歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪映画『ローマの休日』と英語≫

2022-06-25 19:34:17 | 語学の学び方
≪映画『ローマの休日』と英語≫
(2022年6月25日投稿)


【はじめに】


 『ローマの休日』(Roman Holiday)は、1953年製作のアメリカ映画である。
 監督はウィリアム・ワイラー。 アメリカ映画初出演となるオードリー・ヘップバーンと名優グレゴリー・ペック共演のロマンティック・コメディである。
 今回のブログでは、この映画の英語のセリフを考えてみたい。
 参考とするのは、次の著作である。
〇藤田英時『名作映画を英語で読む ローマの休日(字幕対訳付)』宝島文庫、2009年

【『ローマの休日』のあらすじ】
・ヨーロッパを周遊中の某小国の王女アン(ヘップバーン)は、常に侍従がつきまとう生活に嫌気が差し、滞在中のローマで大使館を脱出。
・偶然出会ったアメリカ人新聞記者ジョー(ペック)とたった1日のラブ・ストーリーを繰り広げる。




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〇藤田英時『名作映画を英語で読む ローマの休日(字幕対訳付)』宝島文庫、2009年

【目次】
・第1部 「ローマの休日」シーン別リーディング
・第2部 「ローマの休日」のリスニング 発音の変化7つの公式




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・「ローマの休日」シーン別リーディング の構成
・「真実の口の言い伝え」
・祈りの壁「かなわぬ願い事」
・アパート・室内「ジョーとアン王女の心中」
・車の中「ジョーとアン王女の切ない別れ」
・大使館の応接室「アン王女の記者会見」
・アン王女が口ずさんだ詩について

・第2部 「ローマの休日」のリスニング 発音の変化7つの公式






「ローマの休日」シーン別リーディング の構成


〇藤田英時『名作映画を英語で読む ローマの休日(字幕対訳付)』宝島文庫、2009年
 「第1部 「ローマの休日」シーン別リーディング」は、次のような構成になっている。

「ローマの休日」シーン別リーディング
Scene 1 ニュース映画 「アン王女のヨーロッパ親善旅行」
Scene 2 大使館・接見室 「アン王女の公式歓迎会・舞踏会」
Scene 3 大使館・アン王女の寝室 「アン王女のヒステリー」
Scene 4 大使館・アン王女の寝室 「医師の注射」
Scene 5 ホテルの一室 「記者仲間のポーカー」
Scene 6 フォロ・ロマーノ 「ジョーとアン王女の初めての出会い」
Scene 7 タクシー 「タクシーの行き先」
Scene 8 マルグッタ通り・ジョーのアパートの前 「運転手とのやり取り」
Scene 9 ジョーのアパート・室内 「ジョーとアン王女とパジャマ」
Scene 10 大使館・大使の書斎 「アン王女の失踪」
Scene 11 ジョーのアパート・室内 「ジョーの寝過ごし」
Scene 12 アメリカン・ニュース社のオフィス 「ジョーの遅刻」
Scene 13 ヘネシーのオフィス 「ジョーの言い訳と支局長の追及」
Scene 14 ヘネシーのオフィス 「ジョーと支局長の賭け」
Scene 15 ジョーのアパート・中庭 「ジョーの借金話」
Scene 16 ジョーのアパート・室内 「ジョーとアン王女の自己紹介」
Scene 17 彫刻家のスタジオ 「相棒のカメラマンへの電話」
Scene 18 ジョーのアパート・室内 「掃除婦のアン王女への説教」
Scene 19 ジョーのアパート・テラス 「ジョーとアン王女のお別れ」
Scene 20 ジョーのアパート・室内 「さようなら」
Scene 21 ジョーのアパート・中庭 「アン王女の借金」
Scene 22 横町・市場 「アン王女の青空市場めぐり」
Scene 23 理髪店 「アン王女の大胆ショートカット」
Scene 24 バー・電話 「電話使用中」
Scene 25 トレビの泉 「ジョーのカメラ探し」
Scene 26 理髪店 「カット終了とダンスへの誘い」
Scene 27 スペイン広場 「アン王女とアイスクリームと花」
Scene 28 スペイン広場の階段 「アン王女の告白と休日の始まり」
Scene 29 ロッカズ・カフェ 「お互いの詮索と相棒カメラマン」
Scene 30 ロッカズ・カフェの中 「ジョーとアービングの密約」
Scene 31 ロッカズ・カフェのテーブル 「アン王女の初めてのタバコ」
Scene 32 ヴェネツィア広場の通り 「スクーターの乱暴運転」
Scene 33 警察署 「ジョーたちの必死の説得」
Scene 34 サンタマリア イン コスメディン教会・真実の口 「真実の口の言い伝え」
Scene 35 モルガーニ通り・祈りの壁 「かなわぬ願い事」
Scene 36 サンタンジェロ城下の船 「パーティでの大騒動」
Scene 37 テヴェレ川・橋の下のアーチ 「ジョーとアン王女の初めてのキス」
Scene 38 ジョーのアパート・室内 「ジョーとアン王女の心中」
Scene 39 アービングの車の中 「ジョーとアン王女の切ない別れ」
Scene 40 大使館・アン王女の寝室 「威厳のあるアン王女」
Scene 41 ジョーのアパート・室内 「支局長のジョーへの追及」
Scene 42 ジョーのアパート・室内 「アン王女の写真」
Scene 43 大使館・応接室 「アン王女の記者会見」


 

「真実の口の言い伝え」


上記の「ローマの休日」シーン別リーディング の構成の中から、幾つかのシーンを取り上げてみたい。
まずは、Scene 34 サンタマリア イン コスメディン教会・真実の口「真実の口の言い伝え」
について、みてみよう。


JOE : It’s the Mouth of Truth.
The legend is that if you’re given to lying, you put
your hand in there, it’ll be bitten off.
ANN : Ooh, what a horrid idea.
JOE :Let’s see you do it.
ANN : Let’s see you do it.
JOE : Sure.
ANN : No! No, no, no…
JOE : Hello!
ANN : You beast!
It was perfectly all right!
You’re not hurt!
JOE : I’m sorry, it was just a joke!
All right?
ANN : You’ve never hurt your hand.
JOE : I’m sorry, I’m sorry. Okay?

ジョー :“真実の口”だ
     言い伝えではウソつきが手を入れると
     食いちぎられる
アン  :恐ろしいわね
ジョー :試してみろよ
アン  :あなたの番よ
ジョー :もちろんさ
(アン  :いや! だめ)
ジョー :コンニチハ
アン  :ひどいわ
     心配したのに
     大丈夫なのね
ジョー :ごめんよ
     ただの冗談さ
アン  :手はケガしてないのね
ジョー :(ごめんよ ごめん)大丈夫?

(藤田英時『名作映画を英語で読む ローマの休日(字幕対訳付)』宝島文庫、2009年、154頁~155頁)

映画『ローマの休日』といえば、このサンタマリア イン コスメディン教会の「真実の口」のシーンは有名である。

このシーンで編者は、次のようなコメントを付している。
 このニュアンスを味わう!
●if you’re given to lyingは「ウソをつくくせがあるなら」。
 Let’s see you do it.(さあ、やってごらん)とジョーとアンが互いに言っているが、互いにウソをついているので、このシーンは緊張感がでているという。

このトリビアで通になろう! 
●ジョーが手をかくして食いちぎられたかのように演じたのはペックのアドリブだったそうだ。
 ヘプバーンは本当にびっくりして叫んだが、それがすごくリアルでワンテイクでOKになった。
 この顔の石盤はローマ時代の井戸のふたで、海神トリトーネを模したもの。
 「真実の口」(The Mouth of Truth)はイタリア語では Le Bocca della Veritaという。
(藤田英時『名作映画を英語で読む ローマの休日(字幕対訳付)』宝島文庫、2009年、156頁~157頁)



このシーンで出てくる【語句】について記しておこう。
※以下の【語句】は筆者が調べたものであることを、お断りしておく。
(出典はすべて『ジーニアス英和大辞典』の電子辞書版)
【語句】
・legend  (名)伝説
 <例文>
 According to a legend, a Cretan king named Minos kept a beast called
the Minotaur penned up in a labyrinth at his palace.
  伝説によれば、ミノスという名のクレタの王は、ミノタウロスという名の怪物を、宮殿の
  迷宮に閉じこめていたという
・be bitten off <bite off かみ切る(off, away)
・horrid  (形)恐ろしい、背筋がぞっとするような(horrible)
  ◆horr-(戦慄)+-id(状態を表す形容詞語尾)
・beast  (名)動物、獣
 <用例>
  Beauty and the Beast 『美女と野獣』(童話の題名)
  You beast! けだもの、こん畜生
・hurt (他)を傷つける、~にけがをさせる
 <例文>
 As long as you’re not hurt, that’s the main thing.
  君が怪我をしていないのなら、それは何よりだ





祈りの壁「かなわぬ願い事」


Scene 35 モルガーニ通り・祈りの壁 「かなわぬ願い事」

IRV :I’ll park at the corner.
ANN :What do they mean ― all these inscriptions?
JOE :Well, each one represents a wish fulfilled.
All started during the war, when there was an air
raid, right out here.
A man with his four children was caught in the
street.
They ran over against the wall, right there, for
shelter, prayed for safety.
Bombs fell very close but no one was hurt. Later
on, the man came back and he put up the first of
these tablets.
Since then it’s become sort of a shrine.
People come, and whenever their wishes are
granted, they put up another one of these little
plaques.
ANN :Lovely story.

アビン :角に停めてくる
アン  :この文字が書かれた板は?
ジョー :願いがかなったしるしだ
     戦時中にさかのぼるが
     子供連れの男が空襲にあった
     この壁まで逃げ込み無事を祈った
     近くを爆撃されたが
     家族は無事
     後日彼はここに最初の板をかけた
     それ以来祈りの場所になった
     願いがかなうと
     新たな板をかける
アン  :いい話だわ

(藤田英時『名作映画を英語で読む ローマの休日(字幕対訳付)』宝島文庫、2009年、158頁~159頁)

【語句】
・inscription (名)銘、碑文
・fulfill   (他)(予言・希望などが)実現する(realize)
・put up  ~を上げる、掲げる、立てる、~を掲示する
・grant  (他)人に(願いなど)をかなえてやる、人に(権利など)を与える
 <例文>
 God grant you success in this most recent effort.
  ごく最近の努力であなたの成功がかなえられますように

アパート・室内「ジョーとアン王女の心中」


Scene 38 ジョーのアパート・室内 「ジョーとアン王女の心中」

ANN : A wonderful day!
RAD : This is the American Hour from Rome,
broadcasting a special news bulletin in English
and Italian.
Tonight, there is no further word from the bedside
of Princess Ann in Rome, where she was taken ill
yesterday on the last leg of her European
goodwill tour.
This has given rise to rumors that her condition
may be serious, which is causing alarm and
anxiety among the people in her country.
La Principessa Anna…
ANN : The news can wait till tomorrow.
JOE : Yes.
ANN : May I have a little more wine?
I’m sorry I couldn’t cook us some dinner.
JOE : Did you learn how in school?
ANN : Mmmm, I’m a good cook.
I could earn my living at it.
I can sew too, and clean a house, and iron.
I learned to do all those things.
I just.. haven’t had the chance to do it for
anyone.
JOE :Well, looks like I’ll have to move… and get myself
a place with a kitchen.
ANN : Yes.
   I…have to go now.

アン  :でも楽しかった
ラジオ :番組からニュースを
     お知らせいたします
     昨夜病気に倒れた
     アン王女のその後の容体は
     まだ知らされておりません
     病状悪化のうわさもあり
     母国にも懸念の色が
     広がっています
     (アン王女は…)
アン  :明日でいいわ
ジョー :そうだな
アン  :もっとお酒を
     料理ができなくて残念
ジョー :学校で習った?
アン  :料理の腕はプロも顔負けなのよ
     (料理で食べていけるわ)
     お裁縫もアイロンがけも
     何でも一通り習ったわ
     ただ披露する機会がなくて
ジョー :どうやら台所付きの家に
     引っ越したほうがよさそうだ
アン  :そうね
     もう行かなくては
(藤田英時『名作映画を英語で読む ローマの休日(字幕対訳付)』宝島文庫、2009年、174頁~177頁)


【語句】
・broadcast (他)(テレビ・ラジオで)を放送する
・bulletin (名)(新聞・ラジオ・テレビの)短いニュース、速報
 <例文>
 We interrupt our regular broadcast to bring you a bulletin.
番組を中断してニュースをお知らせいたします
・leg  (名)脚、1区切り、行程
 <例文>
 the first leg of a trip  旅行の最初の行程
・goodwill (名)親善、友好
 <例文>
 pay a goodwill visit to Norway  ノルウェーに親善訪問をする
・alarm (名)驚き、心配、不安
 <例文>
 The news caused alarm in the USA and UK.
 その知らせは米国と英国に不安をもたらした
・anxiety (名)心配、不安
 <例文>
 feel strong anxiety for her safety
 彼女の安否を大変気づかう

車の中「ジョーとアン王女の切ない別れ」


Scene 39 アービングの車の中 「ジョーとアン王女の切ない別れ」

ANN : Stop at the next corner, please..
JOE : Okay.
Here?
ANN : Yes. I have to leave you now.
I’m going to that corner there, and turn.
You must stay in the car and drive away.
Promise not to watch me go beyond the corner.
Just drive away and leave me, as I leave you.
JOE : All right.
ANN : I don’t know how to say goodbye.
I can’t think of any words.
JOE : Don’t try.

アン  :次の角で停めて
ジョー :分かった
     ここ?
アン  :ええ お別れしないと
     私はあそこの角を曲がるけど
     車から下りないでね
     あの角から先は見ないと約束して
     ただ車を走らせて私を置いたままで私もお別れします
ジョー :分かった
アン  :何とお別れを言えば
     言葉が思いつかなくて
ジョー :無理しなくても
(藤田英時『名作映画を英語で読む ローマの休日(字幕対訳付)』宝島文庫、2009年、178頁~179頁)

【語句】
・leave (他)(場所・人のいる所を)去る、離れる
 <例文>
 ・I’m leaving you tomorrow. 君とは明日お別れだ
 ・It pains me to leave you.  君と別れるのは辛い
 ・I must love you and leave you. (略式)もうおいとましなくては
・promise (他)約束する (名)約束
 <例文>
 ・I promise (you) that I won’t be late for dinner.
  =I promise (you) not to be late for dinner.
   夕食に遅れないと約束します
 ・I promise not to trouble you again.
   もうあなたにご面倒をおかけしないと約束します
 ・I will tell you the secret, but you must promise not to tell anyone.
   秘密は教えるけど、誰にも言わないって約束してくれ


大使館の応接室「アン王女の記者会見」


Scene 43 大使館・応接室 「アン王女の記者会見」

IRV : It ain’t much, but it’s home.
NOB : Ladies and Gentlemen, please approach.
MAJ : Sua Altezza Reale ― Her Royal Highness.
AMB : Your Royal Highness ― the ladies and gentlemen
of the press.
M.C. : Ladies and gentlemen, Her Royal Highness will
now answer your questions.
PRS : I believe at the outset, Your Highness, that I
should express the pleasure of all of us at your
recovery from the recent illness.
ANN : Thank you.
FRN : Does Your Highness believe that federation
would be a possible solution to Europe’s
economic problems?
ANN : I am in favor of any measure which would lead to
closer cooperation in Europe.
ITA : And what, in the opinion of Your Highness, is the
outlook for friendship among nations?
ANN : I have every faith in it ― as I have faith in
relations between people.
JOE : May I say, speaking from my own press service,
we believe that Your Highness’ faith will not be
unjustified.
ANN : I am so gland to hear you say it.
SWE : Which of the cities visited did Your Highness
enjoy the most?
GEN : “Each in its own way…”
ANN : Each in its own way was … unforgettable.
I would be difficult to ..Rome!
By all means, Rome!
I will cherish my visit here in memory as long as I
live.
GER : Despite your indisposition, Your Highness?
ANN : Despite that.

アビン :これが家か たいしたことない
式部官:皆様こちらへどうぞ
執事長:王女様のお出ましです
大使 :王女様 こちらが
    記者の方々です
式部官:これから皆様のご質問に
    お答えします
米記者:最初に一同を代表して
    先のご病気からのご回復
    お喜び申し上げます
アン :感謝いたします
仏記者:欧州の連邦化が
    経済問題の解決策だと
    ご自身もお考えですか
アン :欧州の緊密化促進の
    政策であれば賛成です
伊記者:国家間の友好関係について
    今後の見通しはどうですか?
アン :友好を心から信じます
    人と人との友情と同じく
ジョー :わが社を代表して申し上げます
     王女様のご信頼は裏切られないでしょう
アン :それをうかがい大変嬉しく思います
ス記者:訪問地でどこが一番
    お気に召しましたか?
アン :それぞれ忘れがたい思い出があります
    とても1つには…ローマです
    何と申してもローマです
    この地の思い出は一生大切にします
独記者:ご病気になられたのに?
アン :そうです

(藤田英時『名作映画を英語で読む ローマの休日(字幕対訳付)』宝島文庫、2009年、198頁~201頁)

【語句】
・outset (名)初め、発端 ◆ beginning, start より堅い語
at the outset 最初は
・federation (名)連邦(にすること)
・favor   (名)好意、支持
  in favor of O=in O’s favor… …に賛成の[で]、…に味方して
 <例文>
 I’m very much in favor of cutting taxes.
 私は減税に大賛成です
・outlook (名)見晴らし、[物・事の]見通し(for)、見解(on, about)
 <例文>
 the outlook for recovery 回復の見通し
・faith (名)信頼
 <例文>
 I have great faith in her, she won’t let me down.
   私は彼女を大いに信頼している、彼女は私を失望させることはないだろう
・by all means ①[承認・許可のていねいな強調]もちろん
       ②[同意を強調して]まさにそのとおり
       ③[決意・信念を強調して]絶対に
・cherish (他)(人が)<望み・考え・感情など>を(大切に)心に抱く
 <例文>
 cherish the memory of my sweet grandmother やさしい祖母のことを懐かしむ
・despite (前)…にもかかわらず(◆ in spite of より堅い語;新聞などで好まれる)
 <例文>
 She went to Spain despite the fact that the doctor had told her to rest.
   お医者さんが休養するように言ったにもかかわらず、彼女はスペインに行った。


アン王女が口ずさんだ詩について


 アン王女が口ずさんだ詩について述べておこう。それは次のシーンで出てくる。
〇Scene 6  フォロ・ロマーノ「ジョーとアン王女の初めての出会い」
〇Scene 9  ジョーのアパート・室内 「ジョーとアン王女とパジャマ」

〇Scene 6  フォロ・ロマーノ「ジョーとアン王女の初めての出会い」
ANN : “If I were dead and buried and I heard your voice
-beneath the sod my heart of dust would still
rejoice.” Do you know that poem?
JOE : Huh! What do you know!
You’re well-read, well-dressed… snoozing away in
a public street.
Would you care to make a statement?
ANN : What the world needs is a return to sweetness
and decency in the souls of its young men and …
mmmmmhhhhhhhhmmmmm…
JOE :Yeah, I …uh…couldn’t agree with you more, but
um… Get yourself some coffee, you’ll be all right.
Look, you take the cab.

アン  : “死して埋められるとも君が声を聞かば
     土の下に眠るわが心は喜びに満ちるであろう”
     この詩をご存じ?
ジョー :こりゃ驚いた!
     学もあって身なりもいいのに
     道で寝ているとはね
     何かご意見があれば
アン  : 世界に必要なのは
     若者たちの心に優しさと
     品格を取り戻すことです
ジョー :ごもっともだけど
     コーヒーを飲めば良くなる
     君が乗りなさい

〇Scene 9  ジョーのアパート・室内 「ジョーとアン王女とパジャマ」
ANN : Do you know my favorite poem?
JOE :Ah, you’ve already recited that for me.
ANN : Arethusa arose, from her couch of snows, in the
Akraceronian Mountains. Keats.
JOE :Shelley.
ANN : Keats!
JOE :You just keep your mind off the poetry and on the
pajamas, everything will be all right, see?
ANN : It’s Keats.
JOE :I’ll be - it’s Shelley - I’ll be back in about ten
minutes.
ANN : Keats. You have my permission - to withdraw.
JOE :Thank you very much.

アン  : 私の好きな詩を?
ジョー :もうさっき聞いた
アン  :“雪の長椅子よりアレトゥサは立ち上がる
     アクロサロニアの山々に抱かれて”キーツよ
ジョー :シェリーだ
アン  :キーツよ
ジョー :詩はいいからパジャマを着ろ
     楽になる
アン  :キーツよ
ジョー :シェリーだよ
     10分ほどで戻る
アン  :もう下がってよろしい
ジョー :そりゃ どうも

(藤田英時『名作映画を英語で読む ローマの休日(字幕対訳付)』宝島文庫、2009年、36頁~37頁、52頁~53頁)

『ローマの休日』の中の一場面として、このシーンは見逃せない。
睡眠薬で道端で眠っているアン王女がなにやら詩を口ずさむ。
「If I were dead ~rejoice」
「もし私が死んで埋葬されて、あなたの声を聞いたならば、土の下で私の心はなお喜ぶ事でしょう。」くらいの訳になるようだ。
 そしてアン王女は、ジョー(ペック)に、
 “Do you know that poem?”と尋ねる。
そしてジョーのアパートでアン王女が、
 “Arethusa arose ~Akraceronian Mountains.”
と口ずさみ、そして “Keats”という。
ジョーはそれに対し、 “Shelly”という。
アン王女はそれでも“Keats”という。
この映画では、ジョーは正しく解するレベルの人間だということを示しているそうだ。
(ジョーの言っている “Shelly”の方が正解だという)

編者も、次のようなコメントを付している。
●この詩「Arethusa」の作者をアンはKeatsと勘違いしており、ジョーが言うShelleyが正しい。2人とも19世紀イギリス・ロマン派を代表する詩人で、「キーツ・シェリー博物館」がスペイン階段の右手にあるとする。
(藤田英時『名作映画を英語で読む ローマの休日(字幕対訳付)』宝島文庫、2009年、53頁)

※この詩は、脚本家のオリジナルという説もあるそうだ。
ともあれ、どうも詩の吟誦も紳士淑女の条件の一つであるようだ。
新聞記者ジョーが、ただのポーカー好きのやくざな新聞記者ではなく、詩の吟誦もやろうとすればいつでもできる教養ある紳士だと知って、この映画を見ると、ひときわ味わいが増すだろう。ジョーはアン王女の相手役たる資格があるという。

第2部 「ローマの休日」のリスニング 発音の変化7つの公式


英語の発音は七変化する


☆日本人はなぜネイティブが話す自然な英語が聞き取れないのか?
☆つづりを見れば知っている英語でも聞き取れないのはなぜか?
この疑問に対して、実際の会話では英語の音が変化するからと編者は答えている。

話し言葉は、語を省略したり、短くしたり、2つの語をつなぎあわせたりして、言いやすいように、発音が変化する。
その発音の変化が特に激しいのが英語。
実際の英語の発音は、個々の単語が発音されるときとは違って変化する。
(それは英語のリズムが関係している)

そこで、英語の発音の変化を次の7つの公式にして、紹介している。


【発音の変化7つの公式】
第1公式 音が弱くなる「弱化」
第2公式 音が短くなる「短縮」
第3公式 音がつながる「連結」(リエゾン)
第4公式 音が消える「消失」
第5公式 音が抜け落ちる「脱落」
第6公式 音がとなりの音に似る「同化」
第7公式 音が別の音に変わる「融合同化」



そして、この知識があるだけでも、「ローマの休日」がかなり聞き取れるようになるという。

第1公式 音が弱くなる「弱化」


・英語では、すべての音がはっきりと発音されるわけではなく、弱くなる音がある。
(弱くなって消えることもある)
⇒音が弱くなることを弱化(じゃくか)という。
●音が弱くなる例―1
<例文>
 I spoke to him. →I spoke to ’im.
    トゥ ヒム    トゥイム
※himはふつうは「ヒム」のように発音されるが、音が弱くなって先頭の[h]が落ちる
※to ’imとつながり「トゥイム」のようになる

●音が弱くなる例―2
<例文>
 What’s her name? →What’s’er name?
 ワッツ ハー    ワッツアー
※herはふつうは「ハー」のように発音されるが、音が弱くなって先頭の[h]が落ちる
※What’s’erとつながり、「ワッツアー」のようになる

●音が弱くなる例―3
<例文>
 Tell them I said hi. →Tell ’em I said hi.
 テル ゼム     テルエム
※them はふつうは「ゼム」のように発音されるが、音が弱くなって先頭の[th]が落ちる
※カジュアルな発音では、Tell ’emとつながって「テルエム」のようになる

●よく起きる「弱化」の例
 tell him  →tell ’im
 ask her →ask ’er
 let them →let ’em
 what he →what ’e
 something →somethin’  →some’m
 can →c’n
 for →f’r
 from →fr’m
 some →s’me

第2公式 音が短くなる「短縮」


・英語では、音が短くなることがある。
 語の音が弱く発音されて一部が消えてしまったり、特定の語と語がつながって発音の一部が省略されたりするからである。
⇒音が短くなることを短縮(たんしゅく)という
・I’ve やThat’dのように短縮された形を短縮形という

●音が短くなる例―1
<例文>
 I will get it. →I’ll get it.
 アイ ウイル  アイル
※willの先頭が省略されて、’llと音が短くなる
※音が省略された部分は、’(アポストロフィー)で示される

●音が短くなる例―2
<例文>
 I have got to go. →I’ve got to go.
 アイハヴ     アイヴ
※haveの先頭が省略されて、’veと音が短くなる
※音が省略された部分は、’(アポストロフィー)で示される

●音が短くなる例―3
<例文>
 I would be glad to.→I’d be glad to.
 アイ ウッド   アイド
※wouldの先頭が省略されて、’dと音が短くなる
※音が省略された部分は、’(アポストロフィー)で示される

●よく起きる「短縮」の例
 <主語+have動詞>
 I have →I’ve
 you have →you’ve
 they have →they’ve

 <主語+had>
I had →I’d
 you had →you’d
 they had →they’d

 <主語+be動詞>
I am →I’m
 you are →you’re
 they are →they’re

 <be動詞+not>
are not →aren’t
 is not →isn’t
 was not →wasn’t

 <主語+will>
I will →I’ll
 you will →you’ll
 they will →they’ll

 <主語+would>
I would →I’d
 you would →you’d
 they would →they’d

 <助動詞+not>
 cannot →can’t
 will not →won’t
 could not →couldn’t

 <疑問詞+be動詞/will>
 what are →what’re
 what is →what’s
 what will →what’ll

第3公式 音がつながる「連結」(リエゾン)


・英語では、語句の音と音がつながって発音されることがひんぱんにある。
 特に子音と母音の組み合わせでは、音がつながるのが自然で言いやすいからである。
⇒音がつながることを連結(れんけつ)またはリエゾンという。

●音がつながる例―1
<例文>
 I’ll be back in an hour. →I’ll be back in an hour
     イン アン アワー   イナナワー
※[n] [a]で「ナ」、[n] [a]で「ナ」

●音がつながる例―2
<例文>
 Mind if I join you?  →Mind if I join you? (dと ifと Iが連結)
 マインド イフ アイ  マインディファイ
※[d] [i]で「ディ」、[f] [ai]で「ファイ」
 
●音がつながる例―3
<例文>
 I’ll give it a try.→I’ll give it a try. (ve とitと aが連結)
 ギヴ イット ア  ギヴィラ
※[v] [i]で「ヴィ」、[t] [a]で「タ」から「ラ」

●よく起きる「連結」の例
 [r]+母音
 are all →reとaが連結
 figure it →reとiが連結
[n]+母音
 in order →nとoが連結
 sign up→nとuが連結
 [d]+母音
 should I →dとIが連結
 find out →dとoが連結
 [t]+母音
 set it →tとiが連結
 at all →tとaが連結

第4公式 音が消える「消失」


・英語では、単語のなかの音が消えることが多々ある。
 英語のリズムの関係や [n] のあとに [t] が続くなど、音の組み合わせで発音しやすいように消えてしまう。
⇒単語のなかの音が消えてしまうことを消失(しょうしつ)という。

●音が消える例―1
<例文>
 How about you? →How ’bout you?
   アバウト     バウト
※aboutは「バ」にアクセントがあるので、その前の「ア」は弱く発音される
※「ア」がさらに弱くなって消えてしまうが、これがかなり一般的な発音

●音が消える例―2
<例文>
 We’ve got plenty of time.  →We’ve got plen’y of time.
     プレンティ        プレニィ
※plentyには[n] [t]と続く音があり、[n] の影響で[t]が消えてしまう
※アメリカ英語では、[n]+ [t]の組み合わせで、[t]が消えることが多い

●音が消える例―3
<例文>
 That’s exactly the point. →That’s exac’ly the point.
   イグザクトリィ     イグザク()リィ
※exactly には[t] [l]と続く音があり、[l] の影響で[t]が消えてしまう
※[t]が消えても[t]を発音するために口を構える一瞬の間(ま)がある

●よく起きる「消失」の例
 twenty →twen’y
 exactly →exac’ly
 certain →cer’n
 doctor →do’tor
 outside →ou’side
 expect →’xpect
 suppose →s’ppose
 believe →b’lieve
 suggest →s’ggest
 different →diff’rent
 appreciate →’ppreciate
 friend →frien’

第5公式 音が抜け落ちる「脱落」


・英語では、自然に話されるときに、単語と単語のつながりにおいて音が抜け落ちてなくなってしまうことが多々ある。
 同じ音や似た音を2度言うのは言いにくいので1つになったり、英語の強弱のリズムのせいで自然と音が抜け落ちるからである。
・しかし、ただ抜け落ちるだけではなく、その場所に一瞬の間(ま)が取られる。
⇒語と語がつながるなかで音が抜け落ちることを脱落(だつらく)という。

●音が抜け落ちる例―1
<例文>
 I’ll have hot tea. →I’ll have ho’ tea.
    ハットティー   ハッ()ティー
※hotの[t]とteaの[t]と同じ音が続いている
※同じ音が続くと、前の1つが抜け落ちる

●音が抜け落ちる例―2
<例文>
 Have a good day. →Have a goo’ day.
    グッド ディ   グッ()ディ
※good の[d]とday の[d]と同じ音が続いている
※同じ音が続くと、前の1つが抜け落ちる


●音が抜け落ちる例―3
<例文>
 I could have done that. クッド ハヴ
→I could’ve done that.  クダヴ
→I coulda done that.   クダ
※could haveは haveの[h]が抜け落ちて、could’ve(クダヴ)のようにつながる
※さらに’veの[v]が抜け落ちて、coulda(クダ)のようにつながる

●よく起きる「脱落」の例
<同じ音どうし>
[m] [m]で前の音が脱落
 some more →so ’more
[l] [l]で前の[l]が脱落
 I’ll leave →I’ leave
[t] [t]で前の[t]が脱落
 hot tea →ho’ tea
[k] [k]で前の[k]が脱落
 take care →ta’ care
<似た音どうし>
[g] [d]で前の[g]が脱落
 big deal →bi’ deal
 big diamond →bi’ diamond
[d] [t]で前の[d]が脱落
 hard time →har’ time
[d] [p]で前の[d]が脱落
 good place →goo’ place
 food processor →foo’ processor

第6公式 音がとなりの音に似る「同化」


・英語には、音がとなりの音に似ることがたくさんある。
 ある音が、となりの音の影響を受けて、その音に似たり、同じ音になったりするケースがかなりある。
⇒2つの音がとなりあっているとき、一方が他方の影響を受けて、となりの音に似たり、同じ音になることを同化(どうか)という。

●音がとなりの音に似る例―1
<例文>
 I have to go now. →I hafta go now.
  ハヴ トゥ    ハフタ
※haveの[v]がtoの[t]の影響を受けて、[f] に変わる
※そして単語同士がつながって、hafta(ハフタ)かhafto(ハフトゥ)のようになる

●音がとなりの音に似る例―2
<例文>
 What’s that supposed to mean? →What’s that suppose’ta mean?
      サポウズド トゥ      サポウスタ
※supposed の[d]がtoの[t]の影響を受けて、[t] に変わる
※そして単語同士がつながって、suppose’ta(サポウスタ)のようになる

●音がとなりの音に似る例―3
<例文>
 Put them in there.  →Put them in ’ere.
     イン ゼア     インネア
※inの[n]がthereの[th]の影響を与えて、[n] のように変える
※すると[n] の音が2つ続くようになり、in ’ere(インネア)のようになる

●よく起きる「同化」の例
<前の音が、後ろの音に影響を与えて同化>
[n]が [th]に影響を与え同じ[n] の音になる
 in that →in ’at
 down there →down ’ere
 doin’ that →doin ’at
<後ろの音が、前の音に影響を与えて同化>
[k]が [v]に影響を与えて[f] に変える
 of course →off course
[t]が [v]に影響を与えて[f] に変える
 have to →hafta/hafto
[t]が [d]に影響を与えて[t] に変える
 used to →use’ta/use’to
 pleased to →please’ta/please’to
[p]が [n]に影響を与えて[m] に変える
 in person →im person
 in public →im public

第7公式 音が別の音に変わる「融合同化」


・英語では、自然に話されるときに、となりあった2つの音が互いに影響を与え合って、第3の音を作り出すことが多々ある。
 となりあった2つの音を続けて発音すると、口の構えから自然に別の音になるからである。
⇒2つの隣り合った音が互いに影響しあって、別個の音(第3の音)に変化することを、融合同化(ゆうごうどうか)という。

●音が別の音に変わる例―1
<例文>
 Nice to meet you. →Nice to meetju.
  ミート ユー     ミーチュ
※[t] [j]の2つの音が互いに影響しあう
※すると[t∫チュ]という新しい音(第3の音)に変化する

●音が別の音に変わる例―2
<例文>
 Could you do me a favor? →Couldju do me a favor?
  クッド ユー      クッジュ
※[d] [j]の2つの音が互いに影響しあう
※すると[dz ジュ]という新しい音(第3の音)に変化する

●音が別の音に変わる例―3
<例文>
 I’ll miss you. →I’ll misju.
  ミス ユー   ミシュー
※[s] [j]の2つの音が互いに影響しあう
※すると[∫シュ]という新しい音(第3の音)に変化する

●よく起きる「融合同化」の例
 makes you →makesju
 hope you →hopju
 make you →makju
as you →azju
 give me →gimme
 let me →lemme
 going to →gonna
 want to →wanna

「ローマの休日」ではこう話されている



※第1公式 音が弱くなる「弱化」
<例文>
JOE:I’ve got them right here, somewhere.
  →I’ve got ’em right here, somewhere.

※第2公式 音が短くなる「短縮」
<例文>
JOE:What is your hurry? There is lots of time.
  →What’s your hurry? There’s lots of time.

※第3公式 音がつながる「連結」(リエゾン)
<例文>
ANN:May be another hour.
  →May be another’our.

※第4公式 音が消える「消失」
<例文>
JOE:No, how about this?
  →No, how ’bout this?

※第5公式 音が抜け落ちる「脱落」
<例文>
IRV:You must be out of your mind!
  →You must be outta your mind!

※第6公式 音がとなりの音に似る「同化」
<例文>
IRV:I got to get up early.
  →I gotta get up early.


※第7公式 音が別の音に変わる「融合同化」
<例文>
HEN:Oh, I think I know the dress you mean.
  →Oh, I think I know the dresju mean.


【主なキャラクターの略称】
ANN:アン(某国の王女)
JOE:ジョー(新聞記者)
IRV:アービン(Irving:写真家)
HEN:支局長(Hennessy:ジョーの上司)

(藤田英時『名作映画を英語で読む ローマの休日(字幕対訳付)』宝島文庫、2009年、10頁、208頁~223頁)


≪浦島物語とケルト伝説≫

2022-01-19 19:00:09 | 語学の学び方
≪浦島物語とケルト伝説≫
(2022年1月19日投稿)

【はじめに】


 今回のブログでは、「浦島物語とケルト伝説」というテーマで考えてみたい。
 次の文献がこのテーマに取り組むきっかけとなった。
原英一『お伽話による比較文化論(An Introduction to Comparative Culture through Fairy Tales)』松柏社、1997年[2005年版]

≪原英一氏の略歴≫
1948年生まれで、東北大学大学院修士課程修了し、出版当時、東北大学文学部英文学科教授であった。専門は、英国小説、英国演劇および比較文化論である。

浦島物語とケルト伝説の類似性については、ユーラシア大陸の東西の両端に位置する国の物語・伝説に関するもので、一見、不思議で信じられない気もするが、研究史的にも蓄積ある分野であるようだ。
・土居光知『神話・伝説の研究』岩波書店、昭和48年
・和田寛子(英語英文学科)「ケルトの浦島物語「常若の国アシーン」」敬和学園大学『VERITAS』学生論文・レポート集、第12号、2005年7月
和田寛子論文は、ネットでも閲覧可能なので、興味ある人は一読をお勧めしたい。

また、ケルト文化は日本人になじみにくい分野にも感じるが、例えば、エンヤ(Enya)の音楽には、ケルト文化を反映しているとはよく言われるところである。ケルトの国アイルランド出身であるエンヤは、神の国へ誘う声と評されるヒーリング的な歌声である。神秘的なケルト音楽の影響を受けているとされる。
また、ケルティック・ウーマン(Celtic Woman)は、アイルランド出身の女性で構成される4人組の音楽グループである。2006年2月に行なわれたトリノオリンピックのフィギュアスケートで金メダルを受賞した荒川静香さんが、エキシビションで「You Raise Me Up」を使用し、日本で知られるきっかけになったことは、よく知られている。


浦島物語は、壮大で悠久な物語であることに気づく。ユーラシア大陸をまたぐという意味で「壮大」であり、古代、中世、近代にわたり日本の文化史を貫くという意味で「悠久」なのである。



【原英一『お伽話による比較文化論』(松柏社)はこちらから】

お伽話による比較文化論

【エンヤのCDはこちらから】

ペイント・ザ・スカイ ~ザ・ベスト・オブ・エンヤ




原英一『お伽話による比較文化論(An Introduction to Comparative Culture through Fairy Tales)』松柏社、1997年[2005年版]
【目次】
Ⅰ赤いずきんが覆うものは何か?
 1 ペローの「赤ずきん」
 2 猟師の登場
 3 グリム兄弟による赤ずきんの「救出」?
 4 「金ずきん」と「緑ずきん」
 5 お婆ちゃんのお話し
Ⅱ 「白雪姫」――ジェンダーの寓話――
Ⅲ 英語文化の基底としてのマザー・グース
Ⅳ 笛吹き男の謎
Ⅴ 浦島物語とケルト伝説
Ⅵ ガラスの靴は木靴だった?
Ⅶ 退屈した悪い子たちのためのよい子のお話し




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・原英一氏による比較文化論の考え方
・「常若の国のアシーン」のあらすじ
・「常若の国のアシーン」の英文
・浦島物語のあらすじ
・浦島物語の典拠
・ひろさちや氏の浦島物語の検討
・『御伽草子』にみられる浦島物語の結末
・蓬莱山と鶴と亀
・おわりに~コメントと感想






原英一氏による比較文化論の考え方


文化を捉えるにあたって、基本的にどのような態度をもって臨むのか?
原氏は、比較文化研究の基礎として、20世紀後半の思想の流れの中で、次の2つの考え方があるという。
①構造主義的な考え方
②伝統的な歴史主義的考え方

その題材として、第Ⅴ章では、「浦島物語」を取り上げている。
「浦島物語」は、お伽話として知られたものであるが、多くの有名なお伽話がそうであるように、これもまた本来は神話ないし伝説であったものである。
不思議なことに、日本の浦島物語と酷似した物語が、スコットランドやアイルランドのケルト人の間に伝わっているのである。

それはどのような理由によるのだろうか?
このように、原英一氏は問いかけている。
原氏によれば、その解答を求めるにあたって、先の歴史主義的仮説と構造主義的仮説の2つを立てることができるとする。

ところで、英文学者であった土居光知氏は、その著書
〇土居光知『神話・伝説の研究』岩波書店、昭和48年
の中で、このことを取り上げた。つまり、「伝播」という概念による特異な歴史主義的文化研究の可能性を示した。
すなわち、約1万年ほど前に、中央アジア、コーカサス山脈の南方あたりに、人類の原初の楽園が実際に存在していた。そこは自然の果樹園であり、温暖で食料が豊富で、人類は安全に幸福に暮らすことができた。
しかし、何らかの理由でその楽園を追われることになった人類は、各地に四散していった。楽園の記憶も同時に移動して、やがて伝説となっていった。
数千年の時を経て、この物語は日本において「浦島」の物語となり、ユーラシア大陸西端のケルト民族の世界においては、「歌人トマス」や「永遠の青春の島」の伝説となったという。

以上が、土居光知氏の壮大な仮説である。
この仮説は、構造主義的神話研究が主流の時代にあって、独自の歴史主義的立場を示したものとして、一定の評価が与えられた。
ただ、批判もある。
・この仮説を学問的に立証するとなれば、膨大な調査を必要とする
・数千年にわたる口承伝説の歴史をたどるのは、現実には全く不可能である
・同時に、構造主義的な考え方によって、浦島伝説とケルトの「歌人トマス」やアシーンの伝説との類似を説明できる可能性を考慮しなければならない

原英一氏は、次のようにコメントしている。
・現実に楽園があったかなかったかは別にしても、楽園への憧れは人類普遍のものである。それが基本的な物語構造を準備し、それぞれの地域で似通った物語が生まれたということは、十分にあり得る
・しかし、構造主義的説明には、歴史的実証を省略できるという安易さが常につきまとうので、土居氏の仮説を一つの挑戦として受けとめておく必要は残る

そして、原氏は、アイルランドとアシーンの伝説について、次のように解説している。
〇浦島物語とケルト伝説の類似には驚くべきものがある。
 スコットランドの「歌人トマス」のバラッドでもそれは顕著だが、アイルランドのアシーン伝説の方は、さらに類似点が多い。
・ケルトの英雄アシーン(Oisin)が、一族の者たちと狩りをしていると、白馬に乗った美しい女がやってくる。彼女は青春の国の王女ニーアヴ(Niamh)であると名乗り、アシーンに求愛する。
・彼女の美しさに魅せられたアシーンは、父が引きとめるのを振り切り、彼女と共に馬に乗り、海の彼方に去ってしまう。
・やがて二人が着いたのが、ケルト伝説の楽園、不老不死の「永遠の青春の島」であった。
この島でアシーンはニーアヴと300年の時を過ごす。
・しかし、アシーンは望郷の思いに駆られ、帰国を望む。
ニーアヴは思いとどまらせようとするが、ついに彼が故国に戻ることを許す。
・あの白馬に乗って帰ろうとするアシーンに、彼女はこう警告する。
「もしもう一度私の許に戻ってきたければ、決してこの馬から降りてはいけません。」
・アシーンが故国に帰り着いてみると、すべてがすっかり変わってしまっており、ケルトの伝統的な文化は失われ、キリスト教が入り込んでいた。
・勇猛果敢な戦士であった彼の一族の末裔たちが、重い石の下敷きになって苦しんでいるをの見てあきれたアシーンが、手を伸ばしてその石を投げ捨てたとき、彼は馬からすべり落ちてしまう。
・すると白馬は煙のごとく消え去り、彼自身もたちまち300歳の老人となってしまった。

以上が、アイルランドのアシーン伝説である。
(浦島物語とのこれほどの類似を、構造主義的神話論やナラトロジー(物語論)で説明することが、はたしてできるのであろうかと、原氏は付言している)

ケルト人とケルト文化についても、原氏は解説している。
・ケルト人は、かつては西アジアからアイルランドに至る広大な地域を支配した有力な民族であった。
ゲルマン諸部族の民族大移動によって、彼らは滅亡するか、辺境に追いやられるかの運命をたどった。
・しかし、その文化は連綿と受け継がれ、今日のアイルランドやスコットランドに残されている。ヨーロッパ文化の一つの底流として生きていると言える。
⇒約3000年にわたる複雑な歴史を持ったケルト文化の世界は、広く深い。
(これをきっかけに、その世界を探求してみることにも意義があろう。ケルト文化の世界は、遠く離れた世界でありながら、もしかしたら日本と意外に近いかもしれない)
(原英一『お伽話による比較文化論(An Introduction to Comparative Culture through Fairy Tales)』松柏社、1997年[2005年版]、115頁~117頁)

「常若の国のアシーン」のあらすじ


和田寛子氏は、先の原英一『お伽話による比較文化論(An Introduction to Comparative Culture through Fairy Tales)』(松柏社、1997年)を参考文献として、「ケルトの浦島物語「常若の国アシーン」のあらすじについて、まとめている。

アシーンはエリン(アイルランド)の国、随一の勇者で優れた詩人だった。
常若の国の王女である美女ニーアヴがやってきて、アシーンを夫に迎えたいといい、二人は伝説の楽園常若の国へと旅立つ。
白馬で海を越え、楽園にたどり着いたアシーンとニーアヴは300年間夢のような暮らしを送るが、やがて望郷の想いに駆られたアシーンが帰郷を望むと、ニーアヴは、
「戻ってきたければ、決して馬から降りてはいけない」と忠告し、帰郷を許す。

故国に帰ったアシーンは、不注意から大地に降りてしまう。すると、馬は一瞬のうちに消え去り、とたんにアシーンの体は300歳の老人になってしまう。
(和田寛子(英語英文学科)「ケルトの浦島物語「常若の国アシーン」」敬和学園大学『VERITAS』学生論文・レポート集、第12号、2005年7月、63頁)

ケルトは文字化された知識体系を残さなかったが、神話や伝承は口承によって多く伝えられている。
(しかし、口承のためか、現代に至るまでにもとの話からさまざまに変形した。古い伝承では、ニーアヴが豚の顔であらわれる話などもあるようだ)

「常若の国のアシーン」の英文


Oisin in the Land of Youth
An Irish Legend
Retold by Marie Heany

☆ニーアヴと「ティルナヌオーグ」について
The woman reined in her horse and came up to
where Finn stood, moon-struck and silent. “I’ve
traveled a great distance to find you,” she said, and Finn
found his voice.
“Who are you and where have you come from?” he
asked. “Tell us your name and the name of your
kingdom.”
“I am called Niamh of Golden Hair and my father
is the king of Tir na n-Og, the Land of Youth,” the girl
replied.

【NOTES】
Finn:Oisinの父でFiannaの指導者。勇猛果敢な戦士。
the Fianna:「フィーアナ戦士団」Conn of the Hundred Battlesがアイルランド王であったときに組織された戦士と狩人の集団。
Oisin:アシーンは、悪のドルイド僧によって鹿の姿に変えられた美女ソイーヴ(Sadb)とフィンとの間に生まれた。
Niamh:ニーアヴ
Tir na n-Og:「ティルナヌオーグ」ケルト伝説の永遠の青春の国。

☆「ティルナヌオーグ」(ケルト伝説の永遠の青春の国)について
As Niamh and Oisin approached
the fortress a troop of a hundred of the most famous
champions came out to meet them.
“This land is the most beautiful place I have ever
seen!” Oisin exclaimed. “Have we arrived at the Land
of Youth?”
“Indeed we have. This is Tir na n-Og,” Niamh
replied. “I told you the truth when I told you how
beautiful it was. Everything I promised you, you will
receive.”

【NOTES】

☆アシーンの帰郷について
Three hundred years went by, though to Oisin they
seemed as short as three. He began to get homesick for
Ireland and longed to see Finn and his friends, so he
asked Niamh and her father to allow him to return
home. The king consented but Niamh was perturbed by
his request.

【NOTES】
perturbed 「動揺した」

☆馬から降りてはいけないという禁忌について
So Niamh consented, but she gave Oisin a most
solemn warning.
“Listen to me well, Oisin,” she implored him, “and
remember what I’m saying. If you dismount from the
horse you will not be able to return to this happy
country. I tell you again, if your foot as much as
touches the ground, you will be lost for ever to the Land
of Youth.”
Then Niamh began to sob and wail in great distress.
“Oisin, for the third time I warn you: do not set foot on
the soil of Ireland or you can never come back to me
again! Everything is changed there. You will not see
Finn or the Fianna, you will find only a crowd of monks
and holy men.”

【NOTES】
solemn warning  「厳粛な警告」
implored 「懇願した」
if your foot as much as touches the ground 「あなたの足がほんのわずかでも地面に触れれば」
sob and wail in great distress 「非常に嘆き悲しんで泣き叫ぶ」
a crowd of monks and holy men 「大勢の修道僧や聖職者たち」

(原英一『お伽話による比較文化論(An Introduction to Comparative Culture through Fairy Tales)』松柏社、1997年[2005年版]、128頁~145頁)

浦島物語のあらすじ


ある日、浦島太郎という漁師が浜辺で亀を助け、そのお礼として竜宮城へ案内される。
竜宮城では美しい乙姫にもてなされ、毎日うっとりと暮らしていたが、三日目に家に残してきた母親を思い出して急に帰りたくなってしまった。
乙姫は引き止めても聞かない太郎に、美しい箱を渡して、
「これは玉手箱です。どんなことがあっても開けてはいけません」と言った。
太郎は浜辺に戻ると、竜宮城にいたあいだに地上では百年も経ってしまったことがわかり、さびしさのあまり玉手箱を開けてしまう。
すると、箱の中から煙が立ちのぼり、太郎はあっというまに、よぼよぼの老人になってしまった。

さて、「常若の国のアシーン」と浦島太郎伝説の3つの共通点を和田寛子氏は指摘している。
①美しい女性の登場
②この世とは時間の流れが異なる世界への訪問
③主人公が禁忌を犯す
(和田寛子(英語英文学科)「ケルトの浦島物語「常若の国アシーン」」敬和学園大学『VERITAS』学生論文・レポート集、第12号、2005年7月、63頁)

浦島、アシーンの伝説は、異界訪問(異なる時間が流れる世界を訪れること)という点で共通している。
土居光知論文「うた人トマスと浦島の子の伝説――比較文学的研究の試み」(土居光知・工藤好美『無意識の世界――創造と批評』研究社、1966年、所収)では、土居光知氏は次のように指摘している。
浦島、トマス、アシーンはともに、郷里において契りを結び、女神に伴われて神仙郷に入り、女神に奉仕する。その結婚は、世俗からの絶縁を意味し、父母に再会したいという念願を口にすることによっても、神人の関係が危機に当面するというのである。
また、かつて豊穣を祈願するために大地の女神に若者をささげる儀式があり、女性が迎えにくる伝説は、その宗教儀礼を反映したものと、土居氏は考えている。

ところで、昔話や伝説は日常生活の中に非日常的世界が介入するところからドラマが始まる。浦島太郎やアシーンが訪れた異界に共通しているのは、時間の流れの異常性である。「常若の国のアシーン」では、ティル・ナ・ノーグ(Tir na n-Og)と呼ばれる国がそれにあたり、そこでは老いている者は次第に若返り、死も苦しみもない。
浦島物語では、男が海の中の宮へ行くが、帰郷して初めて時間の流れが食い違っていることを知る。
そして、禁忌の問題が出てくる。
浦島太郎は現世に戻り、300年の時が経ってしまったことを知り、寂しさのあまり「開けてはいけない」と手渡された玉手箱を開けてしまった。アシーンは、自分と比べてあまりに弱々しい人々に手を貸そうとしたところ、「降りてはいけない」といわれていたのに、馬から大地に降り立ってしまった。
どちらも、帰郷を願った主人公に女神が「してはいけないこと」をひとつ与え、その禁忌を犯した主人公が老人になってしまうという同じ結果で物語は終わる。つまり、浦島が玉手箱を開けて老人になってしまったように、アシーンも馬からおりて老人になってしまう。
老人になったのは、浦島とアシーンの人間としての時間が一気に正常に戻ったためである。この禁忌のモチーフは、異界とこの世の時の壁とも考えられる。
アシーンの物語は、死と再生の物語であるとも考えられる。主人公は異世界との接触によって死ぬが、そこから再び人間界へ立ち返る。
死者が神の国へ行くという考え方は古くから日本にもある。『古事記』にもイザナギ、イザナミの話として伝えられている。海が信仰の対象であったのもケルトと日本と共通するところであり、二つの文化の異界観、死生観に似通ったところがあると、和田寛子氏は指摘している。
(和田寛子(英語英文学科)「ケルトの浦島物語「常若の国アシーン」」敬和学園大学『VERITAS』学生論文・レポート集、第12号、2005年7月、71頁~74頁)

浦島物語の典拠


浦島物語の典拠として、原英一氏は次のものを史料として挙げている。
①『日本書記』(雄略天皇22年(AD478)の項)
②高橋虫麿『万葉集』巻九

①『日本書記』(雄略天皇22年(AD478)の項)
丹波国余社郡、菅川の人、水江浦島子は、船に乗りて釣し、遂に大亀を得たり、便(すなは)ち化して女となる。ここに浦島子感じて婦(つま)となす。相遂(あいともな)ひて海に入り、蓬莱山に到り、仙衆を歴(めぐ)り覩(み)る。語は別巻にあり。

※「別巻」とは、丹波の国の国守馬養(うまかい)の連(むらじ)によって書かれたもので、これが最古の文献のはずであるが、すでに散逸している。
(原英一『お伽話による比較文化論(An Introduction to Comparative Culture through Fairy Tales)』松柏社、1997年[2005年版]、118頁)

②高橋虫麿『万葉集』巻九
春の日の 霞める時に
墨吉(すみよし)の 岸に出でゐて
釣舟の とをらふ見れば
古(いにしへ)の事そ思ほゆる

水江(みずのへ)の 浦島の子が
堅魚(かつお)釣り 鯛釣り矜(ほこ)り
七日まで 家にも来ずて
海界(うなさか)を 過ぎて漕ぎ行くに

海若(わだつみ)の 神の女(をとめ)に
たまさかに い漕ぎ向ひ
相誂(あひあとら)ひ こと成りしかば
かき結び 常世(とこよ)に至り

海若の 神の宮の
内の重(へ)の 妙なる殿に
携(たづさ)はり 二人入り居て
老いもせず 死にもせずして

永き世にありけるものを
世の中の 愚人(おろかひと)の
吾妹子(わぎもこ)に 告げて語らく
須臾(しましく)は 家に帰りて

父母(ちちはは)に 事も告(かた)らひ
明日のごと われは来なむと
言ひければ 妹(いも)がいへらく
常世辺(べ)に また帰り来て

今のごと 逢はむとならば
この篋(くしげ) 開くな勤(ゆめ)と
そこらくに 堅めし言(こと)を
墨江(すみのへ)に 帰り来(きた)りて

家見れど 家も見かねて
里見れど 里も見かねて
恠(あや)しと そこに思はく
家ゆ出でて 三歳(みとせ)の間(ほど)に

垣も無く 家滅(う)せめやと
この箱を 開きて見てば
もとの如(ごと) 家はあらむと
玉篋 少し開くに

白雲の 箱より出でて
常世辺に 棚引きぬれば
立ち走り 叫び袖振り
反側(こひまろ)び 足ずりしつつ

たちまちに 情(こころ)消失(けう)せぬ
若かりし 膚もしわみぬ
黒かりし 髪も白けぬ
ゆなゆなは 気(いき)さへ絶えて

後つひに 命死にける
水江の 浦島の子が
家地(いえどころ)見ゆ

常世辺に 住むべきものを
剣刀(つるぎたち) 己が心から
鈍(おそ)やこの君

(原英一『お伽話による比較文化論(An Introduction to Comparative Culture through Fairy Tales)』松柏社、1997年[2005年版]、118頁~120頁)

ひろさちや氏の浦島物語の検討


ひろさちや氏は、次の著作で、浦島物語について、言及し検討している。
〇ひろさちや『昔話にはウラがある』新潮文庫、2000年

まず、浦島太郎の物語を文部省唱歌から検討している。
それは、「昔々浦島は助けた亀に連れられて 龍宮城へ来て見れば、絵にもかけない美しさ」から始まる。
最後の五番では、
「心細さに蓋とれば、あけて悔しき玉手箱 中からぱっと白烟、たちまち太郎はお爺さん」とある。

玉手箱をあけて浦島は、いったい何になったのかと、問い直す。
文部省唱歌にあるように、お爺さんではないと念を押している。鶴になったのである!と強調している。
(そこのところに、文部省唱歌の決定的な誤りがあるとする)

その理由は、「浦島太郎」の物語の典拠にあると主張している。
この物語は、『御伽草子』の中の、浦嶋太郎が基本テキストである。
『万葉集』『丹後風土記逸文』などにも、浦嶋子(うらのしまこ)が登場するが、『御伽草子』のほうが一般的であるとみる。

浦嶋は、龍宮城で美しい女性を妻とし、3年を送った。
≪三年(とせ)が程は、鴛鴦(ゑんあう)の衾(ふすま)の下に比翼の契(ちぎり)をなし≫
と、『御伽草子』に記している。
ところで、3年になったとき、浦嶋は妻に一時休暇を願い出る。国に帰って、父母にこのことを報告してくるというのだ。それで、女は夫に一つの箱を持たせて国に帰らせた。
浦嶋がふるさとに帰るとふるさとは一変している。あまりの変わりように、彼はびっくりする。
そこで、老人をつかまえて、問うてみる。すると老人は、
≪その浦嶋とやらんは、はや七百年以前の事と申し伝へ候(そうらふ)≫と言う。

ここのところが重要であると、ひろさちや氏は強調している。
浦嶋太郎は龍宮城で3年を送った。彼は3年のつもりでいた。だが、ふるさとに帰って来ると、それが700年だったのである。

で、問題は玉手箱である。≪あけて悔しき玉手箱≫である。
浦嶋太郎は玉手箱の蓋をあけて、どうなったか。
文部省唱歌だと、≪中からぱっと白烟≫であるが、『御伽草子』は、
≪中より紫の雲三すぢ上(のぼ)りけり≫とある。
そのあとが肝腎である。
文部省唱歌は、≪たちまち太郎はお爺さん≫である。
しかし、『御伽草子』は、
≪扨(さて)浦嶋は鶴になりて、虚空に飛び上りける≫と記す。
お爺さんではなく、鶴になったのである。

この鶴のほうが、合理的であるとひろさちや氏は考えている。
人間はどう考えても、700歳まで生きることができない。しかし、鶴であれば、700歳まで生きられる。なぜなら、「鶴は千年、亀は万年」といわれていたから。
(鶴は千年、生きられるのであるから、浦嶋太郎は700歳の鶴になっても、あと300年は生きられるとも考えられえるという。龍宮城の乙姫は、いとしの浦嶋太郎に300年も寿命をプレゼントしたとも。それが玉手箱の秘密であると、ひろさちや氏は説いている)
(ひろさちや『昔話にはウラがある』新潮文庫、2000年、29頁~38頁)

【ひろさちや『昔話にはウラがある』新潮文庫はこちらから】

昔話にはウラがある (新潮文庫)

『御伽草子』にみられる浦島物語の結末


まず、『御伽草子』とはどのようなものであるのか。
参考にしたのは、次の文献である。
〇大島建彦『日本古典文学全集36 御伽草子集』小学館、1974年[1985年版]

『浦島太郎』や『一寸法師』などを収めた御伽草子は、南北朝から江戸初期にかけて、わかりやすい散文体で書かれた読物である。多くの作品は、おおむね室町時代を中心になったと考えられている。

御伽草子の中で、人間以外の動植物などを擬人化した作品は、一般に異類物と呼ばれて、かなり多く作られている。そのような異類物の流行は、おもに民間説話の文芸化ともかかわることであり、また仏説や歌論などの影響をもうけたと考えられている。
人間と異類との交渉をのべた作品としては、『浦島太郎』『蛤の草紙』『木幡狐』『鼠の草子』などが挙げられ、異類婚姻譚の代表とされる。

ところで、大島建彦『日本古典文学全集36 御伽草子集』(小学館、1974年[1985年版])の口絵には、京都府与謝郡伊根町の宇良神社所蔵の「浦島明神縁起絵巻」が載っている。宇良神社は、浦島太郎を祭る神社として知られている。
この絵巻は、室町初期の制作といわれており、浦島関係の絵としては、もっとも古い例と認められている。この絵巻の筋書は、御伽草子の『浦島太郎』とも、ほぼ一致するようである。
(ただし、最後の部分で、浦島明神の祭礼について、かなり細かに描かれており、よく縁起の特色を示しているという)

この口絵は、浦島太郎が故郷に帰ってから、玉手箱をあけたために、老翁と化するという場面である。浦島は木の下にすわって、玉手箱をいだいている。その後方には、龍宮の女と思われる者が、玉手箱を持って現れている。
(大島建彦『日本古典文学全集36 御伽草子集』小学館、1974年[1985年版]、解説、特に5頁~7頁、13頁)



それでは、実際に『御伽草子』には、浦島太郎物語の結末はどのように記されているのか。
この点について、述べておきたいが、まず、始まりは次のように記してある。
「昔、丹後国に浦島といふ者侍りしに、その子に浦島太郎と申して、年の齢(よはひ)二十四五の男(をのこ)ありけり。」
(昔、丹後国に浦島という者がおったが、その子に浦島太郎と申して、年のころ、二十四、五の男がいた)

【注釈】
丹後国~京都府北部。
浦島太郎~『万葉集』1740に「水江(みずのえ)の浦島子(うらしまのこ)とあって、古くから「浦島子」として知られていたが、ここに至って「太郎」という名をつけられたものである。



浦島太郎は、海の魚を取って、父母を養っていたが、ある日のこと、「ゑしまが磯」という所で、亀を一匹釣り上げた。
そして、浦島太郎は、この亀に向かい、次のように言っているのが注目される。

浦島太郎、この亀に言ふやう、
「なんぢ、生(しやう)あるものの中にも、鶴は千年、亀は万年とて、命久しきものなり。たちまち、ここにて命を断たんこと、いたはしければ、助くるなり。常には、この恩を思ひ出すべし」とて、この亀をもとの海に返しける。

【現代語訳】
浦島太郎は、この亀に向かい、
「おまえは、命のあるものの中でも、鶴は千年、亀は万年といって、寿命の長いものだ。今すぐ、ここで命を奪うことはかわいそうなので、助けるのだ。日ごろ、この恩を思い出すがよい」と言って、この亀をもとの海に返した。




その後、女人に連れられて、女人の故郷の龍宮城に行き、契りを結んで、しあわせに過ごした。そして三年たって、故郷に戻ることになる。

【注釈】
龍宮城~龍宮城に当たるものは『万葉集』1740・1741に「常世(とこよ)」とおあり、『日本書紀』雄略紀に「蓬莱国(とこよのくに)」とある。ここで龍宮城というのも、常世や蓬莱に通ずる海中の異郷として語られている。

『御伽草子』にみられる浦島物語の結末部分を抽出してみたい。
太郎思ふやう、亀が与へしかたみの箱、あひかまへてあけさせ給ふなと言ひけれども、今は何かせん、あけて見ばやと思ひ、見るこそくやしかりけれ。この箱をあけて見れば、中より紫の雲三すぢ上りけり。これを見れば、二十四五の齢も、たちまちに変りはてにける。
さて、浦島は鶴になりて、虚空に飛び上りける。そもそも、この浦島が年を、亀がはからひとして、箱の中にたたみ入れにけり。さてこそ、七百年の齢を保ちける。あけて見るなとありしを、あけにけるこそよしなけれ。

  君に逢ふ夜は浦島が玉手箱あけて悔しきわが涙かな
と、歌にも詠まれてこそ候へ。
生あるもの、いづれも情(なさけ)を知らぬといふことなし。いはんや、人間の身として、恩を見て恩を知らぬは、木石に譬へたり。情深き夫婦は、二世の契りと申すが、まことにありがたきことどもかな。浦島は鶴になり、蓬莱の山にあひをなす。亀は、甲に三せきのいわゐをそなへ、万代(よろづよ)を経しとなり。さてこそめでたきためしにも、鶴亀をこそ申し候へ。ただ人には情あれ、情のある人は、行く末めでたきよし申し伝へたり。
その後、浦島太郎は、丹後国に浦島の明神とあらはれ、衆生済度し給へり。亀も、同じ所に神とあらはれ、夫婦の明神となり給ふ。めでたかりけるためしなり。

【注釈】
・今は何かせん~今はどうしようか、もうしかたがない。
・よしなけれ~かいがない、くだらない。
・浦島が玉手箱~「浦島が玉手箱」は序詞のように「あけて悔しき」にかかる。「あけて」は、箱をあける意と夜が明ける意とをかける。
・「恩を見て恩を知らぬは、木石に譬へたり」は、室町時代のことわざ。
 幸若舞『屋島軍』に「恩を見て恩を知らざるをば鬼畜木石にたとへたり」、同『信太』に「恩を知らぬ者はただ木石のごとし」とある。
・蓬莱の山~中国の想像上の山
・「三せきのいわゐ」は未詳、「いわゐ」は「祝(いはひ)」か。

【現代語訳】
太郎が思うには亀がくれた形見の箱はけっしておあけなさいますなと言っていたが、今となっては何としようか、あけて見ようというので、見るはめになったのは残念なことである。この箱をあけて見ると、中から紫の雲が三すじ上った。これを見ると、二十四、五の年齢も、たちまちに変わりはててしまった。
そして、浦島は鶴の姿になって、大空に飛び上がっていった。そもそも、この浦島の年齢を、亀のはからいによって、箱の中にたたみ入れてあったのだ。だからこそ、七百年の寿命を保っていたのだった。
あけて見るなと言われたのを、あけてしまったのはかいのないことであった。

(あなたに逢う夜は、浦島の玉手箱をあけてくやしい思いをしたように、明けてくやしく思われ、涙が流れることだ)
と歌にも詠まれている。

命のあるものは、どれも情けを知らないということはない。まして、人間の身として、恩をうけて恩を知らないのは、木や石にたとえられている。情愛の深い夫婦は二世の契りというが、まったくめったにないことであるよ。浦島は鶴になり、蓬莱の山に遊んでいる。亀は、甲に三せきのいわゐをそなえ、万年を経たということである。そうだからこそ、めでたいことのたとえにも、鶴や亀のことを申すのである。ひとえに人には情けがあってほしい、情けのある人は行く末めでたいというように申し伝えている。
さてそののちに、浦島太郎は、丹後国に浦島の明神(みょうじん)としてあらわれ、いっさいの生物をお救いになっている。亀も、同じ所に神としてあらわれ、夫婦の明神とおなりなさる。まことにめでたかった先例である。

(大島建彦『日本古典文学全集36 御伽草子集』小学館、1974年[1985年版]、414頁~424頁)

ところで、注釈には、次のようにある。
丹後国の浦島太郎は、釣り上げた亀を放してやり、その化身の女と契りを結んで、龍宮城でしあわせに過ごした。
三年たって故郷に帰ってみると、こちらでは七百年がたっており、すっかり変わっていた。
そこで、亀からの形見の箱をあけてみると、たちまち老いて鶴となり、龍宮城の亀とともに神として現われたという。

龍宮女房型の異類婚姻譚であるが、『日本書紀』『万葉集』『浦島子伝』『続浦島子伝』など、かなり多くの文献に伝えられている。
この御伽草子に至って動物報恩譚の要素を加えて、本地物の傾向をも示しているという。
<ポイント>
・浦島太郎の物語は、龍宮女房型の異類婚姻譚
・『日本書紀』『万葉集』『浦島子伝』『続浦島子伝』など、多くの文献に伝えられている
・この御伽草子に至って、動物報恩譚の要素が加わった
(大島建彦『日本古典文学全集36 御伽草子集』小学館、1974年[1985年版]、414頁)

【大島建彦『日本古典文学全集36 御伽草子集』小学館はこちらから】

日本古典文学全集 36 御伽草子集



蓬莱山と鶴と亀


【蓬莱山について】
さて、『御伽草子集』の注釈の「蓬莱山」は説明が少ないので、補足しておく。
・中国古代の戦国時代(前5~前3世紀)、燕、斉の国の方士(神仙術を行う人)によって説かれた神仙境の一つ。普通、渤海湾中にあるといわれ、ここに仙人が住み、不老不死の神薬があると信じられていた。
・この薬を手に入れようとして、燕、斉の諸王は海上にこの神山を探させ、秦の始皇帝が方士の徐福を遣わしたことは有名である。
・三神山中で蓬莱山だけが名高いのはかなり古くからで、漢の武帝のとき方士の李少君が上疏して蓬莱山について述べ、のちに渤海沿岸に蓬莱城を築いている。
・また、唐代には、蓬莱県が設置され、李白、白居易、杜甫、王維などの詩人たちによって、蓬莱山が福・禄・寿の象徴として歌われている。
⇒日本でももっぱら蓬莱山のみ詩歌や絵画の題材として用いられ、庭園様式にもみられるのは、おそらく唐代ころの普遍化された蓬莱像がそのまま伝わったためであろうと考えられる。

【「鶴は千年、亀は万年」について】
日本で「縁起の良い生き物」として、鶴と亀があげられる。そして、「鶴は千年、亀は万年」といわれる。『御伽草子集』にも、浦島太郎が亀を助けて、海に返すときのも、この文言がでてきた。すなわち、

浦島太郎、この亀に言ふやう、
「なんぢ、生(しやう)あるものの中にも、鶴は千年、亀は万年とて、命久しきものなり。たちまち、ここにて命を断たんこと、いたはしければ、助くるなり。常には、この恩を思ひ出すべし」とて、この亀をもとの海に返しける。

この「鶴は千年、亀は万年」は、日本独自の考え方ではなく、中国から伝えられたものである。
古く中国前漢時代の思想書に、鶴は千年、亀は万年の寿命を持つという言い伝えがあることが記されている。つまり、鶴と亀がセットで長寿で縁起の良い生き物であるという考え方は、中国から日本へ伝わった。
また、室町時代以降に日本で演じられるようになった能の演目の一つに「鶴亀」がある。
(これはおめでたい演目とされる)
この演目は、中国の皇帝の長寿を祝って、鶴と亀の冠を着けた舞人が舞うという内容である。
(このことからも、鶴と亀が長寿であるという思想が中国から伝わったものであることがうかがえる。また、「鶴亀」に登場する皇帝は、唐の玄宗とは限らないが、玄宗に擬せられることが多い。)

能の演目の「鶴亀」には、次のようにある。
「地 亀ハ万年の齢を経て。鶴も千代をや。重ぬらん。」
【現代語訳】
「地 亀は万年の齢を経て、鶴も千代の歳を重ねる。
【英訳】
「Reciters It is said that a tortoise lives ten thousand years and a crane lives one thousand years.」

「四 鶴と亀に触発された皇帝が舞う
  亀が瑞祥を現(ママ)し、鶴が千年の齢を皇帝に捧げようと庭に入ってきたので、皇帝も大いに喜び、自ら舞楽の秘曲の舞を舞う。
【英訳】
4 Emperor Who Is Inspired by the Dance of Crane and Tortoise Dances
  The Emperor is greatly pleased with the Tortoise which expresses an omen
for auspicious future and the Crane which comes in the garden to offer
one thousand years of longevity to the Emperor. The Emperor voluntarily
performs a secret dance.

亀は古代中国では仙人が住む蓬莱山の使いとされ、知恵と長寿を象徴する動物とされていた。この象徴が日本にも伝わり、鶴とともに長寿を象徴する吉祥の動物とされた。

【おわりに~コメントと感想】


室町時代の中世思想である、輪廻転生、衆生済度という仏教思想、蓬莱山という神仙思想、「鶴は千年、亀は万年」という道教的瑞祥思想が、御伽草子に収められた『浦島太郎』に読み取ることができた。そこには、室町時代の民衆のメンタリティ(フランス語のマンタリテ、心性)が反映されていた。

ところが、近代になって作られた文部省唱歌としての「浦島太郎」はどうか。
自我に目覚め、合理的科学思想の普及にともなって、近代人にとっては、文部省唱歌に具現された浦島太郎の結末は、悲観的要素におおわれていた。みじめさ、あわれさ、身寄りのない孤独……
現代に生きる子どもは、浦島太郎の結末を読んで、こう感じるのも無理はない。はたまた、せっかく竜宮城で乙姫様と楽しくすごしていたのに、それを自ら放棄するとは何と愚かなことをしたのかと非難する人もいるかもしれない。せめて、乙姫様の告げた禁忌を守っていれば、悲劇的な結末にならずにすんだのにと同情するかもしれない。
たしかに、そうであろう。

近代では、宗教的なものや伝統的な慣習などが非合理であるとして否定され、理屈で説明できる科学的なものだけが価値を持つという傾向が生まれるようになったのだから。理性は人間を無知や迷信から目覚めさせたのだ。
ヨーロッパの近代合理主義に洗脳された「文部省唱歌」には、輪廻転生や神仙思想、そして「鶴は千年、亀は万年」などといった生物学的に見てありえない見解を盛り込むことなどできなかった。明治政府にとって、輪廻転生といった仏教思想、蓬莱山などという道教思想は、前近代的な無知蒙昧で幻想的な思想として排除すべきものであった。結果的に、中世の『御伽草子』にみられる楽観的な浦島太郎像とは違って、近代の浦島太郎像は悲観的で現実的で、幼い子どもたちには、“かわいそう”“あわれ”“みじめ”といった同情と憐憫の対象となってしまった。

おそらく、中世の人々、とりわけ民衆は、そうは考えなかったであろう。
老人となっても、転生して、蓬莱山にいける。少々、禁忌を犯しても、救いの道があると楽観的に捉えていたのではなかろうか。

≪参考文献≫
・土居光知『神話・伝説の研究』岩波書店、昭和48年
・和田寛子「ケルトの浦島物語「常若の国アシーン」
・ひろさちや『昔話にはウラがある』新潮文庫、2000年
・大島建彦『日本古典文学全集36 御伽草子集』小学館、1974年[1985年版]



≪ほほえみ・微笑の東西比較~英語の例文より≫

2021-12-30 19:11:48 | 語学の学び方
≪ほほえみ・微笑の東西比較~英語の例文より≫
(2021年12月30日投稿)

【はじめに】


 前々回のブログでは、岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』(美誠社、2001年[2000年第1刷])から、テーマ別に英文を抜き出して、英文解釈力を高めることを意図した。そのテーマとは、〇言語、〇国の特徴と国民性、〇人生(・幸福・友情など)、〇歴史、〇文学、〇自然と科学を扱った英文を選択した。 その岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』(美誠社)には、微笑に関して興味深い英文が載っていた。
 また、野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』(新興出版社啓林館、2017年)においても、微笑に関して偉人の名言が載っている。そして、新渡戸稲造の『武士道』にも、日本人の笑いに関する鋭い考察が見られる。

今回は、英文の例文の中から、この微笑に関して述べた文を取り上げて、考えてみたい。
ここに東西の笑いに対する見方の相違の一端が表れているようにも感じる。




【岡田伸夫『英語の構文150』(美誠社)はこちらから】

英語の構文150―リスニング用CD付


【野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』はこちらから】

Vision Quest 総合英語 2nd Edition

【『「武士道」を原文で読む』(宝島社)はこちらから】

「武士道」を原文で読む (宝島社新書)





さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・マザー・テレサの微笑に関する名言
・ポール・マッカートニーの微笑に関する名言
・微笑について(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』より)
・日本人の笑いについて (新渡戸稲造の『武士道』より)






マザー・テレサの微笑に関する名言


野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』(新興出版社啓林館、2017年)には、次のようなマザー・テレサ(1910~1997)の微笑に関する名言が載っている。

"Every time you smile at someone, it is an action of love, a gift to that person,
a beautiful thing. ― Mother Teresa"
あなたが誰かにほほえむたびに、それは愛の行為なのです。その方への贈り物です。
美しいものなのです。―マザー・テレサ
(野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』新興出版社啓林館、2017年、360頁~
361頁)
Peace begins with a smile. ― Mother Teresa
平和はほほえみから始まるのです。―マザー・テレサ
(野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』新興出版社啓林館、2017年、448頁~
449頁)

その他にも、次のような名言もある。
Let us always meet each other with smile,
for the smile is the beginning of love.
(いつもお互いに笑顔で会うことにしましょう。笑顔は愛の始まりですから。)

Love is a fruit in season at all times, and within reach of every hand. -- Mother Teresa愛は一年中が旬で、誰でも手が届くところになっている果実である。―マザー・テレサ

マザー・テレサは、北マケドニア共和国に生まれ、幼い頃から修道女を目指し、18歳になってからアイルランドで修道女としての訓練を受け、インドのカルカッタにあるキリスト教系の高校で地理と歴史の教師になる。校長になったテレサは、カルカッタの貧しい人達を救おうと、スラム街の子供たちに無料で勉強を教え始める。
そんな姿を見た人達から、ボランティアの参加や寄付も増えていき、救済施設などを開設していく。

その活動はインドをはじめ、世界中に広がり、ローマ教皇からも認められる。そして、1979年にノーベル平和賞も受賞する。授賞式の際にも特別な正装はせず、普段と同じく白い木綿のサリーと革製のサンダルという粗末な身なりで出席した。賞金もカルカッタの貧しい人々のために使われた。インタビューの中で、「世界平和のために私たちはどんなことをしたらいいですか」と尋ねられたテレサの答えはシンプルなものであった。
「家に帰って家族を愛してあげてください。」

Love begins by taking care of the closest ones ― the ones at home. ― Mother Teresa
愛は最も身近にいる人たち、つまり家族を大切にすることから始まる。―マザー・テレサ
(野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』新興出版社啓林館、2017年、478頁~479
頁)というマザー・テレサの名言も載せられている。

ポール・マッカートニーの微笑に関する名言


野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』(新興出版社啓林館、2017年)には、次のようなポール・マッカートニー(1942~)の微笑に関する名言が載っている。
□Smile when your heart is filled with pain. ― Paul McCartney
(心が痛みでいっぱいになったときはほほえもう。―ポール・マッカートニー)
(野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』新興出版社啓林館、2017年、第6章受動態、128頁~129頁)

ポール・マッカートニーは、イギリスのロックバンドのビートルズのメンバーであった。「ポピュラー音楽史上最も成功した音楽家」ともいわれる。
彼のその他の名言として、次のようなものもある。
If you love your life, everybody will love you too.
(あなたの人生を愛せば、みんながあなたを愛するようになる。)
愛されるためには、まず自分自身が自分の人生を愛さなければならない。そうすれば、自然とまわりの人もあなたを大切に愛してくれるようになるという。

ポールにとって、歌とは「人の心と繋がることのできる構造体のようなもの」であったらしい。
名曲「Let It Be」(1970年)の歌詞には、次のようにある。
 When I find myself in times of trouble
  Mother Mary comes to me
  Speaking words of wisdom
 Let it be
 (苦境に立たされたことに気づけたら
  マリア様が現れて
  叡智の言葉をくれた
  なすがままに)
 聖母マリアのささやき、あるがままに生きなさい。
名曲「Let It Be」(なすがままに、ありのままに、そのままでいいんだよ)は、メッセージ性の強い歌詞であると改めて思う。

微笑について(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』より)


岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』(美誠社)には、微笑について、次のような興味深い例文が見られる。

・What flowers are to city streets, smiles are to humanity.
They are but trifles, to be sure; but scattered along life’s path-
way, the good they do is inconceivable.

<語句>
・humanity(名)人間性
・but=only
・trifle(名)ささいなもの
・to be sure~, but…なるほど~だが…(⇒構文129)
・scatter(動)まき散らす
・pathway(名)道
・inconceivable(形)想像もつかない、たいへんな

<考え方>
・第2文のTheyはsmiles を受ける。 
・scattered along life’s pathwayは前にbeingが省略された受動態の分詞構文で、if smiles are scattered along life’s pathwayという意味。
・またthe good [that]they doは「微笑の効用」という意味。

<訳例>
・微笑と人類との関係は、花と都市の道路の関係と同じである。なるほど微笑はささいなものにすぎないが、人生行路にばらまかれると、その効用には想像もつかないものがある。
(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、91頁、練習問題No.117.)

なお、ここで使われている構文は、A is to B what C is to D(「A と Bの関係は、CとDの関係と等しい」)である(構文39)。
この構文は、CとD は、A と Bの関係を説明する例として用いられている。
このwhatは関係代名詞であり、what C is to Dは、主節のis の補語になっている。
関係代名詞whatの代わりに従属接続詞asを用い、“A is to B as C is to D”とすることもある。
(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、90頁)


日本人の笑いについて (新渡戸稲造の『武士道』より)


新渡戸稲造の『武士道』には、日本人の笑いについて、次のような鋭い考察が見られる。

 Indeed, the Japanese have recourse to risibility
whenever the frailties of human nature are put to
severest test.
I think we possess a better reason than
Democritus himself for our Abderian
tendency, for laughter with us of temper veils an
effort to regain balance of temper when
disturbed by any untoward circumstance.
It is a counter poise of sorrow or rage.
The suppression of feelings being thus
steadily insisted upon, they find their safety-valve
in poetical aphorisms.
A poet of the tenth century writes “In Japan
and China as well, humanity when moved by
sorrow, tells its bitter grief in verse.”
A mother who tries to console her broken
heart by fancying her departed child absent on
his wonted chase after the dragon-fly hums,

“How far to-day in chase, I wonder,
Has gone my hunter of the dragon-fly!”

<英単語>
・risibility 笑い
・frailty 弱点
・veil 隠す
・untoward 都合の悪い
・circumstance 状況
・poise 釣り合い
・suppression 抑圧
・safety-valve 安全弁(ハイフン-を入れないつづりが一般的)
・aphorism 格言
・console なぐさめる
・departed 亡くなった
・hum 鼻歌を歌う

<英文の読み方>
・The suppression of feelings being~の前半は分詞構文が使われている。
・引用符の中“In Japan and China as well,~の主語はhumanity、述語はtells。
・A mother who tries to console~の文の主語はA mother、動詞はhums。
 関係代名詞whoで導く節がA motherを説明している。
・by fancying ~the dragon-flyは、「~を想像することによって」の意。

<訳文>
・実際、日本人は人間の弱さが試される場面で、笑いを頼みの綱としてきた。
 しかし、私達がなぜこのように笑うかには、デモクリトスの笑い癖よりもまともな理由があると思う。というのも、私達の笑いには、逆境において心乱されたときに心のバランスを取り戻そうと努力する姿を隠す役割があるからだ。
 つまり、笑いは悲しみや怒りのバランスをとるためのものである。
 こうして絶えず感情を抑えてきたため、心の安全弁の役割は詩歌に託してきた。
 10世紀の歌人は「日本は中国と同様、悲しみにくれる者はそのつらい思いを歌に表現する」と書いている。
 これは、亡くなった子供のことを、いつものようにただとんぼつりに出かけてしまっただけだと思うことで、傷ついた心を癒そうとしたある母親の詠んだ歌である。
    とんぼつり 今日はどこまで 行ったやら
「第11章 克己」より
(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、130頁~133頁)

このように、新渡戸稲造によれば、日本人は人間の弱さが試される場面で、笑いを頼みの綱としてきたというのである。そして、笑いは悲しみや怒りのバランスをとるためのものであったという。

因みに、risibility(笑い)を手元の電子辞書で調べてみると、次のような意味が出てくる。
・risibility(名)
 ①笑い性[癖]、②笑いの感覚、③笑い、陽気(hilarity)
 (『ジーニアス英和大辞典』大修館書店、2008年)
(cf.) ・risible(形)
 ①笑える、笑いたがる、②笑いに関する、③笑わせる、ばかげた
 (『ジーニアス英和大辞典』大修館書店、2008年)
・risible(adj.)
 deserving to be laughed at rather than taken seriously
[SYN] ludicrous, ridiculous
(『オックスフォード現代英英辞典』Oxford University Press, 2005.)



≪新渡戸稲造「武士道」と英語~主述関係を意識して読もう≫

2021-12-30 18:20:27 | 語学の学び方
≪新渡戸稲造「武士道」と英語~主述関係を意識して読もう≫
(2021年12月30日投稿)

【はじめに】


 前回のブログでは、構文さえ理解できれば、解釈が比較的やさしい英文をあげておいた。
 今回は、構文そのものよりも、英文の文型、構造をきちんと理解していないと、英文解釈が難しいものをみてみよう。そのためには、英文の主述関係を意識して読んでみることが大切である。
 その題材として、新渡戸稲造が英文で書いた『武士道』を取り上げてみる。
 参考にしたのは、次の著作である。
〇別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』(宝島社、2006年)
 この著作の中には、1つの文が長い場合、次の3つの作業をしながら、読むのがポイントであると述べている。
①主語(主部)を見つけてアンダーラインを引く。
②述語の動詞を見つけて〇で囲む。
③意味のまとまりを見つけて/で区切る。
(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、15頁)
これも一つの方法であろう。実際に試してみて、自分に合った読み方をしていってほしい。




【『「武士道」を原文で読む』宝島社はこちらから】

「武士道」を原文で読む (宝島社新書)




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


〇原著者新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)の紹介
〇別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』(宝島社)の構成と使い方
〇国際人・新渡戸稲造と英語
〇新渡戸稲造の名著『Bushido』について
〇名著『Bushido』の内容
・武士道は日本の象徴である桜と同様に我が国固有の華である
・武士道とは心に刻み込まれた道徳上の掟である
・礼儀は、他人への配慮から生まれる奥ゆかしい思いやりである
・真実や誠実さを欠く礼儀は見せかけだけの茶番である
・洞察力のある人なら、富の構築と名誉がイコールでないことがわかるだろう
・武士道では、家族全体と個々の利害は完全に一体であり、分けられない
・切腹は、腹を魂と愛情の中心だとする解剖学上の信念から来ている
・もとはエリートの栄誉だった武士道は次第に全国民の志となった






原著者新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)の紹介


・1862年(文久2)、現在の岩手県盛岡市に生まれ、9歳で養子となり東京に出る。
・札幌農学校卒業後、アメリカ、ドイツへ留学する。農学、経済学などを学び、札幌農学校教授を皮切りに、京都帝大・東京帝大教授、東京女子大学初代学長などを歴任する。
・1920年(大正9)、国際連盟設立時には事務局次長としてジュネーブに6年間滞在する。
・1933年(昭和8)、カナダで開催された太平洋会議に出席する。10月15日、ビクトリア市にて享年71歳で死去。
※『Bushido-the soul of Japan』は1900年に書かれた。
(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、40頁、116頁、148頁)

別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』(宝島社)の構成と使い方


別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』(宝島社)は、新渡戸稲造が1900(明治33)年にアメリカの出版社から上梓した『Bushido-the soul of Japan』の序文と本文17章の中から、各章の中心となる段落をピックアップしている。そして、単語の意味、英文を読み解く上でのヒントと日本語訳をつけている。

なお、『武士道』の原著は、新渡戸稲造が英文で書いた。だから訳者の櫻井鷗村が名をつらねた、邦文『武士道』は、明治41年が初版であった。

・格調高い新渡戸稲造の英文を読み解くには、この書の使い方としては、次のようにするのが、オススメであるようだ。
①まず和訳を読み、内容をつかむ。
②和訳1文を読んで、該当するその英文を読む(訳文と英文は番号で対照できる)
③わからない部分は「語句の意味」「英文の読み方」を参照する。

また、『Bushido』は1文が長いので、次の3つの作業をしながら、読むのがポイントである。
①主語(主部)を見つけてアンダーラインを引く。
②述語の動詞を見つけて〇で囲む。
③意味のまとまりを見つけて/で区切る。

(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、6頁~7頁、15頁、28頁~29頁)

国際人・新渡戸稲造と英語


新渡戸稲造の誕生から、20歳前の札幌農学校を卒業するまでの年表は、次のようになる。
 1862年 9月1日、盛岡にて誕生
 1867年 父・十次郎死去
 1871年 叔父・太田時敏の養子となり、上京し、築地英学校に入学
 1873年 東京外国語学校に入学
 1875年 東京英語学校に入学
 1877年 札幌農学校に第二期生として入学
 1880年 母・勢喜(せき)死去
 1881年 札幌農学校を卒業

20歳までの新渡戸稲造は、どのように英語と出あい、学習していったのだろうか。つまり20歳までの英語学習はどのような遍歴を辿ったのか。
この点について、エッセイ「井戸端で水を浴び、睡魔を払って英語と闘う」に略述してあるので、紹介しておこう。
(英語学習法としても参考となることが多い!)

裕福な武家に生まれた新渡戸稲造は、幼少よりかかりつけの医者から英語を学んだと言われている。
しかし、本格的に英語を学び始めたのは、9歳で入学した築地英学校時代のことである。外国人講師の指導のもとで毎日2時間学習したという。
めきめきと力をつけた新渡戸稲造は、11歳になると東京外国語学校(現・東京外国語大学)へ入学した。4年間、数学、地理、歴史などを英語で学んだ。

15歳を迎えたとき、「少年よ、大志を抱け」で有名なクラーク博士が教鞭をとっていた札幌農学校に入学した。
(札幌農学校の同期には、内村鑑三、宮部金吾らがいた。新渡戸が宮部金吾に宛てた直筆の英文の書簡が残っており、写真が掲載してある)
やはり、札幌農学校でも、ほとんどの教授は外国人であった。テキストも英語である。
(開国間もない当時は、西洋式の高等教育を授けることのできる日本人教師、日本語の教材が不足していた。英語のテキストを用いながら外国人が教えるといったことは、その時代にあってはやむを得ぬことだった)

ところで、英語漬けの毎日を過ごしていれば、英語力が上がるのは当然のことのように思えるが、それに対応するためには、大変な努力が必要だった。こんな逸話がある。
あるとき勉学に励んでいた新渡戸は睡魔に襲われる。そのとき新渡戸は井戸端まで駆け寄り、水を浴びて睡魔を払い、勉強を続けたという。

新渡戸が実践した英語学習法の一つに「多読」がある。
英語の本をとにかく大量に読みあさった新渡戸は、目を患ったほどだが、これにより速読力がつき、日本語の本より英語の本の方が読みやすくなるまでに至ったようだ。
18歳のときには、トマス・カーライル著『衣服哲学』をすらすらと読みこなしたという。驚きである。
また、一度習った単語は日常生活で使用したり、口癖のように繰り返し暗唱するなどして、忘れないように努めた。
こうした努力と英語漬けの環境により、後年世界を舞台に活躍できるほどの英語力を身につけた。
(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、38頁~40頁)

このように、英語学習法の一つ「多読」を実践して、速読力がついたというエピソードは大いに参考となろう。

新渡戸稲造の名著『Bushido』について


新渡戸稲造の名著『Bushido』は、「武士道」を体系立てて英文を著し、欧米人に大反響を巻き起こした。
「武士道」は、封建制度を母として生まれた、わが国特有の道徳観であるとされる。正義を求め、名誉を重んじ、節制と恥の観念を大切にした武士道の考えは、封建の世が去った後も、宗教教育のない日本人の精神的ルーツとして存在し続ける。いわば、日本人の精神的バックグランドである。

100年前、武士道の内容を英語で出版できる日本人がいたことは我々の誇りである。
心血を注いで英語を習得した新渡戸の姿勢は、まさに武士道そのものといえる。新渡戸は、格調高く厳かに、そして何よりも正確に日本人の心を伝えようとした。その気概は、原文でなければ味わうことはできないと主張する人もいるくらいである。

新渡戸稲造の『Bushido』は、初版が発行された20世紀初頭、米国の第26代大統領セオドア・ルーズベルトも大変感銘をうけた。本を大量に買って子供や友人のほか、陸軍士官学校や海軍兵学校の生徒にも薦めたという。
そして、あの発明王エジソンも『Bushido』に、大いに啓発されたと伝えられる。

ともあれ、『Bushido』は、英文のほかにドイツ語・フランス語・ロシア語など数カ国語に翻訳され、欧米の知識階級が日本人のメンタリティーを理解することに貢献した。
(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、2頁~3頁)

武士道は日本の象徴である桜と同様に我が国固有の華である


それでは、実際に新渡戸稲造の書いた『Bushido』の英文を読んでみよう。
Chivalry is a flower no less indigenous to the
soil of Japan than its emblem, the cherry
blossom; nor is it a dried-up specimen of an
antique virtue preserved in the herbarium of our
history.
It is still a living object of power and beauty
among us; and if it assumes no tangible shape or
form, it not the less scents the moral atmosphere,
and makes us aware that we are still under its
potent spell.

<英単語>
・chivalry 騎士道精神
・indigenous 固有の
・specimen 見本
・herbarium 植物標本集
・tangible 具体的な
・scent におわす
・potent 強い
・spell  魅力

<英文の読み方>
・前半は、no less ~ than…「…と同じく~」を使い、Chivalry(武士道)とits emblem, the cherry
blossom(日本の象徴である桜)を比較する文。
・後半は、否定語nor(また~でもない)を文頭に置いた倒置の文。
・ itはchivalryを指す。過去分詞preserved in the herbarium of our historyまでが前の名詞 a dried-up specimen of an antique virtueを説明している。

・if節は譲歩(たとえ~でも)を表す。 
・not the lessは挿入句で「それでもなお、やはり」の意味。
・この文中に出てくるit(its)はすべてchivalry(武士道)を指す。

<訳文>
武士道は日本の象徴である桜の花と同様に、わが国固有の華である。歴史の標本の中に収められた、干からびた押し花のように古めかしい道徳ではなく、今でも力と美の対象として、武士道は私たちの中にあり続けている。それは具体的な姿形をとってはいないものの、道徳の雰囲気を今も漂わせており、私たちは今だに、それに強く引きつけられていることに気づく。
「第1章 道徳の体系としての武士道」より

(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、18頁~19頁)

武士道とは心に刻み込まれた道徳上の掟である


Bushido, then, is the code of moral
principles which the knights were required
or instructed to observe.
It is not a written code; at best it consists of a
few maxims handed down from mouth to mouth
or coming from the pen of some well-known
warrior or savant.

<英単語>
・code 掟
・observe 従う
・maxim 格言
・savant 学者

<英文の読み方>
・主語はBushido、述語はis。thenは「そういうわけで」の意で挿入されている。
・そのあとに続くwhich the knights were required or instructed to observeは前のthe code of moral
principlesを説明している。to observe(従うことを)は、were required と(were)instructedの両方にかかる。

・ItはBushidoを指す。このページに出てくる文中のitはすべてBushido。
・at bestからの文の切れ目は、次のようになる。
at best /it consists of a few maxims /handed down from mouth to mouth /or coming from the pen /of some well-known warrior or savant.
comingはmaximsにつながっている。

<訳文>
そのようなわけで、武士道とは道徳上の掟であり、武士はそれに従うよう教えられ、実践を求められた。
武士道は成文化された掟ではなく、口伝えや、ある有名な武士や学者が書き留めた格言といった程度のものである。
「第1章 道徳の体系としての武士道」より

(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、22頁~23頁)

武士道とは心に刻み込まれた道徳上の掟である


Valour, Fortitude, Bravery, Fearlessness,
Courage, being the qualities of soul which
appeal most easily to juvenile minds, and which
can be trained by exercise and example, were, so
to speak, the most popular virtues, early
emulated among the youth.

<英単語>
・fortitude 気丈さ
・juvenile 少年の
・emulate まねる

<英文の読み方>
・2つのwhich は関係代名詞で、ともにthe qualities of soulにかかる。

<訳文>
勇猛、気丈、勇敢、大胆、勇気などは幼い武士たちに最も受け入れられやすい資質で、手本に倣えば養成できる、言わば、徳の中でも最も身近なものであった。
「第4章 勇気、勇敢と忍耐の精神」より

(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、56頁~57頁)


礼儀は、他人への配慮から生まれる奥ゆかしい思いやりである


 For propriety, springing as it does from
motives of benevolence and modesty, and
actuated by tender feelings toward the
sensibilities of others, is ever a graceful
expression of sympathy. (中略)
In America, when you make a gift, you sing its
praises to the recipient; in Japan we depreciate or
slander it.

<英単語>
・propriety  礼儀正しさ
・spring 生まれる
・motive 動機
・actuate 動かす
・graceful 奥ゆかしい
・depreciate  軽視する
・slander  そしる

<英文の読み方>
・For~は前の文を受けて「というのは~」と理由を表す。主語はpropriety、述語は4行目のis。
・springingと、3行目のactuatedはともに主語proprietyにつながる。
・springing as it does from~のitはpropriety(礼儀)。
・asは「~なので」と理由を表す。強調するために動詞(spring)が前に出ている。
 本来の語順は、as it springs from~。doesはspringsの代わりに使われている語。
・its、itはともにa giftを指す。

<訳文>
礼儀とは仁と謙遜から生まれるもので、他人への配慮の気持ちからにじみ出る、奥ゆかしい思いやりと言える。(中略)
贈り物をする際、アメリカ人は、その品物を絶賛して渡すのに対し、日本人はわざと軽視したり、つまらないもののように言う。
「第6章 礼儀」より

(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、76頁~77頁)

真実や誠実さを欠く礼儀は見せかけだけの茶番である


 The apotheosis of Sincerity to which
Confucius gives expression in the Doctrine
of the Mean, attributes to its transcendental
powers, almost identifying them with the Divine.
“Sincerity is the end and the beginning of all
things; without Sincerity there would be
nothing.”

<英単語>
・apotheosis 神聖視
・transcendental 超越した

<英文の読み方>
・The apotheosis ~the Meanまでが主部、述語は attributes。
・attributes to itsのitsはSincerityを指す。
・identifying themのthemはtranscendental powersを指す。
・without Sincerity there would be nothing.は仮定法の文。

<訳文>
孔子が『中庸』の中で誠実を賛美するのは、誠実を持つ超越した力のせいであり、孔子はその力をほとんど神と結びつけてこう語っている。
「すべては誠実に始まり誠実に終わる。誠実なくしては何も存在しない。」

「第7章 真実そして誠実」より

(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、86頁~87頁)

【文法の補足】


野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』(新興出版社啓林館、2017年)においても、「ifを使わない仮定法①:副詞(句)で仮定を表す」には次の例文があり、解説がなされていた。

Focus 157 ifを使わない仮定法①:副詞(句)で仮定を表す
1. Without your help, I would not be able to do this job.
あなたの助けがなければ、私はこの仕事ができないだろう
(野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』新興出版社啓林館、2017年、278頁)

【野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』はこちらから】

Vision Quest 総合英語 2nd Edition




洞察力のある人なら、富の構築と名誉がイコールでないことがわかるだろう


 Those who are well acquainted with our
history will remember that only a few years
after our treaty ports were opened to foreign
trade, feudalism was abolished, and when with it
the samurai’s fiefs were taken and bonds issued to
them in compensation, they were given liberty to
invest them in mercantile transactions.

<英単語>
・fief 領地
・bond 公債
・compensation 報酬
・mercantile 商業の
・transaction 取引

<英文の読み方>
・those who~は「~する人々」を表し、our historyまでが主部となる。
・when with it(それと時を同じくして)のitは前で述べた「封建制度の廃止」を指す。

<訳文>
わが国の歴史に精通している者ならば、開港からわずか数年で封建制度が廃止された事実を記憶しておられるだろう。それと時を同じくして、武士は領地を取り上げられ、見返りに公債が発行され、それを商業の取引に投資する自由が与えられた。
「第7章 真実そして誠実」より

(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、88頁~89頁)

武士道では、家族全体と個々の利害は完全に一体であり、分けられない


 The individualism of the West, which
recognises separate interests for father and
son, husband and wife, necessarily brings into
strong relief the duties owed by one to the other;
but Bushido held that the interest of the family
and of the members thereof is intact, - one and
inseparable.

<英単語>
・individualism 個人主義
・interest 利害関係
・relief 強調
・owe 負うている
・thereof それゆえに
・intact 完全な
・inseparable 分けることができない

<英文の読み方>
・to the other;までの文の主部は、The individualism of the West, which recognises separate interests for father and son, husband and wife、述語はbrings。
・whichはThe individualism of the Westを指し、「そして、西洋の個人主義とは…」と説明を加えている。
・bring into strong relief~で「~を際立たせる」という意。
・過去分詞owed by one to the otherまでは前のthe duties(義務)にかかる。
・後半but以下の文では、述語held(hold)は「主張する」の意で、「武士道は~ということを主張している」となる。

<訳文>
西洋の個人主義では、父と息子、夫と妻それぞれの利害を分けて考えるため、個人が他者に対して負う義務は明らかである。しかし、武士道では、家族全体と個々の利害は完全に一体であり、分けることができない。
「第9章 忠義」より

(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、106頁~107頁)

武士道では、家族全体と個々の利害は完全に一体であり、分けられない(その2)


 In his great history, Sanyo relates in touching
language the heart struggle of Shigemori
concerning his father’s rebellious conduct.
“If I be loyal , my father must be undone; if I
obey my father, my duty to my sovereign must
go amiss.” 
Poor Shigemori!
We see him afterward praying with all his soul
that kind Heaven may visit him with death, and that
he may be released from this world where it is
hard for purity and righteousness to dwell.
 Many a Shigemori has his heart torn by the
conflict between duty and affection.
Indeed, neither Shakespeare nor the Old
Testament itself contains an adequate rendering
of ko, our conception of filial piety, and yet in
such conflicts Bushido never wavered in its
choice of loyalty.

<英単語>
・rebellious 謀反の
・sovereign  君主
・amiss  具合悪く
・afterward 後に
・purity 清廉
・dwell 居住する
・torn tearの過去分詞。引き裂かれた
・conflict 葛藤
・neither ~nor… ~でもなければ、…でもない
・adequate  適切な
・render 敬意を表す
・waver ためらう

<英文の読み方>
・In his great history,~の文の述語はrelates(物語る)、目的語はthe heart。
・in touching languageは「感動的な言い回しで」を表す。
・<see+人+~ing>で「人が~している様子を見る」の意。
・that kind Heaven ~, and that he may~の2つのthat節がpraying(~を祈る)の目的語になっている。
・many a +単数形で「数多くの」を表す。

<訳文>
頼山陽は、歴史書の中で、平重盛が父の謀反に対して苦しむ様子を感動的な表現で次のように著している。
「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」。
哀れな重盛よ!
その後彼は、全身全霊を込めて祈り、死して天に召され、清廉、正義といったことが育ちにくいこの世から解放されるように願ったのである。
重盛と同じように義務と愛情のはざまで心を引き裂かれた人物はあまたいる。シェークスピア(ママ)にも旧約聖書にも、我々の持つ孝行という概念と合致するような教えはないのだが、こうした葛藤が起こったとき、武士道では忠義という教えに何の迷いも生じなかった。
「第9章 忠義」より

(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、108頁~111頁)

【文法の補足】


野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』(新興出版社啓林館、2017年)においても、「<知覚動詞+O+分詞>」には次の例文があり、解説がなされていた。
Focus 106 <知覚動詞+O+分詞>
 I saw Steve waiting for a bus.    私はスティーブがバスを待っているのを見かけた。
 (S)(V)(O)(C)
   ⇒Steve was waiting(スティーブが待っていた)
・see(見る)などの知覚動詞はSVOC(C=分詞)の形をとることができる。
 Cが現在分詞の場合、OとCの間には能動の関係がある。
・<see+O+現在分詞>の形で「Oが~しているのが見える」という意味を表す。
 Oと現在分詞との間には、「スティーブが待っている」という能動の関係がある。
(野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』新興出版社啓林館、2017年、190頁)

切腹は、腹を魂と愛情の中心だとする解剖学上の信念から来ている


 The French, in spite of the theory
propounded by one of their most
distinguished philosophers, Descartes, that the
soul is located in the pineal gland, still insist in
using the term ventre in a sense which, if
anatomically too vague, is nevertheless
physiologically significant.
Similarly, entrailles stands in their language for
affection and compassion.
Nor is such a belief mere superstition, being
more scientific than the general idea of making
the heart the centre of the feelings.

<英単語>
・propound  提唱する
・philosopher 哲学者
・Descartes デカルト
・pineal gland 松果腺
・ventre (フランス語)ヴァントル 腹部
・anatomically 解剖学上は
・vague 漠然とした
・physiologically 生理学上は
・similarly 同様に
・entrailles (フランス語)アントレイユ 腹部
・compassion 憐れみ
・superstition 迷信

<英文の読み方>
・The French, in spite of~の文の主語はThe French、述語はinsist。
・in spite of~で「~にもかかわらず」。
・Descartesのあとのthat節はthe theory(理論)の内容を表している。
・否定語norを文頭に置くことにより倒置の形となっている。
<訳文>
最も優れた哲学者の一人、デカルトが、「魂は松果腺にある」という理論を唱えたが、フランス人は今だに、解剖学上は非常に漠然としているが、生理学的には意味のあるヴァントル(腹部)という言葉を使っている。
同様に、アントレイユ(腹部)という言葉を愛情や憐れみという意味で使っている。
これは単なる迷信からではなく、心臓は感情の中心だからという一般的考えと比べると、より科学的な根拠に基づいている。
「第12章 切腹と敵討ち」より
(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、138頁~139頁)


【文法の補足】


野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』(新興出版社啓林館、2017年)においても、「that を使った同格」には次の例文があり、解説がなされていた。
Focus 182 that を使った同格
  He faced the fact that he would have to try again. 
もう一度挑戦しなければならないという事実に彼は直面した。
(野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』新興出版社啓林館、2017年、317頁)

また、野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』(新興出版社啓林館、2017年)においても、「否定語を文頭に置くことにより倒置の形となる場合」には次の例文があり、解説がなされていた。
Focus 175 強調のための倒置
1. Never have I seen such a beautiful sight. 
私はこれまで一度もこんなに美しい光景を見たことがありません。
2. Not a word did he say.   彼は一言も言わなかった。
【倒置】
・英語の語順は普通<主語+(助)動詞>だが、主語と(助)動詞の順序が逆になることがある。これを倒置という。

【否定を表す語句が文頭に出る】
1.never(一度も~ない、決して~ない)、rarely(めったに~ない)のような否定を表す副詞(句)を文頭に置き、否定の意味を強調することがある。
・このとき、その後は疑問文と同じ語順になる。
 (主に文語的な表現である。)
<例文>
・I have never seen such a beautiful sight.
 ①否定語句を文頭に
・Never have I seen such a beautiful sight. 
 ②<主語+動詞>の部分を疑問文の語順に

【倒置で使われる否定語句】
□ never      一度も[決して]~ない
□ little      まったく[ほとんど]~ない
□ hardly/scarcely  ほとんど~ない
□ seldom/rarely  めったに~ない
□ not only ~  ~だけではなく
□ not until …  …まで~ない
□ at no time  一度も~ない
□ on no account  決して~ない
□ under no circumstances どんな状況でも~ない

2.Focus 175の第2文のように、目的語が no, not, littleなどの否定語を伴って文頭に出た場合、疑問文と同じ語順になる。
・ He did not say a word.
→Not a word did he say.  (彼は一言も言わなかった。)
(O)  (疑問文の語順)

(野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』新興出版社啓林館、2017年、309頁)



もとはエリートの栄誉だった武士道は次第に全国民の志となった


 In manifold ways has Bushido filtered down
from the social class where it originated, and
acted as leaven among the masses, furnishing a
moral standard for the whole people.

<英単語>
・manifold 多種多様な
・filter だんだん知られてくる
・originate 源を発する
・leaven 酵母
・the masses 大衆
・furnish (必要なものを)供給する

<英文の読み方>
・倒置の文。主語はBushido、述語はhas filtered(浸透する)。
・where it originatedは前のthe social classにかかり、「それ(武士道)が生まれた武士階級」となる。
・actedの主語はBushido、furnishing~は「~をもたらし」という意味。

<訳文>
武士道は、最初にそれを生んだ武士階級から多種多様な方向に浸透していき、大衆の間で酵母の役割を果たしながら、すべての人々に道徳規範を示していった。
「第15章 武士道の影響」より

このように、武士道はすべての日本人の道徳規範となっていった。大衆は武士ほどの気高さにまで到達することはなかったものの、やがて武士道は大和魂という名で呼ばれ、日本人の民族精神を表すまでに浸透した。
(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、162頁~163頁)


≪小説『レ・ミゼラブル』と英語≫

2021-12-21 18:13:59 | 語学の学び方
≪小説『レ・ミゼラブル』と英語≫
(2021年12月21日投稿)

【はじめに】


 今回のブログでは、小説『レ・ミゼラブル』と英語について考えてみる。


【Victor Hugo, Les Misérablesの英語版はこちらから】

Les Miserables (Signet Classics)

【Victor Hugo (Translated by Norman Denny), Les Misérables, Penguin Booksの英語版はこちらから】

Les Miserables (Penguin Clothbound Classics)



『レ・ミゼラブル』という小説


ユゴーはフランスのロマン派で最も偉大な詩人として評価されている。
『レ・ミゼラブル』(1862年)は、人道主義的立場で書かれたユゴーの大河小説である。
400字詰め原稿用紙にして実に5000枚に及ぶ大作であった。
当時は文学といえば、戯曲ないし詩であった。小説はまともな文学とは見なされていなかった。その地位が上がったのは、1820年代から30年代のことであった。
1820年代にイギリスからウォルター・スコットの歴史小説が入ってきた。ユゴーはスコットから小説作法を学んだ。その歴史小説の方法とは、出来事が起こったのにできる限り追い時間を経過させて場面として語るものである。つまり現実の時間と空間を忠実に再現する作法である。これを「演劇的小説、ロマン・ドラマチック」と呼んだ。この方法を『レ・ミゼラブル』でも忠実に実行した。そしてその骨格は、演劇の筋にならって、起承転結がはっきりしており、単純明快なものであった。そのため、ミュージカルに脚色したり、ダイジェスト版の筋立ても辻褄を合わせやすかったといわれる(稲垣直樹『サドから『星の王子さま』へ――フランス小説と日本人』丸善ライブラリー、1993年、100頁~101頁)。

【稲垣直樹『サドから『星の王子さま』へ』丸善ライブラリーはこちらから】

サドから『星の王子さま』へ―フランス小説と日本人 (丸善ライブラリー)

ユゴーは政治的には共和主義者であったので、第2帝政を否定した。
この点について、『レ・ミゼラブル』を英訳したデニィーは、導入の中で次のような解説を加えている。

ユゴーの政治思想について
He was first and foremost, by nature
as well as by conviction, a romantic. It was an attitude to life
expressing itself in all life’s activities, above all in the arts but also in
politics, where it bore the name of liberalism. As time went on and
he outgrew the Bonapartism inherited from his father and the
royalism inherited from his mother, this liberalism took the form of
outspoken republicanism. Universal suffrage and free (compulsory)
education were to become the basic tenets of his political creed.
(Denny, Introduction, Les Misérables, Penguin Books, 1982, pp.7-8.

Hugo は、ロマンチックで、リベラル主義であった。
父親は、ボナパルト主義、母親は、王政主義であったのだが、ヴィクトル・ユゴーのリベラル主義は率直な共和主義の形態をとった。

1843年に娘のLéopoldineの死亡はかなり影響した。

ルイ=フィリップとは仲が良かったが、1848年の革命で、the Constituent Assemblyになる
1851年、ルイ=ナポレオンの第2帝政にがまんできず、亡命した
14年間、家族とともにガーンジー島へ暮らした。女優で終生の愛人Juliette Drouetもそばに住んだらしい。ここで『レ・ミゼラブル』が書かれ、1862年に出版された。

フランスは、普仏戦争に敗れて、1870年に第2帝政が崩壊する。ユゴーは凱旋将軍のように群衆の歓呼に迎えられ、パリに帰る。そして1874年には、小説『93年』を発表する。これはフランス革命の頃に主題をとった歴史小説の集大成であった。

ユゴーは共和主義者であったので、ナポレオン3世の第2帝政に反対した。そしてオジの第1帝政にも批判的であった。

このことは、『レ・ミゼラブル』でも窺い知ることができる。
ジャン・ヴァルジャンとナポレオン1世とは対比的に描かれている。2人の運命を辿る上で、1769年と1796年、そして1815年という3つの年号が重要な鍵である。つまり1769年→1796年→1815年は物語の重要な軸となる。

これらの年で、2人の運命は鮮明なシンメトリーを形造る。
つまりナポレオン1世は1769年に生まれたが、ジャン・ヴァルジャンも同年に生まれたことになっている。
そして運命を変える出来事が1796年に起きた。
ナポレオンはイタリア遠征軍総司令官として戦功を収めて、その後19年に及ぶ栄達の足がかりがつく。それに対して、同年1796年、ジャン・ヴァルジャンは最初の有罪判決を受ける。以後、19年間徒刑場で苦難の生活を始める。こうユゴーは物語を設定した。
そして19年後の1815年にどうなったのか。
ディーニュの町で交差し、その運命を入れ替える。その際、ユゴーは小説で次のように周到な記述をしている。
ディーニュの町に入るのに、ジャン・ヴァルジャンは「7か月前カンヌからパリに向かう皇帝ナポレオンが通ったのと同じ道をたどってきた」。
2人の運命がディーニュで出会う1815年という年号にユゴーは執着した。
また小説の書き出しでも、「1815年、シャルル=フランソワ=ビヤンヴィニュ・ミリエル氏はディーニュの司教であった」とする。
壮大な小説は、1815年という年号から始まっている。
ユゴー自身、草稿の中で第1部第2編第1章(ジャン・ヴァルジャンがディーニュの町に到着する場面)を一番早く書いたという。つまり草稿の一番古い日付が付されている(稲垣、1993年、110頁~111頁)。


小説『レ・ミゼラブル』の構成


『レ・ミゼラブル』は、次のように、五部から成っている。
第一部 ファンチーヌ
第二部 コゼット
第三部 マリユス
第四部 プリュメ通りの牧歌とサン=ドニ通りの叙事詩
第五部 ジャン・ヴァルジャン
各部は、篇に分かれ、さらに各篇が章に分かれる。第一部から第三部までは八篇、第四部は十五篇、そして第五部は九篇ある。そして全巻で、計三百六十三章になる。

『レ・ミゼラブル』のあらすじ


小説『レ・ミゼラブル』を各部ごとに、あらすじを記しておく。

第一部「ファンチーヌ」のあらすじ


枝打ち職人だった25歳のジャン・ヴァルジャンは、寡婦の姉とその7人の子供を養い、貧困の日々を送っていた。厳しい冬が来たのに仕事にもありつけず、しかたなくパンをひとつ盗もうとして、取り押さえられてしまう。
そのため、5年の徒刑を言い渡されたが、服役中に脱走を試みたために、刑が加重されて、19年間トゥーロンの徒刑場で過ごすことになった。

1815年10月に釈放され、ディーニュの町にたどり着く。しかし、前科者の黄色い旅券のために、どこでも追い返され、寝食もままならない。そんな彼を迎え入れてくれたのが、ディーニュの司教ミリエル氏だった。しかし、その翌日、司教館の銀の食器を盗んで逃亡し、憲兵に捕まるが、司教は、それらはジャン・ヴァルジャンにあげたものと明言して、かばう。彼は感謝したが、そのあと煙突掃除の少年から、40スーを奪ってしまう。自責の念に駆られ、良心にめざめて改心し、以後ミリエル司教を崇めつつ、贖罪に努めることになる(ただ、この小さな事件でも余罪になり、終身懲役以上の刑罰になることから、以後、ジャン・ヴァルジャンは名前を変え、身分を隠すことになる)。

ファンチーヌはモルトルイユ・シュル・メールの孤児で、15歳のときにパリに出て、お針子になった。学生と恋仲になるが、捨てられて、女児コゼットを生む。パリを離れて、故郷に帰ろうとするが、その途中、旅籠兼料理屋を営んでいるテナルディエ夫婦に出会い、養育費を払って、コゼットを預かってもらうことにする。
久しぶりに故郷に帰り、黒ガラス装飾品を製造する工場で働く。その工場はマドレーヌ氏(ジャン・ヴァルジャンの変名)が経営する工場だった。ファンチーヌの美貌が工場の同僚の嫉妬を招き、「未婚の母」だと密告されて、工場を解雇される。

そして、コゼットを預けたテナルディエからは、養育費・架空の医療費などを催促され、不幸に追い打ちをかける。ファンチーヌは、コゼットのために髪を売り、歯を売り、最後に体を売ることになってしまう。公娼としてすさんだ日々を送ることになるが、ある男に背中に雪を入れられるという悪ふざけをされて、もめ事になり、警部ジャヴェールに監獄行きを命じられる。そこに居合わせたマドレーヌ氏が介入し、ファンチーヌは釈放される。

この町の市長になっていたマドレーヌ氏は、自分の知らないところで、ファンチーヌが工場を解雇された事情を初めて知り、重病の彼女を看護室に入れ、テナルディエの手から娘のコゼットを取り戻したいという最後の希望を叶えると約束する。

こうした中で、ジャヴェール警部から、マドレーヌ市長は、ある報告を受ける。ジャン・ヴァルジャンと思われる男が、リンゴを盗んだ廉で裁判にかけられるというのである。ジャン・ヴァルジャン本人(マドレーヌ市長)は、その男が全くの別人だと誰よりも知っていたので、煩悶する。つまり、その男にトゥーロンで終身懲役に服従してもらって、自分は尊敬できる市長のままとどまるか、それとも良心に従って、みずから名乗り出て、その哀れみ男を救うかの選択を迫られる。その結果、後者を選び、ファンチーヌとの約束を果たせないまま、再び警察に追われる身になり、逮捕され、徒刑場に送られる。

その逮捕前に、ジャン・ヴァルジャンは、黒ガラス装飾品の製造工場の経営で稼いだ60数万フランの現金を、モンフェルメイユの森に隠すことに成功した。他方、ファンチーヌはコゼットに再会できないまま、絶望のうちに死んでしまう。

第二部「コゼット」のあらすじ


8年ぶりにトゥーロンの徒刑場に連れもどされ、囚人に逆戻りしたジャン・ヴァルジャンは、
軍艦の水夫が海に落ちようとしているところを助け、その際に海に飛び込んで脱獄に成功する。身元を隠してパリに出てきて、「ゴルボー屋敷」に住まいを借り受ける。その後、ファンチーヌとの約束を果たすために、モンフェルメイユのテナルディエの所にいるコゼットに会いに出かける。

まだ8歳にもならないコゼットは、女中代わりに、こき使われ、痛ましい境遇にあった。ジャン・ヴァルジャンは、テナルディエに手切れ金を渡して、コゼットをパリの「ゴルボー屋敷」に落ち着く。しかし、老女の通報で、パリに転任していたジャヴェールの知るところとなり、ふたりは夜陰に紛れて逃げ出し、プチ・ピクピュス修道院に忍びこむ。

ジャン・ヴァルジャンは、その修道院の庭で、かつて命がけで救ってやったフォーシュルヴァン老人に出会い、この老人の忠告のおかげで、ジャン・ヴァルジャンは庭師として、コゼットは寄宿生として、正式の許可を得て、その修道院に5年間、穏やかに暮らすことができた。

第三部「マリユス」のあらすじ


この第三部で初めて登場するマリユス・ポンメルシーは、ワーテルローに参戦したナポレオン軍の大佐の息子だった。大佐がナポレオン軍の残党として貧しい暮らしをしていたので、王党派の祖父ジルノルマン氏の手で育てられた。しかし、マリユスは、父親の死などをきっかけに、徐々にボナパルト主義にめざめて、祖父と対立し、家出してしまう。「ゴルボー屋敷」で貧しい学生生活を送るうちに、アンジョルラスら革命派の秘密結社≪ABCの友の会≫のメンバーと知り合いになる。

その「ゴルボー屋敷」には、すでにジョンドレットと名前を変えたテナルディエ一家が、モンフェルメイユからパリに引っ越して、極貧の生活をしていた。そこで一攫千金をもくろんで目をつけたのは、若い娘(コゼット)を連れて教会にくるルブラン氏という慈善家(ジャン・ヴァルジャン)だった。
じつはジャン・ヴァルジャンは、コゼットの将来を思って修道院を出て、プリュメ通りの家とアパルトマンを借りて、「年金生活者」としてひっそり暮らし、コゼットを時々散歩に連れ出していた。

マリユスは、リュクサンブール公園でこの美しい少女を見かけ、激しく恋するようになる。身元を知ろうと追いかけ回し、アパルトマンにまで付いてくるので、ジャン・ヴァルジャンは不安を覚え、アパルトマンを引き払って、プリュメ通りの家に移ってしまう。行方をくらまされたマリユスは、悶々とした日々を過ごす。そんな時、隣人のジョンドレット一家の姉娘(エポニーヌ)が無心の手紙をもってくる。その姿が哀れだったため、マリユスは一家の貧困に同情を寄せる。

ある日、慈善家のルブラン氏が娘をつれて、ジョンドレットのあばら屋に姿を現し、冬場をしのげる衣類を届ける。マリユスはあの美しい少女を見つけ、あとを追ったが無駄に終わる。
その後、マリユスは壁の穴から、隣家のジョンドレット一家を窺っていると、話の様子から、ジョンドレットがじつはテナルディエという名前であり、マリユスの父親から、「ワーテルローで命を救ってくれた恩人だから、よくしてやってくれ」と遺言されていた当人だと知って驚く。また、テナルディエが盗賊団に助力を頼んで、ルブラン氏を待ち伏せし、恐喝する準備をしているのを見て仰天し、警察に通報する。
ルブラン氏はテナルディエの一味の捕虜にされ、殺されようとしていたところ、マリユスのとっさの機転のおかげで、ジャヴェールが率いる警察に踏み込まれ、一味の大半は逮捕される。ただ、ルブラン氏は逃亡し、ジャヴェールを悔しがらせる。

第四部「プリュメ通りの牧歌とサン=ドニ通りの叙事詩」のあらすじ


ジャン・ヴァルジャンは最愛のコゼットがだれかを愛しはじめ、自分から離れていくのではないかと心配していた。リュクサンブール公園近くに別に借りていたアパルトマンから、急にプリュメ通りの庭付きの家に移ったのも、その危惧からだった。それでも、マリユスが、エポニーヌの手引きでついにコゼットと再会し、夜の庭で逢瀬を重ねることを妨げられなかった。

一方、ジャン・ヴァルジャンは、一家でイギリスに移住する計画をたてるが、そのことをコゼットから聞かされたマリユスは窮余の一策を講じる。それは、久しぶりに祖父のジルノルマン氏に会いに行って、コゼットとの結婚の許可を求めることであった。25歳前だと結婚には親権の許可が必要だったが、祖父ジルノルマン氏は身分の違いを理由に反対した。
 
絶望したマリユスは、民衆蜂起を主導する≪ABCの友の会≫の仲間に会いに、バリケードのあるサン=ドニ地区に向かう。バリケードの中で、別れの手紙をコゼットに書いて、蜂起に参加していた少年ガヴローシュに託す。しかし、ガヴローシュの失策のため、この手紙がジャン・ヴァルジャンの手に渡る。ジャン・ヴァルジャンは、この手紙を見て内心喜び、憎きライバルのマリユスの最期を見届けようと、バリケードのある所に赴く。
ところで、ガヴローシュは、両親のテナルディエ夫婦から愛されず、パリの浮浪児になっていたが、優しく快活な少年だった。路上で寒さで震えている少女に自分のショールをやったり、里親に見捨てられたふたりの子供(実は彼の弟たち)の面倒を見てやったり、バリケードの外にある敵の弾丸を集めてきたりして、仲間から信頼されている。

そして小説は、最大の山場、1832年6月5日、共和派のラマルク将軍の葬儀の途中で勃発した蜂起の悲劇を語ることになる。この戦闘の中で、エポニーヌは密かに愛していたマリユスをかばって命をおとす。マリユスは戦いに参加し、ガヴローシュ等が危ういところを救う。しかし、大軍に取り囲まれた蜂起者たちは孤立し、追い詰められていく。

第五部「ジャン・ヴァルジャン」のあらすじ


民衆の苦しみを見かねて立ち上がった≪ABCの友の会≫のメンバーは、バリケードに立てこもって、劣勢の中で戦っていた。ジャン・ヴァルジャンは最初戦いを傍観していたが、敵の歩哨の鉄兜を撃って退散させたりして、アンジョルラスらに信頼されるようになり、捕虜となっていたジャヴェールの処刑を任される。ところが、空砲を放ってジャヴェールを殺さず、こっそりと解放してやる。そして、重傷を負い、気を失いかけているマリユスを背に担い、暗い下水の地下道にもぐりこみ、死の危険を冒しながら、なんとか出口をみつける。

ようやく外に出ると、ジャヴェールが待っていた。ジャンは逮捕を覚悟したが、その前に担いでいる青年マリユスを自宅に戻したいと頼んで、ジルノルマン氏のもとに運んでいく。それから、コゼットに事情を説明し、家の整理をするために帰宅することを願った。ところが、ジャヴェールはジャン・ヴァルジャンを家に残したまま立ち去り、逃亡犯を逮捕すべき義務を果たさなかった自分を責めて、セーヌ川に身を投げる。

運良く回復したマリユスが、コゼットとの結婚の許可を祖父に求めると、今度は認めてくれた。またジャン・ヴァルジャンも、内心の葛藤を克服し、60万フランほどの持参金をコゼットに用意してやる。ただ、ジャン・ヴァルジャンは結婚の祝宴にも出席せず、コゼットとマリユスが同居を申し出ても固辞する。

そして結婚式の翌日、自分はフォーシュルヴァンではなく、ジャン・ヴァルジャンという名の元徒刑囚であるという秘密をマリユスに打ち明ける。マリユスは衝撃を受け、義父を遠ざけるようになる。コゼットを失ったと知ったジャン・ヴァルジャンは急速に衰えていき、死を覚悟する。マリユスは、テナルディエの口から、地下道を通って瀕死の自分を助けてくれた恩人こそ義父だったと知り、コゼットとともに駆けつける。こうして若いふたりに看取られて、ジャン・ヴァルジャンは64年の生涯を安らかに終える。
(西永良成『『レ・ミゼラブル』の世界』岩波新書、2017年、5頁~17頁)。


【西永良成氏の『レ・ミゼラブル』分析―小説の執筆の経緯について】


西永良成氏は『『レ・ミゼラブル』の世界』(岩波新書、2017年)において、この作品の成立の過程を辿り、歴史的背景を参照しつつ、作品に込められたユゴーの思想を読み解いている。
ユゴーはこの小説を執筆する前に、ミリエル司教のモデルとなったディーニュの司教ミリオス、主人公ジャン・ヴァルジャンが19年間を過ごすトゥーロンの徒刑場の元徒刑囚ピエール・ラモン、あるいはリールの貧民窟やビセートル監獄の実態についての資料を収集し準備をした。
実際に、『レ・ミゼラブル』を書き始めたのは、1845年11月からである(ただ、この時の題名は『レ・ミゼール』Les Misères(貧困)であり、主人公もジャン・トレジャンという名前)。この小説を1848年まで執筆したが、同年の「2月革命」「6月暴動」の影響で一時中断した。
1854年に『レ・ミゼール』を『レ・ミゼラブル』に改題した後、12年ぶりにトランクから旧稿を取り出して、再びこの畢生の大作に取り組んだのは1860年4月で、一応の完成を見たのは1861年6月である。その間、「哲学的な部分」を書き足して、分量を『レ・ミゼール』の倍にふやし、主人公の名前もジャン・ヴァルジャンに変えた。そしてようやく1862年4月~6月、公刊された。ユゴー60歳の時のことである
(西永良成『『レ・ミゼラブル』の世界』岩波新書、2017年、26頁~27頁)

【西永良成『『レ・ミゼラブル』の世界』岩波新書はこちらから】

『レ・ミゼラブル』の世界 (岩波新書)

【小説の時代設定】


『レ・ミゼラブル』の時代設定は、ジャン・ヴァルジャンがトゥーロンの徒刑場から釈放される1815年10月から、死亡する1833年6月までである。
フランス史に即していえば、エルバ島に流刑になったナポレオンの「百日天下」(1815年
3月20日~6月22日)のあと、ブルボン王家のルイ18世の第二次王政復古、「栄光の三日間」と呼ばれる1830年の「7月革命」によるルイ・フィリップの「7月王政」の成立、そしてこのブルジョワ的政体に不満なパリ民衆の1832年6月蜂起といった政変が相次いだ時期の翌年までである。
そしてこれはユゴーの生涯でいえば、13歳から31歳までの時期にあたり、この時期の雰囲気、主な出来事などを体験していた
(西永良成『『レ・ミゼラブル』の世界』岩波新書、2017年、31頁)

【『レ・ミゼラブル』という小説と時代背景】


ユゴーは『レ・ミゼラブル』の中で、ルイ・ナポレオン(皇帝ナポレオン3世)の第二帝政の時期は19世紀に痕跡を残すことはないであろう時期であるとしている(2-7-8)
『レ・ミゼラブル』はユゴー文学にとっての分岐点、いわばワーテルローであったと西永良成氏はみなしている。
ナポレオン3世の帝政に代わる共和政の復活を予告し、文学の政治にたいする勝利を意味し、小ナポレオンにたいするユゴーの積年の怨念を晴らす復讐でもあったという。この小説はバルザックの「わたしはナポレオンが剣で成しえなかったことを筆で成しとげる」という座右の銘があてはまる作品であると西永氏は捉えている。
この『レ・ミゼラブル』の発表から8年後、1870年にナポレオン3世は普仏戦争で捕虜になり、退位する。そのあとユゴーは、「ユゴー万歳! 共和国万歳!」という歓呼を浴びながら、預言者のように祖国に迎えられ、1871年に成立した第三共和政の時代には、共和国を象徴する偉人と見なされるようになった。そして1885年5月に世を去ったとき、国葬によってパンテオン(偉人廟)に送られ、その葬列には200万人近い人びとが加わったといわれる
(西永、2017年、97頁~99頁)。

【ユゴーの小説『レ・ミゼラブル』と時代背景】


ユゴーの世代は、ナポレオン戦争に間に合わかなかった「遅れてきた青年」の世代でもあった。ちょうどユゴーの世代が学齢に達するくらいから、軍歴より学歴の社会になり、地方の名士の子弟をはじめとする多くの若者が学生となってパリに溢れた。またこの頃には農村からパリにやってきた若いお針子たちがパリに溢れていた。
ルイ18世の王政復古で、突如気が抜けたような平和が訪れたが、そうした平和の訪れとともにファッション・ビジネスが盛んになった。縫製アトリエでは大量のお針子が必要とされ、彼女たちは親元を離れてパリの屋根裏部屋に一人暮らしを続け、野外のダンス場で知り合った学生と恋人関係になることが多かったようだ。
のちに、プッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』では、そのようなお針子と学生との恋の悲劇が神話化される。1896年の初演だが、原作はフランスの作家ミュルジェールの『ボヘミアン生活の情景』(1849年)である。19世紀(1830年頃)のパリの学生街カルチェ・ラタンを舞台とし、お針子ミミと詩人ロドルフォとの純愛・悲恋を中心に、ボヘミアン生活を送る人々を描く。
そして、ユゴーの『レ・ミゼラブル』では、1815年~33年のフランスが舞台とされているが、やはりお針子であるファンチーヌが、パリで青春の猶予期間(モラトリアム)を謳歌する学生トロミエスと恋に落ち、妊娠して、結局は地方の親元に帰るトロミエスにすてられたあげく、孤独のうちにコゼットという娘を産み落とすのである。
付言すれば、ユゴー自身も、1818年から21年(16歳から19歳まで)、弁護士の資格を取ると称して法学部に籍を置いたが、学校には行かず貧しい屋根裏部屋にこもって詩作に励んでいた。というのも、寄宿学校にいた14歳のときにはすでに「シャトーブリアンのようになりたい。さもなくば無だ」とノートに書きつけるほど、ユゴーは文学に熱中して文学的栄光のみを欲していたからである。そしてアデルとひそかに結婚の約束を交わしていた(鹿島茂『100分de名著 ノートル・ダム・ド・パリ』NHK出版、2018年、20頁~21頁)。

【鹿島茂『100分de名著 ノートル・ダム・ド・パリ』NHK出版はこちらから】

ユゴー『ノートル゠ダム・ド・パリ』 2018年2月 (100分 de 名著)

【ジャン・ヴァルジャンとナポレオン】


稲垣直樹氏は、『サドから『星の王子さま』へ――フランス小説と日本人』(丸善ライブラリー、1993年)という本において、「ジャン・ヴァルジャンとナポレオン」と題して、興味深いことを述べているので、紹介してみたい。
作者ユゴーが『レ・ミゼラブル』でいちばん言いたい本質とは、一言でいえば、マイナスからプラスへのエネルギーの転換による、全宇宙の贖罪の到来をヴィジョンとして提示することであると稲垣氏は考えている。そしてこのエネルギーの宇宙的転換を起こす装置がジャン・ヴァルジャンであるというのである。
ところで、『レ・ミゼラブル』の作中で、ジャン・ヴァルジャンはナポレオン1世と頻々と対比され、ふたりの運命は驚くほど鮮明なシンメトリーを形造る(左右対称というよりも、上下対称というべきシンメトリー)。
ジャン・ヴァルジャンはナポレオンと同じ1769年に生まれたことになっている。それにこの1769年と対称の関係にある1796年がまさに、ジャン・ヴァルジャンとナポレオンのどちらにとっても運命を変える重要な年号となる。これは史実だが、この年、ナポレオンはイタリア遠征軍総指令官として華々しい戦功を収めて、このあと19年におよぶ栄達の足掛かりをつくる。この同じ年、ジャン・ヴァルジャンは最初の有罪判決を受けて、以後やはり19年にわたる徒刑場での苦難な生活を始める物語の設定になっていると稲垣氏は解説している。
相対する運命をたどったふたりは19年後の1815年、ディーニュの町で交差し、その運命を入れかえることになる。ディーニュの町に入るのに、ジャン・ヴァルジャンは「7か月前カンヌからパリに向かう皇帝ナポレオンが通ったのと同じ道筋をたどってきた」とユゴーは周到に書きこんでいる。
ナポレオンとジャン・ヴァルジャンの運命がこうしてディーニュで出会う1815年という年号に、ユゴーは異常な執着ぶりを示した。『レ・ミゼラブル』という小説全体の書きだしが「1815年、シャルル=フランソワ=ビヤンヴニュ・ミリエル氏はディーニュの司教であった」(En 1815, M. Charles-François-Bienvenu Myriel était évêque de Digne.)となっている。 この壮大な小説自体が、「1815年」という年号を表す言葉で始まっているのである。
また、この小説のユゴー自筆原稿の研究によると、草稿の中でいちばん古い日付をもつのは、第1部第2編第1章、ジャン・ヴァルジャンがディーニュの町に到着するところを物語る部分だそうだ。この部分の書きだしは、「1815年10月の初めのことであるが」となっており、やはり「1815年」を含む文で始まっている。このように、ユゴーは大変にこだわっているようだ。
こだわった理由は、1815年がワーテルローの戦いの年であるからだと稲垣氏はいう。この戦いにナポレオンが敗北を喫した結果、ナポレオンの時代が完全に終わりを告げる。このワーテルローの戦いについては、明治35年(1902)から翌年にかけて新聞に連載された、黒岩涙香の『噫無情』(『レ・ミゼラブル』のダイジェスト版)、そしてミュージカル『レ・ミゼラブル』も、容赦なく切り捨ててしまっている。
しかし、『レ・ミゼラブル』第2部の冒頭には、ワーテルローの戦いについての長大な描写と考察が挿入されている。この戦いの本質をユゴーがどうとらえたかが、『レ・ミゼラブル』全体を読みとく鍵になると稲垣氏はみている。
ユゴーはこの戦いについて次のように説明している。
「その日、人類の未来の見通しが一変した。ワーテルロー、それは19世紀の扉を開ける支える金具。あの偉大な人間の退場が偉大な世紀の到来に必要だったのだ。人間に有無を言わせぬある方のお力が働いたのだ。」
Ce jour-là, la perspective du genre humain a changé. Waterloo, c’est le gond du dix-
neuvième siècle. La disparition du grand homme était nécessaire à l’avènement du grand siècle. Quelqu’un à qui on ne réplique pas s’en est chargé.
(Victor Hugo (Édition par Yves Gohin), Les Misérables I, Édition Gallimard, 1973[1995].p.449.
ヴィクトル・ユゴー(石川湧訳)『レ・ミゼラブル 1』角川文庫、1998年、515頁
Victor Hugo (Translated by Norman Denny), Les Misérables, Penguin Books, 1976[1982], p.310.も参照のこと)
「あの偉大な人間の退場」すなわちナポレオンの歴史からの退場が1815年のワーテルローの戦いであり、ナポレオンからバトンタッチを受けるようにして、そのあと登場し、人類の未来を担うのがジャン・ヴァルジャンだというわけであるという。時代の主人公の交替が起こる1815年から『レ・ミゼラブル』は始まらなければならなかったのもうなずける
(稲垣直樹『サドから『星の王子さま』へ――フランス小説と日本人』丸善ライブラリー、1993年、109頁~112頁)

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サドから『星の王子さま』へ―フランス小説と日本人 (丸善ライブラリー)

ジャン・ヴァルジャンについて


さて、主人公ジャン・ヴァルジャンについて、英語では次のように述べてある。
Jean was out of work and there was no food in the
house. Literally no bread ― and seven children!
One Sunday night when Maubert Isabeau, the baker on the
Place de l’Église in Faverolles, was getting ready for bed, he heard
a sound of shattered glass from his barred shop-window. He reached
the spot in time to see an arm thrust through a hole in the pane. The
hand grasped a loaf and the thief made off at a run. Isabeau chased
and caught him. He had thrown away the loaf, but his arm was
bleeding. The thief was Jean Valjean.
This was in the year 1795. Valjean was tried in the local court
for housebreaking and robbery.
(Victor Hugo (Translated by Norman Denny), Les Misérables, Penguin Books, 1976[1982], p.93)

訳本
「ジャンには仕事がなかった。一家にはパンがなかった。パンがない。文字どおり。七人の子供!
 ある日曜日の晩、ファヴロールの教会広場のパン屋モーベール・イザボーは、寝ようとしていたとき、格子とガラスのはまった店頭で、はげしい物音がするのを聞いた。急いで行って見ると、格子とガラスを拳骨でたたき割った穴から、片手が出ている。その手は一本のパンをつかんで持ち去った。イザボーは大急ぎでとびだした。どろぼうは駆け足で逃げて行く。イザボーはあとを追いかけて、つかまえた。どろぼうはもうパンを投げすてていたが、手はまだ血だらけだった。それがジャン・ヴァルジャンであった。
 これは、1795年の出来事である。ジャン・ヴァルジャンは、「夜間、家宅に侵入して窃盗をおこなった故をもって」当時の裁判所に引きだされた。(ヴィクトル・ユゴー(石川湧訳)『レ・ミゼラブル 1』角川文庫、1998年、136頁)。