歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪加藤恭子氏の速読風読解~『英語を学ぶなら、こんなふうに』より≫

2021-12-15 18:48:19 | 語学の学び方
≪加藤恭子氏の速読風読解~『英語を学ぶなら、こんなふうに』より≫
(2021年12月15日投稿)

【はじめに】


 加藤恭子氏の提唱する速読風読解について、解説してみる。
次の文献を参照にした。
〇加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会、1997年[2001年版]

また、加藤恭子氏には、次のような英語関係の書物もある。
〇加藤恭子/ヴァネッサ・ハーディ『英語小論文の書き方-英語のロジック・日本語のロジック』講談社現代新書、1992年[1996年版]

また、加藤恭子氏は本来フランス語科の出身であるので、フランス語にも詳しく、次のような名著もある。
〇加藤恭子『「星の王子さま」をフランス語で読む』ちくま学芸文庫、2000年[2001年版]



【加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会はこちらから】

英語を学ぶなら、こんなふうに―考え方と対話の技法 (NHKブックス)


【加藤恭子/ヴァネッサ・ハーディ『英語小論文の書き方-英語のロジック・日本語のロジック』講談社現代新書はこちらから】

英語小論文の書き方―英語のロジック・日本語のロジック (講談社現代新書)

【加藤恭子『「星の王子さま」をフランス語で読む』ちくま学芸文庫はこちらから】

「星の王子さま」をフランス語で読む (ちくま学芸文庫)



さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・加藤恭子氏の速読風読解
・速読風読解~上智大学経済学部経営科の入試問題より
・英語と日本語の違いについて
・加藤恭子氏とフランス語の『星の王子さま』
・おわりに







加藤恭子氏の速読風読解


どの言語においても、速読も精読もできてこその実力であると加藤恭子氏は主張している。
速く読むためには、次の点に注意すべきである。
・辞書を使わずに、できるだけ速く読むこと。
・“早く”というのは、後戻りをせずに、前へ前へと進み、一気に読み終えてしまうことを意味する。
・わからない単語があったら、エンピツで印をつけること。
・辞書を使って読んでいては、実戦に役に立たないので、辞書はすべて読み終えて、チェックをするときにのみ使うことを勧めている。

「速読風読解」の学習方法は、繰り返し繰り返し、ある程度まとまった量の文章を速度を気にしながら読むことが大切であるという(題材としては、設問がすぐ続き、正解もついているので、大学入試問題が便利であるらしい)。

速く正確に要点を取れる能力、これがあってこその精読であるというのである。そして、次のような注意点を列挙している。
・パラグラフごとの要点を気にしながら読むこと。
パラグラフ全体の内容がわかることが理想的であるが、それが難しければ、各パラグラフの中で、最も重要なセンテンスの見当をつけることがポイントである。
・読むときに日本語に訳さないこと。
 日本語を捨て、英語を英語のままで、その語順通りに「推量の能力」をしぼり出し、何とか読み、つじつまを合わせてしまうこと。“正確に読む”のは、すべてが終わって、辞書を手にしてからでよい。ともかく、荒療治から始めるのがよいとする。
 「読む」作業は、母語でも大変なもので、外国語なら、なおさらであるから、こんな大変なことをあるレベルまでもっていくには、荒療治と努力しかないというのである。
・わからない単語は推量すればよいが、推量に時間をかけているよりは、もしそれによって速度が落ちるなら、飛ばせばよいという。前後の文章から、何とかつなげてしまえばよい。
このような注意点を気にかけて学習すれば、確実に読解力は向上すると加藤恭子氏は述べている。
(加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会、1997年[2001年版]、150頁、167頁~169頁)

【加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会はこちらから】

英語を学ぶなら、こんなふうに―考え方と対話の技法 (NHKブックス)


速読風読解~上智大学経済学部経営科の入試問題より


速読風読解を解説するにあたり、1991年の上智大学経済学部経営科の入試問題を例にとっている。
次の文章は248語からできている。もし10分かかったとしたら、1分当たりの字数は、24.8語となる。自分の1分当たりの読んだ字数を計算してほしいという。


次の文章を読み、(1)~(10)についてそれぞれ(a)~(d)の中から正しいものを一つ選び、その記号を記せ。

The blacks in the USA are descendants of Africans who were brought across the Atlantic in the 17th, 18th and early 19th centuries and sold in the slave markets to plantation owners. Their masters treated them much as they treated their horses. There were no laws to protect slaves from ill-treatment. The
slaves became Christians, but their black preachers taught them that God wished them to serve their
white masters loyally. Few blacks in those early days dared to believe that blacks and whites were
equal.
The American blacks were not freed until the end of the Civil War in 1865. For nearly a hundred
years after the Civil War many of them led a harder life than when they were slaves. The Southern
states passed segregation laws forbidding them to mix anywhere with whites. In the Northern states
there were no segregation laws, but few whites accepted blacks as fellow Americans, and the city slums
where they lived were as unhealthy as anything they had known in the South.
‘Black is beautiful !’ This was the cry of black Americans in the 1960s, for they believed at last that
they could do any job as well as whites if they were given equal opportunities. The riots of the ‘long
hot Summers’ of the ’60s showed they had the power to give the whites a shock. Between 1948 and 1955
the American Supreme Court and other federal organizations had made segregation unlawful every-
where in the USA, especially in schools.

読み終わったら、字数を計算する。そして、設問に取り組むこと。

(1) Most blacks in the USA
(a) recently arrived in America.
(b) want more segregation laws.
(c) have ancestors who come from Africa.
(d) are plantation owners.

(2) The first blacks to come to America
(a) preached that blacks and whites were equal.
(b) were victims of slavery.
(c) came to start the Civil War.
(d) came to spread Christianity.

(3) Before the Civil War blacks in the South were
(a) treated as honored guests.
(b) treated not much better than animals.
(c) anxious to start a rebellion.
(d) hoping to send for more of their relatives to come and join them in their new land.

(4) During the first centuries after their arrival what made life especially hard for Southern slaves
was
(a) they weren’t allowed to practice religion.
(b) there were too few slave markets.
(c) they fell outside of the legal system.
(d) they were forced to live in urban slums.

(5) In the pre-Civil War South religion
(a) was forbidden by the plantation owners.
(b) excluded all but whites.
(c) was used by black preachers to encourage slaves to rise up and rebel.
(d) none of the above.

(6) One result of the Civil War was that the slaves
(a) learned that God wished them to serve their white masters loyally.
(b) were finally freed when the war was over.
(c) were given money and transportation to go back home.
(d) none of the above.

(7) In the first century after the Civil War
(a) most blacks led an easier and happier life.
(b) in fact the number of slave markets increased.
(c) most people accepted blacks and whites as equal.
(d) many of the former slaves actually lived a harder life than before.

(8) The segregation laws
(a) meant that the two races could not mix equally.
(b) were especially harsh in the North.
(c) were declared illegal right after the Civil War.
(d) were slightly less harsh in the North than in the South.

(9) In the first decades after the Civil War most Northern blacks
(a) wanted to move to the South.
(b) suffered from prejudice or discrimination.
(c) were accepted by whites as equals.
(d) were able to move out of the city slums.

(10) Segregation was legal in the USA for a period of about
(a) fifty years.
(b) one hundred years
(c) five hundred years.
(d) it never was legal to begin with.

(加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会、1997年[2001年版]、150頁~155頁)

ここから校正はまだしていない(2021年10月25日)

<ある回答例>


一人の学生に読んでもらったと仮定して、問題文でわからなかった単語(下線部分)と、設問に対する回答を記してもらった。
すると、次のようになった。

The blacks in the USA are descendants of Africans who were brought across the Atlantic in the 17th, 18th and early 19th centuries and sold in the slave markets to plantation owners. Their masters treated them much as they treated their horses. There were no laws to protect slaves from ill-treatment. The
slaves became Christians, but their black preachers taught them that God wished them to serve their
white masters loyally. Few blacks in those early days dared to believe that blacks and whites were
equal.
The American blacks were not freed until the end of the Civil War in 1865. For nearly a hundred
years after the Civil War many of them led a harder life than when they were slaves. The Southern
states passed segregation laws forbidding them to mix anywhere with whites. In the Northern states
there were no segregation laws, but few whites accepted blacks as fellow Americans, and the city slums
where they lived were as unhealthy as anything they had known in the South.
‘Black is beautiful !’ This was the cry of black Americans in the 1960s, for they believed at last that
they could do any job as well as whites if they were given equal opportunities. The riots of the ‘long
hot Summers’ of the ’60s showed they had the power to give the whites a shock. Between 1948 and 1955
the American Supreme Court and other federal organizations had made segregation unlawful every-
where in the USA, especially in schools.

☆学生のわからなかった単語
descendants/slave /plantation/ill-treatment/preachers/loyally/dared/freed/segregation/ forbidding/segregation/fellow/opportunities/riots/Supreme Court/federal/segregation unlawful

☆学生の設問の回答例(※必ずしも正解でないので注意)
(1)→(a)、(2) →(a) 、(3) →(c)、 (4) →(d) 、(5) →(b) 、(6) →(b)、(7) →(a)、 (8) →(d)、 (9) →(d)、(10) →(b)

(加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会、1997年[2001年版]、155頁~159頁)

<考え方の道筋>


・わからなかった単語(下線部分)は18もあった。しかし、同じ単語に3つ印をつけているから、本当の数は16。
(248語のうち、わからない単語は、16しかなかったことになると、指導者は励ます)

・わからなかった単語は、周囲から“推量”すればよいとする。
⇒日本語でも、漢字だけだと、“則”、“罔”、“殆”などとあった場合、見当がつかず、全くわからなくても、「学んで思わざれば則ち罔(くら)く思うて学ばざれば則ち殆(あや)うし」と、文章に入っていたら、何となくわかる気がするのと、同じである。
・16の単語を抜き出してバラバラに聞いたら、わからない。でも、文章の中に入っていれば、周囲から推量してわかるはず。

〇読解には、「推量の能力」の開発が不可欠であると、加藤恭子先生は強調している。

(加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会、1997年[2001年版]、159頁~160頁)

指導者とある学生の対話を載せつつ、正解に導いている。
その要点のみを記しておく。

☆設問(1)について
本文の1行目から、学生に説明させてみる。
「アメリカの黒人たちは、17、18と19世紀初期に大西洋を渡って連れてこられたアフリカ人たちの○○です」(○○は子孫)
「何とか市場(奴隷市場)でアフリカ人たちは、大農場をもっている人々に売られた」
「主人たちは、彼らを馬のように扱った。奴隷を○○から守る法律はなかった」(○○は歓待の反対)

設問(1)の回答として、(a)の「最近アメリカへ来た」と答えた学生に、指導者は、17、8世紀が最近かと質問する。
そして、学生は「(b)は意味がわからないし、(d)は違っているし、(c)も単語が違うので」と答える。
(c)の動詞が“have”であることに注目させ、「アフリカからの先祖をもつ」ということに気づかせ、(c)の正解に導く。

☆設問(2)について
・学生の回答は(a)にしているが、指導者は、なぜ、そう答えたのか理由を尋ねる。
・すると、「(c)と(d)は違っていて、(b)はよくわからなかったので。白人と黒人が平等だったらどんなにいいかと思って」と答える。
・それに対して、指導者は、あなたの気持ちを推量に入れてはいけないと注意する。そして、本文に書いてあることしか書いてはいけないという。
・“slavery”は、“slave”が“奴隷”だから、「奴隷制度の犠牲者」という意味になり、(b)が正解であるという。

☆設問(3)について
・「奴隷たちはキリスト教徒になりました。しかし、黒人牧師たちは、神は黒人たちが白人の主人たちに、〇〇に仕えることを望んでおられると教えました」
(〇〇は“忠実に”とか“献身的に”という意味)
「その頃、黒人と白人が平等だと信じることを〇〇するような黒人はほとんどいませんでした。」
・アメリカの黒人たちは、1865年に南北戦争が終わるまでは「フリードされなかった」。
⇒逆に言うと、ここで解放されたことになる。
・設問の(3)に戻ると、「馬のように扱われた」のだから、(c) ではなくて(b)が正解となる。

☆設問(4)について
・「南北戦争後百年近く、彼らは奴隷であったときよりもっと大変な生活を送ることになりました。南部の州が〇〇な法律を通したからです。白人と黒人が交わるのを“禁じる”法律を。」
⇒そういう法律を何とよびますか?――“人種隔離法”  
・「北部の州にはそういう法律はなかったけれど、ほとんどの白人は彼らをフェロー・アメリカンズとしては受け入れませんでした。」
(“フェロー”は“仲間”)
・「そして、彼らが住んだ大都市のスラムは、南部で知っていたどこよりも不健康でした。」
・設問の(4)を(d)とした理由を問われると、学生は(a)と(b)は間違っているとみる。彼らは確かにスラムに住んでいましたから、と答えると、それは北部の黒人のことであると指導者に訂正される。
・設問は「南部の奴隷たち」で、まだ奴隷の時代の話で、法制度外にあって、法によって守ってもらえなかったから、(c)が正解。

☆設問(5)について
・学生は、「どれもあまり正しくないように感じで」と答えると、その感じは当たっていると指導者はいう。
・でも、(b)の「宗教は白人以外は排斥した」につけてしまっている。
⇒黒人がキリスト教徒になった話がでてきたのだから、(b)も間違っている。
 としたら、そのどれでもないわけで、(d)が正解。

☆設問(6)について
・その通りという。

☆設問(7)について
・学生は(b)の「南北戦争後の一世紀間、黒人はより幸福の生活を送った」と考えていたが、逆だと気づき、(d)と答える。

☆設問(8)について
・人種隔離法についてだが、学生は(d)につけた。
 しかし、本文には、北部にはそういうものはなかったと書いてあるから、(a)が正しい。

☆設問(9)について
・学生に再考を促し、本当に(d)のように、北部の黒人たちはスラムから出ることができたのですか?と問われる。
⇒すると、(a)の「南部へ帰りたかった」も、(c)の「白人に平等に受け入れられた」も間違っていると、学生はいう。
・では、(b)はどうですか?と問われると、二つの単語“prejudice”と“discrimination”の意味がわからなかったという。
⇒わからない単語がでてきたら、直ぐに推量で分類するとよいと指導者はアドバイスしている。
 これらの二つの単語は、似ていると思うか、それとも“善と悪”のように反対の意味か推量してみる。
⇒北部の黒人たちは何に苦しんだのか? 
 平等に受け入れてもらえないことに苦しんだと学生はいう。“いじめ”と答えると、意味としては“偏見”と“差別”だけれど、そのカンはいいと、指導者は付言する。

再び本文に戻る。
・「ブラック・イズ・ビューティフル!」。これは、1960年代におけるアメリカの黒人たちの叫びでした。遂にどんな仕事でも、白人たちと同じようにできることを信じたのです。もし、彼らが平等な〇〇を与えられたなら……。」と学生はいう。
・「仕事をするについて、平等な機会を与えられれば」と指導者は補足する。
・「60年代の“長い暑い夏”の〇〇は、彼らが白人たちにショックを与える力のあることを示したのでした。」
(⇒アメリカ史で、60年代の夏にアメリカの黒人が何をしたかを思い出すと、〇〇は暴動になる)
・「1948年から55年の間に、何とかと他の組織は、アメリカのどこでも、ことに学校では人種隔離政策は法的でないと決めました。」
⇒このセンテンスには4つもわからない単語があったのに、2つはわかってしまった。
 何かが違法という判断を下すとしたら、どういう所がするのか?と問われると、学生は最高裁と答える。
“Supreme Court”がそれに当たる。“other federal organizations”は、アメリカの政治組織のことを考えると、“連邦のいろいろな組織”という意味になる。

☆設問(10)について
・(b)のアメリカでの人種隔離が約百年合法だったとした理由は?と問われると、
「南北戦争が終わったのが1865年で、その後に生まれ、1948年から55年にかけて禁止されたのですから、83年から90年間、つまり約百年合法だったのでは」と学生がいうと、合っていますと答える。


英語と日本語の違いについて


日本人が書く英文リポートやエッセイは、なぜ欧米人に理解されにくいのか。
日本語と英語の言語感覚や発想の差異、ロジックやレトリックの相違などを通して、正確でわかりやすい英語文章の書き方を伝授しようしたのが、加藤恭子/ヴァネッサ・ハーディ『英語小論文の書き方-英語のロジック・日本語のロジック』(講談社現代新書、1992年[1996年版])である。

たとえば、書き手と読み手の関係について、次のように加藤恭子氏は考えている。
日本語が「読み手指向型」であるのに対し、英語が「書き手指向型」であるという。
日本語における書き手と読み手の関係は、“受容的”である。両者は同じ側、または同じグループに属している。書き手が展開する議論に、読み手は賛成しなかったとしても、強い拒否はあまり示さない。
しかし、英語での書き手と読み手の関係は、競合的である。書き手は、読み手が自分に共感してくれるなどと思うことはできない。「自分の言うことは、こういう理由で正しいのだ」と、説得にかからなくてはならない。

この根本的な態度の違いは、使う単語の違いにもはっきりと現われているという。
日本人は、“we”を使って英語を書くのが好きだが、英語を母国語とする人間は、その場合“we”ではなしに、“you”を使う。

たとえば、
「海外旅行にあたっては、予防注射が必要かどうかを調べなければならない」
というような場合、日本人は“we”とする傾向がある。
 When we go abroad, we should check whether we need any vaccinations.
日本人は単一民族的色彩が濃いので、他人を“私たちの中の1人”とみなすというか、皆が同じグループに属していると感じるのだろう。

だが、このような場合には、英語では“you”を使うのが、ふつうらしい。
 When you go abroad, you should check whether you need any vaccinations.

“we”と “you”の違いは、小さなことにみえるかもしれない。“we”を使っても、文法的には正しい。だが、この違いは、日本人が気づいている以上に大きく、メンタリティの根本的な差を示しているようだ。「共同」のメンタリティと「対決」のメンタリティと表現してもよい。

(加藤恭子/ヴァネッサ・ハーディ『英語小論文の書き方-英語のロジック・日本語のロジック』講談社現代新書、1992年[1996年版]、163頁~166頁)

【加藤恭子/ヴァネッサ・ハーディ『英語小論文の書き方-英語のロジック・日本語のロジック』講談社現代新書はこちらから】

英語小論文の書き方―英語のロジック・日本語のロジック (講談社現代新書)

加藤恭子氏とフランス語の『星の王子さま』



関正生氏も英語版の『星の王子さま』を、オススメの多読教材として挙げていた。
ここでは、加藤恭子『「星の王子さま」をフランス語で読む』(ちくま学芸文庫、2000年[2001年版])を取り上げて、フランス語でも「前から読んでいく」ことが重要であることを確認しておく。
つまり、フランス語と英語の語順が類似し、日本語の語順がいかにフランス語と英語のそれと異なっているかということを説いている。フランス語の語順がフランス人の考え方そのものであるというのである。

(以下の記事は、中断している私のブログ「フランス語の学び方あれこれ」で書く予定であったものであることを断っておく)

【加藤恭子氏とフランス語】


<なるべく訳そうとしないこと>
・フランス語の真の「読解力」を身につけたいとは誰しも思うことであるが、「読む」ことと「訳す」ことは必ずしも同じではない。
・フランス語的考え方と、日本語的考え方は同じものではない。だから、原文を日本語に翻訳してしまうのは、四角い物を無理に丸い箱に入れようとするようなものであるという。
(どこかを切り捨てなければ、できることではないし、もし、その切り捨てた部分が重要だったとしたら、大変である)。
そこで、次のような二段階で取り組めばよいことを加藤氏は薦めている。
① 「著者は、どういうことを言っているのだろうか?」
このどういうことに焦点を当て、できるだけ正確に、深く、理解するように努める。そしてその「内容」を理解する。
② 「では、そういう「内容」は、日本語ではどう表現するのだろうか?」
そして加藤氏は、日本語の語順で読まないことを強調している。日本語に訳さない以上、その語順を強制する必要はなくなる。つまり後からひっくり返し、ひっくり返して読まないことが大切であるというのである。要は、文は頭から少しずつ読むこと。それがフランス人が考え、書き、理解する語順なのであるという。

ところで、『Le Petit Prince』は、当然のことながら、フランス語で書かれている。サン=テグジュペリという個人によって、生み出されたものではあるが、背後にはフランスの文化、生活様式があり、フランス語的考え方の中で考えられ、書きとめられた。つまりフランス文化の中に咲いた華であるというのである。

一方、それを読む私たち日本人は、日本語的思考方法に従ってものごとを考え表現する。日本の歴史、生活、文化の中から生まれてきた「華」「産物」である日本語に規定されている。
こうした文化的背景の差を常に念頭に置いておくことが必要である。
(加藤恭子『「星の王子さま」をフランス語で読む』ちくま学芸文庫、2000年[2001年版]
、30頁~31頁)。

このように、フランス語の語順で理解し、日本語に翻訳しないことを加藤恭子氏は提言している。
そして『星の王子さま』の冒頭を利用して、フランス語、英語、日本語の語順比較を行っている。
1Losque 2j’avais six ans 3j’ai vu, une fois, 4une magnifique image,
5dans un livre 6sur la Forêt Vierge 7qui s’appelait «Histoires Vécues».

1When 2I was six years old 3I saw 4a magnificent picture
5in a book, 7called True Stories from Nature,
6about the primeval forest.

2私は6歳の 1とき、6原始林についての 7「実話集」という 
5本の中で、4すばらしい絵を 3見たことがあります。

仏語 ―1234567
英語 ―1234576
日本語―2167543

フランス語と英語だけを見ると、6と7が逆になっているだけで、あとはそのままの語順である。でも、日本語と比べると、複雑である。
(加藤、2000年[2001年版]、33頁~35頁)

フランス語と英語の語順が類似し、日本語の語順がいかにフランス語と英語のそれと異なっているかがわかる。フランス語の語順がフランス人の考え方そのものであるというのである。

<加藤恭子氏の座右の銘>
『星の王子さま』の中で、バオバブも大きくなる前は、“ça commence par être petit.”と言う。
この“ça”は、バオバブを指しているが、直訳すると、「それは小さい状態から始まる」つまり、大きなバオバブも、小さいところから始まったのだ、もとは小さかったのだ、となる。
もちろんあたり前のことではある。「大人の前は子どもだった」「花の前はつぼみだった」と並べれば、あたり前の羅列ができ上がる。しかし、そのあたり前のことの中にひそむ真理をこんなにも美しく浮き上がらせることは、サン=テグジュペリの才能というものであろうと加藤恭子氏は賞賛している。
“ça”はもちろん “commence”も“par”も “être”や“petit”はいずれも初級に出てくるフランス語である。それを組み合わせて、ある環境に置いたとき、こんなにも光る言葉となる。加藤氏自身が座右の銘にしている言葉の一つであるという。
(加藤、2000年[2001年版]、90頁~91頁)

【加藤恭子『「星の王子さま」をフランス語で読む』ちくま学芸文庫はこちらから】
【加藤恭子『「星の王子さま」をフランス語で読む』ちくま学芸文庫はこちらから】

「星の王子さま」をフランス語で読む (ちくま学芸文庫)



おわりに


田辺保氏は『なぜ外国語を学ぶか』(講談社現代新書、1979年)において、語学・フランス語の学習について次のように述べている。
語学の学習は、楽器のけいこと同じように毎日、たとい短時間でもよいから、怠らずにつづけることである。1週間に2度、3時間の勉強をするより、毎日30分ずつをくりかえす方がよいと。
そして、訳読の時も、ひとつの文章の意味が理解できたらもう一度、声に出して読んでみるとよい。内容が正しくわかったうえでなければ、それにふさわしい感情のリズム、イントネーションはそえられないのだから、音読は訳したあとの方がよいかもしれないという。何度もくりかえし読み、原文の中身を原文のあらわす音のつらなりとともに、自分に納得させて行くことが重要であるという。
(田辺保『なぜ外国語を学ぶか』講談社現代新書、1979年、186頁~187頁)

【田辺保『なぜ外国語を学ぶか』講談社現代新書はこちらから】

なぜ外国語を学ぶか (1979年) (講談社現代新書)

また、どの言語においても、速読も精読もできてこその実力であると加藤恭子氏は主張している。速く読むためには、辞書を使わずに、できるだけ速く読むこと。“早く”というのは、後戻りをせずに、前へ前へと進み、一気に読み終えてしまうことを意味するという。わからない単語があったら、エンピツで印をつけること。辞書を使って読んでいては、実戦に役に立たないので、辞書はすべて読み終えて、チェックをするときにのみ使うことを勧めている。

「速読風読解」の学習方法は、繰り返し繰り返し、ある程度まとまった量の文章を速度を気にしながら読むことが大切であるという(題材としては、設問がすぐ続き、正解もついているので、大学入試問題が便利であるらしい)。速く正確に要点を取れる能力、これがあってこその精読であるというのである。そして、次のような注意点を列挙している。
・パラグラフごとの要点を気にしながら読むこと。
パラグラフ全体の内容がわかることが理想的であるが、それが難しければ、各パラグラフの中で、最も重要なセンテンスの見当をつけることがポイントである。
・読むときに日本語に訳さないこと。
 日本語を捨て、英語を英語のままで、その語順通りに「推量の能力」をしぼり出し、何とか読み、つじつまを合わせてしまうこと。“正確に読む”のは、すべてが終わって、辞書を手にしてからでよい。ともかく、荒療治から始めるのがよいとする。
 「読む」作業は、母語でも大変なもので、外国語なら、なおさらであるから、こんな大変なことをあるレベルまでもっていくには、荒療治と努力しかないというのである。
・わからない単語は推量すればよいが、推量に時間をかけているよりは、もしそれによって速度が落ちるなら、飛ばせばよいという。前後の文章から、何とかつなげてしまえばよい。
このような注意点を気にかけて学習すれば、確実に読解力は向上すると加藤恭子氏は述べている。
(加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会、1997年[2001年版]、150頁、167頁~169頁)。

【加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会はこちらから】
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