歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪西岡文彦『二時間のモナ・リザ』を読んで 【読後の感想とコメント】その1≫

2020-09-27 16:51:09 | 私のブック・レポート
≪西岡文彦『二時間のモナ・リザ』を読んで 【読後の感想とコメント】その1≫
(2020年9月27日投稿)

【西岡文彦『二時間のモナ・リザ―謎の名画に全絵画史を読む』はこちらから】

二時間のモナ・リザ―謎の名画に全絵画史を読む



【はじめに】


今回以降のブログでは、西岡文彦『二時間のモナ・リザ―謎の名画に全絵画史を読む』(河出書房新社、1994年)に関する感想とコメントを述べていく。

近年、新たに発見された資料によって、『モナ・リザ』のモデルは、リサ・ゲラルディーニであることが裏付けられた。
しかし、この女性について、われわれはどれだけのことを知っているのだろうか。
この疑問には、西岡文彦氏の著作を読んでも、ほとんど答えてはもらえない。『モナ・リザ』へのアプローチが美術史的で、画法を中心に据えて解説されているからである。『二時間のモナ・リザ―謎の名画に全絵画史を読む』(河出書房新社、1994年)では、肖像画の歴史を解説し、『モナ・リザ』の人物と背景とでは、グレーズ(究極のグレーズ手法がスフマート)とインパストといった画法の違いがみられるなど、美術史的には優れた解説をしているのだが。
(但し、西岡文彦氏の『モナ・リザの罠』(講談社現代新書、2006年、48頁~52頁)では「公文書が語るモンナ・リーザの生涯」と題して、ジュゼッペ・パッランティ氏の著書『モンナ・リーザ』に基づいて、若干の記述を試みている)

そこで、アメリカのノンフィクション・ライターであるダイアン・ヘイルズ氏の著作を参考としてみた。彼女はジャーナリストであるが、イタリア語を学び、古文書まで史料として当たっている。いわば、“歴史学的”アプローチで、リサ・ゲラルディーニというルネサンス期を生きた一人の女性像を構築して叙述している。ヘイルズ氏は、本来ジャーナリストであるので、現場(史跡)に足を運び、美術家・研究者などにインタビューし、読者にわかりやすく伝える精神・魂を貫き、文章も読みやすい。そして、リサ・ゲラルディーニの祖先にまで遡り、歴史的事件との関わりなども丁寧に叙述する姿勢を崩さない。
もちろん、リサ・ゲラルディーニ自身は、彼女の祖先のマルゲリータと異なり、何か書き残しているわけでもないので、著者ヘイルズ氏の想像で補わなくては叙述できない所も多々あるが、ヘイルズ氏の著作を読む前と後では、『モナ・リザ』像を見る眼も違ってくることは確かである。一読をおすすめしたい。
このブログで、レオナルド・ダ・ヴィンチやリサ・ゲラルディーニが生きた時代の様相を浮き彫りにできたらと考える。

今回以降のコメントでは、次の3つの柱を念頭においている。
① 西岡文彦氏の他の著作および、ほかの著者の著作を参照して、『モナ・リザ』という絵画の解説をより充実させる。
〇西岡文彦『図説・詳解 絵画の読み方』宝島社、1992年[1997年版]
〇西岡文彦『二時間のゴッホ』河出書房新社、1995年
〇西岡文彦『モナ・リザの罠』講談社現代新書、2006年
〇西岡文彦『謎解きモナ・リザ』河出書房新社、2016年

② ドナルド・サスーン氏、ダイアン・ヘイルズ氏の著作を参照して、『モナ・リザ』という絵画およびリサ・ゲラルディーニという女性について理解を深める。同時にその英文も参照して、語学力の向上を図る。
〇Donald Sassoon, Mona Lisa : The History of the World’s Most Famous Pinting,
Harper Collins Publishers, 2002.
〇Dianne Hales, Mona Lisa :A Life Discovered, Simon & Schuster, 2014.
〇ダイアン・ヘイルズ(仙名紀訳)『モナ・リザ・コード』柏書房、2015年

③ ピーター・バーク氏の著作を通して、15世紀、16世紀のイタリア・ルネサンス期の文化と社会について視野を広げ、傑出した芸術家が輩出される社会的背景について考えてみる。
〇ピーター・バーク(森田義之・柴野均訳)『イタリア・ルネサンスの文化と社会』岩波書店、1992年

【Dianne Hales, Mona Lisa : A Life Discoveredはこちらから】

Mona Lisa: A Life Discovered

【ダイアン・ヘイルズ『モナ・リザ・コード』はこちらから】

モナ・リザ・コード





【読後の感想とコメント】の構想は次のようになっている。
【目次】
<その1>
・ルーヴル美術館鑑賞の悩みの種
・高階秀爾氏による「モナ・リザ」の解説
・『モナ・リザ』の普遍性と多義性
・レオナルドとゴッホのタッチの違い
・西岡文彦氏の『モナ・リザの罠』という著作
・レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯について
・ダ・ヴィンチの晩年と死
・ヴァザーリの「画人列伝」と『モナ・リザ』

<その2>
・美術批評が仕掛ける罠 ウォルター・ペイター
・≪補足≫上田敏と夏目漱石
・吸血鬼呼ばわりされたモナ・リザ
・怪物メドゥーサを描くダ・ヴィンチ
・夏目漱石とモナ・リザの「不惑」

・西岡文彦『謎解きモナ・リザ』という著作
・『モナ・リザ』の特徴について
・モデルたちの肖像
・新発見資料の意外な筆者
・『モナ・リザ』の微笑について
・似顔絵から人物画へ
・『モナ・リザ』の微笑とポライウォーロの肖像画
・はかなき微笑――ハイライトの欠如
・「モナ・リザ」の微笑についての下村寅太郎氏の解釈
・『ミロのヴィーナス』と『モナ・リザ』
・弟子サライと『モナ・リザ』 の売却

<その3>
・レオナルドの鏡面文字の謎
・≪青井伝『ダ・ヴィンチ 謎のメッセージ』の注意点≫
・レオナルドの手稿の謎めいた記述
・レオナルドの終末的なヴィジョン
・「モナ・リザ」を描き始めた教会
・「モナ・リザ」のモデル問題――解説補足
・母カテリーナについて
・リザ・デル・ジョコンドについて
・ダ・ヴィンチとジュリアーノとの出会い、そして「モナ・リザ」

<その4>ドナルド・サスーン氏の著作を読んで
<その5>ダイアン・ヘイルズ氏の著作を読んで
<その6>ピーター・バーク氏の著作を読んで 





さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・ルーヴル美術館鑑賞の悩みの種
・高階秀爾氏による「モナ・リザ」の解説
・『モナ・リザ』の普遍性と多義性
・レオナルドとゴッホのタッチの違い
・西岡文彦氏の『モナ・リザの罠』という著作
・レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯について
・ダ・ヴィンチの晩年と死
・ヴァザーリの「画人列伝」と『モナ・リザ』






ルーヴル美術館鑑賞の悩みの種


戦後日本の西洋美術史研究を牽引してきた高階秀爾氏と中山公男氏による、ルーヴル美術館を解説した本として、高階秀爾・中山公男編『ルーヴル美術館』(社会思想社、1961年[1976年版])という著作がある。社会思想社の現代教養文庫の1冊に入っている。
1961年という出版年からも明らかなように、1986年のオルセー美術館誕生以前の著作であるから、今では、ルーヴル美術館解説書としては、記念碑的著作である。たとえば、現在オルセー美術館に所蔵されている、マネの「草上の昼食」やスーラの「サーカス」も作品解説の対象となっていることからも実感できる。

ただ、高階秀爾氏や中山公男氏がルーヴル美術館を解説した部分は、今日でも参考となるところがある。
〇高階秀爾「美術館の歴史」(131頁~148頁)
〇中山公男「建物とその歴史」(149頁~164頁)
〇中山公男「ルーヴルの奇蹟」(165頁~174頁)
〇高階秀爾「美術館案内」(175頁~190頁)

たとえば、高階秀爾氏は「美術館の歴史」の中で、次のようなことを述べている。
現在、ルーヴル美術館は厖大なコレクションを誇っているが、一朝一夕に出来たものではなく、それどころか、ルーヴル美術館のそもそもの起源は、わずか1ダースほどの作品を集めた個人コレクションだった。その個人とは、レオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに招いた国王フランソワ1世をさす(131頁~132頁)。

そして、高階氏は「美術館案内」においては、パリ観光客にとっての悩みの種のひとつについて、次のように述べている。
「パリを訪れる観光客にとって、悩みの種のひとつは、ルーヴル美術館見物にどれぐらいの時間を予定しておいたらよいかということである。むろん、専門家や研究者は別として、一般の見物客なら、全作品を見ようなどと大それた野望を持つ人はまずいない。ルーヴルには、二十数万点(ママ)という作品が所蔵されている」(175頁)

つまり、パリ観光客の悩みの種のひとつとして、ルーヴル美術館の見物時間の時間配分がわからない点を挙げている。
その所蔵品数を、高階氏は20数万点としている(現在は、38万点以上の収蔵品といわれている)。ここで高階氏は面白い想像をしている。
かりにそれら全作品が並んでいるとして、1点につき1秒というジェット機的超スピードで見るとしても、20何万点(ママ)を消化するには、ざっと60時間かかる勘定であるという。
ルーヴルの開かれているのは朝の10時から夕方5時まで(現在は9時から18時まで)だから、1日7時間、毎日飯も食べずに朝から晩まで1点1秒のわりで見ても、1週間はかかってしまうという恐ろしい代物であるという。
3日間でパリの見物をしようという人にとって、ルーヴルが頭痛の種であるのは、なによりもその桁はずれの厖大な作品数によるのであると、高階氏は思いを巡らしている。

しかし、実際には、どうか。
「ミロのヴィーナス」、「モナ・リザ」など、ルーヴルの名作中の名作だけを見て回るにしても、1点5分ずつ眺めても、6点で30分だが、これらの名品がそう都合よく1カ所にまとまっていてはくれないのである。6点だけしか見ないにしても、30分や1時間の作戦計画では、まず望みがないと思った方がよい。
結局、どのような見かたをするにもせよ、時間だけは十分、余裕を見ておかなければならない。
(高階秀爾・中山公男編『ルーヴル美術館』(社会思想社、1961年[1976年版]、176頁~189頁)

高階秀爾氏による「モナ・リザ」の解説


高階秀爾氏は、先の『ルーヴル美術館』(社会思想社、1961年[1976年版])において、「モナ・リザ」について、どのように鑑賞し、解説しているのだろうか。
まず、次のように、記している。
「ルーヴル美術館の、いや世界中の美術館の数多い名作の中でも、おそらく最もよく知られているこの作品は、長い年月にわたるわずかばかりの変色を除けば、その名声にふさわしい、みごとな調和の美しさを今に伝えている。モデルになったのは、フィレンツェの名士フランチェスコ・ディ・バルトロメオ・ディ・ザノビ・デル・ジョコンドの妻モナ・リザで(ただしこれには異説もある)、レオナルドがその肖像を描き始めたと推定される1503年ごろには、24歳の花の盛りであった」(10頁)

このように、ルーヴル美術館の「モナ・リザ」は、みごとな調和の美しさを今に伝える世界的名作であるとしている。
そしてモデル問題については、異説もあると断わりつつ、フィレンツェの名士ジョコンドの妻リザ説をとり、制作年代については、1503年ごろに描き始めたとみている。

それでは、高階氏は、このモナ・リザの肖像について、どう捉えているのか。
「鋭い観察眼と完璧な技巧にもとづくこのモナ・リザの肖像は、ぼかしの手法を駆使して実在感を強めると同時に、単なる写実を越えて理想的な美の世界に至ろうとする画家の熱烈な憧憬をみごとに示している」(10頁)と記す。
つまり、モナ・リザの肖像は、
① ぼかしの手法を駆使して実在感を強めている
② 単なる写実を越えて理想的な美の世界に至ろうとする画家の憧憬を示している

そして、具体的には、どこに美しさが表されているのか。
「おちついた、しかも内省的な顔の表情、重ねられた手の美しさ、豊かな着物の質感、背景の幻想的風景などすべてが絵画の達しうる最高の表現に達している」(10頁)と記す。
つまり、その美しさについては、
① おちついた、しかも内省的な顔の表情
② 手の美しさ
③ 着物の質感
④ 背景の幻想的風景
を挙げている。

西岡文彦氏も、今回紹介した本『二時間のモナ・リザ』(河出書房新社、1994年)で、「モナ・リザ」の美しさとすばらしさについて言及していた。
・やはり見事なのが表情の描写で、とりわけ有名な微笑を浮かべる口もとは、どれだけ眼をこらしてみても、人間が筆で描いたものとは思えない(62頁)
・『モナ・リザ』の真価は、手描きでありながら手描きに見えない点にこそ、発揮されている(63頁)
・まるで写真のように筆跡が見えない『モナ・リザ』のぼかしは、このグレーズの極致である(65頁)
・『モナ・リザ』の神秘的な表情は、「スフマート」という手法によって描かれている(70頁)
・遠景の風景のインパストは、未完ではなく、意図した奔放の筆致である(78頁)
・『モナ・リザ』は、レオナルドの創作の頂点であると同時に、中世以降300年にわたるヨーロッパ芸術の総決算である。(中略)この高みに立って、絵画の足どりを眺めることは、全絵画史を展望することにも通じている。謎の微笑のスフマートに、過去数世紀の絵画技術の精華を見出し、遠景の峩々たる山脈のインパストに、はるか未来の絵画の革新を予見することに通じている(139頁~140頁)
・画中の人物の存在感と生命感における、絵画史上最高の表現は、『モナ・リザ』において示されている。ポライウォーロの魅惑の微笑は、『モナ・リザ』の神秘の微笑を予見している(166頁)
・神秘的で生彩に富んだ微笑と共に、『モナ・リザ』の画面に不可思議な雰囲気を与えているのが、広大なひろがりを見せる、背後の風景である(170頁)
・晩年の傑作『モナ・リザ』は、「北」的な空気遠近法による、北方絵画にも類例のない幽玄なる野外空間の表現例である(174頁)
・『モナ・リザ』の画面は、その幽玄にして神秘的なる、造形の秘密を物語ってくれる(183頁)
・画面背景の左右での象徴性の違いは、中世来の伝統的なもので、『モナ・リザ』の背景を考えるにあたって、重要な意味を持っている(184頁)
・同じ高台構図で描いた『モナ・リザ』は、「北」にも例がないほどの写実性で、深遠で幽玄な空間を描き出している。同じ構図であるだけに、両者の対比はあざやかである(190頁)
・『モナ・リザ』は、このレオナルドの「はかりがたさ」の、極致を示す作品である(中略)『モナ・リザ』をめぐる無数の論評が、必ずや身にまとうことになる神秘性は、この「はかりがたさ」の、言葉による表出である(194頁)
・『モナ・リザ』は、「個」のために「普遍」を捨てることを諫めたレオナルドが、「個」のなかに「普遍」を描き出してみせた作品である(202頁)
・『モナ・リザ』のさらに驚くべき特徴は、人間「というもの」そのものの「はかりがたさ」を描きつつ、なお人物に、特定の個人を描いたとしか思えぬ実在感を与えていることである。この矛盾を含んだ両義性においてレオナルドを凌駕した画家はいない(203頁)
・『モナ・リザ』は、人物画というジャンルを確立した作品である。単なる似顔絵を超えた「個」の画像のなかに、人間としての「はかりがたさ」を描き出すことで、ルネッサンスの肖像画を、普遍的な人間像の表現に高めることに成功した作品である(211頁)
・『モナ・リザ』は、その背景には奔放の筆致を見せつつも、画面前面の人物には、まさに明鏡止水、人間の「手」の介在を思わせぬスフマートの神技を駆使している(216頁)
・神技スフマートをもって、それ以前、いかなる画家も描き得なかった「はかりがたき」微笑を描出した『モナ・リザ』は、外見のみならず、精神までを描く人間像の、最初期にして最高の作品である(230頁)

以上のように、西岡文彦氏は『モナ・リザ』の魅力と美術史における位置づけについて述べていた。
高階秀爾氏が挙げた『モナ・リザ』の美しさについて、さらに発展させて、的確に『モナ・リザ』について考察を深めているのがわかる。

【高階秀爾・中山公男編『ルーヴル美術館』社会思想社はこちらから】

ルーヴル美術館 (1961年) (現代教養文庫)

『モナ・リザ』の普遍性と多義性


小難しい小見出しをつけてみたが、西岡文彦氏のモナ・リザ論の本質的な部分を表わすには、普遍性と多義性というキーワードが不可欠であると考えた。
西岡氏によれば、『モナ・リザ』は、深い意味での人間存在そのものの普遍性を託して描かれているとする。西岡文彦氏の他の著作『図説・詳解 絵画の読み方』(宝島社、1992年[1997年版])を参照しながら、もう少し『モナ・リザ』についての解説を補足しておきたい。

肖像画の前で鑑賞者が、描かれた人物を特定するために、持ち物や背景にヒントを捜すことをやめ、人間そのものについて考えてみることができるようになったのは、『モナ・リザ』に代表される普遍的な人間性の描写に、絵画が成功して後のことであると主張している。

ところで、ある個人の面影を記録するために発生したのが、肖像画である以上、絵画史の大半の時代にあって、肖像画は、特定の個人の特徴を記録することを最優先に描かれ、眺められてきた。そして、個人の肖像画であれば、人物を特定するためのヒントになる持ち物や装飾品類が描き込まれている。

レオナルド自身の作品を見ても、『二時間のモナ・リザ』でも言及されていたように、次の作品はそうであった。
〇レオナルド20代前半の作『ジネヴラ・デ・ベンチの肖像』1474~76年
〇レオナルド30代後半の作『白貂を抱く婦人像』1490年頃
〇レオナルド30代後半の作『ある音楽家の肖像』1490年

『ジネヴラ・デ・ベンチの肖像』では、背景の木の名前「ジネプラ(びゃくしん)」が彼女の名前の語呂合わせであった。『白貂を抱く婦人像』は、ルドヴィコ・スフォルツァの愛人チェチェリア・ガレラーニを描いたと言われるが、白貂は、ルドヴィコ家の紋章であった。また、『ある音楽家の肖像』では、楽譜を持ち、音楽家であることを表わしている。

ところが、この種のヒントが『モナ・リザ』の画面には皆無である。『モナ・リザ』は誰を描いたものなのかとの疑問を胸にじっくりと画面を観察してみると、レオナルドが画面から特定の個人を表わす情報を徹底して排除していることに気づく。
(もっとも、まったく飾りのない、喪服を思わせる黒い服を着てはいるが)

『モナ・リザ』には、ひとつの人間を描きながら、人間という存在一般を描くという、近代以降の肖像画の形式のもっとも先駆的な例を見い出すことができる。つまり、「誰でもない誰かを描く肖像の普遍性」が『モナ・リザ』にはあるというのである。

ところで、レオナルド、ミケランジェロと並んで、ルネッサンスを代表する画家であるラファエロは、制作中の『モナ・リザ』を見て、感動を受けた。そして、幾つもの『モナ・リザ』様式の作品を残しているが、次の作品もその一つである。
〇ラファエロ『若い婦人の肖像』1505年頃
若きラファエロのこの種の作品が、『モナ・リザ』の到達した境地を知る上で、貴重な資料となっている。それらと比較することで、かえって『モナ・リザ』の完成度と表現の特質が明確になる。

ラファエロの作品は、いかに『モナ・リザ』の形式を模倣しようとも、けっして「誰か」の肖像であることをやめようとしない。むろん若いラファエロには、レオナルドのように純粋に自分の探求心を満たすためだけに作品を描くという、物心両面での心のゆとりが、なかったことは事実である。しかし、なまじ似ているだけに、これらの作品との比較によって、『モナ・リザ』の描写の完成度が際立ってしまうのである。
(とはいえ、ラファエロもルネッサンスの芸術的な決算を行なったと言える天才である。晩年には、彼なりに『モナ・リザ』的な境地に達している。『バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像』[1515年頃]がそれである。画面は個人的特徴を明瞭に示した肖像画としての機能を発揮しながらも、人間の普遍的なイメージの表現に成功していると西岡氏は評している)

同じことは、近代写実絵画の巨匠コローが描いた『モナ・リザ』風の肖像画『真珠の女』(1870年頃)にも言える。
これもレオナルドに対する敬意をこめて描かれた習作である。それにしても、両者を比較すると、技術と精神性において『モナ・リザ』の到達した孤高の域を実感する。

ところで、言葉では「普遍性」と簡単に言えるものの、そのイメージを視覚的に表現するのは、容易なことではない。
言葉は便利な手段である。たとえば、「喜びのなかにも一抹の悲哀をたたえた印象の微笑」などと書いてしまえば、それなりに通じてしまう。文字ならば、曖昧に印象をぼかすことができる。
ところが、そうした印象を、絵筆をもって画面に実際に目に見える絵画で表現するのは、至難の技である。「普遍的」と言葉で書くのと、これを絵筆をもって画面に、実際のイメージとして描き出すのでは、その困難の度合いが本質的に違う。

「普遍性」のイメージを視覚的に表現する際、具体的には無限と言えるほどに「多義的」な描写を実現できなくては、画面にそのイメージをもたらすことができないと西岡氏は考えている。
たとえば、表情である。顔面の筋肉の微妙な動きを再現し、自然な表情として画面に再現しつつも、いざその感情を特定しようとすると、喜びとも悲しみともつかない表情をたたえていなくては、この「普遍」のイメージは描出できないと説明している。

性格描写も同じであるという。真実味のある描写で、深い人間味を表現していながら、これもいざ特定しようとすると、どういう性格であるかが、判然としない人格が描けなくては、「普遍的」な人間像は描けるものではない。
たとえば、古来、『モナ・リザ』に感動して描かれた肖像画は多いが、似せれば似せるほど、その本質は異なってしまう。そしてレオナルドの技量を逆に証明することになってしまう。
『モナ・リザ』に「似て非なるもの」として、次の作品を西岡氏は列挙している。
〇レオナルドの下僕で無能な弟子であったサライが描いた『モナ・リザ』
〇弟子のひとりベルナルディーノ・ルイーニが描いた『モナ・リザ』
〇フィリップ・ド・シャンペーニュオスロー『モナ・リザ』(1525年の模写)

さて、伝説的な『モナ・リザ』の微笑にしても、喜びの笑みであるのか、あきらめの笑みであるのかは、判然としない。
右半分の顔が哀しみの表情を、左半分が喜びの表情を浮かべているという描写の相剋が名状しがたい、神秘的な微笑を生んだとは、よく言われることである。
レオナルドが制作中に、喪に服す彼女を慰めるために、楽師を雇って演奏させたという伝説なども、この微笑の神秘性ゆえに生まれたと言えると解説している。

※この『図説・詳解 絵画の読み方』(宝島社、1992年[1997年版])においては、左右の表情が異なるとする見解に立っているが、のちの西岡文彦『謎解きモナ・リザ』(河出書房新社、2016年)では、「斜めに交差するかたちで描かれた対立する表情」によって、微妙な表情はかもしだされていると見解を修正している。西岡文彦『謎解きモナ・リザ』河出書房新社、2016年、34頁~35頁参照のこと。
西岡文彦氏は、その「文庫版あとがき」で断っているように、『謎解きモナ・リザ』は、『モナ・リザ』解説の決定版とすることを目指して、『二時間のモナ・リザ』を全面改稿したものだとする。西岡文彦『謎解きモナ・リザ』河出書房新社、2016年、228頁参照のこと)

ルネッサンス期において、こうした「普遍的」なイメージを描いた作品として、『モナ・リザ』および『バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像』を西岡氏は捉えている。
両作品とも、この視覚的な離れ業をみごとに演じている。
そこには、特定の「誰か」の面影ではなく、「どこにもいそう」でいて、同時に「どこにもいない」という、人間一般のイメージが、表情、性格等のかぎりなき多義的な表現をもって、あざやかに視覚化されている。
コローの作品や若きラファエロの作品には、この描写の多義性が見られない。

さらに、『モナ・リザ』の描写の多義性は、性別をも超えているという。普遍的な人間のイメージとして、男と女の境を超えた描写に成功している。『バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像』が、女性的な面影をたたえているのも、そのポーズとともに、『モナ・リザ』の影響を反映したものと西岡氏はみている。

『モナ・リザ』の両性具有性すなわち天使性は、しばしば話題にされる。『モナ・リザ』とレオナルドの自画像とされる有名な素描をコンピュータで解析し、『モナ・リザ』はレオナルドの顔を女性化した変則的な自画像であるとの大胆な仮説も提出されている。
この『モナ・リザ』自画像説の真偽はともかくとして、『モナ・リザ』にせよ、『自画像』にせよ、レオナルドの人物像が常に人間の「普遍的」なイメージの描出を目指して制作されていたと西岡氏は説いている。
(西岡文彦『図説・詳解 絵画の読み方』宝島社、1992年[1997年版]、76頁~85頁)

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レオナルドとゴッホのタッチの違い


西岡文彦氏は、『二時間のゴッホ』(河出書房新社、1995年)において、レオナルド・ダ・ヴィンチとゴッホの絵画のタッチの違いについて指摘している。

ゴッホは、アルルでゴッホになったといわれる。
アルルの滞在期間は、14カ月半である。『ひまわり』をはじめ、大半の代表作を含む200点の作品が、この35歳の初春から440日間に描かれている。

この440日間には、「耳切り事件」での2週間の入院、その直後に起こした発作による警察命令の10日間の強制入院、さらには、不安を感じたアルル市民の要請で強制隔離された2カ月が含まれている。
2日で1点という猛烈な速度で絵を描きながら、狂気の天才としての生涯を伝説化する大事件をも起こした14カ月半であったと西岡氏は説明している。

この駆け抜けるような速度感は、そのままゴッホの画風を特徴づけているようだ。つまり、写真のような陰影描写や細かい線による細密描写は、ゴッホとは無縁のものである。画面上に筆で混ぜ合わせた厚塗りの絵の具と、ぐいぐいと押すようにして引かれた太く短い線が、ゴッホのタッチを特徴づけている。いずれも、早描きに特有のものである。

ところで、油絵は水彩と違って絵の具の乾きが遅い。一般に、初心者の油絵に濁った色が多いのは、この乾きの遅さが待ちきれず、生乾きの絵の具に次の色を重ね塗りして混ぜてしまうためであるようだ。
下塗りの乾燥を待ちながら、じっくりと加筆していくのが、油絵の王道とされる。『モナ・リザ』は、この王道で描かれた油絵であると西岡氏は強調している。つまり、『モナ・リザ』の微妙な表情などは、薄めに溶いた絵の具の膨大な回数にわたる塗り重ねの効果であるという。
この王道をゆかず、せっかちな描き方をすれば、どうなるか? 絵の具は画面上でパレットさながらに練り合わされ、線は引くそばから、下地と混ざって色が変わってしまう。

ゴッホの『ひまわり』を見れば明らかなように、このいずれもがゴッホの絵画の特徴となっている。画面のダイナミックな迫力は、混じり合う絵の具の厚塗りと、下地を引きずるようにして色を変えていく線の躍動感から生じてくる。
ゴッホの作品は、力強いタッチの集積である。一色で平らに塗られた色面も、よく見ると、生々しい筆の跡で埋められている。
(西岡文彦『二時間のゴッホ』河出書房新社、1995年、62頁~64頁)

【西岡文彦『二時間のゴッホ』河出書房新社はこちらから】

二時間のゴッホ―名画がわかる、天才が見える

西岡文彦氏の『モナ・リザの罠』という著作


西岡文彦氏が「モナ・リザ」をテーマとした著作には、『二時間のモナ・リザ』(河出書房新社、1994年)に引き続き、『モナ・リザの罠』(講談社現代新書、2006年)がある。
この著作内容を簡単に紹介しておこう。
まず、目次からみてみる。



西岡文彦『モナ・リザの罠』(講談社現代新書、2006年)の目次
【目次】
モナ・リザの罠――まえがきに代えて
第一章 モデルは、なぜ謎になったのか
第二章 美術批評は、なぜ意味不明になったのか
第三章 謎の風景を探検する――風景画の歴史
第四章 神秘の微笑を解剖する――人物画の歴史
おわりに
参考文献






『モナ・リザの罠』の前半では、ダ・ヴィンチという天才のプロフィールを述べるとともに、ウォルター・ペイターなどの『モナ・リザ』論の古典や、明治大正の日本の『モナ・リザ』観も紹介している。知らずのうちに私たちに影響を与えている言葉を知ることは、この『モナ・リザ』という絵に自分自身の目で向かい合うためには、大切な意味を持っている。
後半では、『モナ・リザ』を見る手がかりとして、この絵が美術史上に成し遂げたことを紹介している。この『モナ・リザ』という絵は、ヨーロッパの精神を二分するゲルマンとラテンという気質を巧みにブレンドしてみせることで、画期的な成功をおさめていると、西岡氏は捉えている。すなわち、「ヨーロッパ精神をアルプス以北と以南に二分するゲルマンとラテンの気質が、この『モナ・リザ』という一枚の絵画作品のなかでは、もっとも幸福なかたちで結合し昇華しているのです」(174頁)という。このように、ヨーロッパ精神の底流となった二大気質が絶妙にブレンドされているとみる。そのダ・ヴィンチのブレンドの妙こそ、『モナ・リザ』の神秘の微笑や謎めいた風景の正体が隠されているとする。

人間の描き得た顔で、この『モナ・リザ』という絵以上に精妙に描かれたものは存在しないと西岡氏は理解している。とりわけ口の両側から頰にかけての陰影の微妙なスフマートのみごとさは、人間が描いたものとは思えないほどであるとみる。
かりに、この絵がリーザ・デル・ジョコンドを描いたものであったにしても、ダ・ヴィンチが描こうとしていたものは、そのリーザの持つ人間としての普遍性にほかならなかったと主張している。つまり、誰でもあると同時に、誰でもないような、そんな人間像を描こうとしていたようだ。この「誰でもある」ようなリアルな感覚を描くのに、北のゲルマンの写実主義と新技術の油絵は最大の貢献をした。そして、どの「誰でもない」という理念性を描き出すにあたって、南のラテンの理想主義的な気質は不可欠なものであったと西岡氏は考えている。

繰り返せば、前半では、『モナ・リザ』という絵に時代や風土が仕掛けた罠を解読している。また後半では、ダ・ヴィンチ自身が『モナ・リザ』という絵に仕掛けた罠の解明を試みている。慣れという罠が『モナ・リザ』を見る目をくもらせているので、その呪縛の束縛を逃れて、『モナ・リザ』の真の魅力を見出すための本として執筆したという。『モナ・リザ』へのさらなる敬意と愛着のきっかけとなることを願っていると記す。
(西岡文彦『モナ・リザの罠』講談社現代新書、2006年、9頁~11頁、173頁~182頁)

西岡氏によれば、モナ・リザ・ミステリー最大の謎は、レオナルド・ダ・ヴィンチの膨大な手記のどこをさがしても、『モナ・リザ』に関する記述が1行も見当たらないことだという。
無類のデッサン家であったダ・ヴィンチが、多数の素描と共に膨大な手記を残した。解剖や自然観察や発明のための精緻なデッサンとメモに加えて、母と思われるカテリーナの葬儀費用の明細から弟子サライが財布から盗んだ小銭の額までを几帳面にメモしている。その記録マニアのダ・ヴィンチが、生涯手放すことがなかった最愛の絵画『モナ・リザ』について、1行も記していない。『モナ・リザ』をめぐるミステリーのうちで最大の謎は、この記述の不在であるかもしれないというのである。
もっとも、レオナルド・ダ・ヴィンチの手記の多くは失われ、残存するものは全体の4割にも満たない。総数1万5千ページにものぼった手記のうち、9000ページを見ることができない計算になる。
20世紀になってからも、350ページという大量の手記が、マドリッドの国立図書館の古文書資料から発見されている(通称「マドリッド手稿」。1967年発見)。人知れずどこかに眠っている未発見の手記があり、ダ・ヴィンチ自身が『モナ・リザ』について書き記した資料が残されている可能性も皆無ではないのだが。
(西岡文彦『モナ・リザの罠』講談社現代新書、2006年、174頁~176頁)

さて、『モナ・リザ』に関連して、西岡文彦『モナ・リザの罠』(講談社現代新書、2006年)の中から、下記の興味深そうなテーマについて、内容を紹介してみたい。
・レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯について
(ダ・ヴィンチの晩年と死)
・ヴァザーリの「画人列伝」と『モナ・リザ』
・美術批評が仕掛ける罠 ウォルター・ペイター
・≪補足≫上田敏と夏目漱石
・吸血鬼呼ばわりされたモナ・リザ
・怪物メドゥーサを描くダ・ヴィンチ
・夏目漱石とモナ・リザの「不惑」


【西岡文彦『モナ・リザの罠』講談社現代新書はこちらから】

モナ・リザの罠 (講談社現代新書)

レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯について


レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯について、西岡氏は、『モナ・リザの罠』(講談社現代新書、2006年)において、次のように簡単に述べている。

レオナルド・ダ・ヴィンチは1452年、フィレンツェ近郊ヴィンチ村に公証人セル・ピエロ・ダ・ヴィンチ(26歳)の婚外児として生まれている。名前にある「ダ・ヴィンチ」は「ヴィンチの」という意味である。
生みの母カテリーナは同村の農家の娘で、この時25歳。父は間もなくフィレンツェの良家の娘アルビエーラ・アマドーリ(16歳)と結婚し、ダ・ヴィンチは父の家に引き取られることになる(4歳まではエカテリーナのもとにいたとする説もある)。
育ての母アルビエーラが難産で死亡したのが1464年。ダ・ヴィンチ12歳の時のことだった。この若い母はダ・ヴィンチを可愛がったというから、彼女の死はダ・ヴィンチにとっては2度目の「母」の喪失だったことになる。翌年、父が後妻に迎えた名門ランフレディーニ家の娘は、ダ・ヴィンチとはわずか3歳違いであった。
ダ・ヴィンチの聖母像には、我が子との別れを予見したかのような哀しいあきらめのにじむ微笑を浮かべたものが多く見られるが、そうした描写は、こうした彼の生い立ちと無縁ではないであろうと解釈されている。
また、ダ・ヴィンチの父親は78歳で死亡するまでに4度結婚し、3番目と4番目の妻との間に11人もの子供をもうけた。当初、姉ほどの年齢であったダ・ヴィンチの「母」は、父の再婚と共に徐々に妹や娘にあたる年齢へと若返り、ダ・ヴィンチの24歳下の弟から始まって、52歳下の末弟に至る11人の兄弟姉妹を産んだことになる。

ダ・ヴィンチはそんな精力的な父親に反発を覚えていたであろう。彼の手記には、「肉欲を抑制しない者は獣(けだもの)の仲間になれ」とある。
ダ・ヴィンチの女性に対する嫌悪感には、少なからず父親の影が差しているとされている。
(西岡文彦『モナ・リザの罠』講談社現代新書、2006年、33頁~35頁)

ダ・ヴィンチの晩年と死


西岡文彦氏には、近著『謎解きモナ・リザ』(河出書房新社、2016年)がある。その中で、「名画と画家の真実」と題して、ダ・ヴィンチの晩年と死について論じている。
(西岡文彦『謎解きモナ・リザ』河出書房新社、2016年、78頁~81頁)

臨終の地フランスのアンボワーズに老ダ・ヴィンチを招いたのは、フランス国王のフランソワ1世であった。
フランソワ1世は、フランスに、イタリアに匹敵する芸術をもたらそうとして、ミケランジェロ、ラファエロにも招聘しようとした。しかし、両者は本国イタリアでの仕事が忙しく、本国で不遇にあった晩年のダ・ヴィンチのみがこの招きに応じることになった。フィレンツェ、ミラノ、ローマと各地を転々と放浪し続けた失意のダ・ヴィンチは、このアンボワーズで、平穏を得る。
(他界は、その3年後のことである)

晩年のダ・ヴィンチに安息の地を提供したフランソワ1世は、この万能の天才を父のごとく慕い、彼のもとを訪れ、彼と会話することを何より好んだそうだ。
ダ・ヴィンチはこのフランソワ1世の腕の中で息を引き取ったとヴァザーリは書いている。しかし、ダ・ヴィンチの没時にフランソワ1世が別の場所に居たことが確認されているので、この記述は歴史的な事実には反している。
このヴァザーリの本は、史書というより説話ないしは寓話として、読むべきともされているが、そうした事実に反する記述にこそ、史実をかいま見ることができるという意見もある。

美術史家の摩寿意善郎(ますいよしろう)氏は、ヴァザーリは、「事実」とは反する「虚構」によってこそ、「真実」を語ろうとした、と語っている。ヴァザーリの伝えようとした「真実」を集約する言葉であるかもしれないと西岡氏は評している。
(後述するように、このことは若桑みどり氏から西岡氏が学んだことでもある)
ダ・ヴィンチがフランス王の腕の中で没したとする、事実に反する記述には、祖国では不遇であった巨匠が晩年に初めて異国で得た厚遇が象徴されていると考えられるからという。
フランソワ1世が、ダ・ヴィンチの訃報に涙したのは事実らしい。

ダ・ヴィンチの死後、フランソワ1世は、『モナ・リザ』をはじめとする絵画19点を、古代ギリシア・ローマ彫像の石膏像と共に、最初のフランス王室コレクションとした。
これらの作品は、フランソワ1世の居城フォンテーヌブロー宮に置かれ、王室の賓客をもてなした後、長い時を経てセーヌ河畔の古城ルーヴルに移されることになる。
そういう意味では、『モナ・リザ』は、フランス王室コレクションに「入った」のではなく、フランス王室コレクションそのものが『モナ・リザ』から始まったとさえいえると西岡氏は記している。

ダ・ヴィンチは、フランソワ1世の腕の中で息を引き取ってはいなかったものの、その最愛の作『モナ・リザ』が、フランスの至宝として、今なおルーヴルの懐(ふところ)に抱かれ続けていることは、まぎれもない真実であると西岡氏は理解している。
フランソワ1世の腕の中で息を引き取ったという、伝説的なレオナルドの死を絵画に残した代表的な画家がいる。メナジョ(1744~1816)とアングル(1780~1867)である。2人の画家は『ダ・ヴィンチの死』というタイトルの次のような絵画を描いた。
〇メナジョ『ダ・ヴィンチの死』1781年 油彩 アンボワーズ美術館
ダ・ヴィンチの死の場面を描いた最初の近代絵画であり、古代の英雄の死の場面になぞらえて描かれている

〇アングル『ダ・ヴィンチの死』1818年 油彩 プティ・パレ美術館
巨匠の死の場面をヴァザーリ「画人列伝」の記述に基づいて描いた近代絵画である
(西岡文彦『謎解きモナ・リザ』河出書房新社、2016年、78頁~81頁)

【西岡文彦『謎解きモナ・リザ』河出書房新社はこちらから】

謎解きモナ・リザ (河出文庫)


ヴァザーリの「画人列伝」と『モナ・リザ』


ヴァザーリが生まれたのは、1511年である。
『モナ・リザ』がダ・ヴィンチ自身の手によって、イタリアからフランスに持ち去られた後のことである。だから、ヴァザーリ本人はこの絵を見たことはない。ヴァザーリの『モナ・リザ』に関する説明は、フィレンツェに残されていた『モナ・リザ』を実際に見た人々の感想に基づいた伝聞にすぎない。歴史の記述に伝聞が入るのは、やむを得ない。

ヴァザーリが、ルネッサンスの芸術家の生涯と作品を系統的に紹介した本として、『イタリアの最もすぐれた建築家、画家、彫刻家の生涯』(1550年)がある。今日のルネッサンス美術研究の最大の資料となっている。レオナルド・ダ・ヴィンチの伝記なども、この「画人列伝」に拠っている。

ルーヴルの至宝となっている『モナ・リザ』命名の根拠も、次のヴァザーリの一文である。
「レオナルドはフランチェスコ・デル・ジョコンドのために、その妻モナ・リーザの肖像画を描くことになった。そして4年以上も苦心を重ねた後、未完成のまま残した。この作品は現在フランスのフランソワ1世の所蔵するところとなり、フォンテーンブロー宮にある。(平川祐弘・小谷年司・田中英道訳『ルネッサンス画人伝』白水社より)

ダ・ヴィンチ自身は、この絵については1行の記録も残していないし、当時の習慣で題名もつけていないから、このヴァザーリの文章が『モナ・リザ』説の最大の根拠となっている。
なお、フランチェスコ・デル・ジョコンドは、フィレンツェの絹織物商で、その名は妻リーザと共にフィレンツェ公文書保存館の不動産登記簿にもはっきりと書かれている。実在した人物であることが明らかにされた。

ところで、一般に、ヴァザーリの「伝記」としての記述には、今日の歴史研究に照らすと、不正確な記述も少なくない。これは、当時はまだ学術書と文学の区分が今日ほど明確ではなく、このヴァザーリの本も、イタリアに特有の「説話文学」の形式を取り入れて書かれているためともいわれる。
ダ・ヴィンチ関係の記述では、彼がフランス国王フランソワ1世の腕のなかで息をひきとるという場面がある。しかし、これは今日では完全に間違いであることが確認されている。ダ・ヴィンチが亡くなった時、フランソワ1世がフランス国内にいなかったことがはっきりしているからである。
(だから、先に紹介したレオナルド・ダ・ヴィンチの臨終の場面を描いた絵、つまりメナジョ(1744~1816)とアングル(1780~1867)が描いた『ダ・ヴィンチの死』という絵は想像の産物ということになる)

さて、こうしたヴァザーリの「誤記」について、どのように考えたらよいのか。
この点について、西岡氏は示唆的なことを記している。
西岡氏が30代初めに、若桑みどり氏の連続講義を聞いた際に、感銘を受けた言葉があったという。
「確かにヴァザーリの記述には<事実>に反することは多いですから、それを<虚構>と批判することはできるでしょう。ですが、大切なのは、ヴァザーリがその<事実>に反する<虚構>をもって描こうとした、<真実>の方にこそあるのです」

この「虚構をもって真実を語る」という表現が、西岡氏にとって、忘れられない言葉となる。この言葉から予想もしなかった知恵をもらうことになったという。「虚構」も「真実」のためには許されると安易に解釈することは慎むべきであるが、人になにかを伝える場合は、それが「事実」であることに慢心せず、なによりも自分で信じている「真実」や、伝えたいと思っている「真実」に照らして妥当なものかという点検が欠かせない。意図的に選択された「事実」よりは、「虚構」とのそしりを覚悟してでも、みずから信じる「真実」の方に誠実でありたいと願うようになったそうだ。これは、ヴァザーリに関する若桑みどり氏の講義から得た“財産”になったと述べている。

西岡氏が敬愛する社会学者の内田義彦氏の『社会認識の歩み』(岩波新書)の中に、「本が面白く読めたというのは、本を読んだのではなく、本で世の中が、世の中を見る自分が読めたということです」という言葉がある。これは、西岡氏のモットーとする言葉であり、深い知恵を語っているとする。つまり、ほんとうに面白い本や学問というのは、それを学ぶことによって、世の中や自分自身のことが「読める」ようなもののことである。

ルネッサンス美術に当てはめてみると、ヴァザーリ「を」読むというより、むしろヴァザーリ「で」読むための知恵を教わったという。「事実」に反する「虚構」が「真実」を物語ることもあるという深い知恵によって、眼を大きく開くことが大切だとする。
歴史的な事実に反しているという理由だけで、ヴァザーリが「虚構」のかたちを借りて伝えようとした「真実」に思いをこらすことをやめないことを心がけたいと述べている。
(西岡文彦『モナ・リザの罠』講談社現代新書、2006年、32頁~33頁、41頁~43頁、95頁~99頁)

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モナ・リザの罠 (講談社現代新書)