憧れのAudio☆お知らせブログ☆

メインブログアドレス⇔http://longingforaudio.blog.fc2.com/

コメント欄に・・・2021-04-30

2023年04月07日 | まったくの「わたくしごと」

コメントが来ていたのだが

読んでみて、削除することにした。

コメントをくださった方はさぞかし気分を悪くされたと思うけど

じつは、このコメントは初めてではない。

代理の他のブログにも張り付けられていて

すでに、5~6年前???いや、もっと前か?

コメントの案内に従って

小説?を読みに行ったのだが、

残念な事に、小説としての技量が薄く感じられた。

史実を小説にするということはよほどの技量がないと物にできない。

むしろ、資料的な説文として完成させたほうが良い。

当方メンテナンスにも通じるところであるが

歴史小説は

「本当にそうだったかもしれない」

「まさしく、そうであろう」

と、いう「うがち」と説得力(AUDIOでいえば実力)がないと

自論をこじつけてしまおうとする「臭み」が先にたってしまう。

そういう点で見事なのが

司馬遼太郎である。

この人が描く歴史人物はこの時、そう思っていたに違いない。

と、思わせてしまう。

事実は判らないが、その洞察に納得させられてしまう。

歴史小説の中身は、限りなくリアリティに富むピースに支えられている。

ところが、素人?の小説は、

歴史のリアリティ部分より、自分(あるいは投影人物)の感情的事実が先になる。

そこかしこに「うがち」「歴史への発見?」を見つけた自分を投影させる文章がでている。

歴史人物のことにたどり着くまでに、例えば、司馬遼太郎なら書かない

書くとしたらコラムとか随筆に書く部分が、長い。

いわゆる、小説のプロット部分がそのままでてきていて

小説をかくにあたる「設定」が多い。

歴史に疑問を感じる人物の登場から、疑問点の論議など

構想段階の基礎部分を盛り込んでいる。

これを資料的にうまくまとめられないので小説風に書いた。

と、言われれば、納得するが

「小説」ですといわれたら、

小説になってない。

それを読めと、もう数年たっているのに

同じことを言ってくる。

そして、大発見?洞察した部分だけ言えば

5000文字も有れば纏められる内容に思える。

洞察した部分をプッシュしたいなら

むしろ、随筆・レポート調にかいたほうが良い。

*******

もうしわけないことだけど

いまだに宣伝行為を働くということは

まともに、評価されないということであろう。

そんな遺物じみたものを後生大事にしているより

新たなうがちや洞察

立場(主人公)をかえてみた視線からとか

新機軸を増やしていけばよかろうにと思ってしまう。

例えばだけど

吉川英治の宮本武蔵

池波正太郎(だったか?)の佐々木小次郎

立場(主人公の違い/背景)で、見え方がちがう史実もあろう。

いかに宣伝するかでなく

いかに自分の作品に対して、誠意をもってあたるかの違いで有ろうと思うと

旧態依然の宣伝文句に

まだ、居たのか(失礼!!)と思ってしまった。

どうしても読んでほしいものなら

再投稿、再連載など行って

周知させていくしか無かろう。

時に宣伝まがいから嫌う人間もいる。

作品かわいいは判らないでもないが

何度でも再投稿して、人の目にふれさせてやりたいと思うのが

本当の愛情かもしれないとも思う。

****

上記の内容は以前、ご本人に直接、コメントで返している物とほぼ同じです。

その内容からして、知らぬことではあろうけど、

同じ人間に宣伝行為を行う、その内容が

例えば、推敲をかさねました。

とか、進歩がうかがえるものでは無いと思えたので

旧態依然という見方になっていますが

実際には、今回は読みに行っていません

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 6LTDがもたらす「実感」ゆえ... | トップ | OHからいろいろ、思う事を・... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

まったくの「わたくしごと」」カテゴリの最新記事