今日の塚口t-raumでハープレッスンを受けました。
温かいからか、オーナーの猫勢ぞろいで箱に入って寝ていました。

白足袋の黒猫さんは、カメラを向けると出ていってしまいました。
お邪魔してごめんなさい。

この子はだいぶ寛いでいます。

なかなかの面構え。
アルビノーニのアダージョと言う曲は、少し変わった履歴を持っています。
トマゾ・アルビノーニ(1671-1751年)

ヴェネツィア共和国ヴェネツィア生没。
裕福なヴェネツィア貴族の家系に生まれました。
父は紙商人アントーニオで、ヴェネツィアにたくさんの店を構えていました。
1700年にマントヴァ公コジモ3世にヴァイオリニストとして雇われ、
1705 年オペラ歌手マルガリーテと結婚、6人の子どもをもうけます。
彼女は、1721年に亡くなっています。
1709 年に紙業は弟たちにまかせ、音楽に専念、イタリア各地で有名になり、声楽学校を開設し、指導していたらしいです。
50曲のオペラ曲を書き、器楽曲、オーボエ協奏曲で有名です。
ヨハン セバスチャン バッハはアルビノーニの主題によるフーガを作曲。学生にアルビノーニのバスによる課題をよく出していました。
アルビノーニのアダージョは、1958年レモ ジャゾットによってアルビノーニのソナタト短調の断片によって編曲されたものと思われてきました。
元の楽譜は、第二次世界大戦の連合軍のドレスデン空襲の後で、旧ザクセン国立図書館

の廃墟の中から発見されたと伝わってきました。
レモ ジャゾット(1910-1998年)
イタリアローマ生まれ、ピサ没。
フィレンツェ大学聖チェチーリア音楽院で音楽史の教授として働いています。
トマゾ・アルビノーニの研究の第一人者です。
編曲したと言い張っていましたが、最後には、自分の創作であることを認めています。
この曲は、今だに世界中で人気があり、日本や欧米で葬儀のときに最も使われている曲だそうです。
1992年 ボスニア内戦で包囲されたサラエボ市内で市場で食品を買おうと並んでいた民間人を砲弾が直撃し、22人が亡くなりました。
その翌日から地元のチェリストヴェドラン スマイロヴィッチが「アダージョ」を22日間その場で演奏しました。