安倍元首相の国葬での菅前首相の追悼の言葉について、
波紋が広がっている。
日本共産党の山添拓参院議員は、
「憲法違反の安保法制も、格差と貧困の拡大も、
政治の私物化もそれを隠す国会での嘘も、
すべて美化し礼賛」
と厳しく批判。
人の真心よりも、政局を優先する、この党の人らしい言葉だ。
心のアンテナが壊れているとしか思えない。
こんな言葉、記事にすることもないと思う。
もし共産党が権力を握ったら、と思うと恐ろしい。
テレビ朝日の玉川徹氏が国葬翌日の「羽鳥慎一モーニングショー」で、
菅氏の追悼の辞について、こう発言した。
「まぁ、これこそが国葬の政治的意図だと思うんですよね」
「僕は演出側の人間ですからね。
テレビのディレクターをやってきましたから。
それはそういう風に作りますよ、当然ながら。
政治的意図がにおわないように、
それは、制作者としては考えますよ。
当然、これ、電通が入ってますからね」
翌日、玉川氏は、この発言を撤回。
「昨日のパネルコーナーのなかで、
私が安倍元総理の国葬に電通が関与しているという風にコメントしたんですけれども。
この発言はですね、事実ではありませんでした。
さらに、電通はですね、全く関わっていないということが分かりました」
と謝罪。
しかし、前日の放送だけを観た人は、
菅氏の読み上げた弔辞は電通が用意したものだったと捉えたままだろう。
アルピニストの野口健氏がこう言っている。
「どのような歩み方をしたらこのような感性の持ち主になるのか。
怒りや呆れというよりも哀れみの感情の方が近いのかもしれません。
しかし、人を陥れる為に
事実と異なる悪意に満ちた印象操作を行うのは下品極まりない。
『分断が! 』と報じる側が
その分断を煽ってどうするのか」
「公共の電波を使って
裏も取らずに憶測のみで決めつけてしまう発言は
最もやってはならないこと。
まして、玉川氏はいちコメンテーターではなく
この放送局の社員。
つまり『局を代表した上で発言されている』のだと、
私は受け止めています。
余計なお世話ですが退場処分を検討すべきでは」
私は、羽鳥アナは好漢だと思うが、
玉川氏が出るので、「モーニングショー」は、観ない。
そういう人は多いのではないか。
この人の、上から目線の言い方、
自分だけが正しい、という姿勢がいやだ。
本人は謝罪しているが、
心からのものではなく、
せいぜい、「電通の名前を出したのはまずかったな」
とでも思っているのだろう。
「演出側の人間としてやってきましたからね。
それはそういう風に作りますよ」
と言っているが、
テレビ局がそういう思考誘導をしていることを白状したようなものだ。
玉川氏は、全国のテレビディレクターを敵に回した
なお、アベマテレビが、
国葬から2日後、
菅氏に単独インタビューし、
追悼の辞が執筆された過程を明かしている。
これを見ても、あの追悼の辞は、
菅さん自身の筆であることは明らかだ。
また、別な方向からの憶測記事が出ている。
「菅前首相に主役を持っていかれる格好になった岸田首相は、
かなり落ち込んでいます。
菅元首相のエピソードがあそこまで感動的なものだったとは知らなかったのでしょう。
『完敗だ』と感じているようです」
「岸田首相の落胆ぶりはかなりのもので、
関係者の間では『支持率より落ち込んでいる』と冗談めかして話しているほどです」
何という憶測記事。
国葬実行委員会の関係者の話だというが、
取材源を明かさない以上、
この人物が本当にいることさえ定かではない。
この記者は、岸田さんの心の中を覗き込めるような超能力でもあるのか。
「岸田さんは落ち込んでいるのではないか」
「岸田さんが落ち込んでいたら面白い」
という動機での憶測記事を書いたのだろう。
本当にメディアの質が落ちている。
一般献花に並んだ人は、その後、2万5889人だと正式に発表されたが、
これについて、
これこそ「サイレントマジョリティー」と書いた人に対して、
立憲民主党の米山隆一衆議院議員が、こんなことを発信している。
「東京の人口は1400万人、
首都圏なら2500万人程度になります。
参列した2万3千人(中間発表の数字)は
東京の0.16%、首都圏の0.07%に過ぎません」
この人は、総数の数字だけを見ていて、その心を見ていない。
25,889人の内実は、
あくまで1+1+1・・・・・なのだ。
私も並んだ一人だが、
あの粛々と2時間、人によっては4時間並んだ人の心を思い図れば、
そんなことは言えないはずだ。
行きたくても断念した人も沢山いたに違いない。
たとえば、ウチのカミさんは、
「行きたいけど、行列だから、(私の体力では)無理と思う。
悪いけど、あなた私の分も行ってきて」
と託し、私はカミさんと娘の分を合わせて3輪の花を捧げた。
この米山という人物は、
新潟県知事の時、
援助交際が発覚して、
「売買春と言われる可能性はあると思う」と言って、
知事を辞職した人だ。
こんな発言をするから、
旧悪を書かれることになる。
有村治子自民党参議院議員は、
「花を携え、他者をおもんばかりながら、
自らの想いを届けようとされる多くの方々尊厳を守り、
静かなお見送りのために、
主体的に行動される国民の意志優しさと敬意、尊重と行動。
天の安倍元総理にきっと届いている」
とツイート。
作家でジャーナリストの門田隆将さんは、
「反日メディアがいくら騒いでも
国民は毅然としていた事が証明された歴史的な日」
と書いた。
この日の国葬反対派の行動も常軌を失している。
九段下交差点のデモでは、
安倍元首相を標的とする射的場までできた。
どうやったら、こんな人を侮辱する行為が発案できるのだろう。
そして、黙祷の時間にわざわざ合わせて、
音を立て、太鼓を叩いて反対の意を表した。
弔意を表明する黙祷を邪魔する行為。
彼らは葬儀とは思っていないのだろうが、
少なくとも葬儀と思っている人たちを
わざわざ妨害する行為は、
日本人のすることとは思えない。
このように、反対派の人々の人間性が
品性下劣であることが明らかになったことで、
この「分断」が
どんな種類の人々によってもたらされたかが判明している。
安倍元首相の国葬は、
まるでリトマス試験紙のように、
その人の人間性をあからさまにしてしまったのだ。
立憲民主党は、執行役員の国葬不参加を機関決定したが、
その中でも、野田佳彦元首相は、
国葬決定の経緯などには反対だが、
首相の孤独と重圧を経験した立場として
「元総理が元総理の葬儀に出ないというのは
私としては人生観から外れる」
「ご苦労さまでしたと花をたむけてお別れすることはしたい」
と述べた。
立派なことではないか。
菅氏の追悼の辞について、
「次の総理返り咲きへの布石だ」などという人もいる。
何とまあ。
昔観たあるドラマで、
登場人物が若者をたしなめて、
「人が何かいいことをすれば、
きっと裏があるだろう、と思う。
カネのためならほんとだと言い、
人のためなら偽善だと言う。
そうやって、世間を分かった気になってタカをくくっているが、
人間は、そんな簡単なものじゃないぞ」
と言うセリフがあったが、
それらの人に、そしてメディアに、
その言葉を送りたい。
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