歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪2021年度 わが家の稲作日誌≫

2021-12-31 18:50:14 | 稲作
≪2021年度 わが家の稲作日誌≫
(2021年12月31日投稿)


【はじめに】


 「2021年度 わが家の稲作日誌」として、今年度の稲作の主な作業日程を振り返ってみたい。合わせて、今年がどのような天候の下での稲作であったのか、回顧しておくことにしたい。




執筆項目は次のようになる。


・【はじめに】
・【2021年の稲作行程・日程】
・【2021年の稲作の主な作業日程の写真】






【2021年の稲作行程・日程】


2021年の稲作行程・日程を箇条書きに書き出してみた。

・2021年3月4日(木)晴のち雨16℃
  9:00 春耕作の依頼に伺う 
・2021年4月21日(水) 晴22℃
  14:20~17:20 草刈り 
・2021年5月5日(水) 晴20℃
   畦塗りが終っていた

【畦塗り終了後の写真】


・2020年5月10日(火) 晴22℃
  10:00~11:00 田んぼの水入れ 
・2021年5月11日(火) 晴19℃
  10:00 安達石油にて混合油 ゼノア25:1 1100円
  ※京都アニメーション放火事件により、去年から混合油の購入に際し、規制が厳しくなる。身分証の提示と住所氏名を記入する必要があった
  10:15~11:00 委託人夫妻と話
  ①水門を開いて夫妻が用水路に水を流された。お礼。
  ②2~3日後にあら起こしを行う予定
  ③小屋の移動もしくは撤去の件 小屋を撤去して田んぼの面積を拡張するとよい

・2021年5月15日(土) 雨20℃
  18:00~18:40 土地区画整理委員会の総会
 ※総会終了のち、委託人より、向こう1週間で、晴れの日に「中切り」をする予定とのこと。そして、天気を見つつ、田植えの予定。
 ※ちょうどこの日、2021年5月15日(土)、山口県を除く中国地方が梅雨入りしたとみられると、発表される。
・1963年の5月8日に次ぐ観測史上2番目の早さだという。平年より22日早い。松江など山陰両県の6地点で、最高気温が30℃以上の真夏日を記録し、蒸し暑さを感じる一日となった。 ▽松江17℃~30.9℃
・気象庁天気相談所(東京都)によると、梅雨入りに限らず、今年は全国的に季節の変動が「前倒し」になっているという。

・2021年5月20日(木) 雨22℃
  代かき終了

・2021年5月23日(日) 晴れ16~26℃(8:00に21℃)
  7:40 委託人より電話あり 今日、田植えをするので、水の調整をすること
      水が少ないので、水を入れて、地がポツポツと見えるくらいに、しておいてほしいと
  8:10~9:20 上下の田んぼの水を入れて調整
  その間、スーパーで昼食などを購入、委託人のお宅に届ける
  午前中、田植え終了
  12:00~12:20 田んぼの水を見に行く
  12:30 委託人より電話 
  ・2~3日は水を入れないこと(肥料が流れてしまうので)
  ・四隅の補植をすること(明日5月24日の午前中は曇りで午後は雨の天気予報)
  ・四隅などに袋の残りの肥料をまくこと

※新聞によれば、11月に宮中で営まれる「新嘗祭(にいなめさい)」に県を代表して献上するコメの御田植(おたうえ)式が、今日5月23日、益田市の水田であったそうだ。
奉耕者となった農耕者は長年、市役所勤務の傍ら、無農薬栽培など環境に配慮した農業に取り組んできたようだ。つまり安心安全なコメの生産に取り組んできた。
式には、副知事や市長など20人が出席。5アールの献穀田に無農薬で育てたコシヒカリの苗を植えたという。
9月5日に稲を刈る御抜穂式(おぬきほしき)を行い、10月下旬に約2キロを献納する予定とのこと。

・2021年5月24日(月) 小雨17~22℃(9:30に19℃)
  9:30~11:30  四隅の補植が終了
・四隅は足がはまり苦戦
・水が少なかったが、雨が降ってきたので、水を止めたままにしても大丈夫
(袋の残りの肥料をまくのは後日にする)

【2021年5月25日 田植え後の写真】



・2021年5月28日(金) 晴25℃
  10:10~10:40  田んぼの水を入れ足す
  (昨日、自治会の例会で、回覧板と配付物を配った後で)
・2021年5月31日(月) 晴21℃(13~24℃)
  10:00~10:30  田んぼの水を入れ足す
   (北側の田んぼ2枚も田植えが終わっていた)
・2021年6月1日(火) 晴24℃
  14:15~16:00  草刈りと田んぼの水を入れ足す
  (草刈りの初めに、北側の水路を遮り、水路わきも草刈りをする)
・2021年6月7日(月) 晴29℃(17~29℃)
  9:00~9:30  春の耕作代金を支払いに行く
  10:00~10:40 田んぼの水入れと草寄せ(東側の畑との境界の草)
  10:40~11:00 田んぼから帰り、ヌカ施肥、破竹伐採
・2021年6月9日(水) 晴24℃(18~27℃)
   9:45~10:15  車庫の周辺の草刈りと竹切り
   10:20~11:00 田んぼの水入れと草寄せ
  (燕が田んぼの上を飛び回り、虫をとっている。のどかな風景)
・2021年6月10日(木) 晴29℃(19~33℃)
  9:45~10:15  田んぼの水入れ 
 ※今日は梅雨の中休みとはいえ、32℃まで気温が上昇するというので、田んぼの水入れをする(実際には、33℃まで上昇)。やはり、水の減りが早く、上の田んぼも下の田んぼも、1日で3分の1くらい土が見えていた。
・2021年6月11日(金) 曇24℃(19~26℃)
  9:30~10:00  田んぼの水入れ 
  ※昨日より涼しくなり、夕方から雨。明日から雨の予報。
・2021年6月18日(金) 雨20℃(19~22℃)
  9:30~10:00  田んぼの様子見 
  ※ここ1週間ずっと梅雨らしい雨で、水入れの必要なし
・2021年6月21日(月) 晴27℃(17~30℃)
   9:10~10:30  田んぼの水入れ
   ・上の田んぼは、水の入口の1㎡あたり苗が水流に押し流されて抜けていた。
   (1週間雨が降り続いたため)
    下の田んぼのみ水入れ



栽培管理のポイント JAの「今月の稲作情報」より


JAの「今月の稲作情報」(NO.3, R3.6.7)によれば、次のように、栽培管理のポイントを伝えている。
・6月7日現在の生育状況としては、梅雨入りが早かった影響か、各品種生育が遅れており、茎数も少なくなっているようだ。だから、中干し開始時期も例年より遅くなる。
・また、市内全体で、藻類や表層剥離が発生している圃場が多く見れらるそうだ。
 このことが、欠株や生育不良の原因となっている場合には、水を落として干したり、藻類に適用のある除草剤を使用することを勧めている。

【栽培管理のポイント】


①作溝(溝切り)
・田植え後30日頃より実施できる。
・作溝する2日位前に落水し、田面が柔らかすぎないようにする。
※溝の間隔は砂質土壌では5m、粘質土壌では2mとする。
 排水不良のところは密にするなど、土壌状態に応じて間隔をとり、排水溝に繋げておく。

②中干し
・有効茎数(コシヒカリ・つや姫・きぬむすめは、1株茎数約15本)に達したら、速やかに中干しを開始し、5~7日程度落水する。
※田面に小さなひび割れができるまで。ただし、指が入るようなひびができると根を傷める。
※中干し後は間断灌水。

<間断灌水>
・落水(軽く干す)⇒灌水(浅く入水)⇒落水(軽く干す)
・水をあてて、自然落水、3~4日毎に水をあてる

③ケイ酸の中間追肥
・健全な稲体づくりと品質向上のため、ケイ酸肥料を、出穂35~45日前に追肥するとよい(中干し前の施用をすすめている)

④穂肥の施用(出穂前20~25日頃)
・穂肥は、茎数や葉色を確認し、適期に適量を施用すること。
・穂肥の目安となる幼穂長 きぬむすめ:2ミリ、コシヒカリ:2~5ミリ
※きぬむすめは、最高分げつ期頃(5月15日田植えでは、7月7日頃になる)に、「茎数が少ない」「葉色が薄い」場合は、中間追肥を窒素成分で10a当たり1kg程度施用する。

⑤病害虫防除
1.ウンカ類、カメムシ類
・今後は気温が上がり、雨も多くなるので、病害虫の発生が多くなってくる。
・すでに県内では、セジロウンカ成虫を確認している圃場もあるため、今後の発生状況に注意し、適期に防除すること。
・また、出穂後のカメムシ類による吸汁被害を軽減するため、畦畔の草刈りは出穂10日前までに行うこと。
(カメムシによる加害は、「斑点米」の原因となり、等級格下げの要因となるので注意)
2.稲こうじ病
・きぬむすめ、飼料用米を栽培する人は、必ず防除。
 
⑥出穂前後の管理
・幼穂形成期から出穂期は、稲が最も水を必要とする時期である。 
⇒この時期の水管理が玄米の品質や充実に影響するので、水不足にならないよう注意すること。
〇出穂期前後は原則として、2~3cmの湛水とする(溜めた状態)
〇穂ばらみ期から出穂開花期にかけて、強風が吹くときは深水とする。
〇その後は間断灌水の管理とする(5~7日に1回の湛水とする方法)
※出穂期(平年値)の目安
・きぬむすめ(田植え5月15日頃)……8月14日頃
・コシヒカリ(田植え5月25日頃)……8月9日頃
※出穂の状態は、圃場の中で穂が頭を出した茎が何割あるかで判断する。
・出穂始め:圃場の1割
・出穂期 :圃場の5割
・穂揃期 :圃場の9割

ところで、初夏の風物詩となった田んぼアートの田植えが先頃行われたそうだ。
今年のデザインは、大田市で開催された全国植樹祭にちなみ、水と緑の森づくりのキャラクター「みーもくん」であった。8~9月頃が見頃のようだ。




・2021年6月27日(日) 晴28℃(20~29℃)
   8:00~8:10  自治会の例会 
   8:10~10:00  自治会委員により、約2時間、ふれあいセンター周辺と水道みち清掃活動(田んぼに置いてあったレーキで、草寄せ担当)

・2021年6月30日(水) 晴26℃(20~27℃)
   9:00~11:30  田んぼの草刈り~梅雨の中休み、週末より雨模様の予報
   (日射しがきつく汗ひどし、ヘビ出没注意)
・2021年7月2日(金) 晴28℃(23~30℃)むし暑い
   9:30 JAへ書類提出(そば契約書)
   10:15~10:30  明日から1週間雨模様なので、しっかり水を止めておく
   苗の生育も順調

・2021年7月7日(水) 大雨25℃(23~26℃)むし暑い
   6:00    松江市に警戒レベル4の避難指示の発令
   6:40      自治委員として、緊急連絡網で伝える
   9:10~9:30  田んぼの様子を見に行く
・水をきちんと止めていたから、稲は大丈夫だった。前の川もかなり増水していた。
・川向こうでは、裏山の土砂が少し崩れて消防が駆けつけた家もあったそうだ。県道ものり面の崩落で道路が遮断されたとのこと。
・線状降水帯で大雨になり、全国ニュースで報道。今朝、1時間で100ミリの激しい雨

【新聞報道】


2021年7月8日付けの新聞によれば、活発化した梅雨前線の影響で、7月7日(水)早朝、島根県東部から鳥取県中部にかけて、積乱雲が連続発生する線状降水帯が形成され、激しい雨が断続的に降った。
松江市の八雲町に、5段階の警戒レベルで最も高い「緊急安全確保」が初めて発令された。
計11市町で、一時、人口の約38%に当たる46万7800人を対象に避難指示が出た。
≪経過≫
・5時47分、松江市付近で1時間に100ミリの強烈な雨を観測し、気象庁が「島根県記録的短時間大雨情報」を発表。
・午前6時に、松江市が市内全域に警戒レベル4「避難指示」を発令。
・6時50分、松江市が意宇川氾濫の恐れがあるとして、八雲町に警戒レベル5「緊急安全確保」を発令。
※終日、緊迫した状況が続いた。

人的被害は確認されていないものの、各地で、土砂崩れや道路の冠水や住宅浸水の被害が発生した。
松江市では、午前5時半までの24時間で、7月の平均降水量の7割に相当する171.0ミリが降った。(1時間100ミリを超える猛烈な雨)
本州付近に停滞する前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込んでいる影響で、大気が不安定な状態が続き、局地的に激しい雨が降ったようだ。

私が住む町の県道でも、のり面が崩れ、道路に土砂が流れ出し、通行止めになった。市内では、約60ヵ所で土砂崩れやのり面崩れが発生した。(忌部地区では30ヵ所土砂崩れ)
崩れた土砂が雲南市につながる動脈の県道をふさいだ(新聞に写真あり)。
現場から100メートルほど離れた場に住む80代の男性は、「ゴーという地鳴りのような音で、目が覚めた」と振り返っている。静岡県熱海市で土石流の被害があったばかりだけに、その表情はこわばっていたという。

豪雨災害は毎年発生するものとして、備えを整えておくべきなのだろう。
災害に「まさか」は通用しない。情報への感度を高め、迅速な避難行動に生かさなくては。

【一口メモ】線状降水帯


線状降水帯とは、次々に発生した雨雲(積乱雲)が連なり、同じエリアに数時間にわたって強い雨をもたらす気象現象である。豪雨災害の一因とされる。

山陰両県の上空では、7月7日未明から、日本列島を横断する梅雨前線に向かって海上から暖かく湿った空気が流入。
島根県東部では午前5時に長さ約170キロ、幅30キロの線状降水帯が確認され、気象庁が午前5時9分に発生情報を発表した。

積乱雲は通常、局地的に発生して大雨や落雷の原因になるが、30分~1時間程度で衰退する。これに対し、線状降水帯は、暖かく湿った空気の流入が絶え間なく続くことで、積乱雲が連続して発生し、形成される。
もともとは専門用語だったが、2018年の西日本豪雨後、一般にも知られるようになった。

線状降水帯は、島根県内で梅雨末期の大規模災害を招くケースが多い。例えば、近年では、次のようなものが挙げられる。
・1983年の「58豪雨」~107人の死者・行方不明者が出た。
・2006年の水害~松江市街地が浸水し、出雲市内などで死者・行方不明者が5人に上った。
・2013年の災害~津和野町で孤立集落が生じた。

【2021年7月7日 大雨の時の写真】



※今後7月10日にかけて、線状降水帯がいつ発生してもおかしくない。身の安全を守るために、最新の降水状況に目配りしてほしいと、気象台は警戒を呼び掛けている。



・2021年7月14日(火) 曇のち雨25℃(23~31℃)
   中国地方梅雨明け
・2021年7月16日(金) 曇25℃(22~32℃)
   9:30~9:45  田んぼの様子見~水入れず乾いている
・2021年7月20日(火) 晴31℃(24~33℃)
   10:45~11:00 朝から30℃を超える厳しい暑さ。用水路からの水の入口の泥を除き、いつでも水を入れられるように準備する。
・2021年7月26日(月) 晴32℃(25~34℃)
   9:00~10:30 作付確認票の立札を作成し、立てに行く。田んぼの水調整。
    (下の田んぼは完全に干されていたので、水を入れたままにしておく)
・2021年7月29日(木) 晴のち曇31℃(23~31℃)
   9:00~11:00 午前中から31℃、日差しが暑い中、出穂前の大事な草刈り。
   (田んぼの畦のみの草刈りで終える。小道までできず)

【草刈り前の様子】

・2021年7月30日(金) 晴30℃(23~33℃)
   9:00~9:15 田んぼの水調整(用水路に石を入れて水の量を調整)

・2021年8月6日(金) 晴34℃(27~37℃)
   9:30~9:45 田んぼの水調整(上・下の田んぼともに水張り、生育順調) 
   8月になり、連続して36℃の酷暑が続き、疲れる。ヒエも生える。
・2021年8月9日(月) 大雨25℃(25~27℃)
   10:00    台風9号上陸のため暴風雨強まる

【台風9号について~新聞報道】


翌日の新聞によれば、中国地方に上陸した台風9号は、県に大雨をもたらした。隠岐上空に積乱雲が連続的に形成される「線状降水帯」が発生した。
7月上旬の豪雨災害から、最高気温が40℃に近づく猛暑を経て、再び大雨である。極端な気象変動に、疲労の色を濃くする。
また、松江市では、8月9日(月)午前10時5分に最大瞬間風速34.7メートルを記録した。市内の複数箇所で倒木や屋根の破戒などの被害が発生した。(強風で信号機がねじれたともいう)



・2021年8月10日(火) 曇28℃(22~30℃)
   11:00~11:15  田んぼの様子見
    ・出穂始まる ヒエも上・下の田んぼともに3~4本生えている
    ・下の田んぼの水が少ない

・2021年8月11日(水) 晴のち曇29℃(23~30℃)
   9:00~11:00 草刈り
    ・車庫のかしらと、田んぼの小道と畦の一部の草刈り
    ・午前中とはいえ、30℃近いが、8月の上旬の36~37℃に比べたら、作業はやり易かった。

【2021年8月11日 出穂開始】



・2021年8月20日(金) 曇29℃(23~30℃)
   11:00~11:15  田んぼの様子見~ほぼ出穂し終わる
・2021年8月25日(金) 曇30℃(27~30℃)
   9:45~10:00 ワクチン第1回接種後に田んぼの様子見
    ・ヒエが上の田んぼにかなり生える。
    ・小道にクズのつるが伸びる。

【7、8月の県の気象】


2021年の7、8月の県の気象は、どうであったのか?
7月に大雨や猛暑、8月には台風に見舞われ、好天の日は少なく、真夏らしさに乏しかった(お盆は珍しく雨)。
7月は梅雨末期の中旬、活発な梅雨前線が停滞し、線状降水帯が発生した。
(雲南市などに警戒レベル最高の「緊急安全確保」が発令された)
雨が終わると一変、厳しい暑さが続いた。気温が30℃を超す真夏日、35℃を超す猛暑日を合わせた日数は、松江が平年値の1.4倍の23日。1カ月降水量は松江で平均値の2倍を超えた。

【松江】 7月の1カ月降水量480ミリ(平年値243.1ミリ)  真夏日以上の日数23日(平年値16.5日)
     8月の1カ月降水量517.5ミリ(平年値129.6ミリ) 真夏日以上の日数18日(平年値21.8日)

昨年7月が比較的涼しかったのに対して、今年は梅雨明けが早く、梅雨明け後の厳しい暑さに見舞われた。対照的に8月は少なかった。
8月には、台風9号が上陸し、再び線状降水帯が発生した。1カ月降水量は、松江が平年値の4.0倍の517.5ミリ。(8月の観測史上最多を記録した)
前線の影響で雲が広がりやすく、7月とは打って変わって、真夏日以上の日は激減した。松江が平年値の0.8倍の18日。

雲南市は、7月の記録的豪雨で、コメ農家も被災したそうだ。
例年であれば、稲刈りの時期を迎えるが、濁流にのまれた水田は跡形もなくなり、取水設備が壊れた場所では、稲の生育不良が相次ぐ。つまり、地区内を流れる飯石川沿いの水田は濁流で大半の土地が削り取られ、稲が押し流された別の水田には、大小の石や流木が散乱。取水施設が壊れた場所では稲が穂を出す7~8月に水を引き込めず、収穫ができなかったという。

大きな被災を免れた水田で稲刈りを始めるが、侵入防止柵の破損箇所から入り込んだイノシシに稲を荒らされる被害が続発するそうだ。
7月の豪雨はこれまでの自然災害とは桁違いの農林水産被害をもたらした。「記録的短時間大雨情報」が発表された雲南市内の被害総額は115億円に上る。取水施設、水路の損壊も対処に手間取れば、15年前に比べて35%減の3256戸となった市内農家の減少が加速しかねないようだ。
(2021年9月1日(水)付け新聞より)



・2021年9月3日(金) 雨23℃(21~24℃)
   10:00~10:20 水止め・水落ち 
   9月1日まで最高気温30℃あったのに、今日は25℃いかない
・2021年9月7日(火) 曇27℃(23~28℃)
   9:00~11:30 草刈り
・2021年9月15日(水) 晴のち午後雨24℃(20~26℃)
  9:45~10:00 ワクチン第2回接種後に田んぼの様子見
・2021年9月27日(月) 曇のち晴22℃(20~26℃)
   19:30~20:30 自治会の例会終了後、稲刈りの日程について尋ねる
   ⇒来週の半ばから後半にかけて予定し、天気を見てから決めるとのこと
・2021年9月28日(火) 曇22℃(21~25℃)
   9:45~10:00 自治会の配布物に回った後、田んぼの様子見
・2021年9月30日(木) 晴のち午後雨26℃(21~27℃)
   9:00~11:00 草刈り(1時間半で刈り払い機の混合油が切れる)
   ・田んぼの畦とコンバインの進入路のみ草刈り
   ・田んぼの一部の雑草を抜く
【2021年9月28日 稲刈り前の稲の様子】


・2021年10月4日(月) 晴28℃(16~30℃)
   9:00~11:00 草刈り
   ・20分間、車庫のかしらの草刈り(大きな石が落ちている)
・残りの9:30~11:00田んぼの小道と北側の畦、小屋の周辺の草刈り
・2021年10月7日(木) 晴25℃(18~29℃)
   19:30 電話連絡があり、明日10月8日(金)午後3、4時から稲刈り予定
・2021年10月8日(金) 晴24℃(18~29℃)
   8:00~10:00 田んぼの四隅の稲刈り(手刈り、縁は時間なくやれず)
   10:30~11:10 昼食(寿司、惣菜など)を買いに行き届ける
   13:00~14:00 田んぼの縁の稲刈り(手刈り)
   15:00~16:00 コンバインで稲刈りをしてもらう

【2021年10月8日 稲刈り】


・2021年10月11日(月) 晴のち雨25℃(20~29℃)
16:00~16:45 米の搬入(冷蔵庫に入れる) 
・予想外の収穫に感嘆。クズ米も少なかったようだ。
・2021年10月14日(木) 晴20℃(17~23℃)
  9:30  秋の耕作代金を支払いに行く



≪文章の書き方~澤田昭夫『論文の書き方』より≫

2021-12-31 18:32:35 | 文章について
≪文章の書き方~澤田昭夫『論文の書き方』より≫
(2021年12月31)
 

【はじめに】


澤田昭夫氏は、1928年生まれで、1951年東京大学西洋史学科卒業で、筑波大学名誉教授であった。近代イギリス史、ヨーロッパ史の専攻である。
以前のブログで、澤田昭夫『外国語の習い方―国際人教育のために―』(講談社学術文庫、1984年)を通して、英語学習の方法を考えてみた。
今回は、次の澤田昭夫氏の著作を通して、「文章の書き方」について考えてみたい。
〇澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]
〇澤田昭夫『論文のレトリック』講談社学術文庫、1989年[1995年版]


【澤田昭夫『論文の書き方』(講談社学術文庫)はこちらから】

論文の書き方 (講談社学術文庫)

【澤田昭夫『論文のレトリック』(講談社学術文庫)はこちらから】

論文のレトリック (講談社学術文庫)

【澤田昭夫『外国語の習い方―国際人教育のために―』(講談社学術文庫)はこちらから】

外国語の習い方―国際人教育のために (講談社学術文庫 (666))





書くことのふたつの側面



澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]では、書くことには、ふたつの面があるという。
①資料を組み立てる技術的形式的な面
②集まったデータをもとに解釈する、理論化する、広い意味で説明するという内容面
両者は互いに密接につながっているが、澤田昭夫は第6章では第一の面をとりあげている。

トピック確定の5条件


選んだトピックを論文のトピックとして確定する前に、次の5点を確認しておかねばならないと澤田は忠告している。
①このトピックの研究に必要な資料があるか
②自分の力で扱い切れるか
③新しい研究トピックであるか
④自分はこのトピックに興味、関心をもっているか
⑤意義のある研究トピックか
とりわけ、①について、経験科学の領域でトピックを考える場合には、まずどんな種類の資料があるかを調べる必要がある。その際に、自分で抽象的にトピックを考えて後で資料をおしつけるというのではなく、資料のなかからトピックをうかび上らせるというふうでなければいけないという(澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]、24頁~25頁)。

幹線のわかる構造


書くというのは何よりも構造を作ることで、論文書きにはそれが最も大切なことであると澤田は強調している。
イギリスの物理学者レゲットは、日本の物理学者が書く英語論文を直していたそうだ。日本人の論文がわかりにくいのは、ことばの問題というよりも、論旨のたて方の問題で、横道(サイドトラック)がたくさんあって、何が幹線(メイントラック)なのかわからないようになっているからだと述べている。これは構造的思考の欠如を指摘した批評だと澤田は解釈している(澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]、103頁~104頁)。

起承転結ではこまる


『論文の書き方』と称するハウ・トゥーものの中には、わかりやすい文章を書くようにすすめる文章作法論が多いが構造についてふれたものは少ないようだ。たまに構造にふれているものがあると、「『起承転結』の法を用いよ」と記してあったりする。「起承転結」とうのは、「書き出し→その続き→別のテーマ→もとのテーマ」という漢詩の構成法」である。しかし、それを使って論文を書けば、レゲットが批判したように、何が幹線なのかよくわからないものが出来上がってしまうと澤田は戒めている。
澤田は次のような具体例を挙げている。

①起承転結の典型
 「この川べりで昔AがBと別れた」→「Bは悲壮な気持だった」→「昔の人はもういない」→「この川の水は今もつめたい」。これは「此地別燕丹、壮士髪衝冠、昔時人已没、今日水猶寒」(「駱賓王」)をもじったものという。
②この論法で論文を書くと次のようになるという。
 序論「天皇制は問題である」→第2章「天皇制についてはいろいろの見方がある」→第3章「イギリスの王制はエグバートから始まる」→結論「天皇制はむずかしい」
起承転結は、詩文の法則としては立派に役を果たす原則だろうが、これを論文に応用してもらっては困ると澤田はみなしている(澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]、104頁~105頁)。


構造的なアウトラインのある論文


やさしいことば、わかりやすい文章ということは間違っていないが、論文にとって大切なのは論文全体がやさしく、わかりやすく書けていることで、それは何かというと、構造的に組みたてられているということであると澤田は強調している。
「日本語は主語や目的語がはっきりしないことばだから、論理的にはっきりしたものが書けない」という意見についても、澤田は批判的である。日本語はたしかに、よく主語が省略されたりするが、前後の関係から主語が何であるかは推察される。問題はあくまで文章の問題ではなく、全体構造の問題であり、日本人でも、そして日本語を用いても、訓練さえすれば、構造的に整った論文を書くことができるはずであるという(澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]、104頁~105頁)。

また、自然にアウトラインを発酵させることが大切であるという。論文の構造をチェックするために紙にアウトラインを書きだしてみることを勧めている。ちなみに絶対に避けるべきことは、何のアウトラインもなしに、猪突猛進、書き始めることであると注意している(澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]、107頁)。

理解する読み方~「第10章 読む」より


澤田がいう「読む」ということは、単に情報や一時的娯楽のために「読む」ことではなく、感受性、想像力、思想を豊かにするために「読む」ことをさす。広く深く「読む」ことは、よく「書く」ことの大前提で、優れた論文や著作は、「読む」ことによって豊かにされた精神からのみ生まれてくるという。
「読む」には「書く」と同様に、一定の技術、「読む技術」(art of reading)が必要である。よく「読む」ことは「速読」と混同されがちである。「速読」も大切ではある。例えば、1分間に日本語なら少なくとも800字、横文字なら400語位を読みこなすというのは決して悪いことではなく、特に外国に留学する人にとっては不可欠の条件であろうという。
しかしそれより大切なのは、文字をことばとして理解するだけでなく、ことばの裏にある思想を理解する「読み」であると澤田は述べている。
「読む」ことを文法、論理、レトリックの立場からクローズ・アップして取り上げている。
(澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]、166頁~168頁)。

各部分の配分


論文の各部分、「序」「本体」「結論」の各スペースについては、きまった答えはないが、澤田は次のような大まかな目安を指摘している。「序」は5パーセント、「本体」は約85パーセント、「結論」は10パーセント。
「序」が「本体」の半分を占めたり、ひとつの章が「序」の半分になったりするのはつりあいの点から見て、あるべからざることである。このような過度の不均衡は論じ方の欠陥に由来しているという(澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]、156頁)。

アドラーの三段階の読書法


アドラーは、1「分析的読み」、2 「総合的読み」、3「批判的読み」という三段階の読書法
この三つの「読み」で、構造的に「読む」つまり深く理解する習慣を身につけたら、それでももっとも堅実な「速読」の技術を体得したことにもなる。

文芸作品を「読む」について
ノン・フィクションの書物や論文は、歴史哲学、経済、自然科学などの専門分野別によって多少読み方の違いはあっても、先述した3つの「読み」で読めるとする。
それに対して、文芸作品には、論理的整合性などを要求することはできないから、その読み方はノン・フィクションものの読み方とは違うはずである。

それにもかかわらず、1「分析的読み」の3つの着眼点は次のようにいいかえて応用することができるという。
①「これは文学のなかのどういうジャンルの作品か」(小説、抒情詩、劇作など)
②「作品の統一原理は何か」(小説ならプロット)
③「どういう部分にわかれているか」(危機、クライマックスなど)
2 「総合的読み」の①、②、③つまりノン・フィクションものの「概念」「命題」「論議」に対応するものは、
①挿話、事件、登場人物、会話、感情、しぐさ、行動など
②場面、状況、背景
③プロットの展開ということになる。
(ただし、こういう対応は小説や戯曲に見られるもので、詩文にはあてはまらない)
3「批判的読み」の批判の尺度は、文芸作品の場合
「真実」が「事実」ではなくて「美」であるから、その「読み」の内容も変わってくるかもしれない
もちろん、偉大な文学といわれるものは、美的形式だけでなく、その裏に人生の真理のようなものを示唆している作品であろう。その限りにおいては、「真理」も文芸作品と無関係ではなく、したがってノン・フィクションの「読み」がもっと直接に生かされる。
しかし、いかに深い思想を内包した作品でも、文学作品である限り「美」の尺度によって測らねばならない。
そこで、次の5つが審美的批評の着眼点として考えている。
①「どれだけ統一、まとまりがあるか」
②「どれほど複雑、微妙であるか」
③「どれほど詩的真実性があるか」
④「読者の意識や感情を、日常性の渾沌から、どれだけはっきりと目覚めさせるか」
⑤「どれだけ完全に読者を想像の新しい世界にひきこむか」
「分析」「総合」「批判」の3つの「読み」で、構造的に「読む」つまり深く理解する習慣を身につけたら、堅実な「速読」の技術を体得したことにもなると澤田はみている。
結局ほんとうの「技術」、ハウ・トゥーは「やり方」(how to do)ではなく、「思考法」(how to think)、「理解法」(how to know)だからであると澤田は説いている。これは「読み」についてだけでなく、「書く」「話す」「聞く」のすべてについていえる真理だという(澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]、180頁~182頁)。

総合的読みの中で、文章から命題・判断で大切なのは、判断を示す命題を含む文章を見出すことである。
例えば、アードラーの『本の読み方』に出てくる重要な命題を表現するのは「読むとは学ぶことである」という文章であると澤田は解説している。そういう文章は、段落の初めのほうにトピック・センテンスとして出てくることが多いので、戦術的には「段落の初めの方に注意を集中せよ」と「速読法」でいわれるわけである(173頁)。

文献カードについて


文献カードの存在理由のひとつは、一度使った資料を後でもう一度検証したいというときに、すぐにその所在を明らかにしてくれるということであるようだ。研究者は常に文献カードを携帯していて、資料が見つかり次第、それをカードにメモしていく習慣をつけるべきことを勧めている。
そして文献カードには批評・コメントといった情報を加えるとよいとする。批評・コメントというのは、利用した書物や論文に関する簡単な読後感のことである。

例えば、
・ 「根本史料による裏づけ優秀」
・ 「A点に関して詳しいが、B点について弱い」
・ 「教条的、公式的マルクシズム」
・ 「民族主義、ファシズム的宣伝」
・ 「学問的に無価値」
というような具合であるという。

長い文章でなく、英語でいう「電報文体(デモグラフィック・スタイル)」で、カードの下のほうに書いておくとよい。雑誌などに、自分の使った資料に関する書評がでていたら、その所在についての情報も記しておくと便利である。
この種の批評・コメントは、資料の用い方について貴重なコメントを与えてくれるし、いわゆる研究史的論文(ビブリオグラフィック・エッセイ)を書く場合に特に役立つ(澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]、55頁~56頁、61頁)。


「書く」ということ


「書く」というのは内容的には、資料に即して確立された正確なデータを、データに即して構成した一般概念によって説明、解釈することであると澤田は理解している。この基本的ルールを無視し、先験的な目的や主観的確信をすべてに先行させると、マルクスの『資本論』のように、1750年までにすべてのヨーマン(自作農民)が土地を失ったとか、18世紀の囲い込みが耕地から牧羊地への転換を命じたとか主張し、事実に適合しない「疎外」というような哲学的一般概念をたよりに、誤った因果関係を導き出すことになるという。同様なことは、マルクスと対決しながらも、歴史を社会学の理論に従属させたマックス・ウェーバーについてもいえるとする(澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]、140頁)。

よく「読む」技術は、「話し方教室」で教えているような心理的技術の問題ではないと澤田はみている。「人前で恐怖心をもたないように」、「相手の気持を察して話せ」というような心理学的勧告も間違いではないが、「話す」ことはやはり第一に文法、論理、レトリックの問題であると捉えている。
ただ、話をわかり易く「面白く」するために、論文を文字で書くとき以上にやさしい単語や文章を用いることが必要である。「書かれた論文」と違い「話された論文」では、「読者」が単語の意味を前後関係をゆっくり調べ直して探索することができないからであるとアドバイスしている(澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]、183頁、194頁)。

5W1Hについて


データの整理、説明のひとつの手がかりになるのは、現代のジャーナリズムでいわゆる5W1Hである。
5Wと1Hというのは、①who、②what、③where、④when、⑤why、⑥howである。
①who(誰)というのは、
 「誰がやったか」「誰がすべきか」「誰が必要としているか」「誰がもっているか」「誰がしてよいか」ということ。
②what(なに)は、
 「なにが問題か」「Aはなにか」「Aはどういう意味か」
③where(どこ)は、
 「どこで起こったか」「どこで生まれたか」「どういう場合に有効か」「どういう場合に可能か」「どこから生まれたか」「どこへ行くか」「どこをねらうべきか」
④when(いつ)は、
 「いつだったか」「今はどうか」「昔はどうだったか」「将来どうなるか、どうあるべきか」「時は熟していたか、いるか」
⑤why(なぜ)は、
 「Aはなぜそういったか」「Bはなぜそうだったか、そうであるか」「なぜここで、なぜ今、なぜあのとき」
 「なぜ知らなければならないか」「なぜ失敗したか」「どういう動作からか」
⑥how(どういうふうに)は、
 「どういう経過でそうなったか」「今はどうなっているか」「どういう手段で実現したか」「そのためにはどういう手     段が必要か」ということ。
5Wと1Hは、時間的アプローチと分析的アプローチの両方を別の形で表現したものといえるとする(澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]、125頁~126頁)。

ハウ・トゥーものについて


『論文の書き方』という同名の本には、有名な清水幾太郎のもの(『論文の書き方』岩波新書、1967年)があり、これはどちらかというと高尚な理論書である。それに対して、澤田は「序」において、自らの本を「もっと低俗な実用中心のハウ・トゥーもの」と謙遜している(澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]、15頁)。

講演・講義についての澤田昭夫のアドバイス


講演・講義の準備には次の6点が必要であるという。
①聴衆と機会(おり)についての情報
②トピック選定
③資料集め
④資料の整理・組み立て
⑤ノート・メモ作り
⑥視聴覚設備の点検

例えば、③資料集めでは、「話す」場合も「書く」場合と同様に、資料集めが必要であり、話し手の主張には資料的裏付けがなくてはならないという。資料集めの時間が足りないときにものをいうのは、平生の読書で頭に入っている資料である。よく「話す」ことのできる人は、平生からよく読み、考える、知識や思想の豊かな人であると説いている。
また④資料の整理・組み立てに関しては、「口で書いて聞かせる論文」は「目で読ませる論文」よりも具体性を必要とするから、具体例をなるべく多くあげるようにするとよいとアドバイスしている。
よい話は「命題、根拠づけ、具体例」の集合である。「話し方」についてのある手引きは、よい「話し」の構成法としてPREPと称するものがあるという。Pはポイント(命題)、Rはリーゾン(根拠)、Eはエクザンプル(実例)を指す。もう一度Pがくるのは、よい「話し」は最後にもう一度論者の主張・命題を要約して繰り返すということである。
⑤ノート・メモ作りについては、一言一句すべてを書いたノートにせよ、メモにせよ、番号や見出しをつけて、主要命題や段落が何であるかを見やすいようにしておくことは大切である。

与えられた時間にうまくおさめるためのめどとして、一言一句を書き出したテキストなら、日本語で約300字~350字、英文で100~150語が1分間の話の分量だといってよいとする(189頁)。
日本語の場合、1分間の350字位が適当なスピードで、それをあまり越えると聴衆がついていけなくなり、ノートをとりたい人でも、ついペンを放棄してしまうと注意を促している(195頁)。

弁解がましい前置きは省略してなるべく早く「話の核心」(メディアス・レース)に入るのがよい。とりわけひとりの持ち時間が10分から20分しかないような自然科学系の学会などでは、余計な前置きは禁物であるばかりか、実験過程についての説明さえも省いたほうがよい場合があるようだと、木下是雄のみならず、澤田昭夫も述べている(192頁)。

研究・論文書きの時間表


研究・論文書きのしごとの段取り、時間表について澤田は興味深いことを記している。時間配分として、資料集め(トピックの選択、文献・資料探し、資料研究)にもち時間の約3分の2を、論文書き(下書き、書き直し、総点検、清書)に残りの3分の1を使うのが原則であるという。
資料集め期間の8割強は資料研究にあてるのが普通で、これが論文を書くしごとの中核であると記している。つまり資料に沈潜して、それを研究し処理するのが論文書きの中心的しごとだという。
そして重要さの点でそれにまさるとも劣らないのは、トピック選びである。研究する、論文を書くというしごとの第一の課題は、何について研究し、書くかというトピック選びである(澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]、22頁)。

水もれのない論議・噛み合う反論


美しい論争、討論の前提は、論議の整合性、鋭さということである。
よくまとまった、説得力のある議論について、英語で「水もれしない」(hold water)という比喩的形容があるという。証拠資料データから主張命題への発展、一命題から次の命題への、前提から結論への発展がきちんとスキ間なくまとまっていて「水もれ」箇所がないことを意味すると説明している。
そして鋭い論議は、決して大胆で一般的な命題から成り立つものではなく、例外や限定条件をも考慮した、きめのこまかい命題から成り立っている。
論争における反論は、相手の主題命題にピッタリより添って、マークし、常に「水もれ箇所」がないかと気をくばり、あったらただちにそこを突くようなものでなくては反論にならないという。
澤田は例えば、次のような点を考えて「水もれ箇所」を発見、攻撃しなければならないとする。

①「主張命題の根拠となるデータは正確か、信憑性があるか」
②「資料は党派的偏見のあるものではないか、もう古くなってはいないか」
③「例証の例は典型的、代表的例か」
④「概念の定義が不充分ではないか」
⑤「命題は一般化できるものか、特殊ケースではないか」
⑥「あげられた原因は唯一の原因か」
⑦「示された因果関係と矛盾する実例はないか」
⑧「大前提は正しくても小前提が間違ってはいないか」
⑨「この命題は論議と無関係なものではないか」
(澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]、202頁)。

「聞き上手」


話を構造的に理解しようとする人が「聞き上手」であるが、それには次のような点に留意するとよいという。
①「どういう種類の話であるか」
②「どういう問い、何についての話か」
③「どういう目的をもった話か」
④「どういう概念が重要か」
⑤「どういう主張、命題が、どういう根拠をもって提出されているか」
⑥「出発点と結論はどういう筋で結ばれているか」
⑦「概念や命題から見て、話し手の立場はどういうものか」
こういう構造的聞き方ができなければ、外国語の音声の「ヒアリング」がいかに上手になっても、「理解する聞き方」をマスターしたとはいえないという。
(澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]、205頁)。


ノート、メモをとる


批判的に理解しよう、あとでもういちど「聞いた話」についてじっくり考えようとする人は、ノートやメモをとる。要領よくノートするとは、たびたび出てくる単語や句に適当な略号をあてるというだけではなく、全体の構造、発展の筋が、あとで読んで容易にわかるようにノートするということであると説く。
「聞く」場合には、問題、用件の構造をしっかり聞きとり、要領よくメモをとることが肝心である。
(澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]、206頁~207頁)。

「記憶」について


弁論・レトリックの5つの構成要素として、
①構想、②配列、③修辞、④記憶、⑤発声・所作が挙げられる。
レトリックの第4の構成要素の「記憶」について澤田は面白いことを記している。
古代の弁論家は絶えず記憶力を磨く練習を行なっていた。記憶力のよい人は在庫品の豊かな倉庫のようなもので、記憶力の弱い人よりはるかに優れた弁論家になるからである。
もちろん、イスラーム文化圏や中国文化圏での伝統的教育のように、経典や戒律をただ丸暗記させるだけなら、ものごとの真の理解を欠いた、したがって応用能力のない人間を作り出す危険があるという。
今日先進国の教育界では暗記を無視する傾向が強いようだ。これはかつての「理解なしの丸暗記」に対する反動かもしれないが、「理解を伴った暗記」は教育においても学問研究においても大切であると記憶の意義を強調している。
澤田の母はフランス語でラ・フォンテーヌの『寓話』の主なものをすべて暗記していたが、同時にそれをよく理解していたので、折りにすれてそれを日常生活の具体的問題に応用することができたと回想している(澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]、214頁、221頁~222頁)。
⇒ブログ「フランス語の学び方」へ

最後の総点検


清書をする前の下書きの段階で、全体を読み直して、最後の総点検(チェック)をするのがよいという。
その際に、澤田も
・ 各段落はトピック・センテンスでまとめられているか
・ 一段落が長すぎはしないか
・ 段落の切り方が不適当ではないか
・ 一段落から次の段階への流れはスムースか
これらの諸点に注意して、論文全体が明瞭で、正確で、無駄なく整理され、淀みなく流れるようにでき上っているかをチェックすることが肝心である(澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]、152頁)。

文章論を通しての日本人論


澤田昭夫は「はしがき」において、日本人は外国語に弱いといわれるが、日本人が必ずしも生れつき外国語学習能力に欠けているとは思われないといっている。日本人が外国語に弱い最大の理由は、体系的な練習を勤勉に続けないということであるとみている。しかし、勤勉な日本人の場合でも、外国語の体得を妨げている教育環境がある。それは日本人が自分の考えをまとめて有効に表現するという訓練を日本語でも受けていないということであると澤田は考えている。
澤田と分野は違うが、工学・技術関係の論文翻訳をしている人によると、提出される和文論文の中でそのまま英訳できるのは5パーセントにも及ばず、その理由はそもそも和文の原文がまともに書かれていないことにあるそうである。つまり、日本人の外国語学習問題は、外国語以前の問題だというのである。
一方、日本人は余韻、余情、言外の意味を特徴とする俳句的詩文の領域では世界に誇る伝統と才能をもっている。ヨーロッパではfeuilleton(草の葉)と呼ばれる。徒然草的随筆にかけては、日本人は天才的才能に恵まれている。ところが、あまりにそのような才能に恵まれているために、日本人は学問的、理論的主張をする場合にも、それを俳句的、徒然草的なものにしてしまう傾向がある。その好例が『朝日新聞』の「天声人語」であり、あの欄には、文学的には優れており、日本人の読者なら読んでなんとなくわかったような気になるけれども、外人にはチンプンカンプンの論評がよく見られるという(澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]、4頁~5頁)。

だいたい日本人は感情的、情緒的な作文や随筆を書くのが得意な文学的民族であるが、理知的、論争的な説得のまずい民族である。言い換えれば、日本人は作文的民族、非論文的民族とでもいえると澤田はみている。
だから、昔から大学の先生でも、学生に対しても作文的発想で論文の指導をする人が多かったようだ。そういう指導を受けた昔の学生が今大学の教官になり、再び作文的論文指導を行い作文的な論文テーマを出している。論文的な設問のしかたを知らない先生は高校にも大学にも少なくないと澤田は批判している。
論文と作文の違い
論文も作文も広い意味での作文、コンポジションに違いないが、論文は論議し、主張し、分析し、判断することを主眼にしている。それに対して、作文は情景、印象、体験などの描写を中心にしている。論議は問いと答えで成立するから、その題は根本的に問いになるという。
例えば、「ドイツ人について」というのは作文のテーマには結構だが、論文の題ではない。問いになっていないからと澤田は説明している。「ドイツ人が明治の日本に与えた影響の利害を論ぜよ」であったら、論文の問いらしい問いである。「・・・はなぜか」「・・・を論ぜよ」というようなのが論文の問いであるとしている(澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]、247頁~249頁)。

澤田が付録の「誤った論理」の中で、歴史学者らしい例を挙げている。
「不当な因果関係設定の誤り」の一つとして、時間的前後関係を論理的因果関係と混合する場合を指摘している。その例として「産業革命の後に欧州列強による植民地征服が起こったので、後者の原因は前者である」とする例を挙げている(澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]、137頁)。

論文は主に一定の問いに対して答え、論議するものである。理由を分析説明し、ものごとを比較し、評価する、要するに考え、判断するという知的活動の表現である。
歴史的な問題を扱う場合、過程描写が因果の分析と密接につながってくることが多い。さまざまな個性を持った人間が作り出す歴史のできごとは、個性のない自然界のできごととは違い、「Aなら必ずBになる。Bになったから必ずAが原因していた」というように普遍法則によって説明できないからである。特定の状況、過程から生まれた特定の因果関係があるからである(澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]、248頁~249頁)。

資料批判について


資料批判というのは、簡単にいえば、手にいれた情報資料がほんものか、信頼できるものかというテストである。正しく、信頼すべき情報だとわかったら、初めてそれを用いて、できごと、現象についての理論的説明ができるようになる。
自然科学は理論的説明のたしかさを実験で検証できるが、自然科学以外の領域では実験によって理論の確認や修正ができない。またそれだからこそ、人文科学・社会科学の領域では、資料批判がことさら重要になる。人文科学・社会科学の領域での学問の進歩は、新しい資料の発見とか資料の読み直し、批判のし直しによる進歩であると澤田は理解している。
資料批判には次の2つのテストがあるという。
①正真正銘の資料か=外的批判(external criticism)
②どれほど信頼できるか=内的批判(internal criticism)

①外的批判の検証箇所
・ 「この資料にまちがっているところはないか」
・ 「盗用部分はないか」
・ 「改ざんされた部分つまり本来なかったものをつけ加えたり、本来あったものを落としたりした部分はないか。いやこれは偽作ではないだろうか」
・ 「出所不明の資料については、誰が書いたか。いつ、どこで書かれたか」
これらの点を調べる。外的批判によって正真正銘の資料を確保するには、筆蹟とか単語や文章表現とか文書様式、さらに紙やインクの質などをチェックすることが必要になる。
②資料の信憑性についての内的批判は、資料分析ともいわれ、次の9点に関するテストである。
1.ことば・文章の意味
2.由来
3.無理・矛盾
4.可能性・蓋然性・確実性
5.正確度・批判性
6.報道能力
7.意図
8.偏見
9.研究者自身の偏見・能力

以上、資料批判のしごとは、専門の歴史家以外には不必要な七面倒くさい手続だと思われるかもしれないが、外的批判の対象である資料改ざんも、内的批判の対象である資料の歪曲も、重大な結果を招き得ると注意している。
資料の提供者がどれだけ真実を報告し得る状況にあるか、という内的批判の原則を知っていれば、全体主義国家の四民相手のインタービューにどれだけ資料価値があるかがわかる。
例えば、4.と9.について澤田は次のように述べている。
4.可能性・蓋然性・確実性について
この資料の記述や説明は現実に「ありそうなこと(プロバブル)」だろうか、合理的に「可能(ポシブル)であろうか」という問いがくる。理論的にあり得ることとあり得ないこと、理論的にあり得ても実際にはありそうもないこと、理論的に可能だけでなく実際にありそうなこと、これらを「確かにあったこと」と区別しながら資料を見ることが必要である。
9.研究者自身の偏見・能力
研究者が、偏見によって、一定の種類の資料や一定のできごとを無視してはいないか、こういう自己批判を忘れないことが必要である。また研究者の能力については、澤田は次のように考えている。すなわち、自分の研究は、トピック選定の時点で、一応今の自分の能力で扱えるものときめたはずであるが、研究の過程で、さらに知識を広め、深める必要があるのに気づくかもしれない。自分の能力の限界というのは、ある程度相対的なものである。何についての知識が足りないか、常に自問しながら、隣接学問分野や新しい分野の学習を体系的に進めていけば、能力の限界はある程度まで克服されるはずであると澤田は励ましている(澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]、92頁~97頁)。


答案を書くための6つのポイント


①「問いは何か」をはっきり見きわめ、それに正面からぶつかる
②論理的に首尾一貫した、骨組みを考える
③単語、表現、いいまわしを明確にする
④単細胞的思考ではなく、きめの細かい複雑(難解ではない)思考を働かせる
⑤内容を正確に、豊かに、独創的にする
⑥出された題が作文的テーマだったら、自分でそれを論文的な問いに直して答える
とりわけ③について、論文に最も大切なのは明確さで、それは第一には骨組み、筋書の明確さに依存するが、第二には、表現の明確さに依存する。わかりにくい、あるいはあいまいで多義的な表現を避けるとコメントしている。

イギリスの大学入学資格試験の問題を2例あげている。
「なぜイギリスは1918年にドイツと戦うことになったか」
「イギリスは1950年代の国際政治に指導的役割を果たしたか」
(澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]、251頁~252頁)。


澤田昭夫『論文のレトリック』講談社学術文庫、1989年[1995年版]

澤田昭夫『論文のレトリック』講談社学術文庫、1989年[1995年版]

第3章 だめな「論文の書き方」参考書


市井に氾濫している「論文の書き方」参考書のだめな理由を、澤田は分析して、次の6つの理由を指摘している。
①論文の書き方とうたいながら結局は文章作法、表現中心の作文論になっていること
②参考書の理論篇と実践篇との間の食違い、ないし矛盾
③理論のあいまいさ、非論理性と複雑さ
④具体性のない、抽象的アドバイスが多すぎること
⑤模範解答が支離滅裂で、どう見ても模範にはなっていないこと
⑥構造的な論文を書くための単純で本質的根本的な原則を示さず、その代りに小手先の姑息な(結局あまり便利でない)便法を伝授しようとしていること

①について
論文論が文学的文章論にすり替えられる結果、起承転結という詩作の原理が論文書きの原則としてすり替えられることになると澤田は批判している。この点、某国立大学の入試実施委員長までが起承転結をすすめるのだから、参考書出版社がそれをすすめるのも当然かもしれない。しかし、起承転結を論文書きの原則としてすすめる参考書は落第であると澤田はみなしている。
また起承転結が論文書きの原則として宣伝広告されると、論文書きの真の構成原則である「序・本論・結び」までがいつの間にか起承転結に転化されてしまうという。例えば、序は起に、本論(一)(二)が分けられて、本論(一)が承、本論(二)が転、結びが結に転化される。
序・本・結の序は本来問であり、結はそれに対する答である。起承転結の原則で去勢された序・本・結の原則は本来の応答のアウンの呼吸を忘れた骸(むくろ)と化してしまうという。序はたんなる思いつきの導入部、結びはそれと直接関係のない思い入れになってしまうと澤田は危惧している(澤田昭夫『論文のレトリック』講談社学術文庫、1989年[1995年版]、30頁~39頁)。

澤田昭夫の基本的視点について


①澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977年[2004年版]
②澤田昭夫『論文のレトリック』講談社学術文庫、1989年[1995年版]
①は、かなり体系的であり、②はさほど体系的ではなく、もっとインフォーマルで、どの章も独立しているので、どの章を先に読んでもかまわないという(澤田昭夫『論文のレトリック』講談社学術文庫、1989年[1995年版]、4頁)。

基本的視点は同じである。
①論文書きというのは、文章作法の細かい戦術よりも、内容構造の大局的戦略が大切だという視点。つまり論文論はことがらの内容に立ち入った構造的論文構成の戦略論であるという視点。
②論文書きはレトリックの問題だという視点。次の4点がレトリックとしての論文論の主張であるという。
 ⓐいわゆる文章作法が修辞(エロキューション)に関する戦術であるのに対し、構造的論文書きの戦略とは構想(インヴェンション)と配置(ディスポジション)の戦略だということ。
 ⓑ構想、配置を中心に論文論を展開すると、それは問答篇(erotematic エロテマティック)になる。いかに問を考え出し、いかにそれに答えるかという問答論になるということ。澤田は本書でとくに強調している。
 ⓒレトリックとしての論文論は、話す、聴く、書く、読むの4機能を統一的に考える。
 ⓓ問答論としてのレトリックという立場からは、人文科学の論文、社会科学の論文、自然科学の論文であろうと、論文は論文であるかぎりすべて一定の共通構造をもつ。
③日本人が学問、外交、政治、経済、技術の分野で、世界的に競争、協力して行くためには、このレトリックとしての論文書き技能を体得すべきだという政策的視点。そしてレトリックに長ずれば、論文書きだけでなく外国語にも強くなる、レトリックがだめだと日本語を用いてさえも説得力をもって語ることも書くこともできない。
④本書は、『論文の書き方』と同じように、科学方法論やレトリックの理論的問題に関わりながらも、純粋な理論書ではなく、論文や報告をどうまとめるかについての実用書である。たとえていえば、ヘクスターの「歴史のレトリック」に近い、理論的実用書として書かれたものであるという(澤田昭夫『論文のレトリック』講談社学術文庫、1989年[1995年版]、4頁~7頁)。

なお、澤田はわからぬ論文を書くフランス人大学者もいるとして、フランスの「新しい歴史」「アナル・グループ」の大長老F.ブロデルBraudelを挙げている。その大著『地中海とフィリップ二世時代の地中海世界』は、眼もくらむような壮大な規模と博学と名文で特徴づけられる作品ではあるが、フィリップ二世時代の地中海世界について要するに何をいおうとしているのかわからないと澤田は批判している。
詳しくは、澤田昭夫「More about maps than chaps―ブロデルの地史的構造史批判―」(酒井忠夫先生古希祝賀記念の会編『歴史における民衆と文化』国書刊行会、1982年、915頁~931頁を参照せよという。
(澤田昭夫『論文のレトリック』講談社学術文庫、1989年[1995年版]、8頁注5)。

歴史学者としての澤田昭夫の立場・見解について


論文書きの大前提は、問題の場から問を切り出すことである。
その問いかけと理論と実証とは相互にどういう関係にあるか、歴史論文は本来、できごとの初めと終りに到る経過についての物語である。そこでは必要な問の「手がかり」はまず「どうして」「いかに」である。しかし同時に「いつ」「どこ」でもあり、「何」「なぜ」でもある。
歴史論文は物語であると同時に描写、説明、論証でもあるという多面性をもっているわけである。だが、歴史学はまず「いかに」を中心に考える学問である。なぜかというと、「なぜ」を先にもってくると、歴史学は社会学的ないし哲学的理論に先立って、非現実的になる危険があるからである。
「何が、どう起きたか、どういう経緯でなぜ今の姿になったか」という歴史的問いかけの対象になる。これは歴史学だけに関わる話ではなく、歴史的側面を扱うかぎり、歴史的問いかけをするすべての学問に関係する話である。問いかけの具体例になじみ、なれるのがよい論文書きの必要条件である(澤田昭夫『論文のレトリック』講談社学術文庫、1989年[1995年版]、84頁~85頁)。

ヴェーバーの理論は修正を迫れてくる。事実を理論に優先させるのが経験科学の原則だからである。プロテスタンチズムと資本主義の因果連関理論だけでなく、基本名辞、基本概念つまり「ピューリタニズム」「資本主義」などの概念の内容も修正されねばならない。これらの概念は大ざっぱで、多義的過ぎることが明らかになってきた。
このように問、仮説としての理論をたずさえて現象に向かい、事実によって理論を修正して行くというのは、歴史学だけでなく、すべての経験科学の基本的方法である。この方法によって、統合的な真実像に近づく。真実接近のための有意義な役割を果すために理論は常に現実に密着し、現実のなかから抽象され構成されねばならない。
ヴェーバーの諸概念(理念型といわれる観念型)やそれによって構成された理論は、根本史料への沈潜のなかからにじみ出てきた概念や理論ではなく、後世のいくつかの二次史料を読んで浮かんできた天才的思いつきをもとに組み立てられたものであるように見える。つまり現実との密接な接触の産物ではなく、むしろ主観的観念的操作の結果であるように見える。

ふつう社会学のアプローチである、この能動的積極的な抽象化に対して、歴史学本来のアプローチプは後者の受動的な抽象化である。ヴェーバーはその意味で歴史学者よりもむしろ多く社会学者だったといえる。
「歴史学の本来のアプローチ」とは違い、史料への沈潜という歴史学本来のアプローチから遠ざかって、社会学的観念論に走る傾向が、フランスのアナール・グループやドイツの社会史学派のなかに見られる。社会学であれ、歴史学であれ、学問が学問であるための、学問を詩から真実に近づけるための第一そして至上条件は、現実との密接な接触、史料やデータによる理論の絶えざる検証であるはずである。
歴史学も問の学であり、問は命題であり、仮説としての理論であり、仮説としての理論は根本史料を通じての現実との接触から生まれ、常にそれによって育まれ真実に接近する。そして問自体も決して「やぶから棒に」観念的に生まれるべきものではなく、史料への沈潜を通じて浮かび上ってくるはずのものである。これがヴェーバー批判かたがた澤田が言いたかったことである。

澤田は、歴史学の問は「いかに」中心でなければいけないという。ヴェーバーはそれに反し「なぜ」中心に理論を展開した。
しかし「いかにして起こったか」と問いかけながら、経済史のできごとの現実の経過をつぶさに調べて見ると、まず「なぜ」中心に展開された「プロテスチズムと資本主義」の理論は誤っていることが解った。「なぜ」の問に答える因果関係の理論は必要ではあるが、それは「いかに」という問に答える現実感覚によって導かれ補正されねばならない。

ここで澤田は、歴史的事件たとえば「ヒトラーの権力掌握は何に起因するか」という問を取り上げている。1933年1月30日のヒンデンブルク大統領の決定(ヒトラー首相任命)にまつわるミクロの政治取引過程(いかに)の解明を怠り、権力国家思想や民族主義の漠然としたマクロの精神史的ルーツ(なぜ)をたどると、領主権力の絶対主義と反ローマのドイツ民族主義を煽ったルターに答を見出すというグロテスクな結果になるという。
歴史学の、歴史的アプローチが「いかに」中心でなければならないということの意味はここにあると澤田は主張している。歴史 historyは何よりも「ものがいかにAからBへと移り変っていったか」というstoryを物語にすることであり、ストーリーは連続する事実経過の詳細抜きでは成り立たないからであるとする。それがないと歴史は理論倒れになり、真実から詩の世界への逃避行が始まるという(澤田昭夫『論文のレトリック』講談社学術文庫、1989年[1995年版]、91頁~96頁)。

歴史論文について


描写、物語を中心にものを書くのは文学者の仕事であるが、歴史論文も根本的に物語である。ただ文学の物語は虚構を用いてもよろしいのに対し、歴史論文の物語は真実でなければならない。学術論文は物語だけでなく、描写も含んで書いてよいのだが、学術論文はあくまで真実の説明や論証であるから、そこで用いられる描写や物語は真実でなくてはいけない。
よい歴史論文はクロノロジー(年代的経過報告)と分析とを適当に兼備したものだといわれる。つまり物語と説明ないし論証を巧みに綾なしたのがよい歴史論文だということである。

一方、古典的レトリックの法廷弁論は論証中心、審議弁論は説得中心といえる。論証中心というと今日でも法学関係の論文が多いわけであるが、争点(issues、イッシューズ)について論ずるかぎり、どの学問分野でも論証はある。
ただし、ホテル火災の責任問題を論じる法律的な論証論文でも、ことがらの経過をたどる物語が必要でしょう。
問の歴史を顧みながら新しい問、新しい答に向かうというのはすべての学問研究の定石であるが、歴史学の場合には最初の問いかけも、昔の問に対する批判的問いかけも、常に史料との絶えざる対決を通して、史料の読みのなかから、にじみ出てくるものでなくてはいけないと澤田は厳しい見方をしている(また他の学問の場合は「史料」のかわりに「現実のデータ」といったらよいだろう)。
(澤田昭夫『論文のレトリック』講談社学術文庫、1989年[1995年版]、69頁~71頁、106頁)。

比較読書法について


比較読書法はアドラーが『本を読む本』(外山滋比古・槙未知子訳、日本ブリタニカ、1978年)の中で、論文を書く研究者のために必修の読書法としてすすめているものである。アドラーはシントピカル(共通主題の)またはコンパラティヴ(比較的)読書法といっている。その要点は以下のような5段階である。
①関連箇所を見つけること
②著者と折り合いをつけさせる
③質問を明確にすること
④論点を定めること
⑤主題についての論考を分析すること
比較読書法というのは、自分がかかえている特定の問に関係したことについて何人かの人がものを書いている場合、同様な問に異なった人々がどのように違った形で答えているかを調べるための読書である。
澤田は次の5つの段階にまとめている。
①重要箇所を発見する
②名辞を決定する(タームズ・ディサイド)
③著者たちへの問を準備する
④争点(イッシューズ)を明らかにする
⑤論議の分析
①について
目を通したいくつかの本(あるいは論文)のなかで、自分のニーズにとって大切な箇所はどこか、それを見い出すこと。例えば、「科学方法論史」について調べていたら、5点の書物ないし論文のうち、Aの25ページ、Bの126ページ、Cの320~350ページ、Dの2ページ、Eの302ページと、必要な箇所だけをそれぞれの作品から拾い出すことが第1段階のしごとである。
②について
理解するための読書のひとつの大切な条件は、著者がどういう名辞(具体化された概念)を使っているかを調べることである。研究者が5人なら5人の著者の考えを参照したうえで、自分なりの議論を展開しようとする場合には、5人のそれぞれが使っている名辞を、自分なりにまとめて共通の統一名辞を作り出すことが必要になる。
相手を理解するだけの読書の場合には受動的に読んでいたが、相手の所論を利用して独自の考えを展開しようという場合には、自分の方が能動的になり、5人の著者に、自分の調子に合わせてもらうことになる。
例えば、著者Aは「理想型」、Bは「モデル」、Cは「パターン」、Dは「観念型」、Eは「パラダイム」と異なった名辞を用いて同様なことを意味している場合、自分はそのすべてを「モデル」という名辞で統一して議論を展開するということである。
③について
統一名辞が決まったら、それを用いて各著者に対し統一共通の命題を疑問文の形で提示するということである。例えば、「モデル」という統一名辞が決まったとすると、科学方法論史に関係ある論述を残した5人の著者に対し、「モデルは実在のなかに基盤をもっているかどうか」という共通の問を向けることである。
④について
自分が提示した共通の問に対して5人の著者がそれぞれに返す答、L、M、N、O、Pを確かめることである。共通の問に対して違う答が出てくれば、そこに争点があるわけである。例えば、さきの問に対し、Aは「モデルはまったく主観的な約束事でしかない」と答え、それに対してBは「モデルは実在の模写である」と答え、Cは「実在に近づくための仮説である」と答えたという場合である。
⑤について
同じ問に対して出された異なった答、争点を整理し、なぜAはL、BはM、CはNというふうに違った答を出したのか、その理由を考察し、その結果、L、M、N、O、Pいずれもできればそれらすべてを超える新しい独創的、綜合的立場Qを考え出す道を備えることである。
Qを発見できなくとも、L、M、N、O、Pのうちどれがもっとも真実に近いか、それはなぜかを明らかにすることができれば、「論議の分析」は成功したといえる。
自分のニーズに従って、多くの資料のなかの必要な箇所だけに集中する。これは澤田の『論文の書き方』のなかで、「自分の研究目的Bに関係あるAの部分、BとAとの交叉部分だけを大切にせよ」と述べたのと対応するという。比較読書法というのは、研究カードによる資料の整理法と対応するものであり、比較読書法は論文を書く研究者のための必修の読み方なのである。
そもそも統一的概念と統一的問という、いわば熊手をひっさげて、多くの資料の山をさらってみるのが研究(リサーチ)である。そしてその作業の整理手段が「一カード一項目」のあの項目になる。
比較読書法は何人かの著者の論文を読む場合だけでなく、一人の著者の一冊の著作や論文を、ひとつの特定な観点から体系的に読もうとする場合にも必要になる。
(澤田昭夫『論文のレトリック』講談社学術文庫、1989年[1995年版]、178頁~182頁)。

史料の引用について


長文の史料を引用するのが、わが国の日本史、東洋史学界の風習だが、同じ日本史、東洋史の研究論文でも、国際学界で通じるような論文だと、ほんとうに大切な部分の史料引用が数行あって、あとは自分のことばで要約し、論文全体が滞りなく読めるようになっている。とにかく論文は、渋滞のない語りになっていて、すらすら読めるものでなければならない(澤田昭夫『論文のレトリック』講談社学術文庫、1989年[1995年版]、250頁~251頁)。

注のつけ方と注の数について


注は出典を照会する場所である。英語では注でレフェランス reference(参照、照会)が示されるといわれる。ある主張や解釈の根拠が何であるか、どういう資料や権威に基づいているか、その出典を照会するのが注の大きな機能のひとつである。
また注はお世話になった人へのお礼(英語でいう acknowledgement)を述べる場でもある。注は証拠だてや感謝の場だけでなく、さらに読者への情報提供の場でもある。必要最小限の情報は主として本文で提供するが、それを補足する情報、本文に入れると場所をとり過ぎたり、読みの流れを滞らせたりするが本文の理解に役立つ情報、読者がさらに詳しく調べたいときに役立つ情報、そのような情報を提供する場が注である。たとえば、自分の扱う問題について従来どのような研究がなされてきたか、そのような研究史の概要は、本文とくに序の部分で述べるが、くわしいことは注に委ねるわけである。
このように読者に役立つ情報の注が多いことは、論文の価値を高める。「この論文には有益な注が多い it has many informative footnotes.」といわれて好評を博すことになるという(澤田昭夫『論文のレトリック』講談社学術文庫、1989年[1995年版]、248頁~250頁)。

論文の注を適度に押さえる工夫が必要である。哲学や神学論文で特に独創的なものになると注は少なくなる。一次史料を用いた、国際的に通じるヨーロッパ史の論文の場合、400字原稿用紙50枚程度の論文に、50から100位の注があるのが普通であるという。

一方、新資料をもとにした独創的論文ではなく、論文書き能力訓練のための学部学生期末レポート(25枚程度、英語なら3000語程度)であれば、10点位の単行本や雑誌論文を参照し、注の数は25前後というのがひとつのメドになるという。
根本は論文の信頼性、論証・説得力を保証するために適当な注をつけることである(澤田昭夫『論文のレトリック』講談社学術文庫、1989年[1995年版]、251頁~252頁)。

ブック・リポートと書評論文


ブック・リポートは一冊の書物の紹介論文である。つまりブック・リポートは読者の結果を小論文にしたものである。

ブック・リポートは一冊の本がどういう本であるかを一般的に紹介、説明するものであるのに対し、書評は評価、価値判断を含んだ、より批判的な読書の報告である。読みの報告でも「批判的読み」の報告が書評である。
書評には、原稿用紙2~3枚のものから、20~30枚のものもある。
一冊の本を評するものも、同様なテーマを扱った数冊の本を同時に評するものもあり、厳密には前者が書評であり、後者が書評論文(レビュー・アーティクル)である。書評となるとブック・リポートとは違い、準研究論文であり、書評論文は研究史回顧や研究報告と同類のれっきとした研究論文である。
新刊紹介やブック・リポートは学部の一年生でも簡単に書けるはずであるが、書評や書評論文はかなり年期の入った研究者でないと書けない。なぜかというと、書評や書評論文が問う問は、「この本ないしこれらの論文はどれだけ価値のあるものか」という評価に関する問だからである。それに答えるにはかなり広く、深い視野と知識が必要だからである。
書評が答えるべき問には、次のようにブック・リポートにも出てくるものもある。

・ 「この著作の主要トピックは何か」
・ 「著者の意図、目標は何であったか」
・ 「どういう概念を用いているか」
・ 「どういう資料、材料を用いているか」
・ 「どう構成されているか」
・ 「解釈の中心点は何か」
しかし本来書評に期待される問は、次のようなものであるという。
・ 「他の研究者はこの点についてどう考えているか」
・ 「用いうる資料をすべて用いているか」
・ 「新しい資料を用いたか」
・ 「作品の構成は問題の解決に適しているか」
・ 「著者の意図は十分実現されたか、目標はどれだけ達成されたか」
・ 「何が重大な欠点か」
・ 「何がこの本の貢献か。どの点でわれわれの知識を豊かにし、従来の定説をくつがえしたか」
・ 「残された課題は何か」
・ 「この作品のメリットとデメリット、損益の差引計算はどうなるか」
きびしくも公正な書評技能を身につけるためのひとつのよい方法は、国際的に通用する学界誌にでてくる大家の書評につねづね目を通しておくことである(澤田昭夫『論文のレトリック』講談社学術文庫、1989年[1995年版]、197頁~199頁)。

答案の書き方


答案もひとつの論文である。論文ではあるけれど、きわめて短時間でまとめねばならないという特殊な制約をもったのが答案論文である。答案は迅速に要領よくまとめなければならないが、受験雑誌社がばらまく「答案の書き方」的チラシには「自信をもって」「虚心(きょしん)になって」「温かい心をもって」という心理的アドバイスを見かける。しかしこれでは始まらないと澤田は否定している。

試験答案を迅速に要領よくまとめるためにもっとも肝心なことをひとつあげよといわれたら、「問題の問が何か、どういう種類の問かをよく確かめ、それに答えること」と澤田は言い切る。問をたしかめ、それに十分に答えるには、問の姿、問の背景や歴史、前後関係を知ることも必要になる。十分に答えるには、主問から派生してくる副問にも答えねばならない。ひとつの主問にいくつかの答が可能なら、それらを比較考察し、もっとも合理的と思われるものを、最終的答として論証することになる。
答案を書き出す前には必ず別紙に、見出し(トピック)アウトラインで結構だから、アウトラインを作り、序の問と本論での展開、結びの答の相互のつながりの大筋をはっきりさせることが大切であるという。
アウトラインを作るためには、持ち時間の少なくとも4分の1をあてがいたいものである。40分で800字という論文試験なら、少なくとも10分をアウトライン作りのためにとっておく(800字をきれいに書き上げるには30分が必要である)
書き終ったらば、結論は問に答えているか、本論はその答を肉づけているか、それをアウトラインに照らしてチェックする。

よい答をかくための基本準備は、平生、広い分野にわたる基礎的事実や情報を暗記、蓄積しておくこと、そしてもうひとつ、細かいこと、偶有的なことを大きい筋、根本的、本質的、原理的なものと関連させて見る習慣を平生から身につけておくことである。平生からそういう準備をしておいて、いざ答案を書くという時には、何が問であるか、それをたしかめ、見出して、それに答えるならば、その答には味と深みさえ出てくる(澤田昭夫『論文のレトリック』講談社学術文庫、1989年[1995年版]、51頁~57頁)

難解な文章とやさしい文章について


論文論は戦略論であって、戦術的な作文論ではなく、論文書きの枢軸は文章(センテンス)作りではなく、文段(パラグラフ)作りであると澤田は主張している。文章論については多くの著述が出ているので、本書では文章の問題は深入りしたくないが、第21章を文章論にあてることにしたという。

いくつかのアドバイスの1つとして、抽象的な概念とくに動詞や形容詞の名詞化も文章を不必要に難解にするので、注意せよとしている。例えば、「このことは生産様式論の問題として固有に主題化され、厳密化されるべきことである」という抽象的な文は、「これは生産様式の問題として別に考察せねばならない」といい直せば、具体的にやさしくなるという。
なるべく動詞を多く用いていい直すと、行為の内容がより具体的、明確になり、文章も力強くなる。学問とは抽象に他ならないが、学問に必要な抽象とは必要以上に抽象的なことばや言いまわしを使うことではないと釘をさしている。
読者にとって解りやすい論文とは、声を出して読むと耳に快くすらすら速く読める、つまり読書をリズムに乗せて運んでくれる論文である。優れたもの書きの文章には必ずリズムがある。わかりやすい文章は、明確な論理的構造でまとまり、やさしく正確なことばやいいまわしと快いリズムに支えられて、自然に淀みなく、そして力強い流れる文章であると澤田は理解している(澤田昭夫『論文のレトリック』講談社学術文庫、1989年[1995年版]、231頁、239頁、244頁~245頁)。

創造性とは


真の革新、創造の新しい発見は、したがって断片的な新奇さを追うことでなく、久遠(くおん)の真理探求の流れと関係づけられるものでなければならない。単に新奇さだけを追って、それを伝統と関係づける、伝統のなかに位置づけることを忘れると、新奇を追うその営みは創造にはつながらないでしょう。
革新は真理を革新することではなく、「真理において革新する」ことだからである。
日本人は新奇を追うことに優れているが、それが必ずしも創造と結びついていないのは、伝統との関係づけという面がおろそかにされているからではないか。だから哲学でも、新しい哲学者が紹介されて哲学史の書き加えがふえるが、必ずしも哲学的創造は生まれないということになる。新奇を追うのは創造性の一面で、それ自体結構なことだが、それだけでは不十分なのである。
真理の歴史性と久遠性、進歩と伝統の関係を巧みに表現したのはトマス・アクイナスの次のことばでわる。「いかなる時代のことばといえども、永遠の真理を完全に現在化することはない」
(澤田昭夫『論文のレトリック』講談社学術文庫、1989年[1995年版]、223頁~224頁)

語学力


語学でも、たとえば英語でも、自然科学英語とか医学英語、文学英語、歴史学英語という区別は本来なく、どの学問分野にも共通な基礎英文法と基礎英単語があるのと同じようなことである。
それゆえ自然科学や医学の分野で英語を用いて国際的に競争や協力をしたい人は、何よりも基礎語学力を身につけるべきである。
基礎文法と基礎単語を用いての「話し・聞き・読み・書く」の基礎的運用力なしに、いくら専門外国書購読とか専門語学に専心しても何の役にもたたない。日本の大学の教養課程は基礎語学力を教えずに、「教養語学」の名のもとに文学書の講釈を行なうことを建前としているために、学生は基礎語学力体得の機会を失しているが、真に基礎語学力が身についていれば、いわゆる「専門語学力」は容易に身につけられると澤田はいう(澤田昭夫『論文のレトリック』講談社学術文庫、1989年[1995年版]、65頁~66頁、72頁~73頁注2)。

問をたしかめ、あるいはよい問を見出して、それに対する十分な肉づけがある。よい答を書くためには、付焼刃(つけやきば)ではだめである。問題を想定し、それに対する答を暗記するなどというのは、ちょうど一連の英語文句を暗記しても英語の伝達力は上達しないのと同じである。人工的に作られた文章を暗記しても、話しのなかでそれにピタリの状況が訪れることはまずないからである。必要なのは、基本文型や基本文法を基本単語とともに、絶えざる応用練習で体得しておくことである。基本をほんとうに練習で体得しておけば、どんな新しい状況でも容易に応用できると澤田は説いている(澤田昭夫『論文のレトリック』講談社学術文庫、1989年[1995年版]、56頁~57頁)。

日本人とレトリック


「今日の日本で論理的論証的レトリックがいまだに育たないのはなぜか」「論証的レトリックの発達を妨げている具体的理由は何か」について、澤田は3つの理由を挙げている。
①日本人の抒情的文学性
②議会弁論の欠如
③教育における弁証的レトリックの無視
これらはいずれも倫理的、感情的レトリック過多現象と関係している。

①について
日本人が伝統的に、そして今日でもあまりにも抒情性豊かな文学的人間であることを示している。抒情的描写力、文学性が日本文化のすみずみにまでも充溢している。だから「論文の書き方」の指南書の大部分が文章作法、狭義の修辞に集中してくるのも当然であろうともいう。

②について
論証的レトリックの最大の推進機関であるべき議会討論(パーリアメンタリー・ディベート)がないがしろにされているということ。つまり議会討論、会議での討議によって重要な決定を行なうという伝統が確立されていないということ。
会議での審議は重要視されず、重要な決定は「根まわし」で舞台裏の談合の場でなされるから、会議場での論証的レトリックは発達しないと澤田はみている。
有効な審議を行なうには「何のために、どういう手順で、まずどういう問をたてて、どういう選択を論ずるのか」という体系的論理的構想が議長(司会者)と会議の参加に明らかになっていなければならない。論理的レトリックのルールを皆が体得していなければ、合理的な選択と決定の積み重ねとしての会議の運営はできない。会議は単なる意見の羅列に終ってしまう(多くの日本人学者の論文が事実の羅列に終って論文の形をなさないのと対応する特徴である)。
参加者が論証レトリックの進め方を知らないので会議はうまく機能しない。機能しないから議会や会議は軽んぜられる。したがって論証レトリックは発達しない。こういう悪循環が起こっているという。

③について
教育における論証的レトリックの不在、論証的レトリックの基本である生きた問答のやりとりが教育の場において、とくにそれなしでは成り立たないはずの語学教育の場においてさえも尊重されていないこと。日本の外国語教育は今日でも「実用よりも教養」という誤った選択の旗じるしのもとで、訳読つまり教師による外国語テキストの日本語訳と講釈中心で、英語のような生きた現代語でさえも死語のように扱われていると澤田は批判している。

以上のように、抒情的文学性もすばらしいし、談合や根まわしや意見の羅列も外国語テキストの日本語講釈も、何らかの意義はあるであろうが、それだけが強調されて、論証的論理的レトリックが無視され続けるならば、日本人が学問や政治やビジネスの世界で十二分な国際的協力や貢献をなすことは難しいと澤田は憂えている(澤田昭夫『論文のレトリック』講談社学術文庫、1989年[1995年版]、289頁~293頁)。

サッチャーのスピーチ


1982年に東京で、サッチャー夫人が、日英協会共催の歓迎レセプションの席上で行なった5分間の即席スピーチ(メモなし)の原文と澤田訳が掲載されている。
このスピーチ「日英両国の友好と協力」は、「なぜ日本の友好、協力が必要か」という問で貫かれ、よく整理され、深い政治哲学がにじみ出ているが具体的であり、しかもユーモアで味つけられ、軽やかできびきびしたリズムに乗ったすばらしい論証、説得の論文であると澤田は絶賛している。
要旨を紹介しておくと、「われわれが協力と友好を深めようとしているのは、3つの主要な理由」が考えられるという。

①両国は自由と正義の原則に結ばれた民主主義国
②壮大で前向きの科学技術
③相手の芸術と文化に非常な関心を寄せていること
そのほかに2つの理由があるという。
④両国は王室をもっており、友好の関係にある
⑤両国の民衆は多くの点で同じような気持をもっていること(これはわれわれが一緒にならねばならぬ、たぶんもっとも深い理由)

④と⑤の原文は次のようにある。
There are, perhaps, two others : we both have a royal family and they are great friends ;
and our peoples have very many feelings in common, which is perhaps the deepest reason why we should get together.
(澤田昭夫『論文のレトリック』講談社学術文庫、1989年[1995年版]、317頁~324頁)




≪文章の書き方~木下是雄『理科系の作文技術』より≫

2021-12-31 18:24:39 | 文章について
≪文章の書き方~木下是雄『理科系の作文技術』より≫
(2021年12月31日)

【はじめに】


木下是雄(きのした・これお)氏は、1917年生まれで、東京大学理学部物理学科を卒業して、学習院大学教授を務めた学者である。
今回は、次の本をもとに、文章の書き方について考えてみる。
〇木下是雄『理科系の作文技術』中公新書、1981年

自分は文系の学部であったので、理科系の作文はしたことがないが、文章の書き方の参考文献として、木下是雄氏のこの本を挙げる人は多い。そこで、私も学生時代に買って読んだのだが、やはり教えられるところが多々あった。
例えば、日本語と英語の違いについての考察などは示唆的で文系の人が文章を書く際に留意すべき点を教えてくれる。
例えば、日本人がとかく逆茂木型の文を書きやすい根本原因は、修飾句・修飾節前置型の日本語の文の構造にあると木下氏は考えている。そして逆茂木がむやみにはびこったのは翻訳文化のせいにちがいないと推量している。
多くの欧語では、長い修飾句や修飾節は、関係代名詞を使ったり、分詞形を使ったりして、修飾すべき語の後に書くことになっている。今日の逆茂木横行の誘因は、日本人がそういう組立ての欧文のへたな翻訳(漢文に返り点をつけて読む要領の直訳)に慣らされて鈍感になったことだろうとみている。

今回のブログでは、この本の要点をまとめてみたい。
(以下、便宜上、敬称を省略することを断っておく)




【木下是雄『理科系の作文技術』(中公新書)はこちらから】

理科系の作文技術 (中公新書 624)




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・理科系の仕事の文書
・文の構造と文章の流れ
・逆茂木型の文について
・事実と意見
・事実のもつ説得力
・パラグラフとトピック・センテンス
・原著論文(original scientific papers)の標準的な構成
・論理展開の順序について
・辞書について
・学会講演の要領について
・英語講演の原稿について







理科系の仕事の文書


・ 他人に読んでもらうことを目的として書くものの代表として、詩、小説、戯曲などの文学作品があげられる。それに対して、理科系の仕事の文書としては、調査報告、原著論文、仕様書、使用の手引、研究計画の申請書などがある。その特徴は、読者につたえるべき内容が事実(状況をふくむ)と意見(判断や予測をふくむ)にかぎられていて、心情的要素をふくまないことであると記している(木下、1981年、5頁)。
・ 事実や状況について人につたえる知識を情報ということにすると、理科系の仕事の文書は情報と意見だけの伝達を使命とするといってよいとする。木下によれば、理科系の仕事の文書を書くときの心得は次のように要約できるという。
①主題について述べるべき事実と意見を十分に精選すること
②それらを、事実と意見とを峻別しながら、順序よく、明快・簡潔に記述すること(木下、1981年、5頁~6頁)。
・ 理科系の仕事の文書では、主張が先にあって、それを裏づけるために材料を探すなどということはありえない。書く作業は、主要構成材料が手許にそろってから始まるのである(木下、1981年、14頁)。
・ 理科系の仕事の文書の大部分は、必要上やむをえず書くもの、または誰かに書かされるものである。学生のレポートは言うにおよばず、調査報告、出張報告、技術報告、研究計画の申請書などがその例であるとする。
・ こういう類の文書を書くときには、その文書一般の役割を心得ているだけでなく、その文書に与えられた特定の課題を十分に認識してかかる必要がある。つまり、相手は何を書かせたいのか、知りたいのかをとことんまで調べ上げ、考えぬくのが先決問題である(木下、1981年、15頁~16頁)。
・ 理科系の仕事の文書では、しばしば図や表がいちばん大切な役割を演じる。そういう文書では、本文を書きはじめる前に図・表を準備することをすすめる。それによって、なにを書かなければならないかがはっきりする場合が多い(木下、1981年、28頁)。
・ 研究論文にせよ、論説にせよ、あるいは随筆にせよ(この随筆は木下の書物の対象からは逸脱すると自ら断わっている)、木下は、筆をとる前に数十日(時として数年、時として数日)のあいだ主題をあたためるのを常にするという(木下、1981年、25頁)。
・ 本書の対象である理科系の仕事の文書は、がんらい心情的要素をふくまず、政治的考慮とも無縁でもっぱら明快を旨とすべきものである(96頁)と主張し、また、理科系の仕事の文書は、心情的要素を犠牲にしても明快・簡潔を旨とすべきものである(121頁)と主張しているあたり、いかにも理科系のための『文章読本』である。
・ 仕事の文章の文は、短く、短くと心がけて書くべきである。ある人は平均50字が目標だという。本書の1行は26字だから、ほぼ2行。私(木下)も短く短くと心がけてはいるが、とてもその域には達していないという(木下、1981年、118頁)。

・ 書くことは考えること、考えを明確にすることである(木下、1981年、24頁)。
・ 文章の価値をきめるのが第一に内容であるが、内容がすぐれていても、文章がちゃんと書けていなければ(readableでなければ)、他人に読んでもらえない。その意味で文章の死命を制するのは、文章の構成なのであるという。その文章の構成とは、何がどんな順序で書いてあるか、その並べ方が論理の流れに乗っているか、各部分がきちんと連結されているかである。
文のうまさ(語句のえらび方、口調のよさ)などは、理科系の仕事の読者にとっては、二の次、三の次のことに過ぎないといい、“文科系の文章読本”とは異なる(木下、1981年、51頁)。
・ 理科系の仕事の文書は内容と論理で勝負すべきもので、文章は、奇をてらわず読みやすいほどいいという(木下、1981年、135頁)。
ここに理科系の人の気概・気骨および信念が伝わってくる。

・ 大学改革案の検討委員会の報告書を作成する際に、木下は三日二晩で目次をつくり、あと一瀉(いっしゃ)千里に本文を書いて、合計1週間で10章44節の報告書を書き上げた。そのときのやり方はKJ法の技術に負うところが大きかったようだ。KJ法の発案者は川喜多二郎であり、『発想法』(中公新書、1967年)の著作がある。一読をすすめている。
(木下是雄『理科系の作文技術』中公新書、1981年、56頁~57頁)

文の構造と文章の流れ


1966年に発表された理論物理学者のレゲットの「科学英語の書き方についてのノート―日本の物理学者のために」というエッセイを引用して、木下は日本語と英語の論文の構造の相違について考えている。
①日本語では、いくつかのことを書きならべるとき、その内容や相互の連関がパラグラフ全体を読んだあとではじめてわかる(極端な場合には文章ぜんぶを読み終わってはじめてわかる)ような書き方をする。
②英語では、これは許されず、一つ一つの文は、読者がそこまでに読んだことだけによって理解できるように書かなければならない。また英語では、一つの文に書いてあることとその次に書いてあることとの関係が、読めば即座にわかるように書く必要がある。たとえば、論述の主流から外れてわき道にはいるときには、わき道にはいるところでそのことを明示しなければならないという。英語では本筋から離れて遠くまでさまよい出るのはよくないとされ、わき道の話が長くなる場合には、脚注にするほうがいいとする。
レゲットは、日本人と英語国民の文章の構造を樹形図に喩えて説明している。

日本人型の構造の文章を、木下は逆茂木(さかもぎ)型の文章と称している。逆茂木とは、「敵の侵入を防ぐため、とげのある木を伐り倒して枝を外に向けてならべたもの」を指すという。
文章の流れが逆茂木型にならないようにするために、必要なのは、話の筋道(論理)に対する研ぎすまされた感覚である。そういう感覚をみがくためには、他人の文章を読んでいるときでも、少しでも論理の流れに不自然なところがあったら、「おかしいな、なぜか?」と考える習慣をつけるのがいい。もっとも、感覚だけ鋭くても、何度でも書き直して完全を追究する執念がなければものにならないともいう。
(木下是雄『理科系の作文技術』中公新書、1981年、75頁~78頁、88頁)

逆茂木型の文について


日本人がとかく逆茂木型の文を書きやすい根本原因は、修飾句・修飾節前置型の日本語の文の構造にあると木下は考えている。そして逆茂木がむやみにはびこったのは翻訳文化のせいにちがいないと推量している。

多くの欧語では、長い修飾句や修飾節は、関係代名詞を使ったり、分詞形を使ったりして、修飾すべき語の後に書くことになっている。今日の逆茂木横行の誘因は、日本人がそういう組立ての欧文のへたな翻訳(漢文に返り点をつけて読む要領の直訳)に慣らされて鈍感になったことだろうとみている。
裏返していえば、読者に逆茂木の抵抗を感じさせないためには、次のような心得が必要であると木下は説く。

①一つの単文(一つの文のなかで主語と述語の関係が一つしかないもの)の中には、二つ以上の長い前置修飾節は書きこまない。そしてできれば複文(修飾節を有し、したがって主語と述語との関係を二つ以上ふくむもの)や、重文(二つ以上の並行する節から成るもの)の中でも、同様である。
②修飾節の中のことばには修飾節をつけない。
③文または節は、なるたけ前とのつながりを浮き立たせるようなことばで書きはじめる。
逆茂木型の文の場合、長すぎる文を分割する、また前置修飾節が修飾していることばを前に出す、といった手法が役に立つとアドバイスしている。そうすれば、逆茂木の枝を刈りはらって再構成でき、前にくらべてずっと読みやすくなる(木下是雄『理科系の作文技術』中公新書、1981年、81頁~82頁)。

事実と意見


7章で説こうとしているのは、文章を書く際の次の2つの心得である。
①事実と意見をきちんと書きわける
②仕事の文書では、事実の裏打ちのない意見の記述は避ける

一般に、事実とは、証拠をあげて裏付けすることのできるものである。意見というのは、何事かについてある人が下す判断である。
日頃から、新聞を読み、雑誌を読むたびに、「どこが事実か、どこからが意見か」と読みわける努力をしてほしいという。

事実の記述は真か偽か(正しいか誤りか)のどちらかである。つまり事実の記述は二価(two-valued)である。これに反して意見の記述に対する評価は原則として多価(multi-valued)で、複数の評価が並立する。例えば、「ワシントンは米国の初代の大統領であった」というのは、事実の<正しい>記述だが、「偉大な大統領であった」という意見の記述に対しては、「そのとおり」、「とんでもない」、「的外れ」など人によって評価が異なる。

事実の記述には、それが真実である場合と真実でない場合とがある(そのほかの場合はない
理科系の仕事の文書に関するかぎり、「事実とは何か」の解釈に迷う余地は少ない。しかし、歴史で事実というのは何か、また心理的事実とは何か、となると話はむずかしくなる。民事裁判の法廷では、原告・被告の双方が認めたことは事実とされるという。
一方、意見は幅のひろい概念で、その中には次のようなものが含まれている。

①推論(inference)
 ある前提にもとづく推理の結論、または中間的な結論
 例としては、「彼は(汗をかいているから)暑いにちがいない」
②判断(judgement)
 ものごとのあり方、内容、価値などを見きわめてまとめた考え
 例としては、「彼女はすぐれた実験家であった」
③意見(opinion)
 上記の意味での推論や判断、あるいは一般に自分なりに考え、あるいは感じて到達した結論の総称
 例としては、「リンをふくむ洗剤の使用は禁止すべきである」

そして、事実と意見との関係について、木下は次のように解説している。
その問題に直接に関係のある事実の正確な認識にもとづいて、正しい論理にしたがって導きだされた意見は、根拠のある意見(sound opinion)である。一方、出発点の事実認識に誤りがある場合、または事実の認識は正確でも論理に誤りがある場合には、意見は根拠薄弱なもの(unsound opinion)になる。
但し、意見のすべてが根拠のあるものと根拠薄弱なものとに分類できるわけではないとして、「彼女は美人だ」という意見の例を挙げている。これはどちらの分類にも属さないという(木下是雄『理科系の作文技術』中公新書、1981年、102頁~107頁)。

事実のもつ説得力


①主張のあるパラグラフ、主張のある文書の結論は、意見である。ただ、意見だけを書いたのでは読者は納得しない。事実の裏打ちがあってはじめて意見に説得力が生まれる。
②事実の記述は、一般的でなく特定的であるほど、また漠然とした記述でなくはっきりしているほど、抽象的でなく具体的であるほど、情報としての価値が高く、また読者に訴える力が強い。

世間の人が表明する意見の大部分は、「夜桜は格別に美しい」とか、主観的な感じ、または直観的な判断によるものである。しかし、理科系の仕事の文書に書きこむ意見は、事実の上に立って論理的にみちびだした意見でなければならないと木下はいう。
その意見を「根拠のある意見」として読者に受け入れさせるためには、意見の基礎となるすべての事実を正確に記述し、それにもとづいてきちんと論理を展開することが必要であると説いている。

ふつう、事実から意見を構成する段階の論理はわりあいに単純なもので、自明な場合も少なくない。そういう場合には、自分の意見の根拠になっている事実だけを具体的に、正確に記述し、あとは読者自身の考察にまかせるのがいちばん強い主張法になる。これは、仕事の文書を書く場合に限った話ではなく、「夜桜は格別に美しい」と言いたい場合にも同様であるとする。つまり「あでやか」、「はんなり」、「夢みるよう」などと主観的・一般的な修飾語をならべるよりも、眼前の(すなわち特定の)夜桜のすがたを客観的・具体的にえがきだし、それだけで打ち切るほうがいいことが多いという。このように、事実によって意見を裏打ちするやり方、事実を一般的でなく特定的・具体的・明確に述べるやり方がよいとする(木下是雄『理科系の作文技術』中公新書、1981年、114頁~115頁)。


パラグラフとトピック・センテンス



パラグラフとトピック・センテンスについて、木下是雄は次のように記している。
パラグラフというのは長い文章のなかの一区切り(段落)である。パラグラフは、内容的に連結されたいくつかの文の集まりで、全体として、ある一つのトピック(小主題)についてある一つのこと(考え)を言う(記述する、明言する、主張する)ものである。

パラグラフを歴史的にみると、日本の古文には、パラグラフというものはなかった。欧語の文章も昔はそうだったらしいが、たぶん18世紀ごろまでにパラグラフの概念が確立され、パラグラフごとに改行する記法がおこなわれるようになった。
日本語の文章も、明治以降は欧文の影響を受けて、かたちの上ではパラグラフを立てて書くようになってきている。しかし、かたちといっしょにパラグラフというものの内容も輸入されたかは疑わしいと木下はみている。日本では「だいぶ続けて書いたから、このへんで切るか」というだけの人が多数派ではあるまいか。
一方、欧米のレトリックの授業では、文章論のいちばん大切な要素としてパラグラフの意義、パラグラフの立て方を徹底的に教えるものらしい。文章はどこで切ってパラグラフとすべきか、パラグラフの構成はどんな条件をみたすべきか、といったことを考えて、文章を書く心得としてパラグラフの概念をきちんと取り入れることが必要であると木下は主張している(木下、1981年、60頁~61頁)。

パラグラフには、そこで何ついて何を言おうとするのかを一口に、概論的に述べた文がふくまれるのが通例である。これをトピック・センテンスという。
パラグラフにふくまれる、トピック・センテンス以外のその他の文は、
ⓐトピック・センテンスで要約して述べたことを具体的に、くわしく説明するもの(これを展開部の文という)
ⓑあるいは、そのパラグラフと他のパラグラフとのつながりを示すもの
でなければならない。

一つの区切り(パラグラフ)にふくまれるいくつかの文は、ある条件をみたしていなければならないということを意識している人は少ない。
要するに、トピック・センテンスはパラグラフを支配し、他の文はトピック・センテンスを支援しなければならない。
理科系の仕事の文書を書く初心の執筆者は、各パラグラフに必ずトピック・センテンスを書くように心がけるほうがいい。文章を書きながら絶えず読みかえして、各パラグラフにトピック・センテンスがあるか、展開部の文はトピック・センテンスとちゃんと結びついているかと、点検する習慣をつけることを木下は勧めている。

トピック・センテンスは、パラグラフの最初に書くのがたてまえである(現実の文章はそうなっているとはかぎらない)。 
トピック・センテンスは各パラグラフのエッセンスを述べたものだから、それを並べれば、文章ぜんたいの要約にならなければならないと。

木下も、理科系の仕事の文書に関するかぎり、重点先行主義にしたがって、トピック・センテンスを最初に書くことを原則とすべきだと考えているが、しかしこの原則を忠実に守りぬくことはむずかしいともいう。
その理由として、3つ挙げている。
①先行するパラグラフとの<つなぎ>の文をトピック・センテンスより前に書かなければならない場合がある。
②これは仕事の文書にとっては致命的なことではないが、トピック・センテンスを第1文とするパラグラフばかりがつづくと、文章が単調になるきらいがある。
③日本語の文の組立てがこれに向かない。
③は定説ではないが、木下は英文を書く場合にくらべて、日本語でものを書くときにはトピック・センテンスをパラグラフの第1文にもってきにくい場合が多いと考えている。それは次の理由によると木下は指摘している。
ⓐ英語では主語と述語が密接して文頭にくる(したがって文のエッセンスが文頭に書かれる)のが通例であるのに反して、日本語では術語が文末にくる。
ⓑ英語では、修飾句・修飾節が修飾すべき語の後にくるのが通例であるのに反して、日本語では修飾句・修飾節が前置される。
(木下是雄『理科系の作文技術』中公新書、1981年、61頁~66頁、68頁、78頁)

原著論文(original scientific papers)の標準的な構成


①論文の書き出しの部分には、「その論文では何を問題にするか、どこに目標を置いてどんな方法で研究したか」を示す(少なくとも1~2パラグラフの序論がなければならない)
②本論にはいって、研究の具体的な手段・方法を述べ、それによってどんな結果がえられたかをしるす。
③最後に、その結果を従来の研究結果と比較し検討し、自分はそれについてどう考えるか、何を結論するかを書く。これは、論議または考察(discussion)として独立の節を立てて扱われる重要な部分であるという。著者はここでいったん立場を変えて、自分の研究に残っている問題点を吟味し、その上ではじめて結論をまとめるという(木下、1981年、197頁、202頁~203頁、205頁)。

論理展開の順序について


理科系の仕事の文書で、情報の伝達を目的とする記述・説明文とならんで主役をつとめるのは、論理を展開する文章である。これは、①理論の叙述と②説得を目的とする叙述に大別できるとする。
①理論を述べる文章では、内容(論理の組立て)によって記述の順序がきまってしまうので、文章論としてはほとんど議論の余地がない。
ただし、同じ前提から出発して同じ結論に到達する論理の筋道は必ずしも一つでない。研究者が最初にその結論にたどりついた筋道が最短径路であることはむしろ例外で、多くの場合に、結論に到達してから振り返って道をさがすと、もっとまっすぐな、わかりいい道がみつかる。論文は読者に読んでもらうものだから、自分がたどった紆余曲折した道ではなく、最も簡明な道に沿って書くべきだという。

もう一つ配慮すべきは、理論の基礎にある仮定を浮き立たせて書くことである。経験事実(観察、実験の結果)は多少ともあいまいな、あやふやなもので、誤差のない測定はないので、そのままでは論理になじまない。
理論の出発点となるのは、これを整理し、理想化したモデルである。そのモデルをつくる段階でどれだけのことを仮定したか、また理論を展開する段階でどんな仮定をつけくわえたか、それらの仮定が目立って見えるように、書く順序を考え、書き方を工夫してほしいという。

②説得を目的とする議論の文章の場合には、上述の純粋理論の叙述にはない恣意性がある。それだけ叙述の順序の自由度が増し、順序のえらび方によって説得の効果がちがうことにもなるようだ。
相手により、機に応じて、次のようなものから選択するほかにない。
ⓐ従来の説、あるいは自分と反対の立場に立つ人の説の欠点を指摘してから、自説を主張するか、あるいは、その
逆にまず自分の説を述べ、それにもとづいて他の説を論破するか。
ⓑいくつかの事例をあげて、それによって自分の主張したい結論をみちびくか。その逆に、まず主張を述べてからその例証をあげるか。
ⓒあまり重要でない、そのかわり誰にでも受け入れられる論点からはじめてだんだんに議論を盛り上げ、クライマックスで自分の最も言いたいこと(多少とも読者の抵抗の予期される主張)を鳴りひびかせるか、その逆に最初に自分の主張を強く打ち出して読者に衝撃を与えるか。

要するに、説得型の叙述の順序として
ⓐ従来説・反対説→自説の主張。逆に自説→他説の論破
ⓑ事例→主張。逆に主張→例証
ⓒ論点提示→議論の盛り上げ→クライマックス(自分の主張)。逆に、自分の主張を最初に提示
というのがあるという(木下、1981年、48頁~50頁)。

辞書について


作家と呼ばれる人たちの座右には、いつも何種類かの辞書が置いてあるらしい。書くことを一生の仕事とする以上、ことばを厳しく吟味し、字を確かめるのは当然の心掛けだろう。
ただ、書くことを本業とは心得ない理科系の人たちにしても、自分の書くものを他人に読んでもらおうとするからには、同じ心掛けが必要であると木下は主張している。他人に見せるものを書くときには必ず机上に辞書をおき、疑問を感じたら即座に辞書をひらく習慣をつけるべきであるという。
この手間を惜しむ、惜しまぬが筆者に対する評価を左右する場合があることを、心の片隅に留めておくといいともアドバイスしている(木下、1981年、154頁)。

学会講演の要領について


物理・応用物理の分野で原著講演(オリジナルな研究の口頭発表)の標準時間が10分である場合、それに対して、400字詰め原稿用紙6枚が目安であるという。
しかし、講演で原稿を「読む」のは禁物である。というのは、原稿を読みあげるのについていくには、聞く者に非常な努力がいるからである。例えば、複文の場合、読めばスラスラとわかっても、聞く段になると抵抗が大きい。つまり眼で読むための文章と耳で聞くための文章とは構成に差がある。また、読むときにはいつでも読みかえしができるが、講演では、一度聞き逃したら聞き手の側ではどうしようもない。ひとに聞いてもらう話には、適度のくりかえしが必要である。
書いた原稿をそのまま読みあげて聴衆をうなずかせるためには、シナリオ・ライターの才能と俳優の訓練がいるので、通りいっぺんの努力ではできないとも付言している。とにかく一生懸命に話しかける努力をしたほうがいいようだ(木下、1981年、214頁~215頁)。

「歯切れのいい」といわれる人の講演は、次の3つの条件をみたしているという。
①事実あるいは論理をきちっと積み上げてあって、話の筋が明確である
②無用のぼかしことばがない。ズバリと事実を述べ、自分の考えを主張する。
 例えば、「これらの事実は……が……であることを暗示しているのではなかろうかと思われます」と言わず、
「これらの事実は……が……であることを(暗)示しています」と言う。日本人は話を必要以上にぼかしたがるので、特に注意が必要だという。
③発音が明晰。発音を明確にし、ことばの切り方に気を配って、聞きとりやすくすることにも心すべきである。これにはニュース担当のラジオ(テレビよりラジオ)のアナウンサーの発声法や抑揚が参考になる(木下、1981年、229頁~230頁)。

英語講演の原稿について


木下是雄がある国際学会で、40分の招待講演で話をした際、原稿は65ストローク、ダブル・スペース、26行、13枚で、ゆっくりしゃべって、35分の講演だったという。
木下は英語の場合、原著講演や講義のときには、メモ片手のことが多い。一方、総合講演だと原稿を手にして話すという。実際の「英語講演の原稿の例」が引用してある。そこには記号を使って、語尾を下げる場合、切らずにつづける場合、ストレスをおいて特にはっきりとやや間をおいていうべきことばの場合などが示されている(木下、1981年、230頁~233頁)。


≪ほほえみ・微笑の東西比較~英語の例文より≫

2021-12-30 19:11:48 | 語学の学び方
≪ほほえみ・微笑の東西比較~英語の例文より≫
(2021年12月30日投稿)

【はじめに】


 前々回のブログでは、岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』(美誠社、2001年[2000年第1刷])から、テーマ別に英文を抜き出して、英文解釈力を高めることを意図した。そのテーマとは、〇言語、〇国の特徴と国民性、〇人生(・幸福・友情など)、〇歴史、〇文学、〇自然と科学を扱った英文を選択した。 その岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』(美誠社)には、微笑に関して興味深い英文が載っていた。
 また、野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』(新興出版社啓林館、2017年)においても、微笑に関して偉人の名言が載っている。そして、新渡戸稲造の『武士道』にも、日本人の笑いに関する鋭い考察が見られる。

今回は、英文の例文の中から、この微笑に関して述べた文を取り上げて、考えてみたい。
ここに東西の笑いに対する見方の相違の一端が表れているようにも感じる。




【岡田伸夫『英語の構文150』(美誠社)はこちらから】

英語の構文150―リスニング用CD付


【野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』はこちらから】

Vision Quest 総合英語 2nd Edition

【『「武士道」を原文で読む』(宝島社)はこちらから】

「武士道」を原文で読む (宝島社新書)





さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・マザー・テレサの微笑に関する名言
・ポール・マッカートニーの微笑に関する名言
・微笑について(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』より)
・日本人の笑いについて (新渡戸稲造の『武士道』より)






マザー・テレサの微笑に関する名言


野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』(新興出版社啓林館、2017年)には、次のようなマザー・テレサ(1910~1997)の微笑に関する名言が載っている。

"Every time you smile at someone, it is an action of love, a gift to that person,
a beautiful thing. ― Mother Teresa"
あなたが誰かにほほえむたびに、それは愛の行為なのです。その方への贈り物です。
美しいものなのです。―マザー・テレサ
(野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』新興出版社啓林館、2017年、360頁~
361頁)
Peace begins with a smile. ― Mother Teresa
平和はほほえみから始まるのです。―マザー・テレサ
(野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』新興出版社啓林館、2017年、448頁~
449頁)

その他にも、次のような名言もある。
Let us always meet each other with smile,
for the smile is the beginning of love.
(いつもお互いに笑顔で会うことにしましょう。笑顔は愛の始まりですから。)

Love is a fruit in season at all times, and within reach of every hand. -- Mother Teresa愛は一年中が旬で、誰でも手が届くところになっている果実である。―マザー・テレサ

マザー・テレサは、北マケドニア共和国に生まれ、幼い頃から修道女を目指し、18歳になってからアイルランドで修道女としての訓練を受け、インドのカルカッタにあるキリスト教系の高校で地理と歴史の教師になる。校長になったテレサは、カルカッタの貧しい人達を救おうと、スラム街の子供たちに無料で勉強を教え始める。
そんな姿を見た人達から、ボランティアの参加や寄付も増えていき、救済施設などを開設していく。

その活動はインドをはじめ、世界中に広がり、ローマ教皇からも認められる。そして、1979年にノーベル平和賞も受賞する。授賞式の際にも特別な正装はせず、普段と同じく白い木綿のサリーと革製のサンダルという粗末な身なりで出席した。賞金もカルカッタの貧しい人々のために使われた。インタビューの中で、「世界平和のために私たちはどんなことをしたらいいですか」と尋ねられたテレサの答えはシンプルなものであった。
「家に帰って家族を愛してあげてください。」

Love begins by taking care of the closest ones ― the ones at home. ― Mother Teresa
愛は最も身近にいる人たち、つまり家族を大切にすることから始まる。―マザー・テレサ
(野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』新興出版社啓林館、2017年、478頁~479
頁)というマザー・テレサの名言も載せられている。

ポール・マッカートニーの微笑に関する名言


野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』(新興出版社啓林館、2017年)には、次のようなポール・マッカートニー(1942~)の微笑に関する名言が載っている。
□Smile when your heart is filled with pain. ― Paul McCartney
(心が痛みでいっぱいになったときはほほえもう。―ポール・マッカートニー)
(野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』新興出版社啓林館、2017年、第6章受動態、128頁~129頁)

ポール・マッカートニーは、イギリスのロックバンドのビートルズのメンバーであった。「ポピュラー音楽史上最も成功した音楽家」ともいわれる。
彼のその他の名言として、次のようなものもある。
If you love your life, everybody will love you too.
(あなたの人生を愛せば、みんながあなたを愛するようになる。)
愛されるためには、まず自分自身が自分の人生を愛さなければならない。そうすれば、自然とまわりの人もあなたを大切に愛してくれるようになるという。

ポールにとって、歌とは「人の心と繋がることのできる構造体のようなもの」であったらしい。
名曲「Let It Be」(1970年)の歌詞には、次のようにある。
 When I find myself in times of trouble
  Mother Mary comes to me
  Speaking words of wisdom
 Let it be
 (苦境に立たされたことに気づけたら
  マリア様が現れて
  叡智の言葉をくれた
  なすがままに)
 聖母マリアのささやき、あるがままに生きなさい。
名曲「Let It Be」(なすがままに、ありのままに、そのままでいいんだよ)は、メッセージ性の強い歌詞であると改めて思う。

微笑について(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』より)


岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』(美誠社)には、微笑について、次のような興味深い例文が見られる。

・What flowers are to city streets, smiles are to humanity.
They are but trifles, to be sure; but scattered along life’s path-
way, the good they do is inconceivable.

<語句>
・humanity(名)人間性
・but=only
・trifle(名)ささいなもの
・to be sure~, but…なるほど~だが…(⇒構文129)
・scatter(動)まき散らす
・pathway(名)道
・inconceivable(形)想像もつかない、たいへんな

<考え方>
・第2文のTheyはsmiles を受ける。 
・scattered along life’s pathwayは前にbeingが省略された受動態の分詞構文で、if smiles are scattered along life’s pathwayという意味。
・またthe good [that]they doは「微笑の効用」という意味。

<訳例>
・微笑と人類との関係は、花と都市の道路の関係と同じである。なるほど微笑はささいなものにすぎないが、人生行路にばらまかれると、その効用には想像もつかないものがある。
(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、91頁、練習問題No.117.)

なお、ここで使われている構文は、A is to B what C is to D(「A と Bの関係は、CとDの関係と等しい」)である(構文39)。
この構文は、CとD は、A と Bの関係を説明する例として用いられている。
このwhatは関係代名詞であり、what C is to Dは、主節のis の補語になっている。
関係代名詞whatの代わりに従属接続詞asを用い、“A is to B as C is to D”とすることもある。
(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、90頁)


日本人の笑いについて (新渡戸稲造の『武士道』より)


新渡戸稲造の『武士道』には、日本人の笑いについて、次のような鋭い考察が見られる。

 Indeed, the Japanese have recourse to risibility
whenever the frailties of human nature are put to
severest test.
I think we possess a better reason than
Democritus himself for our Abderian
tendency, for laughter with us of temper veils an
effort to regain balance of temper when
disturbed by any untoward circumstance.
It is a counter poise of sorrow or rage.
The suppression of feelings being thus
steadily insisted upon, they find their safety-valve
in poetical aphorisms.
A poet of the tenth century writes “In Japan
and China as well, humanity when moved by
sorrow, tells its bitter grief in verse.”
A mother who tries to console her broken
heart by fancying her departed child absent on
his wonted chase after the dragon-fly hums,

“How far to-day in chase, I wonder,
Has gone my hunter of the dragon-fly!”

<英単語>
・risibility 笑い
・frailty 弱点
・veil 隠す
・untoward 都合の悪い
・circumstance 状況
・poise 釣り合い
・suppression 抑圧
・safety-valve 安全弁(ハイフン-を入れないつづりが一般的)
・aphorism 格言
・console なぐさめる
・departed 亡くなった
・hum 鼻歌を歌う

<英文の読み方>
・The suppression of feelings being~の前半は分詞構文が使われている。
・引用符の中“In Japan and China as well,~の主語はhumanity、述語はtells。
・A mother who tries to console~の文の主語はA mother、動詞はhums。
 関係代名詞whoで導く節がA motherを説明している。
・by fancying ~the dragon-flyは、「~を想像することによって」の意。

<訳文>
・実際、日本人は人間の弱さが試される場面で、笑いを頼みの綱としてきた。
 しかし、私達がなぜこのように笑うかには、デモクリトスの笑い癖よりもまともな理由があると思う。というのも、私達の笑いには、逆境において心乱されたときに心のバランスを取り戻そうと努力する姿を隠す役割があるからだ。
 つまり、笑いは悲しみや怒りのバランスをとるためのものである。
 こうして絶えず感情を抑えてきたため、心の安全弁の役割は詩歌に託してきた。
 10世紀の歌人は「日本は中国と同様、悲しみにくれる者はそのつらい思いを歌に表現する」と書いている。
 これは、亡くなった子供のことを、いつものようにただとんぼつりに出かけてしまっただけだと思うことで、傷ついた心を癒そうとしたある母親の詠んだ歌である。
    とんぼつり 今日はどこまで 行ったやら
「第11章 克己」より
(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、130頁~133頁)

このように、新渡戸稲造によれば、日本人は人間の弱さが試される場面で、笑いを頼みの綱としてきたというのである。そして、笑いは悲しみや怒りのバランスをとるためのものであったという。

因みに、risibility(笑い)を手元の電子辞書で調べてみると、次のような意味が出てくる。
・risibility(名)
 ①笑い性[癖]、②笑いの感覚、③笑い、陽気(hilarity)
 (『ジーニアス英和大辞典』大修館書店、2008年)
(cf.) ・risible(形)
 ①笑える、笑いたがる、②笑いに関する、③笑わせる、ばかげた
 (『ジーニアス英和大辞典』大修館書店、2008年)
・risible(adj.)
 deserving to be laughed at rather than taken seriously
[SYN] ludicrous, ridiculous
(『オックスフォード現代英英辞典』Oxford University Press, 2005.)



≪新渡戸稲造「武士道」と英語~主述関係を意識して読もう≫

2021-12-30 18:20:27 | 語学の学び方
≪新渡戸稲造「武士道」と英語~主述関係を意識して読もう≫
(2021年12月30日投稿)

【はじめに】


 前回のブログでは、構文さえ理解できれば、解釈が比較的やさしい英文をあげておいた。
 今回は、構文そのものよりも、英文の文型、構造をきちんと理解していないと、英文解釈が難しいものをみてみよう。そのためには、英文の主述関係を意識して読んでみることが大切である。
 その題材として、新渡戸稲造が英文で書いた『武士道』を取り上げてみる。
 参考にしたのは、次の著作である。
〇別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』(宝島社、2006年)
 この著作の中には、1つの文が長い場合、次の3つの作業をしながら、読むのがポイントであると述べている。
①主語(主部)を見つけてアンダーラインを引く。
②述語の動詞を見つけて〇で囲む。
③意味のまとまりを見つけて/で区切る。
(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、15頁)
これも一つの方法であろう。実際に試してみて、自分に合った読み方をしていってほしい。




【『「武士道」を原文で読む』宝島社はこちらから】

「武士道」を原文で読む (宝島社新書)




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


〇原著者新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)の紹介
〇別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』(宝島社)の構成と使い方
〇国際人・新渡戸稲造と英語
〇新渡戸稲造の名著『Bushido』について
〇名著『Bushido』の内容
・武士道は日本の象徴である桜と同様に我が国固有の華である
・武士道とは心に刻み込まれた道徳上の掟である
・礼儀は、他人への配慮から生まれる奥ゆかしい思いやりである
・真実や誠実さを欠く礼儀は見せかけだけの茶番である
・洞察力のある人なら、富の構築と名誉がイコールでないことがわかるだろう
・武士道では、家族全体と個々の利害は完全に一体であり、分けられない
・切腹は、腹を魂と愛情の中心だとする解剖学上の信念から来ている
・もとはエリートの栄誉だった武士道は次第に全国民の志となった






原著者新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)の紹介


・1862年(文久2)、現在の岩手県盛岡市に生まれ、9歳で養子となり東京に出る。
・札幌農学校卒業後、アメリカ、ドイツへ留学する。農学、経済学などを学び、札幌農学校教授を皮切りに、京都帝大・東京帝大教授、東京女子大学初代学長などを歴任する。
・1920年(大正9)、国際連盟設立時には事務局次長としてジュネーブに6年間滞在する。
・1933年(昭和8)、カナダで開催された太平洋会議に出席する。10月15日、ビクトリア市にて享年71歳で死去。
※『Bushido-the soul of Japan』は1900年に書かれた。
(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、40頁、116頁、148頁)

別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』(宝島社)の構成と使い方


別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』(宝島社)は、新渡戸稲造が1900(明治33)年にアメリカの出版社から上梓した『Bushido-the soul of Japan』の序文と本文17章の中から、各章の中心となる段落をピックアップしている。そして、単語の意味、英文を読み解く上でのヒントと日本語訳をつけている。

なお、『武士道』の原著は、新渡戸稲造が英文で書いた。だから訳者の櫻井鷗村が名をつらねた、邦文『武士道』は、明治41年が初版であった。

・格調高い新渡戸稲造の英文を読み解くには、この書の使い方としては、次のようにするのが、オススメであるようだ。
①まず和訳を読み、内容をつかむ。
②和訳1文を読んで、該当するその英文を読む(訳文と英文は番号で対照できる)
③わからない部分は「語句の意味」「英文の読み方」を参照する。

また、『Bushido』は1文が長いので、次の3つの作業をしながら、読むのがポイントである。
①主語(主部)を見つけてアンダーラインを引く。
②述語の動詞を見つけて〇で囲む。
③意味のまとまりを見つけて/で区切る。

(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、6頁~7頁、15頁、28頁~29頁)

国際人・新渡戸稲造と英語


新渡戸稲造の誕生から、20歳前の札幌農学校を卒業するまでの年表は、次のようになる。
 1862年 9月1日、盛岡にて誕生
 1867年 父・十次郎死去
 1871年 叔父・太田時敏の養子となり、上京し、築地英学校に入学
 1873年 東京外国語学校に入学
 1875年 東京英語学校に入学
 1877年 札幌農学校に第二期生として入学
 1880年 母・勢喜(せき)死去
 1881年 札幌農学校を卒業

20歳までの新渡戸稲造は、どのように英語と出あい、学習していったのだろうか。つまり20歳までの英語学習はどのような遍歴を辿ったのか。
この点について、エッセイ「井戸端で水を浴び、睡魔を払って英語と闘う」に略述してあるので、紹介しておこう。
(英語学習法としても参考となることが多い!)

裕福な武家に生まれた新渡戸稲造は、幼少よりかかりつけの医者から英語を学んだと言われている。
しかし、本格的に英語を学び始めたのは、9歳で入学した築地英学校時代のことである。外国人講師の指導のもとで毎日2時間学習したという。
めきめきと力をつけた新渡戸稲造は、11歳になると東京外国語学校(現・東京外国語大学)へ入学した。4年間、数学、地理、歴史などを英語で学んだ。

15歳を迎えたとき、「少年よ、大志を抱け」で有名なクラーク博士が教鞭をとっていた札幌農学校に入学した。
(札幌農学校の同期には、内村鑑三、宮部金吾らがいた。新渡戸が宮部金吾に宛てた直筆の英文の書簡が残っており、写真が掲載してある)
やはり、札幌農学校でも、ほとんどの教授は外国人であった。テキストも英語である。
(開国間もない当時は、西洋式の高等教育を授けることのできる日本人教師、日本語の教材が不足していた。英語のテキストを用いながら外国人が教えるといったことは、その時代にあってはやむを得ぬことだった)

ところで、英語漬けの毎日を過ごしていれば、英語力が上がるのは当然のことのように思えるが、それに対応するためには、大変な努力が必要だった。こんな逸話がある。
あるとき勉学に励んでいた新渡戸は睡魔に襲われる。そのとき新渡戸は井戸端まで駆け寄り、水を浴びて睡魔を払い、勉強を続けたという。

新渡戸が実践した英語学習法の一つに「多読」がある。
英語の本をとにかく大量に読みあさった新渡戸は、目を患ったほどだが、これにより速読力がつき、日本語の本より英語の本の方が読みやすくなるまでに至ったようだ。
18歳のときには、トマス・カーライル著『衣服哲学』をすらすらと読みこなしたという。驚きである。
また、一度習った単語は日常生活で使用したり、口癖のように繰り返し暗唱するなどして、忘れないように努めた。
こうした努力と英語漬けの環境により、後年世界を舞台に活躍できるほどの英語力を身につけた。
(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、38頁~40頁)

このように、英語学習法の一つ「多読」を実践して、速読力がついたというエピソードは大いに参考となろう。

新渡戸稲造の名著『Bushido』について


新渡戸稲造の名著『Bushido』は、「武士道」を体系立てて英文を著し、欧米人に大反響を巻き起こした。
「武士道」は、封建制度を母として生まれた、わが国特有の道徳観であるとされる。正義を求め、名誉を重んじ、節制と恥の観念を大切にした武士道の考えは、封建の世が去った後も、宗教教育のない日本人の精神的ルーツとして存在し続ける。いわば、日本人の精神的バックグランドである。

100年前、武士道の内容を英語で出版できる日本人がいたことは我々の誇りである。
心血を注いで英語を習得した新渡戸の姿勢は、まさに武士道そのものといえる。新渡戸は、格調高く厳かに、そして何よりも正確に日本人の心を伝えようとした。その気概は、原文でなければ味わうことはできないと主張する人もいるくらいである。

新渡戸稲造の『Bushido』は、初版が発行された20世紀初頭、米国の第26代大統領セオドア・ルーズベルトも大変感銘をうけた。本を大量に買って子供や友人のほか、陸軍士官学校や海軍兵学校の生徒にも薦めたという。
そして、あの発明王エジソンも『Bushido』に、大いに啓発されたと伝えられる。

ともあれ、『Bushido』は、英文のほかにドイツ語・フランス語・ロシア語など数カ国語に翻訳され、欧米の知識階級が日本人のメンタリティーを理解することに貢献した。
(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、2頁~3頁)

武士道は日本の象徴である桜と同様に我が国固有の華である


それでは、実際に新渡戸稲造の書いた『Bushido』の英文を読んでみよう。
Chivalry is a flower no less indigenous to the
soil of Japan than its emblem, the cherry
blossom; nor is it a dried-up specimen of an
antique virtue preserved in the herbarium of our
history.
It is still a living object of power and beauty
among us; and if it assumes no tangible shape or
form, it not the less scents the moral atmosphere,
and makes us aware that we are still under its
potent spell.

<英単語>
・chivalry 騎士道精神
・indigenous 固有の
・specimen 見本
・herbarium 植物標本集
・tangible 具体的な
・scent におわす
・potent 強い
・spell  魅力

<英文の読み方>
・前半は、no less ~ than…「…と同じく~」を使い、Chivalry(武士道)とits emblem, the cherry
blossom(日本の象徴である桜)を比較する文。
・後半は、否定語nor(また~でもない)を文頭に置いた倒置の文。
・ itはchivalryを指す。過去分詞preserved in the herbarium of our historyまでが前の名詞 a dried-up specimen of an antique virtueを説明している。

・if節は譲歩(たとえ~でも)を表す。 
・not the lessは挿入句で「それでもなお、やはり」の意味。
・この文中に出てくるit(its)はすべてchivalry(武士道)を指す。

<訳文>
武士道は日本の象徴である桜の花と同様に、わが国固有の華である。歴史の標本の中に収められた、干からびた押し花のように古めかしい道徳ではなく、今でも力と美の対象として、武士道は私たちの中にあり続けている。それは具体的な姿形をとってはいないものの、道徳の雰囲気を今も漂わせており、私たちは今だに、それに強く引きつけられていることに気づく。
「第1章 道徳の体系としての武士道」より

(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、18頁~19頁)

武士道とは心に刻み込まれた道徳上の掟である


Bushido, then, is the code of moral
principles which the knights were required
or instructed to observe.
It is not a written code; at best it consists of a
few maxims handed down from mouth to mouth
or coming from the pen of some well-known
warrior or savant.

<英単語>
・code 掟
・observe 従う
・maxim 格言
・savant 学者

<英文の読み方>
・主語はBushido、述語はis。thenは「そういうわけで」の意で挿入されている。
・そのあとに続くwhich the knights were required or instructed to observeは前のthe code of moral
principlesを説明している。to observe(従うことを)は、were required と(were)instructedの両方にかかる。

・ItはBushidoを指す。このページに出てくる文中のitはすべてBushido。
・at bestからの文の切れ目は、次のようになる。
at best /it consists of a few maxims /handed down from mouth to mouth /or coming from the pen /of some well-known warrior or savant.
comingはmaximsにつながっている。

<訳文>
そのようなわけで、武士道とは道徳上の掟であり、武士はそれに従うよう教えられ、実践を求められた。
武士道は成文化された掟ではなく、口伝えや、ある有名な武士や学者が書き留めた格言といった程度のものである。
「第1章 道徳の体系としての武士道」より

(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、22頁~23頁)

武士道とは心に刻み込まれた道徳上の掟である


Valour, Fortitude, Bravery, Fearlessness,
Courage, being the qualities of soul which
appeal most easily to juvenile minds, and which
can be trained by exercise and example, were, so
to speak, the most popular virtues, early
emulated among the youth.

<英単語>
・fortitude 気丈さ
・juvenile 少年の
・emulate まねる

<英文の読み方>
・2つのwhich は関係代名詞で、ともにthe qualities of soulにかかる。

<訳文>
勇猛、気丈、勇敢、大胆、勇気などは幼い武士たちに最も受け入れられやすい資質で、手本に倣えば養成できる、言わば、徳の中でも最も身近なものであった。
「第4章 勇気、勇敢と忍耐の精神」より

(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、56頁~57頁)


礼儀は、他人への配慮から生まれる奥ゆかしい思いやりである


 For propriety, springing as it does from
motives of benevolence and modesty, and
actuated by tender feelings toward the
sensibilities of others, is ever a graceful
expression of sympathy. (中略)
In America, when you make a gift, you sing its
praises to the recipient; in Japan we depreciate or
slander it.

<英単語>
・propriety  礼儀正しさ
・spring 生まれる
・motive 動機
・actuate 動かす
・graceful 奥ゆかしい
・depreciate  軽視する
・slander  そしる

<英文の読み方>
・For~は前の文を受けて「というのは~」と理由を表す。主語はpropriety、述語は4行目のis。
・springingと、3行目のactuatedはともに主語proprietyにつながる。
・springing as it does from~のitはpropriety(礼儀)。
・asは「~なので」と理由を表す。強調するために動詞(spring)が前に出ている。
 本来の語順は、as it springs from~。doesはspringsの代わりに使われている語。
・its、itはともにa giftを指す。

<訳文>
礼儀とは仁と謙遜から生まれるもので、他人への配慮の気持ちからにじみ出る、奥ゆかしい思いやりと言える。(中略)
贈り物をする際、アメリカ人は、その品物を絶賛して渡すのに対し、日本人はわざと軽視したり、つまらないもののように言う。
「第6章 礼儀」より

(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、76頁~77頁)

真実や誠実さを欠く礼儀は見せかけだけの茶番である


 The apotheosis of Sincerity to which
Confucius gives expression in the Doctrine
of the Mean, attributes to its transcendental
powers, almost identifying them with the Divine.
“Sincerity is the end and the beginning of all
things; without Sincerity there would be
nothing.”

<英単語>
・apotheosis 神聖視
・transcendental 超越した

<英文の読み方>
・The apotheosis ~the Meanまでが主部、述語は attributes。
・attributes to itsのitsはSincerityを指す。
・identifying themのthemはtranscendental powersを指す。
・without Sincerity there would be nothing.は仮定法の文。

<訳文>
孔子が『中庸』の中で誠実を賛美するのは、誠実を持つ超越した力のせいであり、孔子はその力をほとんど神と結びつけてこう語っている。
「すべては誠実に始まり誠実に終わる。誠実なくしては何も存在しない。」

「第7章 真実そして誠実」より

(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、86頁~87頁)

【文法の補足】


野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』(新興出版社啓林館、2017年)においても、「ifを使わない仮定法①:副詞(句)で仮定を表す」には次の例文があり、解説がなされていた。

Focus 157 ifを使わない仮定法①:副詞(句)で仮定を表す
1. Without your help, I would not be able to do this job.
あなたの助けがなければ、私はこの仕事ができないだろう
(野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』新興出版社啓林館、2017年、278頁)

【野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』はこちらから】

Vision Quest 総合英語 2nd Edition




洞察力のある人なら、富の構築と名誉がイコールでないことがわかるだろう


 Those who are well acquainted with our
history will remember that only a few years
after our treaty ports were opened to foreign
trade, feudalism was abolished, and when with it
the samurai’s fiefs were taken and bonds issued to
them in compensation, they were given liberty to
invest them in mercantile transactions.

<英単語>
・fief 領地
・bond 公債
・compensation 報酬
・mercantile 商業の
・transaction 取引

<英文の読み方>
・those who~は「~する人々」を表し、our historyまでが主部となる。
・when with it(それと時を同じくして)のitは前で述べた「封建制度の廃止」を指す。

<訳文>
わが国の歴史に精通している者ならば、開港からわずか数年で封建制度が廃止された事実を記憶しておられるだろう。それと時を同じくして、武士は領地を取り上げられ、見返りに公債が発行され、それを商業の取引に投資する自由が与えられた。
「第7章 真実そして誠実」より

(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、88頁~89頁)

武士道では、家族全体と個々の利害は完全に一体であり、分けられない


 The individualism of the West, which
recognises separate interests for father and
son, husband and wife, necessarily brings into
strong relief the duties owed by one to the other;
but Bushido held that the interest of the family
and of the members thereof is intact, - one and
inseparable.

<英単語>
・individualism 個人主義
・interest 利害関係
・relief 強調
・owe 負うている
・thereof それゆえに
・intact 完全な
・inseparable 分けることができない

<英文の読み方>
・to the other;までの文の主部は、The individualism of the West, which recognises separate interests for father and son, husband and wife、述語はbrings。
・whichはThe individualism of the Westを指し、「そして、西洋の個人主義とは…」と説明を加えている。
・bring into strong relief~で「~を際立たせる」という意。
・過去分詞owed by one to the otherまでは前のthe duties(義務)にかかる。
・後半but以下の文では、述語held(hold)は「主張する」の意で、「武士道は~ということを主張している」となる。

<訳文>
西洋の個人主義では、父と息子、夫と妻それぞれの利害を分けて考えるため、個人が他者に対して負う義務は明らかである。しかし、武士道では、家族全体と個々の利害は完全に一体であり、分けることができない。
「第9章 忠義」より

(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、106頁~107頁)

武士道では、家族全体と個々の利害は完全に一体であり、分けられない(その2)


 In his great history, Sanyo relates in touching
language the heart struggle of Shigemori
concerning his father’s rebellious conduct.
“If I be loyal , my father must be undone; if I
obey my father, my duty to my sovereign must
go amiss.” 
Poor Shigemori!
We see him afterward praying with all his soul
that kind Heaven may visit him with death, and that
he may be released from this world where it is
hard for purity and righteousness to dwell.
 Many a Shigemori has his heart torn by the
conflict between duty and affection.
Indeed, neither Shakespeare nor the Old
Testament itself contains an adequate rendering
of ko, our conception of filial piety, and yet in
such conflicts Bushido never wavered in its
choice of loyalty.

<英単語>
・rebellious 謀反の
・sovereign  君主
・amiss  具合悪く
・afterward 後に
・purity 清廉
・dwell 居住する
・torn tearの過去分詞。引き裂かれた
・conflict 葛藤
・neither ~nor… ~でもなければ、…でもない
・adequate  適切な
・render 敬意を表す
・waver ためらう

<英文の読み方>
・In his great history,~の文の述語はrelates(物語る)、目的語はthe heart。
・in touching languageは「感動的な言い回しで」を表す。
・<see+人+~ing>で「人が~している様子を見る」の意。
・that kind Heaven ~, and that he may~の2つのthat節がpraying(~を祈る)の目的語になっている。
・many a +単数形で「数多くの」を表す。

<訳文>
頼山陽は、歴史書の中で、平重盛が父の謀反に対して苦しむ様子を感動的な表現で次のように著している。
「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」。
哀れな重盛よ!
その後彼は、全身全霊を込めて祈り、死して天に召され、清廉、正義といったことが育ちにくいこの世から解放されるように願ったのである。
重盛と同じように義務と愛情のはざまで心を引き裂かれた人物はあまたいる。シェークスピア(ママ)にも旧約聖書にも、我々の持つ孝行という概念と合致するような教えはないのだが、こうした葛藤が起こったとき、武士道では忠義という教えに何の迷いも生じなかった。
「第9章 忠義」より

(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、108頁~111頁)

【文法の補足】


野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』(新興出版社啓林館、2017年)においても、「<知覚動詞+O+分詞>」には次の例文があり、解説がなされていた。
Focus 106 <知覚動詞+O+分詞>
 I saw Steve waiting for a bus.    私はスティーブがバスを待っているのを見かけた。
 (S)(V)(O)(C)
   ⇒Steve was waiting(スティーブが待っていた)
・see(見る)などの知覚動詞はSVOC(C=分詞)の形をとることができる。
 Cが現在分詞の場合、OとCの間には能動の関係がある。
・<see+O+現在分詞>の形で「Oが~しているのが見える」という意味を表す。
 Oと現在分詞との間には、「スティーブが待っている」という能動の関係がある。
(野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』新興出版社啓林館、2017年、190頁)

切腹は、腹を魂と愛情の中心だとする解剖学上の信念から来ている


 The French, in spite of the theory
propounded by one of their most
distinguished philosophers, Descartes, that the
soul is located in the pineal gland, still insist in
using the term ventre in a sense which, if
anatomically too vague, is nevertheless
physiologically significant.
Similarly, entrailles stands in their language for
affection and compassion.
Nor is such a belief mere superstition, being
more scientific than the general idea of making
the heart the centre of the feelings.

<英単語>
・propound  提唱する
・philosopher 哲学者
・Descartes デカルト
・pineal gland 松果腺
・ventre (フランス語)ヴァントル 腹部
・anatomically 解剖学上は
・vague 漠然とした
・physiologically 生理学上は
・similarly 同様に
・entrailles (フランス語)アントレイユ 腹部
・compassion 憐れみ
・superstition 迷信

<英文の読み方>
・The French, in spite of~の文の主語はThe French、述語はinsist。
・in spite of~で「~にもかかわらず」。
・Descartesのあとのthat節はthe theory(理論)の内容を表している。
・否定語norを文頭に置くことにより倒置の形となっている。
<訳文>
最も優れた哲学者の一人、デカルトが、「魂は松果腺にある」という理論を唱えたが、フランス人は今だに、解剖学上は非常に漠然としているが、生理学的には意味のあるヴァントル(腹部)という言葉を使っている。
同様に、アントレイユ(腹部)という言葉を愛情や憐れみという意味で使っている。
これは単なる迷信からではなく、心臓は感情の中心だからという一般的考えと比べると、より科学的な根拠に基づいている。
「第12章 切腹と敵討ち」より
(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、138頁~139頁)


【文法の補足】


野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』(新興出版社啓林館、2017年)においても、「that を使った同格」には次の例文があり、解説がなされていた。
Focus 182 that を使った同格
  He faced the fact that he would have to try again. 
もう一度挑戦しなければならないという事実に彼は直面した。
(野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』新興出版社啓林館、2017年、317頁)

また、野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』(新興出版社啓林館、2017年)においても、「否定語を文頭に置くことにより倒置の形となる場合」には次の例文があり、解説がなされていた。
Focus 175 強調のための倒置
1. Never have I seen such a beautiful sight. 
私はこれまで一度もこんなに美しい光景を見たことがありません。
2. Not a word did he say.   彼は一言も言わなかった。
【倒置】
・英語の語順は普通<主語+(助)動詞>だが、主語と(助)動詞の順序が逆になることがある。これを倒置という。

【否定を表す語句が文頭に出る】
1.never(一度も~ない、決して~ない)、rarely(めったに~ない)のような否定を表す副詞(句)を文頭に置き、否定の意味を強調することがある。
・このとき、その後は疑問文と同じ語順になる。
 (主に文語的な表現である。)
<例文>
・I have never seen such a beautiful sight.
 ①否定語句を文頭に
・Never have I seen such a beautiful sight. 
 ②<主語+動詞>の部分を疑問文の語順に

【倒置で使われる否定語句】
□ never      一度も[決して]~ない
□ little      まったく[ほとんど]~ない
□ hardly/scarcely  ほとんど~ない
□ seldom/rarely  めったに~ない
□ not only ~  ~だけではなく
□ not until …  …まで~ない
□ at no time  一度も~ない
□ on no account  決して~ない
□ under no circumstances どんな状況でも~ない

2.Focus 175の第2文のように、目的語が no, not, littleなどの否定語を伴って文頭に出た場合、疑問文と同じ語順になる。
・ He did not say a word.
→Not a word did he say.  (彼は一言も言わなかった。)
(O)  (疑問文の語順)

(野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』新興出版社啓林館、2017年、309頁)



もとはエリートの栄誉だった武士道は次第に全国民の志となった


 In manifold ways has Bushido filtered down
from the social class where it originated, and
acted as leaven among the masses, furnishing a
moral standard for the whole people.

<英単語>
・manifold 多種多様な
・filter だんだん知られてくる
・originate 源を発する
・leaven 酵母
・the masses 大衆
・furnish (必要なものを)供給する

<英文の読み方>
・倒置の文。主語はBushido、述語はhas filtered(浸透する)。
・where it originatedは前のthe social classにかかり、「それ(武士道)が生まれた武士階級」となる。
・actedの主語はBushido、furnishing~は「~をもたらし」という意味。

<訳文>
武士道は、最初にそれを生んだ武士階級から多種多様な方向に浸透していき、大衆の間で酵母の役割を果たしながら、すべての人々に道徳規範を示していった。
「第15章 武士道の影響」より

このように、武士道はすべての日本人の道徳規範となっていった。大衆は武士ほどの気高さにまで到達することはなかったものの、やがて武士道は大和魂という名で呼ばれ、日本人の民族精神を表すまでに浸透した。
(別冊宝島編集部編『「武士道」を原文で読む』宝島社、2006年、162頁~163頁)