボン 

コブレンツにはライン川とモーゼル川の合流地点があり、「ドイツの角」と呼ばれる川に突き出た街があります。
第3楽章ボンからケルン

第4楽章ケルンの大聖堂

第5楽章デュッセルドルフのカーニバル

醜い精霊ホッベディッツに扮して大きな音を出して寒い冬を追い出すカーニバル
となっています。
1851年シューマン自身の指揮によりデュッセルドルフで初演されています。 

この曲はいろいろな編曲がほどこされています。
特にグスタフ・マーラーによる編曲が有名で、よく演奏されています。



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2 コメント

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シューマン (takan32)
2023-07-11 20:22:23
久米さんへ、シューマンはピアノ曲ばかり書いていて、ドイツでは交響曲を作曲してこそ本物の作曲家という風潮があり、それに抗しきれずに、交響曲を作曲しましたね。(というようなことを本で読んだ記憶があります。) 
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Unknown (m-fluteangel16)
2023-07-12 10:07:26
@takan32 さん、シューマンは22歳位から何度か交響曲を作ろうとしています。
しかし、なかなかまとめられず、初めてできたのが31歳時の第1番。
だから、そういう噂が流れたのかも…。
実は4番まで書いていて、他にも「ハムレット交響曲」を頭の中で構想していたけど、作ろとしたけど書けなかった。と書いた手紙が残っていたり。
作りたかったけど、まとめあげるまでに至らなかったという感じではないかと思っています。
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