私の一番の趣味は麻雀です。
麻雀へキッカケを作ってくれたのは28年前からのママ友Sさんです。
私は子供が授かるのが遅かったのでママ友は殆ど年下でSさんも7歳下です。
Sさんは卓球・太極拳・水墨画・俳画をされていて毎日とっても忙しくされていました
Sさんの忙しさの合間を見つけて久し振りに会った今から10年前(2013年)3月のこと。
彼女は数カ月前から麻雀教室へ行き出しているとのことでした。
麻雀って言葉を聞いて私は独身の頃に弟の友達から麻雀を教えて貰い一時、麻雀にハマっていたことが蘇ってきました。
Sさんが通っている麻雀教室へ私と2人のママ友の3人が一緒に入会し4人が
同じ教室に通う様になりました
何事も積極的だったSさんは私達をハイキングや旅行にも、よく声をかけてくれたのです
向かって右端がSさんです。
麻雀付きの旅行にも誘って貰いました
この4人のメンバーで何回か、日帰り、宿泊旅行をして楽しんでいました。
ママ友が麻雀友に成り4人で仲良くしていたのに私が今から7年前に転居することになった時が辛かったです。
転居した翌年に主人との別れがありました。
私のことを気にかけていてくれたSさんは月に1度の麻雀へ誘ってくれたのです。
転居して2年振りに会った時のSさんと私
月一の麻雀は以前のママ友から麻雀友になった3人と麻雀教室で一緒だった人が加わり
4人で廃校になった所で麻雀をしているとのことでした。
4人のメンバー揃っているのに皆さんの好意で、私を入れてくれる様になったのです。
月に1度の麻雀は以前の地の近くだったので遠かったのですが、麻雀が好き、仲間が好きで楽しみにしていました。
しばらくした頃にSさんが原因不明の病気になり入院されお見舞いに行った時は元気でした。(真ん中がSさん)
入院になったことで私達仲間は心配していたのですが間もなく退院されて又元気になり
その後も月一の麻雀を楽しんでいました。
左端がSさん(この時は、一人お休みだったので4人です)
とうとう数カ月してSさんは月一の麻雀に来れなくなりました。
Sさんが月一の麻雀に来れなくても交流は続いていたのですが、難病と聞いていた
Sさんの病は骨萎縮症だとのことだと耳にした時は4人が絶句です
2021年の年が明けて間もなくSさんからラインが入りました。嬉しかったです。
でも、だんだん不自由になるSさんに、私達もどうする術もなく戸惑う日々が続きました。
私は月一の麻雀の場所は遠いことと、やはりSさんがいないので昨年の4月に辞めることを
仲間に伝え了承して貰いました。
月一の麻雀仲間が送別会を開いてくれると言う日に、Sさんのご主人に協力して貰ってSさんに会って来ました。
その時が最後の別れになってしまいました。
今年に入って1月の半ばに、Sさんが亡くなったと知らされました
1月末のオフ会の時にバスの席が隣だったラッシーママさんにその旨を聞いて貰いました。
大切な友の死は受け入れられなくて、立ち直れていないのが今の私の現状です。
今回のブログ内容は、今まで何度か書いた記事と重複しているのをお許し下さい