憧れのAudio☆お知らせブログ☆

メインブログアドレス⇔http://longingforaudio.blog.fc2.com/

美穂神社の千木から・・・ 歴史の中の経緯・10

2023年10月17日 | 歴史の中の「経緯」

美穂神社の千木の様相と

祀られている神とのちぐはぐさ・・

あまりにも、現代?感覚が勝ちすぎているのか?

 

左右、横並びの千木は

二体の神をあらわすとは思うが、

左右という場合、

夫婦・あるいは、兄弟だろう。

 

系図を書く時もそうではないだろうか?

と、書く。

 

妻ー夫

と、書く。

 

兄弟の場合は

ー(横線がいくつも、でてくる)

実際、(一応)天照大神(姉?) 素戔嗚(弟?)という兄弟で

1社に二つの千木をかかげていることもない。

 

と、なると、

千木が横並びになるということは、

夫婦とかんがえて差し支えない。

 

この目線で祀られた祭神をみると、

義理の母と義理の息子

(この、言い方も違うけど)

と、いう奇妙な組み合わせになっている。

 

おそらくは、

大国主命と美穂津姫がまつられていたのだろう。

 

だが、国譲りのあと幽界の主になった大国主命が

そこに住んでいるわけもなく

美保埼によく釣りに行っていたという事代主が

そこに住んだ(祀られ)と、いうことになるか・・・

 

だが、そこも不思議と言えば不思議。

大国主命に国を譲らせ・・

言い方を変えれば、

大国主命から出雲をとりあげ

その息子が、

国譲りにとって協力的だったとしても

大国主命の住んだ(祀られた?)ところに

そのまま、住まわせるものだろうか?

 

普通に考えれば、

支配者は、前の統治者にかかわりをもたせたくないだろう。

その身分をとりあげ、町のはずれででもおとなしく暮らすのを許すのが精いっぱいではなかろうか?

 

仮に協力に対する褒美として、美保神社にすまう事を許すとしても、

この事代主・・・(別の説では大物主が・・だが)

その娘が神武天皇の后になっている。

 

神武の血筋がそのまま継承されたとするのなら

天皇家は

天照大神を祖とし

大国主命の血を継承していると言う事に成る。

 

このあたり、現天皇が、いろいろな巫事をするなかで、

必ず、毎日、最初に行うのが

大国主命への・・・

礼拝・参拝・挨拶・供養・・なんというのかしらないので

祈りといっておくが、

大国主命への祈りであると聴いたことがある。

 

神武をも基に考えると

父方は神武

母方は事代主の娘

 

父方は天照大神

母方は大国主命

と、いうことになってきて、

先般、

この逆の婚姻があったことは目新しい。

(大国主がわが天皇のほうに嫁に出した。

と、いうのと、逆で

天皇側が大国主がわ―出雲大社宮司ーに嫁にだした)

 

真偽ともかくも

事代主の娘が神武に嫁いでいるのであれば

まさか、町のはずれでおとなしくしていろとは、言えないだろう。

実にアバウトな理解で

美穂神社に事代主がまつられるのは、理解するとして

 

なぜ、事代主は娘を神武にとつがせることができたのだろう?

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 事代主と美穂神社 歴史の中... | トップ | 十種神宝 歴史の中の経緯・11 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史の中の「経緯」」カテゴリの最新記事