歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪澤田昭夫氏の語学論≫

2021-12-15 18:24:58 | 語学の学び方
ブログ≪澤田昭夫氏の語学論≫
(2021年12月15日)
 

【はじめに】


澤田昭夫氏は、1928年生まれで、1951年東京大学西洋史学科卒業で、筑波大学名誉教授であった。近代イギリス史、ヨーロッパ史の専攻である。

澤田昭夫『外国語の習い方―国際人教育のために―』(講談社学術文庫、1984年)
を通して、英語学習の方法を考えてみる。
その他にも、
澤田昭夫『論文のレトリック』(講談社学術文庫、1983年[1995年版])などの著作でも知られる。




【澤田昭夫『外国語の習い方―国際人教育のために―』(講談社学術文庫)はこちらから】

外国語の習い方―国際人教育のために (講談社学術文庫 (666))

【澤田昭夫『論文のレトリック』(講談社学術文庫)はこちらから】

論文のレトリック (講談社学術文庫)






澤田昭夫氏の外国語の習い方



澤田昭夫『外国語の習い方―国際人教育のために―』講談社学術文庫、1984年
今、国際人教育のためにわが国が必要としているのは、外国語学習の新戦略、「傍観的思い出語学」から「参加的運用語術」への戦略転換であると澤田昭夫は主張している。
澤田の標題『外国語の習い方』の習い方でいおうとしているのはまさにそのことである。語学を学ぶのではなく、外国語術を習うことが必要であるという。

澤田のドイツ語学習体験から導き出されたものであるらしい。澤田は旧制高校で一学期は文法の講義、二学期からはシュテイフター、トーマス・マンなどの訳読という、大昔からの伝統的パターンでドイツ語を学んだという。毎週3時間、3年やっても実力は全くつかなかった。これを澤田は「傍観的思い出語学教育」と名付けている。傍観的というのは、教師が主体でテキストを和訳しているのを生徒が傍観しているという意味である。その思い出に名詩や名句の断片を暗記している。

一方、「参加的運用語術」については、language skillにあたる語術ということばは、木下是雄(もと学習院大学学長の物理学者)の高説「外国語についての八章」(梅棹忠雄、永井道雄編『私の外国語』中公新書、1970年、76頁~92頁)から借用したという。体験的には、ドイツのボン大学で外人用ドイツ語入門講座に参加し、オーディオ・リングアルな、聴き話し中心だが読みや文法も総合した「参加的運用語力実習」を週3時間、3ヶ月受けたことに基づくものであるようだ。澤田が学問的テーマについても国際舞台で一応不自由せずにドイツ語で聴き話し、読み書けるようになったのは、ボンでの3ヶ月の実習が、いわゆる breakthrough「突破」体験になったという。この体験は、ドイツ語に限らず、一般に日本の伝統的外国語教育がなぜだめか、それならどうしたらよいか、それへの答えのヒントを与えてくれる開眼体験であったという。

今、外人留学生のための日本語教師育成の必要が叫ばれている。その場合、音韻論だの文法論だの語史だのという日本語学を学ばさせる研究者だけがいくらいても、役に立たない。必要なのは、日本語を習わせられる調教師である。ことばの生きた運用力を身につけることを、外国語では learn(英)、lernen(独)、apprendre(仏)という。それは、ことばを言語学的、文学的に分析、解釈すること、学ぶこと、study(英)、studieren(独)、étudier(仏)
とは違うという。

今、必要なのは、外国語を理論的に学ぶことではなく、体験的に習うことである。語学を学ばせる教授や学ぶ学者ではなく、語術を習わせる調教師と習う技能士であるという。
要するに、澤田のこの本は、日本の国際化ないし日本の国際人教育という政策的意図をもって、語学・文学畑以外の人間が書いた語術習得の戦略書であると、澤田自ら断わっている。これを読めば外国語の実用がつくのではなく、これを読んで正しい訓練に参加して外国語を習えば、習い性になって外国語運用力がつく、という本であるというのである。
なお、本書の中核になる第Ⅰ部は、1979年に筑波大学の外国語センター長の任にあったとき、学生向けに書いたパンフレット「外国語の学び方」を加筆訂正したものだという。
(澤田昭夫『外国語の習い方―国際人教育のために―』講談社学術文庫、1984年、6頁~10頁)



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