歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪『源氏物語』の原文を読む(下)~桑原博史『源氏物語』より≫

2024-03-30 19:00:31 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪『源氏物語』の原文を読む(下)~桑原博史『源氏物語』より≫
(2022年3月30日投稿)

【はじめに】


 今回のブログでも、引き続き、次の参考書をもとにして、『源氏物語』の原文を読んでいきたい。
〇桑原博史『新明解古典シリーズ5 源氏物語』三省堂、1990年[2017年版]
 前回のストーリー展開の続きである。
 


【桑原博史『新明解古典シリーズ5 源氏物語』(三省堂)はこちらから】
桑原博史『新明解古典シリーズ5 源氏物語』(三省堂)






〇桑原博史『新明解古典シリーズ5 源氏物語』三省堂、1990年[2017年版]
【目次】
はじがき
凡例
桐壺
 桐壺更衣(いずれの御時にか…)
 光源氏の誕生(前の世にも、御契りや…)
 桐壺更衣への迫害(かしこき御蔭をば…)
 飽かぬ別れ(その年の夏、御息所…)
 桐壺更衣の死(御胸のみ、つとふたがりて…)
 蓬生の宿(野分だちて、にはかに膚寒き…)
 小萩がもと(「目も見えはべらぬに…)
 くれまどふ心の闇(くれまどふ心の闇も…)
 藤壺宮の入内(年月に添へて、御息所の…)
 光る君とかがやく日の宮(源氏の君は、御あたり…)

帚木
 源氏の二面性(光源氏、名のみことごとしう…)
 頭中将の女性論(「『女の、これはしもと…)
 左馬頭の女性論(「『成り上れども、もとより…)
 
夕顔
 夕顔の咲く辺り(六条わたりの御忍び歩きの…)
 廃院に物の怪出現する(宵過ぐるほど…)
 夕顔の死(帰り入りて探りたまへば…)

若紫
 北山の春(わらは病みにわづらひたまひて…)
 垣間見(日も、いと長きに…)
 初草の生いゆく末(尼君、髪をかき撫でつつ…)
 密会(藤壺宮、悩みたまふことありて…)

末摘花
 前栽の雪(いとど、憂ふなりつる雪…)
 末摘花の容姿(まづ、居丈の高う…)

紅葉賀
 源氏と藤壺の苦悩(四月に、内裏へ参りたまふ…)

葵 
 頼もしげなき心(まことや、かの、六条御息所…)
 御禊の日(御禊の日、上達部など…)
 車争い(隙もなう、立ち渡りたるに…)
 生霊の噂に悩む御息所(おほい殿には、御物の怪…)
 生霊の出現(まだ、さるべきほどにもあらず…)
 そらに乱るるわが魂を(あまり、いたう泣きたまへば…)
 夕霧の誕生と葵の上の死(少し、御声も、しづまりたまへれば…)

賢木
 野の宮(つらきものに、思ひ果てたまひ…)
 御息所との対面(北の対の、さるべき所に…)
 朧月夜との密会(そのころ、かんの君…)
 右大臣の暴露(かんの君、いと、わびしう…)

須磨 
 心づくしの秋風(須磨には、いとど心づくしの…)
 恩賜の御衣(前栽の花、いろいろ咲き乱れ…)
 
明石
 明石の月(君は、「このごろ浪の音に…)

澪標
 明石の姫君(まことや。「かの、明石に…)

薄雲
 うはの空なる心地(冬になりゆくままに…)
 母子の別れ(雪・霰がちに、心ぼそさ…)

少女
 夕霧の元服(大殿腹のわか君の御元服のこと…)

玉鬘
 あかざりし夕顔(とし月へだたりぬれど…)
 椿市の宿(からうじて、椿市といふ所に…)
 衣装配り(うへも、見たまうて…)

胡蝶
 恋文(兵部卿の宮の、ほどなく…)


 絵物語(なが雨、例の年よりもいたくして…)

藤裏葉
 わが宿の藤(ここらの年頃のおもひの…)
 明石の姫君の入内(その夜は、うへ添ひて…)

若菜 上
 いはけなき姫君(三日がほど、かの院よりも…)
 几帳のきは(几帳のきは、すこし入りたる…)

若菜 下
 浅緑の文(まだ、朝すずみのほどに…)

柏木
 薫君の誕生(宮は、この暮れつかたより…)

御法
 紫の上逝去(秋待ちつけて、世の中…)
 
幻 
 もしほ草(落ちとまりて、かたはなるべき…)

橋姫
 黄鐘調のしらべ(秋の末つかた、四季に…)
 月見る姫たち(あなたに通ふべかめる透垣の…)

総角
 身もなき雛(「よろしき隙あらば…)
 空ゆく月(雪の、かきくらし降る日…)

宿木
 形代の君(「年ごろは、『世にあらむ』とも…)

東屋
 衣のすそ(若君も寝たまへりければ…)

浮舟
 橘の小島(「いと、はかなげなる物」と…)
 決意(君は、「げに、只今、いと悪しく…)
 
蜻蛉
 行方知れず(かしこには、人々、おはせぬを…)

手習
 浮舟の出家(「とまれかくまれ、おぼし立ちて…)

夢浮橋
 薫の手紙(尼君、御文ひきときて…)
 人のかくし据ゑたるにや(所につけて、をかしきあるじなど…)

作品・作者解説
源氏物語年立
系図




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・若紫 上 几帳のきは
・御法






若紫 上 几帳のきは



几帳のきは、すこし入りたるほどに、袿姿に
て立ちたまへる人あり。階より西の二の間の東
のそばなれば、まぎれ所もなく、あらはに見入
れらる。紅梅にやあらむ、濃き、薄き、すぎす
ぎに、あまた重なりたるけぢめ、はなやかに、草
子のつまのやうに見えて、桜の、織物の細長な
るべし。御髪の、すそまでけざやかに見ゆるは、
糸を縒りかけたるやうに靡きて、裾の房やかに
そがれたる、いと美しげにて、七八寸ばかりぞ、
余りたまへる。御衣の、裾がちに、いと細く、
ささやかにて、姿つき、髪のかかりたまへるそ
ば目、いひ知らず、あてにらうたげなり。夕か
げなれば、さやかならず、奥、暗き心地するも、
いと飽かずくちをし。鞠に身を投ぐる若者だち
の、花の散るを惜しみもあへぬ気色どもを見る
とて、人々、あらはを、ふとも、え見つけぬな
るべし。猫のいたくなけば、見かへりたまへる
おももち・もてなしなど、おいらかにて、「若く、
うつくしの人や」と、ふと見えたり、大将、い
と、かたはら痛けれど、はひ寄らむも、中々、
いと軽々しければ、ただ、心を得させて、うち
しはぶきたまへるにぞ、やをら、ひき入りたま
ふ。さるは、我が心地にも、いと飽かぬ心地し
たまへど、猫の綱、ゆるしつれば、心にもあら
ず、うち嘆かる。まして、さばかり、心を染め
たる衛門督は、胸ふとふたがりて、「たればかり
にかはあらむ。ここらの中に、しるき袿姿より
も、人に紛るべくもあらざりつる御けはひなど、
心にかかりておぼゆ。さらぬ顔にもてなしたれ
ど、「まさに、目とどめじや」と、大将は、いと
ほしくおぼさる。わりなき心地の慰めに、猫を
まねき寄せて、かき抱きたれば、いと香ばしく
て、らうたげにうちなくも、なつかしく思ひよ
そへらるるぞ、すきずきしきや。

【通釈】
几帳のそばから、少し(奥に)入ったあたりに、袿姿で
立っていらっしゃる人がいる。(寝殿の中央の)階段から西の
二番目の柱間の東の端なので、(夕霧と柏木のところからは)
何の邪魔になるものもなく、丸見えに中が見えてしまう。(そ
の人は)紅梅襲(の袿)であろうか、紅色の濃い色や薄い色が、
次々に、たくさん重なっている(その重ね目の)色のちがいが、
華やかで、(いろいろな色の紙を重ねてとじた)草子の端のよ
うに見えて、(その上は)桜襲の、織物の細長であろう。御髪
が、末のほうまであざやかにくっきりと見えるのは、糸をよ
ってうちかけたようになびいて、髪の先がふさふさとして切
りそろえられているのは、たいそうかわいらしいようすで、
(身長より)七、八寸ほど余っていらっしゃる。お召し物が、
(小柄なせいで裾がたっぷり余って)裾ばかりのような感じ
で、たいそうほっそりとして、小柄で、全体の姿や、髪のか
かっていらっしゃる横顔が、何ともいいようのないほど、上
品でかわいらしげである。夕暮れの日の光なので、はっきり
とは見えず、奥が暗い気がするのも、(柏木には)たいそう物
足りなく残念である。蹴鞠に熱中している若い君たちが、花
の散るのを惜しむひまもなく(夢中で蹴っている)ようすを見
ようとして、女房たちは、(姫君が外から)丸見えなのを、す
ぐには見つけることができないのであろう。(御簾の外に出
た)猫がひどく泣く(ママ)ので、(それを)ふり返りなさった(女三の
宮の)顔つきや身のこなしなどは、おっとりとして、「若くて、
かわいい人であるなあ」と、(柏木は)ふと思われた。(夕霧の)
大将は、たいそう、はためにも気の毒で見てはいられない気
がするけれども、(御簾をなおしに)はって近よるのも、かえ
ってたいそう軽率であるので、ただ、気づかせようと、せき
ばらいをなさった(とき)に、(女三の宮は)静かにそっと、(奥
へ)ひっこんでしまわれた。(知らせた)とはいうものの(夕霧
は)自分の気持ちにも、たいそう物足りない思いがなさるけれ
ども、猫の綱を放したので、(御簾が下りて何も見えなくなり)
思わず、(夕霧は)ため息をつく。ましてや、あれほど(女三の
宮に)心を奪われている衛門督(柏木)は、胸がふっと一杯にな
って、「(今の方は)どれほどの人であろうか、いや(あの恋し
い女三の宮)その人以外の誰でもない。大勢の(女房たちの)な
かで、はっきりとめだつ袿姿からしても、他の人とみまちが
えるはずのなかった(女三の宮の)ごようすよ」などと、心に
かかってお思いになる。(柏木は)そしらぬ顔にふるまってい
るけれども、「どうして(女三の宮に)目をつけないだろうか、
いや目をつけたに違いない」と、大将(夕霧)は、(女三の宮を)
気の毒にお思いになる。(柏木は)やるせない気持ちの慰めに、
(さっきの)猫をよびよせて、抱いてみると、たいそう(女三の
宮の移り香が)香ばしく、かわいい感じで鳴くにつけても、心
ひかれて(その猫を女三の宮に)自然となぞらえてしまうの
も、好色じみているよ。

【解説】
・蹴鞠の後、夕霧は姿を見られた女三の宮を軽率だと思った。
 柏木は恋い焦がれる人の姿を目のあたりにしたことを自分の思いが通じたからだと思っていた。帰りの牛車の中で柏木は源氏の愛情の薄さをあからさまにして女三の宮への同情を示すが、夕霧はそれを打ち消して源氏を弁護した。この後柏木の物思いは深くなり、柏木の乳母の妹の子の小侍従(こじじゅう)が女三の宮の乳母子でおそばに仕えているのを唯一、女三の宮とのつながりにして、手紙を差し上げたりする。
 女三の宮は柏木からの手紙で自分が姿を見られたことを知るが、それを恥じるより先に源氏にしかられることを恐れるのであった。小侍従は、どのみちかなわぬ恋ゆえ、あきらめるべきだと柏木に返事を書いた。しかし柏木は、蹴鞠の日の出来事が自分と女三の宮とを結びつける運命の啓示に思われてならないのであった。

◆研究◆
一 次の傍線部を口語訳し、主語を書け。
①あてにらうたげなり
②え見つけぬべし
③はひ寄らむも、中々
④やをら、ひき入りたまふ
⑤さらぬ顔にもてなしたれど

二 次の助動詞を説明せよ。
①まぎれ所もなく、あらはに見入れらる
②桜の、織物の細長なるべし
③裾の房やかにそがれたる
④惜しみもあへぬ気色ども


<解答>
一 
①上品で、優美で。女三の宮
②見つけることができない。女房たち
③かえって、むしろ。夕霧
④そっと、静かに。女三の宮
⑤知らん顔。柏木


①自発・終止形
②断定・連体形。推量・終止形
③受身・連用形
④打消・連体形
(桑原博史『源氏物語』三省堂、1990年[2017年版]、264頁~269頁)


御法


御法(源氏五十一歳の三月から秋まで)
【梗概】
・紫の上は病に倒れて以来(若紫下)、健康がすぐれず、出家を願うが、源氏が許さない。
 せめてもの後世の功徳にと、三月十日桜の盛りに、法華経千部の供養が二条院で行われた。
 紫の上は万事これで最後になるのではと死を予感し、明石の上や花散里に別れの歌を贈った。
暑い京都の夏が紫の上を衰弱させ、紫の上の病は重くなるばかり。若宮たちの成長を見届けられぬ残念さをかみしめ、三の宮(匂宮)に、大人になったら二条院に住み、紅梅と桜を大切にしてほしいと遺言する。
 八月、少しは涼しくなったころ、紫の上に死が迫っていた。
【主要登場人物】
・紫の上(四十三歳)・明石の中宮(二十三歳)

【紫の上逝去】
 秋待ちつけて、世の中、すこし涼しくなりて
は、御心地も、いささか、さわやぐやうなれど、
なほ、ともすれば、かごとがまし。さるは、身
にしむばかりおぼさるべき秋風ならねど、露け
きをりがちにてすぐしたまふ。中宮は、参りた
まひなむとするを、「今しばしは、御覧ぜよ」と
も、聞こえまほしうおぼせども、さかしきやう
にもあり、内裏の御使ひのひまなきにも、わづ
らはしければ、さも聞こえたまはぬに、あなた
にも、え渡りたまはねば、宮ぞ、わたりたまひ
ける。「かたはらいたけれど、げに、み奉らぬも、
かひなし」とて、こなたに、御しつらひを殊に
せさせたまふ。こよなう痩せほそりたまへれど、
「かくてこそ、あてになまめかしきことの限りな
さも、まさりて、めでたかりけれ」と、来し方、
あまり匂ひ多く、あざあざとおはせしさかりは、
中々、この世の花のかをりにも、よそへられた
まひしを、限りもなくらうたげに、をかしげな
る御さまにて、いとかりそめに、世を思ひたま
へる気色、似る物なく心苦しく、すずろに物悲
し。風、すごく吹き出でたる夕暮れに、前栽見
たまふとて、脇息によりゐたまへるを、院、わ
たりて、見奉りたまひて、「今日は、いとよく、
起き居たまふめるは、このお前にては、こよな
く、御心もはればれしげなめりかし」と、聞こ
えたまふ。かばかりの隙あるをも、「いと嬉し」
と、思ひ聞こえたまへる御気色を、見たまふも、
心苦しく「つひに、いかにおぼし騒がむ」と思
ふに、あはれなれば、
  おくと見るほどぞはかなきともすれば風に
  乱るる萩の上露
 げにぞ、折れかへり、とまるべうもあらぬ花の露
も、よそへられたる、をりさへ忍びがたきを、
  ややもせば消えを争ふ露の世におくれ先だ
  つほどへずもがな
とて、御涙を払ひあへたまはず。宮、
  秋風にしばしとまらぬ露の世を誰か草葉の
  うへとのみ見む
と、聞こえかはしたまふ。御かたちども、あら
まほしく、見るかひあるにつけても、「かくて、
千年を過ぐすわざもがな」と、おぼさるれど、
心にかなはぬことなれば、かけとめむ方なきぞ、
悲しかりける。「いまは、わたらせたまひぬ。乱
り心地、いと、苦しくなりはべりぬ。いふかひ
なくなりにけるほどと言ひながら、いと、な
めげにはべりや」とて、御几帳ひき寄せて、臥
したまへるさまの、常よりも、いと、頼もしげ
なく見えたまへば、「いかにおぼさるるにか」と
て、宮は、御手をとらへ奉りて、泣く泣く、見
奉りたまふに、まことに、消えゆく露の心地し
て、限りに見えたまへば、御誦経の使ひども、
かずも知らず、たち騒ぎたり。さきざきも、か
くて生き出でたまふをりにならひて、「御物の
怪」と、うたがひたまひて、夜一夜、さまざま
のことを、し尽くさせたまへど、かひもなく、
明け果つるほどに、消えはてたまひぬ。

【通釈】
待ちかねた秋がきて、世の中が少し涼しくなってからは、
(紫の上の)ご気分も少しはさわやかになるようだけれども、(病
気には)やはり、(涼しさが)ともすれば(障害となって)恨み言を
言いたい状態である。そうではあるが、身にしみるほどにお感じ
になるような秋風ではないけれども、(紫の上は)涙にぬれるおり
が多くなってお過ごしなさる。(明石の)中宮は、(内裏に)参内
なさろうとするのを、「もうしばらく、(私の顔を)ご覧ください」
とも申し上げたいと(紫の上は)お思いになるのだが、(それも)差
し出がましいようでもあり、内裏からの(お召しの)お使いがひっ
きりなしなのも気にかかるので、(中宮に)そうも申し上げられず
に、(中宮の住む)あちら(の東の対)にも、(紫の上は)出かけるこ
ともおできになれないので、中宮が(紫の上のほうに)おいでにな
った。(紫の上は)「(こんなに取り乱していて)きまりが悪いので
すが、まったく(あなたに)お目にかからないのも、残念でかいの
ないこと」と言って、こちらにお座席を特別に作らせなさる。(紫
の上は)ひどくやせほそりなさったけれども、「かえってこのほう
が、上品で優雅なことのこのうえなさも、(普段に)まさって、す
ばらしいことだよ」と、今まであまりにつやつやとした美しさが
こぼれるほどで、きわだって鮮やかな美しさでいらっしゃった女
盛りには、かえって俗世間の桜の花の美しさにでも、たとえられ
なさったのだが、(今は)限りもなく愛らしげで美しいごようす
で、たいそうはかないものと、この世を思っていらっしゃるよう
すが、似るものもないほどおいたわしくて、(明石の中宮は)むや
みに物悲しい。風が、気味わるいほど吹き始めた夕暮れに、(紫の
上が)庭の植えこみをご覧になろうとして、脇息によりかかって
座っておいでになると、院(源氏)が、(こちらへ)おいでになっ
て、(紫の上のようすを)見申し上げなさって、「今日はたいそうよ
く、起きて座っておいでのようですね。この(明石の中宮の)お前
では、このうえもなく、ご気分も晴れ晴れとなさるようですね」と
申し上げなさる。このくらいの(ちょっと気分がよく病気が落ち
着く)ひまがあるのでも、(源氏が)「たいそう嬉しい」と思い申し
上げなさっているごようすをご覧になるのも、(紫の上は)気の毒
でつらく、「しまいに、(私が死んでしまったら)どんなに(源氏が)
嘆き騒ぎなさるであろうか」と思うと、しみじみと胸がしめつけ
られて、
 (紫の上は)(萩の上に)置いたかと見る間もはかないこと、
  どうかすると(吹く)風に(すぐにも)乱れ落ちてしまう萩
  の上の露(のような私)よ、
 なるほど、(歌のとおり吹く風に萩の枝が)折れかえり、とどま
ることのできそうにない花の露が、自然と(紫の上の身の上に)た
とえられるのも、おりがおりだけに(悲しさが)忍びがたいのを、
  (源氏は)ややもすれば(先に)消えるのを争う露のような
  世の中で(私たちは)遅れたり先立ったりする間もおかず
  に(二人はいっしょに)いたいものです
と言って、お涙を払いきれないでいらっしゃる。
  宮(明石の中宮)は、秋風に(吹かれて)しばらくの間もと
  どまっていない露のような世の中を、いったい誰が、草
  の上の露のこととばかり見るでしょうか(人の世もまた
  はかないものです)
と、ご唱和になる。(紫の上と明石の中宮の)お顔だちが、(ど
ちらも)こうありたいと思われるほど申し分なく、見るかいの
ある美しさであるにつけても、(源氏は)「このままで千年を
過ごす方法があったらなあ」とお思いになるけれども、思う
にまかせぬことなので、(逝く人を)ひきとめる方法がないの
が悲しいのであった。(紫の上は)「もう、お帰りくださいま
せ。気分がたいそう苦しくなりました。どうにもならなくな
った状態とはいいながら、たいそう失礼なことですから」と
言って、御几帳を引き寄せて、横になられたようすが、いつ
もよりひどく頼りなさそうにおみえになるので、(明石の中宮
は)「どんな具合でいらっしゃいますか」と、(紫の上の)お手
をとり申し上げて、泣きながら見申し上げなさると、本当に、
消えてゆく露のような感じがして、(とうとう)最期におみえ
になるので、御誦経の使いたちが、(寺々へ)数知れず(差し向
けられ)、大騒ぎである。以前にも、このようになって生き返
りなさったときにならって、「(今度も)御物の怪(のせいか)」
と、(源氏は)お疑いになって、一晩中、さまざまな(加持祈祷
などの)ことをお尽くしなさったけれども、そのかいもなく、
夜が明けきるころ、(露のように)消えはてなさった。

◆研究◆
一 「かばかりの隙」とは誰のどのような状態か。
二 「思ひ聞こえたまへる」の「聞こゆ」と「たまふ」は、それぞれ誰の誰に対する敬意か。
三 「つひにいかにおぼし騒がむ」の「つひに」とは、どういうことを指しているか。
四 「おくと見る……」の歌から掛け詞をあげて説明せよ。
五 「おくれ先だつほどへずもがな」を訳せ。

<解答>
一 紫の上の病気が小康状態で起き上がって前栽を見ている状態。
二 聞こゆ=作者の紫の上への敬意
  たまふ=作者の光源氏への敬意
三 紫の上の死
四 「おく」に、露が「置く」と、紫の上が「起く」が掛けてある。
五 とり残されたり先立ったりする間をおかないで一緒に死にたいものだなあ。

【解説】
・紫のゆかりとして源氏に迎えられてから三十数年、生涯の伴侶として喜びも悲しみも共に歩んできた紫の上は、明石中宮に手をとられたまま意識が遠のき、露のように消え果ててしまう。
 紫の上をひそかに恋い慕っていた夕霧が中心となって、翌日の八月十五日、葬送が行われた。  
 源氏は魂が抜けたようになり、ひたすら仏事に専念し、出家を願うのであった。
(桑原博史『源氏物語』三省堂、1990年[2017年版]、281頁~287頁)

≪『源氏物語』の原文を読む(上)~桑原博史『源氏物語』より≫

2024-03-20 19:00:03 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪『源氏物語』の原文を読む(上)~桑原博史『源氏物語』より≫
(2022年3月20日投稿)

【はじめに】


 今回のブログでは、次の参考書をもとにして、『源氏物語』の原文を読んでいきたい。
〇桑原博史『新明解古典シリーズ5 源氏物語』三省堂、1990年[2017年版]
 分量が膨大なので、ストーリー展開が最小限度わかる部分に限り、名文とされる「桐壺 蓬生の宿」「賢木 野の宮」などを取り上げることにした。



【桑原博史『新明解古典シリーズ5 源氏物語』(三省堂)はこちらから】
桑原博史『新明解古典シリーズ5 源氏物語』(三省堂)






〇桑原博史『新明解古典シリーズ5 源氏物語』三省堂、1990年[2017年版]
【目次】
はじがき
凡例
桐壺
 桐壺更衣(いずれの御時にか…)
 光源氏の誕生(前の世にも、御契りや…)
 桐壺更衣への迫害(かしこき御蔭をば…)
 飽かぬ別れ(その年の夏、御息所…)
 桐壺更衣の死(御胸のみ、つとふたがりて…)
 蓬生の宿(野分だちて、にはかに膚寒き…)
 小萩がもと(「目も見えはべらぬに…)
 くれまどふ心の闇(くれまどふ心の闇も…)
 藤壺宮の入内(年月に添へて、御息所の…)
 光る君とかがやく日の宮(源氏の君は、御あたり…)

帚木
 源氏の二面性(光源氏、名のみことごとしう…)
 頭中将の女性論(「『女の、これはしもと…)
 左馬頭の女性論(「『成り上れども、もとより…)
 
夕顔
 夕顔の咲く辺り(六条わたりの御忍び歩きの…)
 廃院に物の怪出現する(宵過ぐるほど…)
 夕顔の死(帰り入りて探りたまへば…)

若紫
 北山の春(わらは病みにわづらひたまひて…)
 垣間見(日も、いと長きに…)
 初草の生いゆく末(尼君、髪をかき撫でつつ…)
 密会(藤壺宮、悩みたまふことありて…)

末摘花
 前栽の雪(いとど、憂ふなりつる雪…)
 末摘花の容姿(まづ、居丈の高う…)

紅葉賀
 源氏と藤壺の苦悩(四月に、内裏へ参りたまふ…)

葵 
 頼もしげなき心(まことや、かの、六条御息所…)
 御禊の日(御禊の日、上達部など…)
 車争い(隙もなう、立ち渡りたるに…)
 生霊の噂に悩む御息所(おほい殿には、御物の怪…)
 生霊の出現(まだ、さるべきほどにもあらず…)
 そらに乱るるわが魂を(あまり、いたう泣きたまへば…)
 夕霧の誕生と葵の上の死(少し、御声も、しづまりたまへれば…)

賢木
 野の宮(つらきものに、思ひ果てたまひ…)
 御息所との対面(北の対の、さるべき所に…)
 朧月夜との密会(そのころ、かんの君…)
 右大臣の暴露(かんの君、いと、わびしう…)

須磨 
 心づくしの秋風(須磨には、いとど心づくしの…)
 恩賜の御衣(前栽の花、いろいろ咲き乱れ…)
 
明石
 明石の月(君は、「このごろ浪の音に…)

澪標
 明石の姫君(まことや。「かの、明石に…)

薄雲
 うはの空なる心地(冬になりゆくままに…)
 母子の別れ(雪・霰がちに、心ぼそさ…)

少女
 夕霧の元服(大殿腹のわか君の御元服のこと…)

玉鬘
 あかざりし夕顔(とし月へだたりぬれど…)
 椿市の宿(からうじて、椿市といふ所に…)
 衣装配り(うへも、見たまうて…)

胡蝶
 恋文(兵部卿の宮の、ほどなく…)


 絵物語(なが雨、例の年よりもいたくして…)

藤裏葉
 わが宿の藤(ここらの年頃のおもひの…)
 明石の姫君の入内(その夜は、うへ添ひて…)

若菜 上
 いはけなき姫君(三日がほど、かの院よりも…)
 几帳のきは(几帳のきは、すこし入りたる…)

若菜 下
 浅緑の文(まだ、朝すずみのほどに…)

柏木
 薫君の誕生(宮は、この暮れつかたより…)

御法
 紫の上逝去(秋待ちつけて、世の中…)
 
幻 
 もしほ草(落ちとまりて、かたはなるべき…)

橋姫
 黄鐘調のしらべ(秋の末つかた、四季に…)
 月見る姫たち(あなたに通ふべかめる透垣の…)

総角
 身もなき雛(「よろしき隙あらば…)
 空ゆく月(雪の、かきくらし降る日…)

宿木
 形代の君(「年ごろは、『世にあらむ』とも…)

東屋
 衣のすそ(若君も寝たまへりければ…)

浮舟
 橘の小島(「いと、はかなげなる物」と…)
 決意(君は、「げに、只今、いと悪しく…)
 
蜻蛉
 行方知れず(かしこには、人々、おはせぬを…)

手習
 浮舟の出家(「とまれかくまれ、おぼし立ちて…)

夢浮橋
 薫の手紙(尼君、御文ひきときて…)
 人のかくし据ゑたるにや(所につけて、をかしきあるじなど…)

作品・作者解説
源氏物語年立
系図




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・桐壺更衣
・光源氏の誕生
・桐壺 蓬生の宿(名文とされる)
・葵 車争い
・葵 夕霧の誕生と葵の上の死
・賢木 野の宮(名文とされる)
・蛍 絵物語~紫式部の物語論






桐壺更衣


 いづれの御時にか、女御・更衣あまたさぶら
ひたまひけるなかに、いと、やむごとなき際に
はあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
初めより、「我は」と、思ひ上がりたまへる御
方々、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。
同じほど、それより下﨟の更衣たちは、まして、
安からず。朝夕の宮仕へにつけても、人の心を
のみ動かし、恨みを負ふ積もりにやありけむ、
いと、あつしくなりゆき、もの心細げに里がち
なるを、いよいよ「飽かずあはれなるもの」に
おぼほして、人のそしりをも、えはばからせた
まはず、世の例にもなりぬべき御もてなしなり。
上達部・上人なども、あいなく、目をそばめ
つつ、「いと、まばゆき、人の御覚えなり。唐土
にも、かかる、ことの起こりにこそ、世も乱れ
悪しかりけれ」と、やうやう天の下にも、あぢ
きなう、人のもて悩みぐさになりて、楊貴妃の
例も引き出でつべうなりゆくに、いと、はした
なきこと多かれど、かたじけなき御心ばへの、
たぐひなきを頼みにて、交じらひたまふ。父の
大納言は亡くなりて、母北の方なむ、いにしへ
の人の、由あるにて、親うち具し、さしあたり
て世の覚え花やかなる御方々にも劣らず、とりた
てて、はかばかしき後見しなければ、「事」ある
時は、なほよりどころなく心細げなり。

【通釈】
 どの(帝の)御代であっただろうか、女御や更衣が大勢
お仕え申し上げていらっしゃるなかに、そう高貴な家柄の方
ではない方で、格別に帝のご寵愛を受けていらっしゃる方が
あった。(そのため宮仕えの)初めから、「自分こそは」と自負
していらっしゃった女御方は、(この方を)心外で気に食わな
い人として、蔑みかつ嫉妬なさる。(この方と)同じ身分(の更
衣)や、それより低い身分の更衣たちは、なおさら(心が)穏や
かでない。朝夕の宮仕えにつけても、他の人(女御や更衣たち)
の心をむやみに動揺させてばかりいて、(人の)恨みを受ける
ことが重なったためであろうか、ひどく病弱になっていって、
なんとなく心細そうなようすで里に引きこもりがちであるの
を、ますます(帝は)「たまらないほどいじらしい者」とお思い
になって、人の非難をも一向気になさらず、世間の悪い前例に
なってしまいそうなおふるまいである。上達部や殿上人など
も、(女性方でもあるまいに)わけもなく目をそむけそむけし
て、「たいそう、見るもまばゆい(ほどの)人(更衣)へのご寵愛
の受け方である。中国でも、こうしたことが原因で、世も乱れ、
よくないことであったよ」と、しだいに世間一般でも、(お二
人には)お気の毒なことながら、人の悩みの種となって、楊貴
妃の例までも(まさに)引き合いに出して(非難しそうになっ
て)いくので、(更衣は)ひどくぐあいの悪いことが多くあるけ
れども、もったいない(帝の)お気持ちの、世にまたとないこ
とだけを心頼みとして、(他の女性に)交じって(宮仕えを)お
続けになっていらっしゃる。(更衣の)父の大納言は亡くなっ
て、母北の方は、昔風の人で由緒のある方であって、両親が
そろっていて、現実に世間の信望が華やかである御方々(女
御・更衣たち)にも劣らぬよう、(宮中の)どんな儀式に対して
も(北の方が)とりはからってこられたが、(更衣には)これと
いってしっかりした後見人というものがいないので、(いざと
いう)大事なときには、やはり頼るところもなく(更衣は)心細
そうである。

【要旨】
・ある帝の御世、さほど身分も高くなく、後見人にも恵まれない一人の更衣が、帝のご寵愛を一身に受けていた。他の女御・更衣からの嫉妬を受け、更衣は心労のため病気がちである。帝は、世間から政治的な非難までも浴びるなかで、いっそう更衣への愛情を募らせてゆくのであった。

【解説】
・物語は光源氏の両親の愛情生活とそれを取り巻く周囲の状況からときおこされる。
 帝の外戚として権力を手に入れることが上級貴族の第一の望みだった時代において、帝と、さほど身分が高くなく、後見のない更衣の純粋な愛は、嫉妬だけにとどまらず、周囲からの猛反発を受けるのである。

◆研究◆
一 「時めきたまふありけり」の、「ありけり」の主語となる部分を文中から抜き出して示せ。
 また、その根拠は何か。

二 「恨みを負ふ積もり」とは具体的にはどんなことか。また、そうなったのはなぜか。説明せよ。

<解答>
一 いと、やむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふ
・「が」が同格を示すため。

二 桐壺更衣が他の女御や更衣たちから、恨みを受けることがたび重なったこと。
  その理由は、自分たちより下または同等の家柄の出にもかかわらず、桐壺更衣がご寵愛を一身に受けているのを嫉妬したため。
(桑原博史『源氏物語』三省堂、1990年[2017年版]、2頁~7頁)


光源氏の誕生


 前の世にも、御契りや深かりけむ、世になく
清らなる、玉のをのこ御子さへうまれたまひぬ。
「いつしか」と、心もとながらせたまひて、急ぎ
参らせて御覧ずるに、めづらかなる児の御かた
ちなり。一の御子は、右大臣の女御の御腹にて、
寄せ重く、「疑ひなき儲けの君」と、世にもてか
しづき聞こゆれど、この御にほひには、並びた
まふべくもあらざりければ、おほかたのやむご
となき御思ひにて、この君をば、わたくし物に
おぼほしかしづきたまふこと限りなし。母君、
初めより、おしなべての上宮仕へしたまふべき
際にはあらざりき。覚えいとやむごとなく、上
衆めかしけれど、わりなくまつはさせたまふあ
まりに、さるべき御遊びの折々、何事にも、ゆ
ゑある、事の節々には、先づまうのぼらせたま
ひ、ある時には、大殿籠り過ぐして、やがてさ
ぶらはせたまひなど、あながちに、御前去らず、
もてなさせたまひしほどに、おのづから、かろ
き方にも見えしを、この御子生まれたまひての
ちは、いと心殊に思ほし掟てたれば、「坊にも、
ようせずは、この御子の居たまふべきなめり」
と、一の御子の女御はおぼし疑へり。人より先
に参りたまひて、やむごとなき御思ひ、なべて
ならず、御子たちなどもおはしませば、この御
子の御いさめをのみぞ、なほ、「わづらはしく、
心苦しう」思ひ聞こえさせたまひける。

【通釈】

(帝と更衣とは、この世ばかりでなく、)前世において
も、ご縁が深かったのであろうか、世にたぐいのない美しい
玉のような皇子までがお生まれになった。(帝は皇子のごよう
すを)「いつになったら(見られるか)」と、待ち遠しがりなさっ
て、急いで参内させてご覧になると、たぐいまれな(美しい)
若宮のご容貌である。第一皇子は、右大臣家の(娘である)女
御の御腹の御子で、後見人(の勢い)が強く、「まちがいなく皇
太子になる御方」として、世間でたいせつに思い申し上げて
いるけれども、この(若宮の)みずみずしいお美しさには、(第
一皇子はとうてい)立ち並びなさるべくもなかったので、(帝
は第一皇子に対しては)なみひととおりのご寵愛ぶりで、この
若宮をば、ご秘蔵の子と思われてたいせつにあそばすことこ
のうえもない。母の更衣は、元来、普通の上宮仕えをなさる
ような軽い身分ではなかった。世間の評価もたいそう高く、
いかにも貴夫人らしいようすであるが、(帝が)むやみにお側
につきそわせて、お離しにならない結果として、しかるべき
管弦のお遊びの折々や、(またその他の)何事につけても、趣
のある(催しの)折ごとには、(だれをおいても、)真っ先に(こ
の方を)参上おさせになるし、ある時には、(ご一緒に)寝過ご
しなさって、そのままお側におおきになるなど、むやみにお
側を離れないようにお扱いになっていらっしゃるうちに、自
然と軽い身分の者のように見えたのだが、この若宮がお生ま
れなさってから後は、(更衣のことを)格別に考えを定めてお
扱いになっているので、「皇太子にも悪くすると、この若宮が
おなりになるのかもしれない」と、第一皇子の母女御は、お
疑いになっている。(この方は、他の)人(女御や更衣たち)
よりも先に入内(じゅだい)なさって、(それだけに帝の)大切(なお方)と
のお思いはひと通りではなく、(幾人かの)御子たちもおいで
になるので、(他のお方はともかく)このお方のご苦情だけは、
(帝は)やはり「わずらわしく、(また)お気の毒なこと」とお
思い申しておいであそばされた。

【要旨】
・前世からの浅からぬ因縁があったためか、更衣には玉のように美しい若宮がお生まれになる。
 更衣と若宮への帝の深いご愛情をみて、第一皇子のご生母弘徽殿女御(こきでんのにょうご)は悪くすると皇太子の地位をこの皇子に奪われるのではないかと心穏やかではいられなかった。

【解説】
・この後の物語に描かれた、あまりに理想化された光源氏像は、しょせん昔物語の主人公にすぎないからだという批判も多い。
 しかし、両親のままならぬ悲恋が語られるゆえに、対照的に、恋愛における自由人として思うままに行動できる絶大な魅力を備えた光源氏を読者は同情とともに受け入れることができるのである。
(桑原博史『源氏物語』三省堂、1990年[2017年版]、7頁~12頁)

名文とされる

桐壺 蓬生の宿


 野分だちて、にはかに膚(はだ)寒き夕暮れのほど、
常よりも、おぼし出づること多くて、靭負(ゆげひ)命婦
といふを遣(つか)はす。夕月夜のをかしきほどに、
出だし立てさせたまひて、やがてながめおはし
ます。かやうの折は、御遊びなどせさせたまひ
しに、心殊なる、物の音をかき鳴らし、はかな
く聞こえ出づる言の葉も、人よりは殊なりしけ
はひ・かたちの、面影につと添ひておぼさるる
にも、「闇のうつつ」には、なほ劣りけり。命
婦、かしこにまかで着きて、門引き入るるより、
けはひあはれなり。やもめ住みなれど、人ひと
りの御かしづきに、とかくつくろひ立てて、目
安きほどにて過ぐしたまひつるを、闇にくれて、
臥したまへるほどに、草も高くなり、野分に、
いとど荒れたる心地して、月影ばかりぞ、八重
葎にもさはらず、さし入りたる。南面におろし
て、母君も、とみに、えものものたまはず。「今
までとまりはべるが、いと憂きを、かかる御使
ひの、蓬生の露分け入りたまふにつけても、い
と恥づかしうなむ」とて、げに、え堪(た)ふまじく、
泣いたまふ。「『参りてはいとど心苦しう、心・
肝(きも)も、尽くるようになん』と、典侍(ないしのすけ)の奏したま
ひしを、物、思ひたまへ知らぬ心地にも、げに
こそ、いと忍びがたうはべりけれ」とて、やや
ためらひて、おほせ言、伝へ聞こゆ。「『しばし
は、夢かとのみ、たどられしを、やうやう思ひ
しづまるにしも、さむべき方なく、堪へ難きは、
「いかにすべきわざにか」とも、問ひ合はすべき
人だになきを、忍びては参りたまひなむや。若
君の、いとおぼつかなく、露けきなかに過ぐし
たまふも、心苦しうおぼさるるを、とく、参り
たまへ』など、はかばかしうも、のたまはせや
らず、むせかへらせたまひつつ、かつは、『人も
心弱く見奉るらむ』と、おぼしつつまぬにしも
あらぬ、御気色(みけしき)の心苦しさに、うけたまはりも
果てぬようにてなむ、まかではべりぬる」とて、
御文奉る。

【通釈】
風が野分めいて、急に肌寒い夕暮れのころ、(帝は)い
つもよりも、(亡き更衣のことを)お思い出しになることが多
くて、靭負命婦という人を(更衣の里に)お遣わしになる。
夕月が出て情趣の漂う時刻に、(命婦を)出立おさせになって、
(帝は)そのまま物思いに沈んでいらっしゃる。このような折
には、よく管弦のお遊びなどを催しなさったのであるが、(桐
壺更衣が)特別美しい音色に琴を掻き鳴らし、なにげなく(帝
に)申し上げる歌も、他の人と比べて格別であった(桐壺更衣
の)雰囲気や容貌が、幻となって、ずっとお側に離れずにいる
ようにお感じになるのも、(それが結局は幻に過ぎないから、
あの古歌にある)「闇のなかの現実」にはやはり及ばないこと
であった。命婦は更衣の里に行き着いて、(車を)門内に引き
入れるやいなや、(あたりは)しみじみとした情趣が漂ってい
る。(母君は夫亡き後)やもめ暮しであったがが、(娘の更衣)一
人のご養育のために、あれこれと屋敷の手入れをして、見苦
しくない程度にお暮らしになっていたのに、(更衣の死後は)
子ゆえの闇に(心乱れて)悲しみにくれて臥し沈んでいらっし
ゃる間に、草も高く茂り、それが野分によっていっそう荒れ
た感じで、月の光だけが、八重葎にも妨げられずにさしこんで
いる。寝殿の南正面に(命婦を)降ろして(部屋に招き入れた
が)母君も急にはものもおっしゃることができないでいる。
「今まで生き長らえておりますことがまことにつらいのに、こ
のようなかたじけないお使いが、生い茂った雑草の露を分け
てお入りくださいますにつけても、ひどく恥ずかしく思われ
ます」と言って、いかにもこらえきれぬように(母君は)お泣
きになる。「『(お屋敷へ)伺うと、いっそうお気の毒で、心も
肝も消え失せるように存じられました』と(先日お使いに立た
れた)典侍が、奏上なさいましたが、人情や道理もわきまえま
せん(私の)心にも、なるほど(こちらに伺うと)堪えきれない
ことでございます」と言って、しばらく心を落ち着けてから
(帝の)お言葉を(母君に)お伝え申し上げる。「『更衣が亡く
なった当座)しばらくは(更衣の死は)夢だったのではないか
とただただ思い続けておりましたが、しだいに心が落ち着く
につけても、(夢ではないので)悲しみからさめようもなく、
たまらなく思われるその思いを、「どうしたらよいのか」と
も、相談できる人さえもないのだから、こっそり参内なさっ
てはくださらぬか。若宮がひどく心もとないありさまで、涙
の露のなかで湿っぽくお過ごしになさるのも、気の毒に思わ
れますから、(母君は)早く参内なさい』などと、(帝は)すら
すらともおっしゃりきれず、何度も、涙にむせ返りなさりな
がら、また一方では、人も(自分を)気弱なものだと見申し上
げているだろうと、(周りに)気兼ねなさらないわけでもない
ごようすのお気の毒さに、(お言葉を)終わりまでお聞き申し
上げきらぬありさまで、(御前を)退出してしまいました」と
言って、(帝の)お手紙を差し上げる。

【解説】
・野分、月の光、八重葎といった自然描写が亡き更衣をいたむ人々の心象風景とオーバーラップさせられており、古来「もののあはれ」を感じさせる名文として名高い「野分」の章段はここから始まる。帝、母君、そして間に立つ命婦のそれぞれの意識を丁寧に読み込む必要がある。

◆研究◆
一 「月影ばかり」の「ばかり」は何を言い表そうとしたものか。

二 「物、思ひたまへ知らぬ心地にも」の「たまへ」を文法的に説明せよ。

<解答>
一 人の訪れもないのだが、月の光だけが荒れ果てた庭にさしこんでいること。

二 下二段活用の謙譲の補助動詞「たまふ」の連用形。
  命婦の謙遜の言葉(この「たまふ」は自分の「思う」「考える」「聞く」「見る」などの動作に付けて謙譲の気持ちを表す)

(桑原博史『源氏物語』三省堂、1990年[2017年版]、24頁~29頁)

車争い➡六条御息所の恨み、怨霊

車争い


葵 
 車争い(隙もなう、立ち渡りたるに…)

 隙もなう、立ち渡りたるに、よそほしう引き
続きて、立ちわずらふ。よき女房車多くて、雑々
の人なき隙を思ひ定めて、みな、さしのけさす
る中に、網代の、少しなれたるが、下簾のさま
など、よしばめるに、いたう引き入れて、ほの
かなる袖口・裳の裾・汗衫など、ものの色、い
と清らにて、ことさらに、やつれたるけはひ、
著く見ゆる車二つあり。「これは、さらにさやう
に、さしのけなどすべき御車にもあらず」と、
口ごはくて、手触れさせず。いづかたにも、若
きものども、酔ひすぎ、立ち騒ぎたるほどのこ
とは、え、したためあへず。おとなおとなしき
御前の人々は、「かく、な」など言へど、えとど
めあへず。斎宮の御母御息所、「ものおぼし乱る
る慰めにもや」と、忍びて出でたまへるなりけ
り。つれなしづくれど、おのづから、見知りぬ。
「さばかりにては、さな言はせそ。大将殿をぞ、
豪家には思ひ聞こゆらむ」など言ふ。その御方
の人も、まじれれば、「いとほし」と見ながら
用意せむもわづらはしければ、知らず顔をつく
る。つひに、御車ども立て続けつれば、人だま
ひの奥に、押しやられて、ものも見えず。心や
ましきをば、さるものにて、かかるやつれを、
それと知られぬるが、いみじく妬きこと、限り
なし。榻なども、みな押し折られて、すずろな
る車の筒に、うちかけたれば、またなう、人わ
ろく、くやしう、「なにに来つらむ」と思ふに、
かひなし。「ものも見で帰らむ」としたまへど、
通り出でむ隙もなきに、「ことなりぬ」と言へ
ば、さすがに、つらき人の御前わたりの待たる
るも、心よわしや。「ささのくま」にだに、あら
ねばにや、つれなく過ぎたまふにつけても、な
かなか、御心づくしなり。げに、常よりも、好
み整へたる車どもの、我も我もと、乗りこぼれ
たる下簾のすき間どもも、さらぬ顔なれど、
ほほゑみつつ、しりめにとどめたまふもあり。
大殿のは著ければ、まめだちて渡りたまふ。御
供の人々、うちかしこまり、心ばへありつつ渡る
を、おしけたれたるありさま、こよなうおぼさる。
  影をのみみたらし川のつれなきに身のうき
  ほどぞいとど知らるる
と、涙のこぼるるを、人の見るも、はしたなけ
れど、「目もあやなる御さま・かたちの、いとど
しう、出でばえを、見ざらましかば」と、おぼさる。

【通釈】
すきまもなく、(物見車が)立ち並んでいるので、(葵の
上の一行の車は)美しく何台も続いていて、立てる場所に困っ
ている。(そのあたりは)身分のある女性の乗った車が多く、
(そのなかで身分の低い)雑人どもの付いていないあたりをね
らって、みなどかせるなかに、網代車で少し古びたのが、下
簾のさまなど由緒ありげなのに、たいそう(車の奥へ)引き入
れて、(簾のところに)ほんのちょっと(出している)袖口や裳
の裾や汗衫などの色合いがたいそう(見所があって)美しく、
わざと目立たぬようにしているようすがはっきりわかる車が
二台あった。「これは、けっしてそんなふうにのかせなどする
ようなお車ではない」と、(その従者が)強く言い張って、(葵
の供の者に)手を触れさせない。(葵、御息所)双方とも、若い
者どもが酔いすぎて騒いでいるときのことは、どうにもうま
く処理できない。(葵の上方の)年輩の従者が、「そんな(乱暴
な)ことをしてはいけない」などと言うが、とても止めきれな
い。(実はこの車は、)斎宮の御母である御息所が、「物思いに
乱れる心の慰めに(しよう)」と、こっそり(物見に)お出でに
なっているのであった。それとは気づかれぬようにしていた
が、自然と(葵の上方に)わかってしまった。「その程度の身分
のだったら、そんなことを言わせるな。大将殿を後ろだてと
思い申し上げているのだろうが」などと(葵の上の供の者が)
言う。(葵の上の供人のなかには)大将方の人もまじっている
ので、(御息所を)「お気の毒だ」とみるものの、仲裁するの
も面倒なので、知らぬふりをする。ついに、(葵の上方の)お
車を立て続けてしまったので、(御息所の車はそこらの)お供
の(女房の)車の奥に押しやられ、ものも見えない。(御息所は)
気がむしゃくしゃするのはそれとして、このような忍び姿を
それと知られたのが、ひどくしゃくなこと、このうえもない
のである。栩なども全部押し折られて、何の関係もない車の
心棒に轅を掛けてあるので、このうえもなくみっともなく、
悔しくて、「なんで(こんなところへ)来てしまったのだろう」
と思うが、(いまさら)どうにもならない。(御息所は)見物し
ないで帰ろうとなさるが、通り出るすきまもないうちに、「行
列が始まった」と(見物の人々が)言うと、さすがに無情な人
のお通りが待たれるのも、心弱いことよ。「笹の隅」でさえな
いからだろうか。(源氏が馬も止めず)何気なく通り過ぎなさ
るにつけても、(なまじちらっとお姿を拝見したばかりに)か
えってお気をもむことである。なるほど(以前からしたくに気
を配っていただけに)例年よりも趣向を凝らした数々の車の、
(女房が)我も我もとこぼれそうに乗っている下簾のすきます
きまに対しても(源氏は)さりげない顔つきではあるが、(車の
主をそれと知ると)ほほえみながら流し目でご覧になること
もある。(葵の)左大臣家の(車)は、それとはっきりわかるの
で、(源氏は敬意をはらって)まじめな顔つきをしてお通りに
なる。(源氏の)お供の人々が(葵の車の前)ではかしこまって、
敬意を表しつつ通りすぎるので、(御息所は自分の葵の上に)
けおされてしまった姿を、このうえもなく(惨めに)お思いに
なる。
  (御息所は)よそながら影だけを見た源氏がつれないので
   自分のどうにも思うにまかせぬつらい運命がいよいよ思
   い知られたことです。
と(悲しさに)涙が自然にこぼれるのを人にみられるのも体裁
の悪いことだが、「まぶしいほどの(源氏の)お姿、ご容貌が、晴
れの場所でますます引き立つお美しさをもし見なかったとし
たら(心残りであったろう)」とお思いになる。

【要旨】
・遅れて出発した葵の上の一行は、車を並べる場所がないので、そこらの車を後ろに退がらせようとする。その車のなかに、身をやつした六条御息所のお車もあったのである。互いの従者が争うなかで、御息所の車は乱暴にも押しやられ、御息所のプライドはひどく傷つけられてしまうのである。

【解説】
・源氏の薄情さを恨みながらも、そのお姿をひと目みたいという三十路に近い年上の御息所の心理があわれである。
 しかもライバルであり、源氏の子を宿した葵の上の従者に乱暴をされて、体面を傷つけられる。その御息所の恨みは源氏を通り越して葵の上に向かうのであった。
(桑原博史『源氏物語』三省堂、1990年[2017年版]、126頁~131頁)

夕霧の誕生と葵の上の死



 少し、御声も、しづまりたまへれば、「ひま
おはするにや」とて、宮の、御湯もて寄せたま
へるに、かき起こされたまひて、ほどなくむま
れたまひぬ。(中略)
 いと、をかしげなる人の、いたう弱り、そこ
なはれて、あるかなきかの気色にて、臥したま
へるさま、いと、らうたげに、心苦しげなり。
御髪の、乱れたるすぢもなく、はらはらとかか
れる枕のほど、ありがたきまで見ゆれば、「年ご
ろ、何事を、飽かぬことありて、思ひつらむ」
と、あやしきまで、うちまもられたまふ。「院
などに参りて、いと疾うまかでなむ。かやうに
て、おぼつかならず、見奉らば、いと嬉しか
るべきを、宮の、つとおはするに、『心地なくや』
と、つつみて過ぐしつるも苦しきを。なほ、
やうやう心づよくおぼしなして、例の御座所に
こそ。あまり若く、もてなしたまへば、かたへ
は、かくも、ものしたまふぞ」など、聞こえお
きたまひて、いと清げに、うちさうぞきて、出
でたまふを、常よりも目とどめて見いだして、
臥したまへり。秋の司召しあるべき定めにて、
おほい殿も、まゐりたまへば、君達も、いたは
り望みたまふことどもありて、殿の御あたり離
れたまはねば、皆、ひきつづき出でたまひぬ。
殿の内、人ずくなに、しめやかなるほどに、に
はかに、例の御胸をせきあげて、いと、いたう
惑ひたまふ。内裏に御消息聞こえたまふほども
なく、たえ入りたまひぬ。足を空にて、誰も誰
も、まかでたまひぬれば、除目の夜なりけれど、
かく、わりなき御さはりなれば、皆、こと破れ
たるやうなり。

【通釈】
少しお声も静まられたので、「(葵の上は)よい時もおあ
りであろうか(苦しみが和らぎなさったのか)」と、母宮が薬
湯を(葵の上の)お側にお持ちになったので、(葵の上は女房
に)抱き起こされなさって、間もなく(若宮=夕霧が)お生まれ
になった。(中略)
 たいそう美しい人が、ひどく弱り、(病に)やつれて、生き
ているのか死んでいるのかわからないようすで横になってい
らっしゃるようすは、たいそういじらしく、痛々しい感じで
ある。(葵の上は)御髪が一本の乱れたところもなく、はらは
らと枕にかかっているようすは(世に)珍しいほどお美しいの
で、「今まで長年の間、何を不満に思っていたのだろう」と、
(源氏は我ながら)不思議なほど(葵の上に魅きつけられ)自然
と見つめてしまわれる。(源氏は)「(桐壺)院の所などに参上
して、早々に退出してこよう。このように、お側近くで打ち
解けておあいしていれば、(私は)どんなにうれしいことでしょう
に、母宮がずっと(葵の上のお側に)おいでなので、『(私が打ち
解けるのは)たしなみがないのでは』と、遠慮して過ごして
いるのもつらいことです。やはり(あなたは)だんだんと元気
をお出しになって、いつものお部屋に(お戻りください)。あ
まりに子どもっぽくふるまっていらっしゃるから、一方では
このようにいつまでも寝込んだままなのですよ」などと(葵の
上に)申し上げおきなさって、(源氏が)たいそうお美しく装束
をおつけになって(葵のもとから)お出かけになるのを、(葵の
上は)いつになく目をとどめて見送りながら臥していらっ
しゃる。秋の司召しがある予定で、左大臣も参内なさるので、
(左大臣の)ご子息たちも(官位の)昇進をそれぞれ望まれて、
父大臣の周りをお離れにならないので、みな(父に)引き続い
てお出かけになった。邸内は人少なで、もの静かである折に、
(葵の上は)急にいつものようにお胸がこみ上げてきて、たい
そうひどくお苦しみになる。宮中にお知らせする暇もなく、
息が絶えてしまわれた。足も地につかないありさまで、どな
たもどなたも(宮中から)退出なさったので、除目の夜では
あったが、このようにどうしようもないおさしつかえであっ
たので、(行事は)すべて台無しのようになってしまった。

【要旨】
・やがて葵の上は夕霧を出産する。
 源氏はいままでになく葵の上に愛情を感じるのであったが、秋の司召があって、邸内に人少ない折に、葵の上に急逝してしまうのであった。

◆研究◆
一 傍線部の「たまふ」の敬意のおよぶ方向を答えよ。
 少し、御声も、しづまり①たまへれば、「ひまおはするにや」
とて、宮の、御湯もて寄せ②たまへるに、かき起こされ③たまひて、
ほどなくむまれ④たまひぬ。

二 次の表現には誰の、どのような心情が含まれているか。
(1)  あやしきまで、うちまもられたまふ。
(2)  心づよくおぼしなして

三 源氏が心の中で思ったことを述べた部分を一箇所抜き出せ。

四 源氏と葵の上の、相手に対する愛情を感じさせる動作を、
 それぞれ抜き出して示せ。

<解答>
一 
①(母宮の意識を中心に考えると)葵の上に対して
②(母)宮に対して
③葵の上に対して
④若宮(夕霧)に対して
いずれも作者の敬意

二 
(1)  どうしてこれまで不満に思っていた葵の上を、これほどまでにいとおしく思うようになったのだろうかと、不思議に思う源氏の気持ち。
(2) 何とか葵の上自らの気持ちを強くもって元気になってほしいという源氏の気持ち。

三 「年ごろ何ごとを飽かぬことありて思ひつらむ」

四 源氏・あやしきまで、うちまもられたまふ
葵・常よりも目とどめて見いだして、臥したまへり

【解説】
・御息所の生霊がのりうつったほうがなつかしさを感じさせるという、葵の上にとっては意地の悪い先の描写のマイナスを取り戻すためか、作者は若君を出産した葵の上と源氏の間に流れるしみじみとした愛情を描いている。
 しかし、その葵の上はあっけなく亡くなってしまうのであった。
 この後、葵の上を悼む鎮魂の場面が連綿と続くのではあるが、純粋な愛情は喪失感を契機としてしか燃え上がらないと作者は考えているかのようである。
(桑原博史『源氏物語』三省堂、1990年[2017年版]、143頁~147頁)


名文とされる

賢木 野の宮


賢木(源氏二十三歳九月から二十五歳夏まで)

【主要登場人物】
六条御息所(三十歳から三十二歳)・藤壺(二十八歳から三十歳)・朧月夜の尚侍・左大臣・弘徽殿の大后


 野の宮
「つらきものに、思ひ果てたまひなむも、いとほ
しく、人聞き情けなくや」と、おぼし起こして、
野の宮にまうでたまふ。九月七日ばかりなれば、
「むげに今日・明日」とおぼすに、女がたも、心
あわただしけれど、「立ちながら」と、たびたび
御消息ありければ、「いでや」とは、おぼしわづ
らひながら、いと、あまりむもれいたきを、「物
ごしばかりの対面は」と、人知れず、待ち聞こ
えたまひけり。はるけき野辺を、分け入りたま
ふより、いと、ものあはれなり。秋の花、みな
衰へつつ、浅茅が原もかれがれなる虫の音に、
松風すごく吹き合はせて、そのこととも、聞き
分かれぬほどに、物の音ども、絶え絶え聞こえ
たる、いと艶なり。睦ましき御前、十余人ばか
り、御随身、ことごとしき姿ならで、いたう忍
びたまへれど、殊に、ひきつくろひたまへる御
装ひ、いと、めでたく見えたまへば、御供なる好
き者ども、所がらさへ、身にしみて思へり。御
心にも、「などて、今まで立ち馴らさざりつらむ」
と、過ぎぬるかた、悔しうおぼさる。ものはか
なげなる小柴を大垣にて、板屋ども、あたりあ
たり、いと、かりそめなめり。黒木の鳥居ども
は、さすがに、神々しう見渡されて、わづらは
しき気色なるに、神宮の者ども、ここかしこに、
うちしはぶきて、おのがどち、ものうち言ひた
るけはひなども、外には、さま変はりて見ゆ。
火焼き屋かすかに光りて、人げなく、しめじめ
として、ここに、物思はしき人の、月日隔てた
まへらむほどを、おぼしやるに、いと、いみじ
うあはれに、心苦し。

【通釈】
(御息所が、自分のこと=源氏を)「薄情でひどい人だ
とすっかり(思い込んで)あきらめてしまわれることも気の毒
で、人が聞いても不人情に思うだろう」と、(源氏の君は)気
持ちをとりなおして野の宮に参られる。九月七日のころなの
で、(御息所の伊勢下向が)「ひたすら今日明日に迫っている」
と(源氏の君はたいへん)気に掛けていらっしゃるので、女君
のほうもお気持ちがあわただしいが、「立ったままで(ほんの
ちょっとでいいから)」と、たびたび(源氏から)お手紙があっ
たので、(御息所は)「さあ、どうしたものか」とお迷いになる
ものの、(お会いしないのも)あまりに引っ込み思案のような
ので、「物越し程度の対面ならば」と、(御息所は源氏を)心ひ
そかにお待ち申し上げた。はるかに広がる(嵯峨の)野を分け
てお入りになるとすぐ、たいそうしみじみと心を打たれる。
秋の花はみな衰え、浅茅が原も枯れ枯れに、(そしてその原の
なかでとぎれとぎれに)鳴き細っている虫の音に、松風がもの
寂しく吹き合わせて、どの琴の音とも聞き分けられないぐら
いに、楽器の音が(野の宮から)とぎれとぎれに聞こえてくる
のは、たいそう優美である。(源氏は)親しい前駆十余人ほど
と、御随身も大げさな姿ではなくて、(ご自身も)たいそうや
つしてはいらっしゃるが、特別に心をお配りになっている(源
氏の)御装いは、たいそうすばらしくお見えになるので、お供
の風流好みの人々は、場所が場所だけに(いっそう)身にしみ
て感じている。(源氏も)お心の中で、「どうして今までたびた
び訪れなかったのだろう」と、これまでのことを悔しくお思い
になる。(野の宮は)簡素な小柴垣を外囲いとして、板葺きの
建物が、そこここに、ほんの間に合わせのように見える。皮つ
きのままの木の鳥居などは、さすがに神々しく(そこここに)見
渡されて、(こういう色事めいたご訪問は)気が引けるよう
すであるうえに、神官たちが、あちらこちらでせきばらいを
して、お互い同士で話をしているようすなども、他(の場所)
とはようすが変わって見える。火焼き屋(の火)がかすかに光
って、人の気配も少なく、ひっそりとしていて、ここに物思
いに沈んでいる人が(世間からはなれて)月日を送っていらし
たであろうさまをお察しになると、たいそうしみじみとして
痛々しい気がする。


【要旨】
・二十三歳になった源氏は、娘とともに伊勢に下ろうとする御息所を嵯峨野の野の宮に訪れる。秋も終わりに近い野を分け入るにつけて、趣が深いことこのうえないのであった。

【解説】
・「桐壺」の巻の野分の場面とならんで、秋も終わりの情景描写と登場人物の心理とが調和して、「もののあわれ」が思い知られる文章として名高い。

◆研究◆
一 文中、掛け詞が用いられている部分が二つある。抜き出して、説明せよ。
二 次の「らむ」の違いを答えよ。
① 立ち馴らさざりつらむと
② 月日隔てたまへらむほど

三 「わづらはしき気色なるに」とあるが、「わづらはし」の意味を答えよ。
 また、なぜ「わづらはし」なのか、その理由を二十字以内で答えよ。

四 「いと、いみじうあはれに、心苦し」と源氏が思ったのはなぜか。二つの視点から答えよ。



<解答>
一 
①かれがれなる・浅茅が原の草が「枯れ枯れなる」と、虫の鳴き声が「嗄(か)れ嗄れ(しわがれて、かすれる)」であり、「離(か)れ離れ(とぎれとぎれ)」なる」状態のこと。
②こと・曲が何なのかという意味での「事」と、楽器の「琴」。

二 
① 推量の助動詞。現在推量の意で、原因推量を表す「らむ」の連体形。
② 完了の助動詞「り」の未然形と、推量の助動詞「む」の連体形。

三 気が引ける。神々しい神域に女性を訪ねてきたので。

四 嵯峨野の奥の質素な神域に、女性が長いあいだ物思いをして、引きこもっていたことを思いやると、自分と関係のないこととしても、気の毒に感じたから。今まであまりに長い間御息所のもとを訪れず、冷たく扱った自分をしみじみと後悔したから。

(桑原博史『源氏物語』三省堂、1990年[2017年版]、148頁~152頁)

蛍 絵物語~紫式部の物語論



 なが雨、例の年よりもいたくして、晴るる方
なく、つれづれなれば、御方々、絵物語などの
すさびにて、明かし暮らしたまふ。明石の御方
は、さやうのことをも、よしありてしなしたま
ひて、ひめ君の御方に、奉りたまふ。西のたい
には、まして、めづらしくおぼえたまふ、事の
すぢなれば、あけくれ、書きよみ、いとなみお
はす。つきなからぬ若人、あまたあり。「さまざ
まに、めづらかなる、人のうへなどを、誠にや
偽りにや、いひ集めたる中にも、わがありさま
のやうなるは、なかりけり」と見たまふ。住吉
の姫君の、さしあたりけむをりは、さるものに
て、今の世の覚えも、なほ、こころ殊なめるに、
かぞへの頭(かみ)が、ほとほとしかりけむなどぞ、か
の監(げむ)がゆゆしさを、おぼしなずらへたまふ。と
のも、こなたかなたに、かかるものどもの散り
つつ、御目に離れねば、「あな、むつかし。女こ
そ、『ものうるさがらず、人に欺かれむ』と、生(む)
まれたるものなれ。ここらのなかに、まことは、
いと少なからむを。かつ知る知る、かかるすず
ろ事に心を移し、はかられたまひて、あつかは
しき五月雨髪の乱るるも知らで、書きたまふよ」
とて、笑ひたまふものから、また、「かかる、世
のふる事ならでは、げに、何をか、紛るること
なきつれづれを慰めまし。さても、このいつは
りどもの中に、『げに、さあもあらむ』と、あはれ
を見せ、つきづきしく続けたる、はた、はかな
しごとと知りながら、いたづらに心うごき、ら
うたげなる姫君の物思へる見るに、かた心つく
かし。また、『いと、あるまじき事かな』と見る
見る、おどろおどろしく取りなしけるが、目驚
きて、しづかに、また聞くたびぞ、憎けれど、
ふと、をかしきふし、あらはなる、などもある
べし。このごろ、をさなき人の、女房などに時々
読まするを、たち聞けば、『物よくいふものの、
世にあるべきかな。空言を、よくし馴れたる口
つきよりぞ、いひ出だすらむ』と覚ゆれど、さ
しもあらじや」とのたまへば、「げに、いつはり
馴れたる人や、さまざまに、さも酌みはべらむ。
『ただ、いと、まことのこと』とこそ、思うたま
へられけれ」とて、すずりおしやりたまへば、神世よ
り世にある事を、記し置きけるななり。日本紀
などは、ただ、片そばぞかし。これらにこそ、
道々しく、くはしき事はあらめ」とて、わらひ
たまふ。

【通釈】
五月雨がいつもの年よりもひどくて晴れ間もなく、た
いくつなので、(六条院の女君の)御方々は、絵物語などの慰
みごとで日々を暮らしなさる。明石の御方は、そのような(絵
の)ことの、趣あるようすに(描き)なさって、(紫の上のと
ころにいる)明石の姫君の方に差し上げなさる。西の対(に
いる玉鬘)は、まして(絵物語など見たこともないので)珍
しくお思いなさる方面のことなので、明けても暮れても(絵
物語を)書き写したり読んだり、せっせと励んでいらっしゃ
る。(こんなことに)ふさわしい若い女房が、(玉鬘のほうに)
おおぜいいる。(玉鬘は)「いろいろと珍しい人の身の上など
を、真実かうそか、(わからないけれども)書き集めた(絵物
語の)中にも、自分のような境遇(の人)はなかったなあ)
とご覧になる。『住吉物語』の姫君が、その当時(評判が高か
ったの)は当然として、今の世間の評判も、やはり格別であ
るようだが、かぞえの頭が、(住吉の姫君をものにしようと)
あぶないところであった(話)などに、あの大夫監(たゆうのげん)の恐ろし
さを、(玉鬘は)思いくらべていらっしゃる。源氏は、どちら
の方々の部屋にも、このような絵物語が散らばって、(源氏の)
お目にふれるので、「ああ、うっとうしいね。女というのは、
『よくも面倒がらずに、(こんなものを読んで)人にだまされ
よう』と生まれついているのだなあ。たくさんの(絵物語の)
中に、真実はたいそう少ないでしょうに。一方ではそれを知
っていながら、このような(絵物語のごとき)たわいもなく
つまらぬものに気をとられ、だまされなさって、暑くるしい
五月雨に髪が乱れるのも知らないで、お書きなさるのだねえ」
と言って、お笑いになるものの、また、「このような、昔の古
い絵物語でもなくては、本当にどうして、(ほかに)気が紛れ
ることのない(梅雨どきの)たいくつを慰めようか。それに
しても、この嘘八百の作り物語の中に、『本当に、そういうこ
ともあるだろう』と、しみじみとした人情を見せ、もっとも
らしく書き続けてあるのは、これもまた、取るに足りない作
り話と知りながら、むやみに感動し、(あるいは)かわいら
し姫君が物思いに沈んでいるのを見ると、多少なりとも心
がひかれてしまうものですよ。また、『(こんなことは)ある
はずがないことだ』と見ながらも、大げさに取り扱った(物
語)が、目が引きつけられて、(あとになって)落ち着いて、
もう一度(読むのを)聞くときは、(ばからしくて)いやな気
がするけれども、ふと興がひかれる点が、きわ立っているも
のなどもあるようだ。このごろ、幼い(明石の姫君)が、女
房などに時々(物語を)読ませるのを立ち聞くと、『ものをう
まくいう者が、この世にはいるものだなあ。(こういう物語は
嘘を、上手に言いなれた(人の)口から言い出すのだろう』
と思われますが、そうばかりでもないのでしょうね」と、(源
氏が)おっしゃると、(玉鬘は)「なるほど、(あなたのように)
嘘をつきなれた人は、(物語を)いろいろと、そんなふうに解
釈するのでしょう』『(私は)ただもう、(物語を)まったく真
実のこと』とばかり思われますわ」と言って、すずりを押し
のけなさるので、(源氏は)「無作法にも、(物語を)けなして
しまったことだなあ。(物語は)神代以来この世にあることを
書き記したものであったのだなあ。『日本紀』なんかは、いか
にも、ほんの一部分にすぎないものであるよ。物語にこそ、
道理にかなった、くわしい事柄が、記されてあるのだろう」
と言って、お笑いになる。

【要旨】
・五月雨の季節、女君たちは絵物語でつれづれ慰めている。玉鬘は珍しさもあって本気になって物語を読んだり書き写したりしている。読んでいくうちに住吉の姫君にわが身の上を重ねたりする。そこへやってきた源氏が物語についての見解を述べる。物語は虚構ではあるが、人間社会の内面を鋭くとらえて描かれるので、歴史よりも真実であるというのである。紫式部の自信と自負を読みとることができる。

【解説】
・この一節は紫式部の物語論として古来有名である。
 数奇な人生を経験してきた玉鬘は『住吉物語』の姫君も他人事(ひとごと)とは思えず物語に熱中している。当時の物語は劇漫画のような存在で、女子供の読むものとされ、評価も低く、実際に興味本位のでっちあげの作品も少なくなかった。しかし紫式部は玉鬘の口をかりて、物語は真実だといわせ、さらに源氏に、歴史より物語のほうが人間の姿を描き得ると言わせている。
 この後、さらに物語論が展開される。
 物語は後世に言い伝えたいことを自分の胸にしまいきれずに書いたもので、よいことをいうには最高のよい例を集めるから、いくら虚構であっても、そこにはより真実が描き出されるというのである。
 物語は、この後、玉鬘をヒロインとして「常夏(とこなつ)」、「篝火(かがりび)」、「野分(のわき)」、「行幸(みゆき)」、「藤袴(ふじばかま)」、「真木柱(まきばしら)」と進行する。

源氏は内大臣に真相を告げ、裳着を行った。玉鬘への思いを断ちきれない源氏は、尚侍(ないしのかみ)として宮中に出仕させるつもりであったが、意外にも玉鬘は鬚黒(ひげくろ)大将の妻になってしまう。鬚黒大将の北の方は紫の上の異母姉であるが、物の怪のため発作が起き、火取香炉(ひとりこうろ)を鬚黒に投げつけ、外出着をだいなしにしてしまう。北の方の父である式部卿(しきぶきょう)は北の方と娘(真木柱)をひきとった。十二、三歳になっていた姫君は、慣れ親しんだ檜(ひのき)の柱に「私のことを忘れないで」と歌を詠む。多感な少女の父や兄弟との悲しい別れである。玉鬘は残された兄弟を世話して、翌年の冬には男子を出産し、押しも押されぬ右大将の妻となった。夕顔の忘れ形見の物語は「玉鬘」の巻から始まって、今この「真木柱」の巻でめでたくも終了するのである。
 
 次の「梅枝(うめがえ)」の巻で話は再び本筋に戻り、明石の姫君の裳着が盛大に行われる。後半にはいつまでも初恋を追う夕霧に対して源氏の結婚への教訓があり、雲井の雁のようすが描かれる。筒井筒(つついづつ)の恋は果たして実るのであろうか(「少女(おとめ)」の巻参照)

◆研究◆
一 ここに語られている(①)(②)(③)といった言葉の中には、『無名草子』の作者が「物語といふもの、いづれもまことしからずといふ中に、これはことのほかなることどもにこそあめれ」と『狭衣物語』を評した言葉に見える物語観と共通する要素が認められる。
 
①~③に本文中から適語を抜き出して記せ。

二 本文中の源氏の言葉に見える(④)という部分が最もよく物語の性格をとらえたものといわなければなるまい。
 (④)に入れるべき部分を本文中から抜き出し、最初と最後の五文字で記せ。

三 「すずりおしやりたまへば」の主語と、その動作にこめられる気持ちを記せ。

四 「日本紀などは、ただ、片そばぞかし」に表れた紫式部の気持ちを記せ。

<解答>
一 ①いつはりども ②はかなしごと ③あるまじきこと
二 ④いつはりども~心つくかし
三 玉鬘 絵物語に熱中する玉鬘をひやかす源氏に対する非難の気持ち。
四 事実を記録した歴史は公的で表面的で一部分しか表していないが、創作である物語は人間や社会の真実をより鋭く表現できるという作者の自負の気持ち。

(桑原博史『源氏物語』三省堂、1990年[2017年版]、239頁~246頁)


≪古文の読解と問題~藤井貞和『古文の読みかた』より≫

2024-02-29 19:00:01 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪古文の読解と問題~藤井貞和『古文の読みかた』より≫

【はじめに】


  今回のブログでは、引き続き、次の参考書をもとに、古文の読解と問題について見ておく。
〇藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]
 前回では、主語の省略という古文の特徴と文法事項を解説したので、今回は、「Ⅲ古文を読む」以降の項目を説明しておきたい。
 出典としては、『源氏物語』『紫式部日記』『かげろふ日記』である。
 そして、『徒然草』からの試験問題も添えておく。
 最後に、古文学習の目的と『源氏物語』の現代語訳について藤井貞和先生の考えをまとめられた「古文学習と現代語訳」について、紹介しておく。
 ところで、大河ドラマ「光る君へ」では、藤原道長の父である藤原兼家(段田安則)が権力をもった高級貴族として描かれている。
 藤井貞和先生も言及されているように、『かげろふ日記』(『蜻蛉日記』)の作者の夫にあたる人が、藤原兼家である。藤井先生は、高級貴族の当時の婚姻形態について解説しておられる。
 『蜻蛉日記』の作者はふつう藤原道綱(道長の異母兄、上地雄輔)の母とされる。藤原道綱母の実名は、紫式部同様に、伝えられていないので、大河ドラマでは「寧子(やすこ)」という名で、財前直見さんが演じていた。『蜻蛉日記』の作者であることも紹介されていた。
 周知のように、『蜻蛉日記』の題名は、「なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心地する、かげろふの日記といふべし」との記載に由来する。蜻蛉とは、空気が揺らめいて見える「陽炎」(かげろう)から名付けられた、儚くもか弱く美しい昆虫のことでもある。
 藤井先生は、『かげろふ日記』で道綱母と子どもとのエピソード的な話(飼っていた鷹について)を紹介しておられる。



【藤井貞和『古文の読みかた』はこちらから】

古文の読みかた (岩波ジュニア新書 76)






藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書
【目次】
はじめに
Ⅰ 古文を解く鍵
1 古文はどのように書かれているか
2 主語の省略
3 話し言葉としての敬語
4 最高敬語から悪態まで
5 丁寧の表現について
6 係り結びとは何だ
7 係り結びが流れるとき
8 助動詞のはなし――時に関する助動詞を中心に
9 人は推量によって生きる――推量の助動詞
10 助詞の役割

Ⅱ 古文の基礎知識
11 受身について――る・らる(1)
12 ”できない”ことの表現――る・らる(2)
13 使役と尊敬――す・さす・しむ(1)
14 助動詞による尊敬表現――す・さす・しむ(2)、る・らる(3)
15 尊敬表現のまとめ
16 謙譲表現のまとめ
17 敬語の実際――二方面敬語
18 「打消」の方法――助動詞「ず」など
19 希望の表現――まほし・たし
20 仮定(ば・とも・ども・その他)と仮想(まし)
21 推量の助動詞「らし」と「べし」
22 推量の「めり」と伝聞の「なり」
23 断定の助動詞「なり」と「たり」
24 比喩をめぐって――ごとし・やうなり
25 格助詞とは――「に」を中心に
26 接続助詞とその周辺
27 副助詞いろいろ
28 係助詞とその周辺(1) ――ぞ・こそ・なむ
29 係助詞とその周辺(2) ――や・か・は・も
30 終助詞、間投助詞、並立助詞

Ⅲ 古文を読む
31 説話文
32 事実談
33 寓話
34 物語文(1)
35 物語文(2)
36 日記文(1)
37 日記文(2)
38 万葉集
39 軍記物
40 批評文
41 徒然草(試験問題から)
42 古文学習と現代語訳
付編
さくいん
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、v頁~viii頁)




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・32 事実談~『源氏物語』(帚木の巻)より
・35 物語文(2)~『源氏物語』より
・36 日記文(1)~『かげろふ日記』より
・37 日記文(2)~『紫式部日記』より
・41 徒然草(試験問題から)
・42 古文学習と現代語訳





古文を読む 32 事実談


Ⅲ 古文を読む 32 事実談
〇つぎは事実談である。
 男たちが集まって、昔つきあっていた女のことを語りあう場面で、頭中将(とうのちゅうじょう)という人が語る体験談の一部。
 有名な「雨夜のしな定め」である。

 親もなく、いと心細げにて、さらば(a)この人こそはと、事にふれて思へるさまも、らう
たげなりき。かうのどけきにおだしくて、久しくまからざりしころ、この見たまふるわ
たりより、情けなくうたてあることをなん、さる便りありて、かすめ言はせたり(b)ける、
後にこそ聞きはべりしか。(『源氏物語』帚木の巻)

問一 傍線部(a)の「この人」とはだれですか。
問二 傍線部(b)の「ける」について、説明しなさい。

【現代語訳】
親もなく、じつに心細げな生活状態で、それならばこの人を頼みにしようと、何かに
つけて思っている様子も、かわいい感じだった。こんなに女がおとなしいことに安心し
て、長らく参らずにいたころ、こちらの、愚妻のあたりから、思いやりに欠けた、不快
なことですが、あるつてがあって、それとなく言わせてあったのだそうで、そのこと
をあとになって、聞きました。

※古文は、しばしば主語が省略される。
 とくにこれは談話であるから、どんどん主語は省略される。
 このはなしのなかで話題になっている人物は何人いるのか。
 話し手もいれて、三人である。
 なぜ話し手もいれるのかというと、事実談だからである。
 話し手の体験談であるから、当然、話し手は登場人物の一人になる。
 事実談であることは、助動詞「き」がたくさん使われていることによって知られる。
 「き」がたくさん使われているのに、一箇所だけ「けり」が使われているのは、なぜか。
 これが問二の問題である。
 
 親もなく、いと心細げにて、さらばこの人こそはと、事にふれて思へるさまも、らう
たげなりき。かうのどけきにおだしくて、久しくまからざりしころ、この見たまふるわ
たりより、情けなくうたてあることをなん、さる便りありて、かすめ言はせたり(b)ける、
後にこそ聞きはべりしか。

・先の文章で、助動詞「き」(連体形は「し」、已然形は「しか」)で、話し手の体験談であることを示している。
 「き」は、目撃した過去の事件を、たしかに見た、と証言する助動詞。

・「親もなく、じつに心細げな生活状態で、それならばこの人を頼みにしようと、何かに
つけて思っている様子も、かわいい感じだった」というのは、話し手の男(頭中将)が、女の様子をたしかに見て、それはかわいい感じだった、といっている。
 問一の「この人」はだれか、ということであるが、女が頼りにしたのはだれかといえば、話し手であるこの男以外にはありえない。(問一の答、頭中将)

・問二の「ける」は、「き」「し」「しか」のなかにたった一つだけまじっている「けり」(の連体形)である。
 「き」「し」「しか」は目撃したことをあらわす。
 それにたいして、「けり」は、目撃していなかったことがらをあらわす。
 つまり、男の本妻のほうから、新しい女へ、脅迫やいやがらせがあったことを、男は、知らなかったのである。
 知らなかったから、「けり」でそのことをあらわした。
 あとから知ったので、そのときは知らなかったのだから、伝承をあらわす「けり」をここだけ使うのは当然である。
 問二の説明は以上になる。

※このように、「き」と「けり」とは、はっきり使い分けられていた。
 なお、「この見たまふるわたり」は、男の本妻のことをさしている。
 「たまふ」(下二段)は謙譲をあらわす語で、自分の妻のことであるから、へりくだって言った。

〇先の本文には、いくつも形容詞や形容動詞とが出てきている。
<形容詞>
・なく→なし 久しく→久し のどけき→のどけし (情け)なく→なし おだしく→おだし
<形容動詞>
・心細げに→心細げなり らうたげなり→らうたげなり
※形容詞も形容動詞も、活用する語であるから、本文のなかでは、かならずなんらかの活用形としてあらわれる。
 →の右は終止形であるが、終止形もまた活用されている状態をいうのであるから、厳密にいうと、「なし」「のどけし」「心細げなり」という言いきりのかたちは、英語の不定詞にあたるものと言うべきであろう。
 活用の種類に、形容詞はク活用とシク活とがあり、形容動詞はナリ活用とタリ活用とがある。
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、156頁~159頁)

物語文(2)『源氏物語』


〇35 物語文(2)『源氏物語』
光源氏が紫上と出会って、彼女を盗む、という『源氏物語』若紫の巻をひらくことにする。

※姫君を盗む、とは、男の境遇や身分と、女の境遇や身分とが、格段の差のある場合に成立する結婚形態で、物語のなかでは非常に好んで使われたようだ。
 例の光源氏が、少女の紫上(むらさきのうえ)をつれ出した(『源氏物語』若紫の巻)というのもそれで、四年後、光源氏は紫上と結婚し、生涯をともにすることになった。
 女にそれなりの後見(うしろみ)や経済力があれば、盗みという結婚は成立する必要がなく、通い婚や住みという結婚形態をとったり、男が家を経営して女を迎えたりするのがふつうのことであった。(167頁)

紫上をはじめて見かける、きわめて有名な箇所であるが、このような有名な箇所こそ、じっくり読んでほしいという。

 清げなる大人二人ばかり、さては童べぞ出で入り遊ぶ。中に、十ばかりにやあらむと
見えて、白き衣、山吹などのなえたる着て、走り来たる女子、あまた見えつる子どもに
似るべうもあらず、いみじう生ひ先見えて(a) うつくしげなるかたちなり。髪は扇をひろげ
たるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。
(尼君)「何ごとぞや。童べと腹立ちたまへるか。」とて、尼君の見上げたるに、(b)すこし
おぼえたるところあれば、子なめりと見たまふ。(紫上)「雀の子を(c)いぬきが逃がしつる。
伏籠のうちに籠めたりつるものを。」とて、いと口惜しと思へり。このゐたる大人、「例
の、心なしの、(d)かかるわざをして、さいなまるるこそ、いと心づきなけれ。いづ方へか
まかりぬる。いとをかしうやうやうなりつるものを。(e)烏などもこそ見つくれ。」とて立
ちてゆく。
(中略)
 尼君、「(f)いで、あな幼や。言ふかひなうものしたまふかな。おのがかく今日明日にお
ぼゆる命をば、何とも思したらで、雀慕ひたまふほどよ。罪得ることぞと常に聞こゆる
を、心憂く。」とて、「(g)こちや」と言へば、ついゐたり。  (『源氏物語』若紫の巻)

問 傍線部(a)~(g)を現代語訳しなさい。
(a) いかにもかわいらしい顔だちである。
 ・「うつくし」は「かわいらしい」、「うつくしげなり」は「いかにもかわいらしい」」という感じである。
 ・「かたち」は主に容貌について言う。

(b) すこし似ているところがあるので、子であろうとご覧になる。
 ・「おぼゆ」に注意する。「子であろう」というのはあくまでのぞき見している光源氏の判断で、本当は孫娘なのであった。

(c) いぬきが逃がしちゃったの。
 ・「いぬきが逃がしつる」の「つる」は連体形。
  これは連体形止めの言いかたによって、余情を出しているところ。
 ・このあとの「いづ方へかまかりぬる」の「ぬる」は、「いづ方へか」と呼応した連体形止めで、「どこへ(今ごろ)行ってしまっているのか」と言っている。

(d) こんな不始末をして、わたしたちが責められるのは、ほんとにいやなことだわ。
 ・さいなまれるのは、(1)いぬき、 (2)大人たち、のいずれとも考えられるところだが、いちおう、大人たちとみた。

(e) 烏なんかが見つけでもしたら大変です。

(f) まあ、なんと幼いことを。
 ・「いで」も「あな」も感動詞。「あな」に続く形容詞は語幹だけになり、「幼(をさな)」となる。
 ・シク活用の形容詞は、例えば「うらやまし」は、そのまま語幹だから、「あなうらやまし」と言う。「幼し」はク活用の形容詞。

(g) 「こちらへ」と言うと、女の子は膝をついてすわっている。
 ・「ついゐる」は、「つきゐる」が音便化したもの。

【登場人物】
・登場人物を整理しておくと、まずこの場面をのぞき込んでいる光源氏がいる。
 光源氏が視点人物である。
 場面には、大人(成人の女房のこと)が二人、「童べ」(女の子)が何人か、それに幼い紫上
と紫上のおばあさんにあたる尼君、以上がいる。
・紫上は「十ばかりにやあらむ」(十歳ぐらいであろうか)と書かれているが、あくまでのぞき見している光源氏から見た第一印象だから、ほんとうの年齢をあらわしているかどうかはわからない。

(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、167頁、168頁~171頁)

36日記文(1)~『かげろふ日記』より


〇36日記文(1)『かげろふ日記』
日記文学からの例文。
・平安時代の日記文学といえば、女性が、じぶんの生涯を回想して書いたものを主にさす。
 この日記の書き手である女性には、十四、五歳の男の子が一人いる。
 夫は思うようにたずねてきてくれない。
 この男の子は鷹をだいじに飼っているが、その鷹をどうしたのだろうか。
(さきの幼い紫上(『源氏物語』若紫の巻)は、雀が逃げたといって大さわぎしていた)

 つくづくと思ひつづくることは、なほいかで心として死にもしにしがな、と思ふより
ほかのこともなきを、ただこのひとりある人を思ふにぞ、いとかなしき。(a)人となして、
うしろやすからん女に預けてこそ、死にも心安からんとは思ひしか。いかなる心地して、
さすらへんずらんと思ふに、なほいと死にがたし。「いかがはせん。(b)かたちをかへて、
世を思ひはなるやと、心みん。」とかたらへば、まだ深くもあらぬなれど、いみじう、
さくりもよよと泣きて、「さなりたまはば、まろも法師になりてこそあらめ、なにせん
にかは、世にもまじろはん。」とて、いみじくよよと泣けば、われもせきあへねど、い
みじさに、たはぶれに言ひなさんとて、「(c)さて鷹飼はでは、いかがしたまはむずる。」と
いひたれば、やをら立ち走りて、しすゑたる鷹を、握りはなちつ。
                              (『かげろふ日記』中)

問一 傍線部(a)の内容を説明しなさい。
問二 傍線部(b)「かたちをかへて」は、どういうことを指しますか。
問三 傍線部(c)について、この日記の書き手は、子どもに、なぜこのようなことを言ったのですか。

【解説】
・『かげろふ日記』の作者の夫にあたる人は、藤原兼家(かねいえ)という当時の高級貴族。
 まず、高級貴族はなぜ妻を何人も持っていたか、説明している。
 高級貴族の男は、A女と結婚し、その女のもとに通う。A女は懐妊し、出産する。つぎにB女と結婚し、その女のもとにも通う。B女は懐妊し、出産する。するとC女と結婚し、その女のもとにも通う。C女は懐妊し、出産する……。模式的にいうと、こんな感じだった。
 高級貴族の男としては、次期政権を担当する勢力を身につけるために、できるだけたくさんの子女が欲しい。そのために、多くの女性を妻として、子どもを生ませようとする。A女もB女もC女も、正式の妻だった。懐妊や出産を見とどけてから新しい女性関係をつくり出す、というのがルールのようだった。

・『かげろふ日記』の作者が、藤原兼家と結婚したとき、兼家にはすでに子どもの何人もいる時姫という先妻がいた。
 でも『かげろふ日記』の作者は、美貌だったようだし、子どもは男の子一人(道綱)しかできなかったけれども、子どものあるなし、多い少ないは正妻レースの必要条件でもなかったらしくて、男に迎えいれられる可能性はいちおう彼女にもあった。
 実際は、藤原道長など優秀な人材をたくさん生んだ先妻の時姫がレースのトップを走りつづけ、『かげろふ日記』の作者は(他の女性たちとともに)敗色濃くなっていく。
 つまり、兼家は、だんだん通ってこなくなり、道綱一人をかかえて、彼女の苦悩は深くなる一方である。死んでしまいたい、と思ったり、尼になろうかしら、と考えたりするようになる。
先の本文はそんな苦悩する彼女をめぐる一エピソードである。

・傍線部(a)は、死んでしまいたい、と思う『かげろふ日記』の作者が、あとにのこすことになる道綱のことを心配するところで、「人となして」とは、元服させ、成人にして、ということである。
 「うしろやすからん女に預けて」という表現は、バックのしっかりした女性を配偶者にして、それに道綱の身柄を託して、ということであるが、面白い表現だと思う。
 結婚は、男にとって、女が拠り所であった、という一面をこの表現は語っている。
 傍線部(a)の現代語訳を施しておこう。
「道綱を成人させて、バックの安定しているような女に託してはじめて、死んでも安心であろう、とは思った」

・傍線部(b)「かたちをかへて」は、出家すること。女性であるから、尼になること。

・傍線部(c)は、母親が「尼になる」というと、子どももまた、「それならぼくも法師になろう」という、そのいじらしさに耐えられなくて、冗談のようなことをあえて言おうと、「もし出家したら鷹を飼うことはできないが」ということを前提にして、「法師になって鷹を飼わないとして、あなたはどうなさるおつもりですか(がまんできますか)」と聞いているところである。
 母が子に敬語を使っているが、不思議ではない。
 道綱は、出家のときの妨げにならないように、飼っている鷹を放してしまった。
 そんなに急いで放してやらなくてもいいのに、いじらしいことである。
 (藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、172頁~175頁)

37 日記文(2)~『紫式部日記』より


〇37 日記文(2) ~『紫式部日記』より

日記文学から。
紫式部は、中宮彰子(しょうし)のお座所から退出する途中、ひょいと弁の宰相の君という女房の部屋をのぞいて、彼女の寝姿を見てしまう。

 上より下るる道に、弁の宰相の君の戸口をさしのぞきたれば、昼寝し給へるほどなり
けり。萩・紫苑、いろいろの衣に、濃きが打ちめ心ことなるを上に着て、顔は引きいれ
て、硯の筥に枕して伏し給へる額つき、いとらうたげになまめかし。絵に描きたる物の
姫君の心地すれば、口おほひを引きやりて、「物語の女の心地もし給へるかな。」といふ
に、見あげて、(a)「もの狂ほしの御さまや。寝たる人を、心なくおどろかすものか。」とて、
すこし起きあがり給へる顔の、うち赤み給へるなど、こまかにをかしうこそ侍りしか。
おほかたもよき人の、をりからに、またこよなくまさるわざなりけり。(『紫式部日記』)

問一 紫式部はなぜ弁の宰相の君を起こしたのでしょうか。思うところを、三百字以内の
文章にしなさい。
問二 傍線部(a)を口語訳しなさい。

※紫式部は、『源氏物語』の作者である。
 物語の作者の名は、ふつう、わからないが、『源氏物語』の場合、幸いなことに、紫式部がその大部分を書いたことが知られていて、そればかりか彼女は『紫式部日記』という貴重な日記文学をのこしてくれた。

問一は、なぜ弁の宰相の君(宰相の君)を起こしたのか、という問題である。
 どう答えたらいいのだろうか?
 「思うところを、三百字以内の文章にしなさい」という作文ふうの問題になっている。
 こういう問題を、愚問であると批判する人がいる。つまり、ぴったと一つの答えを出せないような問いを、作文ふうの設問にしているのはおかしい、あるいは、「思うところを」書け、というのだから、どう書いてもよく、したがって採点などできないはずだ、という批判である。
 その批判はあたっているだろうか?
 数学では、ある範囲をあらわせ、という問題がある。領域を示せ、という問題である。
 答えが計算題のように一つないし数個出てくることもあるが、その一方、答えが無数にあってそれを広がりとしてとらえればよい、という問題もある。その場合はどうするか。あてはまる条件を数えていって、限定できる範囲をあらわせばよい。
 国語の問題には、ぴたっと答えを一つに出せないのや、「思うところを」書け、という作文ふうの問題がしばしばあるが、数学でいえば広がりを求めている、範囲の問題である。かなり慎重に計算しなければならない。数学における計算力にあたるものが、国語における作文力である。思うところをはっきりと表現できる力が作文力であるという。

 問一の、あてはまる条件を数えてみよう。
 まず宰相の君はどのような寝姿だったか。萩とか紫苑とかいうのはすべて重ねの色目(いろめ)である。さまざまな色を重ねた袿(うちぎ)を着て、上には濃紅色のとくに光沢の美しい打衣(うちぎぬ)をつけ、その中にうずもれるように顔を引きいれて、硯筥(すずりばこ)を枕に仮眠している。額ばかりが見える。美しく着飾った女性の、はっとする美しさである。その寝姿を「いとらうたげになまめかし」と表現している。
 その寝姿を見たとき、紫式部は何と思ったか。これがつぎの条件である。
 「絵に描きたる物の姫君の心地」がした、という。「物語の女の心地もし給へるかな」とも、はっきり言っている。つまり「絵に描きたる物の姫君」とは、「物語の女」と同じであることを見ぬいてほしい。当時の物語は、よく絵本になっていた。宰相の君は物語絵本に描かれる美しい姫君にそっくりだったのである。寝姿を見たとき、物語絵本からぬけ出してきた姫君かと思って、はっとした、というのである。
 第三の条件として、紫式部が『源氏物語』という物語の作り手であることを、ぜひ思いおこしておこう。
 第四の条件は、起こされた宰相の君が、紫式部のことを「もの狂ほしの御さまや」と言っているので、よほど紫式部の行動が異常な感じのものであったことに注意する。

(問一の解答例)
弁の宰相の君の盛装したままで仮眠する姿は、いかにもあいらしげで、はっとする美しさを持っていた。紫式部は、それを見た瞬間、物語絵本からぬけ出てきた姫君かと思わずにはいられなかったのである。物語作者として、そのような美しさは、物語のなかにこそ苦心して描かれるものであった。その物語的な美しさに、現実において出会った瞬間の異常ともいえる興奮を、ここに読みとることができる。もしかしたら紫式部は、物語のなかに描かれるべき美しさが現実に存在することを、許せず、激しく拒否したかったのかもしれない。そのような、あってはならない現実を壊そうとして、宰相の君を乱暴に起こしてしまったのではなかろうか。
(291字)
※この答案は、解答者の意見を前面に出した一例である。10点満点の8点ぐらいか。満点をとる必要はないとも著者はいう。

問二の口語訳は、現代語訳と同じことである。
 「物狂いのような御様子だわ。寝ている人を思いやりなく起こすなんて。」
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、176頁~179頁)

41 徒然草(試験問題から)


41 徒然草(試験問題から)
〇昭和59年度の共通一次試験から、古文の問題をかかげておく。

・次の文章を読んで、後の問い(問一~六)に答えよ。(配点 30)
 世には、心得ぬ事の多き(ア)なり。ともある毎には、まづ、酒を勧めて、強ひ飲ませたる
を興とする事、いか(イ)なる故とも心得ず。飲む人の、顔いと堪へ難げに眉をひそめ、人目
を測りて捨てんとし、逃げんとするを、捉へて引き止めて、(a)すずろに飲ませつれば、う
るはしき人も、忽ちに狂人となりてをこがましく、息災(ウ) なる人も、目の前に大事の病者
と(エ) なりて、前後も知らず倒れ伏す。祝ふべき日などは、(b)あさましかりぬべし。明くる日
まで頭痛く、物食はず、によひ臥し、生をへだてたるやうにして、昨日の事覚えず、公・
私の大事を欠きて、煩ひとなる。人をしてかかる目を見する事、慈悲もなく、礼儀にも
背けり。かく辛き目に逢ひたらん人、ねたく、口惜しと思はざらんや。人の国にかかる
習ひあ(オ) なりと、これらになき人言にて伝へ聞きたらんは、あやしく、不思議に覚えぬべ
し。
 人の上にて見たるだに、心憂し。思ひ入りたるさまに、(c)心にくしと見し人も、思ふ所
なく笑ひののしり、詞多く、烏帽子ゆがみ、紐外し、脛高く掲げて、用意なき気色、日
来の人とも覚えず。女は額髪晴れらかに搔きやり、まばゆからず顔うちささげてうち笑
ひ、盃持てる手に取り付き、よからぬ人は、肴取りて、口にさし当て、自らも食ひた
る、様あし。声の限り出だして、おのおの歌ひ舞ひ、年老いたる法師召し出だされて、
黒く穢き身を肩脱ぎて、目も当てられずすぢりたるを、興じ見る人さへうとましく、憎
し。或はまた、(d)我が身いみじき事ども、かたはらいたく言ひ聞かせ、或は酔ひ泣きし、
下ざまの人は、罵り合ひ、争ひて、あさましく、恐ろし。恥ぢがましく、心憂き事のみ
ありて、果ては、許さぬ物ども押し取りて、縁より落ち、馬・車より落ちて、過ちしつ。
物にも乗らぬ際は、大路をよろぼひ行きて、築泥・門の下などに向きて、えも言はぬ事
どもし散らし、年老い、袈裟掛けたる法師の、小童の肩を押さへて、(e)聞こえぬ事ども言
ひつつよろめきたる、いとかはゆし。
 かくうとましと思ふものなれど、(f)おのづから捨て難き折もあるべし。月の夜、雪の朝、
花の本にても、心長閑に物語して、盃出だしたる、万の興を添ふるわざなり。つれづれ
なる日、思ひの外に友の入り来て、とり行ひたるも、心慰む。馴れなれしからぬあたり
の御簾のうちより、御果物・御酒など、よきやうなる気はひしてさし出だされたる、い
とよし。冬、狭き所にて、火にて物煎りなどして、へだてなきどちさし向かひて、多く
飲みたる、いとをかし。旅の仮屋、野山などにて、「(g)御肴何がな。」など言ひて、芝の上
にて飲みたるもをかし。(h)いたう痛む人の、強ひられて少し飲みたるも、いとよし。よき
人の、とり分きて、「今ひとつ。上少なし。」などのたまはせたるもうれし。近づかまほ
しき人の、上戸は、ひしひしと馴れぬる、またうれし。
 さは言へど、上戸は、をかしく、罪許さるる者なり。酔ひくたびれて朝寝したる所を、
主の引き開けたるに、惑ひて、惚れたる顔ながら、細き髻差し出だし、物も着あへず
抱き持ち、ひきしろひて逃ぐる、搔取姿の後ろ手、毛生ひたる細脛のほど、をかしく、
つきづきし。

(注)〇によひ臥す――うめきながら横たわること。〇すぢる――身をくねらせること。
 〇搔取姿の後ろ手――裾をちょっとたくしあげたうしろ姿。


問一 傍線部(a) (b) (e) (f) (g)の語句の意味として最も適切なものを、次の各群の①~⑤のうちから、それぞれ一つ選べ。
(a) すずろに
①むやみやたらに
②落ち着きがなく
③ひとごとだと思って
④何度も何度も
⑤思いがけない折に

(b) あさましかりぬべし
①自分でもおかしい姿と思うにちがいない
②たぶんなさけない思いだったろう
③きっとみっともないことになりそうだ
④ひょっとするとあきれたことになりそうだ
⑤さだめし嘆かわしいことであったろう

(e) 聞こえぬ事ども言ひつつ
①口の中でぶつぶつと小さな声で言いながら
②わけの分からぬことを言いながら
③よく聞こえないぞなどと言いながら
④うわさに聞いたことを声高に言いながら
⑤宴席で言上したことをくどくどと言いながら

(f) おのづから
①万一
②自分から
③いつのまにか
④時には
⑤考えようでは

(g) 御肴何がな
①酒の肴は何があるか
②酒の肴が何かほしいなあ
③酒の肴など何でもいい
④酒の肴が何もないのか
⑤酒の肴は何がいいだろう

問二 傍線部(ア)~(オ)の「なり」「なる」のうち、次の【例文】の「なる」と同じ用法のものはどれか。次の①~⑤のうちから、一つ選べ。
【例文】竹取泣く泣く申す、「この十五日になむ、月の都よりかぐや姫の迎へにまうで来なる。」
(「竹取物語」)
①多き(ア)なり ②いか(イ)なる ③息災(ウ)なる ④病者と(エ)なり ⑤習ひあ(オ)なり

問三 傍線部(c)「心にくしと見し人も、思ふ所なく笑ひののしり、」の解釈として、次の①~⑤のうちから、最も適当なものを一つ選べ。
①圧倒されるほどすばらしいと思っていた人も、ばか笑いをしたり人の悪口を言ったりし、
②何となく虫が好かないと思っていた人も、遠慮会釈もなく大声で笑ったり騒ぎ立てたりし、
③立派な人だと思っていた人も、何の思慮もなくなり別人のように人を嘲笑したりし、
④しかつめらしく憎らしい人だと思っていた人も、気取りを捨てて大声で笑ったり罵り声をあげたりし、
⑤奥ゆかしいと思っていた人も、何の分別もなく笑ったり騒ぎ立てたりし、

問四 傍線部(d)「我が身いみじき事ども、かたはらいたく言ひ聞かせ、」の解釈として、次の①~⑤のうちから、最も適当なものを一つ選べ。
①自分の方で起こった風変わりな出来事を、おおげさに語って聞かせ、
②自分の不幸せな運命を、聞いている者がめいってしまうほどに語って聞かせ、
③自慢話を、聞いている者が聞き苦しく感じるほどに語って聞かせ、
④自分の事や世の中の変わった出来事を、こっけいに感じられるほどに語って聞かせ、
⑤聞き手自身のすぐれている点を、聞いていてつらくなるほどに語って聞かせ、

問五 傍線部(h)「いたう痛む人の、強ひられて少し飲みたるも、いとよし。」の解釈として、次の①~⑤のうちから、最も適当なものを一つ選べ。
①たいそう心を痛めている人が、うさばらしにと酒を強く勧められて、少しばかり飲んでみるのも、大変よいものだ。
②体の加減のひどく悪い人が、酒は百薬の長だからなどと勧められて、少し飲んでみる様子も、大変よいものだ。
③大変恐縮しきっていた人が、酒を強く勧められて少し飲み、次第にくつろいでゆくのも、大変よいものだ。
④日ごろ敬遠している相手から、酒を強く勧められて少し飲んで、次第にうちとけてゆく様子も、大変よいものだ。
⑤ふだん酒をひどく苦手にしている人が、時に人から強く勧められて少しばかり飲んでいる様子も、大変よいものだ。

問六 次の①~⑤は、本文について説明したものである。最も適当なものを一つ選べ。
①費やしている文章の量は前二段に多く、「あさまし」「心憂し」などにもうかがえるように、酒の害を説くところに全体の主題があらわれている。
②第二段落末の形容詞「かはゆし」は、酒の徳を説く第三段落の内容とも通じ合い、前半と後半とをつなぐものになっている。
③第三段落冒頭に「……なれど、……もあるべし。」とあるように、酒の害と酒の徳とを合わせて説く筆者のかたくなでない姿勢がうかがえる。
④前半では「あさまし」「心憂し」などと酒の害を説いているが、「いとよし」「またうれし」などと酒の徳を説く後半に筆者の主張がある。
⑤「かくうとましと思ふものなれど」と始まる第三段落に対して、第四段落では「さは言へど」と再び逆接的に書き起こされ、酒の害を説く第一・第二段落の主張にもどっている。

以上が、問題文である。
『徒然草』(百七十五段)が出典となっている。



【解答】
※なぜそのような解答になるか、辞典を片手に、よく調べてみてほしいという。
問一 
(a) すずろに①
(b) あさましかりぬべし③
(e) 聞こえぬ事ども言ひつつ②
(f) おのづから④
(g) 御肴何がな②

問二 ⑤
問三 ⑤
問四 ③
問五 ⑤
問六 ③


【著者の補足】
〇『徒然草』について
・『徒然草』はすぐれた古文の入門書であるとともに、人生を見つめた軽妙な筆致が、どこを読んでもわれわれをとらえてはなさない。
 生涯の伴侶となるべき古典の一つである。
 古典の名にふさわしい書物とは、長く読まれつづけて、人生の意義をおしえ、また指針をあたえてくれるものことであろう。『徒然草』は古典のなかの古典である。

・人生の達人といってよい四十台の兼好法師の書いたこの古典の中の古典である『徒然草』は、若者がぜひ入門書としてひもとくべきものであるが、それで終わってはならないので、あくまで入門であり、準備を終えたというだけのことである。
 読者は成長しながら、二十台にも、三十台にも、そして四十台にも、『徒然草』をひもとくといい。読むたびに深まった読書体験をうることになろう。
・すぐれた古典入門書はと聞かれたら、古来読まれつづけてきた『徒然草』や『枕草子』を第一にあげることにためらいはない、と著者はいう。

・『徒然草』百七十五段は、酒の害とともに酒の興趣をも説いて、今日にもそのまま通用しそうな内容である。
 かなりの長文なので、問題文は一部が省略されている。それでも長文であるが、四つの段落ごとに、趣旨をよく読みとってほしい。
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、192頁~203頁)

42 古文学習と現代語訳


・昔の古文を現代人が読むということは、古文から現代への、一方的な交通、一方的な伝達にすぎないのだろうか?と著者は問いかけている。
 コミュニケーションという言葉と、その意味を、知っているはずである。
 伝達とは、このコミュニケーションのことなのである。
 communicationのcom-は、“お互いに”“共通の”ということを意味しているが、そのとおり、昔の古文がわれわれ現代人に伝達されるということは、けっして一方的におこなわれるのではなく、現代人からも積極的に古文にたいして、はたらきかけることによってはじめて成りたつ、コミュニケーションとしてある。
 古文と、現代人とが、対等に向きあい、対話する関係である、といったらいい。
 では、どのように現代人から古文へはたらきかけるのか?
 本書で重視してきた現代語訳(口語訳)は、その試みの一つであるという。
 古文が正確に理解できるということを、現代人が実際に紙と鉛筆とを使って証明する、それが現代語訳のしごとであるとする。



さて、『源氏物語』桐壺の巻の引用を、本書ではこのように訳文をあたえておいた。

【訳文】
中国にも、こうした発端からこそ、世も乱れてひどいことになったのだったと、だんだん、世間一般にも、おもしろからぬ厄介種(やっかいだね)になって、楊貴妃の例をも引き合いに出しかねないほどになってゆく事態に、まことにいたたまれない思いのすることが多くあるけれど、おそれ多い帝の御愛情のまたとないことを頼みにして、宮仕えなさる。

※ぎこちない訳文だが、正確さを優先させたと著者はいう。

・『源氏物語』は、与謝野晶子や谷崎潤一郎といった、近代の歌人や作家が、現代語訳を試みている。最近のものでは作家の円地文子(えんちふみこ)も現代語訳を完成させた。
(いずれも文庫本になっており、手にはいりやすくなっている)

・与謝野晶子の現代語訳を見ると、つぎのようになっている。
 唐の国でもこの種類の寵姫(ちょうき)、楊家の女(じょ)の出現によって乱が醸(かも)されたなどと蔭ではいわれる。今やこの女性が一天下の煩(わざわ)いだとされるに至った。馬
嵬(ばかい)の駅がいつ再現されるかもしれぬ。その人にとっては堪えがたいような苦しい雰囲気の中でも、ただ深い御愛情だけをたよりにして暮らしていた。
(『全訳 源氏物語』上、角川文庫、昭和46年版)

※なかなか流麗な、味わいの現代文になっているという。

・谷崎潤一郎のほうはどうか?
 唐土(もろこし)でもこういうことから世が乱れ、不吉な事件が起ったものですなどと取り沙汰をし、楊貴妃の例なども引合いに出しかねないようになって行きますので、更衣はひとしお辛いことが多いのですけれども、有難いおん情(なさけ)の世に類(たぐい)もなく深いのを頼みに存じ上げながら、御殿勤(ごてんづと)めをしておられます。
(『潤一郎訳源氏物語』一、中公文庫、昭和48年版)

※こちらは“です”“ます”調の文体になっているが、晶子訳にくらべて、『源氏物語』の本文にかなり忠実な訳文であることが、ざっと読んでみるだけで明らかだろう。
 晶子訳は大胆な意訳で、潤一郎訳はかなり忠実な意訳である。
 意訳であることには変わりはない。

※高等学校の教科書では、二年生ぐらいになると、『源氏物語』の一部を勉強する。
 桐壺の巻か、若紫の巻か、あるいは夕顔の巻かをおそわることになる。

☆もっとたくさん読みたいと思ったらどうするのか?
 『源氏物語』全体は五十四巻あるといわれている。その全部を読みたいと思ったらどうするか?
 与謝野晶子の訳した『源氏物語』を読んだらいい。あるいは、谷崎潤一郎の訳した『源氏物語』を読んでみるとよい。また円地文子の訳した『源氏物語』(新潮文庫に入っている)を読むのもいい。他にも現代語訳はある。
 晶子訳がいいか、潤一郎訳がいいか、文子訳がいいか、それはまったく好みの問題。
 いずれも、訳者が、精魂こめて『源氏物語』に取りくんだものであって、どの一つを取りあげても、『源氏物語』であることにちがいはない。
 くれぐれも、原文を読まなければ『源氏物語』を読んだことにはならない、などと思わないように、と著者はいう。現代語訳を読んでも、りっぱに『源氏物語』を読んだことになる。
 つまり、『源氏物語』の全体を読みたいと思って、すぐれた近代の歌人や作家の作った現代語訳を読んだことによって、現代人から古文の世界へ積極的にはたらきかけたのである。
 コミュニケーションを成しとげたことになるという。

・ただし、条件があるという。
 コミュニケーションは伝達であるから、媒介になるものがかならずある。
 その媒介物が、『源氏物語』の原文にほかならない。原文の実態をまったく知らないではすまされない。原文の一部を学ぶことによって、その実態をおおよそ理解できるようにしておきたい。必要があれば、現代語訳のもとになった原文に立ちかえって、たしかめることができるようにしておきたい、とする。
⇒これがわれわれの、古文を直接学習しようとする目的なのであると著者は強調している。

・晶子訳は大胆に意訳しており、原文にある敬語などを省略して、ダイナミックな『源氏物語』にした。潤一郎訳は、原文に忠実のようでも、ときに原文にない説明を加えるかと思うと、敬語はやはり省略したりして、現代人に読みやすい『源氏物語』にしている。
・原文の実態は敬語もあり、さまざまな助動詞や助詞の使いわけもあるので、われわれはひととおり学習して、古文の特徴をだいたい知る必要があるという。
 だから、皆さんの試みる現代語訳は、学習のためだから、ぎこちなくていいので、正確であることを心掛けてほしいと著者はいう。敬語を省略してはいけない。助動詞や助詞を訳し分けてほしい。
 
※本書は、「はじめに」でも述べたように、
Ⅰ 古文を解く鍵
Ⅱ 古文の基礎知識
Ⅲ 古文を読む
の三段階に分けて、その古文の特徴を、平易な叙述のなかにも、深く掘りさげて解説している。
敬語の理解につまずいたり、助動詞や助詞の訳し分けがわからなくなったら、該当するページに何度でも立ちもどって、研究してほしいという。
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、204頁~208頁)

≪古文の特徴と文法~藤井貞和『古文の読みかた』より≫

2024-02-27 19:00:01 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪古文の特徴と文法~藤井貞和『古文の読みかた』より≫
(2024年2月27日投稿)

【はじめに】


 今回のブログでは、次の参考書をもとに、古文の特徴と文法について解説してみたい。
〇藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]
 藤井貞和先生は、日本文学者、東京学芸大学教授、のち東京大学名誉教授である。

 古文を勉強していると、書いてあるはずの主語がよくわからなくなって、意味がとれなくなる、ということがある。それは、主語の省略によるものである。藤井先生によれば、古文において、主語が見えなくなっていることは、それが談話に近い文体であることの一つのあらわれにほかならないという。こうした古文の特徴について、詳しく解説されているのが本書である。
 その他、話し言葉としての敬語、丁寧の表現、係り結びが流れるとき、謙譲表現および文法事項について、主な項目を説明しておきたい。


【藤井貞和『古文の読みかた』はこちらから】

古文の読みかた (岩波ジュニア新書 76)









藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書
【目次】
はじめに
Ⅰ 古文を解く鍵
1 古文はどのように書かれているか
2 主語の省略
3 話し言葉としての敬語
4 最高敬語から悪態まで
5 丁寧の表現について
6 係り結びとは何だ
7 係り結びが流れるとき
8 助動詞のはなし――時に関する助動詞を中心に
9 人は推量によって生きる――推量の助動詞
10 助詞の役割

Ⅱ 古文の基礎知識
11 受身について――る・らる(1)
12 ”できない”ことの表現――る・らる(2)
13 使役と尊敬――す・さす・しむ(1)
14 助動詞による尊敬表現――す・さす・しむ(2)、る・らる(3)
15 尊敬表現のまとめ
16 謙譲表現のまとめ
17 敬語の実際――二方面敬語
18 「打消」の方法――助動詞「ず」など
19 希望の表現――まほし・たし
20 仮定(ば・とも・ども・その他)と仮想(まし)
21 推量の助動詞「らし」と「べし」
22 推量の「めり」と伝聞の「なり」
23 断定の助動詞「なり」と「たり」
24 比喩をめぐって――ごとし・やうなり
25 格助詞とは――「に」を中心に
26 接続助詞とその周辺
27 副助詞いろいろ
28 係助詞とその周辺(1) ――ぞ・こそ・なむ
29 係助詞とその周辺(2) ――や・か・は・も
30 終助詞、間投助詞、並立助詞

Ⅲ 古文を読む
31 説話文
32 事実談
33 寓話
34 物語文(1)
35 物語文(2)
36 日記文(1)
37 日記文(2)
38 万葉集
39 軍記物
40 批評文
41 徒然草(試験問題から)
42 古文学習と現代語訳
付編
さくいん
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、v頁~viii頁)





さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・主語の省略
・話し言葉としての敬語
・丁寧の表現について
・係り結びが流れるとき
・謙譲表現のまとめ
・係助詞とその周辺(1) ――ぞ・こそ・なむ
・係助詞とその周辺(2) ――や・か・は・も
・終助詞、間投助詞、並立助詞






主語の省略


〇2 主語の省略
・古文を勉強していると出会うことだが、書いてあるはずの主語がよくわからなくなって、意味がとれなくなる、ということがある。
 だれが、とか、何が、とかいうことを指示してくれる主語がわからなくなったら、大あわてである。
 よく探すと主語が書かれてある場合もあるけれども、多く、古文がよくわからなくなるのは、主語が書かれていないからである。

・主語が省略されるといっても、ある動作や状態の主体が存在しない、ということはけっしてない。
 「書きたまふ」という一文があると、だれが、という動作主(書くという動作の主体のこと)は、主語つまり表現された語句としてはあらわれていないけれども、「書きたまふ」という表現の背後に、ちゃんと存在している。
 こういうのを、主語が省略されている、という。

〇主語が省略されている場合には、二種類ある。
 ①簡単なケース
 ②複雑なケース

①主語の省略の簡単なケース
<例文>三河の国、八橋といふ所に至りぬ。(『伊勢物語』九段)
【訳文】
 三河の国(今の愛知県東部)、八橋という地にやって来た。

・「至りぬ」で止まっている一文であるが、だれが至ったかというのか、主語がない。
 でも、この一文の前後を見れば、動作主は明らかになる。
・ 昔、男ありけり。その男、身をえうなき者に思ひなして、京にはあらじ、東の方に住
むべき国求めにとて行きけり。もとより友とする人、一人二人して行きけり。道知れる
人もなくて、惑ひ行きけり。
三河の国、八橋といふ所に至りぬ。(『伊勢物語』九段)
【訳文】
 昔、男がおったということだ。その男は、自身を必要のない者であると思い込ませて、京におるわけにはいかないだろう、東国地方に住むことのできる国探しに、といって出かけたということだ。以前からの友人たち、一人二人といっしょに行ったということだ。道を知っている人もいなくて、迷いながら行ったということだ。
 三河の国(今の愛知県東部)、八橋という地にやって来た。

※教科書でよく見かける『伊勢物語』九段の冒頭である。
 最初の一文に、「男」がおったということだ、と物語全体の中心となる動作主を主語のかたちで示し、つぎの一文で、「その男」が東国に出かけたということだ、とこれも動作主を主語であらわす。
 ついで、友人たちといっしょに行ったということだ、とあって、「一人二人して行きけり」の動作主も、前の二文に出てきた「男」である。
⇒この文からあとは主語をいちいち「その男」とはいわない。
 いわなくてもわかるから、いう必要がない。必要がなければ省略されるのである。

・「三河の国、八橋といふ所に至りぬ」の主語は、あらわす必要がないから省略されている。 
 動作主は主人公の男である。

※いや、ちょっと待てよ、という人がいるかもしれない。
 友人たちと行動をともにしているのだから、動作主は、その男をもふくめた、ご一行様(いっこうさま)にしたほうがよくはないかな。なるほど。主語が省略されることによって、その省略された内容が、その男一人をさすか、友人をふくめた一行をさすか、広がりを生じてきた。どちらがいいと思うか。
 ※こうした、文の一部の省略によって内容がふくらみを生じることこそ、日本語の大きな特色なのだという。
 時と場合とによりけりだが、いまの例はその男一人とも、友人をふくめた一行とも、どちらにとってもかまわない。

 以上が、主語の省略の簡単なケースである。

②主語の省略の複雑なケース
・主語が、いくら探しても、文章のなかにまったく書かれていない、という場合が、主語の省略の複雑なケース。
 動詞があると、その動作主はかならずあるはず、いるはずだが、その動作主が文章のなかに主語として指示されていない場合がある。
 そういうケースはけっして少なくない。

<現代語の主語の省略>
 「書いてごらん。」A
 「書けないよ。」B
 現代語でも、このように主語の省略はあらわれる。
 AとBとは、それぞれ、動作主がだれであるかわからない。
 あえて主語を加えると、次のようになろう。
「(きみは)書いてごらん。」
 「(ぼくは)書けないよ。」
※しかし、会話文の実際に、「きみは書いてごらん」という言いまわしはありえない。
 なぜなら、「書いてごらん」というのは、相手に書くことをすすめる、一種の命令法だから、当然、主語は省略される。(英語と同じである)
 「書けないよ」も、強調なら「ぼくは書けないよ」ともいうが、ふつうなら「ぼくは」とわざわざいってもしようがない。これも当然省略される。

<現代語の主語の省略>
・次のような談話文もまったく同じことで、主語はあらわれない。
 あらわれなくても、困ることはない。
「まだお茶も差し上げておりませんのに、もうお帰りになるのですねえ。」
※お茶を差し上げるのはこの談話の話し手、お帰りになるのは談話の相手である。
 まぎれようがない。
 その話し手がだれか、相手がだれか、実体はわからないが、談話のなかではまったくそれを提示する必要がない。
 主語が省略されている、ということは、その文章が当事者の行為や相手の行為であることに深くかかわっている。



【古文の場合】
〇古文は、地の文といえども、きわめて談話に近い文体から成っている、といわれる。
 古文において、主語が見えなくなっていることは、それが談話に近い文体であることの一つのあらわれにほかならない。

<例文~『枕草子』の一節>
 まだ御格子は参らぬに、大殿油さしいでたれば、戸の開きたるがあらはなれば、琵琶
 の御琴をたたさまに持たせたまへり。
 (『枕草子』上の御局の御簾の前にて)
【現代語訳】
 まだお格子は下して差し上げていないときに、お部屋の明かりを差しだしますと、戸の開いているところが見通しなので、琵琶のお琴を立ててお持ちになっていらっしゃいます。

※中宮定子(清少納言がお仕えしている)のことを述べている段の一節である。
 談話の文体であることを見ぬいてほしい。
 古文は現代でいえば、すべて談話の文体だ、ぐらいに割りきってほしい。
 原文に併記した口語訳を見れば、一目瞭然。
 当事者の談話だから、話題の中心である中宮定子のことを、名ざしでいうはずがない。
 「持たせたまへり」と動詞だけでいうので、まぎれようがない。
・お仕えする侍女たちは、格子を上げ下げするのが役目であるが、それをわざわざ「(わたくしたちは)まだお格子は下して差し上げてもいないのに」と、談話のなかでいうはずもまたない。

※『枕草子』のこの段は、全文を読みすすめても、ついに「持た」の主語は書きあらわされていない。 
 その全文を次節にかかげるが、動作主は、主語としては、ほとんど書かれていない。
 しかも動作主は中宮定子をふくめて、少なくとも四人いるようだ。
 これを単なる地の文として読んだら、わかりっこない。
 談話であると知っていれば、主語の省略されている呼吸が読みとれ、内容が理解できるようになる、と著者はいう。
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、8頁~13頁、210頁)

話し言葉としての敬語


〇3 話し言葉としての敬語
『枕草子』上の御局の御簾の前にて
 上の御局の御簾の前にて、殿上人、日ひと日、琴、笛、吹き、遊び暮らして、大殿油
参るほどに、まだ御格子は参らぬに、大殿油さしいでたれば、戸の開きたるがあらはな
れば、琵琶の御琴をたたさまに持たせたまへり。紅の御衣どもの、いふも世の常なる袿、
また、張りたるどもなどをあまたたてまつりて、いと黒うつややかなる琵琶に、御そで
をうち掛けて、とらへさせたまへるだにめでたきに、そばより、御額のほどの、いみじ
う白うめでたくけざやかにて、はづれさせたまへるは、たとふべきかたぞなきや。近く
ゐたまへる人にさし寄りて、「半ば隠したりけんは、えかくはあらざりけんかし。あれ
はただ人にこそありけめ。」と言ふを、道もなきに分け参りて申せば、笑はせたまひて、
「別れは知りたりや。」となん仰せらるる、と伝ふるもをかし。
                  (『枕草子』上の御局の御簾の前にて)

・傍線の動詞は、動作主が書かれていない。
 その動作主は、少なくとも四人いるようだ。
 ただしそのなかの一人は、「近くゐたまへる人」(近くにすわっていらっしゃる人)なので、この人の動作を除けば、三人の動作が、一段の全文からはついに主語を明らかにすることができない、ということになる。

・もしこれが『枕草子』であることを知らなかったら、専門家でさえ行きづまってしまう、ということはあると思う。
 最低限度の知識として、これが中宮(トップクラスの皇后のことだと思ってよろしい)である定子に仕えた清少納言という侍女が記録したもの、いわゆる女房文学の一つであることは知らなければならない。もっとも、最低限度知るべき知識の量はわずかなものである。
 『枕草子』は中宮定子のサロンの様子を語りつたえているものである。

・語りつたえているものだから、談話式の文体になっている。
 地の文であるが、話すような口吻(こうふん)で書かれている。
 だから女主人のことや、侍女たちの動作には主語が省略されている。
・主語が省略されている、上の文章のなかの傍線の動作は、したがって女主人の動作、および侍女の動作が中心になっているわけだが、それをどう見分けたらいいのだろうか。
 どの動詞が女主人=中宮定子の動作をあらわし、どの動詞が侍女たちの動作をあらわしているのだろうか。 
 これを知るには敬語というものが手がかりになる。
 おおよそのところが、敬語というものによって、判断できる。
 それは古文の地の文に、敬語というものがちりばめられていて、現実の身分関係を反映しているからで、それで身分のいちばん高い中宮定子などはすぐにわかる。
 
・古文の地の文には、なぜ、敬語が出てくるのだろうか。
 こういう疑問を持つことがだいじである。
 現代の小説のたぐいを思いうかべてほしい。現代の小説は地の文と会話文とから成る。地の文には、ふつう、敬語は出てこない。会話文にだけ敬語が出てくる。
 ところが、古文では、会話文に敬語が出てくるのはもちろんのことだが、地の文にもしきりに敬語が出てくる。
 これは古文の地の文が、現代の小説などにみる地の文と大きくちがって、はるかに会話文に近い、談話の文体になっているからにほかならない。
 これはだいじなことである。
 尊敬語や謙譲語は、ふつう、人物の身分関係をあらわすために使われているものといわれていて、おおよそその説明は、それでまちがっているということはないのだが、より厳密にいうならば、実際の談話の現場でのさまざまな敬語のありかたが、書かれた文章のなかに反映している。古文は地の文といえども談話的に書かれているのだから、実際の談話の現場を反映して敬語がどんどん出てくる、というわけである。

・かならずしも身分の上下をあらわさないことがある。
 現代語でも、「書いてごらん。」A 
 「書けないよ。」B
と、「ごらん」という敬語はよく使われるが、Aが親の言葉であったり、先生の言葉であったりして、すこしもおかしくない。その場合、Bは子どもの言葉であったり、生徒の言葉であったりする。現代の会話としてすこしもおかかしくない。
 現代のような身分差が少なくなった社会でも敬語が生きるのは、敬語が、本来、談話のなかで、相手を尊敬したり、自分がへりくだることで話題をスムーズにすすませるものであったからで、それが古文では身分制度と結びついて、上下をあらわす記号であるかのようにふるまうことになった。

・決して難しいことではないので、例文の
近くゐたまへる人にさし寄りて
 というところを見てほしい。
 「さし寄り」は、動作主を主語としてあらわさない動詞の例であるが、その動作主とは侍女の一人、つまりこの文章の書き手である清少納言そのひとの行為をいっている。
 清少納言が「近くゐたまへる人」にさし寄ったのである。
 この「ゐたまへる」という言いまわしのなかの「たまへ」というのが尊敬語である。
 「近くゐたまへる人」で、「すわっていらっしゃる人」という意味になる。
 この「人」も侍女であるが、尊敬語を使っているから、清少納言よりも身分の高い侍女なのであろうか。けっしてそんなことはいえないだろう。中宮定子の近くにお仕えしている侍女であることと、談話的な文体であることとから、自然に敬語が出てきたにちがいない。

・「近くゐたまへる人」の「たまへ」がけっして身分の上下をあらわす記号として使われているのではない証拠に、同じ侍女の動作が、
 道もなきに分け参りて申せば、
と、謙譲の表現になっていたり、
 と伝ふるもをかし。
と、敬語ぬきの表現になっていたりする。
 「分け参り」「申せ」の二語は謙譲語という。
 この侍女が、女主人である中宮定子に向かって近づくのに、「分け参り」と、女主人にたいしてへりくだり、「申せ」と、女主人に申しあげる行為をへりくだって表現している。
 女主人と侍女とは、厳然とした身分の差があるから、謙譲語を使うのは当然である。
 ただし、「分け参り」と表現し、「申せ」と表現している人は、その侍女ではなくて、これを書いている清少納言そのひとである。
 自分たちの女主人を心からうやまう気持ちが、自分たちの行為をへりくだらせる謙譲の表現となってあらわれたので、それが結果的に身分の上下をあらわした。
 相手の身分が高くても、もし尊敬する気持ちがなくて、かげで悪口をいう場合ならば、敬語なんか使うには及ばない。

(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、14頁~19頁)

丁寧の表現について


〇5丁寧の表現について

・会話の文体に出会ったら、「はべり」があるかないかをたしかめてほしい。
 丁寧な会話か、そうでないかを見ぬいてほしい。
※亡き桐壺更衣(桐壺帝の寵愛した女性で、光源氏を生んでまもなく亡くなった)の母君のもとへ、帝のお使いの靫負(ゆげいの)命婦がたずねてきたところである。

南面におろして、母君もとみにえものものたまはず。(母君)「今までとまりはべるがいとう
きを、かかる御使の、蓬生の露分け入りたまふにつけても、いと恥づかしうなん。」とて、
げにえたふまじく泣いたまふ。(命婦)「『参りてはいとど心苦しう、心肝も尽くるやうになん。』
と、典侍の奏したまひしを、もの思うたまへ知らぬ心地にも、げにこそいと忍びがた
うはべりけれ。」とて、ややためらひて、仰せ言伝へきこゆ。(『源氏物語』桐壺の巻)

(南正面に下りさせて、母君もまた、すぐには何もおっしゃれない。(母君)「今まで生き残っておりまするのが、まことにいやでたまらないのに、こんなお使者が、蓬屋(ほうおく)の露を分けておいでくださるにつけても、まことに恥ずかしくて。」と言って、いかにもこらえ切れないぐらいお泣きになさる。(命婦)「『おうかがいしてみると、まことにまことにおいたわしくて、心も肝も消え失せるようで。』と、典侍が奏上していましたが、風情を解し申しあげない者の心持ちにも、なるほどまことに堪えがたいことでございましたよ。」と言って、少々時間をおいてから、帝の仰せ言を伝え申し上げる。)

※このように会話文の丁寧なものには「はべり」が使われて、あらたまった感じになる。男も女も使う語である。

・上の例について、それぞれ母君と命婦とが、自分の行為について「はべり」と言っているのであるから、これは謙譲語であると考えてもよいのではないか、という意見を持つひとがいたら、なかなか鋭い。もと謙譲語であったから、区別のあいまいなところがあるのは仕方がないらしい。

北山になむ、なにがし寺といふ所に、かしこき行ひ人はべる。去年(こぞ)の夏も世におこり
て、人々まじなひわづらひしを、やがてとどむるたぐひあまたはべりき。(『源氏物語』若紫の巻)

(北山にですが、何々寺という所に、すぐれた修行者がございます。去年の夏も世間に
わらわ病みが流行して、人々が、まじなっても効きめがなくて、てこずったのを、即座に
なおす例がたくさんございました。)

※いちおう、“伺候している”“お仕えしている”という意味がはっきりしている例は謙譲の「はべり」、それ以外の、会話に出てくる例は丁寧の「はべり」であると考えてほしい。
 以上は、原則である。
 会話のなかでもないのに、丁寧の「はべり」が出てくることはある。
 『紫式部日記』という、『源氏物語』の書き手である紫式部の書いた日記文学には、地の文のある部分に集中してたくさん「はべり」が出てくる。

※『紫式部日記』のある部分に集中して「はべり」が出てくるのは、その部分だけだれかにあてて書かれた書簡ではないかと考えられている。書簡なら会話の文体で書かれていても、おかしくない。
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、28頁~30頁、211頁)

係り結びが流れるとき


〇7 係り結びが流れるとき
Ⅰ 古文を解く鍵の「7 係り結びが流れるとき」
・係り結びは文の緊張をみちびく。
 文というものは、ところどころに緊張があるからすぐれたものになるので、もし緊張がなければ、だらっとした締まりのない文章になり、名文でなくなってしまう。
 「ぞ」「なむ(なん)」「こそ」による係り結びは、文を緊張させるためにだけある、といっていい。
 「や」や「か」は疑問をあらわすが、これによって文章に一種の逆流をもたらし、「や」や「か」のある一文を連体形で止めることによって、他の文とちがう雰囲気を作りだすから、これも文の緊張をみちびくもの、ということができる。
 ところが、「ぞ」「なむ(なん)」「こそ」、あるいは「や」も「か」もそうだが、ときにその緊張が、これらの語句によってはじまったのに、途中や文の終りで、流れてしまうことがある。

【結びの消失】
〇つぎの文章は、『源氏物語』桐壺の巻のごく初めのところである。
心細い桐壺更衣の様子が描かれている。

 父の大納言は亡くなりて、母北の方なむ、いにしへの人のよしあるにて、親うち具し、
さしあたりて世のおぼえはなやかなる御方々にもいたう劣らず、何ごとの儀式をももて
なしたまひけれど、取りたてて、はかばかしき後見しなければ、事ある時は、なほ拠り
どころなく心細げなり。(『源氏物語』桐壺の巻)

(父の大納言は亡くなって、母の、大納言の奥方がですね、昔かたぎの由緒ある人で、
両親が揃い、現在のところ世間からちやほやされている御方々にもたいして引けをとら
ぬよう、どのような宮廷のしきたりをも処置なさったとかいうことだが、格別に、しっ
かりした後楯(うしろだて)は、ないのだから、あらたまったことのある時には、やはり
頼るあてがなくて、更衣は心細げである。)

※「……母北の方なむ」と、係助詞「なむ」があるので、文が緊張し、結びの連体形を要求する。ところが、一文の終りは「心細げなり」と、終止形である。
 連体形ならば「心細げなる」とならなければならないところ。
 母北の方なむ、いにしへの人のよしある(人なる)。
という、括弧のなかにある。(人なる)という結びと呼応しているが、消えてしまったと考えられ、これを「結びの消失」という。

※ちょっと難しいことかもしれないが、文の緊張は、文脈上の実質的な述語の部分と呼応してはたらき、そこに「係り結びの法則」が成りたつのだから、文が上記のように長くつづいてゆくと、実質的な述語の部分が文末にならないために、「係り結びの法則」が成りたたなくなり、結びの消失してしまうことがある。
 「結びの消失」とは、係り結びにおける「結びの消失」であって、「文末の消失」ではない。
 文末のない文はありえないから、勘ちがいしないように。

【挿入句のばあい】
『源氏物語』桐壺の巻で、まえに引いた文章の直前のところに、次のようにある。

 唐土にも、かかる事の起りにこそ、世も乱れあしかりけれと、やうやう、天の下にも、
あぢきなう人のもてなやみぐさになりて、楊貴妃の例も引き出でつべくなりゆくに、い
とはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにて交らひたま
ふ。(『源氏物語』桐壺の巻)

(中国にも、こうした発端からこそ、世も乱れてひどいことになったのだったと、だんだん、世間一般にも、おもしろからぬ厄介種(やっかいだね)になって、楊貴妃の例をも引き合いに出しかねないほどになってゆく事態に、まことにいたたまれない思いのすることが多くあるけれど、おそれ多い帝の御愛情のまたとないことを頼みにして、宮仕えなさる。)

※「唐土にも、かかる事の起りにこそ」と、「こそ」がある。
 一文の終りは「たまふ」と終止形(連体形も同形だが)になっている。已然形の「たまへ」になっていない。でも、あわてないでほしい。
 唐土にも、かかる事の起りにこそ、世も乱れあしかりけれ。
と、已然形の結びがちゃんとある。
 このように、見かけ上、文中にあることがあるので、注意すること。
※和歌の場合も、
 「我が庵(いほ)は都のたつみしかぞ住む世を宇治山と人は言ふなり」(喜撰法師)とか、
 「八重葎(やへむぐら)茂れる宿の寂しきに人こそ見えね秋は来にけり」(恵慶法師)とか、
 ふつう句読点を施さないから、係り結びの発見は注意を要する。
 この二つの和歌の係り結びの結びを指摘できるだろうか?
 ⇒ぞ――住む(連体形) こそ――見えね(已然形)

【文中の係り結び】
〇つぎも、『源氏物語』桐壺の巻からで、さきに引用した一文のまた少し前の文である。

 朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふつもりにやありけん、い
とあつしくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよあかずあはれなるものに思
ほして、人のそしりをもえ憚(はばか)らせたまはず、世の例になりぬべき御もてなしなり。
(『源氏物語』桐壺の巻)

(朝夕の宮仕えにつけても、他人の心を悩ますばかりいて、恨みを背負う蓄積のせいであったろうか、まことに病気が重くなってゆき、いかにも心細いようすで里下がりが多くなるのを、帝はいよいよたまらなくいとしいものにお思いになり、人の非難をも気がねなさることができず、世の中の話題にもなってしまいそうなご寵愛ぶりである。)

※これの途中に、「恨みを負ふつもりにやありけん」とあって、「けん」は終止形・連体形とも同形だが、これは連体形であろうから、「係り結びの法則」が成りたっている。
 で、一文がこれで終わるかというと、句点でなく、読点が来て、下へ続いている。
 一種の挿入句になっている。これも係り結びの一用法である。
 「こそ」のような強い調子の係助詞の場合は、「……であるけれども」と、逆接するような感じで、文が係り結びの成りたったあとも、続くような勢いを示すことがある。
 桐壺更衣の死後のことであるが、

 さまあしき御もてなしゆゑこそ、すべなうそねみたまひしか、人がらのあはれに、情
けありし御心を、上の女房なども恋ひしのびあへり。
(見苦しいほどの帝のご寵愛ぶりのためにこそ、つめたくお嫉(ねた)みなさったのだが、人柄が優しく、情愛の深かったお心を、上宮仕えの女房たちも思い出しては恋しく思いあった。)

※この「しか」(「き」の已然形)は逆接するような感じである。
 このようなときは、係り結びのあと、句点でなく、読点で下に文が続いているもの、と理解されている。
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、38頁~43頁、213頁)

謙譲表現のまとめ


〇16 謙譲表現のまとめ
・謙譲表現をあらわす語は、①名詞、②接頭語、③動詞、④補助動詞(動詞の一種)がある。
 謙譲の補助動詞には、「たてまつる」「まうす」「きこゆ」「まつる」および重要な下二段活用の「たまふ」がある。「す」「さす」をともなったいっそう謙譲度の高い「きこえさす」「まゐらす」という言いまわしもある。
・下二段活用の「たまふ」 
 会話主の明確な謙譲の気持ちをあらわす補助動詞の「たまふ」(下二段)がある。
 『竹取物語』には見えないが、『源氏物語』などにはたくさん出てくる。

・『源氏物語』桐壺の巻から見てゆくと、
いとかく思ひたまへましかば。<未然形の例>
 (ほんとに、もし、こう考えさせていただいてもよかったのなら。)
死んでゆく桐壺更衣のさいごの言葉

・もの思うたまへ知らぬ心地にも、げにこそいと忍びがたうはべりけれ。<連用形の例>
 (物の心を理解させていただく方法も知らないわたくしの心地にも、まことにもっていたく堪えがたいことでございますことでした。)
帝のお使いがやってきた、靫負命婦の言葉。
 
・うちうちに、思ひたまふるさまを奏したまへ。<連体形の例>
(内々に、案じてさしあげておりますさまを、ご奏上くださいませ。)
お答えする母君の返事。若宮(のちの光源氏)のゆくすえを案じて、あれこれ思うことを謙譲した言いかた。

・随分によろしきも多かりと見たまふれど、そも、まことにその方を取り出でん選びに、
 かならず漏るまじきはいとかたしや。<已然形の例>
(それ相応に上手にこなす女性も多くいると存じあげますけれども、さて、ほんとうに才能のすぐれた方面の人を取り出そうと選ぶと、絶対に選に漏れないというのは、非常にすくないよ。)
 「帚木」の巻で頭中将が、才能の真にすぐれた女の少ないことをなげく言葉。

※以上のように、「たまふ」は会話文の中に出て、「思ふ」とか「見る」(あるいは「聞く」)という語について、明確な謙譲をあらわしている。

※会話文にほとんど出てくるので、この「たまふ」を丁寧語と見る見かたが当然ある。
 まれに地の文に出てくることもある。
 終止形「たまふ」は『かげろふ日記』『和泉式部日記』『源氏物語』に散見するようだが、数が少ないので、終止形の存在を認めない人もいる。

(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、84頁~87頁、218頁)

係助詞とその周辺(1) ――ぞ・こそ・なむ


〇28 係助詞とその周辺(1) ――ぞ・こそ・なむ
・係助詞は、荷作りのひものように、一文一文の全体にかかるようにして、きゅっきゅっとしごいて結ぶ感じのものである。
・「なむ」は係助詞として文中に使われ、文末を活用する語の連体形で結ぶ。
 係助詞の「なむ」が文末に来ることもある。
よく問題になるのは、係助詞の「なむ」が文末に来た場合と、終助詞の「なむ」と、助動詞が二つ結合してできた「なむ」と、三種類の「なむ」があることであるが、識別はそんなに困難なことではない。

①係助詞の「なむ」
 目も見えはべらぬに、かくかしこき仰せごとを光にてなん、とて見たまふ。(『源氏物語』桐壺の巻)
(目も見えないのでございますが、このようにおそれおおいお言葉を光にして……、とてご覧になる。)
※文中のようにみえるが、「なん」で切れて文末を省略しているもの。

②終助詞の「なむ」。動詞などの活用語の未然形につく。
 いつしか梅咲かなむ、来む、とありしを、さやある、と目をかけて待ちわたるに、花も
みな咲きぬれど、音もせず。(『更級日記』梅の立枝)
(早く梅が咲いてほしい、「梅が咲いたら行くよ。」という約束だったから、そうだろうか、と、梅に目をかけてずっと待っていると、花もみな咲いていったのに、便りもない。)
※終助詞の「なむ」は、梅に「咲いてほしい」と願望する気持ちをあらわす。係助詞の「なむ」とは別の語である。

③完了の助動詞「ぬ」と推量の助動詞「なむ」との結合が「なむ」になる。
 もとの御かたちとなりたまひね。それを見てだに帰りなむ。(『竹取物語』御門の求婚)
(もとの御姿になっておくれ。せめてそれだけでも見て帰った、ということにしよう。)

④他に、ナ変活用の動詞が「死なむ」「往(い)なむ」となるので、注意すること。
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、136頁~139頁)

係助詞とその周辺(2) ――や・か・は・も


〇29係助詞とその周辺(2) ――や・か・は・も

●「や」は、係助詞にもなれば、間投助詞にもなれば、並立助詞にもなる。
 間投助詞の場合、文中にも文末にもあらわれ、疑問や反語の意味を持たない「や」が間投助詞。
 あな恐ろしや。春宮(とうぐう)の女御のいとさがなくて、桐壺更衣の、あらはにはかなくもてなされにし例(ためし)もゆゆしう。(『源氏物語』桐壺の巻)
(ああ恐ろしいこと。東宮の女御(皇太子の母親である女御のこと)がじつに意地悪で、
桐壺更衣が、露骨にいたぶられ、死に至らされた前例も忌まわしく……。)

※ちなみに、「古池や蛙飛び込む水の音」(芭蕉)などの「や」も間投助詞である。
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、140頁~142頁)

終助詞、間投助詞、並立助詞


〇30 終助詞、間投助詞、並立助詞
・終助詞は文末にあって、禁止・願望・詠嘆・強意などをあらわす。 
間投助詞は文中あるいは文末にあって、語勢を強めたり、感動をあらわしたりする。
並立助詞は語句と語句とを並立させるものである。

・間投助詞は、「や」「よ」「を」が代表的なものである。
 「を」は文中にも、文末にもあらわれ、感動を示す。
 さりとも、あこはわが子にてをあれよ。(『源氏物語』帚木の巻)
(それにしても、おまえはわたしの子で、まあ、いなさいよ。)

 必ず、雨風やまば、この浦にを寄せよ。(『源氏物語』明石の巻)
(きっと、雨風が止んだら、須磨の浦に、まあ、舟を寄せよ。)

※古文に出てくる「を」は、格助詞や接続助詞の「を」が大部分で、間投助詞の「を」はきわめて珍しいものである。
 (藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、144頁、148頁~149頁)

≪古文総合問題~塩沢一平『きめる!センター 古文・漢文』より≫

2024-02-18 18:00:20 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪古文総合問題~塩沢一平『きめる!センター 古文・漢文』より≫
(2024年2月18日投稿)

【はじめに】


  今回のブログでは、次の参考書をもとに、古文の総合問題を解いてみよう。
〇塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]
 出典は、『紫式部日記』および『宇治拾遺物語』である。
 これらの出典には、いま話題の大河ドラマ「光る君へ」に登場する紫式部(吉高由里子)、藤原為時(岸谷五朗)、藤原道長(柄本佑)、中宮彰子(見上愛)、藤原公任(町田啓太)なども出てくるので、興味をもって読んでほしい。



【塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研はこちらから】
きめる!センター 古文・漢文




〇塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]

【目次】
はじめに
センターは、こんな試験
古文編
攻略法0  センターの基本となる文法を押さえよう
攻略法1  出典タイプによって読み方を変えよう
攻略法2  傍線部解釈問題①
攻略法3  傍線部解釈問題②
攻略法4  文法問題①
攻略法5  文法問題②
攻略法6  内容説明・心情説明・理由説明問題①
攻略法7  内容説明・心情説明・理由説明問題②
攻略法8  内容合致・主旨選択問題①
攻略法9  内容合致・主旨選択問題②
攻略法10  和歌関連問題①(和歌解釈の方法)
攻略法11  和歌関連問題②(掛詞の攻略法)
攻略法12  和歌関連問題③(序詞の攻略法)

古文総合問題
古文総合問題 解答・解説
 
<コラム>目で見る古文① (平安時代の貴族の住居)
<コラム>目で見る古文② (平安貴族の服装)
<コラム>目で見る古文③ (宮中の世界)
<コラム>目で見る古文④ (平安時代の暦と季節、時刻、方位、月の名前)
<コラム>目で見る古文⑤ (平安美人の身だしなみ)
<コラム>目で見る古文⑥ (陰陽道)
<コラム>目で見る古文⑦ (夢占)
(塩沢一平ほか『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、6頁~7頁)




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


古文総合問題
・『紫式部日記』より
・『宇治拾遺物語』より






古文総合問題~『紫式部日記』より


古文総合問題
・『紫式部日記』より
次の文章は、『紫式部日記』の一節で、正月二日、公卿達が「上」(清涼殿)に参上なさったところに、「主上(うへ)」(一条天皇)がお出ましになって、管弦の御遊びが始まった場面を叙した部分である。よく読んで、後の問いに答えよ。なお、文中の会話の話し手は、すべて道長である。

 上に(a)まゐり給ひて、主上、殿上に出でさせ(b)給ひて、御遊ありけり。殿、例の酔は
せたまへり。わづらはしと思ひてかくろへゐたるに、「(A)など、御父の、御前の御遊に
召しつるに、さぶらはで、いそぎまかでにける。ひがみたり」など、むつからせ給ふ。
「ゆるさるばかり、歌一つ仕うまつれ。親のかはりに、初子(はつね)の日なり、詠め詠め」と責めさせ(c)給ふ。うち出でむに、いとかたはならむ。こよなからぬ御酔ひなめれば、
いとど御色あひきよげに、(ア)火影はなやかにあらまほしくて、「年ごろ、宮のすさまじ
げにて、一ところ(d)おはしますを、(イ)さうざうしく見(e)たてまつりしに、かくむつかし
きまで、左右に見たてまつるこそうれしけれ」と、(ウ)おほとのごもりたる宮たちを、
ひきあけつつ見たてまつり給ふ。
「(B)野辺に小松のなかりせば」と、うち誦(ず)じ給ふ、あたらしからむ言(こと)よりも、をりふしの人の御ありさま、めでたくおぼえさせ給ふ。  (『紫式部日記』)

<注>
〇殿上……清涼殿の殿上の間。
〇殿……藤原道長。
〇御父……紫式部の父、藤原為時。
〇初子の日……正月の初めての子の日。この日には小松を引き若菜を食べ、賀歌を詠む習慣があった。
〇かたはならむ……体裁が悪いだろう。
〇宮……中宮彰子
〇一ところおはします……以前、中宮に子供がいなかったことを指す。中宮は入内後約九年間にわたって子供がなかった。ただし、本文の時点では、中宮には二人の子供が生まれている。
〇ひきあけつつ……中宮の子供たちの寝床となっている帳台にめぐらせている布をちょいちょいひき開けてのぞくことを指す。
〇野辺に小松のなかりせば……「子の日する野辺に小松のなかりせば千代のためしになにを引かまし」(拾遺和歌集)による。

問1 傍線部(ア)~(ウ)の解釈として最も適当なものを、それぞれ一つずつ選べ。
(ア) 火影はなやかにあらまほしくて
①燈火に照らし出された姿はきわだって美しく理想的で
②燈火に照らされた辺りの様子はきわだって美しく広い場所が望まれて
③燈火に照らされた辺りの様子はきわだって美しくまた静かな場所が望まれて
④燈火に照らし出された姿はきわだって美しく長生きして欲しい状態で
⑤燈火に照らされた辺りの様子はきわだって美しくもう少しで認められる状態で

(イ)さうざうしく
①騒がしいと
②乱雑だと
③寂しいと
④思いやられると
⑤機敏だと

(ウ)おほとのごもりたる宮たち
①吐き気を催している中宮たち
②奥に引き籠っていらっしゃった中宮たち
③宿直(とのい)して差し上げている皇子たち
④お亡くなりになってしまった皇子たち
⑤おやすみになっている皇子たち


問2 傍線部(a)~(e)の敬語のうち、宮に対する敬意を表しているものが二つある。それはどれとどれの組み合わせか。次のうちから一つ選べ。
①a「まゐり」とb「給ひ」
②b「給ひ」とc「給ふ」
③c「給ふ」とd「おはします」
④d「おはします」とe「たてまつり」
⑤a「まゐり」とe「たてまつり」

問3 傍線部(A)の内容の説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
①主上は、自ら主催する宴席に、道長が出席しないのを非難している。
②主上は、道長が主催する宴席に、式部が遅刻したことを非難している。
③道長は、式部の父が主催する管弦の遊びに、式部が出席しないことを残念に思っている。
④道長は、主上が召集した管弦の遊びに、式部の父が出席しないことを残念に思っている。
⑤道長は、自らが召集した管弦の遊びに、式部の父が遅刻して急いで参上したことを非難している。

問4 傍線部(B)の解釈として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
①都近くの野辺に小松がなかったならば、人々は自らの世の千年の繁栄の証しとして何を引いたらよいのか、釈然としない。
②子の日には、小松を引くのが通例であるので、その小松を長寿の証しとして皆で引こう。
③宮にはいままで若宮たちがいなかったので、私が長生きをしても長寿を祝ってくれるものなど誰もいない寂しい気持でいたのだ。
④この若宮たちもいずれはいなくなるので、私たちの千年も続くような繁栄の証しを何に求めたらよいか、不安である。
⑤この若宮たちが私たちの千年も続くような繁栄のまぎれもない証しなのである。
(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、162頁~165頁)



【解答】
問1 (ア)① (イ)③ (ウ)⑤
問2 ④
問3 ④
問4 ⑤

【解説】
問1 語句の意味を問う問題
・(ア)は古文特有語の形容詞「あらまほし」(理想的だ・申し分ないの意)
・(イ)は現古異義語の形容詞「さうざうし」(寂しいの意)
・(ウ)は古文特有語の尊敬語「おほとのごもる」(「寝(ぬ)」の尊敬語)の意味を問うた。
※すべて暗記すべき語。

問2 文法関連問題(敬語)
・a 「まゐる」は客体である主上に対する敬意(主体は公卿……前書き参照)
・b 「給ふ」は主体である主上に対する敬意
・c 「給ふ」は主体である道長に対する敬意
・d 「おはします」は主体である宮に対する敬意
・e 「たてまつる」は客体である宮に対する敬意(主体は道長)

問3 内容説明問題
・前書きにより、道長の会話とわかる。ゆえに、①②はバツ。
・「御父の」の直後の「御前の御遊に召しつるに」を飛び越して「さぶらはで」以下の主語になっている。ゆえに③はバツ。
・「まかで」(終止形「まかづ」)は退出するの意。ゆえに⑤はバツ。

問4 傍線部解釈問題
・攻略法4にもあった通り、反実仮想では、逐語訳でなくても事実を語っていれば正解。
 傍線部は、道長が中宮の子供たちを見ながら口ずさんだ古歌であり、「小松」が「子供」の比喩であることがわかる。
〇選択肢を吟味しよう。 
・①は反実仮想前半部を「小松」そのままとしてとらえている上に、最終的に「釈然としない。」というように、喜びの歌の意味を引き出すことができないので、不正解。
・②は『拾遺和歌集』の歌の意の反実仮想を事実として簡潔にまとめたにすぎない。
・③は反実仮想の裏返しとしての事実を過去のものとしてとらえているので、不正解。
・④も反実仮想の裏返しとしての事実を未来に求め、しかも文意と逆のマイナスイメージとなっているので、不正解。

【現代語訳】
(公卿達が)清涼殿へ参上なさって、主上(一条天皇)が、殿上の間におでましになって、管弦の遊びが催された。(道長)殿は、いつものように酔っぱらっていらっしゃる。めんどうなことだと思って、(私は)隠れて座っていると、「なぜ、お父上は、(天皇の)御前での御遊びに召し出したのに、お控えしないで、いしいで退出してしまったのだ。(お父上は)ひねくれている。」などと、腹を立てていらっしゃる。「(その罪が)許されるほどに、(すばらしい)歌を一首(あなた=紫式部が)お詠みせよ。親の代わりに、(それに今日は)初子の日であるし、(さあ)詠め、詠め。」とお責めになる。(父の代わりに歌を)詠み出すようなことも(あまりに憚(はばか)りのない私事になってしまい)体裁が悪いだろう。あまりひどくないお酔いの加減であるようなので、いっそう(お顔の)色合いも美しく、燈火に照らし出された姿はきわだって美しく理想的で、「長年、中宮様が(お子もなく)つまらなそうで、一人でいらっしゃるのを、(私=道長は)寂しいと拝見していたが、こう煩わしいまでに左右に(中宮の子供達を)拝見するのが嬉しいのだ。」と(いいながら)、お眠りになっている若宮たちを、(寝床となっている帳台にめぐらせている布を)ちょいちょいひき開けては拝見なさる。(そして)
「……野辺に小松のなかりせば……(……仮に、この若宮たちがいなかったならば、何に私たちの栄華のあかしを求めたらよいのだろうか……。この若宮たちは私たちの千年も続くような繁栄のまぎれもな証しなのである。)」と口ずさみなさる。新しく(私が詠む)ような歌よりも時節にぴったりの(古歌を吟誦なさる)、道長殿の御振る舞いは、立派だ私に思わせなさる(=私は立派だと存じ上げる)。

(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、170頁~171頁)



古文総合問題~『宇治拾遺物語』より


・『宇治拾遺物語』より
次の文章を読んで、後の問いに答えよ。

 今は昔、治部卿通俊卿、後拾遺を撰ばれける時、秦兼久行き向ひ、(ア)おのづから
歌などや入ると思ひて、うかがひけるに、治部卿出で居て物語して、「いかなる歌か
詠みたる」といはれければ、「はかばかしき候はず。後三条院かくれさせ給ひて後、
円宗寺に参りて候ひしに、花の匂ひは昔にも変らず侍りしかば、仕うまつりて候ひし
なり」とて、
「(A)こぞ見しに色もかはらず咲きにけり花こそものは思はざりけれ
とこそつかうまつりて候ひしか」といひければ、通俊卿の、「(イ)よろしく詠みたり。
ただし、『けれ』、『けり』、『ける』などいふ事は、いとしもなきことばなり。それは
さることにて、『花こそ』といふ文字こそ、女(め)の童(わらは)などの名にしつべけれ」とて、いとしもほめられざりければ、言葉少なにて立ちて、侍どもありける所に、「この殿は、
大方歌の有様知り給はぬにこそ。かかる人の撰集承りておはするは、(ウ)あさましき事
かな。四条大納言の歌に、
 春来てぞ人も訪ひける山里は(B)花こそ宿のあるじなりけれ
と詠み給へるは、めでたき歌とて、世の人口(ひとぐち)にのりて申すめるは。その歌に、『人も訪ひける』とあり、また『宿のあるじなりけれ』とあめるは。『花こそ』といひたるは、
それには同じさまなるに、いかなれば、四条大納言のはめでたく、兼久がはわろかる
べきぞ。かかる人の撰集承りて撰び給ふ、あさましき事なり」といひて出でにけり。
 侍、通俊のもとへ行きて、「兼久こそかうかう申して出でぬれ」と語りければ、治
部卿、うちうなづきて、「さりけり、さりけり。物な言ひそ」といはれけり。
                   (『宇治拾遺物語』巻一の一0)

<注>
〇治部卿通俊卿……「治部卿」は治部省(戸籍や外交事務などを司る役所)の長官。「通俊」は藤原通俊
〇後三条院……後朱雀院の皇子。
〇円宗寺……後三条院の勅願寺。
〇四条大納言……藤原公任(きんとう)。和歌・学問にすぐれる。『新撰髄脳(しんせんずいのう)』『和漢朗詠集』の編者。通俊の従兄。
〇春来てぞ……拾遺和歌集、巻一六に見える。

問1 傍線部(ア)~(ウ)の解釈として最も適当なものを、それぞれ一つずつ選べ。
(ア) おのづから歌などや入る
①自分から歌など入集させるはずない
②自然と歌などに集中することなどできない
③もしかして歌などが入集するかも知れない
④偶然に歌などが脳裏に浮かぶかも知れない
⑤当然歌など受け入れるはずない

(イ) よろしく詠みたり
①十分満足できるほどに詠んでいる
②かなりよく詠んでいる
③ふつうに詠んでしまった
④少し劣って詠んでしまった
⑤要領よく詠むことができた

(ウ) あさましき事かな
①貪欲な事であろうか
②下品な事であるはずがない
③意外な事になるかもしれない
④あきれるほどひどい事だなあ
⑤すばらしい事になる気がする

問2 傍線部(A)の和歌の解釈として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
①これぞと思って感動したものと色も変わらずに桜は咲いた。とすると花は美しく咲くこと以外は何も考えないのだなあ。
②ここに咲いていたと記憶していた同じ場所に花の色も変わらずに桜は咲いた。とすると花は咲くこと以外は何も考えないのだなあ。
③去年見た時からずっと色もかわらず桜は咲いているのだなあ。とすると花は散るときの物悲しい気持ちなどしらないのだなあ。
④去年私が見たものと色も変わらずに花が咲いたのだなあ。とすると花は、様々な色に咲こうという思慮をもたないのだなあ。
⑤去年私が見たものと色も変わらずに花が咲いたのだなあ。とすると花は、院の崩御の悲しみから覚めやらぬ私とは違って院が亡くなっても物思いはしないのだなあ。

問3 傍線部(B)のようにこの歌の作者が詠んだ理由の説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
①一般に、人が家を訪ねるのはその主人を目当てに訪ねるのであるが、この歌の場合、人々が桜の花を目当てに訪ねるから。
②一般に、人が家を訪ねるのはその家の花を目当てに訪ねるのであるが、この歌の場合、人々がその主人を目当てに訪ねるから。
③桜の花は元来物思いをしない明るい存在であるため、その花によって人々が悩みを解消しようと思って訪ねて来るから。
④春になると雪が解けて、残った雪が桜の花のように見えて人々がそれを目当てにやってくるから。
⑤春になると雪が解けて、人々が訪ねることができるようになる山荘の女主人の名前が「花」であるから。


問4 本文の内容と合致しないものを、次のうちから二つ選べ。
①兼久は、通俊の再三のすすめにもかかわらず、謙遜してなかなか歌を披露しなかった。
②兼久の詠歌に対して通俊は、「けり」の多用が一番の難点であると指摘した。
③兼久の詠歌に対して通俊は、「花こそ」は女の子供の名前に相応しいと述べた。
④公任の歌にも「けり」が複数用いられており、「花こそ」という表現も用いられていた。
⑤通俊は、兼久が侍達に向かって述べたことを聞いて、自らの間違いに気づき、恥じ入って、侍に他言しないように語った。
(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、166頁~169頁)



【解答】
問1 (ア)③ (イ)② (ウ)④
問2 ⑤
問3 ①
問4 ①②(順不同)

【解説】
問1 語句の意味を問う問題
・(ア)は多義語。「おのづから」には②「自然と」、③「もしかして」、④「偶然に」の意味がある。兼久は、後拾遺集に入集できるのではと思って披露しに行ったのだから、②④は不適。
・(イ)の「よろし」は最高の程度ではないが、評価できるという程度を表す。
・(ウ)「あさまし」は古文特有の語。プラスにもマイナスにも「おどろきあきれるさま」を表す。

問2 和歌関連問題
・直前の会話から兼久が歌を詠む契機となったのは、後三条院の死。
 それにも関わらず、花は今年も同じように咲いているという対比に注目する。
 上の句と下の句はこの対比。

問3 和歌がらみの理由説明問題
・「花」と「あるじ」の共通点をさぐると、どちらも「それを目当てに人が訪ねるもの」とわかる。
・①はこれを的確にとらえている。
・②は「花」と「主人」とが逆。
・③は「物思いをしない……」という前提が不適切。
・④は「雪が桜のように見えて」という内容は、この歌からも、他の叙述部分からも読み取れない。
・⑤は通俊の主張と同等になってしまい、「大方歌の有様知り給はぬにこそ」と批判されることとなる。これでは「めでたき歌とて、世の人口にのりて申す」ことになるはずがない。

問4 内容不合致問題
・①は通俊は「いかなる歌か詠みたる」とは聞いているが、「再三」すすめてはいない。
 また、兼久は「はかばかしき候はず」と一応謙遜の素振りは見せているが、すぐに作った事情を述べ歌を詠んでいる。
②は確かに通俊は「けり」の多用を評価していないが、「それはさることにて」(それはそれとして、それはもちろんとして)もっと重大な難点「花こそ」があると続けている。

【現代語訳】
今は昔のことになっているが、治部卿の通俊卿が、後拾遺和歌集をお撰びになったときに、秦兼久が通俊卿のもとに出かけていって、もしかしたら自らの歌が後拾遺和歌集に撰集されるのではないかと思って、様子をうかがっていたところ、治部卿が中から出てきて客間にすわっいろいろと話をして、「どのような歌を詠んでいるのか」といわれたので、「これといった歌はございません。後三条院がお亡くなりになった後で、円宗寺に参りましたところ、桜の花の美しさは院が生きていらっしゃった昔にも変わりませんでしたので、おつくり申し上げましたものです」と言って
「去年見たものと色も変わらずに花が咲いたのだなあ。とすると花は院の崩御の悲しみから覚めやらぬ私とは違って物思いはしないのだなあ。
と、おつくり申し上げました。」と言ったところ、通俊卿は、「かなりうまく詠んでいる。ただし、『けれ』、『けり』、『ける』などということは、あまり良いというわけでもないことばである。もちろん、『花こそ』という文字は、女の子の名前にまさにつけるのがふさわしい。」と言って、あまりお誉めにならなかったので、兼久は、言葉少なにその場を立って、家来たちが詰めていた所に寄って、「この(通俊)殿は、全く歌の有様というものを理解していらっしゃらないのであろう。このようなお方が勅撰集の編集の仰せをお受けになっていらっしゃるのは、あきれた事だなあ。四条大納言の歌に
 桜の咲く春が来てはじめて人もたずねて来るのだなあ。とすると山里は、花がその宿の主人なのだなあ。
とお詠みになったのは、すばらしい歌だと言って、世間の人々の評判になって(すばらしい歌だと)申し上げているようであるよ。その歌に、『人も訪ひける』とあり、また『宿のあるじなりけれ』とあるようであるよ。(私が)『花こそ』と詠んだのは、その歌と同じことであるのに、どうして、四条大納言の歌はすばらしく、兼久の詠んだ歌は良くないはずがあろうか。このような人が勅撰集の編集の仰せをお受けになって歌をお撰びになることは、あきれた事である。」と言ってその場から出て行ってしまった。
 家来は、主人の通俊のもとへ行って、「兼久がこうこう申し上げて出て行ってしまったのです。」と話したところ、治部卿は、うなずいて、「そうであった。そうであった。このことをだれにも言うな。」とおっしゃったということだ。

(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、171頁~173頁)