歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪ピケティ『21世紀の資本』にみえるバルザックの『ゴリオ爺さん』 その3≫

2021-05-01 19:36:27 | フランス語
≪ピケティ『21世紀の資本』にみえるバルザックの『ゴリオ爺さん』 その3≫
(2021年5月1日投稿)




【はじめに】


 前回のブログでは、バルザックの『ゴリオ爺さん』に登場するヴォートランのお説教を主にテーマに取り上げた。この主題は、トマ・ピケティ氏の『21世紀の資本』全体を貫くテーマでもある。ピケティ氏の『21世紀の資本』には、その時代の社会経済的状況を物語る小説が随所に登場する。バルザックとオースティンの小説は、19世紀という時代と社会を映し出す鏡のような存在である。
 今回のブログでも、『21世紀の資本』にみえるバルザックの『ゴリオ爺さん』を考えてみたい。ヴォートランのお説教の主題は、要するに、労働所得(勉強、勤労、能力)と相続財産との“せめぎ合い”である。
 ピケティ氏は、その“せめぎ合い”の歴史を19世紀から21世紀にかけて、どのように捉えているのか。この点に焦点をしぼって、『21世紀の資本』の内容を紹介してみたい。
 なお、重要な箇所はフランス語の原文を併記することにした。



【トマ・ピケティ(山形ほか訳)『21世紀の資本』みすず書房はこちらから】

21世紀の資本


【Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Seuilはこちらから】

Le Capital au XXIe siècle (Les Livres du nouveau monde) (French Edition)



さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・富の性質――文学から現実へ(第3章)
・公的債務で得をするのは誰か(第3章)
・歴史的に見た資本収益率(第6章)
・20世紀の大きなイノベーション(第7章)
・長期的な相続フロー(第11章)
・ラスティニャックのジレンマ(第11章)
・不労所得生活者と経営者の基本計算(第11章)
・古典文学に見るお金の意味(第2章)






富の性質――文学から現実へ (第3章)


「第3章 資本の変化 富の性質――文学から現実へ」において、次のようなことが述べてある。

文学は、イギリスとフランスでの富を語る導入部として、うってつけである。

オノレ・ド・バルザックやジェイン・オースティンが小説を書いた19世紀はじめ、富の性質は、あらゆる読者にとって、かなり明確だった。
富はレントを生み出すものだった。
(レントとは、資産の所有者があてにできる定期的な支払いのことである。多くの場合、その資産とは、土地あるいは国債だった)

ゴリオ爺さんが所有していたのは国債、ラスティニャック家のささやかな財産は土地であった。
『分別と多感』の登場人物のジョン・ダッシュウッドが相続する遺産も、ノーランドの広大な農地である。
ほどなくジョンに追い出された義妹のエリナーとマリアンは、父親が遺したわずかな資本である国債の利息でやりくりしなければならない。

19世紀の古典的小説には富が頻出する。資本の大小や所有者はさまざまだが、たいへいは土地か国債のどちらかである。

原文には次のようにある。
Chapitre 3. Les métamorphoses du capital
La nature de la fortune : de la littérature à la réalité

Quand Balzac ou Jane Austen écrivent leurs romans, au
début du XIXe siècle, la nature des patrimoines en jeu est a
priori relativement claire pour tout le monde. Le patrimoine
semble être là pour produire des rentes, c’est-à-dire des
revenus sûrs et réguliers pour son détenteur, et pour cela
il prend notamment la forme de propriétés terriennes et de
titres de dette publique. Le père Goriot possède des rentes
sur l’État, et le petit domaine des Rastignac est constitué de
terres agricoles. Il en va de même de l’immense domaine
de Norland dont hérite John Dashwood dans le Cœur et la
Raison (Sense and Sensibility), et dont il ne va pas tarder à
expulser ses demi-sœurs, Elinor et Marianne, qui devront
alors se contenter des intérêts produits par le petit capital
laissé par leur père sous forme de rentes sur l’État. Dans le
roman classique du XIXe siècle, le patrimoine est partout, et
quels que soient sa taille et son détenteur il prend le plus
souvent ces deux formes : terres ou dette publique.
(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.184.)


21世紀の視点からとらえると、土地や国債といった資産は古めかしく感じられる。資本がもっと「動的」といわれる現代の経済、社会の実情とは無関係と考えたくもなる。
たしかに、19世紀の小説の登場人物は、民主主義と能力主義の現代社会では、いかがわしい存在とされる、不労所得生活者の見本に思われることが多い。
でも、あてにできる安定した収入を生み出す資本資産を求めるのは、至極自然なことである。
(経済学者が定義する「完全」資本市場の目標である)

よく見ると、19世紀と20世紀というのは、一見したほどちがうわけではないようだ。
まず、この2種類の資本資産(土地と国債)は、それぞれまったくちがう問題を提起するので、19世紀の小説家たちが物語の都合上やったように、ぞんざいにまとめるべきではない。

つきつめれば、国債とは、国民のある一部(利息を受け取る人たち)が、別の一部(納税者)に対して持つ請求権にすぎない。
だから国富から除外して、民間財産のみに含めるべきだとする。

政府債務と、それに関連した富の性質との複雑な問題は、現在でも1800年当時と変わらず重要である。
現在、公的債務は、フランスをはじめさまざまな国で、ほぼ歴史的な最高記録に達している。おそらく、これがナポレオンの時代と同じく、多くの混乱のもとになっている。
金融仲介のプロセス(個人が銀行に預金し、銀行がそれをどこかに投資)は複雑化していて、誰が何を所有しているのか、よくわからないこともしばしばである。
(19世紀当時、公債からの利益で生活していた不労所得生活者ははっきりわかった。それはいまも変わらないのだろうか。この謎は解明する必要がある)

もうひとつ、もっと重要なややこしさがある。
当時の古典小説だけでなく実際の社会でも、さまざまな形の資本が存在し、不可欠な役割を担っていた。
ゴリオ爺さんは、パスタ作りと穀物の商取引で一財産を築いた。一連の革命戦争とナポレオン台頭の時代、かれはすぐれた小麦粉を見分けるずば抜けてすぐれた目と、パスタ作りの腕を活かし、流通網と倉庫を築いて、適切な製品を適切なところへ、適切な時期に届けられるようにした。
起業家として富を成してから、かれは事業を売りに出した。
(21世紀の創業者がストック・オプションを行使して、キャピタル・ゲインを手にするのとほぼ同じである)
そしてかれは、売却益をもっと安全な資産に投資した。必ず利益が支払われる永久公債である。
この資本のおかげで、かれは娘たちに良縁を見つけ、これでふたりはパリの上流社会において輝かしい位置を確保できた。
1821年、ゴリオは死の床にあり、娘のデルフィーヌとアナスタジーからは見捨てられていたのに、なおオデッサのパスタ製造業への投資で儲けようと夢見ていた。

このゴリオ爺さんの資本形成について、原文には、次のようにある。
Chapitre 3. Les métamorphoses du capital
La nature de la fortune : de la littérature à la réalité

Autre complication, plus importante encore : bien d’autres
formes de capital, souvent fort « dynamiques », jouent un
rôle essentiel dans le roman classique et dans le monde de
1800. Après avoir débuté comme ouvrier vermicellier, le père
Goriot a fait fortune comme fabricant de pâtes et marchand
de grains. Pendant les guerres révolutionnaires et napoléo-
niennes, il a su mieux que personne dénicher les meilleures
farines, perfectionner les techniques de production de pâtes,
organiser les réseaux de distribution et les entrepôts, de
façon que les bons produits soient livrés au bon endroit au
bon moment. Ce n’est qu’après avoir fait fortune comme
entrepreneur qu’il a vendu ses parts dans ses affaires, à la
manière d’un fondateur de start-up du XXIe siècle exerçant
ses stock-options et empochant sa plus-value, et qu’il a tout
réinvesti dans des placements plus sûrs, en l’occurrence des
titres publics de rente perpétuelle ― c’est ce capital qui lui
permettra de marier ses filles dans la meilleure société pari-
sienne de l’époque. Sur son lit de mort, en 1821, abandonné
par Delphine et Anastasie, le père Goriot rêve encore de
juteux investissements dans le commerce de pâtes à Odessa.
(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.185-186.)


バルザックの別の作品に登場するセザール・ビロトーは、香水で儲けた。
ビロトーは独創的な発明家で、かれが生み出した美容品(髭剃りクリーム、駈風薬など)は、第一帝政後期および復古王政のフランスで大流行していた。
でもそれだけでは、ビロトーは不満足だった。
隠居する歳になって、かれは1820年代当時急速に開発が進んでいたマドレーヌ近郊の不動産に大胆に投機して、資本を3倍にしようと試みた。チノン近郊のよい農地と国債に投資するようすすめた妻の賢明な助言をはねつけて、ビロトーは破滅してしまう。

一方、ジェイン・オースティンの作品に登場する主人公たちは、バルザックの作品の登場人物よりも田舎風である。
裕福な地主ばかりだが、バルザックの登場人物より利口そうなのはうわべのみだ。
『マンスフィールド・パーク』のファニーの叔父、トマス・バートラム卿は、運営管理と投資のために長男を連れて西インド諸島へ渡らなければならない。
マンスフィールドに戻ってからも、再び何ヵ月も西インド諸島に滞在することを余儀なくされる。
(1800年代前半、何千キロも離れた農園を管理するのは容易ではなかった。富に気を配るのは、地代を回収したり、国債の利息を手に入れたりするような、穏やかな仕事ではすまなかった)

では、どっちだろうか。穏やかな資本か、リスクのある投資か。
西暦1800年から、実は何も変わっていないと結論づけて差し支えないだろうか。
18世紀から、資本構造は実際にどう変わったのだろうか。

ゴリオ爺さんのパスタは、スティーブ・ジョブズのタブレットに変わったかもしれないし、1800年の西インド諸島への投資は、2010年の中国や南アフリカへの投資に変わったかもしれないが、資本の深層構造は本当に変化しただろうかと、ピケティ氏は問いかけている。

資本は決して穏やかではない。
常にリスク志向で、少なくともはじめのうちは起業精神にあふれているが、十分に蓄積すると、必ずレントに変わろうとする。
それが資本の天命である。それが論理的な目標である。

では、現在の社会的格差はバルザックやオースティンの時代とまったくちがうという漠然とした印象は、どこから生まれるのだろうか。
これは何の現実的根拠もない無内容なおしゃべりにすぎないのだろうか。それとも、現代の資本が昔よりずっと「動的」になり、「レント・シーキング」は減ったと見なす根拠となる客観的要素は見つかるだろうかと、問いかけている。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、119頁~122頁)

公的債務で得をするのは誰か(第3章)


歴史的記録は重要だ。
第一に、マルクスをはじめとする19世紀の社会主義者たちが公的債務を警戒していた理由がわかる。かれらは公的債務が民間資本の手駒だと見ていた。

当時、イギリスだけでなく、フランスなど他の多くの国々でも、公債に投資していた人々が見返りをたっぷり手にしていただけに、なおさら懸念は大きかった。
1797年の革命による破産は繰り返されず、バルザックの小説に登場する不労所得生活者たちは、ジェイン・オースティンの著作と同じく、国債についてまるで心配していないようだ。

実際、1815-1914年のフランスのインフレ率は、イギリスと同じく低かった。そして国債の利息は必ず期日通りに支払われた。
19世紀を通じて、フランスのソブリン債はよい投資だった。投資家たちはイギリス同様、その利益で儲けた。
フランスの公的債務の累積額は1815年の時点では、ごくわずかだったが、それから数十年間、特に復古王政と七月王政(1815-1848年)の期間に増えた。
この期間、選挙権は財産証明をもとに与えられていた。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、138頁)

歴史的に見た資本収益率(第6章)


第6章の「歴史的に見た資本収益率」「人的資本はまぼろし?」という節において、次のようなことを述べている。

〇フランス、イギリスともに、18世紀から21世紀にかけて、純粋資本収益率は、中央値にして年間4-5パーセント(一般的には年間3-6パーセント)の間にあった。
顕著な長期的上昇/下降トレンドはない。
この長期にわたる純粋資本収益率の事実上の安定(あるいは18世紀、19世紀の4-5パーセントから現在の3-4パーセントへのわずかな低下というほうがいいだろうか)は、この研究において重要な意味を持つ事実である。

これらの数値についての感覚を得るため、まず18世紀、19世紀に資本から地代への伝統的な換算率は、最も普遍的でリスクが少ない形の資本(主に土地、国債)については、おおむね年5パーセントだった。
資本資産の価値は、その資産がもたらす年間所得20年分に匹敵すると試算されていた。
(ときには25年分に増加したこともある。年間4パーセントの収益に相当)

バルザックやジェイン・オースティンなど、19世紀前半の古典小説では、資本とその5パーセントの地代が等価であることは、当然と見なされていた。小説家たちは、それがどんな資本か言及しないことも多く、たいていは土地と国債がほぼ完璧な代替品であるように扱い、地代による収益としか言わない。
たとえば、主人公の受け取る地代は5万フラン、あるいは2000英国ポンドと書かれてはいても、それが土地によるものか、国債によるものか語られない。(どちらでもよかったのだ)
いずれにしても、所得は確実で安定しており、確固とした生活様式を守り、社会的地位を世代を超えて受け継いでいくには、十分だった。同様に、オースティンもバルザックも、ある額の資本を年間地代に変換する収益率など明記するまでもないと思っていた。
(その投資が国債であろうと、土地であろうと、何かまったくちがうものであろうと、年間5万フランの地代を生み出すには約100万フランの資本[あるいは年間2000ポンドの所得を生むには4万ポンドの資本]が必要と、読者の誰もがよく知っていたからだ。)

19世紀の小説家と読者たちにとって、財産と年間地代が等価であることは明白だった。一方の指標から他方に転換するのは容易で、両者が同義語であるかのようだった。

また、ある種の投資には十分な個人的関与が求められることも、小説家と読者たちはよく知っていた。
それがゴリオ爺さんのパスタ工場であろうと、『マンスフィールド・パーク』のトマス・バートラム卿の西インド諸島の農園であろうと。
そのうえ、このような投資の収益率は当然ながら高く、一般的にはおよそ7-8パーセントであった。
(セザル・ビロトーが香水を扱って成功した後、パリのマドレーヌ地区の不動産への投資で狙ったように、特によい商談がまとまった場合は、もっと高くなった。
でも、このような仕事をまとめるためにつぎこんだ時間とエネルギーが利益から差し引かれた。トマス・バートラム卿が西インド諸島に何ヵ月も滞在しなければならなかったことを思い出してほしい)
最終的に手に入る純粋収益は、土地や国債への投資で入手できる4-5パーセントとあまり変わらないことも明らかだった。つまり、追加分の収益率は、主に仕事にささげられた労働所得に対する報酬で、資本による純粋収益(リスク・プレミアムを含む)は、たいてい4-5パーセントより、あまり増えなかった。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、214~216頁)

≪第6章 人的資本はまぼろし?≫
過去2世紀で技術水準は著しく上昇した。だが、産業、金融、不動産資本のストックも多いに増加している。
資本は重要性を失い、人類は資本、遺産、血縁を基盤とする文明から、人的資本と才能を基盤とする文明に魔法のように移行したと考える人たちもいる。金持ちの株主は、もっぱら技術の変化のおかげで、才能ある経営者に取って代られたといわれる。
(この問題には、第III部で所得と富の分配における個々の格差の研究に取り組むときに、再び立ち戻るという。)

でもすでに、こうした愚かな楽観主義への警告になるものは、ピケティ氏は示してきたと批判している。
ピケティ氏の見解はこうである。
資本は消え去っていないし、それは資本がいまも役に立つからである。おそらくその有用性は、バルザックやオースティンの時代に劣らないし、それは今後も変わらないだろうとする。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、232~233頁)

20世紀の大きなイノベーション(第7章)


資産を持つ中流階級の台頭に伴って、上位百分位の富の占有率は半分以下に急減した。
20世紀初頭は50パーセント以上あったものが、21世紀の初めには20-25パーセントにまで減少した。

年間の賃貸料で安楽に暮らせるほど大きな財産の数が減ったという意味で、ヴォートランのお説教はこれでいくぶん説得力を失った。
若きラスティニャックはもはやヴィクトリーヌ嬢と結婚しても、法律を勉強するより、いい生活はできない。
これは歴史的に重要なことだ。
なぜなら、1900年前後のヨーロッパにおける富の極端な集中は、実は19世紀すべてを通じて見られた特質だったからだ。

この規模感(富の90パーセントをトップ十分位が所有し、トップ百分位が少なくとも50パーセントを所有する)は、アンシャン・レジーム期のフランスや18世紀イギリスの。伝統的農村社会の特徴でもあった。
実はこのような資本集中は、オースティンやバルザックの小説に描かれているような、蓄積し相続された財産に基づく社会の存続、繁栄の必要条件であるとされる。
だから、ピケティ氏のこの本の目的のひとつは、そのような富の集中が出現、存続、消滅し、そして再出現しそうな条件を理解することにある。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、272頁)

フランス語の原文には、次のようにある。
Chapitre 7. Inégalités et concentration : premiers repères
L’innovation majeure du XXe siècle : la classe moyenne patrimoniale

Nous verrons que cela a largement contribué à modifier les termes
du discours de Vautrin, dans le sens où cela a fortement et
structurellement diminué le nombre de patrimoines suffi-
samment élevés pour que l’on puisse vivre confortablement
des rentes annuelles issues de ces patrimoines, c’est-à-dire le
nombre de cas où Rastignac pourrait vivre mieux en épousant
Mlle Victorine plutôt qu’en poursuivant ses études de droit.
Ce changement est d’autant plus important historiquement
que le niveau extrême de concentration des patrimoines que
l’on observe dans l’Europe de 1900-1910 se retrouve dans une
large mesure tout au long du XIXe siècle.

(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.412.)

Toutes les sources dont nous disposons indiquent que ces ordres de grandeur
― autour de 90 % du patrimoine pour le décile supérieur,
dont au moins 50 % pour le centile supérieur ― semblent
également caractériser les sociétés rurales traditionnelles, qu’il
s’agisse de l’Ancien Régime en France ou du XVIIIe siècle
anglais.

Nous verrons qu’une telle concentration du capital est
en réalité une condition indispensable pour que des sociétés
patrimoniales telles que celles décrites dans les romans de
Balzac et de Jane Austen, entièrement déterminées par le
patrimoine et l’héritage, puissent exister et prospérer. Tenter
de comprendre les conditions de l’émergence, du maintien,
de l’effondrement et du possible retour de tels niveaux de
concentration des patrimoines est par conséquent l’un de nos
principaux objectifs dans le cadre de ce livre.
(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.413.)

長期的な相続フロー(第11章)


どんな社会でも、富を蓄積する過程は主に二つある。労働と相続である。
この両者はそれぞれ富の階層のトップ十分位やトップ百分位でどのくらいの割合を占めているのだろう?
(これが鍵となる問題だ)

ヴォートランのラスティニャックへのお説教では、その答えは明快である。勉強と労働では、とうてい快適で優雅な生活は得られない。唯一の現実的戦略は、遺産を持つヴィクトリーヌ嬢と結婚することだった。
ピケティ氏のこの本の目的は、19世紀フランス社会がヴォートランの描く社会とどこまで似ているかを見極めることである。そしてなぜそんな社会がだんだん発達してきたのかを学ぶことである。
(このように、ヴォートランのお説教は、節の見出しになっているだけでなく、ピケティ氏の著作の全体にかかわる主題であることがわかる。)

フランス語の原文には次のようにある。
Chapitre 11. Mérite et héritage dans le long terme
L’évolution du flux successoral sur longue période

Dans le discours que Vautrin tient à Rastignac et que nous
avons évoqué dans le chapitre 7, la réponse ne fait aucun
doute : il est impossible par les études et le travail d’espérer
mener une vie confortable et élégante, et la seul stratégie
réaliste est d’épouser Mlle Victorine et son héritage. L’un de
mes tout premiers objectifs, dans cette recherche, a été de
savoir dans quelle mesure la structure des inégalités dans la
société française du XIXe siècle ressemble au monde que décrit
Vautrin, et surtout de comprendre pourquoi et comment ce
type de réalité évolue au cours de l’histoire.
(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.602.)


まず、相続の年間フロー、すなわち年間の遺産総額(それと生前の贈与)を国民所得比で示したものを、長期的に検証している。
この数値は、毎年相続された過去の富の額を、その年の総所得に対する比率として示すものである。
(労働所得は毎年国民所得のおおよそ3分の2を占めており、資本所得の一部は相続人に遺された資本からの収入であると、ピケティ氏は断っている)

まずはフランスの事例から検証している(長期データが最も揃っている)
そこでのパターンは、他のヨーロッパ諸国にもおおむね適用できる。
最終的には、全世界で見ると、何が言えるかを検討する。

【図11-1 年間相続フローの国民所得比:フランス 1820-2010年】(395頁)
フランスにおける1820年から2010年までの年間相続フローの動向を示したものである。

二つの事実が目につくという。
①19世紀には相続フローは年間所得の20-25パーセントを占めていたということ
(世紀の終わり近くになると、この比率は微増傾向を示した)
・これはとても大きなフローで、資本ストックのほぼすべてが相続に由来したことを示す
・相続した富が19世紀の小説に頻出するのは、作家、特に借金まみれだったバルザックがこだわっていたせいだけではないようだ
・それはなにより、19世紀社会では相続が構造的な中心を占めていたせいである。
経済フローとしても社会的な力としても、相続は中心的な存在だった。さらに時を経てもその重要性は減らなかった。
・それどころか、1900-1910年には、相続フローは、ヴォートラン、ラスティニャック、下宿屋ヴォケーの時代である1820年代に比べて、ちょっと高くなっている。
(国民所得の20パーセント強から25パーセントに上がった)
②その後、相続フローは、1910年から1950年の間に、著しく減少した(5パーセント以下)が、その後、じわじわと回復し、1980年代にはそれが加速した。
(2010年には約15パーセントまで持ち直した)

(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、394~395頁)


ラスティニャックのジレンマ(第11章)


相続財産の主要な特徴のひとつは、不平等な形が分配されることだ。
これまでの推定値に、一方で相続の格差、もう一方で労働所得の格差を導入することで、最終的にヴォートランの陰鬱なお説教が、さまざまな時期にどの程度当てはまるか、分析できるとする。

【図11-10】では、「1790-2030年に生まれたコーホートにとってのラスティニャックのジレンマ」と題したグラフが掲載されている。
このグラフは、19世紀には相続者トップ1パーセントが享受できる生活水準は、労働による稼ぎトップ1パーセントよりもずっと高かったことを示しているという。

これを見ると、ウージェーヌ・ド・ラスティニャックのコーホートを含む(バルザックはかれが1798年生まれと書いている)、18世紀末と19世紀中に生まれたコーホートは、あの前科者(ヴォートラン)が説いた極端なジレンマに直面していたことがわかる。
どうにかして相続財産を手に入れた者は、勉学と労働によって自分の道を切り開かなければならない者に比べ、ずっとよい暮らしができた。

≪グラフの特徴≫
・異なる資産水準を、具体的・直観的に説明するために、リソースを各時代の賃金が最も低い労働者50パーセントの平均賃金の倍数という形で示した
・この基準値は、当時一般的に国民所得の約半分を稼いでいた「下層階級」の生活水準と見ることもできる。
・これは社会の格差を判断する際の参照点としても有益であるとする。

≪グラフから得られた結果≫
・19世紀に最も裕福な相続人1パーセント(その世代のトップ1パーセントの遺産を相続する人々)が生涯通じて獲得できる資産は、下層階級の資産の25-30倍だった。別の言い方をすれば、親から、または配偶者を介して遺産を得た人は、25-30人の家事使用人を生涯にわたって雇える。

・これに対し、ヴォートランのお説教にあったように、判事、検事、弁護士といった職業に就いた労働所得トップ1パーセントの人が持つ資産は、下層階級の約10倍だった。
⇒馬鹿にした金額ではないが、明らかに生活水準としてはずっと低い。特にヴォートランも述べていたように、そのような職業に簡単には就けないことを考慮すればなおさらである。
(その1パーセントに入るには法学校でよい成績を修めるだけではダメで、多くの場合、多年にわたり権謀術策に励まねばならない。)

・こんな状況であれば、もしトップ百分位の遺産を入手できる機会が目の前に現れれば、それを見逃す手はない。

次に、1910-1920年生まれの世代について計算している。
・かれらが直面した人生の選択はちがっていたことがわかる。相続のトップ1パーセントは、下層階級の標準のどうにか5倍の資産を保有しているにすぎない。
(最も稼ぎのよい仕事に就いた1パーセントは基準値の10-12倍を稼いでいる。これは賃金階層百分位が総賃金の約6-7パーセントを長期にわたり、比較的安定して占めてきたという事実の結果である)

・歴史上初めて、トップ百分位の職業に就いたほうが、相続のトップ百分位よりも裕福に暮らせるようになった。
(勉学、勤労、そして才能のほうが、相続よりも実入りがよくなった)

・ベビーブーマーのコーホートにとっても、選択は同じくらい明白なものだった。
1940-1950年生まれのラスティニャックには、トップ百分位の仕事(下層階級の基準の10-12倍のリソースを持てる)を目指し、同時代のヴォートランたちを無視する正当な理由が存在した。
(なぜなら相続トップ百分位は、下層階級基準値の6-7倍しかもたらしてくれないから)
⇒これらすべての世代にとって、職業を通じた成功は、単に道徳的なだけでなく、収益性も高かったのだ。

≪結果が物語ること≫
具体的にこれらの結果は、次のことを物語っている。
・この期間ずっと、また1910年から1960年に生まれたすべてのコーホートにとって、所得階層のトップ百分位の大部分を占めていたのは、仕事を主な収入源とする人々だったということである。
これは、フランスでも、それ以上に他のヨーロッパ諸国でも前代未聞であった。トップ百分位はどの社会においても、重要なグループであるため、大きな変化でもあった。
トップ百分位は社会の経済的、政治的、象徴的構造の形成において中心的役割を演じる、かなり広いエリート層である。

・すべての伝統社会において、1789年に貴族が人口の1-2パーセントを占めていたことを思い出してほしい。そして実際にはベル・エポック期でも(フランス革命によって燃え上がった希望にもかかわらず)、このトップ1パーセント集団をほぼ支配していたのは、相続資本だった。

・だからこれが20世紀最初の半世紀に生まれたコーホートに当てはまらないという事実は一大事である。
社会進歩の不可逆性と古い社会秩序の終焉に対する空前の確信を促進した。

(たしかに、第二次世界大戦後の30年間に格差が根絶されたわけではないが、賃金格差という楽観的な観点からは、そのように見えた。
たしかに、ブルーカラー労働者、ホワイトカラー労働者、そして経営者の間には大きな差があったし、1950年代フランスでは、これらの格差は拡大傾向にあった。)
でも、この社会には基本的な一体性があった。そこではすべての人が労働信仰に加わり、能力主義的理想を賞賛した。
相続財産の専制的格差は過去のものになったと誰もが信じていた。

・1970年生まれのコーホートにとって(それより後に生まれた人々にとってはなおさら)、状況はまったくちがう。特に人生の選択はもっと複雑になった。トップ百分位の相続財産は、トップ百分位の職業とほぼ同等の価値があった。
(あるいは少し大きかった。相続が下層階級の生活水準の12-13倍だったのに対し、労働所得は10-11倍だった)

・でも今日の格差とトップ百分位の構造もまた、19世紀とはまったくちがうことに留意してほしい。なぜなら、今日の相続財産は過去よりも著しく集中が少ないから。

・今日のコーホートは、格差と社会構造の独特な組み合わせに直面している。それは、ある意味でヴォートランが皮肉を込めて描いた(相続が労働よりも優位な)世界と、(労働が相続よりも優位な)戦後数十年の魅惑の世界の間に位置している。

・今日のフランスにおける社会階層トップ百分位は、相続財産とかれら自身の労働の両方から、ほぼ同額の所得を得ている場合が多い。

(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、422~424頁)

不労所得生活者と経営者の基本計算(第11章)


第11章の「不労所得生活者と経営者の基本計算」では、「おさらいしよう」と記して、以下のことをピケティ氏はまとめている。

≪おさらい≫
社会階層の頂点で相続資本所得が労働所得よりも大きな割合を占める社会(すなわちバルザックやオースティンが描いたような社会)では、二つの条件を満たされている必要がある。

①資本ストックとその中の相続資本のシェアが大きいこと
資本/所得比率は約6、7倍でなければならず、資本ストックのほとんどが相続資本で構成されている必要がある。
・そのような社会では相続財産が各コーホート保有平均リソースの約4分の1を占め得る。
・これが18、19世紀や1914年までの状況である。
(この相続財産ストックに関する最初の条件は、現在再びほぼ満たされている)

②相続財産の極端な集中
・もしも相続財産が労働所得と同じような分配されていたら(相続と労働所得の両階層のトップ百分位、トップ十分位等で同一水準なら)、ヴォートランの世界は決して存在しなかったはずである。

〇集中効果が数量効果よりも優勢になるには、相続階層のトップ百分位自体が相続財産の大きなシェアを占めなければならない。
これは、18世紀と19世紀の状況である。
トップ百分位が総資産の50-60パーセントを(イギリスやベル・エポック期のパリでは70パーセントも)所有する。
・これは労働所得トップ百分位のシェア(約6-7パーセント)よりも10倍近く大きかった。
・この富と給与の集中の10対1という比率は、3対1という数量比率を相殺するのに十分だ。
・19世紀の世襲社会において、なぜトップ百分位の相続財産が、トップ百分位の仕事よりも、事実上3倍裕福な暮らしを可能にしたのかは、これで説明できる
(図11-10参照)

〇この不労所得生活者と経営者に関する基本計算は、なぜ現代のフランスで相続財産と労働所得のトップ百分位がほぼ均衡しているのかを理解するのにも役立つとする。
・富の集中は労働所得の集中よりもほぼ3倍大きかったため、トップ百分位が総資産の20パーセントを所有しているのに対し、稼ぎ手トップ百分位は総賃金の6-7パーセントしか得ていない。
・栄光の30年の間、なぜ経営者が相続人よりもかなり優勢だったかも理解できる。

格差の「自然」構造は、どちらかというと経営者よりも不労所得生活者の優勢を好むようだ。特に低成長で、資本収益率が成長率よりも高いときは、富が集中し、資本所得トップが労働所得トップよりも優勢になる。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、424~425頁)

古典文学に見るお金の意味(第2章)


文学好きのピケティ氏は、第2章の「古典文学に見るお金の意味」(112~113頁)において、文学とお金の関係について論じている。
ここでは、『21世紀の資本』の中から、両者の関係に言及した個所を抜き出して、ピケティ氏の著作をより深く理解してみたい。

〇1800-1810年にフランで測った物価は、1770-1780年の時期にリーヴルのトゥール硬貨で計測した物価とだいたい同じだったので、革命による通貨単位の変化は、お金の購買力をいささかも変えなかった。
19世紀初期の小説家たちは、バルザックを筆頭に所得や富を表現するときにはリーヴルとフランを絶えず行ったり来たりしている。
当時の読者にとって、フランのジェルミナル硬貨(または「金フラン」)とリーヴルのトゥール硬貨とはまったく同じものだった。
ゴリオ爺さんにとって、家賃「1200リーヴル」と「1200フラン」は、完全に等価で、それ以上の説明は不要だった。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、111頁)

〇地方社会における土地の平均収益率は、4-5パーセントくらいである。
ジェイン・オースティンやオノレ・ド・バルザックの小説では、土地が政府債のように投資資本額のおよそ5パーセントを稼ぐという事実(あるいは資本の額が年間地代のおよそ20年分にあたるという事実)は、あまりに当然のこととされているので、いちいち明記されないことも多い。

当時の読者は、年間の地代5万フランを生み出すには、資本100万フランくらいが必要というのを熟知していた。
19世紀の小説家とその読者にとって、資本と年間地代との関係は、自明のことなので、この二つの計測指標は交換可能な形で使われ、まったく同じことを別の言い方で言っている同義語のような扱いになっている。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、58頁)

〇<古典文学に見るお金の意味>
安定した金銭の参照はフランスの小説にも見られる。
フランスでは1810-1820年の平均所得は年400-500フランだった。これはバルザック『ゴリオ爺さん』の舞台となった時代だ。
リーヴルのトゥール硬貨で見た平均所得は、アンシャン・レジーム期のほうがちょっと低かった。

バルザックもオースティン同様、まともな生活を送るには、その20倍から30倍が必要な世界を描いている。年所得が1万から2万フランなければ、バルザックの主人公は自分が困窮生活をしていると感じただろう。

ここでも、この規模感は、19世紀を通じてきわめて緩慢にしか変わらなかったし、ベル・エポック期(19世紀末から第一次世界大戦勃発までの時期)に入っても、それは続いた。
ずいぶん後代の読者でも、その記述はあまり違和感がなかった。
こうした数量を使って、作家は簡潔に舞台を設定し、生活様式を匂わせ、ライバル関係を引き起こし、つまり一言で言えば文明を記述できた。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、112~113頁)

〇安定した通貨参照点が20世紀に失われたというのは、それまでの世紀からの大幅な逸脱である。
これは経済や政治の領域にとどまらず、社会、文化、文学問題でもそうである。
1914-1945年のショックのあとで、文学からはお金(少なくともその具体的な金額)がほぼ完全に消えた。
富や所得への具体的な言及は、1914年以前には、あらゆる国の文学に見られた。
しかし、そうした言及は、1914-1945年にだんだん姿を消し、二度と復活していない。

これはヨーロッパや米国の小説だけでなく、他の大陸の小説でも言える。ナジーブ・マフフーズの小説、少なくとも両大戦の間でインフレで物価が歪んでいないカイロを舞台にした小説では、登場人物の状況を示して、その心配事を描き出すために、所得や富にやたらに注意が向けられる。
(これはバルザックやオースティンの世界とあまり遠くはない)

社会構造はまるでちがうけれど、ものの見方や期待や上下関係を金銭的な言及との関連で描き出すことは、その頃も可能だった。

1970年代のイスタンブール、つまりインフレによりお金の意味がかなり前からあいまいになっていた都市を舞台にしたオルハン・パムクの小説には、具体的な金額の言及がまったくない。
そして『雪』でパムクは、主人公に、お金の話をしたり、去年の物価や所得について論じたりするほど、退屈なことはないと言わせている。
19世紀以来、世界は明らかに大幅に変わった。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、116頁)

〇昔と同じく今も、富の格差はそれぞれの年齢層内部にだって存在しており、相続財産は21世紀初頭でも、バルザック『ゴリオ爺さん』の時代に迫るくらいの決定的な要因となっているのだ。長期的に見ると、平等性拡大を後押しする主要な力は、知識と技能の普及だった。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、24頁)


≪ピケティ『21世紀の資本』にみえるバルザックの『ゴリオ爺さん』 その2≫

2021-04-30 19:32:30 | フランス語
≪ピケティ『21世紀の資本』にみえるバルザックの『ゴリオ爺さん』 その2≫
(2021年4月30日投稿)




【はじめに】


今回も、ピケティ『21世紀の資本』にみえるバルザックの『ゴリオ爺さん』について検討してみる。
19世紀の小説家たちは、単に所得と富の階層を正確に描くだけでは満足しなかった。人々がどのように暮らし、所得水準のちがいが日常生活という現実にどんな意味を持っていたかを具体的に説明しているとピケティ氏はみている。とりわけ、バルザックやオースティンの小説にはそれが明白である。
今回のブログでは、『ゴリオ爺さん』に登場するヴォートランが法学生ラスティニャックに説くお説教を中心に考えてみたい。
バルザックの『ゴリオ爺さん』での、ヴォートランのお説教とはいったいどのような内容で、それは何を意味するのか。
ピケティ氏が、なぜ、ヴォートランのお説教を見出しにするほどまでに重視するのかを、読者の皆さんに知っていただきたい。
 なお、重要な箇所はフランス語の原文を併記することにした。



【トマ・ピケティ(山形ほか訳)『21世紀の資本』みすず書房はこちらから】

21世紀の資本

【Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Seuilはこちらから】

Le Capital au XXIe siècle (Les Livres du nouveau monde) (French Edition)



さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・オースティンとバルザックの小説
・ヴォートランのお説教(第7章)
・古典的世襲社会――バルザックとオースティンの世界(第11章)
・極端な富の格差は貧困社会における文明の条件なのか?(第11章)
・重要な問題――労働か遺産か?(第7章)
・相続財産と『風と共に去りぬ』
・ヴォートランのお説教が投げかける問い




オースティンとバルザックの小説


富の分配をめぐる知的、政治的な論争は、昔から大量の思いこみと事実の欠如に基づいたものとなっていた。

映画や文学、特に19世紀小説には、各種社会集団の相対的な富や生活水準に関する詳細な情報がいっぱいある。
特に格差の深層構造、それを正当化する議論、そしてそれが個人の生活に与える影響については詳しい。

Nous verrons par exemple que le cinéma et la littérature, en
particulier le roman du XIXe siècle, regorgent d’infomations
extrêmement précises sur les niveaux de vie et de fortune des
différents groupes sociaux, et surtout la structure profonde
des inégalités, leurs justifications, leurs implications dans la vie
de chacun.

実際、ジェイン・オースティンやオノレ・ド・バルザックの小説は、1790年から1830年にかけてのイギリスやフランスにおける富の分配について、実に印象的な描写をしていると、ピケティ氏は賞賛している。
Les romans de Jane Austen et de Balzac, notam-
ment, nous offrent des tableaux saisissants de la répartition
des richesses au Royaume-Uni et en France dans les années
1790-1830.

どちらの小説家もそれぞれの社会において、富の階層構造を身をもって熟知していた。
そして富の隠れた様相や、それが男女の生活に避けがたく与える影響などを把握している。
(そうした影響には、人々の結婚戦略や個人的な希望と失望なども含まれる)

この二人を含む小説家たちは、どんな統計分析や理論分析でも比肩できないほどの迫真性と喚起力をもって、格差の影響を描き出していると、ピケティ氏は高く評している。
Ils en déroulent les implications avec une vérité et
une puissance évocatrice qu’aucune statistique, aucune analyse
savante ne saurait égaler.

(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、2~3頁。Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, pp.16-17.)

ヴォートランのお説教(第7章)


ピケティ氏は、ヴォートランのお説教(第III部第7章)において、ラスティニャックとヴォートランについて、次のようなことを述べている。

ラスティニャックが最も生々しく社会的、道徳的ジレンマに直面する場面は、物語のほぼ半ば、いかがわしい登場人物ヴォートランがラスティニャックに将来の可能性について、お説教をする場面だと、ピケティ氏はみている。
この小説の中で最も陰鬱な瞬間であるという。

ヴォートランは、ラスティニャックとゴリオと同じ、みすぼらしい下宿屋に住んでいる。
口が達者な誘惑者で、囚人としての暗い過去を隠している。
(この点、『モンテ・クリストフ伯』のエドモン・ダンテス、あるいは『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンと同様である。
ただ、ダンテスやジャン・バルジャンは、おおむね尊敬すべき人物であるが、ヴォートランは根っからの悪人で冷笑的である。この点が、対照的である。)

ヴォートランは、巨額の遺産を手に入れるため、ラスティニャックを殺人に引き込もうとする。
ヴォートランは、当時のフランス社会の若者に降りかかるさまざまな運命について、実に生々しいお説教を事細かに与える。

要するに、ヴォートランはラスティニャックに対し、勉強、才能、努力で社会的成功を達成できると考えるのは幻想にすぎないと説く。
法学や医学は専門能力が相続財産より重視される分野であるが、それらを勉強し続けたら、どのくらいのキャリアが待ち受けているのかを、ヴォートランは事細かに説明する。特に、それぞれの職業でどのくらいの年収が望めるかを明確に説く。
(たとえ、ラスティニャックが法学部首席で卒業して法曹界での輝かしいキャリアを築いたとしても、それ自体が多くの妥協を必要とするし、それですらそこそこの年収でやりくりし、本当の金持ちになる希望を捨てなければならないと説く)

ここで、ピケティ氏は、バルザックの『ゴリオ爺さん』を半ページ近く引用している。日本語訳と原文を掲げておこう。

30歳でまだ法服を脱ぎ捨てていなければ、年に1200フラン稼ぐ判事になっているだろう。40歳になると、製粉屋の娘と結婚して収入は6000リーヴル程度だろう。ご苦労様。もしも幸運にもパトロンを見つけられたら、30歳で王族検察官になり、1000エキュ(5000フラン)の報酬をもらい、市長の娘と結婚するかもな。もしも政治絡みの汚い仕事をするつもりがあれば、40歳までに検事総長になれる。……しかしながら、あんたのためを思えばこそ言わせてもらうんだが、フランスには20人の検事総長しかいないのに、あんたのようにその座を狙うものが2万人もいて、なかには出世の階段を昇るためなら、自分の家族ですら売りわたすうつけ者もいるんだぜ。この仕事が嫌なら、別の仕事を探すんだな。ラスティニャック男爵は弁護士になってはいかがだろうかな? すばらしい! 10年間不遇の時を過ごし、月に1000フラン使って蔵書や仕事場を手に入れ、社交に精を出し、判例を入手するために判事助手に胡麻をすり、裁判所の床を舌で舐めることになる。それでもその仕事がものになるというんなら、あえて反対はしないがな。しかしあんた、50歳で5万フラン稼いでいるパリの弁護士の名を5人挙げられるかな?
(原注2)
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、249頁~250頁)

第7章原注2には、次のようにある。
 Balzac, Le père Goriot, 131.[邦訳『ゴリオ爺さん』岩波文庫、1997年、上巻、201-202頁]参照。
所得と富の単位として通常バルザックは、フランあるいはリーヴルとエキュ[エキュは19世紀の銀貨で5フランに相当した]、そしてより稀にルイ・ドール(ルイは金貨で20フランに相当し、アンシャン・レジームには20リーヴルに相当した)を使った。当時はインフレがなかったため、これらすべての単位は安定していて、読者は簡単にそれぞれを変換できる。
第2章参照。第11章ではバルザックが言及した金額についても詳しく論じる。(39頁)

ピケティ氏の原文には、次のようにある。
En substance, Vautrin explique à Rastignac que la réussite
sociale par les études, le mérite et le travail est une illusion.
Il lui dresse un tableau circonstancié des différentes carrières
possibles s’il poursuit ses études, par exemple dans le droit ou
la médicine, domaines par excellence où règne en principe
une logique de compétence professionnelle, et non de for-
tune héritée.

En particulier, Vautrin indique très précisément
à Rastignac les niveaux de revenus annuels auxquels il peut
ainsi espérer accéder.

La conclusion est sans appel : même
en faisant partie des diplômés de droit les plus méritants
parmi tous les jeunes gens de Paris, même en réussisant la
plus brillante et la plus fulgurante des carrières jurisdiques,
ce qui exigera bien des compromissions, il lui faudra dans
tous les ces se contenter de revenus médiocres, et renoncer
à atteindre la véritable aisance :...

Voir H. de Balzac, Le père Goriot, Le Livre de poche, 1983, p.123-135.

(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013. p.378-379.)

Vers trente ans, vous serez juge à douze cents francs par
an, si vous n’avez pas encore jeté la robe aux orties. Quand
vous aurez atteint la quarantaine, vous épouserez quelque
fille de meunier, riche d’environ six mille livres de rente.
Merci. Ayez des protections, vous serez procureur du roi
à trente ans, avec mille écus d’appointements [ cinq mille
francs], et vous épouserez la fille du maire. Si vous faites
quelques-unes de ces petites bassesses politiques, vous serez,
à quarante ans, procureur général. [...] J’ai l’honneur de
vous faire observer de plus qu’il n’y a que vingt procureurs
généraux en France, et que vous êtes vingt mille aspirants
au grade, parmi lesquels il se rencontre des farceurs qui
vendraient leur famille pour monter d’un cran. Si le métier
vous dégoûte, voyons autre chose. Le baron de Rastignac
veut-il être avocat ? Oh ! joli. Il faut pâtir pendant dix ans,
dépenser mille francs par mois, avoir une bibliothèque, un
cabinet, aller dans le monde, baiser la robe d’un avoué
pour avoir des causes, balayer le palais avec sa langue. Si
ce métier vous menait à bien, je ne dirais pas non ; mais
trouvez-moi dans Paris cinq avocats qui, à cinquantes ans,
gagnent plus de cinquante mille francs par an ?(1)

(1)Voir H. de Balzac, Le père Goriot, Le Livre de poche, 1983, p.131.

(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013. p.379.)
なお、『ゴリオ爺さん』のフランス語本の次のものには、該当部分が出てくる。
Honoré de Balzac, Le Père Goriot, Librairie Générale Française, 1995[2018], p.237-239.参照のこと

【Honoré de Balzac, Le Père Goriot, Librairie Générale Françaiseはこちらから】

Le Pere Goriot

引用文からもわかるように、ヴォートランは、検事の道もしくは弁護士の道を選択したら、どのくらいの年収になるかを示す。
ここで簡潔にヴォートランのお説教の中身をまとめてみよう。

〇検事
30歳 判事(年収1200フラン)
40歳 製粉屋の娘と結婚 収入6000リーヴル程度
<パトロンを見つけた場合>
30歳 王族検察官 1000エキュ(5000フラン) 市長の娘と結婚かも
40歳までに検事総長(政治絡みの汚い仕事)
(フランスには、20人の検事総長の席しかない、2万人の中から)

〇弁護士
10年間不遇の時、月に1000フランを蔵書や仕事場に手を入れる。社交に精を出し、判事助手に胡麻をする。
50歳で5万フラン稼ぐパリの弁護人は5人位か

ヴォートランの提案


一方、ヴォートランはラスティニャックにもっと効率がよい方法を提案する。
その社会的成功をとげるための策略が、ヴィクトリーヌ嬢との結婚である。
ヴィクトリーヌ嬢は、下宿屋に住む若い内気な女性で、ハンサムなウージェーヌに首たけである。彼女と結婚すれば、100万フランの富を手中に収められるという。
弱冠20歳で年収5万フラン(資本の5パーセント)を得られる。それは、王族検察官として何年も働いてやっと得られる生活水準の10倍をあっという間に達成できる。

フランス語には次のようにある。

Par comparaison, la stratégie d’ascension sociale que Vautrin
propose à Rastignac est autrement plus efficace. En se mariant
à Mlle Victorine, jeune fille effacée vivant à la pension et
qui n’a d’yeux que pour le bel Eugène, il mettra la main
immédiatement sur un patrimoine de 1 million de francs.

Cela lui permettra de bénéficier à tout juste 20 ans d’une
rente annuelle de 50 000 francs (environ 5 % du capital) et
d’atteindre sur-le-champ un niveau d’aisance dix fois plus élevé
que ce que lui apporterait des années plus tard le traitement
d’un procureur du roi ( et aussi élevé que ce que gagnent
à 50 ans les quelques avocats parisiens les plus prospères de
l’époque, après des années d’efforts et d’intrigues ).
(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013. p.379-380.)

ヴィクトリーヌがそれほど美しくもなく魅力的でもないという事実に目をつむって、一刻も早く結婚すべきだと、ヴォートランはラスティニャックに提案する。
ヴォートランの教えに唯々諾々と耳を傾けるが、そこでとどめの一節がやってくる。
つまり、非嫡出子であるヴィクトリーヌが裕福な父から認知されて、100万フランの遺産相続人になるためには、まず彼女の兄を殺さなければならないとする。

前科者のヴォートランは、金さえもらえればこの仕事を引き受けるというが、これはラスティニャックにはできないことだった。
つまり、勤勉より遺産のほうが価値があるとするヴォートランの主張は、腑に落ちたが、殺人を犯すほどの覚悟はなかった。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、250頁~251頁)

古典的世襲社会――バルザックとオースティンの世界(第11章)


19世紀の小説家たちは当時の社会構造を描くために、深層構造を描いている。つまり、快適な生活には大きな財産が必要であったという社会構造である。

通貨、文体、筋書きのちがいにもかかわらず、バルザックとオースティンが描いた不平等の構造、規模感、総量の類似は驚くほどである。
二人の小説家が描いたインフレとは無縁の世界では、金銭的な指標は安定していた。二人とも月並みな人生から抜け出して最低限の優雅さを保って生きるには、どのくらいの所得(財産)が必要か正確に表せた。
閾値は当時の平均所得の約30倍だった。
これより低い水準では、バルザックやオースティンが描いたヒーローたちが尊厳ある生活を送るのはむずかしい。
19世紀のフランス、イギリス社会で最も裕福な1パーセントに属していれば、この閾値を超えることは可能だった。
(これは、社会構造を規定し、小説的な世界を維持するには、十分な規模を持つ少数派だった)

こういった小説の多くでは、最初の数ページで金銭的、社会的、心理的状況が設定される。そして登場人物の生活、競争、戦略、希望を形作る金銭的な指標が示される。

『ゴリオ爺さん』では、老人の没落ぶりが、年間の支出を500フラン(ほぼ当時の平均所得に相当。バルザックにとっては赤貧を意味した)に抑えるために、ゴリオ爺さんが下宿屋ヴォケーの最も汚い部屋に住み、最も乏しい食事で生きることを強いている事実によってすぐ示される[原注38]。

[原注38]
第2章同様に、ここで言う平均所得とは1人当たりの国民所得を意味する。
1810-1820年のフランスの平均所得は年間400-500フラン、パリでは500フランを少し上回る程度だった。使用人の賃金はこの3分の1から半分だった。(58頁)

老人は娘たちのためにすべてを犠牲にしていた。娘たちはそれぞれ50万フランの持参金をもらっていた。それが平均所得のほぼ50倍にあたる年間2万5000フランの賃貸収入を彼女たちにもたらした。

バルザックの小説では、この平均所得が真の豊かさと優雅な暮らしの象徴である財産の基本単位となっている。このように社会の両極端が最初に設定される。

それでもバルザックは、絶望的貧困と真の豊かさの間に、あらゆる中間的状況が存在することを忘れてはいない。
アングレーム近くのラスティニャックの小さな地所は、年間3000フラン(平均所得の6倍)の収益をあげるのがせいぜいであった。
バルザックにとって、これは田舎の貧乏小貴族の典型である。
ウージェーヌの家族は、首都で法学の勉強をするかれに年間1200フランしか仕送りできない。

ヴォートランのお説教における、若きラスティニャックが多大な努力を経た後に、国王の代官として得られるかもしれない5000フラン(平均所得の10倍)という年俸こそが、凡庸さの象徴である。
これこそが勉学だけでは成功できない証拠なのである。

バルザックが描いた社会は、次のようなものである。
当時の平均所得の20-30倍を得ることが最低限の目標である。さらに50倍(デルフィーヌとアナスタジーは持参金のおかげでこれができた)、可能ならばヴィクトリーヌ嬢の100万フランが稼ぎ出す年間賃貸料5万フランによる100倍を得たいと思う社会である。

『セザール・ビロトー』でも、大胆不敵な香水商が100万フランの富を求める。
かれはそのうちの半分を自分と妻のため、残り半分を娘の持参金に使うつもりでいる。そうすることで、娘はよい結婚をして、未来の義理の息子は公証人ロガンの営業権を買い取れると考えている。故郷に帰ることを望むかれの妻は、引退して賃貸料のうち年間2000フランで暮らし、娘には8000フランを持参金として持たせて稼がせればよいと夫を説得しようとする。
しかし、セザールは耳を貸そうとしない。わずか5000フランの賃貸料しか持たずに引退した友人のピルローのようには終わりたくなかった。贅沢に暮らすには、平均所得の20-30倍が必要であり、わずか5-10倍では、生きていくのがやっとだった。

一方、同じ規模感は、海峡の反対側のイギリスにも見出せる。オースティンの『分別と多感』がそれである。
最初の10ページで、ジョン・ダッシュウッドと妻ファニーの間で交わされる恐ろしい会話の中で、構想の核心が確立される。
ジョンはノーランドの広大な地所を相続したばかりで、年間4000ポンドが得られた。
これは当時の平均所得(1800-1810年当時は年30ポンドを超える程度)の100倍以上にあたる。

ノーランドは巨大な地所の典型で、ジェイン・オースティンの小説における富の頂点だった。

年間2000ポンド(平均所得の60倍以上)の地代が入るブランドン大佐とかれのデラフォードの地所は、大地主としては想定範囲内だった。
他の小説では、年間1000ポンドあれば、オースティンの小説の主人公には十分な額だった。
これに対して、年間600ポンド(平均所得の20倍)では、ジョン・ウィロビーはぎりぎり快適な暮らしを送れるだけである。

かれがさっさとマリアンを捨て、ミス・グレイと5万ポンドの持参金(平均所得の80倍にあたる、2500ポンドの年間賃貸料が入る)になびいた理由はこれにちがいなかった。
5万ポンドといえば、為替相場で換算すると、ヴィクトリーヌ嬢の持参金100万フランとほぼ同額である。
バルザックにおけるデルフィーヌとアナスタジーのように、その半分の持参金でも申し分ないものだった。
たとえば、領主ノートンの一人娘でミス・モートンは3万ポンドの資本(平均所得の50倍の賃貸料1500ポンドを生む)を持っていた。それが理想的な女相続人にしていた。
(息子のエドワードが彼女と結婚することを想像しているファラーズ夫人などにとって、ミス・モートンは格好の獲物となっていた)

冒頭の数ページから、ジョン・ダッシュウッドの豊かさが、かれの義妹、エリナー、マリアン、マーガレットの相対的な貧しさと比較される。
彼女たちは母とともに年間500ポンド(1人当たり125ポンド。平均所得の4倍)でやりくりせねばならなかった。
それは、彼女たちがふさわしい夫を見つけるには不十分な額だった。

デボンシャー地方の社交界のゴシップにつかっているジェニングズ夫人は、舞踏会、表敬訪問、音楽の夕べの場で、そのことを思い知らせることになった。
「あなたたちの財産が小さいからみんな尻込みしてしまうのよ」と言う。

バルザックの小説と同じことが、オースティンの小説にもあてはまると、ピケティ氏はみている。
平均所得のわずか5倍や10倍では、質素な生活しか望めなかった。さらに、年間30ポンドという平均に近い所得など言及すらされない。
(これでは使用人の水準とそう変わらないため、語るまでもないという)

また、エドワード・ファラーズが牧師になって、年間200ポンドの生活(平均の6、7倍)とデリフォードの教区を引き受けることを考えた時、ほとんど聖者扱いされる。
それは、かれが身分の低い者と結婚したことに対する罰として、家族がわずかしか与えなかった遺産による収入と、エリナーが持参したわずかばかりの所得で補われても、二人の暮らしがそれほど楽なものになるはずはなかった。
「かれらのどちらも、いくら愛し合っているからといっても、350ポンドの年収が快適な生活を与えてくれると考えるほどではなかった」という。

この幸せな道徳的結末で、問題の本質を見逃してはならないと、ピケティ氏は釘をさしている。
鼻持ちならないファニーの忠告を受け入れ、義妹たちを援助することを拒否し、自分の莫大な財産のうちわずかでも分け与えようとしなかったことで、ジョン・ダッシュウッドはエリナーとマリアンに凡庸な生活を強いた。
(彼女たちの運命は、本の冒頭に出てくるあきれ果てた対話に上り、完全に決まってしまった)

19世紀末には、この手の不平等な金銭的仕組みが米国にも見られるようになった。
〇ヘンリー・ジェイムズの『ワシントン・スクエア』(1881年出版)
〇その映画化、ウィリアム・ワイラーの『女相続人』(1949年)
これらは、持参金の額をめぐる混乱だけを中心に話が展開する。

計算は無情である。キャサリーン・スローパーの持参金がお目当ての年3万ドルではなく、1万ドルの賃貸料(米国の平均年収の60倍ではなく20倍)しかもたらさないことを知って、婚約者が去っていった。
(このことからわかるように、計算まちがいはしないほうがいい)

男性もまた、時に不安定な立場におかれる。
映画『偉大なるアンバーソン家の人々』で、オーソン・ウェルズは尊大な相続人ジョージの没落を描く。
かれは一時は年収6万ドル(平均の120倍)に恵まれていたが、1900年代の自動車革命の犠牲となり、結局平均以下の年収350ドルの仕事に落ちぶれる。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、426頁~430頁)

極端な富の格差は貧困社会における文明の条件なのか?(第11章)


19世紀の小説家たちは、単に所得と富の階層を正確に描くだけでは満足しなかった。人々がどのように暮らし、所得水準のちがいが日常生活という現実にどんな意味を持っていたかを具体的に説明している。

バルザックやオースティンの小説の登場人物たちは、何十人という使用人たちの奉仕を平然と利用している。
多くの場合、使用人たちは名前さえ記されていない。
時々二人の小説家は、登場人物の気取りや贅沢な要求を嘲っている。たとえば、ウィロビーとの優雅な結婚生活を夢想するマリアンが頰を紅潮させて、年間2000ポンド(平均所得の60倍以上)以下で暮らすのはむずかしいと説くくだりがある。
「私の要求は決して贅沢ではないはずよ。使用人たち、馬車、それもおそらく二台、そして猟師たちを抱えるまともな所帯は、それ以下の収入では維持できませんから」
(エリナーは妹に、それがまさに贅沢なんだと指摘せずにはいられなかった)

同じように、ヴォートランその人も、最低限の尊厳ある生活を送るには、年収2万5000フラン(平均所得の50倍以上)が必要だと述べている。
特にかれは、服、使用人、旅行にかかる費用が譲れないと、細々とした費目をあげつらう。
小説の中でかれが大げさだと言う人はいないが、ヴォートランはあまりにひねくれているので、読者はそう思うはずだ。
かれらの小説の一部登場人物たちが贅沢だとしても、これら19世紀の小説家たちは、格差はある程度必要不可欠なものとして、世界を描いている。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、430頁~432頁)

重要な問題――労働か遺産か?(第7章)


ヴォートランのお説教で最もぞっとするのは、王政復古時代の社会を活写する手短な描写の中に、正確な数字が含まれていることであると、ピケティ氏はみている。
19世紀フランスにおける所得と富の格差はきわめて大きい。最も裕福なフランス人たちの生活水準は、労働所得だけで実現できる水準を大幅に上回っていた。

ヴォートランが詳述した所得に関する実際の数字は重要でないともいう。
(だがかなり正確なものではあるとも付言している)
重要な事実は、19世紀のフランス、さらには20世紀初頭になってからのフランスでも、労働と勤勉さだけでは、相続財産と、そこから生まれる所得による快適さの水準を達成できないことである。これはあまりに明々白々だった。

フランス語の原文には次のようにある。
La question centrale : travail ou héritage ?
Le plus effrayant, dans le discours de Vautrin, est l’exactitude
des chiffres et du tableau social qu’il dessine. Comme nous
le verrons plus loin, compte tenu de la structure des revenus
et des patrimoines en vigueur en France au XIXe siècle, les
niveaux de vie qu’il est possible d’atteindre en accédant aux
sommets de la hiérarchie des patrimoines hérités sont effecti-
vement beaucoup plus élevés que les revenus correspondants
aux sommets de la hiérarchie des revenus du travail.
(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.380.)

また、18、19世紀のイギリスでも状況は似たり寄ったりだった。
ジェイン・オースティンの主人公たちには、仕事などという問題は存在しない。問題になるのは、相続や結婚で得た財産の規模だけであった。実のところ、過去の世襲社会の自滅が明らかになった第一次世界大戦前まで、世界中どこでも同じことが当てはまったそうだ。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、251頁)

相続財産と『風と共に去りぬ』


この法則の数少ない例外のひとつが米国で、そこでは18、19世紀には相続資本がほとんど意味をもたなかった。
ただ、奴隷と土地という形態の資本が主流の南部州では、古きヨーロッパ同様に相続財産が重んじられた。
『風と共に去りぬ』でスカーレット・オハラへの求婚者たちは、将来の安泰を約束してくれるものとして、自身の勤勉さや才能などあてにはできなかった。
(これはラスティニャックとまったく同じである)
父親(あるいは義父)の所有する農園の規模のほうがずっと重要だった。

ヴォートランは、道徳、功徳、社会正義など歯牙にもかけないことを示すため、米国南部で奴隷所有者となり、黒人たちが作るものによって裕福に暮らし、生涯を終えたいと、若きウージェーヌに告げる(第7章原注3)
(フランスの前科者を魅了した米国は、トクヴィルを魅了した米国とは別のものだった)

第7章原注3には、次のようにある。
原注3:Balzac, Le père Goriot, 131.[邦訳『ゴリオ爺さん』岩波文庫、1997年、上巻207-208頁]参照。(39頁)

『風と共に去りぬ』に関連して、原文には次のようにある。
Dans les États du Sud, où domine un mélange de capital terrien et négrier, l’héritage
pèse aussi lourd que dans la vieille Europe. Dans Autant en
emporte le vent, les soupirants de Scarlett O’Hara ne comptent
pas davantage que Rastignac sur leurs études ou leur mérite
pour assurer leur aisance future : la taille de la plantation de
leur père ― ou de leur beau-père ― importe beaucoup plus.
Pour bien montrer le peu de considération qu’il a pour toute
notion de morale, de mérite ou de justice sociale, Vautrin
précise d’ailleurs dans son même discours à l’intention du
jeune Eugène qu’il se verrait bien finir ses jours comme
propriétaire d’esclaves dans le sud des États-Unis et vivre
dans l’opulence de ses rentes négrières. De toute évidence,
ce n’est pas la même Amérique que Tocqueville qui séduit
l’ex-bagnard.
(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.381-382.)

たしかに、労働所得は常に平等に分配されるわけではないし、相続財産からの所得と労働所得の重要性比較だけで、社会正義を論じるのも、公正さを欠く。それでも民主主義的な近代性というものは、個々の才能や努力に基づいた格差のほうが、その他の格差より正当化できるという信念に基づいている。
(少なくとも、その方向に進んでいると願いたい)

そして実際問題として、ヴォートランへの入れ知恵は20世紀のヨーロッパでは、少なくとも一時は多少なりとも実効性を失っていた。
第二次世界大戦後の数十年では、相続財産がその重要性をほとんど失い、歴史上でおそらく、初めて、労働と勤勉がトップに登りつめるための最も確実なルートとなった。

今日では、各種の格差が再び現れ、社会や民主的発展に対する信頼が揺さぶられていても、ほとんどの人はヴォートランがラスティニャックに入れ知恵した時に比べ、世界は激変をとげたと信じている。
(今日、若い法学生に勉強をやめ、社会的に出世するには前科者の悪巧みを採り入れたほうがよいなどと助言する人がいるだろうか?)
たしかに巨万の財産相続のために手を尽したほうが、賢明な場合も稀にある。でもほとんどの場合、勤勉、労働、そして職業的成功に頼るほうが道徳的だし、利益も大きい。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、251~252頁)

ヴォートランのお説教が投げかける問い


ヴォートランのお説教は、二つの問いに私たちを注目させるとピケティ氏はいう。
(今後数章で、手持ちのデータを駆使して、その問いに答えてみようとする)
①ひとつが労働所得の相続財産所得に対する相対的な重要性は、ヴォートランの時代から本当に変化したのか。そしてその変化はどのくらいなのか。

②二つめのほうがもっと重要である。もし、そういう変化がある程度は起こったのなら、その原因は何か。また、それをひっくり返すことはできるのか。

ヴォートランのお説教の問題について、原文には次のようにある。
Telles seront donc les deux questions auxquelles nous
conduit le discours de Vautrin et auxquelles nous tenterons
de répondre dans les chapitres qui viennent, avec les données
― imparfaites ― dont nous disposons.
①Tout d’abord, est-on bien sûr que la structure des revenus du travail et des revenus
hérités s’est transformée depuis l’époque de Vautrin, et dans
quelles proportions ?

②Ensuite et surtout, à supposer qu’une telle
transformation ait bien eu lieu, au moins en partie, quelles
en sont exactement les raisons, et sont-elles irréversibles ?

(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.383.)
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、251頁~252頁)



≪ピケティ『21世紀の資本』にみえるバルザックの『ゴリオ爺さん』 その1≫

2021-04-29 18:06:12 | フランス語
≪ピケティ『21世紀の資本』にみえるバルザックの『ゴリオ爺さん』 その1≫
(2021年4月29日投稿)


【はじめに】



前回のブログで、トマ・ピケティ『21世紀の資本』の目次を日本語版とフランス語版で紹介してみた。
〇トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年
〇Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013.

今回のブログでは、トマ・ピケティ『21世紀の資本』の中で、重要なフランス文学作品として随所に登場するバルザックの『ゴリオ爺さん』について考えてみたい。
まず、一般的に『ゴリオ爺さん』はどのような文学作品であるのかについて、そのあらすじ、登場人物、時代背景などについて紹介しておこう。
その際に、次のような文献を参考にした。
〇饗庭孝男ほか『フランス文学史』白水社、1979年[1986年版]
〇バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(上)(下)』岩波文庫、1997年

そして、ピケティ氏自身、『21世紀の資本』の中で、この小説のあらすじについて、どのように記述しているのかを検討してみたい。



【トマ・ピケティ(山形ほか訳)『21世紀の資本』みすず書房はこちらから】

21世紀の資本

【Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Seuilはこちらから】

Le Capital au XXIe siècle (Les Livres du nouveau monde) (French Edition)




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・バルザック『ゴリオ爺さん』( Le Père Goriot)のあらすじ
・登場人物について ラスティニャックとヴォートラン
・ラスティニャックとヴォートラン 高山鉄男による解説
・『ゴリオ爺さん』の執筆年代
・『ゴリオ爺さん』の主題について
・『ゴリオ爺さん』の時代背景
・バルザック『ゴリオ爺さん』のピケティによるあらすじ




バルザック『ゴリオ爺さん』( Le Père Goriot)のあらすじ


饗庭孝男ほか『フランス文学史』(白水社、1979年[1986年版])を参考にして、『ゴリオ爺さん』のあらすじについて紹介してみよう。

1819年のパリ。安下宿屋ヴォーケ館に住む元製粉業者のゴリオ爺さんは、昔は百万長者だった。
しかし、貴族に嫁がせた溺愛する2人の娘の度重なる無心に、今では無一文である。
同じ下宿人の貧しい法学生、ウジェーヌ・ド・ラスチニャック Eugène de Rastignacは野心家で、学問と女性の両道から栄達をはかろうとして、ゴリオの妹娘ヌッシンゲン男爵夫人に近づく。
やはり同宿の謎の男ヴォートラン、実は脱獄囚ジャック・コランは彼の意図を見抜き、シニックな反抗の哲学を説いて、悪事に加担するよう、青年の動揺した心に誘いかける。
悪事の計画はヴォートランの逮捕によって中断し、一方、ゴリオは利己的な娘たちの振舞いに心痛のあまり倒れ、2人を恨みながら貧窮のうちに死ぬ。

彼の死をみとりつつ、青年期の人生修業を完了したラスチニャックは、ペール=ラシェーズの墓地にゴリオを埋葬すると、パリの町に向かって、次のような挑戦の言葉を投げつける。
≪彼は墓穴を見つめ、そこに青年としての最後の涙を、純粋な心が神聖な感動のためにどうにも抑えきれずにこぼすあの涙を埋めた…そして彼は次のような壮大な言葉を吐いた。――さあ、今度は、おまえと一騎打ちだ!≫

――Le Père Goriot
 (…) il regarda la tombe et y ensevelit sa dernière larme de jeune
homme, cette larme arrachée par les saintes émotions d’un cœur pur (...) et
 [il] dit ces mots grandioses : « A nous deux maintenant ! »

バルザックは、この『ゴリオ爺さん』という作品において、複数のテーマ、すなわち個人を破滅に導く「情熱」のテーマ(父性愛)と、妥協しつつ社会に適応していく堕落のテーマ(青年の立身出世)とを緊密に絡み合わせて、金銭が原動力となった近代ブルジョワ社会の一局面を浮き彫りにすることに成功したとされる。
これは、典型的なバルザック小説の最初の頂点をなす作品である。それと同時に、人物たちがいくつもの作品にまたがって登場する「人物再登場」(retour des personnages)の手法によって、はじめていくつもの作品間を空間的・時間的に連繋させたという意味で、「人間喜劇」の出発点となったと位置づけられている。
(饗庭孝男ほか『フランス文学史』白水社、1979年[1986年版]、185頁、306頁の引用原文を参照のこと)

【饗庭孝男ほか『フランス文学史』白水社はこちらから】

フランス文学史

登場人物について ラスティニャックとヴォートラン


バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(上)(下)』(岩波文庫、1997年)において、『ゴリオ爺さん』の登場人物のラスティニャックとヴォートランは、どのように捉えられているのか。この点を解説しておこう。

ウージェーヌ・ド・ラスティニャック


ここで登場するウージェーヌ・ド・ラスティニャックは、ゴリオとならんで、この小説の主人公であるだけでなく、600人に及ぶ『人間喜劇』再登場人物のなかでも、もっとも重要な人物の一人である。その経歴を大略記すと、1798年、シャラント県ラスティニャックの貧乏貴族の長男として生まれ、パリに出て法律を学んだのち、ニュシンゲーヌ男爵夫人デルフィーヌの愛人となり、パリきっての伊達男と目された。のち、デルフィーヌの娘と結婚し、七月王政下では二度も大臣をつとめ、年収4万フランの資産収入をうるほどの大金持ちとなる。バルザックは、彼を成功した立身出世主義者の典型として描いている。
(バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(上)』岩波文庫、1997年、313頁~314頁)

このように、訳注にある。ラスティニャックという人物について、要点を箇条書きにしてみる。
・ゴリオとならんで、この小説の主人公。600人に及ぶバルザックの『人間喜劇』再登場人物のなかでも、もっとも重要な人物の一人
・1798年、シャラント県ラスティニャックの貧乏貴族の長男として生まれ、パリに出て法律を学ぶ
・ニュシンゲーヌ男爵夫人デルフィーヌの愛人となり、パリきっての伊達男と目された
・デルフィーヌの娘と結婚し、七月王政下では二度も大臣をつとめ、年収4万フランの資産収入をうるほどの大金持ちとなる
・バルザックは、彼を成功した立身出世主義者の典型として描いている

ヴォートラン


同様に訳注には、ヴォートランについて、次のような内容を訳者は記している。

・ヴォートランは、『人間喜劇』のあまたの登場人物のなかでも、もっとも驚くべき人物である。
・ヴォートランは、1779年生まれ、本名をジャック・コランという。
・はじめ銀行員であったが、愛する美青年、フランケシーニの犯した文書偽造の罪を背負って、徒刑場送りとなった。
・徒刑場から脱出したあと、ヴォートランを名乗ったが、『ゴリオ爺さん』に記されているようないきさつで、1820年に逮捕され、ロシュフォールの徒刑場に送られた。
・しかし、再びそこから脱走すると、スペインに行き、カルロス・ヘレラ神父を殺害して、同神父になりすました。
・フランスへの帰国の途中で、死に場所を求めてシャラント川のほとりをさまよう、リュシアン・ド・リュバンプレを救って、自分の腹心とした。リュシアンをパリ上流社会で出世させようとしたが、リュシアンの自殺によって、計画が水泡に帰してしまう。
・その後、一転して、パリ警察に勤め、1830年には刑事部長となっている。
・ヴォートランは、悪と犯罪の象徴である。それと同時に、作者の社会批判を代弁する人物であり、かつ作者の内面にひそむ権力への意志を反映する人物でもあるとされる。
・またヴォートランは、『ゴリオ爺さん』をはじめとして、『幻滅』『浮かれ女(め)盛衰記』などで重要な役割を演じている。
(バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(下)』岩波文庫、1997年、241頁)

【バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(上)』岩波文庫はこちらから】

ゴリオ爺さん (上) (岩波文庫)


【バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(下)』岩波文庫はこちらから】

ゴリオ爺さん (下) (岩波文庫)

ラスティニャックとヴォートラン 高山鉄男による解説


訳者・高山鉄男氏は、『ゴリオ爺さん』の「解説」(下巻、1997年、249~262頁)において、『ゴリオ爺さん』の登場人物ラスティニャックとヴォートランについて、さらに掘り下げて、その人物像を捉えている。以下、それを紹介しておこう。

ラスティニャックについて


・田舎の貧乏貴族の長男に生まれたラスティニャックは、いかにも青年らしい夢をいだいて、パリにやって来る。
・ラスティニャックの夢とは、青年における人生への渇望そのものといってもよく、その渇望ゆえに社交界に出入りし、立身出世を願う。
・しかし、やがて社会の恐るべき実態に触れ、その苛酷な法則を知る。彼が知る現実とは、人々が金と快楽を求めて狂奔する世界、虚偽と虚栄に満ちた場所である。弱者は強者によって踏みつけられ、成功とは優雅に装われた悪徳にすぎないような世界である。
・そのことをもっとも露骨に語るのは、ヴォートランである(ヴォートランについては後述)

・ラスティニャックが見るものは、各人がそれぞれの夢を追いつつ、敗北していく姿である。
⇒ヴォートランは逮捕され、ボーセアン夫人は恋人に裏切られて田舎にひきこもり、ゴリオは死ぬ。
・ラスティニャックにたいして教育的な役割をはたした人々がすべて敗れて、物語の舞台から退場したとき、ラスティニャックの「教育」は完成したと言ってよいようだ。
・だからこそ、小説の末尾でラスティニャックは、ペール・ラシェーズの丘から、眼下にひろがるパリにむかって、叫ぶ。
「さあ、こんどはおれとおまえの勝負だぞ」と。
そして「社会にたいする挑戦の最初の行為として」、ニュシンゲーヌ夫人の晩餐会に出かける。

(このとき、ラスティニャックがニュシンゲーヌ夫人の生き方を批判し、パリの上流社会に背を向けていれば、その人生はまったく別のものになっていただろう。しかし、ゴリオの死のあと、ラスティニャックは社会をあるがままに受け入れる覚悟をかため、ニュシンゲーヌ夫人の恋人として生きる道を選んだ。
その後、ラスティニャックは、出世の階段をのぼりつめ、莫大な資産を手中にし、大臣にまでなる。ただ、打算から、ニュシンゲーヌ男爵夫人デルフィーヌの娘と結婚し、人生のあらゆる感動を失い、パリのサロンをさまようことにもなる。ラスティニャックもまた人生の真の勝利者ではなかった……)
(バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(下)』岩波文庫、1997年、253~256頁)

ヴォートランについて


・ヴォートランは、社会制度の不合理を説き、悪と反抗の道を歩めと言って、ラスティニャックを誘惑する。
・しかし、「おれとおれの人生とは、青年とその婚約者のような間柄なんだ」(上巻、218~219頁)と思うラスティニャックは、ヴォートランの誘惑をかろうじてしりぞける。
・ヴォートランの言葉が、作者自身の社会観をそのまま表わしているわけではない。しかし、その社会批判のいくぶんかが、バルザック自身のものであることも否定できないようだ。
・なぜなら、ラスティニャックに処世の道を教えるボーセアン夫人もまた、ヴォートランとまったく違うことを語っているわけではないから。
・ボーセアン夫人は、ラスティニャックに「容赦なく打撃を与えなさい。そうすればあなたは人に恐れられるでしょう。宿駅ごとに乗りつぶしては捨てていく駅馬のように、男も女も扱うことです」と述べる。
また、「騙す人間と騙される人間の集まりであるこの世間というものを理解したうえで、騙す人間にも騙される人間にもなってはいけません」と語る(上巻、151頁、155頁)

〇要するに、ヴォートランもボーセアン夫人も、社会というものは、世間の醜悪な法則を利用して成功する強者と、法則を知らないために敗北する弱者からなるということを言っている。
(このような悲劇的な社会観は、バルザックの『人間喜劇』[全91篇]全体に見られるものである。そこでは個人は、しばしば社会の被害者である。しかもその個人が、純粋な心情の持ち主であればあるほどそうなのである)

〇ゴリオの死は、このような現実をラスティニャックに、はっきりと示す役割をはたしているとされる。
ゴリオのように、ひたむきに娘たちを愛し、自分の感情に忠実に生きるものに、この世間は生きる場所を与えないのである。
・ゴリオだけでなく、ラスティニャックが見聞するものには、すべて教育的な価値があると、高山氏はみている。
・ヴォートランの言葉は社会の暗部をうかがわせ、ボーセアン夫人の人生は、上流社交界の裏面を教えているという。
(バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(下)』岩波文庫、1997年、253~255頁)

【バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(下)』岩波文庫はこちらから】

ゴリオ爺さん (下) (岩波文庫)


『ゴリオ爺さん』の執筆年代


訳者・高山鉄男氏は、「解説」(下、1997年、249~262頁)において、『ゴリオ爺さん』の執筆年代について記している。
『ゴリオ爺さん』は、1834年12月から、翌35年の2月にかけ、『パリ評論』誌に4回にわたって連載された。単行本になったのは、1835年3月である。版元はヴェルデ書店、「パリ物語」という副題がつけられていた。
当時、バルザックは35歳で、小説家としてもっとも充実した時期にさしかかりつつあった。

『ゴリオ爺さん』は、1834年9月末から翌年の1月末まで、ほぼ4ヵ月をかけて書かれたようだ。長編小説を書き上げる時間としては、決して長いわけではない。しかし、これはときには1日20時間にも及ぶ、苛酷な労働に満たされた4ヵ月であった。
なお、小説の末尾には、「1834年9月、サッシェにて」と記されている。この記述は、作品の完成ではなく、たんにその着手を示すものと解すべきであると、高山鉄男氏は付言している。
(バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(下)』岩波文庫、1997年、249~251頁)


『ゴリオ爺さん』の主題について


高山氏は、この小説の主題を2つ挙げている。
①父性愛
・バルザックの当初の意図が、娘たちによって裏切られる父親の悲劇を描くことにあったのは、その創作ノートの覚え書きからも明らかであるようだ。
「善良な男――下宿屋――600フランの収入――それぞれ5万フランの収入のある娘たちのために無一文となる――犬のように死ぬ」とある。
・この主題はすでにシェークスピアの『リヤ王』などで扱われた主題で、バルザックは決して独創的なテーマを発見したわけではなかったようだ。
・バルザックの独創はどこか? 父性愛というこの日常的な感情を、恐るべき情念にまでたかめてみせたことにあると、高山氏はみている。
ゴリオの父性愛は強大な情熱となり、ゴリオの生活をむしばみ、結局、この感情のせいで死ぬ。
・バルザックの多くの作品において見られるように、この小説もまた激しい情熱と、その情熱によってほろぼされる人間を描いている。

②ラスティニャックの青春
・ゴリオの物語とラスティニャックの物語は、緊密に結びつき、主題の分裂は感じられないようだ。
・ラスティニャックの観察を通じて、ゴリオの父性愛が明らかにされ、ゴリオの生活を知ることで、ラスティニャックの社会への開眼が完成するといった構成がとられている。

このように、この小説には、ゴリオとラスティニャックという二人の主人公がいると言ってもよい。
つまり、ゴリオを中心とする父性愛の物語として理解するか、ラスティニャックを主人公とする青春の物語として味わうかで、作品の読み方はことなってくる。
訳者・高山鉄男氏は、この小説を、ラスティニャックを中心とする教養小説、もしくは青春小説として読みたいとしている。
この小説は、父性愛の物語から、パリ社会の暗部を示す作品へと変化したとき、長編小説にならざるを得なかったようだ。中編から長編へのこうした量的変化は、ラスティニャックを中心とする教養小説への質的変貌の過程でもあったと解している。つまり、これは青年における社会と人生の発見の物語だというのである。
青春小説としての『ゴリオ爺さん』は、若き日のバルザックが人生にたいしていだいた、みずみずしい熱情を伝えているとする。
(バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(下)』岩波文庫、1997年、252~256頁)

『ゴリオ爺さん』の時代背景


バルザックは、近代社会の最初の描き手であったと同時に、その最初の批判者の一人でもあった。
『ゴリオ爺さん』が描きだしているのは、1819年11月末に始まり、翌1820年2月に終わる。この物語を、作者バルザックは、その社会的枠組みの中で描いている。
・時代は王政復古時代である。
ナポレオンの敗北以後、ふたたび権力を手中にした国王と旧貴族が社会の支配者である。
・しかし、歴史の歯車の回転をとめることはだれにもできず、フランス革命以後の新しい社会的現実のなかで、出世主義と拝金思想がはびこり、貴族階級と新興市民階級の対立も激化して行く。
・この階級対立が『ゴリオ爺さん』の内容にも反映されていると、高山氏はみている。つまり、ゴリオの二人の娘、姉のレストー夫人と妹のニュシンゲーヌ夫人の感情的軋轢の背後には、レストー伯爵の属する旧貴族階級と、銀行家ニュシンゲーヌ男爵が属する、市民から成り上がった新貴族階級の対立が隠されているとみる。

〇『ゴリオ爺さん』は、ある意味では出世主義の小説であるといわれる。
・その点、スタンダールの『赤と黒』に似ているといってよい。
ただ、忘れてはならないのは、最終的には敗北者であるゴリオですら、じつは成功し、成り上がった商人だということである。
⇒ゴリオは、麺類の製造職人であった。フランス革命の混乱と食糧不足を利用して、小麦粉の売買で資産を築いた。
・ゴリオは、『ウージェニー・グランデ』に描かれたフェリックス・グランデと同じく、まぎれもなく成功した新興市民の一人であった。ただ、金はあっても教養も処世術もない男であるゴリオが、上流階級に嫁いだ二人の娘の父親だったところに、悲劇が胚胎したと、高山氏はこの小説を解説している。

〇こうしてバルザックは、ゴリオの父性愛を描きつつ、革命以後のフランス社会に生じた激しい動きを、人々の心の深層にまで及んで表現した。
・これは、「パリの精神的暗部を示す」作品であるとされる。
例えば、バルザックは当時の恋人ハンスカ夫人あての書簡(1834年11月26日付)には、次のように記している。
「『ゴリオ爺さん』は、美しい作品ですが、おそろしく暗いのです。完全なものにするために、パリの精神的暗部を示さなければなりませんでした。それはおぞましい傷のような印象を与えます」

〇この小説には初版刊行時において、「パリ物語」という副題がつけられていた。これは作品の内容にふさわしい副題であった。
・さらに、1843年、いわゆるフュルヌ版『人間喜劇』第9巻に収録されたとき、この作品が、『風俗研究』の部の『パリ生活情景』に組み入れられた。
・舞台はもっぱらパリだし、小説の冒頭、「この物語がパリ以外の土地において理解してもらえるかどうか」分からないと、作者みずから言っているそうだ。

〇にもかかわらず、バルザックは『人間喜劇』の再版を計画した際、「1845年の目録」という作品目録のなかで、『ゴリオ爺さん』を『パリ生活情景』から『私生活情景』に移した。その結果、『パリ生活情景』にこそふさわしいこの小説が、『私生活情景』の中の一編として今日にいたっているという。
・一見すると奇異に思えるこのような組み替えには、作者の深い考えがあったように思われると、高山氏は推察している。『私生活情景』は、人生の出発点に立つ若い男女を描き、個人の運命を、その始まりにおいて示す作品群であると作者は考えていた。とすれば、まさに人生の門出にあたって、自分の運命の選択を行なわねばならなかったラスティニャックの物語として、この小説は、『私生活情景』にこそふさわしいと、高山氏は考えている。
・この作品を、ゴリオの父性愛の物語としてよりも、むしろラスティニャックの現実発見の物語として読むことを、作者みずから、作品の組み替えによってうながしたのではないかというのである。
(バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(下)』岩波文庫、1997年、251頁、256~259頁)

バルザック『ゴリオ爺さん』のピケティによるあらすじ


第7章において、ピケティ氏は次のように述べる。
すべての社会で所得格差は、三つの要素に分解可能だとする。
①労働所得の格差
②所有資本とそれが生む所得の格差
③それら二つの相互作用

バルザックの『ゴリオ爺さん』で、ヴォートランがラスティニャックに与えた有名なお説教は、これらの問題への導入となると、ピケティ氏はみなす。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、248頁~249頁)

【バルザックの『ゴリオ爺さん』(1835年出版)のあらすじ】
〇かつてパスタ製造業を営んでいたゴリオ爺さんは、革命時代とナポレオン時代にパスタと穀物で財を成した。
・男やもめのゴリオは持てるすべてをつぎ込んで、1810年代のパリ最上級社交界で娘のデルフィーヌとアナスタジーの婿を探した。
・手元に残ったのは、粗末な下宿屋で暮らすための部屋代と食事代だけだった。

原文には次のようにある。
Publié en 1835, Le Père Goriot est l’un des romans les
plus célèbres de Balzac. Il s’agit sans doute de l’expression
littéraire la plus aboutie de la structure des inégalités dans la
société du XIXe siècle, et du rôle central joué par l’héritage
et le patrimoine.

〇 La trame du Père Goriot est limpide. Ancien ouvrier vermi-
cellier, le père Goriot a fait fortune dans les pâtes et les grains
pendant la période révolutionnaire et napoléonienne.

・Veuf, il a tout sacrifié pour marier ses filles, Delphine et Anastasie,
dans la meilleure société parisienne des années 1810-1820.

・Il a tout juste conservé de quoi se loger et se nourrir dans
une pension crasseuse,...
(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.377.)

〇その下宿屋で、地方から法律を学ぶためにパリにやってきた文無しの若き貴族、ウージェーヌ・ド・ラスティニャックと出会う。
・野望に満ち、貧しさを恥じているウージェーヌは、遠縁の親族の助けを借りて、貴族階級、大ブルジョワジー、そして復古王政時代の巨額の金がうごめく高級サロンにもぐりこむ。

・...dans laquelle il rencontre Eugène de
Rastignac, jeune noble désargenté venu de sa province pour
étudier le droit à Paris. Plein d’ambition, meurtri par sa pau-
vreté, Eugène tente grâce à une cousine éloignée de pénétrer
dans les salons huppés où se côtoient l’aristocratie, la grande
bourgeoisie et la haute finance de la Restauration.
(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.377.)

〇そして、すぐに夫から相手にされなくなったデルフィーヌと恋に落ちる。
・ニュシンゲン男爵(デルフィーヌの夫で銀行家)は、妻の持参金を投機につぎ込んで使い果たしていた。
・ラスティニャックは、金で完全に堕落した社会のシニシズムに気がついて、やがて幻滅する。また、ゴリオ爺さんが娘たちに見捨てられているのを知って、愕然とする。
・社会的成功に夢中の彼女たちは、父親を恥じ、その財産を利用するだけ利用したあとは、ほとんど会おうともしなかった。

〇 Il ne tarde pas à tomber amoureux de Delphine, délaissée par son époux,
le baron de Nucingen, un banquier qui a déjà utilisé la dot
de sa femme dans de multiples spéculations.

・Rastignac va vite perdre ses illusions en découvrant le cynisme d’une société
entièrement corrompue par l’argent. Il découvre avec effroi
comment le père Goriot a été abandonné par ses filles, qui
en ont honte et ne le voient plus guère depuis qu’elles ont
touché sa fortune, toutes préoccupées qu’elles sont pas leurs
succès dans le monde.
(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.377.)

〇老人は極貧の中で孤独に死んだ。その葬儀に出席したのは、ラスティニャックだけだった。
・ラスティニャックはペール・ラシェーズ墓地を離れるやいなや、セーヌ川沿いに並ぶ裕福なパリの景色に圧倒される。ラスティニャックはパリ征服に乗り出そうと決意する。
「今度は俺とおまえの番だ!」
ラスティニャックはそう街に語りかける。

〇 Le vieil homme meurt dans la misère
sordide et la solitude. Rastignac ira seul à son enterrement.
Mais à peine sorti du cimetière du Père-Lachaise, subjugué par
la vue des richesses de Paris qui s’étalent au loin le long de
la Seine, il décide de se lancer à la conquête de la capitale :
« À nous deux, maintenant ! »

(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.377-378. )

感情教育、社会教育は終わった。これからは、ラスティニャックもまた冷酷に生きていくのだ。
Son éducation sentimentale et sociale est terminée, désormais il sera lui aussi sans pitié.
(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.378. )

【Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Seuilはこちらから】

Le Capital au XXIe siècle (Les Livres du nouveau monde) (French Edition)


≪ピケティ『21世紀の資本』の目次とフランス語≫

2021-04-04 18:06:11 | フランス語
≪ピケティ『21世紀の資本』の目次とフランス語≫
(2021年4月4日)
 



【はじめに】


今回のブログでは、ピケティ氏の大著『21世紀の資本』の目次を、フランス語と日本語で紹介することである。

〇トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年
〇Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013.

 そして、ピケティ氏自身がその書の概要について、どのように記述しているのかを略述しておきたい。なお、重要な文章は、原文のフランス語でも付記しておく。
 なお、内容については、後日、詳しく紹介してみたいと考えている。
 また、バルザックの小説『ゴリオ爺さん』について、本書の中で言及していることは、つとに知られている。このテーマについても、後日詳しく論じてみたい。
(「第7章 格差と集中」の「ヴォートランのお説教」、「第11章 長期的に見た能力と相続」の「ラスティニャックのジレンマ」などは、バルザックの『ゴリオ爺さん』の登場人物である。経済学の本の目次に、フランスの小説の人名が登場すること自体、いかにもフランス人という印象を受ける)。

ところで、<著者略歴>によれば、ピケティ氏は、1971年、クリシー(フランス)に生まれる。パリ経済学校経済学部教授で、社会科学高等研究院(EHESS)経済学教授である。
経済発展と所得分配の相互作用について、主要な歴史的、理論的研究を成し遂げた。特に、国民所得に占めるトップ層のシェアの長期的動向についての近年の研究を先導している。資本市場が完全になればなるほど、資本収益率rが経済成長率gを上回る可能性も高まるという。



【トマ・ピケティ(山形ほか訳)『21世紀の資本』みすず書房はこちらから】

21世紀の資本


【Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Seuilはこちらから】

Le Capital au XXIe siècle (Les Livres du nouveau monde) (French Edition)

さて、このピケティ氏の『21世紀の資本』は、You Tubeでも紹介されている。
例えば、日本記者クラブによるピケティ氏本人の会見についてである。
〇「トマ・ピケティ 仏経済学者『21世紀の資本』2015.1.31」(2.9万回視聴)
・「不平等是正を」と明快に持論を展開
・日本の政策課題は、「税制をもっと累進的にして富裕層により多くを負担させる一方、若者や低所得層には減税策をとること」などと主張した
・世界の主要国は、不平等がひどくなった時代のほうが経済成長率は高かったことを挙げ、再分配政策が繁栄の礎であると強調した

ピケティ『21世紀の資本』は、その他のYou Tubeにおいても、簡潔に紹介されている。
〇アバタロー「14分解説 21世紀の資本」(10万回視聴)
〇タコペッティ「トマ・ピケティの21世紀の資本を13分でわかりやすく解説する」(1.4万回視聴)
〇サラタメさん「11分で解説 21世紀の資本byトマ・ピケティ」(40万回視聴)
興味のある方はご覧いただきたい。

また、読書において、目次はその著作の全体像を把握するために、最も重要である。読書論を論じる際に、目次の重要性に着目する人は多い。
例えば、You Tubeにおいて、メンタリストのDaiGoさん(1986-、慶應義塾大学理工学部卒)、タレントの中田敦彦さん(1982-、慶應義塾大学経済学部卒)なども読書の際の目次に着目している。
〇DaiGo(You Tube登録者数235万人)「一度読んだら忘れない3つの読書術とは?」(81万回視聴)
 目次を見て、何が書いてあるかを予想するクイズを作って読むと、内容を忘れないと主張している。
〇中田敦彦(You Tube登録者数360万人)「中田敦彦のYou Tube大学 読書術①たくさんの本を速く読めるテクニック」(110万回視聴)
 目次は、「渾身の地図」であるから熟読すべきであると、読書術としての目次の重要性を力説している。



上記の記事なども考慮にいれて、ピケティ氏の『21世紀の資本』の目次を紹介してみたい。

さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・はじめに
・ピケティの訳本の目次
・ピケティの原書(フランス語版)の章立て
・ピケティの原書(フランス語版)の目次
・ピケティによる本書の概要









訳本トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』(みすず書房、2014年)の目次は次のようになっている。

【目次】
謝辞
はじめに……1頁
 データなき論争
 マルサス、ヤング、フランス革命
 リカード――希少性の原理
 マルクス――無限蓄積の原理
 マルクスからクズネッツへ、または終末論からおとぎ話へ
 クズネッツ曲線――冷戦さなかのよい報せ
 分配の問題を経済分析の核心に戻す
 本書で使ったデータの出所
 本研究の主要な結果
 格差収斂の力、格差拡大の力
 格差拡大の根本的な力――r>g
 本研究の地理的、歴史的範囲
 理論的、概念的な枠組み
 本書の概要
 
第Ⅰ部 所得と資本
第1章 所得と産出……41頁
 長期的に見た資本-労働の分配――実は不安定
 国民所得の考え方
 資本って何だろう?
 資本と富 
 資本/所得比率
 資本主義の第一基本法則――α=r×β
 国民経済計算――進化する社会構築物
 生産の世界的な分布
 大陸ブロックから地域ブロックへ
 世界の格差――月150ユーロから月3000ユーロまで
 世界の所得分配は産出の分配よりもっと不平等
 収斂に有利なのはどんな力?

第2章 経済成長――幻想と現実……77頁
 超長期で見た経済成長
 累積成長の法則  
 人口増加の段階
 マイナスの人口増加?
 平等化要因としての人口増加 
 経済成長の段階
 購買力の10倍増とはどういうことだろう?
 経済成長――ライフスタイルの多様化
 成長の終わり? 
 年率1パーセントの経済成長は大規模な社会変革をもたらす
 戦後期の世代――大西洋をまたぐ運命の絡み合い
 世界成長の二つの釣り鐘曲線
 インフレの問題
 18、19世紀の通貨大安定
 古典文学に見るお金の意味
 20世紀における金銭的な目安の喪失
 
第Ⅱ部 資本/所得比率の動学
第3章 資本の変化……119頁
 富の性質――文学から現実へ
 イギリスとフランスにおける資本の変化
 外国資本の盛衰
 所得と富――どの程度の規模か
 公共財産、民間財産
 歴史的観点から見た公共財産
 イギリス――民間資本の強化と公的債務
 公的債務で得をするのは誰か
 リカードの等価定理の浮き沈み
 フランス――戦後の資本家なき資本主義

第4章 古いヨーロッパから新世界へ……147頁
 ドイツ――ライン型資本主義と社会的所有
 20世紀の資本が受けた打撃
 米国の資本――ヨーロッパより安定
 新世界と外国資本
 カナダ――王国による所有が長期化
 新世界と旧世界――奴隷制の重要性
 奴隷資本と人的資本

第5章 長期的に見た資本/所得比率……172頁
 資本主義の第二基本法則――β=s/g
 長期的法則
 1970年代以降の富裕国における資本の復活
 バブル以外のポイント――低成長、高貯蓄
 民間貯蓄の構成要素二つ
 耐久財と貴重品
 可処分所得の年数で見た民間資本
 財団などの資本保有者について
 富裕国における富の民営化
 資産価格の歴史的回復
 富裕国の国民資本と純外国資産
 21世紀の資本/所得比率はどうなるか?
 地価の謎

第6章 21世紀における資本と労働の分配……207頁
 資本/所得比率から資本と労働の分配へ
 フロー ――ストックよりさらに推計が困難
 純粋な資本収益という概念
 歴史的に見た資本収益率
 21世紀初期の資本収益率
 実体資産と名目資産
 資本は何に使われるか
 資本の限界生産性という概念
 過剰な資本は資本収益率を減らす
 コブ=ダグラス型生産関数を超えて――資本と労働の分配率の安定性という問題
 21世紀の資本と労働の代替――弾性値が1より大きい
 伝統的農業社会――弾性値が1より小さい
 人的資本はまぼろし?
 資本と労働の分配の中期的変化
 再びマルクスと利潤率の低下
 「二つのケンブリッジ」を越えて
 低成長レジームにおける資本の復権
 技術の気まぐれ
 
第Ⅲ部 格差の構造
第7章 格差と集中――予備的な見通し……247頁
 ヴォートランのお説教
 重要な問題――労働か遺産か?
 労働と資本の格差
 資本――常に労働よりも分配が不平等
 格差と集中の規模感
 下流、中流、上流階級
 階級闘争、あるいは百分位闘争?
 労働の格差――ほどほどの格差?
 資本の格差――極端な格差
 20世紀の大きなイノベーション――世襲型の中流階級
 総所得の格差――二つの世界
 総合指標の問題点
 公式発表を覆う慎みのベール
 「社会構成表」と政治算術に戻る
 
第8章 二つの世界……281頁
 単純な事例――20世紀フランスにおける格差の縮小
 格差の歴史――混沌とした政治的な歴史
 「不労所得生活者社会」から「経営者社会」へ
 トップ十分位の各種世界
 所得税申告の限界
 両大戦間の混沌
 一時的影響の衝突
 1980年代以降のフランスにおける格差の拡大
 もっと複雑な事例――米国における格差の変容
 1980年以降の米国の格差の爆発的拡大
 格差の拡大が金融危機を引き起こしたのか?
 超高額給与の台頭
 トップ百分位内の共存
 
第9章 労働所得の格差……316頁
 賃金格差――教育と技術の競争か?
 理論モデルの限界――制度の役割
 賃金体系と最低賃金
 米国での格差急増をどう説明するか?
 スーパー経営者の台頭――アングロ・サクソン的現象
 トップ千分位の世界
 ヨーロッパ――1900-1910年には新世界よりも不平等
 新興経済国の格差――米国よりも低い?
 限界生産性という幻想
 スーパー経営者の急上昇――格差拡大への強力な推進力
 
第10章 資本所有の格差……350頁
 極度に集中する富――ヨーロッパと米国
 フランス――民間財産の観測所
 世襲社会の変質
 ベル・エポック期のヨーロッパの資本格差
 世襲中流階級の出現
 米国における富の不平等
 富の分岐のメカニズム――歴史におけるrとg
 なぜ資本収益率が成長率よりも高いのか?
 時間選好の問題
 均衡分布は存在するのか?
 限嗣相続制と代襲相続制
 民法典とフランス革命の幻想
 パレートと格差安定という幻想
 富の格差が過去の水準に戻っていない理由は?
 いくつかの部分的説明――時間、税、成長
 21世紀――19世紀よりも不平等?

第11章 長期的に見た能力と相続……392頁
 長期的な相続フロー
 税務フローと経済フロー
 三つの力――相続の終焉という幻想
 長期的死亡率
 人口とともに高齢化する富――μ×m効果
 死者の富、生者の富
 50代と80代――ベル・エポック期における年齢と富
 戦争による富の若返り
 21世紀には相続フローはどのように展開するか?
 年間相続フローから相続財産ストックへ
 再びヴォートランのお説教へ
 ラスティニャックのジレンマ
 不労所得生活者と経営者の基本計算
 古典的世襲社会――バルザックとオースティンの世界
 極端な富の格差は貧困社会における文明の条件なのか?
 富裕社会における極端な能力主義
 プチ不労所得生活者の社会
 民主主義の敵、不労所得生活者
 相続財産の復活――ヨーロッパだけの現象か、グローバルな現象か?

第12章 21世紀における世界的な富の格差……446頁
 資本収益率の格差
 世界金持ちランキングの推移
 億万長者ランキングから「世界資産報告」まで
 資産ランキングに見る相続人たちと起業家たち
 富の道徳的階層
 大学基金の純粋な収益
 インフレが資本収益の格差にもたらす影響とは
 ソヴリン・ウェルス・ファンドの収益――資本と政治
 ソヴリン・ウェルス・ファンドは世界を所有するか
 中国は世界を所有するのか
 国際的格差拡大、オリガルヒ的格差拡大
 富裕国は本当は貧しいのか

第Ⅳ部 21世紀の資本規制
第13章 21世紀の社会国家……489頁
 2008年金融危機と国家の復活
 20世紀における社会国家の成長
 社会国家の形
 現代の所得再分配――権利の論理
 社会国家を解体するよりは現代化する
 教育制度は社会的モビリティを促進するだろうか?
 年金の将来――ペイゴー方式と低成長
 貧困国と新興国における社会国家
 
第14章 累進所得税再考……514頁
 累進課税の問題
 累進課税――限定的だが本質的な役割
 20世紀における累進税制――とらえどころのない混沌の産物
 フランス第三共和国における累進課税
 過剰な所得に対する没収的な課税――米国の発明
 重役給与の爆発――課税の役割
 最高限界税率の問題再考
 
第15章 世界的な資本税……539頁
 世界的な資本税――便利な空想
 民主的、金融的な透明性
 簡単な解決策――銀行情報の自動送信
 資本税の狙いとは?
 貢献の論理、インセンティブの論理
 ヨーロッパ富裕税の設計図
 歴史的に見た資本課税
 別の形態の規制――保護主義と資本統制
 中国での資本統制の謎
 石油レントの再分配
 移民による再分配
 
第16章 公的債務の問題……567頁
 公的債務削減――資本課税、インフレ、緊縮財政
 インフレは富を再分配するか?
 中央銀行は何をするか?
 お金の創造と国民資本
 キプロス危機――資本税と銀行規制が力をあわせるとき
 ユーロ――21世紀の国家なき通貨?
 欧州統合の問題
 21世紀における政府と資本蓄積
 法律と政治
 気候変動と公的資本
 経済的透明性と資本の民主的なコントロール

おわりに……601頁
 資本主義の中心的な矛盾―― r>g
 政治歴史経済学に向けて 
 最も恵まれない人々の利益
 
 凡例…… i
 図表一覧……95
 原注……17
 索引……Ⅰ







Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013.
フランス語の原著のSommaireは次のようになっている。

Sommaire
Remerciements……9
Introduction……15
Première partie. Revenu et capital……69
Chapitre 1. Revenu et production……71
Chapitre 2. La croissance : illusions et réalités……125

Deuxième partie. La dynamique du rapport capital/revenu……181
Chapitre 3. Les métamorphoses du capital……183
Chapitre 4. De la vieille Europe au Nouveau Monde……223
Chapitre 5. Le rapport capital/revenu dans le long terme……259
Chapitre 6. Le partage capital-travail au XXIe siècle……315

Troisième partie. La structure des inégalités……373
Chapitre 7. Inégalités et concentration : premiers repères……375
Chapitre 8. Les deux mondes……427
Chapitre 9. L’inégalité des revenus du travail……481
Chapitre 10. L’inégalité de la propriété du capital……535
Chapitre 11. Mérite et héritage dans le long terme……599
Chapitre 12. L’inégalité mondiale des patrimoines au XXIe siècle……685

Quatrième partie. Réguler le capital au XXIe siècle……749
Chapitre 13. Un État social pour le XXIe siècle……751
Chapitre 14. Repenser l’impôt progressif sur le revenu……793
Chapitre 15. Un impôt mondial sur le capital……835
Chapitre 16. La question de la dette publique……883

Conclusion……941
Table des matières……951
Liste des tableaux et graphiques……963







Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013.
フランス語の原著のTable des matières(pp.951-961, 目次)は次のようになっている。

Sommaire……7
Remerciements……9

Introduction……15


Un débat sans source ?
Malthus, Young et la Révolution française
Ricardo : le principe de rareté
Marx : le principe d’accumulation infinie
De Marx à Kuznets : de l’apocalypse au conte de fées
La courbe de Kuznets : une bonne nouvelle au temps de la guerre froide
Remettre la question de la répartition au cœur de l’analyse économique
Les sources utilisées dans ce livre
Les principaux résultats obtenus dans ce livre
Forces de convergence fondamentale : r > g
Le cadre géographique et historique
Le cadre théorique et conceptuel
Plan du livre

Première partie. Revenu et capital……69


Chapitre 1. Revenu et production……71


Le partage capital-travail dans le long terme : pas si stable
La notion de revenu national
Qu’est-ce-que le capital ?
Capital et patrimoine
Le rapport capital/revenu
La première loi fondamental du capitalisme : α=r×β
 La comptabilité nationale, une construction sociale en devenir
La répartition mondiale de la production
Des blocs continentaux aux blocs régionaux
L’inégalité mondiale : de 150 euros par mois à 3000 euros par mois
La répartition mondiale du revenu : plus inégale que la production
Quelles forces permettent la convergence entre pays ?

Chapitre 2. La croissance : illusions et réalités……125


La croissance sur très longue période
La loi de la croissance cumulée
Les étapes de la croissance démographique
Une croissance démographique négative ?
La croissance, source d’égalisation des destins
Les étapes de la croissance économique
Que signifie un pouvoir d’achat multiplié par dix ?
La croissance : une diversification des modes de vie
La fin de la croissance ?
Avec 1 % de croissance annuelle, une société se renouvelle profondément
La postérité des Trente Glorieuses : destins croisés transatlantiques
La double courbe en cloche de la croissance mondiale
La question de l’inflation
La grande stabilité monétaire des XVIIIe et XIXe siècles
Le sens de l’argent dans le roman classique
La fin des repères monétaires au Xxe siècle

Deuxième partie. La dynamique du rapport capital/revenu……181


Chapitre 3. Les métamorphoses du capital……183


La nature de la fortune : de la littérature à la réalité
Les métamorphoses du capital au Royaume-Uni et en France
Grandeur et chute des capitaux étrangers
Revenus et patrimoines : quelques ordres de grandeur
Richesse publique, richesse privée
La fortune publique dans l’histoire
Le Royaume-Uni : dette publique et renforcement du capital privé
À qui profite la dette publique ?
Les aléas de l’équivaleuce ricardienne
La France : un capitalisme sans capitalistes dans l’après-guerre

Chapitre 4. De la vieille Europe au Nouveau Monde……223


L’Allemagne : capitalisme rhénan et propriété sociale
Les chocs subi par le capital au Xxe siècle
Le capital en Amérique : plus stable qu’en Europe
Le Nouveau Monde et les capitaux étrangers
Le Canada : longtemps possédé par la Couronne
Nouveau Mode et Ancien Monde : le poids de l’esclavage
Capital négien et capital humain

Chapitre 5. Le rapport capital/revenu dans le long terme……259


La deuxième loi fondamentale du capitalisme : β=s/g
Une loi de long terme
Le retour du capital dans les pays riches depuis les années 1970
Au-delà des bulles : croissance faible, épargne forte
Les deux composantes de l’épargne privée
Biens durables et objets de valeur
Le capital privé exprimé en années de revenu disponible
La question des fondations et des autres détenteurs
La privatisation du patrimoine dans les pays riches
La remontée historique du prix des actifs
Capital national et actifs étrangers nets dans les pays riches
À quel niveau se situera le rapport capital /revenu mondial au XXIe siècle ?
Le mystère de la valeur des terres

Chapitre 6. Le partage capital-travail au XXIe siècle……315


Du rapport capital /revenu au partage capital-travail
Les flux : plus difficiles à estimer que les stocks
La notion de rendement pur du capital
Le rendement du capital dans l’histoire
Le rendement du capital au début du XXIe siècle
Actifs réels et actifs nominaux
À quoi sert le capital ?
La notion de productivité marginale du capital
Trop de capital tue le capital
Au-delà de Cobb-Douglas : la question de la stabilité du partage capital-travail
La substitution capital-travail au XXIe siècle : une élasticité supérieure à un
Les sociétés agricoles traditionelles : une élasticité inférieure à un
Le capital humain est-il une illusion ?
Les mouvements du partage capital-travail dans le moyen terme
Retour à Marx et à la baisse tendancielle du taux de profit
Au-delà des « deux Cambridge »
Le retour du capital en régime de croissance faible
Les caprices de la technologie

Troisième partie. La structure des inégalités……373


Chapitre 7. Inégalités et concentration : premiers repères……375


Le discours de Vautrin
La question centrale : travail au héritage ?
Inégalités face au travail, inégalités face au capital
Le capital : toujours plus inégalement réparti que le travail
Inégalités et concentration : quelques ordres de grandeur
Classes populaires, classes moyennes, classes supérieures
La lutte des classes, ou la lutte des centiles ?
Les inégalités face au travail : des inégalités apaisées ?
Les inégalités face au capital : des inégalités extrêmes
L’innovation majeure du Xxe siècle : la classe moyenne patrimoniale
L’inégalité totale des revenus : les deux mondes
Les problèmes posés par les indicateurs synthétiques
Le voile pudique des publications officielles
Retour aux « tables sociales » et à l’arithmétique politique

Chapitre 8. Les deux mondes……427


Un cas simple : la réduction des inégalités en France au Xxe siècle
L’histoire des inégalités : une histoire politique et chaotique
De la « société de rentiers » à la « société de cadres »
Les différents mondes du décile supérieur
Les limites des déclarations de revenus
Le chaos de l’entre-deux-guerres
Le choc des temporalités
La hausse des inégalités françaises depuis les années 1980-1990
Un cas plus complexe : la transformation ds inégalités aux États-Unis
L’explosion des inégalités américaines depuis les années 1970-1980
La hausse des inégalités a-t-elle causé la crise financière ?
La montée des super-salaires
La cohabitation du centile supérieur

Chapitre 9. L’inégalité des revenus du travail……481


L’inégalités des revenus du travail : une course entre éducation et technologie ?
Les limites du modèle théorique : le rôle des institutions
Grilles salariales et salaire minimum
Comment expliquer l’explosion des inégalités américaines ?
La montée des super-cadres : un phénomène anglo-saxon
Le monde du millime supérieur
L’Europe : plus inégalitaire que le Nouveau Monde en 1900-1910
Les inégalités dans les pays émergents : plus faibles qu’aux États-Unis
L’illusion de la productivité marginale
Le décrochage des super-cadres : une puissante force de divergence

Chapitre 10. L’inégalité de la propriété du capital……535


L’hyperconcentration patrimoniale : Europe et Amérique
La France : un observatoire des patrimoines
Les métamorphoses d’une société patrimoniale
L’inégalité du capital dans l’Europe de la Belle Époque
L’émergence de la classe moyenne patrimoniale
L’inégalité du capital en Amérique
La mécanique de la divergence patrimoniale : r versus g dans l’histoire
Pourquoi le rendement du capital est-il supérieur au taux de croissance ?
La question de la préférence pour le présent
Existe-t-il une répartition d’équilibre ?
Entails et substitutions héréditaires
Le Code civil et l’illusion de la Révolution française
Pareto et l’illusion de la stabilité des inégalités
Pourquoi l’inégalité patrimoniale du passé ne s’est-elle pas reconstituée ?
Les éléments d’explication : le temps, l’impôt et la croissance
Le XXIe siècle sera-t-il encore plus inégalitaire que le XIXe siècle ?

Chapitre 11. Mérite et héritage dans le long terme……599


L’évolution du flux successoral sur longue période
Flux fiscal et flux économique
Les trois forces : l’illusion de la fin de l’héritage
La mortalité sur longue période
La richesse vieillit avec la population : l’effet μ×m
Richesse des morts, richesse des vivants
Quinquagénaires et octogénaires : âge et fortune à la Belle Époque
Le rajeunissement des patrimoines par les guerres
Comment évaluera le flux successoral au XXIe siècle ?
Du flux successoral annuel au stock de patrimoine hérité
Retour au discours de Vautrin
Le dilemme de Rastignac
Arithmétique élémentaire des rentiers et des cadres
La société patrimoniale classique : le monde de Balzac et de Jane Austen
L’inégalité patrimoniale extrême, condition de la civilisation dans une société pauvre ?
L’extrémisme méritocratique dans les sociétés riches
La société des petits rentiers
Le rentier, ennemi de la démocratie
Le retour de l’héritage : un phénomène européen puis mondial ?

Chapitre 12. L’inégalité mondiale des patrimoines au XXIe siècle……685


L’inégalité des rendements du capital
L’évolution des classements mondiaux de fortunes
Des classements de milliardaires aux « rapports mondiaux sur la fortune »
Héritiers et entrepreneurs dans les classements de fortunes
La hiérarchie morale des fortunes
Le rendement pur des dotations universitaires
Capital et économies d’échelle
Quel est l’effet de l’inflation sur l’inégalité des rendements du capital ?
Le rendement des fonds souverains : capital et politique
Les fonds pétroliers vont-ils posséder le monde ?
La Chine va-t-elle posséder le monde ?
Divergence internationale, divergence oligarchique
Les pays riches sont-ils si pauvres ?

Quatrième partie. Réguler le capital au XXIe siècle……749


Chapitre 13. Un État social pour le XXIe siècle……751


La crise de 2008 et la question du retour de l’État
Le développement d’un État social au Xxe siècle
Les formes de l’État social
La redistribution moderne : une logique de droits
Moderniser l’État social, et non le démanteler
Les institutions éducatives permettent-elles la mobilité sociale ?
Méritocratie et obligarchie à l’université
L’avenir des retraites : répartition et croissance faible
La question de l’État social dans les pays pauvres et émergents

Chapitre 14. Repenser l’impôt progressif sur le revenu……793


La redistribution moderne : la question de la progressivité fiscale
L’impôt progressif : un rôle localisé mais essentiel
L’impôt progressif au XXe siècle : l’éphémère produit du chaos
La question de l’impôt progressif sous la IIIe République
L’impôt confiscatoire sur les revenus excessifs : une invention américaine
L’explosion des salaires des cadres dirigeants : le rôle de la fiscalité
Identités nationales et performance économique
Repenser la question du taux marginal supérieur

Chapitre 15. Un impôt mondial sur le capital……835


L’impôt modial sur le capital : une utopie utile
Un objectif de transparence démocratique et financière
Une solution simple : les transmissions automatiques d’informations bancaires
À quoi sert l’impôt sur la capital ?
Logique contributive, logique incitative
Ébauche d’un impôt européen sur la fortune
L’impôt sur le capital dans l’histoire
Les régulations de substitution : protectionnisme et contrôle des capitaux
Le mystère de la régulation chinoise du capital
La question de la redistribution de la rente pétrolière
La redistribution par l’immigration

Chapitre 16. La question de la dette publique……883


Réduire la dette publique : impôt sur le capital, inflation ou austérité
L’inflation permet-elle de redistribuer les richesses ?
Que font les banques centrales ?
Création monétaire et capital national
La crise chypriote : quand l’impôt sur le capital rejoint la régulation bancaire
L’euro : une inonnaie sans État pour le XXIe siècle ?
La question de l’unification européenne
Puissance publique et accumulation du capital au XXIe siècle
Juridisme et politique
Réchauffement climatique et capital public
Transparence économique et contrôle démocratique du capital

Conclusion……941


La contradiction centrale du capitalisme : r>g
 Pour une économie politique et historique
Le jeu des plus pauvres

Table des matières……951
Liste des tableaux et graphiques……963
Du même auteur……971-972




上記の目次を見て気づくことは、章や節のタイトルで名詞が多いのは普通であるが、節のタイトルが文の形をとっているものがかなりある。とりわけ、疑問文の形がそのまま節の見出しになっている場合が目立つのが特徴的である。
例を挙げてみよう。

【はじめに】
・分配の問題を経済分析の核心に戻す
Remettre la question de la répartition au cœur de l’analyse économique

【第1章】
・資本って何だろう?
Qu’est-ce-que le capital ?

・収斂に有利なのはどんな力?
Quelles forces permettent la convergence entre pays ?

【第2章】
・購買力の10倍増とはどういうことだろう?
Que signifie un pouvoir d’achat multiplié par dix ?

・年率1パーセントの経済成長は大規模な社会変革をもたらす
Avec 1 % de croissance annuelle, une société se renouvelle profondément

【第5章】
・21世紀の資本/所得比率はどうなるか?
À quel niveau se situera le rapport capital /revenu mondial au XXIe siècle ?

【第6章】
・資本は何に使われるか
À quoi sert le capital ?

・過剰な資本は資本収益率を減らす
Trop de capital tue le capital

・人的資本はまぼろし?
Le capital humain est-il une illusion ?

【第7章】
・「社会構成表」と政治算術に戻る
Retour aux « tables sociales » et à l’arithmétique politique

【第8章】
・格差の拡大が金融危機を引き起こしたのか?
La hausse des inégalités a-t-elle causé la crise financière ?

【第9章】
・米国での格差急増をどう説明するか?
Comment expliquer l’explosion des inégalités américaines ?

【第10章】
・なぜ資本収益率が成長率よりも高いのか?
Pourquoi le rendement du capital est-il supérieur au taux de croissance ?

・均衡分布は存在するのか?
Existe-t-il une répartition d’équilibre ?

・富の格差が過去の水準に戻っていない理由は?
Pourquoi l’inégalité patrimoniale du passé ne s’est-elle pas reconstituée ?

・21世紀――19世紀よりも不平等?
Le XXIe siècle sera-t-il encore plus inégalitaire que le XIXe siècle ?

【第11章】
・21世紀には相続フローはどのように展開するか?
Comment évaluera le flux successoral au XXIe siècle ?

【第12章】
・インフレが資本収益の格差にもたらす影響とは
Quel est l’effet de l’inflation sur l’inégalité des rendements du capital ?

・ソヴリン・ウェルス・ファンドは世界を所有するか
Les fonds pétroliers vont-ils posséder le monde ?

・中国は世界を所有するのか
La Chine va-t-elle posséder le monde ?

・富裕国は本当は貧しいのか
Les pays riches sont-ils si pauvres ?

【第13章】
・社会国家を解体するよりは現代化する
Moderniser l’État social, et non le démanteler

・教育制度は社会的モビリティを促進するだろうか?
Les institutions éducatives permettent-elles la mobilité sociale ?

【第15章】
・資本税の狙いとは?
À quoi sert l’impôt sur la capital ?

【第16章】
・インフレは富を再分配するか?
L’inflation permet-elle de redistribuer les richesses ?

・中央銀行は何をするか?
Que font les banques centrales ?


ピケティによる本書の概要


上記の目次からもわかるように、「本書の概要」(Plan du livre)において、ピケティ氏自身、『21世紀の資本』の概要を記している。ここで紹介しておきたい。

本書は全16章で、それが4部に分かれる。

第Ⅰ部 「所得と資本」 は2章構成である


 そこでは、基本的な概念を紹介している
【第1章】
・国民所得、資本、資本/所得比率の概念を紹介している
En particulier, le chapitre 1 présente les concepts
de revenu national, de capital et de rapport capital /revenu,

・世界の所得分布と産出がどう推移してきたかを大ざっぱに描き出す
puis décrit les grandes lignes d’évolution de la répartition
mondiale du revenu et de la production.

【第2章】
・もっと詳細な分析
Le chapitre 2 analyse ensuite plus précisement

・人口増加率と産出の成長率が産業革命以来どう推移したかを示す
l’évolution des taux de croissance de la population et
de la production depuis la révolution industrielle.

※この第Ⅰ部には、目新しいことは何も書いていないと著者自身断っている。 だから、こうした概念や18世紀以来の世界経済の成長史を知っているなら、ここは飛ばして、第Ⅱ部に移ってよいという。

第Ⅱ部 「資本/所得比率の動学」は4章構成である


第Ⅱ部では、資本/所得比率の長期的な推移の見通しと、21世紀に国民所得が労働と資本の間でどう分配されるかを世界全体で検討している。
L’objectif de cette partie est d’analyser la façon dont se présente en ce
début de XXIe siècle la question de l’évolution à long terme du
rapport capital /revenu et du partage global du revenu national
entre revenus du travail et revenu du capital.

【第3章】
・18世紀以来の資本の変容を見る
・長期的なデータが最も揃っているイギリスとフランスの例から始めている

【第4章】
・ドイツと米国を検討する

【第5章】【第6章】
・分析の地理的な範囲を情報源の許すかぎりの全世界に広げる
Les chapitres 5 et 6 étendent géographiquement ces analyses
à la planète entière, autant que les sources le permettent,

・こうした歴史体験から教訓を引き出すことで、今後数十年にわたる資本/所得比率の動向、および資本と労働の構成比率を予想できるようになる
et surtout tentent de tirer les leçons de ces expériences histo-
riques pour analyser l’évolution possible du rapport capita /
revenu et du partage capital-travail dans les décennies à venir.


第Ⅲ部 「格差の構造」は全6章から成る


【第7章】
・労働からの所得の分配による格差がどのくらいで、資本所有の格差と資本所得による格差がどのくらいなのかという規模感を説く
Le chapitre 7 commence par familiariser le lecteur
avec les ordres de grandeur atteints en pratique
par l’inégalité de la répartition des revenus du travail
d’une part, et de la propriété du capital et des revenus qui en
sont issus d’autre part.


【第8章】
・こうした格差の歴史的な力学を分析する
・まずはフランスと米国の比較から始めている

【第9章】【第10章】
・その分析を歴史的データの揃っている(WTIDにデータのある)すべての国に拡大する
・そして労働に関わる格差と資本による格差を分けて検討する
... en examinant séparément les inégalités face au
travail et face au capital.

【第11章】
・長期的にみた相続財産の重要性の変化を検討する

【第12章】
・21世紀最初の数十年における世界的な富の分配見通しを検討する

※これまでの3部は、事実を確立して、そうした変化の原因を理解しようとするものである

第Ⅳ部 「21世紀の資本規制」は4章構成である


※第Ⅳ部の狙いは、第Ⅰ部から第III部までから得られる規範的、政策的な教訓を引き出すことである
L’objectif est de tirer les leçons politiques et normatives des parties précédents,

【第13章】
・現在の状況に適した「社会国家」がどんなものかを検討する

【第14章】
・過去の経験と最近の傾向に基づいて、累進所得税の見直しを提案する
Le chapitre 14 propose de repenser l’impôt progressif sur le revenu à la
lumière des expérience passées et des tendances récentes

【第15章】
・21世紀の条件に対応した資本への累進課税がどんな形になりそうかを描く
Le chapitre 15 décrit ce à quoi pourrait ressembler un impôt
progressif sur le capital adapté au capitalisme patrimonial du
XXIe siècle, ...

・この理想化されたツールを、政治プロセスから生じそうな他の各種規制と比べてみる
・そうした規制としては、ヨーロッパにおける富裕税から、中国における資本規制、米国での移民制度改革、多くの国での保護主義復活など、いろいろある

【第16章】
・目下重要となりつつある公的債務の問題と、それに関連して自然資本が劣化しつつある時代における公的資本の最適な蓄積という問題を扱う
Le chapitre 16 traite de la question
lancinante de la dette publique et de celle ― connexe ― de
l’accumulation optimale du capital public, dans un contexte
de détérioration possible du capital naturel.

【最後にひと言】
・ピケティ氏は、本書の題名について断わりを付記している。
 フランス語で2013年に(英語では2014年)刊行された本書を『21世紀の資本』と名付けたことについては、ご寛容をお願いするという。
(2063年や2013年に資本がどんな形をとるかについて、自分が予測できないことは自覚している)
・所得と富の歴史は常に根深く政治的であり、混乱に満ち、予想外のものだと、本書で示している
 l’histoire des revenu et des patrimoines est toujours une
histoire profondément politique, chaotique et imprévisible.

・この歴史がどう展開するかは、社会がどのように格差をとらえ、それを計測して変化させるために、社会がどんな政策や制度を採用するかに左右される
Elle dépend des repésentations que les différentes sociétés se
font des inégalités, et des politiques et institutions qu’elles se
donnent pour les modeler et les transformer, dans un sens ou
dans un autre.

・今後数十年の間に、そうしたものがどう変わるかを予見できる者は誰もいない。それでも歴史の教訓は有用だ。というのも、それは、これからの1世紀でどんな選択に私たちが直面するか、そしてそこにどんな力学が作用するかを、見通すのに役立つからだ
Nul ne peut savoir quelle forme prendront
ces retournements dans les décennies à venir. Il n’en reste
pas moins que les leçons de l’histoire sont utiles pour tenter
d’appréhender un pue plus clairement ce que seront les choix
et les dynamiques à l’œuvre dans le siècle qui s’ouvre.

・本書は論理的に言えば、『21世紀の夜明けにおける資本』という題名にすべきだっただろう。
その唯一の目的は、過去からいくつか将来に対する慎ましい鍵を引き出すことであるという。
歴史は常に自分自身の道筋を発明するので、こうした過去からの教訓がどこまで実際に役立つかはまだわからないとする。
(ピケティ氏は、それをその意義をすべて理解しているなどと想定することなしに、読者に提示しようという)

(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、36~38頁。Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, pp.66-68.参照のこと)

【トマ・ピケティ(山形ほか訳)『21世紀の資本』みすず書房はこちらから】
21世紀の資本



≪「ミロのヴィーナス」をフランス語で読む その3 マッフル氏の著作より

2019-12-22 18:33:02 | フランス語
ミロのヴィーナス」をフランス語で読む その3 マッフル氏の著作より



【はじめに】


今回は、ジャン=ジャック・マッフル氏(Jean-Jacques Maffre)のクセジュ・シリーズに収められた L’art grec, Presses Universitaires de France, 2001.を紹介してみたい。
 マッフル氏の著作は、日本では『ペリクレスの世紀』(原題 : Le siècle de Périclès、幸田礼雅訳、白水社、2014年)という邦訳書があり、紀元前5世紀の古代ギリシャの政治家について論じている。しかしL’art grecの邦訳はまだないようである。

<ヘレニズム期の彫刻の特質>


La sculpture hellénistique
De même que l’architecture, la sculpture hellénis-
tique est souvent en germe dans celle du IVe siècle,
mais son développement exubérant va prendre des
voies multiples, parfois contradictoires, dans une
diversité qui défie la synthèse. Les Anciens, Pline
notamment, estimaient que la sculpture ---- tout
comme la peinture ---- avait atteint son apogée au
IVe siècle, et que l’art hellénistique, surtout dans sa
première phase, n’était qu’une nécessaire décadence
après la perfection classique. Les Modernes ont
souvent partagé ce point de vue. Pourtant, même
s’il est vrai que la vogue des copies de statues clas-
siques commence alors à se répandre, entraînant un
indéniable académisme dans bien des œuvres de la
grande statuaire et surtout de la sculpture d’appar-
tement, même si certains princes se mettent à collec-
tionner les originaux du passé, par exemple à Alexan-
drie et à Pergame, même s’il n’y a plus de grands
maîtres aux noms prestigieux, l’époque hellénistique
ne manque pas de créateurs originaux qui, comme
à l’époque archaïque, se rattachent souvent à des
écoles, sans qu’il faille toutefois chercher des oppo-
sitions trop fortes entre les courants que celles-ci
peuvent représenter, car plus que jamais s’exercent
des influences réciproques, les artistes voyageant sans
cesse pour répondre à la demande des souverains,
des cités et, de plus en plus, des riches particuliers.
(Jean-Jacques Maffre, Que sais-je? L’art grec, Presses Universitaires de France, 2001, p.115.)



≪試訳≫
建築と同様に、ヘレニズム期の彫刻はしばしば(紀元前)4世紀に芽生えが見られるが、その豊富な発展は、合成を寄せつけない多様性の中で、様々な道、時には対立した道をとろうとしている。
古代人、とりわけプリニウスは、絵画と全く同様に、彫刻も、(紀元前)4世紀に絶頂に達していたと評価した。そしてとりわけ初期の局面におけるヘレニズム期の芸術は、古典期の完成後の避けられない退廃にすぎなかったとみていた。現代人はしばしばこの視点を共有した。しかし古典期の彫像を複製する人気が当時広がり始め、偉大な彫像製作者の多くの作品、とりわけ広間の彫刻で否定できない伝統主義をもたらしたことがたとえ本当だとしても、例えばアレクサンドリアやペルガモンのある王子たちが過去のオリジナル作品を収集し始めたとしても、そしてたとえ名高い偉大な巨匠がもはやいないにしても、表現しうる傾向の間に非常に強い反対をそれでも求める必要もなく、アルカイック期と同様に流派にしばしばむすびつける独創的な創作者がヘレニズム期に欠いていたわけではない。というのは、かつてないほど、相互に影響し合っているから。芸術家たちは、君主や都市、そして次第に特定の金持ちの需要に応えるために絶えず旅をする。



【コメント】
マッフルは、ハヴロック同様に、ヘレニズム期を評価しているとみてよい。
 プリニウスはヘレニズム期の芸術に対する評価について退廃期と見ていたことをマッフルは言及している。この見方は現代のケネス・クラークも受け継いでいたことが、ハヴロックの叙述から確認できたことと思う。



【語句】
De même que qn/qc ~と同様に(just as, as well as)
la sculpture hellénistique est souvent <êtreである(be)の直説法現在
germe  (m)芽、根源(germ)
 <例文>Le germe de cette idée est au XIVe siècle.= Cette idée est en germe au XIVe siècle.
 この思想の芽生えは14世紀に見られる。
exubérant (adj.)豊富な(exuberant)
va prendre <allerの直説法現在+不定法 (近い未来)~しようとしている(be going to)
 prendre (道を)行く、とる、(方向に)進む(take)
multiple (adj.)さまざまな、多数の(multiple)
parfois  (adv.)ときどき、ときには(sometimes)
contradictoire (adj.)互いに矛盾する、対立した(contradictory)
une diversité (f)多様性(diversity)、相違(difference)
qui défie  <défier挑戦する、寄せつけない(defy)の直説法現在
la synthèse  (f)統合、合成(synthesis)
Les Anciens (複)(ギリシャ、ローマの)古代人、古代作家(Anciens)
Pline    プリニウス(23-79年)、古代ローマの政治家、学者。当代最大の「博物誌」
      (全37巻)を残す
notamment (adv.)とりわけ(particularly)
estimaient  <estimer評価する(estimate)の直説法半過去
tout comme  まったく~と同じに(just like)
avait atteint  <助動詞avoirの半過去+過去分詞(atteindre) 直説法大過去
 atteindre 到達する、達する(reach, attain)
son apogée  (m)絶頂、頂点(apex, climax)
phase  (f)段階、局面、期、位相、フェーズ(phase)
n’était qu’une <êtreである(be)の直説法半過去
nécessaire décadence  nécessaire(adj.)必要な、避けられない(necessary)
 décadence  (f)衰退、退廃(decadence)
la perfection (f)完成(perfection)
classique  (adj.)古典の、古代ギリシャの(classic, classical)
Les Modernes (複)現代人(moderns)
ont souvent partagé <助動詞avoirの直説法現在+過去分詞(partager)直説法複合過去
 partager 分ける、共有する(share, partake)
 <例文>Je ne partage pas votre point de vue.
私はあなたの意見に不賛成です(I don’t agree with you.)
point de vue 視点、見地(point of view, standpoint)
Pourtant (adv.)それでも、しかし(yet, though)
même si... たとえ~であっても(even if)
la vogue   (f)流行、人気(vogue, popularity)
commence alors à <commencer à+不定法 ~し始める(begin to do)の直説法現在
se répandre (代名動詞)広まる(spread)
entraînant <entraîner連れて行く(take)、もたらす(bring about, entail)の現在分詞
indéniable (adj.)否定できない(undeniable)
académisme (m)(官学風の)伝統主義(academicism)
bien de qc 多くの <例文>dans bien des régions 多くの地域で
statuaire  (m, f)彫像製作者(sculptor, sculptress)
appartement (m)広間(suite [of rooms])
prince   (m)王子、君主(prince)
se mettent à <代名動詞se mettre à+不定法 ~し始める(start doing)の直説法現在
collectionner 収集する(collect)
Alexandrie  アレクサンドリア(エジプト北部の港市)(Alexandria)
Pergame   ペルガモン(小アジアのミュシア地方(現・トルコ)の古代都市
maître   (m, f)主人、巨匠(master)
prestigieux  (adj.)威光のある、名高い(prestigious)
ne manque pas <manquer欠けている、不足している(be lacking)の直説法現在の否定形
créateur (m, f)創始者、創作者(creator)
original (男性複数~aux)(adj.)独創的な(original)
archaïque (adj.)[美術]アルカイックな、古典時代以前の(archaic)
se rattachent ... à <代名動詞se rattacher à (àに)結びつく(relate to)の直説法現在
souvent (adv.)しばしば(often)
école   (f)学校、流派(school)
sans qu’il faille <sans que+接続法 ~することなしに、~でないとしても(without doing)
 faille<falloir~しなければならない(must)の接続法現在
toutefois  (adv.)それでも、にもかかわらず(yet, however)
chercher   探す、探し求める(seek, look for)
opposition  (f)反対、対立(opposition)
courant  (m)流れ(stream)、動向、傾向(trend)
celles-ci peuvent représenter<pouvoirできる(can)の直説法現在
plus que jamais かつてないほど、これまでになく
 <例文>L’édition est en crise aujourd’hui plus que jamais.
出版業界は今、未曾有の危機に瀕している。
s’exercent des influences <代名動詞s’exercer発揮される、はたらく(be exerted)
の直説法現在
réciproque (adj.)お互いの、相互的な(reciprocal)
voyageant  <voyager旅をする(travel)の現在分詞
sans cesse  絶えず(without cease)
de plus en plus ますます、しだいに(more and more)
riche (m, f)金持ち(rich person)
 



<「うずくまるアフロディテ」と「サモトラケのニケ」>


Mais la plupart des statues de marbre ou de bronze
restent de dimensions moyennes, entre une taille un
peu supérieure à la normale et la mi-grandeur natu-
relle. L’évolution du goût dans le sens d’une plus
grande sensibilité entraîne l’apparition de thèmes
nouveaux et le succès de ceux amorcés au IVe siècle,
tels les nus féminins, parmi lesquels les trois Grâces
ainsi que l’Aphrodite accroupie, dont le type est créé,
vers 250, par Doidalsès de Bithynie, et, vers 100, l’élé-
gante Aphrodite debout du Louvre dite Vénus de
Milo, dont le tronc nu, aux courbes harmonieuses et
aux rondeurs discrètement palpitantes, est mis en
valeur par le contraste de la draperie qui voile les
jambes de replis aux sinuosité hérissées d’arêtes vives.
A côté des figures féminines nues ou demi-nues,
souvent impliquées, à partir du IIe siècle, dans des
groupes doucereusement érotiques, il faut placer
des personnages au charme ambigu comme Eros
adolescent ou Hermaphrodite. Les Amours enfants,
annonciateurs des putti romains, multiplient aussi
peu à peu leur présence voltigeante, à l’instar des
Victoires, dont la grâce souriante se pare de longues
tuniques aux plis tourbillonnants, comme dans le cas
de la fougueuse Victoire de Samothrace, due sans
doute à un artiste rhodien du début du IIe siècle.
(Jean-Jacques Maffre, Que sais-je? L’art grec, Presses Universitaires de France, 2001, pp.116-117.)



≪試訳≫
しかし、大理石像または青銅像の大部分は、標準より少し高い身長と、実物大の半分との間の、中位の大きさのままである。最も偉大な感受性の感覚の中で趣向が進化し、新しいテーマの出現と、女性のヌードのような(紀元前)4世紀に始まったそれらの継承がもたらされる。
女性の裸体像、中でも三美神のようなものは、「うずくまるアフロディテ」(紀元前250年頃、小アジア北西ビテュニア出身のドイダルサスの創始)や、ルーヴルの、上品な、立ち上がったアフロディテ、いわゆる「ミロのヴィーナス」(紀元前100年頃、調和的曲線と控えめに興奮させる、まろやかさのある裸体の胴は、稜角で曲がって、ひだをつけた足をおおっている、衣服のひだの表現(ドラペリー)の対照によって価値が置かれる)がある。
さも優しそうにエロティックな群像の中に、(紀元前)2世紀からしばしば含まれる女性の全裸像または半裸像のそばに、若々しいエロス(愛の神)またはヘルマフロディトスのような曖昧な魅力を配置しなければならなくなる。古代ローマのプットたちの前兆となるものである子供のキューピッドは、(紀元前)2世紀の初めのロドス島の芸術家に疑いなく負っている、激情的な「サモトラケのニケ」像の場合のような勝利の女神(そのほほえんでいる優雅さは渦巻くひだのある長い寛衣で身を飾っているのだが)にならって、飛び回る存在を少しずつふやしている。



【語句】
restent <rester~のままである(remain)の直説法現在
une taille (f)身長(height)
mi- (接頭辞)半分の、まん中の(half)
grandeur naturelle 実物大、等身大(life-size)
entraîne <entraînerもたらす(bring about)の直説法現在
amorcés <amorcer開始する、口火を切る(begin)の過去分詞
accroupie (←s’accroupirの過去分詞)(adj.)しゃがんだ、うずくまった(squatting)
le type est créé<助動詞êtreの直説法現在+過去分詞(créer) 受動態の直説法現在
le tronc  (m)(身体の)胴(trunk)
rondeur  (f)丸み、まろやかさ(roundness)
discrètement (adv.)控えめに、そっと(discreetly)
palpitant (adj.)胸がどきどきする、興奮させる(thrilling)
est mis  <助動詞êtreの直説法現在+過去分詞(mettre) 受動態の直説法現在
la draperie (f)衣服のひだの表現、ドラペリー(drapery)
voile  <voilerベールをかける、ベールで包み隠す(veil)の直説法現在
jambe  (f)脚、足(leg)
repli  (m)折り返し、ひだ、しわ(crease, fold)(cf.)les replis des drapsシーツのしわ
sinuosité (f)曲がりくねり(winding)
arête  (f)魚の骨(fishbone)、稜(edge)、山稜(ridge)
  (cf.)vive-arête(建築)稜角 tailler à vive arête鋭い角に切り出す
A côté de ~の横に、そばに(beside)、~と比べて(compared to[with])、
さらに、その上に、同時に(besides)
impliquées (←impliquerの過去分詞)(adj.)巻き込まれた、含意された、関係する
  (cf.)idée impliquée dans un mot ある語に含まれている考え
à partir de (起点)~から
doucereusement (adv.)(稀)さも優しそうに
érotique  (adj.)エロチックな、性愛のみだらな(erotic)
charme (m)魅力、美しさ(charm)
ambigu (adj.)あいまいな(ambiguous)、怪しげな(dubious)
Eros  (m)(ギリシャ神話)エロス(愛の神)(Eros, Cupidon)
adolescent (adj.)青春期の、若々しい(adolescent)
Hermaphrodite (ギリシャ神話)ヘルマフロディトス(ヘルメスとアフロディテの子。
男女両性を具えた神。彼に恋したニンフの願いで両者は一体となり両性具有になったという)
Les Amours Amourキューピッド、愛の神(=Cupidon, Cupid, Love)
annonciateur 予告者、前兆となるもの
putti     putti はputtoの複数形(イタリア語)、絵画、彫刻にしばしば多数描き込まれる裸体の小児像
romain   (adj.)ローマの、古代ローマの(Roman)
multiplient  <multiplierふやす、増加させる(multiply)の直説法現在
peu à peu  少しずつ、だんだん(little by little)
présence   (f)いること、存在(presence)
voltigeant(e) (←voltigerの現在分詞)(adj.)飛び回る、空気のように軽い
à l’instar de  (前置詞句)~にならって、~式に(in imitation of, in the manner of)
Victoire    (f)勝利(victory)、(翼を生やした)勝利の女神(像)、ウィクトリア
(ギリシャの神話のNikêに相当)(Victoria, Victory)
 →la Victoire de Samothraceサモトラケのニケ(古代ギリシャの大理石製のニケ像。
前190年頃の作。1863年、エーゲ海のサモトラケ島で発見された。ルーヴル美術館蔵)
la grâce souriante   la grâce (f)グラース、優雅さ(grace) 
souriant(e) (adj.)にこやかな、ほほえんでいる
 (cf.) les Grâces カリス(美、喜び、優雅の3女神(the Graces)
se pare de <代名動詞se parer de ~で身を飾る(dress oneself up)の直説法現在
tunique   (f)寛衣、チュニック(tunic)
pli    (m)ひだ(fold)
tourbillonnant (←tourbillonnerの現在分詞)(adj.)渦を巻く、旋回する(whirling)
la fougueuse Victoire de Samothrace
 la Victoire de Samothrace サモトラケのニケ
 fougueux(se) (adj.)激情的な、血気盛んな、猛烈な(fiery, impetuous)
due à <devoir(àに)負うている(owe to)の過去分詞
un artiste rhodien rhodien(←Rhodes)(adj.)ロドス島の




「サモトラケのニケ」について>


中村氏は、ヘレニズム彫刻として代表的な3点の一つ「サモトラケのニケ」(紀元前190年頃、サモトラケ島出土、大理石、ルーヴル美術館)を解説していた。
「サモトラケのニケ」は、「パイオニオスのニケ」と同様、戦勝記念碑として設置された。該当する戦争は紀元前190年頃のシリア軍とロドス島(エーゲ海南東部の島。トルコの南西岸沖にある。クニドスの沖の島)との海戦であるようだ。勝利したロドス島の人々が記念碑を奉納したと考えられている。
この女神ニケ像はいま、船の舳先に舞い降りたところである。そしてこの舳先が台座となっている。この像は、ルーヴル美術館の階段の踊り場に設置されている。
大きな翼を広げ、衣装が潮風を受けて、たくましい身体にまとわりついている。ドレーパリーが躍動的である。「パイオニオスのニケ」は、透明に近いドレーパリーであったが、それより衣は少し厚く、その下の肉体はより力強い。着地の時に起こる逆風も足元に表現され、ドレーパリーの動きがダイナミックである。
このようなヘレニズム盛期の様式は、ハヴロックも言及していたように、「ヘレニズム・バロック」と呼ばれている。中村氏は、その特徴として、強靭な肉体と躍動的なドレーパリー、そして翼の勢いの表現を挙げている(中村、2017年[2018年版]、194頁~196頁)。
 「ニケ」は、「勝利」の擬人像であるから、パルテノン神殿の本尊であるアテナ・パルテノス像も、手にニケ像を載せている。ニケ(Nike)を英語では「ナイキ」と発音し、スポーツ用品のブランド名にもなっている(中村、2017年[2018年版]、182頁)。


「サモトラケのニケ」にまつわるエピソード>


ところで、映画にも、この「サモトラケのニケ」は大いに影響を与えている。例えば、オードリー・ヘプバーン主演の『パリの恋人』は映画の舞台にもなった。また、レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットが主演した『タイタニック』にも、重要なインスピレーションを与えたといわれる。

オードリー・ヘプバーンといえば、『ローマの休日』が有名だが、この『パリの恋人』では、フレッド・アステアと共演して、バレエやダンスの特技をいかんなく発揮した。
物語は、小さな本屋で働くジョー(オードリー)が、ひょんな事からファッション雑誌のモデルを依頼され、雑誌の編集長とカメラマン(フレッド・アステア)と共にパリへ飛び立ち、パリを舞台に展開される。
その中のシーンで、ルーヴル美術館の「サモトラケのニケ」の前の階段を、ジバンシーの赤いドレスを着て、オードリー・ヘプバーンが、両手を広げてポーズをとる場面がある。思わぬところで、この「サモトラケのニケ」が登場するのである。

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また、映画『タイタニック』は1912年に実際に起きた英国客船タイタニック号沈没事故を基に、貧しい青年と上流階級の娘の悲恋を描いている。主題歌セリーヌ・ディオンの「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」(My Heart Will Go On=私の心は生き続ける)も悲しいラヴバラードとしてヒットした。
ストーリーとしては、故郷であるアメリカlに帰れることになった画家志望のジャック(ディカプリオ)は、政略結婚のためにアメリカに向かうイギリスの上流階級の娘ローズ(ケイト・ウィンスレット)と運命的な出会いを果たし、二人は身分や境遇をも越えて互いに惹かれ合う。家が破産寸前のため、母んひ言われるがままに、政略結婚を強要され、彼女にとってのタイタニックは、奴隷船同然だった。決められた人生に絶望する最中、船尾から飛び降り自殺を試みようとしたところを、ジャックと出会い、次第に惹かれあう。
そのシーンの中で、船首にローズが両手を広げる有名な場面が、「サモトラケのニケ」のポーズであるといわれている。
 ニケは先述したように、「勝利」の擬人像である。ローズはジャックと出会い、自由恋愛に目覚め、あのポーズは、“心の自由の勝利”といえないこともない。「サモトラケのニケ」が示唆するように、あのシーンは、ヒロイン・ローズの“真実の愛”の“勝利のポーズ”なのかもしれない。


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