憧れのAudio☆お知らせブログ☆

メインブログアドレス⇔http://longingforaudio.blog.fc2.com/

にぎはやひーににぎのみことー倭ーを解字してみる。続☆95 2021-08-18

2023年12月08日 | 続☆歴史の中の「経緯」

漢字でかくと、

瓊瓊杵尊

邇邇芸命

と、それなりに意味が通じる言葉になる。

だが、これは、

ニニギノミコトを掲げた(部族)(王朝)によって、

漢字の使われ方が違う。

と、いうことは、

多少の発音の変移はあったとしても

まず、「音」が、最初にあったと考える。

************

ににぎのみこと

にぎはやひ

ともに、「にぎ」が入る。

まず、「にぎ」に着目。

にぐ・にが(英語にするとニガー(黒人)ー蔑称になるらしい)

古い言い回しも探してみた。

**********

時代はこの際、棚上げにしておく。

**********

「にぎ」

《後世は「にぎて」「にきで」とも》榊 (さかき) の枝に掛けて、神前にささげる麻や楮 (こうぞ) で織った布。のちには絹や紙も用いた。

にぎ速日ーにあてはめると、

速い日は彗星と考えたい。

これが、日中、空(天)に現れたら

榊 (さかき) =天 にささげる布のように見えはしないだろうか?

ウガヤフキアエズ王朝実在論さまによると、

弥生人のDNAが隕石に在った。ということらしく

まさに、その隕石を「祖」とした

饒速日を掲げる部族が出てきてもおかしくない。

だが、実態は隕石なので

饒速日の名前を受け継いだ「だれか」が現れた。

と、いう事かもしれない。

***********

「にぎ」

名詞柔らかな肌。やわはだ。◆「にき」は接頭語。中古以降は「にぎはだ」。
古くは「和」を「にぎ」と読んだようである。
 
饒速日が彗星ー隕石(種の起源)であるなら、
大物主(種の起源の神)と同一視されても致し方がない。
 
そして、二番目に来た「にぎ」(彗星)とも考えられる
ニニギノミコト 2(にぎ)のみこと。
 
こちらを、実際に人として現れた「命」とする。
と、
二番目の和(にぎ)・・・????
 
二(2)、人として二番目 仁
 
仁和(ににぎ)
漢詩で、読むと、レ点がはいり
和(レ)人 わじん
*********
ににぎ
ににぐーで考えてみる。
 
ににぐり」とは繭から絹糸を紡いだ時に、二番目に取れる製品にならない糸のことです。
ににぐーという動詞は見当たらないが
(二番目)をににぐーよりわける、よける、と、考えられる。
 
あえて?
二番目(弟)を選んだ。(兄ー饒速日 弟-ニニギノミコト と考えたら)
二番目に取れる製品にならない糸
二番目(あるいは、末子相続)という考え方は
裏を返せば、兄(他)が実権をにぎりやすい。
そういう意味では製品(本当の王位ー実権者でない?)でない。
後の政権争いー実権争い の実情を正当化するための名づけ?
 
**********
もうひとつ、気になったのが
「倭」
ヘブライ語でも、似た発音があるらしく
「ヤマト」と自分たちのことを呼んだ。という話もあったが
漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん、漢委奴國王印)で
委(わ) 奴(な)の読みも併せて考えてみたい。
 
「倭」
ここは、解字して考えたい。
まず、単純に
人に委ねた(ゆだねた)
 
そのまま、読むと、
神が、(日本)を倭人に委ねた。
昨今のスピリチュアルでも
地球を導く?宇宙人?とて
人間に任せるしかない不可侵条約のようなものがあるというので、
そういう事かもしれない。
 
人に委(ユダ) 
カチカチ山のところでも、書いたが
うさぎや狸になぞらえる民族?がいるらしいのに
「人」は「人」として、別にいる。
つまり、
ユダーユダヤ人以外は人でない。
いわゆる選民意識(神に選ばれしものという意味合い)だが・・・・
だとすれば
倭=ヘブライ人が「ヤマト」と自分たちのことを呼んだ、意味合いが見えてくる。
 
正式な解字
 
会意兼形声文字です(+)。「から」の象形(「」の意味)と

穂先の垂れた稲の象形と両手をしなやかに重ねひざまずく女性の象形

(「なよやかな女性」の意味)から「従うさま」、「従順なさま」、「慎むさま」を

意味する「倭」という漢字が成り立ちました。
 
**********
 
委(わ) 奴(な)の読みも併せて考えてみたい。
 
奴(な)をみていると
女が指図する(実権を女が握っている)
と、いう意味に取れてくる。
故に、卑弥呼が実権を握っているとか
あるいは、
天照大御神が「女性」であるとするなら
その「指示」(神託?)に従うという意味合いでも
女が指図する。
と、取れてくる。
+++++++++++
 
委奴
「漢委奴國王」の金印は、江戸時代に福岡県福岡市東区志賀島叶ノ浜あたりで「一巨石の下に三石周囲して匣(はこ)の形をした中」から発掘されました。印字の読みは三宅米吉により「漢の倭の奴の国王」と解され、これが一般的になっています。
『魏志倭人伝』に登場する奴国を古代の儺県(なのあがた)、いまの福岡平野に比定されて以来この説が有力とされております。
しかしながら、この読み下しでは、「倭国の中の奴国の王」となり、国名が二重に記され、不合理であるとの指摘もあります。
他方、「漢の委奴(いと)国王」と読み下す説もあり、委奴国を伊都国に比定しています。
しかし、金印が見つかったのは、志賀島であり、奴国比定地となり矛盾します。
現在、奴国と伊都国は、博多湾をはさんで、北東側(志賀島を含む旧儺県)が奴国、南西側対岸が伊都国と比定されており、後漢光武帝からこの金印を下賜され際(57年)にはまだ、両国が並立することはなく、この地域は金印のごとく「委奴(ゐな)國」と呼ばれていたのではないかと思います。
***********
漢字の成り立ちから考えると
 
委 は、
穂先の垂れた稲の象形と両手をしなやかに重ねひざまずく女性の象形
 
「奴」のイメージとは、違っています。
両手をしなやかに重ねひざまずく女性の象形
これは、祭祀の姿でしょうか?
 
委 穂先の垂れた稲の象形
これを、ノ 木 女 と、わけて考えると
ノは、(他の文字の解字から)「天にささげる」「天」という意味合いに思えるのです。
例えば、父 失う 千 (意味合いはまた別の機会に)
天の木 天に奉げる木 で、ノみたいのがついているといったら
********
大麻(おおぬさ、たいま、太麻)
神道祭祀において修祓(しゅはつ、祓い)に使う道具の一つで、木綿(ゆう)や、後世には布帛や紙が用いられる。「ぬさ」はの古名で、幣あるいは麻、奴佐と当て字される「ぬさ」の美称が「おおぬさ」である大幣(おおぬさ)とも。白木の棒で作ったものは祓串(はらえぐし)とも言う。

大麻の使い方も異なり、現今では塵を祓うように音を立てて振るが、春日大社のような古くからの祭式では撫でるように行われる。伊勢神宮でもそうであり、音を立てて祓うことは禁じられている。現今では祓う対象となる人や物に向かって、大麻を左・右・左と振って使用し、これによって大麻にが移ると考えられている。昔は左右中であった。吉田神道では陰の月には右左右と降る記述もみられる。それだけでなく、古来からの宮中での祭祀では、一撫一吻、撫でた後に息を吹くことがある

次に、修祓としての全体像になるが、大麻で祓った後に、小さな榊で塩湯を撒く。海にて禊ぐという意味である。大麻自体を塩湯が煮え立った釜に入れて振り、無病息災を祈る祭事もある。

祓いの初出としては『古事記』に詳細は書かれていないが国之大祓をしたとあり、『日本書紀』(720年成立)にて、天武天皇5年(676年)には大解除(大祓)があり、様々なものを国々に作らせたが、各家ごとには麻を一条を祓料として差し出すことになったと記されている。そして中臣が祝詞を奏上し、ト部が解除を行い、これらは祭祀と同じ構造である平安中期(10世紀)の『西宮記』では祓いを受ける者が差し出した大麻を、祓いを行う者が引いた。また、天皇が体をすり、罪穢れを移したことも記され、新たな祓の形式が現れてきた11世紀には、これが逆に祓いを受ける者が大麻を引くようになり、『古今和歌集』でも振るのではなく、引くことがうかがえる。後に、祓いを受ける者に対して振るうようになる。『大神宮儀式解』以来、ひくのが本義、振るのは略儀とされ、人を祓う場合にはそうだが、物を祓う場合には古来から振るものである

**********

穂先の垂れた稲の象形と両手をしなやかに重ねひざまずく女性の象形

委 は、祭祀を行っている女性 と、考えても良いかと思います。

すると、委奴 は、巫女が、実権を握って指図していた。

と、取れますが・・・・

では、

倭=ヘブライ人が「ヤマト」と自分たちのことを呼んだとなると

ヘブライ民族?(王朝?)は、巫女が、実権を握って指図していた。

と、いうことになってきます。

***********

このヘブライ人が入ってきたと思われる時期に

巫女が、実権を握って指図していた。

と、思われるのが

卑弥呼

台与(跡継ぎという意味合いですね・・依り代になったり

お告げを告げる人の事を「台」ともいう)

奴奈宣破姫

神功皇后(らしき女性というべきか?)

*********

なにか、政略奪取に、うまいこと、扱われてしまっていると考えると

その陰に

「頭の良いヘブライ人がいる」

と、思える。

そして、日本・天皇・皇室を自在に動かせるとなったら

「奴」(巫女)が、出てこなくなる。

*********

巫(神主・・)祭祀を取り計らうのが「男」になり

巫女は、そのお手伝い・舞の奉納とか・・・・みたいな。

*********

もしも、饒速日が

宇宙人?であるのなら

「倭」は、国(地球?)は、人類に委ねた と、いう意味合いであり

天の木(気)を戴きながら、国を作っていけよ。という

思いだったのだろうと思う。

*********

そして、本当の意味で

天の「意志」を受けたものが

「天千木」を掲げ(られ)たのではないかとも思える。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« スサ (覚書)続☆94 2021... | トップ | 古代カナン人のDNAを現代アラ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

続☆歴史の中の「経緯」」カテゴリの最新記事