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≪古文の読解と問題~藤井貞和『古文の読みかた』より≫

2024-02-29 19:00:01 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪古文の読解と問題~藤井貞和『古文の読みかた』より≫

【はじめに】


  今回のブログでは、引き続き、次の参考書をもとに、古文の読解と問題について見ておく。
〇藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]
 前回では、主語の省略という古文の特徴と文法事項を解説したので、今回は、「Ⅲ古文を読む」以降の項目を説明しておきたい。
 出典としては、『源氏物語』『紫式部日記』『かげろふ日記』である。
 そして、『徒然草』からの試験問題も添えておく。
 最後に、古文学習の目的と『源氏物語』の現代語訳について藤井貞和先生の考えをまとめられた「古文学習と現代語訳」について、紹介しておく。
 ところで、大河ドラマ「光る君へ」では、藤原道長の父である藤原兼家(段田安則)が権力をもった高級貴族として描かれている。
 藤井貞和先生も言及されているように、『かげろふ日記』(『蜻蛉日記』)の作者の夫にあたる人が、藤原兼家である。藤井先生は、高級貴族の当時の婚姻形態について解説しておられる。
 『蜻蛉日記』の作者はふつう藤原道綱(道長の異母兄、上地雄輔)の母とされる。藤原道綱母の実名は、紫式部同様に、伝えられていないので、大河ドラマでは「寧子(やすこ)」という名で、財前直見さんが演じていた。『蜻蛉日記』の作者であることも紹介されていた。
 周知のように、『蜻蛉日記』の題名は、「なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心地する、かげろふの日記といふべし」との記載に由来する。蜻蛉とは、空気が揺らめいて見える「陽炎」(かげろう)から名付けられた、儚くもか弱く美しい昆虫のことでもある。
 藤井先生は、『かげろふ日記』で道綱母と子どもとのエピソード的な話(飼っていた鷹について)を紹介しておられる。



【藤井貞和『古文の読みかた』はこちらから】

古文の読みかた (岩波ジュニア新書 76)






藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書
【目次】
はじめに
Ⅰ 古文を解く鍵
1 古文はどのように書かれているか
2 主語の省略
3 話し言葉としての敬語
4 最高敬語から悪態まで
5 丁寧の表現について
6 係り結びとは何だ
7 係り結びが流れるとき
8 助動詞のはなし――時に関する助動詞を中心に
9 人は推量によって生きる――推量の助動詞
10 助詞の役割

Ⅱ 古文の基礎知識
11 受身について――る・らる(1)
12 ”できない”ことの表現――る・らる(2)
13 使役と尊敬――す・さす・しむ(1)
14 助動詞による尊敬表現――す・さす・しむ(2)、る・らる(3)
15 尊敬表現のまとめ
16 謙譲表現のまとめ
17 敬語の実際――二方面敬語
18 「打消」の方法――助動詞「ず」など
19 希望の表現――まほし・たし
20 仮定(ば・とも・ども・その他)と仮想(まし)
21 推量の助動詞「らし」と「べし」
22 推量の「めり」と伝聞の「なり」
23 断定の助動詞「なり」と「たり」
24 比喩をめぐって――ごとし・やうなり
25 格助詞とは――「に」を中心に
26 接続助詞とその周辺
27 副助詞いろいろ
28 係助詞とその周辺(1) ――ぞ・こそ・なむ
29 係助詞とその周辺(2) ――や・か・は・も
30 終助詞、間投助詞、並立助詞

Ⅲ 古文を読む
31 説話文
32 事実談
33 寓話
34 物語文(1)
35 物語文(2)
36 日記文(1)
37 日記文(2)
38 万葉集
39 軍記物
40 批評文
41 徒然草(試験問題から)
42 古文学習と現代語訳
付編
さくいん
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、v頁~viii頁)




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・32 事実談~『源氏物語』(帚木の巻)より
・35 物語文(2)~『源氏物語』より
・36 日記文(1)~『かげろふ日記』より
・37 日記文(2)~『紫式部日記』より
・41 徒然草(試験問題から)
・42 古文学習と現代語訳





古文を読む 32 事実談


Ⅲ 古文を読む 32 事実談
〇つぎは事実談である。
 男たちが集まって、昔つきあっていた女のことを語りあう場面で、頭中将(とうのちゅうじょう)という人が語る体験談の一部。
 有名な「雨夜のしな定め」である。

 親もなく、いと心細げにて、さらば(a)この人こそはと、事にふれて思へるさまも、らう
たげなりき。かうのどけきにおだしくて、久しくまからざりしころ、この見たまふるわ
たりより、情けなくうたてあることをなん、さる便りありて、かすめ言はせたり(b)ける、
後にこそ聞きはべりしか。(『源氏物語』帚木の巻)

問一 傍線部(a)の「この人」とはだれですか。
問二 傍線部(b)の「ける」について、説明しなさい。

【現代語訳】
親もなく、じつに心細げな生活状態で、それならばこの人を頼みにしようと、何かに
つけて思っている様子も、かわいい感じだった。こんなに女がおとなしいことに安心し
て、長らく参らずにいたころ、こちらの、愚妻のあたりから、思いやりに欠けた、不快
なことですが、あるつてがあって、それとなく言わせてあったのだそうで、そのこと
をあとになって、聞きました。

※古文は、しばしば主語が省略される。
 とくにこれは談話であるから、どんどん主語は省略される。
 このはなしのなかで話題になっている人物は何人いるのか。
 話し手もいれて、三人である。
 なぜ話し手もいれるのかというと、事実談だからである。
 話し手の体験談であるから、当然、話し手は登場人物の一人になる。
 事実談であることは、助動詞「き」がたくさん使われていることによって知られる。
 「き」がたくさん使われているのに、一箇所だけ「けり」が使われているのは、なぜか。
 これが問二の問題である。
 
 親もなく、いと心細げにて、さらばこの人こそはと、事にふれて思へるさまも、らう
たげなりき。かうのどけきにおだしくて、久しくまからざりしころ、この見たまふるわ
たりより、情けなくうたてあることをなん、さる便りありて、かすめ言はせたり(b)ける、
後にこそ聞きはべりしか。

・先の文章で、助動詞「き」(連体形は「し」、已然形は「しか」)で、話し手の体験談であることを示している。
 「き」は、目撃した過去の事件を、たしかに見た、と証言する助動詞。

・「親もなく、じつに心細げな生活状態で、それならばこの人を頼みにしようと、何かに
つけて思っている様子も、かわいい感じだった」というのは、話し手の男(頭中将)が、女の様子をたしかに見て、それはかわいい感じだった、といっている。
 問一の「この人」はだれか、ということであるが、女が頼りにしたのはだれかといえば、話し手であるこの男以外にはありえない。(問一の答、頭中将)

・問二の「ける」は、「き」「し」「しか」のなかにたった一つだけまじっている「けり」(の連体形)である。
 「き」「し」「しか」は目撃したことをあらわす。
 それにたいして、「けり」は、目撃していなかったことがらをあらわす。
 つまり、男の本妻のほうから、新しい女へ、脅迫やいやがらせがあったことを、男は、知らなかったのである。
 知らなかったから、「けり」でそのことをあらわした。
 あとから知ったので、そのときは知らなかったのだから、伝承をあらわす「けり」をここだけ使うのは当然である。
 問二の説明は以上になる。

※このように、「き」と「けり」とは、はっきり使い分けられていた。
 なお、「この見たまふるわたり」は、男の本妻のことをさしている。
 「たまふ」(下二段)は謙譲をあらわす語で、自分の妻のことであるから、へりくだって言った。

〇先の本文には、いくつも形容詞や形容動詞とが出てきている。
<形容詞>
・なく→なし 久しく→久し のどけき→のどけし (情け)なく→なし おだしく→おだし
<形容動詞>
・心細げに→心細げなり らうたげなり→らうたげなり
※形容詞も形容動詞も、活用する語であるから、本文のなかでは、かならずなんらかの活用形としてあらわれる。
 →の右は終止形であるが、終止形もまた活用されている状態をいうのであるから、厳密にいうと、「なし」「のどけし」「心細げなり」という言いきりのかたちは、英語の不定詞にあたるものと言うべきであろう。
 活用の種類に、形容詞はク活用とシク活とがあり、形容動詞はナリ活用とタリ活用とがある。
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、156頁~159頁)

物語文(2)『源氏物語』


〇35 物語文(2)『源氏物語』
光源氏が紫上と出会って、彼女を盗む、という『源氏物語』若紫の巻をひらくことにする。

※姫君を盗む、とは、男の境遇や身分と、女の境遇や身分とが、格段の差のある場合に成立する結婚形態で、物語のなかでは非常に好んで使われたようだ。
 例の光源氏が、少女の紫上(むらさきのうえ)をつれ出した(『源氏物語』若紫の巻)というのもそれで、四年後、光源氏は紫上と結婚し、生涯をともにすることになった。
 女にそれなりの後見(うしろみ)や経済力があれば、盗みという結婚は成立する必要がなく、通い婚や住みという結婚形態をとったり、男が家を経営して女を迎えたりするのがふつうのことであった。(167頁)

紫上をはじめて見かける、きわめて有名な箇所であるが、このような有名な箇所こそ、じっくり読んでほしいという。

 清げなる大人二人ばかり、さては童べぞ出で入り遊ぶ。中に、十ばかりにやあらむと
見えて、白き衣、山吹などのなえたる着て、走り来たる女子、あまた見えつる子どもに
似るべうもあらず、いみじう生ひ先見えて(a) うつくしげなるかたちなり。髪は扇をひろげ
たるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。
(尼君)「何ごとぞや。童べと腹立ちたまへるか。」とて、尼君の見上げたるに、(b)すこし
おぼえたるところあれば、子なめりと見たまふ。(紫上)「雀の子を(c)いぬきが逃がしつる。
伏籠のうちに籠めたりつるものを。」とて、いと口惜しと思へり。このゐたる大人、「例
の、心なしの、(d)かかるわざをして、さいなまるるこそ、いと心づきなけれ。いづ方へか
まかりぬる。いとをかしうやうやうなりつるものを。(e)烏などもこそ見つくれ。」とて立
ちてゆく。
(中略)
 尼君、「(f)いで、あな幼や。言ふかひなうものしたまふかな。おのがかく今日明日にお
ぼゆる命をば、何とも思したらで、雀慕ひたまふほどよ。罪得ることぞと常に聞こゆる
を、心憂く。」とて、「(g)こちや」と言へば、ついゐたり。  (『源氏物語』若紫の巻)

問 傍線部(a)~(g)を現代語訳しなさい。
(a) いかにもかわいらしい顔だちである。
 ・「うつくし」は「かわいらしい」、「うつくしげなり」は「いかにもかわいらしい」」という感じである。
 ・「かたち」は主に容貌について言う。

(b) すこし似ているところがあるので、子であろうとご覧になる。
 ・「おぼゆ」に注意する。「子であろう」というのはあくまでのぞき見している光源氏の判断で、本当は孫娘なのであった。

(c) いぬきが逃がしちゃったの。
 ・「いぬきが逃がしつる」の「つる」は連体形。
  これは連体形止めの言いかたによって、余情を出しているところ。
 ・このあとの「いづ方へかまかりぬる」の「ぬる」は、「いづ方へか」と呼応した連体形止めで、「どこへ(今ごろ)行ってしまっているのか」と言っている。

(d) こんな不始末をして、わたしたちが責められるのは、ほんとにいやなことだわ。
 ・さいなまれるのは、(1)いぬき、 (2)大人たち、のいずれとも考えられるところだが、いちおう、大人たちとみた。

(e) 烏なんかが見つけでもしたら大変です。

(f) まあ、なんと幼いことを。
 ・「いで」も「あな」も感動詞。「あな」に続く形容詞は語幹だけになり、「幼(をさな)」となる。
 ・シク活用の形容詞は、例えば「うらやまし」は、そのまま語幹だから、「あなうらやまし」と言う。「幼し」はク活用の形容詞。

(g) 「こちらへ」と言うと、女の子は膝をついてすわっている。
 ・「ついゐる」は、「つきゐる」が音便化したもの。

【登場人物】
・登場人物を整理しておくと、まずこの場面をのぞき込んでいる光源氏がいる。
 光源氏が視点人物である。
 場面には、大人(成人の女房のこと)が二人、「童べ」(女の子)が何人か、それに幼い紫上
と紫上のおばあさんにあたる尼君、以上がいる。
・紫上は「十ばかりにやあらむ」(十歳ぐらいであろうか)と書かれているが、あくまでのぞき見している光源氏から見た第一印象だから、ほんとうの年齢をあらわしているかどうかはわからない。

(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、167頁、168頁~171頁)

36日記文(1)~『かげろふ日記』より


〇36日記文(1)『かげろふ日記』
日記文学からの例文。
・平安時代の日記文学といえば、女性が、じぶんの生涯を回想して書いたものを主にさす。
 この日記の書き手である女性には、十四、五歳の男の子が一人いる。
 夫は思うようにたずねてきてくれない。
 この男の子は鷹をだいじに飼っているが、その鷹をどうしたのだろうか。
(さきの幼い紫上(『源氏物語』若紫の巻)は、雀が逃げたといって大さわぎしていた)

 つくづくと思ひつづくることは、なほいかで心として死にもしにしがな、と思ふより
ほかのこともなきを、ただこのひとりある人を思ふにぞ、いとかなしき。(a)人となして、
うしろやすからん女に預けてこそ、死にも心安からんとは思ひしか。いかなる心地して、
さすらへんずらんと思ふに、なほいと死にがたし。「いかがはせん。(b)かたちをかへて、
世を思ひはなるやと、心みん。」とかたらへば、まだ深くもあらぬなれど、いみじう、
さくりもよよと泣きて、「さなりたまはば、まろも法師になりてこそあらめ、なにせん
にかは、世にもまじろはん。」とて、いみじくよよと泣けば、われもせきあへねど、い
みじさに、たはぶれに言ひなさんとて、「(c)さて鷹飼はでは、いかがしたまはむずる。」と
いひたれば、やをら立ち走りて、しすゑたる鷹を、握りはなちつ。
                              (『かげろふ日記』中)

問一 傍線部(a)の内容を説明しなさい。
問二 傍線部(b)「かたちをかへて」は、どういうことを指しますか。
問三 傍線部(c)について、この日記の書き手は、子どもに、なぜこのようなことを言ったのですか。

【解説】
・『かげろふ日記』の作者の夫にあたる人は、藤原兼家(かねいえ)という当時の高級貴族。
 まず、高級貴族はなぜ妻を何人も持っていたか、説明している。
 高級貴族の男は、A女と結婚し、その女のもとに通う。A女は懐妊し、出産する。つぎにB女と結婚し、その女のもとにも通う。B女は懐妊し、出産する。するとC女と結婚し、その女のもとにも通う。C女は懐妊し、出産する……。模式的にいうと、こんな感じだった。
 高級貴族の男としては、次期政権を担当する勢力を身につけるために、できるだけたくさんの子女が欲しい。そのために、多くの女性を妻として、子どもを生ませようとする。A女もB女もC女も、正式の妻だった。懐妊や出産を見とどけてから新しい女性関係をつくり出す、というのがルールのようだった。

・『かげろふ日記』の作者が、藤原兼家と結婚したとき、兼家にはすでに子どもの何人もいる時姫という先妻がいた。
 でも『かげろふ日記』の作者は、美貌だったようだし、子どもは男の子一人(道綱)しかできなかったけれども、子どものあるなし、多い少ないは正妻レースの必要条件でもなかったらしくて、男に迎えいれられる可能性はいちおう彼女にもあった。
 実際は、藤原道長など優秀な人材をたくさん生んだ先妻の時姫がレースのトップを走りつづけ、『かげろふ日記』の作者は(他の女性たちとともに)敗色濃くなっていく。
 つまり、兼家は、だんだん通ってこなくなり、道綱一人をかかえて、彼女の苦悩は深くなる一方である。死んでしまいたい、と思ったり、尼になろうかしら、と考えたりするようになる。
先の本文はそんな苦悩する彼女をめぐる一エピソードである。

・傍線部(a)は、死んでしまいたい、と思う『かげろふ日記』の作者が、あとにのこすことになる道綱のことを心配するところで、「人となして」とは、元服させ、成人にして、ということである。
 「うしろやすからん女に預けて」という表現は、バックのしっかりした女性を配偶者にして、それに道綱の身柄を託して、ということであるが、面白い表現だと思う。
 結婚は、男にとって、女が拠り所であった、という一面をこの表現は語っている。
 傍線部(a)の現代語訳を施しておこう。
「道綱を成人させて、バックの安定しているような女に託してはじめて、死んでも安心であろう、とは思った」

・傍線部(b)「かたちをかへて」は、出家すること。女性であるから、尼になること。

・傍線部(c)は、母親が「尼になる」というと、子どももまた、「それならぼくも法師になろう」という、そのいじらしさに耐えられなくて、冗談のようなことをあえて言おうと、「もし出家したら鷹を飼うことはできないが」ということを前提にして、「法師になって鷹を飼わないとして、あなたはどうなさるおつもりですか(がまんできますか)」と聞いているところである。
 母が子に敬語を使っているが、不思議ではない。
 道綱は、出家のときの妨げにならないように、飼っている鷹を放してしまった。
 そんなに急いで放してやらなくてもいいのに、いじらしいことである。
 (藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、172頁~175頁)

37 日記文(2)~『紫式部日記』より


〇37 日記文(2) ~『紫式部日記』より

日記文学から。
紫式部は、中宮彰子(しょうし)のお座所から退出する途中、ひょいと弁の宰相の君という女房の部屋をのぞいて、彼女の寝姿を見てしまう。

 上より下るる道に、弁の宰相の君の戸口をさしのぞきたれば、昼寝し給へるほどなり
けり。萩・紫苑、いろいろの衣に、濃きが打ちめ心ことなるを上に着て、顔は引きいれ
て、硯の筥に枕して伏し給へる額つき、いとらうたげになまめかし。絵に描きたる物の
姫君の心地すれば、口おほひを引きやりて、「物語の女の心地もし給へるかな。」といふ
に、見あげて、(a)「もの狂ほしの御さまや。寝たる人を、心なくおどろかすものか。」とて、
すこし起きあがり給へる顔の、うち赤み給へるなど、こまかにをかしうこそ侍りしか。
おほかたもよき人の、をりからに、またこよなくまさるわざなりけり。(『紫式部日記』)

問一 紫式部はなぜ弁の宰相の君を起こしたのでしょうか。思うところを、三百字以内の
文章にしなさい。
問二 傍線部(a)を口語訳しなさい。

※紫式部は、『源氏物語』の作者である。
 物語の作者の名は、ふつう、わからないが、『源氏物語』の場合、幸いなことに、紫式部がその大部分を書いたことが知られていて、そればかりか彼女は『紫式部日記』という貴重な日記文学をのこしてくれた。

問一は、なぜ弁の宰相の君(宰相の君)を起こしたのか、という問題である。
 どう答えたらいいのだろうか?
 「思うところを、三百字以内の文章にしなさい」という作文ふうの問題になっている。
 こういう問題を、愚問であると批判する人がいる。つまり、ぴったと一つの答えを出せないような問いを、作文ふうの設問にしているのはおかしい、あるいは、「思うところを」書け、というのだから、どう書いてもよく、したがって採点などできないはずだ、という批判である。
 その批判はあたっているだろうか?
 数学では、ある範囲をあらわせ、という問題がある。領域を示せ、という問題である。
 答えが計算題のように一つないし数個出てくることもあるが、その一方、答えが無数にあってそれを広がりとしてとらえればよい、という問題もある。その場合はどうするか。あてはまる条件を数えていって、限定できる範囲をあらわせばよい。
 国語の問題には、ぴたっと答えを一つに出せないのや、「思うところを」書け、という作文ふうの問題がしばしばあるが、数学でいえば広がりを求めている、範囲の問題である。かなり慎重に計算しなければならない。数学における計算力にあたるものが、国語における作文力である。思うところをはっきりと表現できる力が作文力であるという。

 問一の、あてはまる条件を数えてみよう。
 まず宰相の君はどのような寝姿だったか。萩とか紫苑とかいうのはすべて重ねの色目(いろめ)である。さまざまな色を重ねた袿(うちぎ)を着て、上には濃紅色のとくに光沢の美しい打衣(うちぎぬ)をつけ、その中にうずもれるように顔を引きいれて、硯筥(すずりばこ)を枕に仮眠している。額ばかりが見える。美しく着飾った女性の、はっとする美しさである。その寝姿を「いとらうたげになまめかし」と表現している。
 その寝姿を見たとき、紫式部は何と思ったか。これがつぎの条件である。
 「絵に描きたる物の姫君の心地」がした、という。「物語の女の心地もし給へるかな」とも、はっきり言っている。つまり「絵に描きたる物の姫君」とは、「物語の女」と同じであることを見ぬいてほしい。当時の物語は、よく絵本になっていた。宰相の君は物語絵本に描かれる美しい姫君にそっくりだったのである。寝姿を見たとき、物語絵本からぬけ出してきた姫君かと思って、はっとした、というのである。
 第三の条件として、紫式部が『源氏物語』という物語の作り手であることを、ぜひ思いおこしておこう。
 第四の条件は、起こされた宰相の君が、紫式部のことを「もの狂ほしの御さまや」と言っているので、よほど紫式部の行動が異常な感じのものであったことに注意する。

(問一の解答例)
弁の宰相の君の盛装したままで仮眠する姿は、いかにもあいらしげで、はっとする美しさを持っていた。紫式部は、それを見た瞬間、物語絵本からぬけ出てきた姫君かと思わずにはいられなかったのである。物語作者として、そのような美しさは、物語のなかにこそ苦心して描かれるものであった。その物語的な美しさに、現実において出会った瞬間の異常ともいえる興奮を、ここに読みとることができる。もしかしたら紫式部は、物語のなかに描かれるべき美しさが現実に存在することを、許せず、激しく拒否したかったのかもしれない。そのような、あってはならない現実を壊そうとして、宰相の君を乱暴に起こしてしまったのではなかろうか。
(291字)
※この答案は、解答者の意見を前面に出した一例である。10点満点の8点ぐらいか。満点をとる必要はないとも著者はいう。

問二の口語訳は、現代語訳と同じことである。
 「物狂いのような御様子だわ。寝ている人を思いやりなく起こすなんて。」
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、176頁~179頁)

41 徒然草(試験問題から)


41 徒然草(試験問題から)
〇昭和59年度の共通一次試験から、古文の問題をかかげておく。

・次の文章を読んで、後の問い(問一~六)に答えよ。(配点 30)
 世には、心得ぬ事の多き(ア)なり。ともある毎には、まづ、酒を勧めて、強ひ飲ませたる
を興とする事、いか(イ)なる故とも心得ず。飲む人の、顔いと堪へ難げに眉をひそめ、人目
を測りて捨てんとし、逃げんとするを、捉へて引き止めて、(a)すずろに飲ませつれば、う
るはしき人も、忽ちに狂人となりてをこがましく、息災(ウ) なる人も、目の前に大事の病者
と(エ) なりて、前後も知らず倒れ伏す。祝ふべき日などは、(b)あさましかりぬべし。明くる日
まで頭痛く、物食はず、によひ臥し、生をへだてたるやうにして、昨日の事覚えず、公・
私の大事を欠きて、煩ひとなる。人をしてかかる目を見する事、慈悲もなく、礼儀にも
背けり。かく辛き目に逢ひたらん人、ねたく、口惜しと思はざらんや。人の国にかかる
習ひあ(オ) なりと、これらになき人言にて伝へ聞きたらんは、あやしく、不思議に覚えぬべ
し。
 人の上にて見たるだに、心憂し。思ひ入りたるさまに、(c)心にくしと見し人も、思ふ所
なく笑ひののしり、詞多く、烏帽子ゆがみ、紐外し、脛高く掲げて、用意なき気色、日
来の人とも覚えず。女は額髪晴れらかに搔きやり、まばゆからず顔うちささげてうち笑
ひ、盃持てる手に取り付き、よからぬ人は、肴取りて、口にさし当て、自らも食ひた
る、様あし。声の限り出だして、おのおの歌ひ舞ひ、年老いたる法師召し出だされて、
黒く穢き身を肩脱ぎて、目も当てられずすぢりたるを、興じ見る人さへうとましく、憎
し。或はまた、(d)我が身いみじき事ども、かたはらいたく言ひ聞かせ、或は酔ひ泣きし、
下ざまの人は、罵り合ひ、争ひて、あさましく、恐ろし。恥ぢがましく、心憂き事のみ
ありて、果ては、許さぬ物ども押し取りて、縁より落ち、馬・車より落ちて、過ちしつ。
物にも乗らぬ際は、大路をよろぼひ行きて、築泥・門の下などに向きて、えも言はぬ事
どもし散らし、年老い、袈裟掛けたる法師の、小童の肩を押さへて、(e)聞こえぬ事ども言
ひつつよろめきたる、いとかはゆし。
 かくうとましと思ふものなれど、(f)おのづから捨て難き折もあるべし。月の夜、雪の朝、
花の本にても、心長閑に物語して、盃出だしたる、万の興を添ふるわざなり。つれづれ
なる日、思ひの外に友の入り来て、とり行ひたるも、心慰む。馴れなれしからぬあたり
の御簾のうちより、御果物・御酒など、よきやうなる気はひしてさし出だされたる、い
とよし。冬、狭き所にて、火にて物煎りなどして、へだてなきどちさし向かひて、多く
飲みたる、いとをかし。旅の仮屋、野山などにて、「(g)御肴何がな。」など言ひて、芝の上
にて飲みたるもをかし。(h)いたう痛む人の、強ひられて少し飲みたるも、いとよし。よき
人の、とり分きて、「今ひとつ。上少なし。」などのたまはせたるもうれし。近づかまほ
しき人の、上戸は、ひしひしと馴れぬる、またうれし。
 さは言へど、上戸は、をかしく、罪許さるる者なり。酔ひくたびれて朝寝したる所を、
主の引き開けたるに、惑ひて、惚れたる顔ながら、細き髻差し出だし、物も着あへず
抱き持ち、ひきしろひて逃ぐる、搔取姿の後ろ手、毛生ひたる細脛のほど、をかしく、
つきづきし。

(注)〇によひ臥す――うめきながら横たわること。〇すぢる――身をくねらせること。
 〇搔取姿の後ろ手――裾をちょっとたくしあげたうしろ姿。


問一 傍線部(a) (b) (e) (f) (g)の語句の意味として最も適切なものを、次の各群の①~⑤のうちから、それぞれ一つ選べ。
(a) すずろに
①むやみやたらに
②落ち着きがなく
③ひとごとだと思って
④何度も何度も
⑤思いがけない折に

(b) あさましかりぬべし
①自分でもおかしい姿と思うにちがいない
②たぶんなさけない思いだったろう
③きっとみっともないことになりそうだ
④ひょっとするとあきれたことになりそうだ
⑤さだめし嘆かわしいことであったろう

(e) 聞こえぬ事ども言ひつつ
①口の中でぶつぶつと小さな声で言いながら
②わけの分からぬことを言いながら
③よく聞こえないぞなどと言いながら
④うわさに聞いたことを声高に言いながら
⑤宴席で言上したことをくどくどと言いながら

(f) おのづから
①万一
②自分から
③いつのまにか
④時には
⑤考えようでは

(g) 御肴何がな
①酒の肴は何があるか
②酒の肴が何かほしいなあ
③酒の肴など何でもいい
④酒の肴が何もないのか
⑤酒の肴は何がいいだろう

問二 傍線部(ア)~(オ)の「なり」「なる」のうち、次の【例文】の「なる」と同じ用法のものはどれか。次の①~⑤のうちから、一つ選べ。
【例文】竹取泣く泣く申す、「この十五日になむ、月の都よりかぐや姫の迎へにまうで来なる。」
(「竹取物語」)
①多き(ア)なり ②いか(イ)なる ③息災(ウ)なる ④病者と(エ)なり ⑤習ひあ(オ)なり

問三 傍線部(c)「心にくしと見し人も、思ふ所なく笑ひののしり、」の解釈として、次の①~⑤のうちから、最も適当なものを一つ選べ。
①圧倒されるほどすばらしいと思っていた人も、ばか笑いをしたり人の悪口を言ったりし、
②何となく虫が好かないと思っていた人も、遠慮会釈もなく大声で笑ったり騒ぎ立てたりし、
③立派な人だと思っていた人も、何の思慮もなくなり別人のように人を嘲笑したりし、
④しかつめらしく憎らしい人だと思っていた人も、気取りを捨てて大声で笑ったり罵り声をあげたりし、
⑤奥ゆかしいと思っていた人も、何の分別もなく笑ったり騒ぎ立てたりし、

問四 傍線部(d)「我が身いみじき事ども、かたはらいたく言ひ聞かせ、」の解釈として、次の①~⑤のうちから、最も適当なものを一つ選べ。
①自分の方で起こった風変わりな出来事を、おおげさに語って聞かせ、
②自分の不幸せな運命を、聞いている者がめいってしまうほどに語って聞かせ、
③自慢話を、聞いている者が聞き苦しく感じるほどに語って聞かせ、
④自分の事や世の中の変わった出来事を、こっけいに感じられるほどに語って聞かせ、
⑤聞き手自身のすぐれている点を、聞いていてつらくなるほどに語って聞かせ、

問五 傍線部(h)「いたう痛む人の、強ひられて少し飲みたるも、いとよし。」の解釈として、次の①~⑤のうちから、最も適当なものを一つ選べ。
①たいそう心を痛めている人が、うさばらしにと酒を強く勧められて、少しばかり飲んでみるのも、大変よいものだ。
②体の加減のひどく悪い人が、酒は百薬の長だからなどと勧められて、少し飲んでみる様子も、大変よいものだ。
③大変恐縮しきっていた人が、酒を強く勧められて少し飲み、次第にくつろいでゆくのも、大変よいものだ。
④日ごろ敬遠している相手から、酒を強く勧められて少し飲んで、次第にうちとけてゆく様子も、大変よいものだ。
⑤ふだん酒をひどく苦手にしている人が、時に人から強く勧められて少しばかり飲んでいる様子も、大変よいものだ。

問六 次の①~⑤は、本文について説明したものである。最も適当なものを一つ選べ。
①費やしている文章の量は前二段に多く、「あさまし」「心憂し」などにもうかがえるように、酒の害を説くところに全体の主題があらわれている。
②第二段落末の形容詞「かはゆし」は、酒の徳を説く第三段落の内容とも通じ合い、前半と後半とをつなぐものになっている。
③第三段落冒頭に「……なれど、……もあるべし。」とあるように、酒の害と酒の徳とを合わせて説く筆者のかたくなでない姿勢がうかがえる。
④前半では「あさまし」「心憂し」などと酒の害を説いているが、「いとよし」「またうれし」などと酒の徳を説く後半に筆者の主張がある。
⑤「かくうとましと思ふものなれど」と始まる第三段落に対して、第四段落では「さは言へど」と再び逆接的に書き起こされ、酒の害を説く第一・第二段落の主張にもどっている。

以上が、問題文である。
『徒然草』(百七十五段)が出典となっている。



【解答】
※なぜそのような解答になるか、辞典を片手に、よく調べてみてほしいという。
問一 
(a) すずろに①
(b) あさましかりぬべし③
(e) 聞こえぬ事ども言ひつつ②
(f) おのづから④
(g) 御肴何がな②

問二 ⑤
問三 ⑤
問四 ③
問五 ⑤
問六 ③


【著者の補足】
〇『徒然草』について
・『徒然草』はすぐれた古文の入門書であるとともに、人生を見つめた軽妙な筆致が、どこを読んでもわれわれをとらえてはなさない。
 生涯の伴侶となるべき古典の一つである。
 古典の名にふさわしい書物とは、長く読まれつづけて、人生の意義をおしえ、また指針をあたえてくれるものことであろう。『徒然草』は古典のなかの古典である。

・人生の達人といってよい四十台の兼好法師の書いたこの古典の中の古典である『徒然草』は、若者がぜひ入門書としてひもとくべきものであるが、それで終わってはならないので、あくまで入門であり、準備を終えたというだけのことである。
 読者は成長しながら、二十台にも、三十台にも、そして四十台にも、『徒然草』をひもとくといい。読むたびに深まった読書体験をうることになろう。
・すぐれた古典入門書はと聞かれたら、古来読まれつづけてきた『徒然草』や『枕草子』を第一にあげることにためらいはない、と著者はいう。

・『徒然草』百七十五段は、酒の害とともに酒の興趣をも説いて、今日にもそのまま通用しそうな内容である。
 かなりの長文なので、問題文は一部が省略されている。それでも長文であるが、四つの段落ごとに、趣旨をよく読みとってほしい。
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、192頁~203頁)

42 古文学習と現代語訳


・昔の古文を現代人が読むということは、古文から現代への、一方的な交通、一方的な伝達にすぎないのだろうか?と著者は問いかけている。
 コミュニケーションという言葉と、その意味を、知っているはずである。
 伝達とは、このコミュニケーションのことなのである。
 communicationのcom-は、“お互いに”“共通の”ということを意味しているが、そのとおり、昔の古文がわれわれ現代人に伝達されるということは、けっして一方的におこなわれるのではなく、現代人からも積極的に古文にたいして、はたらきかけることによってはじめて成りたつ、コミュニケーションとしてある。
 古文と、現代人とが、対等に向きあい、対話する関係である、といったらいい。
 では、どのように現代人から古文へはたらきかけるのか?
 本書で重視してきた現代語訳(口語訳)は、その試みの一つであるという。
 古文が正確に理解できるということを、現代人が実際に紙と鉛筆とを使って証明する、それが現代語訳のしごとであるとする。



さて、『源氏物語』桐壺の巻の引用を、本書ではこのように訳文をあたえておいた。

【訳文】
中国にも、こうした発端からこそ、世も乱れてひどいことになったのだったと、だんだん、世間一般にも、おもしろからぬ厄介種(やっかいだね)になって、楊貴妃の例をも引き合いに出しかねないほどになってゆく事態に、まことにいたたまれない思いのすることが多くあるけれど、おそれ多い帝の御愛情のまたとないことを頼みにして、宮仕えなさる。

※ぎこちない訳文だが、正確さを優先させたと著者はいう。

・『源氏物語』は、与謝野晶子や谷崎潤一郎といった、近代の歌人や作家が、現代語訳を試みている。最近のものでは作家の円地文子(えんちふみこ)も現代語訳を完成させた。
(いずれも文庫本になっており、手にはいりやすくなっている)

・与謝野晶子の現代語訳を見ると、つぎのようになっている。
 唐の国でもこの種類の寵姫(ちょうき)、楊家の女(じょ)の出現によって乱が醸(かも)されたなどと蔭ではいわれる。今やこの女性が一天下の煩(わざわ)いだとされるに至った。馬
嵬(ばかい)の駅がいつ再現されるかもしれぬ。その人にとっては堪えがたいような苦しい雰囲気の中でも、ただ深い御愛情だけをたよりにして暮らしていた。
(『全訳 源氏物語』上、角川文庫、昭和46年版)

※なかなか流麗な、味わいの現代文になっているという。

・谷崎潤一郎のほうはどうか?
 唐土(もろこし)でもこういうことから世が乱れ、不吉な事件が起ったものですなどと取り沙汰をし、楊貴妃の例なども引合いに出しかねないようになって行きますので、更衣はひとしお辛いことが多いのですけれども、有難いおん情(なさけ)の世に類(たぐい)もなく深いのを頼みに存じ上げながら、御殿勤(ごてんづと)めをしておられます。
(『潤一郎訳源氏物語』一、中公文庫、昭和48年版)

※こちらは“です”“ます”調の文体になっているが、晶子訳にくらべて、『源氏物語』の本文にかなり忠実な訳文であることが、ざっと読んでみるだけで明らかだろう。
 晶子訳は大胆な意訳で、潤一郎訳はかなり忠実な意訳である。
 意訳であることには変わりはない。

※高等学校の教科書では、二年生ぐらいになると、『源氏物語』の一部を勉強する。
 桐壺の巻か、若紫の巻か、あるいは夕顔の巻かをおそわることになる。

☆もっとたくさん読みたいと思ったらどうするのか?
 『源氏物語』全体は五十四巻あるといわれている。その全部を読みたいと思ったらどうするか?
 与謝野晶子の訳した『源氏物語』を読んだらいい。あるいは、谷崎潤一郎の訳した『源氏物語』を読んでみるとよい。また円地文子の訳した『源氏物語』(新潮文庫に入っている)を読むのもいい。他にも現代語訳はある。
 晶子訳がいいか、潤一郎訳がいいか、文子訳がいいか、それはまったく好みの問題。
 いずれも、訳者が、精魂こめて『源氏物語』に取りくんだものであって、どの一つを取りあげても、『源氏物語』であることにちがいはない。
 くれぐれも、原文を読まなければ『源氏物語』を読んだことにはならない、などと思わないように、と著者はいう。現代語訳を読んでも、りっぱに『源氏物語』を読んだことになる。
 つまり、『源氏物語』の全体を読みたいと思って、すぐれた近代の歌人や作家の作った現代語訳を読んだことによって、現代人から古文の世界へ積極的にはたらきかけたのである。
 コミュニケーションを成しとげたことになるという。

・ただし、条件があるという。
 コミュニケーションは伝達であるから、媒介になるものがかならずある。
 その媒介物が、『源氏物語』の原文にほかならない。原文の実態をまったく知らないではすまされない。原文の一部を学ぶことによって、その実態をおおよそ理解できるようにしておきたい。必要があれば、現代語訳のもとになった原文に立ちかえって、たしかめることができるようにしておきたい、とする。
⇒これがわれわれの、古文を直接学習しようとする目的なのであると著者は強調している。

・晶子訳は大胆に意訳しており、原文にある敬語などを省略して、ダイナミックな『源氏物語』にした。潤一郎訳は、原文に忠実のようでも、ときに原文にない説明を加えるかと思うと、敬語はやはり省略したりして、現代人に読みやすい『源氏物語』にしている。
・原文の実態は敬語もあり、さまざまな助動詞や助詞の使いわけもあるので、われわれはひととおり学習して、古文の特徴をだいたい知る必要があるという。
 だから、皆さんの試みる現代語訳は、学習のためだから、ぎこちなくていいので、正確であることを心掛けてほしいと著者はいう。敬語を省略してはいけない。助動詞や助詞を訳し分けてほしい。
 
※本書は、「はじめに」でも述べたように、
Ⅰ 古文を解く鍵
Ⅱ 古文の基礎知識
Ⅲ 古文を読む
の三段階に分けて、その古文の特徴を、平易な叙述のなかにも、深く掘りさげて解説している。
敬語の理解につまずいたり、助動詞や助詞の訳し分けがわからなくなったら、該当するページに何度でも立ちもどって、研究してほしいという。
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、204頁~208頁)

≪古文の特徴と文法~藤井貞和『古文の読みかた』より≫

2024-02-27 19:00:01 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪古文の特徴と文法~藤井貞和『古文の読みかた』より≫
(2024年2月27日投稿)

【はじめに】


 今回のブログでは、次の参考書をもとに、古文の特徴と文法について解説してみたい。
〇藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]
 藤井貞和先生は、日本文学者、東京学芸大学教授、のち東京大学名誉教授である。

 古文を勉強していると、書いてあるはずの主語がよくわからなくなって、意味がとれなくなる、ということがある。それは、主語の省略によるものである。藤井先生によれば、古文において、主語が見えなくなっていることは、それが談話に近い文体であることの一つのあらわれにほかならないという。こうした古文の特徴について、詳しく解説されているのが本書である。
 その他、話し言葉としての敬語、丁寧の表現、係り結びが流れるとき、謙譲表現および文法事項について、主な項目を説明しておきたい。


【藤井貞和『古文の読みかた』はこちらから】

古文の読みかた (岩波ジュニア新書 76)









藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書
【目次】
はじめに
Ⅰ 古文を解く鍵
1 古文はどのように書かれているか
2 主語の省略
3 話し言葉としての敬語
4 最高敬語から悪態まで
5 丁寧の表現について
6 係り結びとは何だ
7 係り結びが流れるとき
8 助動詞のはなし――時に関する助動詞を中心に
9 人は推量によって生きる――推量の助動詞
10 助詞の役割

Ⅱ 古文の基礎知識
11 受身について――る・らる(1)
12 ”できない”ことの表現――る・らる(2)
13 使役と尊敬――す・さす・しむ(1)
14 助動詞による尊敬表現――す・さす・しむ(2)、る・らる(3)
15 尊敬表現のまとめ
16 謙譲表現のまとめ
17 敬語の実際――二方面敬語
18 「打消」の方法――助動詞「ず」など
19 希望の表現――まほし・たし
20 仮定(ば・とも・ども・その他)と仮想(まし)
21 推量の助動詞「らし」と「べし」
22 推量の「めり」と伝聞の「なり」
23 断定の助動詞「なり」と「たり」
24 比喩をめぐって――ごとし・やうなり
25 格助詞とは――「に」を中心に
26 接続助詞とその周辺
27 副助詞いろいろ
28 係助詞とその周辺(1) ――ぞ・こそ・なむ
29 係助詞とその周辺(2) ――や・か・は・も
30 終助詞、間投助詞、並立助詞

Ⅲ 古文を読む
31 説話文
32 事実談
33 寓話
34 物語文(1)
35 物語文(2)
36 日記文(1)
37 日記文(2)
38 万葉集
39 軍記物
40 批評文
41 徒然草(試験問題から)
42 古文学習と現代語訳
付編
さくいん
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、v頁~viii頁)





さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・主語の省略
・話し言葉としての敬語
・丁寧の表現について
・係り結びが流れるとき
・謙譲表現のまとめ
・係助詞とその周辺(1) ――ぞ・こそ・なむ
・係助詞とその周辺(2) ――や・か・は・も
・終助詞、間投助詞、並立助詞






主語の省略


〇2 主語の省略
・古文を勉強していると出会うことだが、書いてあるはずの主語がよくわからなくなって、意味がとれなくなる、ということがある。
 だれが、とか、何が、とかいうことを指示してくれる主語がわからなくなったら、大あわてである。
 よく探すと主語が書かれてある場合もあるけれども、多く、古文がよくわからなくなるのは、主語が書かれていないからである。

・主語が省略されるといっても、ある動作や状態の主体が存在しない、ということはけっしてない。
 「書きたまふ」という一文があると、だれが、という動作主(書くという動作の主体のこと)は、主語つまり表現された語句としてはあらわれていないけれども、「書きたまふ」という表現の背後に、ちゃんと存在している。
 こういうのを、主語が省略されている、という。

〇主語が省略されている場合には、二種類ある。
 ①簡単なケース
 ②複雑なケース

①主語の省略の簡単なケース
<例文>三河の国、八橋といふ所に至りぬ。(『伊勢物語』九段)
【訳文】
 三河の国(今の愛知県東部)、八橋という地にやって来た。

・「至りぬ」で止まっている一文であるが、だれが至ったかというのか、主語がない。
 でも、この一文の前後を見れば、動作主は明らかになる。
・ 昔、男ありけり。その男、身をえうなき者に思ひなして、京にはあらじ、東の方に住
むべき国求めにとて行きけり。もとより友とする人、一人二人して行きけり。道知れる
人もなくて、惑ひ行きけり。
三河の国、八橋といふ所に至りぬ。(『伊勢物語』九段)
【訳文】
 昔、男がおったということだ。その男は、自身を必要のない者であると思い込ませて、京におるわけにはいかないだろう、東国地方に住むことのできる国探しに、といって出かけたということだ。以前からの友人たち、一人二人といっしょに行ったということだ。道を知っている人もいなくて、迷いながら行ったということだ。
 三河の国(今の愛知県東部)、八橋という地にやって来た。

※教科書でよく見かける『伊勢物語』九段の冒頭である。
 最初の一文に、「男」がおったということだ、と物語全体の中心となる動作主を主語のかたちで示し、つぎの一文で、「その男」が東国に出かけたということだ、とこれも動作主を主語であらわす。
 ついで、友人たちといっしょに行ったということだ、とあって、「一人二人して行きけり」の動作主も、前の二文に出てきた「男」である。
⇒この文からあとは主語をいちいち「その男」とはいわない。
 いわなくてもわかるから、いう必要がない。必要がなければ省略されるのである。

・「三河の国、八橋といふ所に至りぬ」の主語は、あらわす必要がないから省略されている。 
 動作主は主人公の男である。

※いや、ちょっと待てよ、という人がいるかもしれない。
 友人たちと行動をともにしているのだから、動作主は、その男をもふくめた、ご一行様(いっこうさま)にしたほうがよくはないかな。なるほど。主語が省略されることによって、その省略された内容が、その男一人をさすか、友人をふくめた一行をさすか、広がりを生じてきた。どちらがいいと思うか。
 ※こうした、文の一部の省略によって内容がふくらみを生じることこそ、日本語の大きな特色なのだという。
 時と場合とによりけりだが、いまの例はその男一人とも、友人をふくめた一行とも、どちらにとってもかまわない。

 以上が、主語の省略の簡単なケースである。

②主語の省略の複雑なケース
・主語が、いくら探しても、文章のなかにまったく書かれていない、という場合が、主語の省略の複雑なケース。
 動詞があると、その動作主はかならずあるはず、いるはずだが、その動作主が文章のなかに主語として指示されていない場合がある。
 そういうケースはけっして少なくない。

<現代語の主語の省略>
 「書いてごらん。」A
 「書けないよ。」B
 現代語でも、このように主語の省略はあらわれる。
 AとBとは、それぞれ、動作主がだれであるかわからない。
 あえて主語を加えると、次のようになろう。
「(きみは)書いてごらん。」
 「(ぼくは)書けないよ。」
※しかし、会話文の実際に、「きみは書いてごらん」という言いまわしはありえない。
 なぜなら、「書いてごらん」というのは、相手に書くことをすすめる、一種の命令法だから、当然、主語は省略される。(英語と同じである)
 「書けないよ」も、強調なら「ぼくは書けないよ」ともいうが、ふつうなら「ぼくは」とわざわざいってもしようがない。これも当然省略される。

<現代語の主語の省略>
・次のような談話文もまったく同じことで、主語はあらわれない。
 あらわれなくても、困ることはない。
「まだお茶も差し上げておりませんのに、もうお帰りになるのですねえ。」
※お茶を差し上げるのはこの談話の話し手、お帰りになるのは談話の相手である。
 まぎれようがない。
 その話し手がだれか、相手がだれか、実体はわからないが、談話のなかではまったくそれを提示する必要がない。
 主語が省略されている、ということは、その文章が当事者の行為や相手の行為であることに深くかかわっている。



【古文の場合】
〇古文は、地の文といえども、きわめて談話に近い文体から成っている、といわれる。
 古文において、主語が見えなくなっていることは、それが談話に近い文体であることの一つのあらわれにほかならない。

<例文~『枕草子』の一節>
 まだ御格子は参らぬに、大殿油さしいでたれば、戸の開きたるがあらはなれば、琵琶
 の御琴をたたさまに持たせたまへり。
 (『枕草子』上の御局の御簾の前にて)
【現代語訳】
 まだお格子は下して差し上げていないときに、お部屋の明かりを差しだしますと、戸の開いているところが見通しなので、琵琶のお琴を立ててお持ちになっていらっしゃいます。

※中宮定子(清少納言がお仕えしている)のことを述べている段の一節である。
 談話の文体であることを見ぬいてほしい。
 古文は現代でいえば、すべて談話の文体だ、ぐらいに割りきってほしい。
 原文に併記した口語訳を見れば、一目瞭然。
 当事者の談話だから、話題の中心である中宮定子のことを、名ざしでいうはずがない。
 「持たせたまへり」と動詞だけでいうので、まぎれようがない。
・お仕えする侍女たちは、格子を上げ下げするのが役目であるが、それをわざわざ「(わたくしたちは)まだお格子は下して差し上げてもいないのに」と、談話のなかでいうはずもまたない。

※『枕草子』のこの段は、全文を読みすすめても、ついに「持た」の主語は書きあらわされていない。 
 その全文を次節にかかげるが、動作主は、主語としては、ほとんど書かれていない。
 しかも動作主は中宮定子をふくめて、少なくとも四人いるようだ。
 これを単なる地の文として読んだら、わかりっこない。
 談話であると知っていれば、主語の省略されている呼吸が読みとれ、内容が理解できるようになる、と著者はいう。
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、8頁~13頁、210頁)

話し言葉としての敬語


〇3 話し言葉としての敬語
『枕草子』上の御局の御簾の前にて
 上の御局の御簾の前にて、殿上人、日ひと日、琴、笛、吹き、遊び暮らして、大殿油
参るほどに、まだ御格子は参らぬに、大殿油さしいでたれば、戸の開きたるがあらはな
れば、琵琶の御琴をたたさまに持たせたまへり。紅の御衣どもの、いふも世の常なる袿、
また、張りたるどもなどをあまたたてまつりて、いと黒うつややかなる琵琶に、御そで
をうち掛けて、とらへさせたまへるだにめでたきに、そばより、御額のほどの、いみじ
う白うめでたくけざやかにて、はづれさせたまへるは、たとふべきかたぞなきや。近く
ゐたまへる人にさし寄りて、「半ば隠したりけんは、えかくはあらざりけんかし。あれ
はただ人にこそありけめ。」と言ふを、道もなきに分け参りて申せば、笑はせたまひて、
「別れは知りたりや。」となん仰せらるる、と伝ふるもをかし。
                  (『枕草子』上の御局の御簾の前にて)

・傍線の動詞は、動作主が書かれていない。
 その動作主は、少なくとも四人いるようだ。
 ただしそのなかの一人は、「近くゐたまへる人」(近くにすわっていらっしゃる人)なので、この人の動作を除けば、三人の動作が、一段の全文からはついに主語を明らかにすることができない、ということになる。

・もしこれが『枕草子』であることを知らなかったら、専門家でさえ行きづまってしまう、ということはあると思う。
 最低限度の知識として、これが中宮(トップクラスの皇后のことだと思ってよろしい)である定子に仕えた清少納言という侍女が記録したもの、いわゆる女房文学の一つであることは知らなければならない。もっとも、最低限度知るべき知識の量はわずかなものである。
 『枕草子』は中宮定子のサロンの様子を語りつたえているものである。

・語りつたえているものだから、談話式の文体になっている。
 地の文であるが、話すような口吻(こうふん)で書かれている。
 だから女主人のことや、侍女たちの動作には主語が省略されている。
・主語が省略されている、上の文章のなかの傍線の動作は、したがって女主人の動作、および侍女の動作が中心になっているわけだが、それをどう見分けたらいいのだろうか。
 どの動詞が女主人=中宮定子の動作をあらわし、どの動詞が侍女たちの動作をあらわしているのだろうか。 
 これを知るには敬語というものが手がかりになる。
 おおよそのところが、敬語というものによって、判断できる。
 それは古文の地の文に、敬語というものがちりばめられていて、現実の身分関係を反映しているからで、それで身分のいちばん高い中宮定子などはすぐにわかる。
 
・古文の地の文には、なぜ、敬語が出てくるのだろうか。
 こういう疑問を持つことがだいじである。
 現代の小説のたぐいを思いうかべてほしい。現代の小説は地の文と会話文とから成る。地の文には、ふつう、敬語は出てこない。会話文にだけ敬語が出てくる。
 ところが、古文では、会話文に敬語が出てくるのはもちろんのことだが、地の文にもしきりに敬語が出てくる。
 これは古文の地の文が、現代の小説などにみる地の文と大きくちがって、はるかに会話文に近い、談話の文体になっているからにほかならない。
 これはだいじなことである。
 尊敬語や謙譲語は、ふつう、人物の身分関係をあらわすために使われているものといわれていて、おおよそその説明は、それでまちがっているということはないのだが、より厳密にいうならば、実際の談話の現場でのさまざまな敬語のありかたが、書かれた文章のなかに反映している。古文は地の文といえども談話的に書かれているのだから、実際の談話の現場を反映して敬語がどんどん出てくる、というわけである。

・かならずしも身分の上下をあらわさないことがある。
 現代語でも、「書いてごらん。」A 
 「書けないよ。」B
と、「ごらん」という敬語はよく使われるが、Aが親の言葉であったり、先生の言葉であったりして、すこしもおかしくない。その場合、Bは子どもの言葉であったり、生徒の言葉であったりする。現代の会話としてすこしもおかかしくない。
 現代のような身分差が少なくなった社会でも敬語が生きるのは、敬語が、本来、談話のなかで、相手を尊敬したり、自分がへりくだることで話題をスムーズにすすませるものであったからで、それが古文では身分制度と結びついて、上下をあらわす記号であるかのようにふるまうことになった。

・決して難しいことではないので、例文の
近くゐたまへる人にさし寄りて
 というところを見てほしい。
 「さし寄り」は、動作主を主語としてあらわさない動詞の例であるが、その動作主とは侍女の一人、つまりこの文章の書き手である清少納言そのひとの行為をいっている。
 清少納言が「近くゐたまへる人」にさし寄ったのである。
 この「ゐたまへる」という言いまわしのなかの「たまへ」というのが尊敬語である。
 「近くゐたまへる人」で、「すわっていらっしゃる人」という意味になる。
 この「人」も侍女であるが、尊敬語を使っているから、清少納言よりも身分の高い侍女なのであろうか。けっしてそんなことはいえないだろう。中宮定子の近くにお仕えしている侍女であることと、談話的な文体であることとから、自然に敬語が出てきたにちがいない。

・「近くゐたまへる人」の「たまへ」がけっして身分の上下をあらわす記号として使われているのではない証拠に、同じ侍女の動作が、
 道もなきに分け参りて申せば、
と、謙譲の表現になっていたり、
 と伝ふるもをかし。
と、敬語ぬきの表現になっていたりする。
 「分け参り」「申せ」の二語は謙譲語という。
 この侍女が、女主人である中宮定子に向かって近づくのに、「分け参り」と、女主人にたいしてへりくだり、「申せ」と、女主人に申しあげる行為をへりくだって表現している。
 女主人と侍女とは、厳然とした身分の差があるから、謙譲語を使うのは当然である。
 ただし、「分け参り」と表現し、「申せ」と表現している人は、その侍女ではなくて、これを書いている清少納言そのひとである。
 自分たちの女主人を心からうやまう気持ちが、自分たちの行為をへりくだらせる謙譲の表現となってあらわれたので、それが結果的に身分の上下をあらわした。
 相手の身分が高くても、もし尊敬する気持ちがなくて、かげで悪口をいう場合ならば、敬語なんか使うには及ばない。

(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、14頁~19頁)

丁寧の表現について


〇5丁寧の表現について

・会話の文体に出会ったら、「はべり」があるかないかをたしかめてほしい。
 丁寧な会話か、そうでないかを見ぬいてほしい。
※亡き桐壺更衣(桐壺帝の寵愛した女性で、光源氏を生んでまもなく亡くなった)の母君のもとへ、帝のお使いの靫負(ゆげいの)命婦がたずねてきたところである。

南面におろして、母君もとみにえものものたまはず。(母君)「今までとまりはべるがいとう
きを、かかる御使の、蓬生の露分け入りたまふにつけても、いと恥づかしうなん。」とて、
げにえたふまじく泣いたまふ。(命婦)「『参りてはいとど心苦しう、心肝も尽くるやうになん。』
と、典侍の奏したまひしを、もの思うたまへ知らぬ心地にも、げにこそいと忍びがた
うはべりけれ。」とて、ややためらひて、仰せ言伝へきこゆ。(『源氏物語』桐壺の巻)

(南正面に下りさせて、母君もまた、すぐには何もおっしゃれない。(母君)「今まで生き残っておりまするのが、まことにいやでたまらないのに、こんなお使者が、蓬屋(ほうおく)の露を分けておいでくださるにつけても、まことに恥ずかしくて。」と言って、いかにもこらえ切れないぐらいお泣きになさる。(命婦)「『おうかがいしてみると、まことにまことにおいたわしくて、心も肝も消え失せるようで。』と、典侍が奏上していましたが、風情を解し申しあげない者の心持ちにも、なるほどまことに堪えがたいことでございましたよ。」と言って、少々時間をおいてから、帝の仰せ言を伝え申し上げる。)

※このように会話文の丁寧なものには「はべり」が使われて、あらたまった感じになる。男も女も使う語である。

・上の例について、それぞれ母君と命婦とが、自分の行為について「はべり」と言っているのであるから、これは謙譲語であると考えてもよいのではないか、という意見を持つひとがいたら、なかなか鋭い。もと謙譲語であったから、区別のあいまいなところがあるのは仕方がないらしい。

北山になむ、なにがし寺といふ所に、かしこき行ひ人はべる。去年(こぞ)の夏も世におこり
て、人々まじなひわづらひしを、やがてとどむるたぐひあまたはべりき。(『源氏物語』若紫の巻)

(北山にですが、何々寺という所に、すぐれた修行者がございます。去年の夏も世間に
わらわ病みが流行して、人々が、まじなっても効きめがなくて、てこずったのを、即座に
なおす例がたくさんございました。)

※いちおう、“伺候している”“お仕えしている”という意味がはっきりしている例は謙譲の「はべり」、それ以外の、会話に出てくる例は丁寧の「はべり」であると考えてほしい。
 以上は、原則である。
 会話のなかでもないのに、丁寧の「はべり」が出てくることはある。
 『紫式部日記』という、『源氏物語』の書き手である紫式部の書いた日記文学には、地の文のある部分に集中してたくさん「はべり」が出てくる。

※『紫式部日記』のある部分に集中して「はべり」が出てくるのは、その部分だけだれかにあてて書かれた書簡ではないかと考えられている。書簡なら会話の文体で書かれていても、おかしくない。
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、28頁~30頁、211頁)

係り結びが流れるとき


〇7 係り結びが流れるとき
Ⅰ 古文を解く鍵の「7 係り結びが流れるとき」
・係り結びは文の緊張をみちびく。
 文というものは、ところどころに緊張があるからすぐれたものになるので、もし緊張がなければ、だらっとした締まりのない文章になり、名文でなくなってしまう。
 「ぞ」「なむ(なん)」「こそ」による係り結びは、文を緊張させるためにだけある、といっていい。
 「や」や「か」は疑問をあらわすが、これによって文章に一種の逆流をもたらし、「や」や「か」のある一文を連体形で止めることによって、他の文とちがう雰囲気を作りだすから、これも文の緊張をみちびくもの、ということができる。
 ところが、「ぞ」「なむ(なん)」「こそ」、あるいは「や」も「か」もそうだが、ときにその緊張が、これらの語句によってはじまったのに、途中や文の終りで、流れてしまうことがある。

【結びの消失】
〇つぎの文章は、『源氏物語』桐壺の巻のごく初めのところである。
心細い桐壺更衣の様子が描かれている。

 父の大納言は亡くなりて、母北の方なむ、いにしへの人のよしあるにて、親うち具し、
さしあたりて世のおぼえはなやかなる御方々にもいたう劣らず、何ごとの儀式をももて
なしたまひけれど、取りたてて、はかばかしき後見しなければ、事ある時は、なほ拠り
どころなく心細げなり。(『源氏物語』桐壺の巻)

(父の大納言は亡くなって、母の、大納言の奥方がですね、昔かたぎの由緒ある人で、
両親が揃い、現在のところ世間からちやほやされている御方々にもたいして引けをとら
ぬよう、どのような宮廷のしきたりをも処置なさったとかいうことだが、格別に、しっ
かりした後楯(うしろだて)は、ないのだから、あらたまったことのある時には、やはり
頼るあてがなくて、更衣は心細げである。)

※「……母北の方なむ」と、係助詞「なむ」があるので、文が緊張し、結びの連体形を要求する。ところが、一文の終りは「心細げなり」と、終止形である。
 連体形ならば「心細げなる」とならなければならないところ。
 母北の方なむ、いにしへの人のよしある(人なる)。
という、括弧のなかにある。(人なる)という結びと呼応しているが、消えてしまったと考えられ、これを「結びの消失」という。

※ちょっと難しいことかもしれないが、文の緊張は、文脈上の実質的な述語の部分と呼応してはたらき、そこに「係り結びの法則」が成りたつのだから、文が上記のように長くつづいてゆくと、実質的な述語の部分が文末にならないために、「係り結びの法則」が成りたたなくなり、結びの消失してしまうことがある。
 「結びの消失」とは、係り結びにおける「結びの消失」であって、「文末の消失」ではない。
 文末のない文はありえないから、勘ちがいしないように。

【挿入句のばあい】
『源氏物語』桐壺の巻で、まえに引いた文章の直前のところに、次のようにある。

 唐土にも、かかる事の起りにこそ、世も乱れあしかりけれと、やうやう、天の下にも、
あぢきなう人のもてなやみぐさになりて、楊貴妃の例も引き出でつべくなりゆくに、い
とはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにて交らひたま
ふ。(『源氏物語』桐壺の巻)

(中国にも、こうした発端からこそ、世も乱れてひどいことになったのだったと、だんだん、世間一般にも、おもしろからぬ厄介種(やっかいだね)になって、楊貴妃の例をも引き合いに出しかねないほどになってゆく事態に、まことにいたたまれない思いのすることが多くあるけれど、おそれ多い帝の御愛情のまたとないことを頼みにして、宮仕えなさる。)

※「唐土にも、かかる事の起りにこそ」と、「こそ」がある。
 一文の終りは「たまふ」と終止形(連体形も同形だが)になっている。已然形の「たまへ」になっていない。でも、あわてないでほしい。
 唐土にも、かかる事の起りにこそ、世も乱れあしかりけれ。
と、已然形の結びがちゃんとある。
 このように、見かけ上、文中にあることがあるので、注意すること。
※和歌の場合も、
 「我が庵(いほ)は都のたつみしかぞ住む世を宇治山と人は言ふなり」(喜撰法師)とか、
 「八重葎(やへむぐら)茂れる宿の寂しきに人こそ見えね秋は来にけり」(恵慶法師)とか、
 ふつう句読点を施さないから、係り結びの発見は注意を要する。
 この二つの和歌の係り結びの結びを指摘できるだろうか?
 ⇒ぞ――住む(連体形) こそ――見えね(已然形)

【文中の係り結び】
〇つぎも、『源氏物語』桐壺の巻からで、さきに引用した一文のまた少し前の文である。

 朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふつもりにやありけん、い
とあつしくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよあかずあはれなるものに思
ほして、人のそしりをもえ憚(はばか)らせたまはず、世の例になりぬべき御もてなしなり。
(『源氏物語』桐壺の巻)

(朝夕の宮仕えにつけても、他人の心を悩ますばかりいて、恨みを背負う蓄積のせいであったろうか、まことに病気が重くなってゆき、いかにも心細いようすで里下がりが多くなるのを、帝はいよいよたまらなくいとしいものにお思いになり、人の非難をも気がねなさることができず、世の中の話題にもなってしまいそうなご寵愛ぶりである。)

※これの途中に、「恨みを負ふつもりにやありけん」とあって、「けん」は終止形・連体形とも同形だが、これは連体形であろうから、「係り結びの法則」が成りたっている。
 で、一文がこれで終わるかというと、句点でなく、読点が来て、下へ続いている。
 一種の挿入句になっている。これも係り結びの一用法である。
 「こそ」のような強い調子の係助詞の場合は、「……であるけれども」と、逆接するような感じで、文が係り結びの成りたったあとも、続くような勢いを示すことがある。
 桐壺更衣の死後のことであるが、

 さまあしき御もてなしゆゑこそ、すべなうそねみたまひしか、人がらのあはれに、情
けありし御心を、上の女房なども恋ひしのびあへり。
(見苦しいほどの帝のご寵愛ぶりのためにこそ、つめたくお嫉(ねた)みなさったのだが、人柄が優しく、情愛の深かったお心を、上宮仕えの女房たちも思い出しては恋しく思いあった。)

※この「しか」(「き」の已然形)は逆接するような感じである。
 このようなときは、係り結びのあと、句点でなく、読点で下に文が続いているもの、と理解されている。
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、38頁~43頁、213頁)

謙譲表現のまとめ


〇16 謙譲表現のまとめ
・謙譲表現をあらわす語は、①名詞、②接頭語、③動詞、④補助動詞(動詞の一種)がある。
 謙譲の補助動詞には、「たてまつる」「まうす」「きこゆ」「まつる」および重要な下二段活用の「たまふ」がある。「す」「さす」をともなったいっそう謙譲度の高い「きこえさす」「まゐらす」という言いまわしもある。
・下二段活用の「たまふ」 
 会話主の明確な謙譲の気持ちをあらわす補助動詞の「たまふ」(下二段)がある。
 『竹取物語』には見えないが、『源氏物語』などにはたくさん出てくる。

・『源氏物語』桐壺の巻から見てゆくと、
いとかく思ひたまへましかば。<未然形の例>
 (ほんとに、もし、こう考えさせていただいてもよかったのなら。)
死んでゆく桐壺更衣のさいごの言葉

・もの思うたまへ知らぬ心地にも、げにこそいと忍びがたうはべりけれ。<連用形の例>
 (物の心を理解させていただく方法も知らないわたくしの心地にも、まことにもっていたく堪えがたいことでございますことでした。)
帝のお使いがやってきた、靫負命婦の言葉。
 
・うちうちに、思ひたまふるさまを奏したまへ。<連体形の例>
(内々に、案じてさしあげておりますさまを、ご奏上くださいませ。)
お答えする母君の返事。若宮(のちの光源氏)のゆくすえを案じて、あれこれ思うことを謙譲した言いかた。

・随分によろしきも多かりと見たまふれど、そも、まことにその方を取り出でん選びに、
 かならず漏るまじきはいとかたしや。<已然形の例>
(それ相応に上手にこなす女性も多くいると存じあげますけれども、さて、ほんとうに才能のすぐれた方面の人を取り出そうと選ぶと、絶対に選に漏れないというのは、非常にすくないよ。)
 「帚木」の巻で頭中将が、才能の真にすぐれた女の少ないことをなげく言葉。

※以上のように、「たまふ」は会話文の中に出て、「思ふ」とか「見る」(あるいは「聞く」)という語について、明確な謙譲をあらわしている。

※会話文にほとんど出てくるので、この「たまふ」を丁寧語と見る見かたが当然ある。
 まれに地の文に出てくることもある。
 終止形「たまふ」は『かげろふ日記』『和泉式部日記』『源氏物語』に散見するようだが、数が少ないので、終止形の存在を認めない人もいる。

(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、84頁~87頁、218頁)

係助詞とその周辺(1) ――ぞ・こそ・なむ


〇28 係助詞とその周辺(1) ――ぞ・こそ・なむ
・係助詞は、荷作りのひものように、一文一文の全体にかかるようにして、きゅっきゅっとしごいて結ぶ感じのものである。
・「なむ」は係助詞として文中に使われ、文末を活用する語の連体形で結ぶ。
 係助詞の「なむ」が文末に来ることもある。
よく問題になるのは、係助詞の「なむ」が文末に来た場合と、終助詞の「なむ」と、助動詞が二つ結合してできた「なむ」と、三種類の「なむ」があることであるが、識別はそんなに困難なことではない。

①係助詞の「なむ」
 目も見えはべらぬに、かくかしこき仰せごとを光にてなん、とて見たまふ。(『源氏物語』桐壺の巻)
(目も見えないのでございますが、このようにおそれおおいお言葉を光にして……、とてご覧になる。)
※文中のようにみえるが、「なん」で切れて文末を省略しているもの。

②終助詞の「なむ」。動詞などの活用語の未然形につく。
 いつしか梅咲かなむ、来む、とありしを、さやある、と目をかけて待ちわたるに、花も
みな咲きぬれど、音もせず。(『更級日記』梅の立枝)
(早く梅が咲いてほしい、「梅が咲いたら行くよ。」という約束だったから、そうだろうか、と、梅に目をかけてずっと待っていると、花もみな咲いていったのに、便りもない。)
※終助詞の「なむ」は、梅に「咲いてほしい」と願望する気持ちをあらわす。係助詞の「なむ」とは別の語である。

③完了の助動詞「ぬ」と推量の助動詞「なむ」との結合が「なむ」になる。
 もとの御かたちとなりたまひね。それを見てだに帰りなむ。(『竹取物語』御門の求婚)
(もとの御姿になっておくれ。せめてそれだけでも見て帰った、ということにしよう。)

④他に、ナ変活用の動詞が「死なむ」「往(い)なむ」となるので、注意すること。
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、136頁~139頁)

係助詞とその周辺(2) ――や・か・は・も


〇29係助詞とその周辺(2) ――や・か・は・も

●「や」は、係助詞にもなれば、間投助詞にもなれば、並立助詞にもなる。
 間投助詞の場合、文中にも文末にもあらわれ、疑問や反語の意味を持たない「や」が間投助詞。
 あな恐ろしや。春宮(とうぐう)の女御のいとさがなくて、桐壺更衣の、あらはにはかなくもてなされにし例(ためし)もゆゆしう。(『源氏物語』桐壺の巻)
(ああ恐ろしいこと。東宮の女御(皇太子の母親である女御のこと)がじつに意地悪で、
桐壺更衣が、露骨にいたぶられ、死に至らされた前例も忌まわしく……。)

※ちなみに、「古池や蛙飛び込む水の音」(芭蕉)などの「や」も間投助詞である。
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、140頁~142頁)

終助詞、間投助詞、並立助詞


〇30 終助詞、間投助詞、並立助詞
・終助詞は文末にあって、禁止・願望・詠嘆・強意などをあらわす。 
間投助詞は文中あるいは文末にあって、語勢を強めたり、感動をあらわしたりする。
並立助詞は語句と語句とを並立させるものである。

・間投助詞は、「や」「よ」「を」が代表的なものである。
 「を」は文中にも、文末にもあらわれ、感動を示す。
 さりとも、あこはわが子にてをあれよ。(『源氏物語』帚木の巻)
(それにしても、おまえはわたしの子で、まあ、いなさいよ。)

 必ず、雨風やまば、この浦にを寄せよ。(『源氏物語』明石の巻)
(きっと、雨風が止んだら、須磨の浦に、まあ、舟を寄せよ。)

※古文に出てくる「を」は、格助詞や接続助詞の「を」が大部分で、間投助詞の「を」はきわめて珍しいものである。
 (藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、144頁、148頁~149頁)

≪古文総合問題~塩沢一平『きめる!センター 古文・漢文』より≫

2024-02-18 18:00:20 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪古文総合問題~塩沢一平『きめる!センター 古文・漢文』より≫
(2024年2月18日投稿)

【はじめに】


  今回のブログでは、次の参考書をもとに、古文の総合問題を解いてみよう。
〇塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]
 出典は、『紫式部日記』および『宇治拾遺物語』である。
 これらの出典には、いま話題の大河ドラマ「光る君へ」に登場する紫式部(吉高由里子)、藤原為時(岸谷五朗)、藤原道長(柄本佑)、中宮彰子(見上愛)、藤原公任(町田啓太)なども出てくるので、興味をもって読んでほしい。



【塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研はこちらから】
きめる!センター 古文・漢文




〇塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]

【目次】
はじめに
センターは、こんな試験
古文編
攻略法0  センターの基本となる文法を押さえよう
攻略法1  出典タイプによって読み方を変えよう
攻略法2  傍線部解釈問題①
攻略法3  傍線部解釈問題②
攻略法4  文法問題①
攻略法5  文法問題②
攻略法6  内容説明・心情説明・理由説明問題①
攻略法7  内容説明・心情説明・理由説明問題②
攻略法8  内容合致・主旨選択問題①
攻略法9  内容合致・主旨選択問題②
攻略法10  和歌関連問題①(和歌解釈の方法)
攻略法11  和歌関連問題②(掛詞の攻略法)
攻略法12  和歌関連問題③(序詞の攻略法)

古文総合問題
古文総合問題 解答・解説
 
<コラム>目で見る古文① (平安時代の貴族の住居)
<コラム>目で見る古文② (平安貴族の服装)
<コラム>目で見る古文③ (宮中の世界)
<コラム>目で見る古文④ (平安時代の暦と季節、時刻、方位、月の名前)
<コラム>目で見る古文⑤ (平安美人の身だしなみ)
<コラム>目で見る古文⑥ (陰陽道)
<コラム>目で見る古文⑦ (夢占)
(塩沢一平ほか『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、6頁~7頁)




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


古文総合問題
・『紫式部日記』より
・『宇治拾遺物語』より






古文総合問題~『紫式部日記』より


古文総合問題
・『紫式部日記』より
次の文章は、『紫式部日記』の一節で、正月二日、公卿達が「上」(清涼殿)に参上なさったところに、「主上(うへ)」(一条天皇)がお出ましになって、管弦の御遊びが始まった場面を叙した部分である。よく読んで、後の問いに答えよ。なお、文中の会話の話し手は、すべて道長である。

 上に(a)まゐり給ひて、主上、殿上に出でさせ(b)給ひて、御遊ありけり。殿、例の酔は
せたまへり。わづらはしと思ひてかくろへゐたるに、「(A)など、御父の、御前の御遊に
召しつるに、さぶらはで、いそぎまかでにける。ひがみたり」など、むつからせ給ふ。
「ゆるさるばかり、歌一つ仕うまつれ。親のかはりに、初子(はつね)の日なり、詠め詠め」と責めさせ(c)給ふ。うち出でむに、いとかたはならむ。こよなからぬ御酔ひなめれば、
いとど御色あひきよげに、(ア)火影はなやかにあらまほしくて、「年ごろ、宮のすさまじ
げにて、一ところ(d)おはしますを、(イ)さうざうしく見(e)たてまつりしに、かくむつかし
きまで、左右に見たてまつるこそうれしけれ」と、(ウ)おほとのごもりたる宮たちを、
ひきあけつつ見たてまつり給ふ。
「(B)野辺に小松のなかりせば」と、うち誦(ず)じ給ふ、あたらしからむ言(こと)よりも、をりふしの人の御ありさま、めでたくおぼえさせ給ふ。  (『紫式部日記』)

<注>
〇殿上……清涼殿の殿上の間。
〇殿……藤原道長。
〇御父……紫式部の父、藤原為時。
〇初子の日……正月の初めての子の日。この日には小松を引き若菜を食べ、賀歌を詠む習慣があった。
〇かたはならむ……体裁が悪いだろう。
〇宮……中宮彰子
〇一ところおはします……以前、中宮に子供がいなかったことを指す。中宮は入内後約九年間にわたって子供がなかった。ただし、本文の時点では、中宮には二人の子供が生まれている。
〇ひきあけつつ……中宮の子供たちの寝床となっている帳台にめぐらせている布をちょいちょいひき開けてのぞくことを指す。
〇野辺に小松のなかりせば……「子の日する野辺に小松のなかりせば千代のためしになにを引かまし」(拾遺和歌集)による。

問1 傍線部(ア)~(ウ)の解釈として最も適当なものを、それぞれ一つずつ選べ。
(ア) 火影はなやかにあらまほしくて
①燈火に照らし出された姿はきわだって美しく理想的で
②燈火に照らされた辺りの様子はきわだって美しく広い場所が望まれて
③燈火に照らされた辺りの様子はきわだって美しくまた静かな場所が望まれて
④燈火に照らし出された姿はきわだって美しく長生きして欲しい状態で
⑤燈火に照らされた辺りの様子はきわだって美しくもう少しで認められる状態で

(イ)さうざうしく
①騒がしいと
②乱雑だと
③寂しいと
④思いやられると
⑤機敏だと

(ウ)おほとのごもりたる宮たち
①吐き気を催している中宮たち
②奥に引き籠っていらっしゃった中宮たち
③宿直(とのい)して差し上げている皇子たち
④お亡くなりになってしまった皇子たち
⑤おやすみになっている皇子たち


問2 傍線部(a)~(e)の敬語のうち、宮に対する敬意を表しているものが二つある。それはどれとどれの組み合わせか。次のうちから一つ選べ。
①a「まゐり」とb「給ひ」
②b「給ひ」とc「給ふ」
③c「給ふ」とd「おはします」
④d「おはします」とe「たてまつり」
⑤a「まゐり」とe「たてまつり」

問3 傍線部(A)の内容の説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
①主上は、自ら主催する宴席に、道長が出席しないのを非難している。
②主上は、道長が主催する宴席に、式部が遅刻したことを非難している。
③道長は、式部の父が主催する管弦の遊びに、式部が出席しないことを残念に思っている。
④道長は、主上が召集した管弦の遊びに、式部の父が出席しないことを残念に思っている。
⑤道長は、自らが召集した管弦の遊びに、式部の父が遅刻して急いで参上したことを非難している。

問4 傍線部(B)の解釈として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
①都近くの野辺に小松がなかったならば、人々は自らの世の千年の繁栄の証しとして何を引いたらよいのか、釈然としない。
②子の日には、小松を引くのが通例であるので、その小松を長寿の証しとして皆で引こう。
③宮にはいままで若宮たちがいなかったので、私が長生きをしても長寿を祝ってくれるものなど誰もいない寂しい気持でいたのだ。
④この若宮たちもいずれはいなくなるので、私たちの千年も続くような繁栄の証しを何に求めたらよいか、不安である。
⑤この若宮たちが私たちの千年も続くような繁栄のまぎれもない証しなのである。
(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、162頁~165頁)



【解答】
問1 (ア)① (イ)③ (ウ)⑤
問2 ④
問3 ④
問4 ⑤

【解説】
問1 語句の意味を問う問題
・(ア)は古文特有語の形容詞「あらまほし」(理想的だ・申し分ないの意)
・(イ)は現古異義語の形容詞「さうざうし」(寂しいの意)
・(ウ)は古文特有語の尊敬語「おほとのごもる」(「寝(ぬ)」の尊敬語)の意味を問うた。
※すべて暗記すべき語。

問2 文法関連問題(敬語)
・a 「まゐる」は客体である主上に対する敬意(主体は公卿……前書き参照)
・b 「給ふ」は主体である主上に対する敬意
・c 「給ふ」は主体である道長に対する敬意
・d 「おはします」は主体である宮に対する敬意
・e 「たてまつる」は客体である宮に対する敬意(主体は道長)

問3 内容説明問題
・前書きにより、道長の会話とわかる。ゆえに、①②はバツ。
・「御父の」の直後の「御前の御遊に召しつるに」を飛び越して「さぶらはで」以下の主語になっている。ゆえに③はバツ。
・「まかで」(終止形「まかづ」)は退出するの意。ゆえに⑤はバツ。

問4 傍線部解釈問題
・攻略法4にもあった通り、反実仮想では、逐語訳でなくても事実を語っていれば正解。
 傍線部は、道長が中宮の子供たちを見ながら口ずさんだ古歌であり、「小松」が「子供」の比喩であることがわかる。
〇選択肢を吟味しよう。 
・①は反実仮想前半部を「小松」そのままとしてとらえている上に、最終的に「釈然としない。」というように、喜びの歌の意味を引き出すことができないので、不正解。
・②は『拾遺和歌集』の歌の意の反実仮想を事実として簡潔にまとめたにすぎない。
・③は反実仮想の裏返しとしての事実を過去のものとしてとらえているので、不正解。
・④も反実仮想の裏返しとしての事実を未来に求め、しかも文意と逆のマイナスイメージとなっているので、不正解。

【現代語訳】
(公卿達が)清涼殿へ参上なさって、主上(一条天皇)が、殿上の間におでましになって、管弦の遊びが催された。(道長)殿は、いつものように酔っぱらっていらっしゃる。めんどうなことだと思って、(私は)隠れて座っていると、「なぜ、お父上は、(天皇の)御前での御遊びに召し出したのに、お控えしないで、いしいで退出してしまったのだ。(お父上は)ひねくれている。」などと、腹を立てていらっしゃる。「(その罪が)許されるほどに、(すばらしい)歌を一首(あなた=紫式部が)お詠みせよ。親の代わりに、(それに今日は)初子の日であるし、(さあ)詠め、詠め。」とお責めになる。(父の代わりに歌を)詠み出すようなことも(あまりに憚(はばか)りのない私事になってしまい)体裁が悪いだろう。あまりひどくないお酔いの加減であるようなので、いっそう(お顔の)色合いも美しく、燈火に照らし出された姿はきわだって美しく理想的で、「長年、中宮様が(お子もなく)つまらなそうで、一人でいらっしゃるのを、(私=道長は)寂しいと拝見していたが、こう煩わしいまでに左右に(中宮の子供達を)拝見するのが嬉しいのだ。」と(いいながら)、お眠りになっている若宮たちを、(寝床となっている帳台にめぐらせている布を)ちょいちょいひき開けては拝見なさる。(そして)
「……野辺に小松のなかりせば……(……仮に、この若宮たちがいなかったならば、何に私たちの栄華のあかしを求めたらよいのだろうか……。この若宮たちは私たちの千年も続くような繁栄のまぎれもな証しなのである。)」と口ずさみなさる。新しく(私が詠む)ような歌よりも時節にぴったりの(古歌を吟誦なさる)、道長殿の御振る舞いは、立派だ私に思わせなさる(=私は立派だと存じ上げる)。

(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、170頁~171頁)



古文総合問題~『宇治拾遺物語』より


・『宇治拾遺物語』より
次の文章を読んで、後の問いに答えよ。

 今は昔、治部卿通俊卿、後拾遺を撰ばれける時、秦兼久行き向ひ、(ア)おのづから
歌などや入ると思ひて、うかがひけるに、治部卿出で居て物語して、「いかなる歌か
詠みたる」といはれければ、「はかばかしき候はず。後三条院かくれさせ給ひて後、
円宗寺に参りて候ひしに、花の匂ひは昔にも変らず侍りしかば、仕うまつりて候ひし
なり」とて、
「(A)こぞ見しに色もかはらず咲きにけり花こそものは思はざりけれ
とこそつかうまつりて候ひしか」といひければ、通俊卿の、「(イ)よろしく詠みたり。
ただし、『けれ』、『けり』、『ける』などいふ事は、いとしもなきことばなり。それは
さることにて、『花こそ』といふ文字こそ、女(め)の童(わらは)などの名にしつべけれ」とて、いとしもほめられざりければ、言葉少なにて立ちて、侍どもありける所に、「この殿は、
大方歌の有様知り給はぬにこそ。かかる人の撰集承りておはするは、(ウ)あさましき事
かな。四条大納言の歌に、
 春来てぞ人も訪ひける山里は(B)花こそ宿のあるじなりけれ
と詠み給へるは、めでたき歌とて、世の人口(ひとぐち)にのりて申すめるは。その歌に、『人も訪ひける』とあり、また『宿のあるじなりけれ』とあめるは。『花こそ』といひたるは、
それには同じさまなるに、いかなれば、四条大納言のはめでたく、兼久がはわろかる
べきぞ。かかる人の撰集承りて撰び給ふ、あさましき事なり」といひて出でにけり。
 侍、通俊のもとへ行きて、「兼久こそかうかう申して出でぬれ」と語りければ、治
部卿、うちうなづきて、「さりけり、さりけり。物な言ひそ」といはれけり。
                   (『宇治拾遺物語』巻一の一0)

<注>
〇治部卿通俊卿……「治部卿」は治部省(戸籍や外交事務などを司る役所)の長官。「通俊」は藤原通俊
〇後三条院……後朱雀院の皇子。
〇円宗寺……後三条院の勅願寺。
〇四条大納言……藤原公任(きんとう)。和歌・学問にすぐれる。『新撰髄脳(しんせんずいのう)』『和漢朗詠集』の編者。通俊の従兄。
〇春来てぞ……拾遺和歌集、巻一六に見える。

問1 傍線部(ア)~(ウ)の解釈として最も適当なものを、それぞれ一つずつ選べ。
(ア) おのづから歌などや入る
①自分から歌など入集させるはずない
②自然と歌などに集中することなどできない
③もしかして歌などが入集するかも知れない
④偶然に歌などが脳裏に浮かぶかも知れない
⑤当然歌など受け入れるはずない

(イ) よろしく詠みたり
①十分満足できるほどに詠んでいる
②かなりよく詠んでいる
③ふつうに詠んでしまった
④少し劣って詠んでしまった
⑤要領よく詠むことができた

(ウ) あさましき事かな
①貪欲な事であろうか
②下品な事であるはずがない
③意外な事になるかもしれない
④あきれるほどひどい事だなあ
⑤すばらしい事になる気がする

問2 傍線部(A)の和歌の解釈として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
①これぞと思って感動したものと色も変わらずに桜は咲いた。とすると花は美しく咲くこと以外は何も考えないのだなあ。
②ここに咲いていたと記憶していた同じ場所に花の色も変わらずに桜は咲いた。とすると花は咲くこと以外は何も考えないのだなあ。
③去年見た時からずっと色もかわらず桜は咲いているのだなあ。とすると花は散るときの物悲しい気持ちなどしらないのだなあ。
④去年私が見たものと色も変わらずに花が咲いたのだなあ。とすると花は、様々な色に咲こうという思慮をもたないのだなあ。
⑤去年私が見たものと色も変わらずに花が咲いたのだなあ。とすると花は、院の崩御の悲しみから覚めやらぬ私とは違って院が亡くなっても物思いはしないのだなあ。

問3 傍線部(B)のようにこの歌の作者が詠んだ理由の説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
①一般に、人が家を訪ねるのはその主人を目当てに訪ねるのであるが、この歌の場合、人々が桜の花を目当てに訪ねるから。
②一般に、人が家を訪ねるのはその家の花を目当てに訪ねるのであるが、この歌の場合、人々がその主人を目当てに訪ねるから。
③桜の花は元来物思いをしない明るい存在であるため、その花によって人々が悩みを解消しようと思って訪ねて来るから。
④春になると雪が解けて、残った雪が桜の花のように見えて人々がそれを目当てにやってくるから。
⑤春になると雪が解けて、人々が訪ねることができるようになる山荘の女主人の名前が「花」であるから。


問4 本文の内容と合致しないものを、次のうちから二つ選べ。
①兼久は、通俊の再三のすすめにもかかわらず、謙遜してなかなか歌を披露しなかった。
②兼久の詠歌に対して通俊は、「けり」の多用が一番の難点であると指摘した。
③兼久の詠歌に対して通俊は、「花こそ」は女の子供の名前に相応しいと述べた。
④公任の歌にも「けり」が複数用いられており、「花こそ」という表現も用いられていた。
⑤通俊は、兼久が侍達に向かって述べたことを聞いて、自らの間違いに気づき、恥じ入って、侍に他言しないように語った。
(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、166頁~169頁)



【解答】
問1 (ア)③ (イ)② (ウ)④
問2 ⑤
問3 ①
問4 ①②(順不同)

【解説】
問1 語句の意味を問う問題
・(ア)は多義語。「おのづから」には②「自然と」、③「もしかして」、④「偶然に」の意味がある。兼久は、後拾遺集に入集できるのではと思って披露しに行ったのだから、②④は不適。
・(イ)の「よろし」は最高の程度ではないが、評価できるという程度を表す。
・(ウ)「あさまし」は古文特有の語。プラスにもマイナスにも「おどろきあきれるさま」を表す。

問2 和歌関連問題
・直前の会話から兼久が歌を詠む契機となったのは、後三条院の死。
 それにも関わらず、花は今年も同じように咲いているという対比に注目する。
 上の句と下の句はこの対比。

問3 和歌がらみの理由説明問題
・「花」と「あるじ」の共通点をさぐると、どちらも「それを目当てに人が訪ねるもの」とわかる。
・①はこれを的確にとらえている。
・②は「花」と「主人」とが逆。
・③は「物思いをしない……」という前提が不適切。
・④は「雪が桜のように見えて」という内容は、この歌からも、他の叙述部分からも読み取れない。
・⑤は通俊の主張と同等になってしまい、「大方歌の有様知り給はぬにこそ」と批判されることとなる。これでは「めでたき歌とて、世の人口にのりて申す」ことになるはずがない。

問4 内容不合致問題
・①は通俊は「いかなる歌か詠みたる」とは聞いているが、「再三」すすめてはいない。
 また、兼久は「はかばかしき候はず」と一応謙遜の素振りは見せているが、すぐに作った事情を述べ歌を詠んでいる。
②は確かに通俊は「けり」の多用を評価していないが、「それはさることにて」(それはそれとして、それはもちろんとして)もっと重大な難点「花こそ」があると続けている。

【現代語訳】
今は昔のことになっているが、治部卿の通俊卿が、後拾遺和歌集をお撰びになったときに、秦兼久が通俊卿のもとに出かけていって、もしかしたら自らの歌が後拾遺和歌集に撰集されるのではないかと思って、様子をうかがっていたところ、治部卿が中から出てきて客間にすわっいろいろと話をして、「どのような歌を詠んでいるのか」といわれたので、「これといった歌はございません。後三条院がお亡くなりになった後で、円宗寺に参りましたところ、桜の花の美しさは院が生きていらっしゃった昔にも変わりませんでしたので、おつくり申し上げましたものです」と言って
「去年見たものと色も変わらずに花が咲いたのだなあ。とすると花は院の崩御の悲しみから覚めやらぬ私とは違って物思いはしないのだなあ。
と、おつくり申し上げました。」と言ったところ、通俊卿は、「かなりうまく詠んでいる。ただし、『けれ』、『けり』、『ける』などということは、あまり良いというわけでもないことばである。もちろん、『花こそ』という文字は、女の子の名前にまさにつけるのがふさわしい。」と言って、あまりお誉めにならなかったので、兼久は、言葉少なにその場を立って、家来たちが詰めていた所に寄って、「この(通俊)殿は、全く歌の有様というものを理解していらっしゃらないのであろう。このようなお方が勅撰集の編集の仰せをお受けになっていらっしゃるのは、あきれた事だなあ。四条大納言の歌に
 桜の咲く春が来てはじめて人もたずねて来るのだなあ。とすると山里は、花がその宿の主人なのだなあ。
とお詠みになったのは、すばらしい歌だと言って、世間の人々の評判になって(すばらしい歌だと)申し上げているようであるよ。その歌に、『人も訪ひける』とあり、また『宿のあるじなりけれ』とあるようであるよ。(私が)『花こそ』と詠んだのは、その歌と同じことであるのに、どうして、四条大納言の歌はすばらしく、兼久の詠んだ歌は良くないはずがあろうか。このような人が勅撰集の編集の仰せをお受けになって歌をお撰びになることは、あきれた事である。」と言ってその場から出て行ってしまった。
 家来は、主人の通俊のもとへ行って、「兼久がこうこう申し上げて出て行ってしまったのです。」と話したところ、治部卿は、うなずいて、「そうであった。そうであった。このことをだれにも言うな。」とおっしゃったということだ。

(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、171頁~173頁)


≪古文の攻略法~塩沢一平『きめる!センター 古文・漢文』より≫

2024-02-15 19:00:08 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪古文の攻略法~塩沢一平『きめる!センター 古文・漢文』より≫
(2024年2月15日投稿)

【はじめに】


 今回のブログでは、次の参考書をもとに、古文の攻略法および読解について解説してみたい。
〇塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]
次回では古文総合問題を解説するとして、今回は文法的事項(識別語、解釈、敬語)を中心に、和歌に関連した問題も触れておきたい。



【塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研はこちらから】

きめる!センター 古文・漢文






〇塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]

【目次】
はじめに
センターは、こんな試験
古文編
攻略法0  センターの基本となる文法を押さえよう
攻略法1  出典タイプによって読み方を変えよう
攻略法2  傍線部解釈問題①
攻略法3  傍線部解釈問題②
攻略法4  文法問題①
攻略法5  文法問題②
攻略法6  内容説明・心情説明・理由説明問題①
攻略法7  内容説明・心情説明・理由説明問題②
攻略法8  内容合致・主旨選択問題①
攻略法9  内容合致・主旨選択問題②
攻略法10  和歌関連問題①(和歌解釈の方法)
攻略法11  和歌関連問題②(掛詞の攻略法)
攻略法12  和歌関連問題③(序詞の攻略法)

古文総合問題
古文総合問題 解答・解説
 
<コラム>目で見る古文① (平安時代の貴族の住居)
<コラム>目で見る古文② (平安貴族の服装)
<コラム>目で見る古文③ (宮中の世界)
<コラム>目で見る古文④ (平安時代の暦と季節、時刻、方位、月の名前)
<コラム>目で見る古文⑤ (平安美人の身だしなみ)
<コラム>目で見る古文⑥ (陰陽道)
<コラム>目で見る古文⑦ (夢占)
(塩沢一平ほか『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、6頁~7頁)




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・「古文の力」とは?
・攻略法2 傍線部解釈問題①
・攻略法4 文法問題① 識別語
・攻略法5 文法問題② 敬語
・攻略法8 内容合致・主旨選択問題①
・攻略法10 和歌関連問題①(和歌解釈の方法)
・攻略法11 和歌関連問題②(掛詞の攻略法)








「古文の力」とは?


 駿台予備校の塩沢一平先生は、「センターは、こんな試験~古文編」において次のようなことを述べている。(共通テストにも、あてはまる点が多々あるので、紹介しておく)
【文章の長さ】
・文章の長さは、例年1500字程度。速読・即答する問題処理テクニックが求められる。
 例えば、出典別に読み方を変えるテクニックを身につける必要があるし、設問タイプ別のテクニックも必要になる。

(ちなみに、ネットによれば、2023年の共通テストの字数は1319字、2024年のそれは、1147字だったそうだ)

【出典】
・センター試験の出題ジャンルは、上代の文章が出題される可能性は低いようだ。
 中古~近世(江戸)の作品で出題されるのは、教科書に掲載されていない作品か、掲載されていてもまったくマイナーな部分だという。
 学校の授業で勉強した部分がセンターで出題されることはまずない。つまり、はじめて読む作品・部分が出ても、対応できる実力と対処法を身につけることが必要だと強調している。
 歌物語が出題されていないのは、設問を作りやすい『伊勢物語』『大和物語』が、様々な大学で既に出題されていることや、章段自体が短いものが多く、1500字の長さにならないものが多いためらしい。
・時代的には、中世・近世の文章が多い。
 その中で、特に擬古物語(平安時代のつくり物語に似せて作られた物語)の出題が多い。
 登場人物の心情をつかむため、形容詞・形容動詞をきっちり覚えておこう。
・また心情は、和歌に凝縮された形で示される。

〇出題された文章のジャンル
 中古=歴史物語・つくり物語・日記・説話
 中世=歴史物語・説話・日記・随筆・軍記物語・歌論・擬古物語
 近世=随筆・紀行・日記・擬古物語

(周知のように、2024年の共通テストの古文は、「車中雪」という江戸時代の擬古物語(平安時代の物語を模した文章)であった)

【設問タイプ】
①語句の意味
 文章構造をとらえて解く、クールで渋い論理的な思考が必要である。
②文法・敬語問題
 品詞分解・語の識別と、敬語が3対1の割合。
 敬語では、尊敬・謙譲・丁寧のどれにあたるか、本動詞か補助動詞かが問われる。
③内容説明・心情説明・理由説明問題
 どれか1問が出題される。
④内容合致(不合致)・趣旨選択問題
 これもよく出る。訳せても“言いたいこと”がわかって、しかも選択できなければ点数にならない。
⑤和歌関連問題
 和歌を含む文章が出たときは必ず設問になっている。
 攻略法10~12で和歌問題をマスターして、大きく差をつけよう。
(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、10頁~15頁)

攻略法2 傍線部解釈問題① 



例題9(重要古語/現古異義語/三つの関係/同内容の言い換え・逆接)
次の文章は『栄華物語』の一節である。藤原伊周(これちか)・隆家兄弟は、藤原道長との政争に破れて、伊周は播磨に、隆家は但馬に配流されている。

北の方の御心地いやまさりに重りにければ、ことごとなし。「帥殿(そちどの)今一度見奉りて死なむ死なむ」といふことを、寝てもさめてものたまへば、宮の御前もいみじう心苦しきことにおぼしめし、この御はらからの主たちも、「いかなるべきことにか」と思ひまはせど、なほ、
いと恐ろし。

<注>
〇北の方……伊周・隆家の母。
〇帥殿……伊周のこと。
〇宮の御前……伊周の妹、中宮定子。
〇御はらからの主たち……北の方の兄弟。

問 傍線部分の解釈として最も適当なものを、次の①~⑤のうつから一つ選べ。
①不満が残ることだと存じ上げ
②体裁悪いことと自然に思われ
③つらいことだと自然と思われ
④わずらわしいこととお思いになり
⑤お気の毒なことにとお思いになり


【解答】⑤
【解説】
・「心苦し」は、「現古異義語」にあたり、「気の毒だ」という意味(現代語では、「相手に負担をかけてすまない」という意味)。
 答えは⑤
・でもこの意味を知らなくても、大丈夫。実は関係性から解ける。
 傍線部の主語「宮の御前(定子)」には、類似内容を暗示する「も」がついている。
 「御はらから…も」は、「同内容の言い換え」である。
 宮の御前も……心苦しきことにおぼしめし、
   ‖
  同内容の言い換え(プラスイメージ) ⇔「ど」(逆接)…いと恐ろし(マイナスイメージ)
   ‖
 御はらから…も、「いかなるべきことにか」と思ひまはせ
・傍線部と同内容の思いは、「『いかなるべきことにか』と思ひまはせ」の部分。
 「ど」があり、「いと恐ろし」というマイナスイメージと逆接の構造になっている。
 つまり、「『いかなるべきことにか』と思ひまはせ」はプラスイメージ。傍線部もプラスイメージ。
・マイナスイメージとなっている①・②・④は×。
 残った③と⑤を比べる。
 ③は「おぼしめす」という「思ふ」の尊敬語を「自然と~れる」という自発の訳し方をしているのである。

【解釈】
奥方(=伊周・隆家の母)の御病気はひどく重くなったので、ほかのことは(おっしゃら)ない。(ただ)「帥殿(=伊周)にもう一度お会いして死にたい、死にたい」ということを、寝ても覚めてもおっしゃるので、中宮様も非常にお気の毒なこととお思いになり、奥方の御兄弟の方々も、「(北の方の望みをかなえ伊周を入京させたならば)どうなるはずのことだろうか」と思い巡らすけれど、(対面させることは)やはり恐ろしい。
(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、51頁~53頁)

攻略法4 文法問題① 識別語


品詞分解と頻出識別語の完全理解が、最短の攻略法
文法問題で問われるのは、「に」や「る」などの識別や、品詞分解、文法的説明

1.文法問題攻略の基本手順
①どこまでが一単語か判断する
 (判断できない場合は保留して、わかる部分を単語に分ける)
②助動詞・助詞は、どの活用形[=何形]に接続しているか判断する
③活用語(動詞・助動詞・形容詞・形容動詞)は、その単語自身がどの活用形か判断する

2.本動詞・補助動詞の区別をする
 本動詞……一般的な動詞のことで、ものの動作や状態を表す
 <例>御衣を給ふ。(御着物をお与えになる。)
 補助動詞……本動詞にあるような本来の意味を失い、上の文節を補助する働きのみをもつ動詞
 <例>詠み給ふ(お詠みになる。)

3. 頻出識別語の識別法をマスターする
①「れ」「る」の識別
②「ぬ」「ね」の識別
③「に」の識別
④「なむ」の識別
⑤「なり」の識別
⑥「らむ」の識別

(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、70頁~75頁)

例題13(文法的説明/「れ」と「ね」の識別)
   大将、限りある宮仕へをえゆるされたまはねど(松浦宮物語)
【問】傍線部の「えゆるされたまはねど」の「れ」と「ね」の文法的説明として正しいものを、次の①~⑥のうちから一つ選べ。
①「れ」は尊敬の助動詞・「ね」は打消の助動詞
②「れ」は受身の助動詞・「ね」は打消の助動詞
③「れ」は完了の助動詞・「ね」は打消の助動詞
④「れ」は可能の助動詞・「ね」は完了の助動詞
⑤「れ」は自発の助動詞・「ね」は完了の助動詞
⑥「れ」は下二段活用の動詞語尾・「ね」は完了の助動詞


【解答】②

【解法】
・文法的説明で、「れ」と「ね」の識別を問うている。つまり、頻出識別語の「れ」と「ね」が問題になっている。
・基本手順にしたがって単語に分け、識別法で分析してみる。

【え□ゆるさ□れ□たまは□ね□ど】

(1)まず、「ね」について見る。
・「ね」は未然形に接続し、下に「ど」が連絡している。
➡これは打消の助動詞「ず」の已然形とわかる。
➡すると選択肢の④・⑤・⑥は×
(2)次に、残りの①・②・③の「れ」を見る。
 尊敬・受身の助動詞か、完了の助動詞かということ、つまり未然形接続か、已然形接続かということが問題になる。
☆「ゆるさ」は未然形なので、①か②かが正解ということになる。
(3)すると、「れ」が尊敬か受身かということを判断しなければいけない。
※問題文全体の内容を見ると、「受身」と判断することができるが、ここでは省略されている。
下に接続する「たまふ」との関係から、わかる。
➡「れ」の直後に「たまふ」があると、「れ」は尊敬にならない。
 ゆえに①は不正解。

【ポイント】
・識別では、接続のしかたに注目すること!
・尊敬の補助動詞「給ふ」を下接する
 「る・らる」の連用形「れ・られ」は尊敬にならない
 「す・さす」の連用形「せ・させ」は通常尊敬になる

(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、75頁~77頁)

攻略法5 文法問題② 敬語


文法問題でもう一つ押さえる必要があるのは、敬語。
敬語問題は、仕組みの理解と単語の暗記が決め手。
 主体・客体、誰から誰への敬意を表しているかに注意。

1.敬語の仕組みを理解する。
①主体(主語)と客体(目的語にあたる人物・受け手)を見つける。
②誰から誰への敬意か判断する。
 誰から➡地の文=語り手(作者)から
     会話文=話し手から
 誰への➡a 尊敬語=動作の主体への敬意
     b 謙譲語=動作の客体への敬意
     c 丁寧語=聞き手または読み手への敬意(会話文や手紙文に用いられることが多い)

2.頻出敬語「侍り」「候ふ」「奉る」「聞こゆ」の意味をマスターする。
<合格のための+α解説>
※現代語の「ます」は丁寧の補助動詞だが、古文の「ます」は常に尊敬語。
・「おはします」は、尊敬語「おはす」(いらっしゃる)に尊敬語の「ます」(いらっしゃる)がついてできたもので、強い尊敬を表す。
(本動詞にも補助動詞にも用いられる)
<注意>
・「おはします」の「ます」を丁寧語だと思って、「いらっしゃいます」と訳してしまうと、落とし穴にはまることになる。
・「います」も、「まします」も、「ます」をもとにした語。
 意味も「ます」と同様で、「いらっしゃる」。
(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、88頁~89頁、94頁)

攻略法8 内容合致・主旨選択問題①


・センター試験では、内容合致(不合致)問題や主旨選択問題が頻出したそうだ。
 これらは内容が理解できているかどうかを確かめる、とてもよい問題だった。
 内容合致の問題だからといって、文章の隅から隅まで見る必要はないようだ。
 しかし、「なんとなく」という印象や、第六感で判断してはいけない。
 次のような、もっと論理的な見方が必要となるという。

<内容合致・不合致問題の選択のポイント>


①主人公の会話・行動にチェックを入れる。
 主人公の会話・行動は、全体の内容理解に欠かせないから、選択肢になりやすい。
②選択肢と対応する部分があるハズ。
 ⇒対応部分を探し出し、内容が正しいか判断する。
③選択肢と対応する部分がなかったり、選択肢に書かれている内容に余分な表現が加わっている場合は、本文から読み取れないのだから合致しない。
 ⇒本文にないことを、「なんとなく予想できる」とか、深読みして補って、「読み取ろうとすれば、そういえるかもしれない」などと思う必要は一切ない。
④内容理解を大きく左右する重要語句の訳出が正しいかチェックする。
⑤数・月・季節の記述が正しいかチェックする。
⑥主体・客体が正しいかチェックする。
(主体・客体の入れ替えもよくある)
⑦使役「す・さす・しむ」と受身「る・らる」、尊敬「給ふ」と謙譲「申す・奉る」など、対立的語句の入れ替えに注意。
⑧不合致問題は、不合致の場合は確実に本文と異なる部分がある。曖昧な選択肢はとりあえず残す。
(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、122頁~124頁)



例題24 (内容合致問題)
次の文章は『栄華物語』の一節である。

例題24(内容合致問題)
次の文章は『栄華物語』の一節である。あまりにも華美であった皇太后藤原妍子(けんし)の年始の大饗(たいきょう:正月に行われる宴会)を、兄の関白藤原頼通が咎める場面から始まっている。これを読んで、後の問いに答えよ。

関白殿(=頼通)うちに入らせ給ひて、御前(=妍子)に申させ給ふ。「今日の事、すべ
ていと殊の外にけしからずせさせ給へり。この年ごろ、世の中いとかういみじう(=ぜいた
くに)なりにて侍る。また一年の御堂の会(=法成寺金堂落成供養の法会)の御方がたの女
房のなりどもなどぞ、世に珍らかなる事どもに侍りしかど、それは夏なれば事限りありて術
なかりけり。なでふ人の衣か、二十着たるやう候ふ。さらにさらにいとけしからずおはしま
す。いま御堂に今日の事ども問はせ給はば、この女房の衣の数により、御勘当(=叱責)侍
らむずらむと思ひ給ふるこそ、いと苦しう候へ。宮々によき事候へば、うち笑ませ給ひて、
いとよしとおぼしめしたり。かやうの例ならぬ事候へば、まづ追ひたてさせ給ふに、いと軽々に候ふや。『大宮(=彰子)・中宮(=威子)は、女房のなり六つに過ぐさせ給はねばいとよし。
この御前なむ、いとうたておはします。』とこそは常に候ふめれ。」など申しおかせ給ひて、
出でさせ給ふ。女房達ゐすくみて、立つ心地いとわびし。……。
 またの日、御堂より、「関白殿、とく参らせ給へ。」とあれば、「何事にか。」とて、急ぎ参らせ給へれば、世間の御物語なりけり。……(頼通は)ありし事ども聞こえさせ給へば、(道長は)
いみじう腹立たせ給ひて「あさましう珍かなる事どもなりや。衣は七つ八つをだに安から
ぬ事と思へば、中宮・大宮などには皆申し知らせて、いみじき折節にもただ六つと定め申した
るを誤たせ給はぬに、この宮こそ事破りにおはしませ。」と過ぎたる事ののしらせ給ふ……。
                               (栄華物語)
(参考系図)
 道長(御堂)―彰子(大宮)
       ―頼通(関白殿、大臣)  
       ―妍子(御前、宮)
       ―威子(中宮)

問 本文の内容と合致するものを、①~⑤のうちから一つ選べ。
①頼通は、質素にするようにという道長の考えを理解してはいたが、姉妹たち全員に実行させるには至らなかった。
②彰子と威子は、妍子と異なり華美なふるまいをさけ、二十枚以内と決められていた女房の着物も六枚しか着せなかった。
③頼通は妍子にあらかじめ華美な服装をさけるように注意したが守ってもらえず、話を聞いた道長に叱られるはめになった。
④道長は子供の幸運を人一倍喜ぶ子煩悩な親であり、逆に彼らが言い付けを守らないような場合にはこんこんと諭した。
⑤万事が華美になっていた当時、夏の衣装が派手になるのは仕方がないとされたが、正月は地味にしているほうが奥ゆかしかった。



※内容合致問題では、対応箇所を探し吟味することがポイント!

【解答】①
【解説】
まず①から
・質素な服装を「姉妹全員に実行させるには至らなかった」は、前書きに「妍子」が華美であると書かれていることから、合っている。
 ポイント1にあるように、この主人公「頼通」の会話・行動に注目。
 妍子に対して、「今日の事、すべていと殊の外にけしからず……」と述べていることでもわかる。
・「けしからず」は重要古語
 ①異様だ・奇怪だ、②不都合だ・無差別だ、③常識外れだ、という意味。
 今回は、「不都合だ」、「常識外れだ」と訳して不自然ではない。
 ともに、妍子の服装を咎めていることになる。
・道長が彰子や威子に比して、妍子の華美な服装を常々注意していたことが分かる。
 とすると、①が正解になりそうだ。

また、③について
・ポイント6にあるように、主体・客体に注目すると、あらかじめ華美な服装を注意している主体を頼通としているので×。

②について
・ポイント5にあるように、「二十枚以内」という数に注目してみよう。
 なでふ人の衣か、二十着たるやう候ふ。
(どんな人の着物でも二十枚重ねて着ていることがありましょうか、いやありません)
 だから②は×
・この部分は、妍子が二十枚も着物を重ねるほどの、華美な服装を頼通が咎めているけれど、二十枚以内ならよいわけではない。最初に示した道長の発言の中にも、
『大宮(=彰子)・中宮(=威子)は、女房のなり六つに過ぐさせ給はねばいとよし。……』
とあるように、六枚を超えていないのでよいと述べている。ゆえに②は×

④について
・対応する部分を探すと、第二段落が対応している。
 言いつけを守らないことに対して、道長は、
「あさましう珍かなる事どもなりや。……事破りにおはしませ。」と過ぎたる事ののしらせ給ふ……
 と腹を立てている。
 ポイント4にもあるように、この部分の重要古語「ののしる」に注目すると、
 ののしる ①大声をあげる・騒ぐ、②(動詞のあとについて)大変~
 「ののしる」は④の選択肢中の「こんこんと諭した」に対応していない。
 ゆえに×

⑤について
・対応する部分を探すと、頼通の会話部分が対応している。
 「それは夏なれば事限りありて術なかりけり。」
 (それは夏なので(着重ねるにも)限度があるので仕方がなかった。)
 要するに、夏は暑いので沢山着ても限度があるが、冬はそれがなくなるから沢山着こむことになってよくないと言っている。
 ゆえに⑤も×
 結局、①が正解。

【解釈】
関白殿(=頼通)が(皇太后妍子の)御所にお入りになって、妍子様に申し上げなさる。「今
日の事は、すべてとても格別に不都合なふうになさった。この数年来、世の中がとてもこのようにぜいたくになっています。また先年の御堂の落成供養のときの皆様の女房の服装などは、
実にめずらしい(きらびやかな)事々でございましたが、それは夏なので(着重ねるにも)限度があるので仕方がなかった。どんな人の着物でも二十枚重ねて着ていることがありましょう
か(いやありません)。まったくまったく実に非常識でいらっしゃる。いま御堂(=道長)に
今日の事々をお問いになるならば、この女房の着物の数によって御叱責があるでしょうと存じ
ますことが、とても辛いことでございます。(御堂は)宮々に良いことがありますならば、微
笑みなさって、とてもよいことだとお思いになっています。このような異例なことがあります
ならば、真っ先にその場から立ち去らせなさるのに、全く軽率でございますなあ。『大宮(=
彰子)と中宮(=威子)は、女房の服装を六つ以上になさらないので実に結構だ。この御方(=
妍子)におかれましては、とても嘆かわしいことでいらっしゃる。』と(御堂は)常におっしゃっているようです。」などと申し置きなさって、(その場から)お出になった。女房達は、座ったままこわばった状態で、立ち上がる気持ちといったらとても辛い……。
 翌日、御堂から、「関白殿、はやく参上しなさい。」と(お呼び出しが)あるので、「何事で
あろうか。」と思って急いで参上なさると、様々なお話をなさった。……(頼通は)例の事々
を申し上げなさると、(御堂=道長は)ひどく立腹なさって「あきれるほど珍しい事々である
なあ。着物は七・八枚でさえ(重ねて着るのを)心穏やかでない事と思うので、中宮・大宮などには皆お知らせ申し上げて、大事な行事の時々にもただ六枚とお定め申し上げたことをお破りにならないのに、この宮(妍子)は規則違反でいらっしゃる」……と大げさに大声をおあげ
になる。
(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、124頁~132頁)

<合格のための+α解説>
内容合致・不合致問題、主旨選択問題の選択肢は、内容理解の大きなヒント

……「次の文章を読んで後の問いに答えよ」という設問を真に受けてはいけない。
なぜなら、「文章を読んで」から設問に取りかかったとしても、(問題を解くためには)また最初に戻って読まなければならないから。
 当たり前だが、まず設問を読んで、何が問われていて、何に注意して本文を読むか、見当をつけること。
 たとえば、不合致問題なら、選択肢の一つ(ないしは二つ)を除いて、内容は本文と合致しているのだから、これを読めば内容のアウトラインの七・八割は分かるはず。

 また、内容合致問題にしても、不正解の選択肢の内容のすべてが合致していないのではなく、一部分が合ってないという選択肢がほとんど。やはりヒントになるはずだ。
※内容合致・不合致問題は、設問としては難しいけれど、逆に内容理解のヒントにもなるのだ!
(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、133頁)

攻略法10  和歌関連問題①(和歌解釈の方法)



まずは、和歌解釈の方法を押さえること。
1五・七・五・七・七のリズムに分ける。
2文の終わりに相当する部分を見つけ、句点(。)をつける。
 ◆一番最後につく(句切れなし)。
 ◆句切れがある場合、句点(。)は複数つく。
 ◆倒置法の場合、結句末は、読点(、)になる。
<例>
 一方に袖や濡れまし。旅衣たつ日を聞かぬらみなりせば、
3句点(。)の前後を見比べて、その関係をつかむ。
 ①句点の後が、前の理由説明になっている。
  ⇒「というのも」「なぜなら」を補うと理解しやすい。
 ②句点の前後が、順接の関係になっている。
  ⇒「だから」などを補うと理解しやすい。
 ③句点の前後が、逆接の関係になっている。
  ⇒「しかし」「けれども」などを補うと理解しやすい。
 ④句点の前後が、倒置されている。

4解釈のヒントを見つける。
 ①ヒントは和歌の近くの文章中にある。
 ⇒和歌の前後にその和歌が詠まれる契機となった事柄が示される。
 ②ヒントは和歌の近くの和歌の中にある。
 ⇒複数の人物が和歌をやりとりする場合、贈られた歌の表現や内容をうけ、返歌を詠む。

5主体を表すことばがなければ、その動作の主体は詠み手自身。
 ⇒和歌は、自らの気持ちを凝縮した表現。

(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、142頁~144頁)

修辞における「知的効果」の味わい方として、黒川行信『体系古典文法』(数研出版)において、次のように記している。
①物語の文脈、詞書などから作歌意図をつかむ
②五七五七七に分かち書きして、リズムや切れ字などを把握する
③枕詞、縁語、掛詞の代表例を覚えておく

(黒川行信『体系古典文法』数研出版、2019年[1990年初版]、138頁)

攻略法11 和歌関連問題②(掛詞の攻略法)


次に、和歌の修辞問題、(1)掛詞(かけことば)の攻略法について考えてみよう。
掛詞が分からないと、和歌の意味が理解できない場合もある。
●掛詞の特徴と見つけ方
①掛詞とは、同じ部分に重ねられた同音異義語で、一つの歌の中に複数のイメージを組み込んだ技法。
②上から読んで、急に意味が理解しにくくなる部分に掛詞がある。
⇒掛けられた双方の意味を解釈に反映しないと理解できない場合が多いため。
③物(現象事象)と心(心象人事)の掛詞が多い。
 <例> ながめ(「長雨」=現象と「ながめ」=心象」
 花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に(古今集・巻二・小野小町)
 ふる(降る・経る)
 ながめ(長雨・眺め)
【現代語訳】
 桜の花の色はむなしく色あせてしまったことだなあ、長雨が降り続いて見ることもできずにいるうちに。そのように私の容色もむなしく衰えてしまったことだ、自分が生きてゆくことで物思いをしていた間に。
 
※和歌には、<表の意味>と<裏の意味>があることが多い。二つを橋渡ししているのが掛詞である。多くの場合、
●表の意味=自然物・地名
●裏の意味=人事・人の心情となる。
上記の小野小町の歌では、「長雨―降る」が自然物で表の意味、「眺め―経る」が人事で裏の意味ということになる。

4掛詞は双方の長さが違う場合もある。
 <例>おもひ(「思ひ」と「火」)
5清音・濁音の違いは許容される。
 <例>おほえ(「大江」と「覚え」)

※掛詞は平仮名で書かれることが多い。二つの漢字をあてるとすればどうなるかを考えることが、掛詞を見つけるコツである。
※掛詞は、つまり「ダジャレ」みたいなものと考えるとわかりやすい。

(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、150頁~151頁、黒川行信『体系古典文法』数研出版、2019年[1990年初版]、136頁~138頁、仲光雄『古文上達 基礎編 読解と演習45』Z会出版、2006年[2020年版]、168頁~169頁)

掛詞の例題と練習問題


和歌の修辞としての掛詞の例題をみてみよう。
  あふことをいつともしらぬわかれぢはいづべきかたもなくなくぞゆく
                         (とりかへばや)

【問】この和歌には掛詞が用いられているが、その掛詞を含む句を、次の①~⑤のうちから一つ選べ。
 ①あふことを ②いつともしらぬ ③わかれぢは ④いづべきかたも ⑤なくなくぞゆく

【解法】
①この歌をリズム分けし、文の終わりに相当する部分を探すと、結句末に句点(。)をつけることができる。つまり、句切れはないから、ストレートに上から読んでいけばよい。
②次に掛詞の特徴である「突然意味が理解しにくくなる部分」を探すと、第四句と結句、「いづべきかたも」から「なくなくぞゆく」に移っていく部分で、意味が理解しにくくなっている。
⇒それは、「いづべきかたもなく」と「なくなくぞ行く」という文脈が、掛詞によって接合されているからである。
⇒「なくなく」の部分に、「無く」と「泣く泣く」とが掛けられている。

【解答】 ⑤

(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、152頁~153頁)



掛詞の練習問題


掛詞の練習問題をみてみよう。
【問】次の和歌から掛詞を抜き出し、何と何が掛けられているかを説明せよ。

①秋の野に人まつ虫の声すなり我かと行きていざとぶらはむ (古今集)

②難波江(はにはえ)の葦(あし)のかりねのひとよゆゑみをつくしてや恋ひわたるべき
                             (千載集)

【解答】
①「まつ」に「松」と「待つ」を掛ける。

②「かりね」に「刈り根」と「仮寝」を掛ける。
 「よ」に「節(よ)」と「夜」を掛ける。
 「みをつくし」に「澪標」(みをつくし:水路標識)と「身を尽くし」を掛ける。
※掛詞を三つ含む。どれも覚えておくべきものである。
 ちなみに、「難波江の葦の」は序詞である。

【現代語訳】
①秋の野に人を待つ(かのように)松虫の声がするようだ。待っているのは我かと行って訪ねよう。
②難波の入り江の葦の刈り根の一節(ひとよ)ではないが、一夜(ひとよ)の仮寝のために、あの澪標のように身を尽くして恋い続けることだ。
(仲光雄『古文上達 基礎編 読解と演習45』Z会出版、2006年[2020年版]、169頁)


≪古文の読解~元井太郎『古文読解が面白いほどできる本』より≫

2024-02-12 19:00:15 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪古文の読解~元井太郎『古文読解が面白いほどできる本』より≫
(2024年2月12日投稿)

【はじめに】


  今回のブログでは、次の参考書をもとに、古文の読解について解説してみたい。
〇元井太郎『改訂版 元井太郎の古文読解が面白いほどできる本』KADOKAWA、2014年[2019年版]
 とりわけ、「おすすめの勉強法!」をはじめ、『源氏物語』「薄雲」を中心に、『栄花物語』 や本居宣長の『玉の小櫛』『玉勝間』について見ておく。あわせて和歌について『更級日記』の問題を取り上げてみた。そして『兵部卿物語』の一節から、センター試験の問題を紹介しておく。

 なお、著者の元井太郎先生のプロフィールについては、次のようにある。
【元井太郎先生のプロフィール】
東京大学大学院人文科学研究科、国語・国文学専攻博士課程満期退学
専攻は『源氏物語』
代々木ゼミナール古文科講師



【元井太郎『改訂版 元井太郎の古文読解が面白いほどできる本』KADOKAWAはこちらから】

元井太郎 改訂版 元井太郎の古文読解が面白いほどできる本





元井太郎『改訂版 元井太郎の古文読解が面白いほどできる本』
【目次】
第一講 本文読解の原則
原則① 主語・目的語をたどれ!
原則② 指示語の反射神経を高めろ!
原則③ 順接・逆接は“命”!
原則④ 言葉のかかり関係(主部―述部)がきかれるゾ!

第二講 さらに得点アップ!の原則
原則⑤ セリフのカッコ
原則⑥ 敬語を読みに使え!
原則⑦ 和歌は本文との関係!

第三講 “読解”を点数に結びつけろ!
実戦① 答え本文にあり! 本文たどって、選択肢と照合!
実戦② センターの問題が解けちゃった!
実戦③ おすすめの勉強法!




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・おすすめの勉強法!
・和歌について~『更級日記』より
・『源氏物語』「薄雲」
・『栄花物語』 の一節
・本居宣長の『玉の小櫛』
・本居宣長の『玉勝間』
・『兵部卿物語』の一節






おすすめの勉強法!


〇「はじめに」(4頁~5頁)において、
・本書の内容をとりあえずたどって読むことをすすめている。
 通読することで、大学側が要求している古文読解のイメージと、本番で点をとるイメージをつかんでほしいという。
 (古文の苦手な方や、高一・高二の方などは、例題の全文訳をはじめに見てもかまわない)
 1か月で2~3回ほど通読してみるぐらいのペースがよい。(暗記のコツは、くり返し!)
・本番レベルの得点分析から、効率よい勉強法のイメージを自分なりにつかんでもらうのが、本書の意図することだとする。

・受験生に贈る言葉
「苦悩のあとの歓喜を」(L.V.ベートーヴェン・第九、というかシラー)
「明けない夜はない」(W.シェークスピア)
「汝は汝の汝を生きよ。汝は汝の汝を愛せ」(M.スティルナー)

〇「第三講 “読解”を点数に結びつけろ! 実戦③ おすすめの勉強法!」(309頁~318頁)において、次のように述べている。

<視点>
・本番で高得点するために、いかに古文を短時間の勉強量でこなし、他教科に時間をまわせるか!
 本番で、いかに速く正解できるか?が問われている。

<勉強法>
①各教科の基礎をザット覚える。
(反復復習が有効。ある程度わかったら、本番レベルの設問分析と並行して、基礎を引き続き定着させる。基礎だけ独立して学習しようとしない)
②第一志望レベルの問題で、得点に至る過程を分析する。
③出題のパターン性を、問題量をこなす中でつかむ。
④復習を中心に制限時間を意識し、本番で得点できるイメージを作り上げていく。

※基礎をふまえた具体的な問題から、自分なりに得点できるアプローチを作ることが大事。
 「自分なりに」つかんだ方法でないと、本番で使えない。
 他人のマネをしても、本番では得点できない。“自力本願”あるのみ。
(抽象的な方法論に走ってはいけない。具体的な問題をこなしていく中で、自然と自分なりのアプローチがつかめてくるはずである)
 
〇おすすめの学習要素
1 まずは、本番第一志望レベルの問題(過去問・受けない他学部の過去問・同レベル他大の過去問など)を、解くか解かないかの中間ぐらいで分析
・全訳があったら活用する。
 全訳を活用して、全文の主語、目的語を拾いだす。
 つまり、直訳のために全訳を使うのではなく、文脈のために全訳を活用する。
 わかった文脈で、古文の全文をザットたどる。
・設問の正解・解答を活用する。
 正解の本文根拠を、正解そのものが本文のどこにどうあるか? という視点で本文をチェックする。
・選択肢の研究
 正解の選択肢の本文根拠だけでなく、不正解の選択肢の本文根拠もさぐる。
 選択肢の現代語の言いまわしと古文の単語・文法を照合しておく。
 選択肢の横の構成ポイントを切ってみて、量をこなす。

<問題分析のガイドライン>
①全訳で文脈(主語・目的語)を通し、本文の全体的な話をつかむ。
②全訳で通した文脈を、古文の本文でたどる。
 訳的にわからないところは、すぐ全訳を見て照合する。
③設問の正解をチェック(問題を解かない)
④選択肢の分析(できたら、「出題意図は何?」とさぐる)
⑤正解・不正解の根拠を、本文でチェック
⑥本文根拠と、設問の傍線の関係を分析
(この段階で出題意図がわかることが多い)

2 復習をメインにする。(本番での“解けるイメージ”を固めること)
・まっ白い本文でなく、根拠をチェックした本文をたどり直す。
(本文の文脈を古文的に読み直しながら、対応するところでは、“目のとばし” (斜め読み)
を練習し、古文の読み慣れ、速読を心がける)
・設問にからんでいない単語・文法を、読み込みながら覚えようとする。
・一回の復習(チェックしたあとの“読み込み”)は、30分以内をメドとする。
(とにかく一回で復習し切ろうとしない。何度も反復する中で具体的につかもうとすることを心がける)
・“読み込み”のための問題の量をためる。
(慣れるまでは、数題の同じ問題をくり返す。慣れてきたらどんどん問題量を増やし、反復して“読み込む”)
・選択肢と本文根拠を、“読み込み”の中で、何度も照合する。
・メインの教科の合い間に、古文の“読み込み復習”をさし込む。
(最低一日一回は、古文の速読をやる。チェックしてある本文だから、時間もかからない)

※これらの要素に留意して、生活にとりいれること。
 初めは手ごたえがないので悩むかもしれないが、一か月は続けてみて、効果を測ってみること。
 実験心理学で「フィード・バック」という。
 「人間の記憶容量を保つには、くり返しが最も効果ある」ことは、実証されている。
 これにもとづいた復習法がよい。

(元井太郎『改訂版 元井太郎の古文読解が面白いほどできる本』KADOKAWA、2014年[2019年版]、4頁~5頁、309頁~318頁)

和歌について


和歌の勉強法
〇暗記系(縁語・掛詞・枕詞・序詞)は基本としてザットおさえておく(但し、配点は低い)
〇大学の出題意図は、「文全体の構造における和歌の対応関係」である。
(元井太郎『改訂版 元井太郎の古文読解が面白いほどできる本』KADOKAWA、2014年[2019年版]、194頁~196頁)

例題として、『更級日記』を取り上げている。
次の文章を読んで、後の問いに答えよ。

継母なりし人は、宮仕へせしが下りしなれば、思ひしにあらぬことどもなどありて、世の中うら
めしげにて、外にわたるとて、五つばかりなる児どもなどして、「あはれなりつる心のほどなむ、忘れむ世あるまじき」など言ひて、梅の木の、つま近くていと大きなるを、「これが花の咲かむをり
は来むよ」と言ひおきてわたりぬるを、心のうちに恋しくあはれなりと思ひつつ、しのびねをのみ
泣きて、その年もかへりぬ。いつしか梅咲かなむ、来むとありしを、さやあると、目をかけて待ち
わたるに、花もみな咲きぬれど、音もせず。思ひわびて、花を折りてやる。
  A 頼めしをなほや待つべき霜枯れし梅をも春は忘れざりけり
と言ひやりたれば、あはれなることども書きて、
  B なほ頼め梅のたち枝は契りおかぬ思ひのほかの人も訪ふなり
                         『更級日記』<四天王寺国際仏教大・文>

問一 A・Bの歌の句切れとして適切なものをそれぞれ次の中から選べ。
   ①初句切れ ②二句切れ ③三句切れ ④四句切れ

問二 本文中A「頼めしを」の和歌の解釈で、正しいものはどれか。
①頼みにしていた梅の花は霜枯れて、春がきたというのにまだ咲いてくれない。まだ待ちつづける
 ことになるのか。
②頼みにしていた春は忘れずに来たのに、梅は霜枯れて咲かず、待ち続けていた人もまだ訪れて
 こないのか。
③霜枯れていた梅にも春は訪れて花を咲かせたのに、約束したあなたはまだ来ない。まだ待ちつづ
 けなければならないのか。
④霜枯れていた梅の花も待ったかいあって春とともに花ひらいた。やがてあなたもたずねて来るこ
 とであろう。

【解説と解答】
大学側が求めていることは、本文の対応を、基礎をふまえてザット見抜くこと。
<問一の解説>
・Aは「や~べき」の“文中の係り結び”に注目。
・Bは「頼め」(四段活用「頼む」の命令形)の命令形に注目。
<問一の解答>
・Aは②(二句切れ)、Bは①(初句切れ)

<問二の解説>
メインの人物は、「筆者と継母(二人は仲良し)」の二人のみ。
⇒「主語・目的語のたどり」は簡単!

・選択肢の系列を見抜くこと! 
 ●①②⇒「梅咲かない」
 ●③④⇒「梅咲いた」
☆「和歌と本文との関係」として、Aの和歌の下の句「梅をも春は忘れざりけり」の本文対応をさぐると、ℓ.6「花もみな咲きぬれど」と対応していることがわかる。
 ⇒和歌A「梅」―――ℓ.6「花(=梅)」がヒントのキーワード
ここで、選択肢を、この本文対応を根拠に照合して、①②即消し。

③と④を比較すると、③の「約束」「~ならないのか(疑問)」の二点が、本文と対応している。
(1) 約束 
  選択肢 ③「約束したあなた」
   ⇕ ≪照合≫
  本文 ●ℓ.7 和歌A「頼めし」 ●ℓ.5「(継母は)来むとありし」 ●ℓ.3~ℓ.4 (継母カッコ)「これが花の咲かむをりは来むよ」(継母と筆者の約束)

(2)  ~ならないのか(疑問)
選択肢 ③「~ならないのか」
   ⇕ ≪照合≫
  本文 ●ℓ.7 和歌A「~や~べき」(疑問の係り結び)

<問二の解答> ③

【試験にでる! 単語・文法・熟語】
・「世の中」 (名)男女の仲
・「いつしか」 (副)早く~したい(~してほしい)
・「咲かなむ」<未然形+「なむ」(あつらえ 終助詞>人に~してほしい
・「頼めし」下二段活用「頼む」の連用形([人を]頼みに思わせる)+助動詞・過去「き」の連体形
・「頼め」四段活用「頼む」の命令形 依頼する

【全文訳】
継母であった人は、宮仕えしてた人が、父と結婚して上総(かずさ)に下ったので、継母が思っていたのとは違ったことなどがあって、父との夫婦仲がうまくいかず、離婚してほかのところへ行くということで、五歳ほどである子どもなどを連れて出て行くことになり、そのときに、継母は私に「あなたのしみじみと優しかった心を忘れることはありませんでしょう」などと言って、梅の木で、軒先近くて大きな木をさして、「この梅の木の花が咲くときには来ましょう」と私に言いおいて出て行ったので、私は心の中で「継母が恋しく悲しい」と何度も思っては、しくしくと泣いて、その年も明けて新年になった。新年になって私は「早く梅が咲いてほしいなあ。梅が咲いたら継母は来ようと言っていたけれど、本当に来てくれるかしら」と思い、梅の木を注意して花が咲くのをずっと待っていたが、梅の花はみんな咲いたけれど、継母からは、なんの音沙汰もない。私は、困って、梅の花を折ってその枝に次の歌をつけて、継母のところに送った。
  頼めしをなほや待つべき霜枯れし梅をも春は忘れざりけり
(あなたが私に頼みに思わせた約束を依然として待つのがよいのでしょうか。去年の冬は霜に枯れていた梅も、今では春を忘れず花を咲かせたことです)
と言いやったところ、継母は返事にしみじみとしたことを書いて、
  なほ頼め梅のたち枝は契りおかぬ思ひのほかの人も訪ふなり
  (依然として信頼しなさい。あなたの家の梅の木には約束していない意外な人[恋人]もやってくるのです)

(元井太郎『改訂版 元井太郎の古文読解が面白いほどできる本』KADOKAWA、2014年[2019年版]、198頁~205頁)

『源氏物語』「薄雲」


『源氏物語』「薄雲」
次の文章は、『源氏物語』「薄雲」の巻において、源氏がわが子明石の姫君を紫の上の養女にするために、明石の上と姫君の母子が住んでいる大堰(おおい)の山荘を訪れ、明石の上が姫君と別れるところである。これを読んで、後の問いに答えよ。

 この雪すこしとけて渡りたまへり。例は待ちきこゆるに、さならむとおぼゆることにより、胸う
ちつぶれて人やりならずおぼゆ。「わが心にこそあらめ。辞びきこえむを強ひてやは。あぢきな」と
おぼゆれど、軽々しきやうなりとせめて思ひかへす。いとうつくしげにて前にゐたまへるを(a)見た
まふに、おろかには思ひがたかりける人の宿世かなと思ほす。この春より生ほす御髪、尼のほどに
てゆらゆらとめでたく、つらつき、まみのかをれるほどなどいへばさらなり。よそのものに思ひや
らむほどの心の闇、(b)推しはかりたまふにいと心苦しければ、うち返しのたまひ明かす。「何か、かく口惜しき身のほどならずだにもてなしたまはば」と聞こゆるものから、(c)念じあへずうち泣くけはひあはれなり。
 姫君は、何心もなく、御車に乗らむことを急ぎたまふ。寄せたる所に、母君みづから抱きて出で
たまへり。片言の、声はいとうつくしうて、袖をとらへて乗りたまへと引くもいみじうおぼえて、
  末遠きふたばの松にひきわかれいつか木だかきかげを見るべき
えも言ひやらずいみじう泣けば、さりや、あな苦しと(d)思して、
  「生ひそめし根もふかければ、たけくまの松にこまつの千代をならべん
のどかにを」と慰めたまふ。さることとは思ひ静むれど、えなんたへざりける。乳母、少将とてあ
てやかなる人ばかり、御佩刀(みはかし)、天児(あまがつ)やうの物取りて乗る。副車(ひとだまひ)、よろしき若人、童など乗せて、御送りに参らす。道すがら、とまりつる人の心苦しさを、いかに、罪や得らむと(e)思す。
                           『源氏物語』<立教大・文>

(注)
・尼のほど――「尼そぎ」といって肩にかかっているぐらいの長さで切り揃えた髪型。
・心の闇――人の親の心は闇にあらねども子を思ふみちにまどひぬるかな(後撰集・雑一・藤原兼輔)を踏まえた表現。
・たけくまの松(武隈の松)――現宮城県岩沼市の旧国府の跡にあったといわれている。ふたまたの松。
・御佩刀――姫君の守り刀。
・天児――幼児の魔除けの人形。
・副車――随行者の乗る車。

問 傍線部(a)~(e)はそれぞれだれの動作・行為か。次の中から最も適当なものを選び、番号で答えよ。
 ①源氏 ②明石の上 ③明石の姫君 ④少将

【解答】
 (a)-① (b)-①  (c)-② (d)-① (e)-①

(元井太郎『改訂版 元井太郎の古文読解が面白いほどできる本』KADOKAWA、2014年[2019年版]、174頁~182頁)

【全文訳】
源氏は、この雪が少しとけてから渡りなさる。いつもは源氏の訪れを(楽しみに)待ち申し
上げるけれど、今回は、姫君をひき取るためだと思われるので、明石の君は、胸がつぶれるよ
うで、全く自分のせいでこうなったのだと思われる。明石の君は「私の心しだいなのであろう。姫君を渡すのを拒否し申し上げるのを源氏が無理に引き取りはなさらないだろう。拒否しなかったのはつまらないことだ」と思われれるけれど、今さら断るのは軽々しいことだと強いて思い返す。姫君がたいそうかわいらしく前にいなさるのを源氏が見なさるにつけ、「いいかげんには思えない明石の君との運命だな」と源氏は思いなさる。この春からのばしなさる姫君の髪は、尼そぎのほどでゆらゆらとしてすばらしく、頬のふっくらとした様子や、目つきの美しさなど、かわいらしいことは言うまでもない。他人に手ばなすことを考える母明石の君の親心を、源氏が推測なさると、たいそう気の毒なので、何度も説明しなさる。明石の君は「なんで悲しみましょうか。私のように卑しい身分でないようにさえ、姫君を扱いくださるならば(本望です)」と申し上げるけれど、明石の君ががまんできず泣く様子は、しみじみとかわいそうである。
 姫君は、何も考えず、御車に乗ることを急ぎなさる。車を近づけたところに、母明石の君みずから抱いて出なさる。姫君の片言の声はたいそうかわいらしく、明石の君の袖をつかんで引っぱるのも明石の君はたいそう悲しく思われて、
 末遠き~(生い先の遠い幼い姫君に、今別れて、いつになったら成長した姫の姿を見ることができるのでしょうか)
と言い切ることもできず明石の君がたいそう泣くので、「そうだなあ、ああ気の毒だ」と源氏は思いなさって「生ひそめし~(私と明石の君との因縁は深いので、いつかは三人で暮らせるようにしよう)だから気楽に待っていておくれ」となぐさめなさる。明石の君は「そうなることだ」と思い静めるけれど、悲しみを我慢できない。姫君の乳母の少将といって、美しい女房だけが、姫君の守り刀や人形のようなものを持って車に乗る。別の車に、まあ美しい女房や、童などを乗せて御送りに参上させる。源氏は、途中で、残った明石の君の気の毒さを「どうであろうか、私は罪をえてしまうことをしたのではないだろうか」とお思いなさる。
(元井太郎『改訂版 元井太郎の古文読解が面白いほどできる本』KADOKAWA、2014年[2019年版]、181頁~182頁)

『栄花物語』の一節


『栄花物語』
次の文章は『栄花物語』 の一節である。
藤原伊周(これちか)・隆家兄弟は、藤原道長との政争に敗れて、伊周は播磨に、隆家は但馬に配流されている。これを読んで、後の問いに答えよ。

 はかなく秋にもなりぬれば、世の中いとどあはれに、荻吹く風の音も、遠きほどの御けはひのそ
よめきに、おぼしよそへられにけり。播磨よりも但馬よりも、日々に人参り通ふ。北の方の御心地
いやまさりに重りにければ、ことごとなし。「帥殿今一度見奉りて死なむ死なむ」といふことを、
寝てもさめてものたまへば、宮の御前もいみじう心苦しきことにおぼしめし、この御はらからの
主たちも、「いかなるべきことにか」と思ひまはせど、なほ、いと恐ろし。北の方はせちに泣き恋ひ
奉り給ふ。見聞き奉る人々もやすからず思ひ聞こえたり。
 播磨にはかくと聞き給ひて、「いかにすべきことにかはあらむ。事の聞こえあらば、わが身こそは
いよいよ不用のものになりはてて、都を見でやみなめ」など、よろづにおぼしつづけて、ただ、と
にかくに御涙のみぞひまなきや。「さばれ、この身は、またはいかがはならむとする。これにまさる
やうは」とおぼしなりて、「親の限りにおはせむ見奉りたりとて、おほやけもいとど罪せさせ給ひ、
神仏もにくませ給はば、なほ、さるべきなめりとこそは思はめ」とおぼしたちで、夜を昼にて上り
給ふ。
 さて、宮の内には事の聞こえあるべければ、この西の京に西院といふ所に、いみじう忍びて夜
中におはしたれば上も宮もいと忍びてそこにおはしましあひたり。この西院も、殿のおはしまし
し折、この北の方の、かやうの所をわざと尋ねかへりみさせ給ひしかば、その折の御心ばへどもに思ひてもらすまじき所を、おぼしよりたりけり。母北の方も、宮の御前も、御方々も、殿も見奉り
かはさせ給ひて、また、いまさらの御対面の喜びの御涙も、いとおどろおどろしういみじ。上は、
かしこく御車に乗せ奉りて、おましながらかきおろし奉りける。いと不覚になりにける御心地なり
けれど、よろづ騒がしう泣く泣く聞こえ給ひて、「今は心安く死にもし侍るべきかな」と、よろこび
聞こえ給ふも、いかでかはおろかに。あはれに悲しとも世の常なりや。
                                  <センター本試>

(注)
帥殿――伊周のこと。
宮の御前――伊周の妹、中宮定子。
御はらからの主たち――北の方の兄弟。
宮の内――中宮定子の居所。
上――伊周の母、北の方のこと。
殿――伊周の父、故藤原道隆のこと。

問 傍線部「その折の御心ばへどもに思ひて」の解釈として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。
①西院の人々は、北の方が隠れ家として準備していたことを遠慮して、
②西院の人々は、道隆と北の方が住んでいたことを懐かしんで、
③西院の人々は、北の方が目をかけてくれたことに感謝して、
④伊周は、北の方が隠れ家を準備してくれていたことに感じ入って、
⑤伊周は、北の方が西院に目をかけてくれたことを思い出して、

【解答】

【解説】
・「思ひ」には敬語が使われていない。だから、「思ひ」の主語はえらくない人だとわかる。
 傍線部の前後を見てみると、直前の「西院(の人々)」が、ほぼ唯一えらくない人である。
 選択肢にもどり、主語がえらい「伊周」となっている④と⑤を即消す。
 傍線部の前後に目をとばすと、直前「この北の方の、かやうの所(=西院)をわざと尋ねかへりみさせ給ひ」が、北の方の動作として一致している。(敬語「させ給ひ」がはっきり使われている)
 ①②③で、本文に最も近いのは、③「目をかけてくれた(=「尋ねかへりみ」)」と照らし合わせて正解を導く。

【全文訳】
 はかなく秋にもなったので、あたりの様子はますますしみじみとして、荻に吹く風の音も、
遠くはなれたお二人の子どものご様子を送ってくるようにそよめいて、思わず思いが加わりな
さった。播磨からも但馬からも、日々に使いの人々が都に参上する。母の北の方のご病状はどんどん重くなったので、そのほかのことは何もなく病の心配ばかりである。「帥殿を今一度見申し上げてから死のう」ということを北の方が寝てもさめてもおっしゃるので、中宮様もたいそうお気の毒なことと思いなさり、北の方のご兄弟たちも、「(北の方の願いを実現したら)いったいどうなることだろうか」と思いをめぐらせるけれど、やはり恐ろしい。北の方は、ひたすら帥殿を泣き恋い申し上げなさる。周りで見聞き申し上げる人々も不安に思い申し上げた。
 播磨にいる帥殿も、北の方が重病で自分に会いたがっていると聞きなさって、「いったいどうすればよいのであろうか。(もし実現して)朝廷に噂が聞こえることがあるならば、わが身はますますひどいことになりはてて、都を再び見ることなく終わることになるだろう」など、帥殿はさまざまに思い続けなさり、ただもう、あれやこれやとお涙を流すばかりである。「ええい、どうにでもなれ、この身は、これ以上どうなるというのだ。このひどい状況にまさることなどない」とお考えになるようになり、「親が臨終でいらっしゃるのを見申し上げたからといって、朝廷もますます罰しなさり、
神仏も私をにくむことになりなさるならば、やはりそうなるはずの前世からの運命なのだと思おう」と決心なさって、夜に昼をついで急いで上京なさる。
 そうして、宮の内では評判が立ってしまうだろうから、西の京の西院というところに、たいそうこっそりと夜中に帥殿がいらっしゃったので、北の方も中宮様もたいそうこっそりと西院で落ち合いなさった。この西院も、殿が生きていらっしゃった頃、この北の方が、この西院のようなところを特に目をかけなさっていたので、西院の人々もその頃の北の方のお心に感謝して秘密をもらすはずのないところを、帥殿も思いつきなさったのであった。母北の方も、中宮様も、そのほかの方々も、帥殿も顔を見かわし申し上げなさって、また今さらのご対面で流す涙も、たいへんなもので悲しい。北の方は、(ご病気なので)うまく御車に乗せ申し上げて、そのお席のままだきおろし申し上げた。全く意識のないようなご病状であったけれど、何やら騒がしく泣きながら申し上げなさって、「今は安心して死にますことができるよ」と北の方がよろこんで申し上げなさるのも、人々は、並たいていの気持ちでいられようか。しみじみと悲しいといったくらいでは言いたりないほどである。


(元井太郎『改訂版 元井太郎の古文読解が面白いほどできる本』KADOKAWA、2014年[2019年版]、61頁~70頁、121頁~126頁)

本居宣長の『玉の小櫛』


本居宣長の『玉の小櫛』
次の文は本居宣長が『源氏物語』について論じたものである。
 よく読んで後の問いに答えよ。

 ここらの物語書どもの中に、この物語(源氏物語)はことに優れてめでたきものにして、おほか
た先にも後にも類なし。まづ、これより先なる古物語どもは、何事も、さしも深く、心を入れて書けりとしも見えず。ただ一わたりにて、或るは珍らかに興あることをむねとし、おどろおどろしき
さまのこと多くなどして、いづれもいづれも、もののあはれなる筋などは、さしも細やかに深くは
あらず。また、これより後のものどもは、狭衣などは、何事も、もはらこの物語のさまを習ひて、
心を入れたりとは見ゆるものから、こよなくおとれり。その他も皆異なることなし。ただこの物語
ぞ、こよなくて、殊に深く、よろづに心を入れて書けるものにして、すべての文詞のめでたきこと
は、さらにも言はず、~(略)~
                             『玉の小櫛』<上智大・文>

問 傍線部「心を入れたりとは見ゆるものから、こよなくおとれり」はどのような意味か。
①心を込めて作っているらしいから、ほんのわずかの劣り方だ。
②入念に作っているようだから、まったく劣る点がないといえる。
③気持を打ち込んで作っているように見えるが、少々劣っている。
④丹精して作っているとは思うけれども、できばえは甚だしく劣っている。

【解答】


【全文訳】
多くの物語の中で、この物語(源氏物語)は特にすぐれてすばらしいもので、全く先にも後
にも例がない。まず、源氏物語以前の古物語などは、何事においても、そんなに深く熱心に書
いているとは思われない。ただひととおりに書いているだけで、あるものは珍しくおもしろいことを中心とし、大げさなことが多かったりして、いずれも物事の情趣の点では、たいして細やかで深くはない。また源氏物語以後のものは、狭衣物語などは、何事も、ひたすらこの源氏物語の様子をまねして、熱心に書いているとは思われるけれど、この上なく劣っている。そのほかの物語も、みな大して特筆すべきことはない。ただこの源氏物語こそが、この上なく、特に深く、さまざまに熱心に書いているものであって、全く表現のすばらしいことは言うまでもなく、~
(元井太郎『改訂版 元井太郎の古文読解が面白いほどできる本』KADOKAWA、2014年[2019年版]、55頁~60頁)

本居宣長の『玉勝間』


【補足】『玉勝間』
次の文章を読んで、後の問いに答えよ。
 うまき物食はまほしく、よき衣(きぬ)着まほしく、よき家に住ままほしく、たから得まほしく、
人に尊まれまほしく、命長からまほしくするは、皆人のまごころなり。( )、これらを皆よからぬことにし、~(略)~
                           『玉勝間』<龍谷大・文>

問 (  )の中には接続語が入るが、次のうちから最も適当なものを一つ選べ。
 ①さて ②しかるに ③なほ ④しかのみならず ⑤かくして



【解答】

【解説】
〇原則~傍線・空欄の前後の+(プラス)・-(マイナス)をさぐれ!
 空欄の前後は、「~皆人のまごころなり。( )、これらを皆よからぬことにし」となっている。
 +(プラス)・-(マイナス)がハッキリと出ている。
 まごころ=+(プラス)、よからぬこと=-(マイナス)
 ⇒だから、空欄には逆接の言葉が入ることがわかる。
・設問の選択肢
 ①さて=そうして、単純接続・順接
 ②しかるに=そうではあるけれども、接続詞・逆接
 ③なほ=やはり、副詞・逆接
 ④しかのみならず=そうであるだけでなく、限定
 ⑤かくして=こうして、単純接続・順接
 本文は「強い逆接」であるから、接続詞「しかるに」のほうが妥当。

【単語・文法・熟語】
・まほしく=助動詞、希望「まほし」の連用形(未然形に接続)、~したい

【全文訳】
 うまいものを食べたいと思い、よい着物を着たいと思い、よい家に住みたい、宝を手に入れたい、人から尊敬されたい、長生きしたいと思うのは、人々の本心である。けれども、これらをみなよくないこととし、~
(元井太郎『改訂版 元井太郎の古文読解が面白いほどできる本』KADOKAWA、2014年[2019年版]、75頁~77頁)



『兵部卿物語』の一節


『兵部卿物語』

次の文章は『兵部卿(ひょうぶきょう)物語』の一節である。
 兵部卿の宮の恋人は宮の前から姿を消し、「按察使(あぜち)の君」という名で右大臣の姫君のもとに女房として出仕した。宮はそれとは知らず、周囲の勧めに従って右大臣の姫君と結婚した。
 以下の文章はそれに続く場面である。これを読んで、後の問に答えよ。

 かくて過ぎゆくほど、御心のこれに移るとはなけれど、おのづから慰むかたもある(a)にや、昼
なども折々は渡らせ給うて、碁打ち、偏継ぎなど、さまざまの御遊びどもあれば、按察使の君は
宮の御姿をつくづくと見るに、かの夜な夜なの月影に、さだかにはあらねど見し人に違ふところ
なければ、「世にはかかるまで通ひたる人に似たる人もあるにや」と思ふに、見慣るるままには、
物のたまふ声、けはひ、様体、みなその人なれば、あまり心ひとつに思ふ心もとなくて、侍従に
しかじかと語り給へば、「さればよ、我もいと不思議なることども侍り。かのたびたびの御供に
候ひし蔵人とかや言ひし人、ここに候ひて、ことさら『宮の御乳母子なり』とて、人も(ア)おろか
ならず思ふさまなり。昨日も内裏へ参らせ給ふとて、出でさせ給ふを見侍れば、たびたびの御文
もて往にたる御随身も、『御前駆追ふ』とて忙はしげなるさまにて候ひしは、かの中将は仮の御
名にて、宮にてぞおはしましけんや」と。
 いとど恥づかしく悲しくて、「さもあらば見つけられ奉りたらん時、いかがはせん。跡はかなく
聞かれんとこそ思ひしを、かかるさまにて見え奉らん、いと恥づかしきことにも」と、今さら苦
しければ、宮おはします時はかしこうすべりつつ見え奉らじとすまふを、「人もいかなることに
かと見とがめんか」と、これも苦しう、(A)「とてもかくても思ひは絶えぬ身なりけり」と思ふには、
例の、涙ぞまづこぼれぬる。
 ある昼つかた、いとしめやか(b)にて「宮も今朝より内裏におはしましぬ」とて、人々、御前にて
うちとけつつ、戯れ遊び給ふ。姫君は寄り臥し、御手習ひ、絵など書きすさみ給うて、按察使の
君にもその同じ紙に書かせ給ふ。さまざまの絵など書きすさみたる中に、籬に菊など書き給うて、
「これはいとわろしかし」とて、持たせ給へる筆にて墨をいと濃う塗らせ給へば、按察使の君、に
ほひやかにうち笑ひて、その傍らに、  
  (B)初霜も置きあへぬものを白菊の早くもうつる色を見すらん
と、いと小さく書き付け侍るを、姫君もほほ笑みつつ御覧ず。
 をりふし、宮は音もなく入らせ給ふに、御硯なども取り隠すべきひまさへなく、みなすべり
ぬるに、姫君もまぎらはしに扇をまさぐりつつ寄りゐ給ふ。按察使の君は、人より異にいたう苦しくて、御几帳の後ろよりすべり出でぬるを、いかがおぼしけむ、しばし見やらせ給ひて、かの
跡はかなく見なし給ふ人のこと、ふと思し出でつつ恋しければ、過ぎ(c)にしことども繰り返し思ほ
し出でつつ寄り臥させ給ふに、御硯の開きたる、引き寄せさせ給へば、ありし御手習ひの、硯の
下より出でたる取りて見給ふに、姫君はいと恥づかしくて顔うち赤めつつ、傍らそむき給ふさま、
(イ)いとよしよししくにほひやかなり。
 宮つくづくと御覧ずるに、白菊の歌書きたる筆は、ただいま思ほし出でし人の、「草の庵」と
書き捨てたるに紛ふべうもあらぬが、いと心もとなくして、「さまざまなる筆どもかな。誰々ならん」など、ことなしびに問はせ給へど、(ウ)うちそばみおはするを、小さき童女の御前(d)に候ひしを、「この絵は誰が書きたるぞ。ありのままに言ひなば、いとおもしろく我も書きて見せなん」とすかし給へば、「この菊は御前なん書かせ給ふ。『いと悪し』とて書き消させ給へば、わびて、按察使の君、この歌を書き添は給うつ」と語り聞こゆれば、姫君は「いと差し過ぎたり」と、(C)恥ぢらひおはす。
                          『兵部卿物語』<センター本試>

(注)
・御心のこれに移る――兵部卿の宮のお気持ちが右大臣の姫君に傾く。
・偏継ぎ――漢字の偏や旁(つくり)を使った遊び。
・侍従――按察使の君の乳母の娘。
・乳母子――乳母の子ども。
・すべりつつ――そっとその場を退いて。
・籬(ませ)――垣根。
・御硯――硯や筆、紙などを入れる箱。
・「草の庵」と書き捨てたる――按察使の君が姿を消す前に兵部卿の宮に書き残した和歌の筆跡。

問一 傍線部(ア)~(ウ)の解釈として最も適当なものを、次の各群の①~⑤のうちから、それぞれ一つずつ選べ。
(ア) おろかならず思ふさまなり
①賢明な人だと思っている様子だ
②言うまでもないと思っている様子だ
③いいかげんに思っている様子だ
④並一通りでなく思っている様子だ
⑤理由もなく思っている様子だ

(イ) いとよしよししくにほひやかなり
①実に風情があり、良い香りが漂っている
②実に才気にあふれ、魅力的な雰囲気である
③実に上品で、輝くような美しさである
④実にものものしく、威厳に満ちた様子である
⑤実に奥ゆかしく、高貴な育ちを感じさせる

(ウ) うちそばみおはする
①ただ寝たふりをしていらっしゃる
②ちょっと横を向いていらっしゃる
③近くの人と雑談をしていらっしゃる
④内心不愉快な思いでいらっしゃる
⑤何かに気を取られていらっしゃる

問二 波線部(a)~ (d)の「に」の文法的説明の組合せとして正しいものを、次の①~⑤のうちから、一つ選べ。
①(a) 接続助詞 (b)格助詞  (c)完了の助動詞  (d)断定の助動詞
②(a) 接続助詞 (b)格助詞  (c)断定の助動詞  (d) 断定の助動詞
③(a) 格助詞 (b) 形容動詞の活用語尾 (c)完了の助動詞  (d) 断定の助動詞
④(a) 断定の助動詞  (b) 形容動詞の活用語尾 (c) 断定の助動詞 (d) 格助詞
⑤(a) 断定の助動詞 (b) 形容動詞の活用語尾 (c) 完了の助動詞  (d) 格助詞

問三 傍線部(A)「とてもかくても思ひは絶えぬ身なりけり」とあるが、按察使の君がそのように嘆く直接の原因の説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。
①宮に自分の存在を知られないよう気を遣いながら、女房たちに不審がられないよう取り繕わなければならないこと。
②宮への思いを捨てられないにもかかわらず、右大臣の姫君の信頼を裏切らないようにしなければならないこと。
③宮に自分の苦悩を知ってほしいと願いながら、二人の関係を誰にも気づかれないようにしなければならないこと。
④宮が身分を偽っていた理由をつきとめたいと思う一方で、宮には自分の存在を隠し通さなければならないこと。
⑤宮の姿を見ないよう努めながら、宮と自分の関係を知る侍従に不自然に思われないようにしなければならないこと。

問四 傍線部(B)「初霜も置きあへぬものを白菊の早くもうつる色を見すらん」という和歌の説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。
①兵部卿の宮に夢中になっている新婚の姫君に対して、「初霜もまだ降りないのに、どうして白菊は早くも別の色に染まっているのだろうか」と、冷やかして詠んだ。
②宮仕えで気苦労が絶えないことを姫君に打ち明けたくて、「初霜もまだ降りないけれど、白菊は早くもよそに移りたがっているようだ」と、暗示するように詠んだ。
③描いた白菊を姫君がすぐに塗りつぶしてしまったことに対して、「初霜もまだ降りないのに、どうして白菊は早くも色変わりしているのだろうか」と、当意即妙に詠んだ。
④白菊を黒い色に塗り替えた姫君の工夫を理解して、「初霜もまだ降りないけれど、庭の白菊は早くも枯れそうな色に染まってしまったようだ」と、臨機応変に詠んだ。
⑤色を塗り替えられた白菊から容色の衰えはじめた女性の姿を連想して、「初霜もまだ降りないのに、どうして白菊は早くも色あせたのだろうか」と、冗談半分に詠んだ。

問五 傍線部(C)「恥ぢらひおはす」とあるが、この時の姫君の心情の説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。
①宮に会うのを嫌がっている按察使の君の様子が気の毒なので、長々と引き止めてしまった自分を恥じている。
②按察使の君の見事な筆跡に宮が目を奪われているのを見て、自分の描いた絵のつたなさを恥ずかしく思っている。
③白菊の絵をめぐるやりとりを童女が進んで宮に話してしまったので、自らの教育が行き届かなかったと恥じている。
④配慮を欠いた童のおしゃべりのせいで、自分たちのたわいない遊びの子細を宮に知られて恥ずかしく思っている。
⑤白菊の絵を置き忘れた按察使の君の行動が不注意にすぎるので、自分の女房として恥ずかしいと思っている。

問六 本文の内容に合致するものを、次の①~⑥のうちから二つ選べ。ただし、解答の順序は問わない。
①按察使の君は、右大臣の姫君の夫である兵部卿の宮が自分のもとに通っていた「中将」と同一人物らしいこと気づいた。しかし、以前の関係に戻るつもりはなく、できるだけ宮の目を避けようとした。
②兵部卿の宮は、かつて按察使の君に対して身分を偽っていたが、侍従は、そのことを見抜いていた。そこで、按察使の君が宮と再会できるように、宮の妻である右大臣の姫君への出仕を勧めた。
③右大臣の姫君は、按察使の君が兵部卿の宮の目を避けようとしていることに気づき、二人の関係を知りたいと思った。そこで按察使の君に和歌を書かせ、その筆跡を見せて宮の反応を確かめようとした。
④按察使の君は、兵部卿の宮が自分のもとに通っていた「中将」と同一人物であることを、侍従から知らされた。そこで、右大臣の姫君の目を避けながら宮に自分の存在を知らせるため、和歌を詠んだ。
⑤兵部卿の宮は、右大臣の姫君と結婚してからも姿を消した恋人を忘れてはいなかった。そんなとき、偶然目にした和歌の筆跡が恋人のものと似ていることに気づき、さりげなく筆跡の主を探り出そうとした。
⑥右大臣の姫君は、新たに出仕してきた按察使の君を気に入り、身近に置くようになった。しかし、親しく接するうちに彼女が夫の兵部卿の宮と親密な間柄であったことを察し、不安な思いにかられた。



【解答】
問一 (ア)~④ (イ) ~③ (ウ)~②
問二 ⑤
問三 ①
問四 ③
問五 ④
問六 ①・⑤

【解説】


【全文訳】
こうして(月日)が過ぎていくうちに、(兵部卿の宮の)お気持ちがこれ(=右大臣の姫君)
に移るというわけではなかったが、自然と心が慰められるということもあるのであろうか、昼
なども時々は(姫君の許に)おいでになって、碁を打ったり、偏継ぎ(をしたり)など、さまざまな遊びをなさるので、按察使の君は宮のお姿をよくよく見ると、(以前)あの夜ごとの月明かりに、
はっきりとではないが見た人に異なるところがないので、「世の中にはこうまで(昔)通っていた人に似ている人もいるのであろうか」と思うが、(その姿を)見慣れるにつれては、何かをおっしゃる声、雰囲気、姿形(など)、すべてその人(そのもの)なので、(按察使の君は)あまり自分一人の心だけで思い込むのも不安で、侍従に「こうこう」とお話しになると、(侍従は)「やはりね、私もとても不思議なことがありました。あのたびたびのお供としてお仕えしていた『蔵人』とか言った人が、ここにおりまして、特別に『宮の乳母の子どもである』と言って、(周りの)人も並ひと通りでなく思っている様子です。昨日も宮中へ参上なさると言って、お出でになるのを見ますと、(昔)たびたびのお手紙を持っていった随身も、(ここでは)『先払いをするぞ』と言って忙しそうな様子でおりますのは、あの『中将』は仮のお名前であって、(実は)宮でいらっしゃったのでしょうか」と(言う)。 
 (按察使の君は)ますます恥ずかしく悲しく思って、「もうしそうであるならば(私が宮に)見つけられ申し上げたとき、どうしたらよいだろうか。(自分は宮の前から)姿を消したと(宮に)聞き知られようと思ったのに、(よりによって)このような状態で(宮に)見られ申し上げることは、とても恥ずかしいことでもあるよ」と、改めてつらく思うので、宮がいらっしゃるときはうまくそっとその場を退いては(宮に)見られ申し上げないようにしようと(その場の状況に)あらがうのを、「(まわりの)人もどういうことなのだろうと不審に思うだろうか」と、これも(また)苦しく、「いずれにしても(つらい)思いは絶えない身であることよ」と思うにつけても、いつものように、涙がまずこぼれた。
 ある(日の)昼頃、とても静かな様子で、「宮も今朝から宮中にいらっしゃいました」と言って、
人々は、姫君の前でくつろぎながら、遊び興じなさる。姫君は物に寄りかかって横になり、習字、絵などを気分にまかせてお書きになって、按察使の君にもその同じ紙に書かせなさる。いろいろな絵などを描き興じた中で、(姫君は)垣根に菊などをお描きになって、「これはあまりによくないわ」と言って、お持ちになっている筆で墨をとても濃くお塗りになったので、按察使の君は、華やかな美しい様子で笑って、そのそばに、
 初霜も~(初霜もまだすっかり降りていないのに、どうして白菊は早くも色変わりしているのだろうか)
と、とても小さく書き付けましたのを、姫君も微笑なさりながらご覧になる。
 ちょうどそのとき、宮は音も立てずにそっとお入りになると、(今まで使っていた)硯なども取り隠すことのできる時間的余裕さえなく、みなそっと退出したので、姫君も(その場を)紛らわそうと扇をいじりながら物に寄りかかってすわりなさる。按察使の君は、(ほかの)人よりも特にはなはだしくつらく思って、几帳の後ろからそっと退出したのを、(宮は)どのように思われたのだろうか、しばらくそちらをご覧になって、あの失踪したと思いなさった人のことを、ふと思い出しなさりながら恋しく思うので、過ぎ去った昔のいろいろなことをくり返し思い出しになりながら物に寄りかかって横におなりになるときに、硯(の箱)が開いているのを、引き寄せなさると、先ほどの習字(の跡)が、硯の下から出ているのを手に取ってご覧になるので、姫君はとても恥ずかしく思って顔を少し赤らめながら、脇のほうに背を向けなさる様子は、実に上品で輝くような美しさである。
 宮はよくよくご覧になると、白菊の歌を書いた筆跡は、たった今思い出しなさった人が、(姿を消す前に)「草の庵」と書き残した(和歌の筆跡)に見間違えるはずもない(ほどそっくりな)のが、とても気がかりで、「さまざまな筆跡があるなあ。(それぞれ)だれのものだろう」などと、何げないふりをしてお聞きになるが、(姫君はそ知らぬふりをして)ちょっと横を向いていらっしゃるので、姫君に仕えている小さな童女を(つかまえて)、「この絵はだれが描いたのか。ありのままに言うならば、とても趣深く私も描いて見せよう」とだましなさるので、「この菊(の絵)は姫君様がお描きになりました。(ところが)『非常に下手だ』と言って(自ら墨で)書き消しなさったので、困惑して、按察使の君が、この歌を添えなさった(のです)」としゃべり申し上げるので、姫君は「とてもでしゃばりなことだ」と、恥ずかしそうにしていらっしゃる。

(元井太郎『改訂版 元井太郎の古文読解が面白いほどできる本』KADOKAWA、2014年[2019年版]、278頁~308頁)