歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪朽木ゆり子、福岡伸一『深読みフェルメール』を読んで≫

2022-04-24 18:54:46 | 私のブック・レポート
≪朽木ゆり子、福岡伸一『深読みフェルメール』を読んで≫
(2022年4月24日投稿)

【はじめに】


 先日、ある集まりで、名刺をいただいた。建設コンサルタントをしておられ、常務であるW氏である。フェルメールが好きで、大阪まで展示を見にも行かれたという。
 以前、ブログでルーヴル美術館を紹介した際に、フェルメール関連の本を読んだことがあった。今回は、フェルメール好きの生物学者で知られる福岡伸一氏の本を紹介してみたい。
〇朽木ゆり子、福岡伸一『深読みフェルメール』朝日新聞出版、2012年




【朽木ゆり子、福岡伸一『深読みフェルメール』朝日新聞出版はこちらから】
朽木ゆり子、福岡伸一『深読みフェルメール』朝日新聞出版








〇朽木ゆり子、福岡伸一『深読みフェルメール』朝日新聞出版、2012年
【目次】
まえがき
1 フェルメールのモデルを読む
 映画『真珠の耳飾りの少女』をどう観るか?
 ≪地理学者≫のモデルはレーウェンフックか?
 ≪天文学者≫のモデルはスピノザか?

2 フェルメールの謎を読む
 フェルメールが生きた時代のオランダ
 風景画はたった2点?
 アムステルダムで行われたフェルメール作品21点のカタログに書かれた値段(1696年5月16日)
 第3の「デルフトの絵」があった?
 フェルメールは「寡作」の画家か?
 日本人が「フェルメール好き」の理由とは?
 
3 フェルメールの技を読む
 「昆虫少年」、顕微鏡の父レーウェンフックに憧れる
 若き生物学者、フェルメールに癒される
 「光の魔術師」は「カメラ・オブスクーラ」を利用したか?
 フェルメールの色彩
 フェルメールのファッション

4 盗まれたフェルメールの行方を読む
 本の執筆をきっかけにフェルメールに夢中になる
 行方不明の≪合奏≫がもうすぐ見つかる!?

5 フェルメール・フィーバーを読む
 「再発見」されたフェルメール
 1995年、第2次「フェルメール・フィーバー」始まる
 美術の門外漢・モンティアスの功績
 
6 フェルメールの真贋を読む
 37点or32点? 揺れる「真作」の点数
 メーヘレン贋作事件の影響
 今も鑑定に持ち込まれる絵と個人コレクターの存在

7 フェルメールの旅
 フェルメール全作品マップ
 全点踏破の旅の“難所”
 フェルメールの街・デルフト
 時間旅行の中で観るフェルメール
あとがき
主要参考文献




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・著者のプロフィール
・フェルメール作品21点のカタログに書かれた値段
・「光の魔術師」は「カメラ・オブスクーラ」を利用したか?
・フェルメールの色彩
・画商のトレ=ビュルガーについて
・経済史学者モンティアスのフェルメール研究の功績
・フェルメール全作品マップ
・全点踏破の旅の“難所”
・オランダという国
・フェルメールの街・デルフト
・フェルメール最大の謎~福岡伸一氏の「あとがき」より
・おわりに―感想とコメント








著者のプロフィール


【朽木ゆり子】
 ノンフィクション作家。東京生まれ。エスクァイア日本版副編集長を経て、1994年にニューヨーク移住。
 著作に『盗まれたフェルメール』『フェルメール全点踏破の旅』

【福岡伸一】
 生物学者。1959年東京生まれ。京都大学卒。青山学院大学教授。
 著作に『生物と無生物のあいだ』『動的平衡』『フェルメール 光の王国』
 
 『フェルメール 光の王国』について
 「フェルメールの絵を17世紀から20世紀にかけてのさまざまな科学者とその背後にある大きな生命科学思想の流れと結びつけて、それを鋭い観察力とチャーミングな文章で包んだユニークな本」と朽木ゆり子氏は評している(3頁~4頁)
 生命の本質が、絶え間ない移ろいの中のバランス、つまり「動的平衡」にあり、フェルメールの絵は光や生命のその移ろいの一瞬を捉えて表現したものであるという。
 芸術家と科学者は、光、生命、時間などの本質を切り取ってみせるという意味で、同じコインの表と裏なのだと、朽木ゆり子氏は「まえがき」で記している。(4頁)

福岡伸一氏がフェルメールに夢中になったきっかけ


・福岡伸一氏は生物学者である。
・生物学者を志す前は、虫が大好きな昆虫少年だったという。
 きれいな蝶々などから、自然が作り出した「きれいな色合い」に魅せられたそうだ。
・そして『世界ノンフィクション全集2』(筑摩書房、1960年)の中の『微生物の狩人』という本に出あう。これは、歴史の微生物を発見した人たちの人物列伝を書いた名著である。
 この偉人列伝の中に、レーウェンフックが登場する。17世紀オランダのデルフトに生まれ、顕微鏡を最初に手作りした人である。
 レーウェンフックはプロの研究者ではなくて、毛織物職人の息子に生まれた商人で、アマチュアとして微生物を観察し、赤血球や白血球などを発見した人である(「微生物学の父」とも称せられる)。福岡伸一氏はいたく感銘を受けた。
・その後、大学時代の1984年前後に“ニューアカブーム”が起き、浅田彰氏を知る。フェルメールに特別な興味を持ったのは、80年代初期に読んだ、浅田彰『ヘルメスの音楽』(筑摩書房、1985年)という本がきっかけだという。
 17世紀に生きたフェルメールが「カメラ・オブスクーラ」という機械を使って遠近法を研究していたことや、顕微鏡の祖・レーウェンフックも同じ、オランダ・デルフト出身の同時代人だから、彼との交流で光の描き方が独特になり、「光の魔術師」と言われるようになったのでは?といった、仮説を披露した。

・80年代後半に、ニューヨークのロックフェラー大学に研究留学したとき、「フリック・コレクション」という美術館に入って、そこでフェルメールの作品と出会い、「とても美しい」と衝撃を受けたそうだ。
フリック・コレクションには、≪女と召使≫≪兵士と笑う女≫≪稽古の中断≫がある。
 これら3点ものフェルメール作品が収蔵されている。
(フリック自身の遺言で、コレクションはすべて原則的に門外不出。だから、フリックの3点はニューヨークを訪れないと絶対に観られない貴重な作品群)
※フリック・コレクションはガラスを入れていないから、とても身近に作品と相対できる貴重な美術館である。福岡氏はそこで本物のフェルメールとはじめて出会ったそうだ。

〇福岡氏は、フェルメールの配色、色の散らばり方が原体験で知っているきれいな色の配色に、すっとなじむ感じがしたそうだ。それでフェルメールに魅了された。
〇そして、フェルメールはメトロポリタン美術館にもあると知って、その5点を観に行った。
(フェルメール37点のうちの8点は観た、ということになる。それでは、フェルメールをコンプリートしよう、と決意したそうだ。37分の8をすでに制覇したなら、もうやるしかないと。)
(朽木ゆり子、福岡伸一『深読みフェルメール』朝日新聞出版、2012年、62頁~75頁)

福岡伸一氏は小林秀雄の評論に反対


「メーヘレン贋作事件の影響」(159頁~169頁)の中で、福岡氏は、小林秀雄の有名な言葉に言及している。
 すなわち、「美しい『花』がある、『花』の美しさといふ様なものはない」(「文学界」1942年4月号『当麻』より)

福岡氏は、いまだに小林秀雄が何を言っているか、よくわからないとする。
 むしろ美しい花などない。あらかじめ美しい花なんてない。花を見たときに美しいと思うと、主張している。
 自分の思う脳内作用として美しさというのはあるわけで、絵を観るときだって、その絵が自分の中に入ってくるわけではない。
 絵に当たった光が自分に反射してくるものを見ているだけである。だから、その場その場で自分の中につくられるものが、絵を観るということであると理解している。
 福岡氏の絵画観によれば、絵を観たときに、自分の頭の中に現れた色や構図の美しさは曖昧なものである。美しい絵があるというより、絵の美しさを感じ取る、という感覚が自分の心の内部に立ち現れる。(つまり、絵の美しさは心の内部に立ち現れる)
それが絵画鑑賞の本質ではないかと考えている。
(朽木ゆり子、福岡伸一『深読みフェルメール』朝日新聞出版、2012年、167頁~168頁)

フェルメール作品21点のカタログに書かれた値段


 ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer, 1632―1675年)は、ネーデルラント連邦共和国(現在のオランダ)のデルフト出身の画家である。
 アムステルダムで行われたフェルメール作品21点のカタログに書かれた値段
(1696年5月16日)がわかるという。

【アムステルダムで行われたフェルメール作品21点のカタログに書かれた値段(1696年5月16日)】
出品NO. タイトル 落札金額(ギルダー)
1 "金をはかる若い女性
箱入り デルフトのJ.ファン・デル・メールによる
技巧に富んで生き生きとした描きぶり" 155
2 "牛乳を注ぐ女中
非常に優れた作品 同人作" 175
3 "さまざまな品物に囲まれた室内のフェルメールの肖像
同人作の類例のない美しい作品" 45
4 "ギターを弾く若い女性
同人作 大変よい出来栄え" 70
5 "向こうに見える彫像のある部屋で手を洗う男
芸術的で珍しい作品 同人作" 95
6 "室内でクラヴサンを弾く若い女性と耳を傾ける紳士
同人作" 80
7 "若い女と手紙を持ってきた女中
同人作" 70
8 "酩酊してテーブルで眠る女中
同人作" 62
9 "室内で歓談する人々
同人作の生き生きとした良品" 73
10 "室内で音楽を演奏する紳士と若い女性
同人作" 81
11 "兵士と笑う若い女
非常に美しい 同人作" 44.10
12 "刺繍をする若い女
同人作" 28
31 "南側から見たデルフト市街の展望
デルフトのJ・ファン・デル・メール作" 200
32 "デルフトの1軒の家の眺め
同人作" 72.10
33 "デルフトの数軒の家の眺め
同人作" 48
35 "書き物をする若い女性
大変よい出来栄え 同人作" 63
36 "着飾っている若い女性
大変美しい出来栄え 同人作" 30
37 "クラヴサンを弾く女性
同人作" 42
38 "古代風の衣装を着けたトローニー
類例のない芸術的な出来栄え 同人作" 36
39 さらにもう1点のフェルメール 17
40 "上の対作品
同人作" 17
"出典 John Michael Montias, Vermeer and His Milieu : A Web of
Social History, Princeton University Press, Princeton, New Jersey, 1989, pp.363-364
(出品NO.が通し番号でないのは、他の画家の作品が混じっているため)"

(朽木ゆり子、福岡伸一『深読みフェルメール』朝日新聞出版、2012年、42頁~43頁)



「光の魔術師」は「カメラ・オブスクーラ」を利用したか?


「「光の魔術師」は「カメラ・オブスクーラ」を利用したか?」(76頁~86頁)には、興味深いことが語られている。

・カメラ・オブスクーラとは、ピンホール(針穴)写真機に似ている箱型の光学装置のことである。
 レンズを利用して集光し、反対側のすりガラスまたは暗くした壁に、風景や部屋の配置や遠近を正確に2次元平面に写し取ることができる機械である。
⇒映し出された像の輪郭がぼやけるのが特徴で、この曖昧さがかえってニュアンスをもたらし、とても良い雰囲気に見えるようだ。
(フェルメール作品に感じる奥行きの深さに通じる美しさがあるという)
〇映画『真珠の耳飾りの少女』でも、カメラ・オブスクーラにはじめて触れた少女が驚愕しているシーンがある。
(17世紀の人にとって、この機械は極めて斬新でユニークなものだったであろう)
・フェルメールを「光の天才画家」と思っている人たちは、「フェルメールは機械を使うなんて、そんなずるいことはしていない」と思いたいだろうが、福岡伸一氏は、光学的な当時の最先端のテクノロジーを駆使して、何とかリアルに見えるためにはどうしたらいいかと工夫して、方法を編みだそうとしていたのではないかと、想像している。
(つまり、テクノロジーの可能性を否定するのは一種の偶像崇拝だという)
⇒カメラ・オブスクーラの「obscura」は「暗い」という意味であるが、小さな薄暗い小部屋に入って、3次元の世界を観るという体験は新しい「視覚体験」で、フェルメールもきっと興奮したと考えている。

※ちょうど当時、レンズ磨き職人が職能化し、専門化していくということがあったそうだ。
 カメラ・オブスクーラに付いたレンズは現代のカメラに付いているようなレンズと同じような、小さな凸レンズだった。
 その一方で、レーウェンフックが顕微鏡に付けたレンズは、完全に球形のレンズで300倍程度の倍率がもう出ていたそうだ。

※ただ、フェルメールの遺品リストにカメラ・オブスクーラは、残念ながら入っていないと、朽木ゆり子氏は言い添えている。
 もしフェルメールがカメラ・オブスクーラを使っていたとしても、誰かから借りたかもしれない
 ちなみに、シュヴァリエの小説では、例によって、レーウェンフックが貸したことになっている。
 しかし、福岡伸一氏の推測を裏付ける証拠は、いくつかあるという。
 それは、ステッドマンや経済史学者ジョン・マイケル・モンティアス(“執念の身元調査人”で、フェルメール研究を1歩も2歩も進めた「フェルメール・マニア」と形容されている学者)が突き止めている。

⇒フェルメールの絵の中にはピンを打った穴が残っている。
 ピンがささっていた点が、遠近法における消失点だった。
 そしてピン、つまり針に通した糸にチョークの粉をまぶして、消失線が画面の端と交わる場所まで延ばし、チョークの薄い線を描き、それでタイルや窓枠などの遠近を描いていったと考えられている。

〇そういう事実を重くみれば、天才だからさらさらと描いたというファンタジーでフェルメールを捉えるより、クラフトマンシップがあって、ディテールにこだわった科学者、実験者と捉えるほうが、福岡伸一氏は自然だと考えている。
※ちなみに、フェルメールの科学者、実験者としての努力の証を突き止めたモンティアスやステッドマンは、ふたりとも美術史家ではない。
モンティアスは経済史学者で、ステッドマンは建築家である。
ふたりとも美術に関してはアマチュアである(ふたりは大いなるオタクと福岡氏は称している)

(朽木ゆり子、福岡伸一『深読みフェルメール』朝日新聞出版、2012年、76頁~86頁)

フェルメールの色彩


「フェルメールの色彩」(86頁~100頁)は、今回の対談でとりわけ面白い内容である。
フェルメールの魅力を語るうえで、欠かせないのが「色」である。
①「フェルメール・ブルー」
 「フェルメール・ブルー」と呼ばれる「青」の効かせ方は、やはり特徴的である。
〇≪青いターバンの女≫という別名もある≪真珠の耳飾りの少女≫
(口絵あり 1665年頃、油彩・カンヴァス、44.5×39㎝、マウリッツハイス美術館蔵)
〇≪手紙を読む青衣の女≫
〇≪牛乳を注ぐ女≫
(口絵あり 1657―58年頃、油彩・カンヴァス、45.4×41㎝、アムステルダム国立美術館蔵)
〇≪絵画芸術≫~フェルメールが生前、最後まで手放さなかった
※高価なラピスラズリを使って「青」を追究したフェルメールは、とりわけ「色」に強い関心を持っていた。
・もちろん、ラピスラズリを砕き、油で溶いて青をつくっていたのは、フェルメールだけではないけれど、フェルメールはこの青を「フェルメール・ブルー」以外の、たとえば、壁などにも使っている。
 つまり、一見、ブルーに見えないところに、光を表現するために隠し味として使っているのが特徴的である。
(とても高価な絵の具を、言ってみれば、あえて使う必要のないところにまで使っている。 
 それができたのは、やはり潤沢に資金があったからだろうし、なんとしても自分の思う通りの色を出したかったのだろう。)

②「フェルメール・イエロー」
・「フェルメール・ブルー」とともに、「フェルメール・イエロー」にも朽木氏は注目している。
〇≪牛乳を注ぐ女≫
〇≪手紙を書く女≫
〇≪真珠の首飾りの少女≫~朽木氏の「ベスト・フェルメール」
(口絵あり 1663―64年頃、油彩・カンヴァス、51.2×45.1㎝、ベルリン国立美術館蔵)

・これらの作品にふんだんに使われている「黄色」も実に深淵なイエローで、とても魅力的である。
 黄色もいろいろな黄色がある。
 たとえば、黄色い上着をよく見てみると、全部をベタッと黄色で塗っていない。ほんの少し、金色や褐色が混ざっている。
⇒そうした色彩のグラデーションを上手く使って黄色を表現するところは、さすがにフェルメールである。

※映画『真珠の耳飾りの少女』では、牛にマンゴーを食べさせて黄色い尿から原料をとっていたように描かれていた。
(黄色いカロテノイド色素を集めようとしたのだろうか。ミカンを食べすぎると黄色くなる。あれは色素が皮膚に移行して一時的に黄色くなるからである。
 しかし、マンゴーを食べさせた牛の話は、どういう根拠で言っているのか、福岡氏は不明であると語っている。
 それに対して、朽木氏は、当時、インディアン・イエローと呼ばれる顔料は、マンゴーの葉を食べさせた牛の尿を乾かして作ったものだったと付言している。)

〇ところで、フェルメールが色を創りだすさいに、光の粒として扱うことに腐心していたと、福岡氏は推測している。
・フェルメールは人や物に輪郭の線を入れることを拒否した。
 (そんな線は実在しないから)
・線で形を描いてその内部を塗り絵するのではなく、光の粒をドットとしてつなげていって実体を描こうとした。
※福岡氏は、フェルメールに、画家というより科学者的なマインドを持っていたとみる。
 フェルメールは探究心あふれる時代の先駆者であった。
 フェルメールやレーウェンフックたちは、「光の見え方」を追究していた。
 フェルメールが鋭かったのは、光が粒だと感覚的に理解していたということである。
(ずっと後になって、アインシュタインは「光は粒子」と言った)
・たとえば、新聞の印刷も虫眼鏡で見ると、色のドットで構成されている。それでも全体を見ると絵になっている。
 そもそも、たった3色で(甚だしい場合は2色でも)、かなり色が再現できる。
⇒フェルメールは、すでにその点に気がついていて、絵で見ると、光をすごく重層してあって(これもスフマートというのかな)、点々点々って光を作っているという。
 だから、黄色と青を混ぜたら緑になるというような基本だけではなく、あらゆる色が基本的な色で作れることを気がついていたとみる。
(色は粒で作れるということを自覚していた)
※ヤン・ステーンはフェルメールと似たような室内の絵を描いているが、カメラ・オブスクーラを使った形跡がなくて目分量で描いている。

※「フェルメール・ブルー」について
・青というのは光の中では、科学的に言うと1番波長が短く、つまり1番エネルギー的には強い光で、もっと強くなると紫外線という見えない光になって皮膚を焼いてしまうぐらいエネルギーが強くなる。
 その1歩手前の光で、人間にとっては見えるぎりぎりの光である。
・本当は人間の目というのは、光の3原色、赤、緑、青しか見えない。 
 特に赤と緑は、光の波長がすごく近いのに、人間には全然違う色に見えている。
 おそらく、生物学的には、赤が最初に見えるようになって、青が見えるようになって、その2色で世界を見ていたのだが、赤がちょっとだけずれて緑が見えるようになって、その混合でいろいろな色を判断しているという。

〇福岡氏は、フェルメールが青を特別に大事にした理由について、次のように推測している。
⇒自然界には青空や海の青さなど、さまざまなところにすごくきれいな青があるのに、長い間決して取り出せない色だったから。
・青の色素はなかなかなかった。
 ジーンズを染めたりするインディゴなどができてきたけれども、それまでは青は取り出しにくい色だった。
(その昔は異教徒の色でもあったらしい)
・ラピスラズリも、単に砕いただけでは青くならない。
 粉から青だけを取り出す、その抽出方法は、水で溶いて先に沈んできたものを選り分けて上澄みを持ってきて、それを油で溶いて、濾(こ)して、熱する。
 こうした大変な工程を経て、やっとあの特別美しい青になったはずである。
⇒こうした作業は、画家というより、やはり科学者的だと、福岡氏はみる。
 ウルトラマリンという青の成分を抽出してくる特技を持った錬金術師的である。
(おそらく、そうした複雑な工程と方法は、秘密にしていたのではないか。秘儀)
 自然界の中にあるのに取り出せなかった青を取り出せたのは大きな発見であった。
・空とか海みたいにぼんやりした青はあるのに、キュッとクリアな、局所的な青はなかなかなかったから、そんな青があると、とても美しく見える。
※ムラサキツユクサ、青いケシ、青い虫(たとえば、ルリボシカミキリ)
 (とても美しい青色のルリボシカミキリをいくらすりつぶしても青い色は取り出せないそうだ)

※ラピスラズリも顕微鏡で見ると本当は青くない。
⇒鉱物の青さというのは構造色だという。
 細かい結晶が非常にうまく並んでいるせいで、光が入ってくると青い光線だけが整流されてこっちに見えてくる。だから実際は青くない。

・青い色素は本当に限られている。
 ムラサキツユクサとか、青いケシは本当に青いけれども、あれも抽出してきたら赤くなってしまう。
 特殊な条件で花びらの細胞の中に浮かんでいるから青くなるという。
・藍染めのインディゴも最初は全然青くない。その途中ではどす黒い色で空気酸化して、発酵して藍玉にすると青くなる。
※だから、青さを取り出すのは昔からすごく難しくて、色素としての青はなかなかない。
 鉱物の中から青い成分を取り出して、それを使うというのは、今みたいに画材屋さんに行って青い絵の具を買うみたいな簡単なことではなくて、フェルメールのように地道な作業が必要で、とても大変なことだったと、福岡氏は強調している。

※黄色について
 このように考えると、特別美しい黄色も、牛の尿や糞ではなく、鉛や錫といった鉱物から採ってきたものかもしれないという。
・鉱物で作った色は、鉱物の結晶だから、なかなか色褪せない。金属系の色だとすると、鉛錫黄(レッドティンイエロー)という顔料があるそうだ。
 マンゴーから採った色は、酸化して、たちまち色褪せるはず。
※ただ、フェルメールの絵でも、色褪せてしまった部分もある。
 たとえば、≪絵画芸術≫で、歴史の女神クリオに扮した女性がかぶっている月桂樹の冠。
⇒あれは緑色だったはずだが、黄色が飛んだようだ。
 本物を見ると青くすすけた色にしか見えない。
(あの月桂樹の葉は黄色が飛んで、ラピスラズリの青だけが残ったから、あんなふうにくすんで、はげて見えてしまっている)
※洗浄は上に載っているワニス(仮漆)を取って、くすみを取ることしかできないので、洗浄しても、色は戻らない。
※絵の具やキャンバスといった「道具の問題」は時代を表す。
 まだ絵の具はチューブになっていないから、持ち運びが非常に難しい「道具」だった。
 17世紀、当時、画家は家で絵の具作りをしてから、塗るしかなかった。
 だから≪デルフトの眺望≫も室内で描いたはず。まして、高価なラピスラズリを道端で濾すなんて、絶対にしなかっただろう。
(それがチューブ状の絵の具ができて、絵の具も持ち歩けるようになる。つまり、描きたい現場、しかも屋外で描けるようになったのは、19世紀になってから)

(朽木ゆり子、福岡伸一『深読みフェルメール』朝日新聞出版、2012年、86頁~100頁)

画商のトレ=ビュルガーについて


「「再発見」されたフェルメール」(132頁~137頁)において、フェルメール・フィーバーについて解説している。

2012年当時の「フェルメール・フィーバー」は第2次フェルメール・フィーバーであるようだ。
それでは、第1次はいつだったのか?
それは、1866年に画商のトレ=ビュルガーがフェルメールを「再発見」したことによって、美術界が沸き立った「フェルメール・フィーバー」であると、朽木氏は捉えている。

もちろん、現代のような大規模な「フィーバー」ではなかったが、美術の専門家や愛好家の間では「事件」だった。
というのも、フェルメールは存命時、それなりに有名な画家であったし、死後も彼の作品は市場で売り買いされてはいたけれど、美術史上で大きな存在感を示す存在ではなかったからである。
(極端に史料が少なく、今と違って絵画は個人所有の作品が多かったから、なかなか本物を観る機会も少なかった。それで、フェルメールについて大型論考を著そうという専門家がいなかった。)

〇そうした中、フェルメールの魅力に取り憑かれたトレが丹念に調べた。
ヨーロッパ中のフェルメールを探し当てて見て回り、満を持して、1866年に美術雑誌にフェルメールに関する本格的な論文を発表した。
⇒それで、一躍、愛好家の間で注目されるようになった。

〇トレ=ビュルガーはなぜにフェルメールに固執したのか?
この点、彼は17世紀オランダ美術にある種の理想を見ていて、オランダ絵画に憧れていたと、朽木氏はみている。
・トレ=ビュルガーは、フランス人である。
 本名はテオフィール・トレ。
・トレ=ビュルガーについて説明する場合、どうしてもフランス革命に言及しなくてはならない。
 彼は、共和主義者で、バリバリの左翼だった。
⇒それで、王政復古した7月王政時代に亡命し、そのまま国外追放になって、ドイツ風の名前に変えた。
(ちなみに「ビュルガー」はドイツ語で「市民」の意味。
 ビュルガー Bürger=シティズン citizen)

・トレ=ビュルガーはフランスやイタリアの絵画が、人生や理想を「歴史画」で表現する傾向があるのに対し、オランダの風俗画のような、より具体的な絵画を評価した。
⇒だからか、マリー・アントワネットのお抱え画家だったエリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ルブランなんかが大嫌いだったようだ。
※自由な市民たちを描いたオランダの風俗画が好きだった。
⇒そうした好みの中で、フェルメールに出合い、夢中になったようだ。
 フェルメールの絵は普通の人を描いているにもかかわらず、普通を超越した神秘に到達しているから。
※トレ=ビュルガーが真のフェルメール・マニアで、作品を高く評価していたのは事実である。さらに彼の研究結果や鑑識眼が今日のフェルメール研究に大いに役立っていることも確かである。
 ただ、その一方で、彼は画商だから、絵の売買で儲けるために、ブームを「仕掛けた」と見ることもできるかもしれないそうだ。

<朽木氏のコメント>
・厳密に言えば、「再発見」は誇張であるとおそらく本人も自覚していたにもかかわらず、絵の値段が釣り上がるように派手に「権威づけ」をした。
・さらに、そうなると市場になるべく多くのフェルメール作品が出したほうが儲かるわけであるから、鑑定が甘くなっていった。
⇒ちなみに、後にトレ=ビュルガーが鑑定した73点のうち、49点がフェルメールの作品ではなかった、と専門家たちが判定している。
※しかし、フェルメールの特徴を知り尽していて、今日、真作とされている37点のうちの24点をすでに鑑定していたのだから、すごいと言えばすごい。
(それだけに、49点もの「不正解」を出しているのは、いささか不自然。画商としてのビジネスに勤しんだ結果の「73点」だっただろうと、朽木氏は推察している。)
・この第1次フェルメール・フィーバーのときは、幸いにもお金があれば買えた時期だったので、ブームに乗って買ってみたら、後でハズレくじを引いてしまった人が結構いたことになる。

(朽木ゆり子、福岡伸一『深読みフェルメール』朝日新聞出版、2012年、132頁~137頁)

経済史学者モンティアスのフェルメール研究の功績


「美術の門外漢・モンティアスの功績」(144頁~149頁)において、経済史学者モンティアスについて語っている。
・モンティアスは、イェール大学で教えていた経済史学者である。
 同時に、究極の「フェルメール・マニア」で多くの史料を発掘した人である。
⇒未発掘の貴重な史料を次々と掘り起こし、フェルメール周辺の「経済状況」から、謎に包まれていたフェルメールの仕事ぶりや生活の一端を明らかにした。
〇1989年にモンティアスが発表した『フェルメールとその環境 社会史のネットワーク』
(John Michael Montias, Vermeer and His Milieu : A Web of Social History, Princeton University Press, Princeton, New Jersey, 1989)は、フェルメール研究家の必読書になっているそうだ。

〇モンティアスの調査のそもそもの始まりは、17世紀のオランダ絵画取引に関連した商業システムに興味を持ったことがきっかけである。
⇒1975年からデルフトに通い、画家のギルド、聖ルカ組合にまつわるさまざまな古文書を、デルフト市公文書館で目を通すようになったらしい。
(当初はフェルメールに特に注目していたわけではなかった)
〇ところが、フェルメールの父親が居酒屋兼宿屋の「メーヘレン亭」を購入したことを示す文書をたまたま見つけた。
⇒そこでどうやら、この発見はフェルメール研究にとって重大な発見らしいと気づいて、以後、積極的にフェルメール関連の古文書を探して、読み漁るようになったそうだ。

※今日のフェルメール研究に必須のテキストである財産目録、不動産売買、金銭貸借、遺言書、訴訟、結婚や死亡に関する書類など、多くの重要史料を発掘した。
(モンティアスはオランダ古語を読めたので、このような調査が可能だった)
⇒そのおかげで、3人早世したけど計14人(子どもの人数について諸説あり。小林頼子説では14人)も子どもがいた。フェルメールの「子だくさん家庭事情」などを垣間見られる。

〇モンティアスはいろいろと新事実を発見しているが、もっとも重大な「発見」は、フェルメールのパトロンの可能性がある、ピーテル・ファン・ライフェンという醸造業者の存在を突き止めたことであるという。
⇒1696年5月16日に、アムステルダムである競売が行われるが、これにフェルメールが21点も入っていた。(前に引用した表を参照のこと)
・モンティアスは、これが前の年に死んだ出版業者ヤーコプ・ディシウスのコレクションだったのではないか、と推理する。
・そして、この21点ものフェルメールがどこから来たのかを遡っていって、ファン・ライフェンに辿りつく。
・モンティアスによる推測によれば、
 ヤーコプ・ディシウスは、このコレクションを自分より7年前に死んだ妻マフダレーナ・ファン・ライフェンから相続した。
⇒マフダレーナの死の直後に作られた彼女の財産目録には、20点(「小路」にあたる絵がフェルメールの作品リストからもれてしまった可能性が高いという)のフェルメールが含まれていたことが確認されている。
・そして、モンティアスは、それらは父ピーテル・ファン・ライフェンと母マーリア・デ・クナイトから相続したものではないかと推理した。
⇒ファン・ライフェンはフェルメールに大金を貸すなど特別な関係にあったのであるが、その借金はフェルメールの絵によって相殺されていたのではないか、と考えた。

<朽木氏のコメント>
※真相は不明。
 しかし、次のふたつは確実であるという。
①ファン・ライフェンとフェルメールが非常に近しい間柄であったこと。
②ファン・ライフェンの娘とその夫が計20点のフェルメール作品を所有していたこと。
※だからモンティアスの推論は突飛ではなく、自然な「読み」である。

※ちなみに、映画『真珠の耳飾りの少女』では、ファン・ライフェンの描き方が歪められているそうだが、彼がいたからこそ、フェルメールが比較的優雅に作品に集中できた可能性が大いにあると、福岡氏は付言している。
 そして、フェルメールの絵を気に入っていたファン・ライフェンのリクエストにフェルメールが応えていたとしたら、フェルメールが描いたモチーフや世界観にはファン・ライフェンの好みがかなり反映しているかもしれないという。
 モンティアスが示した経済的アプローチから見えてくるフェルメール像は、非常に刺激的である。

☆フェルメールにまつわる気になるテーマとして、フェルメールの改宗問題がある。
 オランダで主流のプロテスタントだったフェルメールが、妻と結婚すると同時に、妻の実家と同じカトリックに改宗したことが、モンティアスは気になっていた。そしてその事情についても精力的に調査しようとしていたそうだ。しかし、残念なことに、2005年に亡くなってしまう。

(朽木ゆり子、福岡伸一『深読みフェルメール』朝日新聞出版、2012年、144頁~149頁)


フェルメール全作品マップ



フェルメール全作品マップ
マウリッツハイス美術館[オランダ・ハーグ]
1 真珠の耳飾りの少女
2 デルフトの眺望
3 ディアナとニンフたち
アムステルダム国立美術館[オランダ・アムステルダム]
4 小路
5 手紙を読む青衣の女
6 恋文
7 牛乳を注ぐ女
ドレスデン国立絵画館[ドイツ・ドレスデン]
8 取り持ち女
9 窓辺で手紙を読む女
ベルリン国立美術館[ドイツ・ベルリン]
10 真珠の首飾りの少女
11 紳士とワインを飲む女
シュテーデル美術館[ドイツ・フランクフルト]
12 地理学者
アントン・ウルリッヒ公美術館[ドイツ・ブラウンシュヴァイク]
13 ワイングラスを持つ娘
ウィーン美術史美術館[オーストリア・ウィーン]
14 絵画芸術
ルーブル美術館[フランス・パリ]
15 レースを編む女
16 天文学者
スコットランド・ナショナル・ギャラリー[イギリス・エディンバラ]
17 マルタとマリアの家のキリスト
ロンドン・ナショナル・ギャラリー[イギリス・ロンドン]
18 ヴァージナルの前に立つ女
19 ヴァージナルの前に座る女
ケンウッド・ハウス[イギリス・ロンドン]
20 ギターを弾く女
バッキンガム宮殿ステート・ルーム[イギリス・ロンドン]
21 音楽の稽古
アイルランド・ナショナル・ギャラリー[アイルランド・ダブリン]
22 手紙を書く女と召使
フリック・コレクション[アメリカ合衆国・ニューヨーク]
23 女と召使
24 兵士と笑う女
25 稽古の中断
メトロポリタン美術館[アメリカ合衆国・ニューヨーク]
26 リュートを調弦する女
27 少女
28 窓辺で水差しを持つ女
29 眠る女
30 信仰の寓意
ワシントン・ナショナル・ギャラリー[アメリカ合衆国・ワシントンD.C.]
31 手紙を書く女
32 天秤を持つ女
33 赤い帽子の女
34 フルートを持つ女※
個人蔵[アメリカ合衆国・ニューヨーク]
35 ヴァージナルの前に座る若い女
バーバラ・ピアセッカ・コレクション(保管場所不明)
36 聖女プラクセデス※
盗難のため行方不明
37 合奏
<注意> ※フェルメールの真作でないとする学者もいる
参考文献 『フェルメール巡礼』(朽木ゆり子、前橋重二) 監修、朽木ゆり子
(朽木ゆり子、福岡伸一『深読みフェルメール』朝日新聞出版、2012年、182頁~183頁)




全点踏破の旅の“難所”


「全点踏破の旅の“難所”」(184頁~192頁)では、フェルメール作品の所蔵美術館について解説されている。

ケンウッド・ハウスの≪ギターを弾く女≫


・ロンドンのケンウッド・ハウスは、歴史的建造物で、映画『ノッティングヒルの恋人』(1999年/イギリス・アメリカ合作)でも使われた。
・ケンウッド・ハウスが、2012年夏から老朽化に伴う改築工事で1年間ほど閉館になる
⇒主要な作品はアメリカを巡回。
 ただし、≪ギターを弾く女≫は、絵の状態が不安定なため、今回も巡回せずに、ロンドン・ナショナル・ギャラリーで修復。
⇒これまで修復されてこなかっただけに、何か新しい発見があるかもしれない。
・≪ギターを弾く女≫
 1974年に盗難に遭っているが、犯人たちは不思議と丁重に扱ったらしく、ダメージはほとんどなかったという。
 この作品の額はフェルメールの家にあった鏡らしい。
 (当時は出来あいのもので済ませたという、ただの鏡の額だけど、今となっては素晴らしい資料価値がある。1630年代製の額だそうだ。)

ロンドン・ナショナル・ギャラリーの≪ヴァージナルの前に立つ女≫と≪ヴァージナルの前に座る女≫


・なぜかヴァージナルの前に立ったり座ったりしている女性像を所蔵している。

バッキンガム宮殿ステート・ルームの≪音楽の稽古≫


・エリザベス女王がスコットランドに避暑に行く、7月下旬から9月下旬にかけてしか観られないので、ロンドンとはいえ、意外と「難所」であると、朽木氏はコメントしている。
⇒朽木氏は、全点踏破弾丸ツアーが冬だったので、その取材時は観ることができなかったという。

スコットランド・ナショナル・ギャラリーの≪マルタとマリアの家のキリスト≫


・スコットランドも難所といえば、難所。
⇒≪マルタとマリアの家のキリスト≫はエディンバラのスコットランド・ナショナル・ギャラリー所蔵。
※エディンバラは、あまり普通の旅行先として選ばないので難所であるらしい。
※2008年に1度、来日している絵。

アントン・ウルリッヒ公美術館の≪ワイングラスを持つ娘≫


・ドイツのブラウンシュヴァイクのアントン・ウルリッヒ公美術館は、1番の難所かもしれないそうだ。
・この美術館は、≪ワイングラスを持つ娘(別名:ふたりの紳士とワインを飲む女)≫を所蔵している。
・ブラウンシュヴァイクは、ベルリンから200キロ少々の小さな街。
(ブラウンシュヴァイクは、歴史はあるけれど、ヨーロッパのよくある中都市、という感じの街)
 街は小さい上に、駅からも遠いし、美術館以外に見どころがそんなにないから、よほどのフェルメール・マニアでないと行かない。
(だから、ベルリンからブラウンシュヴァイクに行く電車に日本人がいたら、きっとフェルメール・マニアにちがいないという)

※その他のドイツにあるフェルメール作品としては、次のものがある。
〇≪地理学者≫があるシュテーデル美術館
〇≪真珠の首飾りの少女≫≪紳士とワインを飲む女≫を所蔵しているベルリン国立美術館
※≪真珠の首飾りの少女≫は、ベルリン国立美術館の目玉作品の1点。
※ベルリンは難所と言えるか微妙であるが、日本からの直行便がないから、意外と行きづらい。
〇≪取り持ち女≫≪窓辺で手紙を読む女≫を所蔵しているドレスデン国立絵画館のアルテ・マイスター美術館

ウィーン美術史美術館の≪絵画芸術≫


・オーストリアのウィーンも、巡礼の難所と言えば難所で、意外と遠い。
・ここには、フェルメールが最後まで手放さなかった≪絵画芸術≫がある。
(フェルメール・マニアなら行かないと、と福岡氏は勧めている)
・この美術館には、有名な「ブリューゲルの部屋」があって、≪バベルの塔≫≪農家の婚礼≫など揃っている。
※フェルメールの絵は、薄暗い部屋にあって、結構、冷遇されているそうだ。
 絵そのものも、経年変化で色褪せて見える。
⇒ハプスブルク家にとって、オランダ絵画は全然、重要でなかったことがわかると、朽木氏は感想をもらしている。
(朽木ゆり子、福岡伸一『深読みフェルメール』朝日新聞出版、2012年、184頁~192頁)


オランダという国


・フェルメール(1632―1675)やスピノザ(1632―1677)が生きた時代のオランダは、スペインから独立し、新しいプロテスタントの国となった。
 いろいろな流れ者や異端審問官に拷問されるようなユダヤ教の人たちをも受け入れ、首都アムステルダムにも住まわせた。つまり、自由な場所だった。
(現代のオランダも、安楽死もある自由な国である)

そして、ユダヤ人社会から飛び出したスピノザは、自分の世界観をつくり出した。
(後世には、アインシュタインがスピノザに共感して、「スピノザの神が自分の神、世界の調和の裏側にあるものが神だ」と言っていた。)

・フェルメールが生きた時代のオランダは、まさに世界の覇者として、東インド会社を作り、世界に飛び出していった頃である。自分たちの都市のランドスケープに興味があったようだ。

〇≪デルフトの眺望≫は、
 1654年に起こった「デルフト火薬庫大爆発事故」後の1659年から60年頃の制作である。
 この大爆発は、デルフトの歴史に残る大事故であった。
 ≪デルフトの眺望≫が描かれた時期は、大爆発で破壊された街を復興しよう、と市民が心をひとつにしていた頃である。
 失われたものとこれから新しく作るもの、ということを考えたら、当然「都市」に関心が向く。デルフトの街、というモチーフは、当時のデルフト市民にとって魅力的なモチーフだったであろう。
⇒水辺に女性がふたり、小さく描かれている横に、当初、実は帽子をかぶった男性も描かれていたと、調査で判明している。
≪デルフトの眺望≫は、フェルメールが特に心血を注いで描いた作品である。
⇒17世紀に生きたデルフト市民としてのフェルメールの思いを感じさせると、朽木氏は語っている。

※この作品は≪真珠の耳飾りの少女≫≪ディアナとニンフたち≫と同じマウリッツハイス美術館所蔵である。
※福岡伸一氏の『フェルメール 光の王国』(木楽舎、2011年)の基になったANAグループ機内誌「翼の王国」の連載で回った、すべての美術館のキュレーター(学芸員)に、「予算制約なしならどの作品を買いたいか」と尋ねてみたところ、ダントツ1位が≪デルフトの眺望≫だったという。

〇17世紀前半、世界の覇者だったオランダは繁栄の極みを迎えていて、オランダ・ファッションが最先端だった。
 その後、最先端モードはフランスのお家芸になるわけだが、フェルメールの前半生の時代は、まだオランダのファッションが最先端だった。
⇒その代表的なシルエットが、ハイ・ウェストのゆったりしたスカートだった。

※フェルメールのファッションというテーマでいうと、論議の的になっている問題がある。
⇒特に≪手紙を読む青衣の女≫について、まことしやかにささやかれている説がある。
 つまり、フェルメールが描く女性たちは、「ふっくら」している服に身を包んでいることが多いので、彼女たちは妊婦だ、という解釈。
(≪手紙を読む青衣の女≫で解釈すると、妊婦が真剣な表情で届けた手紙を読んでいる、ということになる。
→手紙が子どもの父親から来たものだとすると、わかりやすくてドラマティックなモチーフになるのだが……)
 しかし、その推測は、先の17世紀前半のオランダの時代背景を考えると、おそらく間違いであると、朽木氏はみている。

〇そして、もうひとつの理由として、17世紀のオランダでは「妊娠している女性は魅力的ではない」という価値観がスタンダードであった点を挙げている。
 妊婦さんたちは臨月に近づくまで、できる限り、妊婦とわからないように工夫していたという。
※肖像画に妊婦が描かれたケースはまったくなくて、風俗画では妊婦が描かれることはあっても、コミカルな扱いだったそうだ。
⇒そうした時代背景の中で、フェルメールがあえて妊婦を何度もモチーフに選んだとも考えにくい。
 だから、フェルメールが描いた女性たちの「ふっくらファッション」は、「そういう服が流行っていたから」という単純な理由によるものであると、朽木氏は考えている。

(朽木ゆり子、福岡伸一『深読みフェルメール』朝日新聞出版、2012年、38頁~39頁、45頁~47頁、104頁~105頁)

≪真珠の耳飾りの少女≫の真珠のイアリングについて


・≪真珠の耳飾りの少女≫が着けている真珠のイアリングは、とても大きい粒である。しかし、あんなに大きい真珠が、当時、あったのだろうか。疑問がわく。
⇒真珠は当時非常に人気があったが、大変高価だった。
 天然真珠は東洋からの輸入品で、お金のある家の女性がブレスレットやチョーカーのセットで持っている、ということも多かった。
(そういうことも、当時の遺品目録からわかる)

・ただ、真珠は人気があったので、ガラスに着色したフェイクが流行った。
⇒この絵の女性が付けている真珠は不自然なほどに大きい。
 だから、フェイクだった可能性もあるし、効果を狙って誇張して描かれた可能性もあると、朽木氏はみている。

・ガウンやサテン地のスカートも高価だった。
 たとえば、黄色いガウンは当時フェルメールの絵1点より高価だった可能性が高い。
 さらに真珠はもっと高価だった。
⇒そういった高価な装飾品を、着用していたり、思わせぶりに机の上に置いてあったり、フェルメールの絵にはたびたび描かれている。
 それは富をある意味で見せびらかしている。もしかすると、ファン・ライフェン(フェルメールのパトロン、醸造業者)の注文だったかもしれないという。

※ちなみに、フェルメール未亡人と義母の財産目録には、真珠や金などのアクセサリーや貴金属品がまったく含まれていないそうだ。
(わざと入れなかった可能性も含め、真相を知りたいと朽木氏は望んでいる)
(朽木ゆり子、福岡伸一『深読みフェルメール』朝日新聞出版、2012年、105頁~107頁)

※オランダの首都、アムステルダムは、とても素敵な街で、特に旧市街は本当に美しくて、歴史を感じる。
⇒名所旧跡と言えば、アムステルダムには『アンネの日記』の「アンネ・フランク・ハウス」もある。

※オランダ旅行の唯一の問題は、食事だという。
 日本人が食べておいしいと思える料理がほとんどない。
 (ベルギーほどビールもおいしくない) 
 アムステルダムは大都会だから、まだちょっとインターナショナルなレストランがあるから、大丈夫。しかし、地方のロッテルダムでは、パンがパサパサで、サンドイッチすらまずいらしい。
※オランダは基本的に質素な食事。
 昔は、フェスティバル以外の日常では、パンとじゃがいもとチーズ、といった食事だった。
 ただ、ビタボーレンという小さくて丸いコロッケのような名物料理は、おつまみに良い。
 また、日本料理の代わりに、インドネシア・レストランに入ってナシゴレンを食べると、「ああ、ご飯おいしい」とホッとしたという。
(インドネシアは元オランダ領だったから)

※オランダに行くなら、夏が1番良いようだ。
 フェルメール・マニアには、夏の7時10分のデルフトの光を体験してほしいという。
 というのは、≪デルフトの眺望≫は、夏の朝、7時10分に描かれたといわれているからであると、福岡氏はいう。
 フェルメール・マニアとしては、せっかくなら、≪デルフトの眺望≫が描かれた時間に合わせて、訪れてほしいというのである。
※そもそも、オランダは、夏は夜10時ぐらいまで外が明るいけれど、冬は朝9時でも真っ暗で、午後3時過ぎになると、もう暗くなって気分が滅入る。
(朽木ゆり子、福岡伸一『深読みフェルメール』朝日新聞出版、2012年、198頁~201頁)

フェルメールの街・デルフト


〇そもそもオランダは、意外と小さな国で、面積は四国の2倍ぐらい。
 だから、どの街に行くにしても、2時間程度しか、かからない。
 アムステルダム、ハーグ、デルフト、ライデン、ロッテルダム
 街が集まっているから、車でも電車でもすぐに行くことができ、旅先としてはお勧めだという。
 ここでは、フェルメールの街・デルフトについてまとめておこう。
〇フェルメールが生きた時代、17世紀のとても豊かだった時代のオランダの都市が「保存」されているのが、フェルメールの街・デルフトである。フェルメールが43年の生涯のほとんどを過ごした故郷がデルフトである。

 ただ、残念ながら、ここにはフェルメール作品がない。
(だから、純粋に作品だけを「全点踏破の旅」とするだけなら、除外しても問題ない。しかし、フェルメール・マニアはもちろんのこと、オランダに行く予定があったら、訪れてもらいたい、美しい街であると、福岡氏は勧めている)

・「フェルメール展」がワシントンとハーグで実現した90年代半ばまで(あるいは映画『真珠の耳飾りの少女』のヒットまで)、世界に誇る街の偉人であるにもかかわらず、フェルメールをそんなに押し出していたわけでもない。
⇒世界中からフェルメール・マニアが訪れるようになったのは比較的最近のこと。
 ツーリストからフェルメールについて尋ねられても、記念碑ぐらいしかなかった。

※朽木氏が最初に行ったとき、フェルメールが入っていた聖ルカ組合があった場所は、フェルメール小学校があったという。
 次に行ったときは空き地になっていた。ここにフェルメール・センターができる予定と聞いたようだ。(しかし、資金不足でなかなかできない状態)
 その後、オランダの名だたるスポンサーが資金を出して、聖ルカ組合の建物に似せたものを作り、フェルメール・センターとしてオープンした。
(しかし、運営がうまくできなくなって1年程度で閉館)

・フェルメール好きは≪デルフトの眺望≫や≪小路≫の場所を探しにデルフトに来るそうだ。
(フェルメールという文化遺産は町おこしになるから、やはり街として受け皿をつくったほうが得策であると、朽木氏はいう)
・フェルメールの故郷なのにフェルメールの絵が1点もないのが残念だが、フェルメールが作品の中に描いたようなデルフト焼タイルはある。
(また、蚤の市に行くと、フェルメール時代のデルフト焼が安価な値段で売られていて、楽しいと、福岡氏は勧めている。)
 17世紀の古いデルフト焼でも、1枚、2000~3000円くらいから手に入るので、良い記念になるらしい。
 ≪ヴァージナルの前に立つ女≫に描かれているような17世紀のデルフト焼タイルは、子どもが遊んでいる絵とか、いろいろな職業の絵があって面白いという。

(朽木ゆり子、福岡伸一『深読みフェルメール』朝日新聞出版、2012年、193頁~202頁)

フェルメール最大の謎~福岡伸一氏の「あとがき」より


フェルメール最大の謎について、福岡伸一氏は「あとがき」に次のように述べている。

「≪真珠の耳飾りの少女≫はいったり何を見ているのか。フェルメール最大の謎である。
 オランダ・ハーグにあるマウリッツハイス美術館に来てこの絵を実際鑑賞すると、彼女の
見ているものが何なのか、その答えが自然にわかるようになっている。絵は比較的小さな部屋に掛けられている。そしてこの絵の反対側の壁には、フェルメールのもうひとつの傑作≪デルフトの眺望≫が掛けられているのである。そう、彼女のまなざしはちょうどそこに届いている……。
ぜひ皆さんも深読みフェルメールを!」
(朽木ゆり子、福岡伸一『深読みフェルメール』朝日新聞出版、2012年、222頁)
このように、「あとがき」を結んでいる。
福岡伸一氏によれば、≪真珠の耳飾りの少女≫は、作者フェルメールの故郷デルフトを眺めていたという解釈になる。

おわりに―感想とコメント


この本の中で、一番印象に残った話は、福岡伸一氏が語った「フェルメール・ブルー」についてであった。さすが生物学者で、自然界の生き物に詳しい。
私は福岡氏の話をきいて、青いバラのことを想起した。昔、読んだ本に、
〇最相葉月[さいしょう・はづき]『青いバラ』小学館、2001年
という本がある。
その「青いバラ」について、触れておきたい。

☆青いバラについて
「この世に青いバラはない」といわれてきた。
 青いバラという言葉には「不可能」という意味がある。
(キクにもユリにもチューリップにも青はないが、バラに青がないのは特別なことだった)
バラには青い色の遺伝子、すなわち青い色素デルフィニジンをつくる遺伝子が存在しないために、従来の育種方法では青いバラはできなかった。だが、バラ以外の青い花から青い色の遺伝子を取り出してバラに導入し、その遺伝子がバラの中で活性化すれば、青いバラができるとされる。
 例外はあるが、この世にある青い花の多くはデルフィニジンを持っている。だが、三大切り花の、バラ、キク、カーネーションの花弁にはなぜかデルフィニジンはなく、シアニジン(赤)とペラルゴニジン(黄)しか含まれていないため、青い品種はなかった。
(ただ、デルフィニジンがあるからといって、必ず青くなるわけではなかった。デルフィニジンにも、赤紫から青という色の幅があるため)
ちなみに、青い花には、ツユクサやヤグルマギク、アサガオなどがあるが、これらの青い花の色素を溶媒で抽出すると、もとの花弁の色とは違って赤色になってしまう。
(最相葉月『青いバラ』小学館、2001年、4頁、120頁、184頁、186頁)

※この後、2004年6月30日に「青いバラ」が遺伝子組み換え技術により誕生した。2009年、「アプローズ」のブランドを設け、切り花として発表された。

【最相葉月『青いバラ』小学館はこちらから】
最相葉月『青いバラ』小学館


≪田中秀明『桜信仰と日本人』を読み返して≫

2022-04-14 17:50:17 | 私のブック・レポート
≪田中秀明『桜信仰と日本人』を読み返して≫
(2022年4月14日投稿)

【はじめに】


 4月1日、市内の桜は満開であった。
 この日、ある集まりで花見のお誘いがあり、参加することにした(もちろん、コロナ対策を万全にしつつであるが)。
 話題の豊富な人が一人でもおられると、場が和み、その場にいても楽しい。桜に蘊蓄の深い人がおられ、随分、勉強になった。
 私も、以前に桜に関する本を何冊か読んだことはある。しかし、とっさに機転を利かして、適当な話題が頭に浮かんでこないのは、困ったことだ。年のせいにはしたくない。
 そこで、手元にある桜に関する手頃な本を読み返してみた。それが、田中秀明氏の監修した本書である。
〇田中秀明『桜信仰と日本人 愛でる心をたどる名所・名木紀行』青春出版社、2003年
 頭を整理する意味でも、簡潔に紹介してみたい。何かの参考にしていただければ、幸いである。




【田中秀明『桜信仰と日本人』(青春出版社)はこちらから】
田中秀明『桜信仰と日本人』(青春出版社)






田中秀明『桜信仰と日本人 愛でる心をたどる名所・名木紀行』青春出版社、2003年
【目次】

はじめに
第一章 桜と日本人
 待ちに待った開花
  「桜前線」を追いかける
  日本にしかない花見の風習
 古代人が見た桜
  「コノハナサクヤヒメ」伝説
  「サクラ」の語源
 貴族の風雅から庶民の遊びへ
  花見は昔「梅」だった
  平安貴族の「花の宴」
  桜に託された無常観
  庶民への広がり
 時代に翻弄された桜
  本居宣長の桜
  ソメイヨシノの悲劇
  現代人の桜観

第二章 歴史にみる桜
 秀吉が催した花見宴
  「吉野の花見」の意味
  栄華を誇った「醍醐の花見」
  醍醐寺に残る当時の面影
 花のお江戸と花見風俗
  江戸の花見は上野から
  川柳にみる江戸っ子の花見
  花見小袖と「茶番」
 ポトマック河畔に咲く桜
  桜に魅入られたアメリカ女性
  受け継がれる日本の桜

第三章 暮らしに息づく桜の文化
 こんなにあった桜の種類
  桜の特徴
  桜の自生種と園芸種
 生活の中の桜
  桜を味わう
  桜の工芸品

第四章 桜を守る人々
 桜を育てた人々
  東西交流による桜の改良
  桜を広めた園芸技術

 絶滅を免れた荒川堤――五色桜
 継体天皇お手植えの桜の復活――根尾谷の淡墨桜
 ダムから救われた二本の桜――荘川桜
 天の川のような桜道を作りたい――桜街道
 桜守三代、日本の名桜を守る――佐野藤右衛門家の桜

第五章 日本全国桜名所案内




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・第一章 桜と日本人
・桜の語源~◆「コノハナサクヤヒメ」伝説
・◆「サクラ」の民俗学的語源
・花見は昔「梅」だった~第一章 桜と日本人 貴族の風雅から庶民の遊びへ
 ◆花見は昔「梅」だった/◆平安貴族の「花の宴」/【補足:和歌の掛詞について】
 ◆桜に託された無常観/◆『新古今和歌集』の無常観/◆庶民への広がり
・時代に翻弄された桜
 ◆本居宣長の桜/◆ソメイヨシノの悲劇
・桜の自生種と園芸種
 【ヤマザクラ(山桜)】/【オオシマザクラ(大島桜)】/【エドヒガン(江戸彼岸)】
 【ソメイヨシノ(染井吉野)】/【ギョイコウ(御衣黄)】
・第五章 日本全国桜名所案内
 【三隅の大平桜】/【根尾谷(ねおだに)の淡墨桜(うすずみざくら)】/【荘川桜】
 【山高神代桜(やまだかじんだいざくら)】






第一章 桜と日本人


桜は本格的な春の到来を告げる花である。そして、日本人を魅了してやまない花である。
桜の花の美しさに感動する日本人の感性こそが、桜と日本人の素晴らしい関係を育んできた。

花見は、平安貴族たちが風雅な遊びとして行った「花見の宴」に端を発するといわれる。
その後、権力や財力のある武士・町人らに受け継がれ、江戸時代には庶民の娯楽として広く浸透していった。つまり、日本人は現在にいたるまで千年以上もの間花見を続けてきたことになる。現代的な花見が成立したといわれる江戸中期から数えても、すでに数世紀が経っている。

ところで、花が大好きでガーデニングの元祖ともいえるイギリス人でも、大勢の人が花を楽しむ場所で仲間と飲食しながら時間を過ごすという習慣はないそうだ。
また、比較的気候や文化に共通点のあるアジアの国々でも花見はなかったと、白幡洋三郎氏(国際日本文化研究センター)はいう(その著『花見と桜』)。
(ただ、中国の大連に桜の花見があったが、そこはかつて日本人が作った桜の名所であった)
つまり、花見は日本独自の文化であると、白幡氏は結論している。白幡氏は日本の花見の特徴として、「群桜」「飲食」「群集」の三要素を挙げている。

それにしても、さまざまな疑問がでてくる。
どうして日本人は桜、花見が好きなのか。
たくさんある花の中でなぜ桜にばかり特別な目を向けるのか。
また、日本人は桜に対して、どのような心情を抱いてきたのか。

こうした問題意識のもとに、本書は桜と日本人の関係について、様々な側面から論じている。
(田中秀明『桜信仰と日本人』青春出版社、2003年、3頁~19頁)

桜の語源~◆「コノハナサクヤヒメ」伝説


・桜は日本人の祖先が日本列島に現われる前から自生していたといわれている。
・桜が古代の日本人の目にどう映っていたのか。
 その手がかりとして、研究者たちが目をつけたのが、「サクラ」の語源である。
 これには、様々な説がある。
〇「咲き群がる」「咲麗(サキウラ)」「咲麗如木(サクウルワシギ)」「咲光映(サキハヤ)」などの略であるという説
〇桜の樹皮が横に裂けることから「裂くる」が転じたという説
〇「盛」「幸」「酒」と同義語だという説
〇「木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)」の「サクヤ」が「サクラ」に転じたという説
 (有力な説として最初に定着)

木花開耶姫の伝説


・この伝説は、『古事記』神代巻に登場する。
・天孫瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が笠沙(かささ)の御前で美女に出会い、名を尋ねると、姫は「木花開耶姫」と答える。
 尊は妻にしたいと思い、父親の大山津見(オオヤマツミ)の神に結婚を申し出たのだが、父親は姉の「磐長姫(イワナガヒメ)」もめとってくれるならと姉妹を差し出す。
 ところが、尊はあまり美しくない姉を避け、妹とだけ一夜の契りを結ぶ。
 これに対して、大山津見の神は、尊の永遠の寿命を願って、磐長姫を差し出したのに、これを退けたということは、これから尊の命は花のように短かくはかないものになるだろうと語ったという。

※ここには桜についての記述がはっきり出てくるわけではないが、美しい花「コノハナ」は桜を指すという解釈がなされた。
 また、古代の音韻にはラ行がヤ行に転じることがあるという学説もあり、「サクヤ」が「サクラ」になったのだろうともいう。

・ところで、木花開耶姫は伊勢の朝熊(あさくま)神社で桜を神木としたという伝説もある。⇒これも木花開耶姫と桜を結びつける一因になったと考えられている。
・さらに、富士山の御神体は木花開耶姫で、一般的にこれは桜のことであると解釈されている。⇒本居宣長(もとおりのりなが)の『古事記伝』にも、この説が使われている。
(つまり、『古事記伝』が書かれた江戸中期以降、これが研究者の間で通説となっていた)
(田中秀明『桜信仰と日本人』青春出版社、2003年、20頁~22頁)

◆「サクラ」の民俗学的語源


〇木花開耶姫伝説から導き出された語源説が長いこと最有力と目されてきたのだが、その後、民俗学的な見地から新しい解釈が生まれた。
⇒これは、「サクラ」を「サ」と「クラ」に分けて解釈する。
(サは穀霊を表し、クラは神が依りつく「座(くら)」のことであるとする)
 つまり、「サクラ」とは、「稲の神が集まる依代(よりしろ)」を意味する言葉である、という説である。

・民俗学で「サ」はサオトメ(早乙女)、サツキ(五月)、サナエ(早苗)といったように、すべて稲霊を表すとされている。
一方、「クラ」はイワクラ(磐座)、タカミクラ(高御座)のように、神霊が依り鎮まる座の意味があるという。

〇このように、「サクラ」と稲の霊との関連性を最初に指摘したのは、折口信夫と見られている。
(「折口学」という独自の研究世界を作り上げた民俗学者)
⇒折口は、桜を、もともと観賞用ではなく稲の実りを占う実用的な植物であったという(『花の話』)。
 そのため花が早く散ってしまうのは前兆が悪いものとして、花が散らない事を欲する努力につながっていったとする。
※京都・今宮神社の「やすらい祭」を例に挙げて、この裏には桜の花が早く散ってしまうと稲の実りに悪い影響が出るので、散らないでほしいと祈る民衆の呪術観念が潜んでいるとも、説いている。
※「サ・クラ」説には直接触れていないが、折口は桜の花を稲の豊凶を占う重要なサイン、神意の顕れと見ている。

※この折口の説から一歩踏み込んだところで、「サ・クラ」説が展開されるようになったようだ。
 ただ、懸念の声も挙がっている。
 というのも、桜は日本人が現れる前から日本列島に自生していた植物である。稲作が渡来する、はるか昔からあった桜に、なぜ稲霊に由来する名前がつけられたのか、まだ何も説明がなされていないから。

※また、「やすらい祭」も、折口説とは反対に、疫病や邪気を桜の花が散るのといっしょに追い払ってしまおうという思いから始まったという説もある。

<田中秀明氏のコメント>
〇「サ・クラ」説が桜の語源説としてゆるぎないものかどうか不明。
 だが、桜が稲作と深い関係にあったことは確かである。
・今でも日本各地に「種まき桜」「苗代桜」「作見桜」などが残っている。
 桜の花は籾種(もみだね)をまいたり豊凶を占うなど、農作業の目安となっていた。
⇒四季の変化を自然の中から読み取っていた古代日本人が、稲作りを開始する季節になると、山々に咲き乱れる桜に神聖なものを感じたとしても不思議ではない。
・稲などの作物を神からの賜わり物とみなしたように、桜にも神の存在を見ていたと考えてよい。
 こうした日本古来のアニミズムを出発点とした桜観は、各地の桜祭や古木伝説の中だけでなく、今も日本人の心に生きているといえよう。

(田中秀明『桜信仰と日本人』青春出版社、2003年、22頁~24頁)


花見は昔「梅」だった~第一章 桜と日本人 貴族の風雅から庶民の遊びへ


 貴族の風雅から庶民の遊びへ

◆花見は昔「梅」だった


桜と日本人の関係を考えたとき、花見を抜きにして語ることはできない。
では、花見はいつどのような形で始まったのか。
実は、日本人が初めて体験した花見は「桜」ではなく、「梅」であった。

奈良時代は、遣唐使などによって中国の文化が日本に運ばれ、貴族たちに大いにもてはやされていた時代である。梅は外国からやってきた貴重な花樹として人々に歓迎された。そして、梅の花を楽しみながら詩を詠むという中国の宮廷文化にも、奈良朝の貴族は最先端の教養文化として飛びついたようだ。

そうした状況を物語るのが、現存最古の歌集『万葉集』である。
桜を詠んだ歌も40首ほどあるものの、梅は100首以上と、桜をはるかにしのいでいる。
もっとも、『万葉集』で一番多く詠まれている花は萩である。

では、桜はどのような存在であったか。
今でこそ桜はソメイヨシノなどの里の桜が主役となっているが、もともと桜といえば、山に咲くヤマザクラが中心であった。
万葉人たちの歌には、山を含めた風景として桜の美しさを素朴に詠んだものが多い。

  見渡せば春日(かすが)の野辺(のべ)に霞立ち咲きにほへるは桜花かも(巻一0・一八七二)

この歌は、春日山に桜の咲きほこる様子を詠んでいる。
遠くから眺めて楽しむものではあったが、春日山、高円(たかまど)山、香具(かぐ)山など、この頃すでに桜の名所といえる場所が奈良の周辺にいくつかあったようだ。

『万葉集』の時代は、花見が「梅」から「桜」に移行する前の、桜を観る眼を養う下準備の時期だったともいえる。
『万葉集』の中にも、桜を観賞する姿勢は見られるが、万葉人たちの桜を観る眼はそれまでのアニミズム的自然感覚に「花を愛でる」という外来文化の影響が加わったものであったであろう。

◆平安貴族の「花の宴」


花といえば、桜を指すほどに桜への思いが強くなっていくのは、平安時代になってからのことである。
『古今集』になると梅と桜の立場は逆転し、圧倒的に桜を詠んだ歌が多くなっている。

平安京の内裏(だいり)の紫宸殿(ししんでん、南殿)前庭には、一対の樹木が植えられていた。これが今もよく知られている「左近(さこん)の桜」、「右近(うこん)の橘(たちばな)」と称されるものである。

実は平安京遷都の際、最初に植えられたのは桜ではなく、梅であった。遷都の折には、奈良時代の平城京にならい、橘とともに梅を植えたのだろう。奈良朝でもてはやされていた梅を崇める空気がまだ残されていたようだ。
ところが、この樹が枯れてしまった後に植え替えられたのは桜だった。この出来事は、仁明(にんみょう)天皇の承和(じょうわ)年間(834―48)のこととされている。
それから間もなく、894年には遣唐使が廃止された。こうした事柄から、平安時代に入ると、日本人の外への関心が徐々に薄れ、自国の文化に目覚め始めた。外来植物である梅ではなく、日本自生の花、桜へと関心が移っていった。

そして、いよいよ「桜」の花見の登場となる。
『日本後紀』には、弘仁(こうにん)3年(812)嵯峨天皇の命により、
「神泉苑(しんせんえん)に幸して花樹を覧(み)る。文人に命じて詩を賦さしめ、綿を賜うこと巻あり、花宴の節はここに始まる」
と記されている。これが記録に残る最初の花見といわれている。
その後、天長(てんちょう)8年(831)には、場所を宮中に移し、「花の宴」は天皇主催の定例行事となっていった。

花見の文化が定着するとともに、桜の種類は増え、都の郊外には、花山、雲林院、東山、月林寺、法勝寺など桜の名所も数多くできた。
鷹狩から始まった桜狩も盛んに行われるようになり、貴族たちは野山に出かけて花見をし、そこで宿泊するという遊びを楽しんだ。
『伊勢物語』に登場する交野は、桜狩の名所である。惟喬(これたか)皇子(文徳天皇皇子)は在原業平(ありわらのなりひら)を連れてよく訪れ、花の下で酒を飲んでは歌を詠み、近くの水無瀬離宮(みなせりきゅう)に宿泊するという狩を好んだといわれる。

このように、平安時代は桜が人々の心にクローズアップされてきた時代でもあった。
花の宴や桜狩で詠まれた歌には、桜に対する細やかな心理が映し出されるようになる。
その代表といえるのが、『古今和歌集』である。

  世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(五三)

桜の花があるばかりに心が乱される、いっそ世の中に桜がなければ穏やかな日々を過ごせるのに、という桜へ寄せる思いを詠んだ在原業平の歌である。
(咲いても散っても美しさを素直に詠んだ『万葉集』の歌に比べ、格段に成熟した表現といえる点に、注目したい)

  花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに(一一三)

小野小町(おののこまち)のあまりにも有名な歌である。桜と自分の容姿とを重ね合わせて嘆きつつ世の無常をも詠んでいる。(この有名な和歌は、高校の古文でもよく取り上げられている)

  久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ(八四)

これも非常によく知られた紀友則(きのとものり)の歌である。
穏やかな春の日であるのに、心は散る桜に乱される、と美しい情景と乱れる心との対比を見事に描いた。

<注意>
※『万葉集』に比べると、『古今集』の歌は自然を観る眼の熟練を感じさせる。
また、桜の歌は春を詠んだ歌の半数以上を占めており、いかに桜が平安貴族たちの心を捉えていたかがわかる。桜と梅で比較するなら、『古今集』では桜の方がはるかに多い。
※本居宣長が『玉勝間(たまがつま)』の中で、
「ただ花といひて桜のことにするは、古今集のころまでは聞こえぬことなり」
と指摘しているように、『古今集』に詠まれている桜の多くは「花」で表現されている。

【補足:和歌の掛詞について】


和歌の修辞における「知的効果」の味わい方として、黒川行信『体系古典文法』(数研出版)において、次のように記している。
①物語の文脈、詞書などから作歌意図をつかむ
②五七五七七に分かち書きして、リズムや切れ字などを把握する
③枕詞、縁語、掛詞の代表例を覚えておく
(黒川行信『体系古典文法』数研出版、2019年[1990年初版]、138頁)

和歌の修辞問題、掛詞(かけことば)の攻略法については、次のように解説される。
掛詞が分からないと、和歌の意味が理解できない場合もある。
●掛詞の特徴と見つけ方
①掛詞とは、同じ部分に重ねられた同音異義語で、一つの歌の中に複数のイメージを組み込んだ技法。
②上から読んで、急に意味が理解しにくくなる部分に掛詞がある。
⇒掛けられた双方の意味を解釈に反映しないと理解できない場合が多いため。
③物(現象事象)と心(心象人事)の掛詞が多い。
 <例> ながめ(「長雨」=現象と「ながめ」=心象」
  花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に
(古今集・巻二・小野小町)
 ふる(降る・経る)
 ながめ(長雨・眺め)
【現代語訳】
 桜の花の色はむなしく色あせてしまったことだなあ、長雨が降り続いて見ることもできずにいるうちに。そのように私の容色もむなしく衰えてしまったことだ、自分が生きてゆくことで物思いをしていた間に。
 
※和歌には、<表の意味>と<裏の意味>があることが多い。二つを橋渡ししているのが掛詞である。多くの場合、
●表の意味=自然物・地名
●裏の意味=人事・人の心情となる。
上記の小野小町の歌では、「長雨―降る」が自然物で表の意味、「眺め―経る」が人事で裏の意味ということになる。
(黒川行信『体系古典文法』数研出版、2019年[1990年初版]、136頁~138頁など)

◆桜に託された無常観


平安時代とは、平安京遷都から鎌倉幕府の設置までの約400年を指す。
とてつもなく長い年月の間には、様々な政権交代劇や貴族文化の開花があった。しかし、国家の充実期、成熟期を過ぎると、やがて貴族社会も衰退期を迎える。
平安末期には武士の台頭によって、戦乱が相次ぎ、また地震、旱魃、大火などの災害、飢饉も続発して世情は不安定になっていった。そうした中で、人々は無常観にとらわれ、その思いは来世信仰へつながっていく。

世の中に変わらないものなどひとつもない、という「諸行無常」の考え方はそもそも仏教によるものである。だが、仏教本来の諸行無常はそれを超越した先に究極の境地があると説いている。それに対して、日本人の心に根づいたのは、世の無常を嘆き悲しみつつ、諦めるという心情であった。人々はいずれ消えていく命のはかなさを観念的に知っており、それを自然の中に重ね合わせて歌に詠んだ。その題材として、桜を好んで用いられたのも、日本人の無常観と桜の生態がマッチしていたからだろう。
貴族文化華やかなりし頃の『古今集』にも無常観漂う歌はあるが、基本的には桜の美しさに心酔する様がみてとれる。無常は観念の中にとどまっていた。

◆『新古今和歌集』の無常観


しかし、すでに貴族社会が実権を失った鎌倉時代前期に編まれた勅撰和歌集、『新古今和歌集』になると、桜に託した無常観は切実な嘆きへと変わる。

  桜散る春の山辺は憂かりけり世をのがれにと来しかひもなく(一一七)

世間から逃れるために山へ隠遁しようとやってきたのに、桜の散る様子を見ていると決心がゆらいでしまう、という恵慶(えぎょう)法師の歌である。

  はかなさをほかにもいはじ桜花咲きては散りぬあはれ世の中(一四一)

世のはかなさを表すなら桜が咲いては散っていく様子以外にない、と詠んだのは、後徳大寺左大臣藤原実定(さねさだ)である。

  ながむべき残の春をかぞふれば花とともに散る涙かな(一四二)

この俊恵(しゅんえ)法師の歌などは、まさに嘆きそのものである。

<注意>
※『新古今集』では、このように道俗の別なく、ひたすら桜の散るのを惜しんでは嘆く歌が多い。桜の散るさまにかけて世の移り変わりを嘆くのである。
※平安時代だけを取りあげても、日本人の桜観は時代背景や社会情勢の影響を受けながら、少しずつ変化あるいは洗練されてきた。

◆庶民への広がり


平安時代が終わりを告げ、武家政権の鎌倉時代に移っても、花見は武士たちによって受け継がれていった。京の上流文化を武士たちは、自分らのものにしようと取り入れた。
鎌倉時代には鎌倉近辺の鶴岡八幡宮や永福寺などが桜の名所となった。室町時代は再び都を京に移し、華やかな花見が行われた。また、吉野山は平安時代から知られた花見の名所であったが、足利義満はここに様々な種類の桜を持ち込み観賞したといわれる。
桃山時代になると、さらに花見は盛んになった。中でも天下人豊臣秀吉が吉野と醍醐で催した豪勢な花見は、今に語り継がれる大規模なものであった。この花見によって、秀吉は天下人としての地位を世間に知らしめた。
(ただ、武士たちが行った花見には、もはや貴族文化の風雅はなく、権力を誇示するための道具になっていった)

一方、桜の名所が地方へ広がっていくにつれ、庶民の間にも花見は浸透していった。まずは財力のある町人など裕福な階層に広がり、やがて江戸時代になると、一般の庶民も郊外へ花見に出かけるのが行楽の行事となっていった。
「花の宴」の流れを汲む花見は、江戸時代の初期頃までは経済力や教養のある上層階級にとどまっていたが、元禄期には俳諧など文芸の大衆化にともなって、花見も庶民化した。
さらに、享保期になると、江戸には上野をはじめ、向島や飛鳥山、御殿山など花見の名所の開発も行われた。江戸中期に盛んになった大衆花見が現代の花見の原型といわれている。
(落語「長屋の花見」「花見の仇討ち」などに花見の風景が語られているが、これこそ花見が庶民に浸透した証拠であろう)
(田中秀明『桜信仰と日本人』青春出版社、2003年、25頁~36頁)

時代に翻弄された桜


◆本居宣長の桜


国学者・本居宣長は、桜に並々ならぬ思いを寄せた人である。

  敷島の大和心(やまとごころ)を人とはば朝日に匂ふ山桜花

これは宣長を語るときに必ずといっていいほど取り上げられる歌である。
昭和初期から敗戦に至るまで日本が掲げていた軍国主義を扇動するのに大いに貢献した歌とされたからである。

国粋主義を突き進んでいた時代に、歌の中の「大和心」は、「日本人の心」ではなく「大和魂」と解釈された。「漢意(からごころ)」を排し日本古来の道へ戻るべきである、とする宣長独自の思想も手伝い、国家と桜は結びついた。
(しかし、最近ではこの歌は詠まれたとおりの意味に解釈するのが宣長の本意と考えられえるようになってきている)

では、宣長はどのような桜観を持っていたのだろうか。
その手がかりとして指摘されるのが、宣長の出生にまつわる事情である。

宣長の父はなかなか子どもに恵まれず、願をかけると子を授かるという吉野の水分(みくまり)神社に詣でたところ、念願の男子を授かったという。それが宣長であり、自分は吉野の申し子と信じていたようだ。

  水分の神のちかひのなかりせばこれの我が身は生れこめやも

水分神のおかげで自分は生まれてきたという歌である。この神への信仰は生涯続いた。

吉野といえば、修験道の聖地である。桜はこの地の神木とされている。
平安の頃から多くの歌人が歌に詠んだ、いわば桜の聖地でもある場所である。吉野から生を受けたという思いは、宣長を自ずと桜を向かわせたようだ。

『玉勝間』には、次のような桜観が綴られている。
「花はさくら、桜は、山桜の、薄赤くてりて、ほそきが、まばらにまじりて、花しげく咲きたるは、またたぐふべき物もなく、うき世のものとも思はれず」

桜の美しさ、特に山桜のすばらしさを、「この世の物とは思えない」という最大級の感動で表現している。吉野の桜はもちろん山桜であり、この花に特別な思い入れがあったのであろう。
また、宣長の遺言書には、自分の墓の念入りな設計図が書かれてあった。その中に、築いた塚の上に「花のよい山桜」を植えるようにとの指示があったという。
こうしてみると、宣長の桜観には、桜の中に神を感じた古代日本人の自然観と近いものがある。
「敷島の……」の歌も、これと同じ桜観から生まれたものと考えられる。
(国家のイデオロギーと結びつけられてしまったのは、宣長にとっても桜にとっても不幸なことだったと、田中氏はコメントしている)

◆ソメイヨシノの悲劇


今、日本にある桜の8割以上はソメイヨシノが占めているといわれる。
つまり、桜といえばほとんどの日本人がソメイヨシノをイメージし、それしか見たことがないという人も多い。
(ちなみに、開花予想もソメイヨシノを基準にしている)

だが、この桜の歴史は意外にも浅い。
新種として登場したのは、江戸末期、豊島郡の染井(現在の東京都豊島区駒込と巣鴨の境界地、染井墓地がある)あたりの植木屋が「吉野桜」という名で売り出したといわれている。

生育が早く、花付きがよく、見るからに華やかな桜はたちまち人気を呼んだが、本場吉野の桜と混同されては困るということで、発祥の地である「染井」を頭につけ、「ソメイヨシノ」になったそうだ。

明治になると、ソメイヨシノは全国各地に広まっていった。東京などの都市だけでなく、地方でも城跡や公園、堤防、学校などありとあらゆる場所に植栽された。
本州では、ちょうど4月の入学式と桜の花の時期が重なるため、桜というと入学式を思い出す人も多い。

こうして、日本全国を席巻したソメイヨシノではあったが、それが結果的に桜と戦争を結びつける要因のひとつになったという見方もある。
明治維新以来、日本は近代国家としての体制を作り上げるために変革を余儀なくされてきた。
『大日本帝国憲法』や『教育勅語』の発布などで国民の意識変革を図り、富国強兵策を邁進させることで、国を存続させようとした。そうした中で日清・日露戦争に勝利し、さらに国民の士気を高めようと国が気炎を上げていた時期と、ソメイヨシノが全国に広まった時期は重なる。

ソメイヨシノは花期が短く、満開になったかと思うと、一週間もしないうちに散ってしまうのが特徴である。
花が多いだけに、それらがいっせいに散る様子は見事でもある。パッと咲いてパッと散る。この潔い散り様が戦争における士気の高揚に用いられるようになっていく。
明治新政府は、このソメイヨシノの性質を利用し、それまでのヤマザクラから意図的にソメイヨシノに代えて植樹した、という見方もある。
(特に軍隊の駐屯地は城跡が多く、軍人の生き様と桜を対比させるがごとく、ソメイヨシノを植樹したといわれている。現在、城跡に桜が多いのもこのためという。『同期の桜』など軍歌にも桜は多く登場するが、歌詞の中の桜はソメイヨシノを連想させる。軍国主義と桜が結びついたのは、この時代、日本全国にソメイヨシノが溢れていたことも関連あるかもしれないともいわれる)

(田中秀明『桜信仰と日本人』青春出版社、2003年、37頁~42頁)

桜の自生種と園芸種


「第三章 暮らしに息づく桜の文化」では、「桜の自生種と園芸種」を解説している。
桜というのは、植物分類上ではバラ科サクラ亜科サクラ属サクラ亜属に属する樹木である。
自生種は主に東アジアに分布している。日本で見られる自生種は、ヤマザクラ、オオヤマザクラ、オオシマザクラ、エドヒガンなど9種類である。これらを基本として変異した100以上の品種が野生しており、あとはそこから育成された園芸品種である。

※自生種
ヤマザクラ群
【ヤマザクラ(山桜)】
・北は東北地方南部から四国、九州、韓国の済州島(チュジュド)にまで分布。
・4月上中旬、若葉と同時に花を咲かせる。若葉は赤味を帯びているものが多いが、中には黄色、茶色などもある。葉の裏側は粉白色である。
・花は淡い紅色のいわゆる桜色だが、時間が経つにつれて次第に色が白くなっていく。
・変異に富んでいて、栽培されている品種もある。八重咲きのサノザクラ(佐野桜)、ゴシンザクラ(御信桜)、菊咲きのケタノシロキクザクラ(気多の白菊桜)などがそれである。
・平安以降、桜の名所や歌に詠まれた桜は、ほとんどがこのヤマザクラといわれている。いわば、日本人の桜観の基礎となっている桜といえるだろう。
 現在もあるヤマザクラの名所といえばやはり吉野である。

【オオシマザクラ(大島桜)】
・伊豆七島に自生していた桜だが、現在は伊豆半島、房総半島に野生化しているのを始め全国各地に植えられている。
・若葉は鮮やかな緑色で、葉の縁の鋸歯は糸状にのびる特徴がある。成葉は大きく、塩漬けにしたものが桜餅を包むのに用いられる。
・栽培種は多く、ソメイヨシノもオオシマザクラとエドヒガンの雑種といわれている。
・他にも、白色で大輪一重の花を咲かせる「タイハク(太白)」「コマツナギ(駒繋)」、一重と半八重の花が混ざる「ミクルマガエシ(御車返し)」、枝が上に伸びる「アマノガワ(天の川)」、花が淡黄緑色の「ウコン(鬱金)」「ギョイコウ(御衣黄)」、紅色八重の「ヨウキヒ(楊貴妃)」「フクロクジュ(福禄寿)」、さらに花弁の多い「ショウゲツ(松月)」など、里桜と呼ばれる園芸品種に多く関与している。

エドヒガン類
・高木になる種類で、樹皮がヤマザクラ類のように横に裂けるのではなく縦に裂けるのが特徴。
 野生種はエドヒガン一種である。

【エドヒガン(江戸彼岸)】
・本州、九州、四国、韓国の済州島にも分布するが、東国に多い種類であるためアズマヒガンとも呼ばれる。
 また、花の時期に葉が出ないことから、「葉」と「歯」をかけて歯のない老女の「姥」に例えてウバヒガンと呼ばれることもある。
・花はひとつの芽から2、3個の花がつく散形花序で、がく筒や花柄、葉にも毛が多い。ヤマザクラよりも小さな花である。
・樹勢が強いのも特徴で、幹の内部が空洞になっても生き続けるものもあり、樹齢数百年の古木が各地に残されていて天然記念物に指定されているものも多い。
 最古のエドヒガンは山梨県にある「山高神代桜(やまだかじんだいざくら)」である。
・また、江戸の人々が花見を楽しんだのはエドヒガンが多かったと思われる。
 八代将軍吉宗が、飛鳥山、向島、玉川上水などの花見の名所を造成する際にも、このエドヒガンを中心に植樹したといわれている。

※園芸種
【ソメイヨシノ(染井吉野)】
・エドヒガンとオオシマザクラとの雑種といわれる桜である。
 江戸末期に売り出され明治中頃から全国に普及した。現在、公園や並木などの花見の名所といわれるところは、ほとんどこのソメイヨシノが占めている。
・花の大きな性質はオオシマザクラから、葉が開く前に開花する性質はエドヒガンからというように、双方の優れた特性を受け継いでいる。
・人気を呼んだ理由のひとつとして、生育の早さが挙げられる。
 また、花つきが多く、葉が出る前に花が満開になるため、見た目に華やかであることも喜ばれる理由であろう。
・ただし、成長が早いだけに、栄養分も多く必要とするため、3、40年をピークに、7、80年には老衰する。さらに、天狗巣(てんぐす)病などの病害にかかりやすいのも難点。
(寒冷地にあるものは病気にかかりにくいといわれる)
・起源や原産地については諸説ある。
 江戸染井村の植木職人が作り出したといわれているが、自然交配してできたものを見つけてきて増殖させたとの見方もある。

※黄緑色の桜
【ギョイコウ(御衣黄)】
・ウコンと同様に、淡黄緑色の花を咲かせるが、ウコンより小さな八重咲きで、花の最盛期を過ぎると花弁中央に紅色の縦線が現れてくる。
 花びらは緑色が強くなり、外側へ反り返る性質がある。花弁は肉厚で、数は12~14枚位。
・やはりオオシマザクラ系のサトザクラだが、一見したところ桜というイメージではなく、数ある桜の品種の中でも変り種といえる。
 4月下旬に開花する。
(田中秀明『桜信仰と日本人』青春出版社、2003年、80頁~104頁)

第五章 日本全国桜名所案内


中国地方
【三隅の大平桜】
●所在地/島根県那賀郡三隅町(現在:浜田市三隅町)
●開花時期/4月上旬~中旬

・樹齢300年以上、樹高18メートルの巨桜。
・地上2メートルあたりから幹が6本に分かれ、横に20メートル以上大きく枝を張っている。
 樹勢が盛んで迫力がある。
・ミスミオオビラザクラ(三隅大平桜)という品種。
 日本にこの木一本しかない稀有な品種で、国の天然記念物に指定されている。
 エドヒガンとヤマザクラとが自然交配してできたものと考えられている。
・4月上旬から中旬頃、白い花が咲く。
 ヤマザクラと同様に、花が咲くのと同時に若葉も開く。また、幹の古い部分には、エドヒガンと同じような縦裂がある。

・そもそもは、地主である大平氏が、その昔、馬をつなぐために植えたものといわれており、代々大切にされてきた。付近の人々にも愛され、開花期には見物客が遅くまでひっきりなしに訪れる。

(田中秀明『桜信仰と日本人』青春出版社、2003年、166頁~167頁)


中部地方
【根尾谷(ねおだに)の淡墨桜(うすずみざくら)】
●所在地/岐阜県本巣郡根尾村
●開花時期/4月上旬~中旬

・日本三大名桜の一つ。
 山高神代桜に次ぐ日本第二の老樹と言われる。継体天皇(507~532)お手植えの伝説があり、樹齢1500年ともいわれる。
 根尾川上流の根尾谷断層の北寄り、山麓台地に生えている。
・エドヒガンの巨樹で、樹高22メートル、幹まわり8メートル(根元まわり11メートル)、枝張りは四方に十数メートル。
 主幹にはうねるようにコブが盛り上がり、苔むし、神聖な雰囲気を漂わす。
 咲き始めは白い小さな花が、盛りを過ぎる頃には薄墨色になることから「淡墨桜」の名がついた。
・大正初期の雪害などで樹勢が衰え始めたが、昭和23(1948)年、老木回生の名人と言われた前田利行が地元の人々と共に、238本の若い根を切り接ぎ、見事に蘇った。
 昭和34(1959)年、伊勢湾台風により再び損傷したが、作家・宇野千代の呼びかけで保護・延命術が施され、不死鳥のごとく蘇った。国の天然記念物。
(田中秀明『桜信仰と日本人』青春出版社、2003年、179頁)

【荘川桜】
●所在地/岐阜県大野郡荘川村
●開花時期/4月下旬~5月上旬

・合掌づくりで有名な世界遺産・白川郷の一角、御母衣(みほろ)ダム畔に立つ樹齢450年の2本のエドヒガンの老樹。
 ダムの湖底に沈む照蓮寺、光輪寺境内にあったもので、永年、村人に愛されてきた桜である。
 この桜が水没してしまうことを惜しんだ電源開発初代総裁・高碕達之助と、「桜博士」と呼ばれた笹部新太郎の熱意により、昭和35年に元あったところから、100メートルほど高い場所へ移植された。
・以来、毎年春には見事な花を咲かせ、水没地区の住民がふるさとを偲ぶシンボルとなっている。
 近くに「ふるさとは水底となりつ移り来し この老桜咲けとこしえに」の歌碑がある。
 県の天然記念物
(田中秀明『桜信仰と日本人』青春出版社、2003年、180頁)

【山高神代桜(やまだかじんだいざくら)】
●所在地/山梨県北巨摩郡武川村
●開花時期/4月下旬~中旬

・日本一の巨桜。
 樹齢1800年とも2000年ともいわれる最古の老桜。
 幹まわり11メートル、根元まわり13メートルと幹の太さでは日本最大。
 鳳凰三山、甲斐駒ヶ岳を望む地にある古刹・実相寺の境内にある。
・日本武尊が東征の帰途に植えたという伝説があり、それが「神代桜」の名の由来。
・文永11(1274)年、日蓮上人巡錫の折、この木の樹勢が衰えているのを見て祈念したところ、見事に蘇り繁茂したという伝説もあり、「妙法桜」とも呼ばれる。国の天然記念物。
・品種はエドヒガンで、花の色が開花と共に白くなることから「白彼岸」とも呼ばれる。
 幹はコブが幾重にも重なり、年月の重さを物語っている。

(田中秀明『桜信仰と日本人』青春出版社、2003年、184頁)




≪【参考書の紹介】山村由美子『GROUP30で覚える古文単語600』語学春秋社≫

2022-04-13 18:05:14 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪【参考書の紹介】山村由美子『GROUP30で覚える古文単語600』語学春秋社≫
(2022年4月13日投稿)

【はじめに】


 今回のブログでは、次の古文単語帳を紹介してみることにする。
〇山村由美子『GROUP30で覚える古文単語600』語学春秋社、2020年[2017年初版]

目次を見てもわかるように、古文単語を「○○ワード」と分類されていることが最大の特徴である。この分類が具体的にどのような内容であるかは、このブログで解説してみたい。
また、前回のブログで紹介した武田博幸/鞆森祥悟『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』(桐原書店、2014年[2004年初版])のように、付録の章がないので、和歌、古典常識、文学史、識別について述べた項がない。いわば古文単語に特化した単語帳である。



【山村由美子『GROUP30で覚える古文単語600』語学春秋社はこちらから】
山村由美子『GROUP30で覚える古文単語600』語学春秋社








山村由美子『GROUP30で覚える古文単語600』語学春秋社
【目次】
はじめに
本書の構成・利用法
第1章 とにかく丸暗記で攻略
 日常動作ワード
 言語活動ワード
 恋愛ワード
 涙ワード
 仏教ワード
 生命系ワード
 皇室専用ワード
 丸暗記慣用表現
 セットもの副詞
 セットもの以外の副詞
 敬語
 特に注意すべき敬語Ⅰ
 特に注意すべき敬語Ⅱ
 注意すべき人物ワード
 注意すべき時間ワード

第2章 ちょっと工夫して攻略
 パーツで攻略
 現代語に近づけて攻略Ⅰ
 現代語に近づけて攻略Ⅱ
 漢字化して攻略
 対で攻略

第3章 違いに注意して攻略
 現代語との違いに注意して攻略Ⅰ
 現代語との違いに注意して攻略Ⅱ
 活用・品詞の違いに注意して攻略
 一文字違いに注意して攻略
 類似品に注意して攻略Ⅰ
 類似品に注意して攻略Ⅱ
 類似品に注意して攻略Ⅲ

第4章 使い方までおさえて攻略
 両極端系単語の攻略
 多義語・同音異義語の攻略
 バクゼン系単語の攻略

巻末付録・索引
 用言活用表
 助動詞一覧表
 助詞一覧表
 索引





さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・特に注意すべき敬語Ⅰの「たまふ」
・武田単語帳と山村単語帳との比較
・「よをそむく(世を背く)」という単語をめぐって
・山村単語帳の良い点
・おもしろいエッセイ「ことばの窓」
・恋愛ワード
・恋愛ワード と古文読解








GROUP30に分けた場合










特に注意すべき敬語Ⅰの「たまふ」



No.119たまふ
〇尊敬(四段)
①お与えになる。くださる。※「与ふ」の本動詞
②~なさる。お~になる。 ※補助動詞
〇謙譲(下二段)
③~(ており)ます。 ※補助動詞


見分け方

尊敬の補助動詞 【訳】~なさる。お~になる。
=四段 【たま‖は|ひ|ふ|ふ|へ|へ 】

動詞+たまふ

下二段 【たま‖へ|へ|〇|ふる|ふれ|〇 】 ※〇のところは普通、現れない
=謙譲の補助動詞 【訳】~(ており)ます。

【覚え方】
たまお(「たまふ」)さん、尊敬のあまり四段をくださる。
下仁(下二)田ネギを献上(“謙譲”)します。

・敬語出題率ナンバー1です!!
 特に補助動詞の際に要注意!
 訳や文脈から見分けるのは相当むずかしいので、四段活用なら尊敬語、下二段活用なら謙譲語、と形から見分けましょうという。
(山村由美子『GROUP30で覚える古文単語600』語学春秋社、2020年[2017年初版]、52頁)

武田単語帳と山村単語帳との比較


「しほたる(潮垂る)」および「かきくらす」という単語をめぐっての比較
まず、武田単語帳には、次のようにある。
No.175(151頁)
しほたる(潮垂る) 【ラ行下二段】
①涙を流す・涙で袖が濡れる
【解説】
もともとは「潮水に濡れてしずくが垂れる」という意味でした。
その様子が涙を流しているように見えることから、泣くことを比喩的に「潮垂る」というようになりました。
<例文>
①いと悲しうて、人知れずしほたれけり。(『源氏物語』・澪標)
【現代語訳】
▶ほんとうに悲しくて、人知れず涙を流したのであった。

※絵としては、海から上がった少年には体に海水が垂れている。それを指さして女性が「泣いてるの?」という。

(武田博幸/鞆森祥悟『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』桐原書店、2014年[2004年初版]、151頁)

No.176(151頁)
かきくらす(掻き暗す) 【サ行四段】
①空を暗くする・あたり一面を暗くする。
②心を暗くする・悲しみにくれる

【解説】
・「かき」は接頭語。「くらす」は「暗くする」という意味で、もともとは自然の様子をいう語が心情を比喩的に表すようになったものです。
かきくらす=(空や心を)暗くする

<例文>
①雪のかきくらし降るに、(『枕草子』今朝はさしも見えざりつる空の)
【現代語訳】
▶雪が空を暗しく(て)降るので、
②≪わたしは亡くなった恋人との思い出の地を訪ねてみたが、≫
またかきくらさるるさまぞ、いふかたなき。(『建礼門院右京大夫集』)
【現代語訳】
▶また自然と悲しみにくれる様子は、言いようがない。
※「るる」は自発の助動詞「る」の連体形。

【見出し語の関連語】
・つゆけし(露けし) [形容詞]
①露が多い ②涙がちだ

(武田博幸/鞆森祥悟『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』桐原書店、2014年[2004年初版]、151頁)



一方、山村単語帳には、「第1章 とにかく丸暗記で攻略【涙ワード】」に、次のようにある。
No.27 かきくらす 動(サ四)
①(雨や雲などが)あたりを暗くする。
②心を暗くする。(涙や悲しみが)目の前を暗くする。

No.28 しほたる(潮垂る) 動(ラ下二)
①雨や海水などで濡れる。
②涙で袖が濡れる。泣く。

【解説】
・泣き濡れてしおたれる(「しほたる」)
自然現象を表す語を、心の様子にも適用したもの。自然描写の場面なのか、心情描写の場面なのかをチェックして意味を特定します。「しほたる」は、海水がポタポタ垂れる状態を表す意から、涙がポタポタ落ちる意にも用いるようになった語。他に、形容詞「つゆけし」も、涙ワードとして覚えておきましょう。

【相関図】
「かきくらす」 「しほたる」 「つゆけし」
自然 雨などで
あたりが真っ暗 雨などで
濡れる しめっぽい

心情 悲しみで
真っ暗 涙で
濡れる 涙がちだ


<例文>
●あやしう恐ろしきに、「こはいかなることぞ」とただかきくらす心地すれば、衣をひき被(かづ)きて臥(ふ)しぬ。(『狭衣物語』
【ポイント】「心地」←心情表現の証拠
【現代語訳】
わけがわからず恐ろしくて、「これはどうしたことだ」とひたすら目の前を暗くする気持ちがするので、衣服を(頭から)かぶって横になった。

●いと悲しうて、人知れずしほれたり。(『源氏物語』)
【ポイント】「悲しうて」←心情表現
【現代語訳】
とても悲しくて、人知れず泣いてしまった。
(山村由美子『GROUP30で覚える古文単語600』語学春秋社、2020年[2017年初版]、17頁)


「よをそむく(世を背く)」という単語をめぐって


「よをそむく(世を背く)」という単語がある。意味は「出家する」である。
この単語をめぐっても、両単語帳は扱いと出典が異なる。
まず、武田単語帳では、次のようにある。
見出し語では「よをそむく」は含まれず、315語には入っていないが、「出家するの言い換え表現」と題して解説している。
【解説】
古文の世界では、俗世に絶望したり、現世での寿命が尽きることを意識したりしたときには、出家をすることがよくあり、その表現もたくさんあります。来世での幸福(=極楽往生=極楽に生まれ変わること)を願って、仏道修行に専念するために出家をしたのです。(58頁)


そして、「出家する」ことをいう表現は次の三つに大きく分けられるとする。
①衣服などを変える(やつす、かたちを変ふ)
②髪を切ったり、剃ったりする(御髪おろす、頭[かしら]おろす、もとどりきる)
③世(=俗世)を離れる(世を背く、世を遁るなど)
<例文>
・世を背きぬべき身なめり。(『源氏物語』・帚木)
▶(わたしは)きっと出家しなければならない身であるようだ。

(武田博幸/鞆森祥悟『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』桐原書店、2014年[2004年初版]、58頁)



一方、山村単語帳には、「第1章 とにかく丸暗記で攻略【仏教ワード】」に、次のようにある。
No.31 かしらをおろす(頭をおろす)
①出家する。
No.32 よをそむく(世を背く)
①出家する。隠遁する。

【解説】
「出家」は、俗世間を捨て、仏門に入ること。それまでの俗世間での地位や家族を捨て、街の中心部から山中に引っ越し、「庵(いほ・いほり)」というコンパクトな家を建てて、そこで仏道修行生活をおくります。ほとんどの貴族は、人生のどこかのタイミングで出家をするので、こうした表現が古文には数多く現れます。

【相関図】
<仏教関連・衣装ワード>
「苔の衣」・「苔の袂(たもと)」…出家者の着る粗末な服
「墨染め衣(すみぞめごろも)」…①出家者の着る服 ②喪服(もふく)

<例文>
●比叡の山にのぼりてかしらおろしてけり。(『古今和歌集』)
【ヒント】「比叡の山」=比叡山延暦寺
【ポイント】「かしらおろして」←「を」がなくてもOK!
【現代語訳】
比叡山に登って出家してしまった。

●はや、この暁、霊山にてよをそむきぬ。(『弁内侍日記』)
【ヒント】「霊山」=神仏をまつった神聖な山
【現代語訳】
すでに、この暁に、霊山で出家してしまった。
(山村由美子『GROUP30で覚える古文単語600』語学春秋社、2020年[2017年初版]、19頁)

山村単語帳の良い点


一方、山村単語帳には、「第3章 違いに注意して攻略【類似品に注意して攻略Ⅱ】」に、次のようにある。
◎違いをつかめ!「趣」ワード編
No.492 あはれなり 形容動詞(ナリ)
①しみじみと~だ。
No.493 あはれ
①(感)ああ。
②(名)しみじみとした思い。
No.494 をかし 形容詞(シク)
①趣がある。おもしろい。
②すばらしい。
③滑稽だ。おかしい。
No.495 おもしろし 形容詞(シク)
①趣がある。
②興味深い。おもしろい。

【相関図】
「あはれなり」…しっとりしみじみとした趣。
「をかし」………知的でカラッと明るい趣。
「おもしろし」…心が晴れ晴れするような趣。

【解説】
・「あはれなり」「をかし」「おもしろし」は、いずれも趣や風流にかかわる意味を持つ語である。
何となく同じように捉えていた人もいるかもしれない。しかし、次のような違いがあるようだ。
①「あはれなり」
嬉しいにつけ悲しいにつけ、心が揺さぶられ、しみじみとする意。
※「あはれなり」は辞書にはたくさんの訳語が載っている。
 結局「しみじみうれしい」のか「しみじみ悲しい」のかなどは文脈から判断するしかない。
 だから、覚えるのは、「しみじみと~だ」だけで、OKだとする。
 (後は本文から読み取ること)
②「をかし」
 主に普通とは少し変わったことに対する知的な趣。
③「おもしろし」
 気分がパッと明るくなるような趣を表す。

<例文>
●ある人の、「月ばかりおもしろきものはあらじ」と言ひしに、また一人、「露こそなほあはれなれ」と争ひしこそ、をかしけれ。(『伊勢物語』)
【現代語訳】
ある人が、「月ほど趣のあるものはないだろう」と言ったところ、別の一人が、「露こそがやはりしみじみとした趣がある」と言い争ったことが、知的でおもしろい。
(山村由美子『GROUP30で覚える古文単語600』語学春秋社、2020年[2017年初版]、236頁~237頁)

おもしろいエッセイ「ことばの窓」


和歌には特別な力があり、言葉には不思議なパワーがあるという「言霊(ことだま)」信仰があったことを、おもしろいエッセイ「ことばの窓」で次のように記している。

「力をも入れずして、天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)をも慰むるは歌なり。」これは、古今和歌集の仮名序(かなじょ、=ひらがなで書かれた序文)の一節です。
 古代、和歌には特別な力があると考えられてしました。人間や鬼神の心を動かすだけではありません。たとえば、いい歌を詠むことで、都からの追放刑ほどの大罪を許されたり、別れた彼氏が戻ってきたり、“実益”を伴う話が古文には多いんです!
 和歌に限らず、そもそも言葉に不思議なパワーがあるという「言霊(ことだま)」信仰をベースにしているともいえますし、それだけ和歌が重視されていたともいえそうですね。
(山村由美子『GROUP30で覚える古文単語600』語学春秋社、2020年[2017年初版]、214頁)

恋愛ワード


目次を見てもわかるように、山村由美子『GROUP30で覚える古文単語600』(語学春秋社、2020年[2017年初版])には、「恋愛ワード」という項目がある。
そこには、次のような古文単語が載っている。

No.18 おもふ【思ふ】 動詞(ハ行四段)
①愛しく思う。
②不安に思う。
③思う。

No.19 よばふ【呼ばふ】 動詞(ハ行四段)
①言い寄る。求婚する。

〇「おもふ」の意味は基本的に現代語と同じ。
 ただし、何をどう思うのかがはっきりしない「おもふ」は、たいてい「愛しく思う」か「不安に思う」の意。恋愛ワードになり得るので、恋物語の場合は意識すること。

〇「よばふ」は、“夜這(よば)い”と勘違いする人もいるが、「呼ばふ」と漢字化される。
 もともとは、「(誰か)を呼び続ける」の意であるが、「交際を申し込む・プロポーズする(=言い寄る・求婚する)」の意で多く用いられる。
 訳語の「言い寄る」「求婚する」は、日常会話ではあまり使わないが、選択肢などには現れるそうだ。
〇ちなみに、「垣間見る」「懸想(けさう)す」なども、恋愛初期の場面によく見かける語である。

<恋愛初期・関連ワード>
【相関図】
垣間見る のぞき見る
懸想す 恋愛感情を抱く
懸想文(けさうぶみ) ラブレター

(山村由美子『GROUP30で覚える古文単語600』語学春秋社、2020年[2017年初版]、11頁)

No.20 みる【見る】 動詞(マ行上一段)
①(男女が)交際する。結婚する。
②見る。

No.21 あふ【会ふ・逢ふ】 動詞(ハ行四段)
①(男女が)交際する。結婚する。
②出会う。対面する。

No.22 かたらふ【語らふ】 動詞(ハ行四段)
①(男女が)親しく言葉を交わす。
②説得して味方に引き入れる。
③語り合う。

※「みる・あふ」は、結婚する前提

No.20~ No.22は、現代語と同じ意でも用いるが、恋愛の語で用いられる場合は、主語などをチェックした上で基本的に恋愛ワードとして意味を考えること。
〇ちなみに、高貴な貴族女性が自分の姿を直接見せる異性は、原則、父・兄弟・夫のみ。
⇒だから、家族以外の男性が女性を「みる」ことが「交際する」「結婚する」の意になる。

・また、入試で出題される「古文」の時代には、現代のような婚姻届がないから、“おつきあい”と“結婚”の区別は今のようにはなく、同じ語で表す。
・当時は、男女が同居せず、夫が妻に会うために妻の邸(やしき)に通う、「通い婚」という結婚スタイルが主流。

「ことばの窓」には、次のようにある。
・古文の時代は、一夫多妻。
 通常、貴族たちの妻はそのまま生家で暮らし、夫がそれぞれの妻のもとを訪ねる「通い婚」なので、妻たちが夫を囲んで集団生活なんかはしない。
(同居カップルもいるが少数派)
〇また、当時の高貴な女性は姿を見られることを極端に嫌ったので、結婚当日に初めて妻の顔を見て、夫がビックリしたなんてこともあった。

<恋愛順調期・関連ワード>
【相関図】
知る 交際する。結婚する。
通ふ (男が女のもとに)通う。通い婚をする。
男(をとこ)す 夫を持つ。夫にする。
見ゆ 妻になる。女が結婚する。
あはす 結婚させる。
後朝(きぬぎぬ)の文 デート直後の手紙

(山村由美子『GROUP30で覚える古文単語600』語学春秋社、2020年[2017年初版]、12頁~13頁)


恋愛ワード と古文読解


【テーマ3】場面に応じた意味把握②~恋愛ワード編~
「会ふ」「見る」「知る」などの言葉は、そんなに現代語との違いがないように見える。でも、これらの言葉は、男女がメインの恋愛のお話の中で用いられると、特別な意味になる重要語である。

ワザ41意味の特定法②[パターン的中率80%]
 男女の恋のお話では、「会ふ」「見る」「知る」などは恋愛ワードに変身!
古文単語 意味
会ふ(逢ふ)・見る ①デートする。②おつきあいをする。③結婚する。
見ゆ 女性が結婚する。
知る ①おつきあいをする。②結婚する。
通ふ・住む ①男性が女性のもとに通う。②おつきあいをする。③結婚する。
呼ばふ ①言い寄る。②プロポーズする。
もの言ふ ①言い寄る。②プロポーズする。③デートする。
こころざし 愛情
世(の中) 男女の仲
<プラスアルファ>
〇現代人感覚では、「デート」と「おつきあい」と「結婚」には大きな差を感じるが、入試で出題される古文の世界には現代のような戸籍がなかったので、婚姻届を提出する手続きがなかった。
⇒だから、おつきあいをする時点で、普通は結婚を意味することになる。
〇また、当時の女の子は非常にガードがかたく、迷ったり悩んだりさんざんした上で、決意してデートをした。
⇒だから、基本的に、デート=おつきあい=結婚、となる。
(山村由美子『図解古文読解 講義の実況中継』語学春秋社、2013年[2019年版]、138頁
~139頁)

【練習問題】
〇次の文を読んで、後の問いに答えなさい。

 さて、この男、「女、こと人にもの言ふ」と聞きて、「その人と我と、いづれをか思ふ」と問ひければ、女、
  花すすき君が方にぞなびくめる思はぬ山の風は吹けども
となむ言ひける。
 よばふ男もありけり。「世の中心憂し。なほ男せじ」など言ひけるものなむ、この男をやうやう思ひやつきけむ、この男の返り事などしてやりて……

(注)
ものなむ――ここは「けれども」の意。

問一 傍線部「もの言ふ」、「よばふ」の意味として最も適切なものを、次の選択肢の中から、それぞれ一つずつ選びなさい。
 ア言いつける イ仲良く言葉を交わす ウ噂になる エ言い寄る
問二 傍線部「世の中」の意味として最も適当なものを、次の選択肢の中から一つ選びなさい。
 ア世間 イ俗世 ウ男女の仲 エ現世

<解法>
☆問の言葉はすべて恋愛ワード。ずいぶんモテモテの女の子の話。
〇「女」と「こと人」(他の人、別の人)がデートしている・愛の言葉を交わしているの意味だと理解しよう。
〇「よばふ男」の「よばふ」は、「つきあおうよ!と言い寄る」意味。
〇「世の中心憂し。なほ男せじ」
 この「世の中」は男女の恋のお話なので、恋愛ワードとして処理。「男女の仲」
 「心憂し」は「つらい」という意味の形容詞。
 「男す」は、「男性とつきあう、男性と結婚する」意味のサ変動詞。
 「じ」は打消意志の助動詞。
⇒「『世の中』(男女の仲)がつらいから、もうつきあいたくない」と

【答】
問一 (1)イ (2)エ
問二 ウ

【現代語訳】
さて、この男は、「女が、別の男と仲良く言葉を交わしている」と聞いて、「その人とボクと、どちらを愛しく思うのか」と(女に)尋ねたところ、女は、
  花すすき(=私)はあなたの方になびいているようです。思いもよらない山風(=別の男からのアプローチ)が(私の方に)吹いているけれども。
と言った。
 (さらに他に、この女に)言い寄る男もいた。(女は)「男女の仲というものはつらいものです。やはり男の人とはおつきあいしないでおきましょう」などと言っていたけれども、この(言い寄る)男のことをだんだん心ひかれていったのだろうか、この(言い寄る)男からの手紙に返事などを書いて送って……

(山村由美子『図解古文読解 講義の実況中継』語学春秋社、2013年[2019年版]、138頁
~139頁)

≪【参考書の紹介】『古文単語315』桐原書店≫

2022-04-13 17:30:05 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪【参考書の紹介】『古文単語315』桐原書店≫
(2022年4月13日投稿)

【はじめに】


 古文の勉強はどのようにしたらいいのか?
 よく言われるのは、単語、文法、読解を勉強したらよいとされる。
 だが、どのような参考書があるのか、戸惑う生徒も多い。
 今回のブログでは、次の古文単語帳を紹介してみたい。
〇河合塾講師 武田博幸/鞆森祥悟
『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』桐原書店、2014年[2004年初版]

また、次回においては、次の古文単語帳を紹介する。
〇山村由美子『GROUP30で覚える古文単語600』語学春秋社、2020年[2017年初版]

さらには、古文の和歌で、桜をテーマとしたものについて、次の本を参照にしながら考えてみたい。
〇田中秀明『桜信仰と日本人 愛でる心をたどる名所・名木紀行』青春出版社、2003年
(いわば、日本史における桜に関する和歌について考えてみることにする。)


【『古文単語315』桐原書店はこちらから】
『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』桐原書店
読んで見て覚える 重要古文単語315







『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』桐原書店
【目次】
本書の使い方
出典略称一覧
索引
見出し語索引
常識語索引(297語)


第一章 最重要語(見出し語163語・関連語124語)
001~038 動詞(38語)
言い換えコーナー(「出家する」14語・「死ぬ」14語)
039~082 形容詞(44語)
083~096 形容動詞(14語)
097~127 名詞(31語)
128~163 副詞(36語)
長文問題『更級日記』

第二章 重要語(見出し語126語・関連語74語)
164~192 動詞(29語)
193~228 形容詞(36語)
229~241 形容動詞(13語)
242~278 名詞(37語)
279~289 副詞(11語)
長文問題『枕草子』

敬語の章 (見出し語26語・関連語5語)
290~315 敬語動詞(26語)
重要敬語動詞と主な意味・用法
長文問題『大鏡』

付録の章 (慣用句90語・常識語297語)
慣用句
和歌
①和歌入門 ②区切れ ③和歌特有の表現 ④掛詞 ⑤縁語 ⑥枕詞 ⑦序詞 ⑧本歌取り
⑨体言止め ⑩倒置法 ⑪物名(隠し題) ⑫折り句 ⑬和歌にかかわる語句
古典常識
<風流と教養>
①四季の風物 ②月の異名 ③十二支と時刻・方位 ④楽器 ⑤その他風流・教養関係
<恋愛と結婚>
①男女の会話 ②後宮
<信仰と習俗>
<宮中と貴族>
①行事・儀式 ②官位・官職 ③乗り物 ④衣服 ⑤住まい
<その他>
文学史
①上代・中古・中世①<詩歌集・評論>
②上代・中古・中世②<物語・日記・随筆・説話>
③近世
④文学史関係(読みに注意すべきもの)
識別
①「ぬ」の識別 ②「ね」の識別 ③「る・れ」の識別 ④「なり」の識別 
⑤「なむ」の識別 ⑥「に」の識別 ⑦「し」の識別 ⑧「らむ」の識別
コラム

(武田博幸/鞆森祥悟『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』桐原書店、2014年[2004年初版]、4頁~5頁)




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・「いみじ」という古文単語
・「いみじ」の練習問題
・『古文単語315』(桐原書店)に載せられた長文問題の古典
 第一章 最重要語 長文問題『更級日記』
 第二章 重要語 長文問題『枕草子』<鳥は>
 敬語の章 長文問題『大鏡』<時平>






「いみじ」という古文単語


「いみじ」という古文単語について考えてみたい。
まず、武田博幸/鞆森祥悟『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』桐原書店、2014年[2004年初版]にみえる「いみじ」の意味はどうなっているのか?

No.75 いみじ シク活用
①とてもよい・すばらしい
②とても悪い・ひどい
③<「いみじく(う)」の形で副詞的に用いて>とても・はなはだしく

四段動詞「忌(い)む」が形容詞化した語。
対象が神聖、または穢(けが)れであり、決して触れてはならないと感じられる意から転じて、善し悪しを問わず程度がはなはだしい様子を表すようになりました。
入試では善し悪しを具体化したものを選ぶ場合がよくあります。
 いみじ➡とても+か-
(武田博幸/鞆森祥悟『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』桐原書店、2014年[2004年初版]、82頁~83頁)

それでは、山村由美子『GROUP30で覚える古文単語600』語学春秋社、2020年[2017年初版]ではどのように記載されているのか?

No.521 いみじ
①とても~だ。
ただ、このように記す。
とてもイメージ(「いみじ」)が大事だ(「とても」と「だ」が赤字)

「とてもすばらしい」意味でも「とてもひどい」意味でも使う。良い意味か悪い意味かは、文脈から判断。
そのポイントは、次の2点。
(1)何が「いみじ」なのか。
(2)それは、その文章ではプラスに捉えられているものなのか、マイナスに捉えられているものなのか。
※特に「いみじ」の直前直後に注目すること。
 プラス/マイナスをつかんだら、「とても良い」「とてもすばらしい」など、つかんだ方向性にあう表現を訳に補って、完成。
(山村由美子『GROUP30で覚える古文単語600』語学春秋社、2020年[2017年初版]、252頁)

「いみじ」の練習問題


「いみじ」という古文単語について、山村由美子『図解古文読解 講義の実況中継』語学春秋社、2013年[2019年版](136頁~137頁)には次のような練習問題がのっている。

【練習問題】
〇次の文中にある傍線部を現代語訳しなさい。

 御室(おむろ)に、いみじき児(ちご)のありけるを、「いかで誘ひ出だして遊ばん」と企(たく)む法師どもありて…… (徒然草)

傍線部は「いみじき児」の部分である。

(注)
御室――京都市右京区にある仁和寺(にんなじ)のこと。
<解法>
・「いみじ」は、「すばらしい」意味でも、「ひどい」意味でも使える。
 「忌まわしい過去」「忌み嫌う」などと使う現代語の「忌まわしい」「忌む」と、語源的には同じで、本来「不吉だ・縁起が悪い」といった意味の語である。
 しかし、古文ではもっと幅広く、悪い意味だけでなく、「とてもいい」の意味でも用いられる。
・頭の中の整理法としては、
①不吉だ・縁起が悪い(マイナス)
②とても~だ(プラス/マイナス)➡「よい」のか「悪い」のかは文脈判断!
こうしておくと、多少覚える分量が少なるし、実用的。

☆『徒然草』の傍線部は、直後に注目。
「いかで誘ひ出だして遊ばん(=何とかして誘い出して遊ぼう)」とする法師たちが登場する。
「一緒に遊びたい」と思うから、「いみじ」をプラスの意味で取り、「とてもすばらしい・かわいらしい・かわいい」と訳すこと。

<プラスアルファ>
・一言で「古文」といっても、実は千年分ほどの言葉を一手に扱うわけである。
たとえば、現代語で「ヤバイ」という言葉は、もともとはよくない意味でしか使わなかったが、いつの頃からか、「ヤバイ(ぐらいにおいしい)」などと、良い意味でも使うようになった。
・言葉は、私たちが生きている短い間にも、これほどの変化をするわけであるから、千年のうちに意味に幅が出てくるのは、むしろ当たり前である。
※中心的な意味を暗記した上で、そこではどういう意味なのかを見抜く力を養うことが大切であると、山村由美子先生は強調している。

【答】とてもかわいらしい子

【現代語訳】
仁和寺に、とてもかわいらしい子がいたが、「何とかして(その子を)誘い出して遊ぼう」と考えをめぐらす法師たちがいて……
(山村由美子『図解古文読解 講義の実況中継』語学春秋社、2013年[2019年版]、136頁
~137頁)




『古文単語315』(桐原書店)に載せられた長文問題の古典


今回、「いみじ」という古文単語について考えてきた。
こうした古文単語は、実際の古典文のどういう文脈で使われているのかを知っておくことが大切である。
武田博幸/鞆森祥悟『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』(桐原書店、2014年[2004年初版])には、次のような長文問題が載せてある。

第一章 最重要語 長文問題『更級日記』
第二章 重要語 長文問題『枕草子』<鳥は>
敬語の章 長文問題『大鏡』<時平>

上記の中でも、『更級日記』には、「いみじ」という古文単語が頻出である。
もう一度、現代語訳を参考にしながら、意味を確認しておいてほしい。
また、敬語は古典文法で入試によく出されるので、「敬語の章 長文問題『大鏡』<時平>
」は注意して勉強してほしい。

第一章 最重要語 長文問題『更級日記』


 花の咲き散る折ごとに、「乳母なくなりし折ぞ
かし」とのみあはれなるに、同じ折なくなり給ひし
侍従の大納言の御娘の手を見つつ、すずろにあは
れなるに、五月ばかり、夜更くるまで物語を読みて
起きゐたれば、来つらむ方も見えぬに、猫のいとな
ごうないたるを、おどろきて見れば、いみじうをか
しげなる猫あり。「いづくより来つる猫ぞ」と見
るに、姉なる人、「あなかま、人に聞かすな。いと
をかしげなる猫なり。飼はむ」とあるに、いみじう
人なれつつ、傍らにうちふしたり。「尋ぬる人や
ある」と、これを隠して飼ふに、すべて下衆のあた
りにもよらず、つと前にのみありて、物もきたなげ
なるは、ほかざまに顔をむけて食はず。姉おとと
の中につとまとはれて、をかしがりらうたがるほど
に、姉のなやむことあるに、ものさわがしくて、こ
の猫を北面にのみあらせて呼ばねば、かしがまし
くなきののしれども、「なほさるにてこそは」と思
ひてあるに、煩ふ姉おどろきて、「いづら猫は。こ
ちゐて来」とあるを、「など」と問へば、「夢にこの
猫の傍らに来て、『おのれは侍従の大納言殿の御娘
のかくなりたるなり。さるべき縁のいささかあり
て、この中の君のすずろにあはれと思ひ出でたま
へば、ただしばしここにあるを、このごろ下衆の中
にありていみじうわびしきこと』と言ひて、いみじ
うなく様は、あてにをかしげなる人と見えて、うち
おどろきたれば、この猫の声にてありつるが、いみ
じくあはれなるなり」と語り給ふを聞くに、いみ
じくあはれなり。

【現代語訳】
桜の花が咲いては散る(ころになる)たびに、
「乳母が亡くなった季節だわ」とただ悲しくな
る[つらくなる・心が痛む]うえに、同じころにお亡くな
りになった侍従の大納言の姫君の筆跡を見ては
むやみに悲しくなる[つらくなる・心が痛む]が、五
月ごろに、夜が更けるまで物語を読んで起きていたと
ころ、来たような方向も(=どこから来たのかも)分か
らないが、猫がとてものんびりと鳴いているので、
はっと気づいて見ると、とてもかわいらしい猫
がいる。「どこからやって来た猫かしら」と見てい
ると、姉である人(=姉)が、「静かに、人に聞かせるな。
とてもかわいらしい猫だわ。飼いましょう」と言うが、
(その猫は)とても人になれていて、(わたしたちの)
そばに横になった。「探している人がいるのではない
か」と(思いながらも)、この猫を隠して飼っていたが、
(猫は)まったく卑しい者(=使用人)のそばには近寄ら
ず、ずっと(わたしたちの)前ばかりにいて、食べ物もき
たならしいものは、ほかの方に顔を向けて(=顔をそむけ
て)食べない。姉妹の間に(=わたしたちのそばに)
ずっとまとわりついていて、(わたしたちも)おもしろが
りかわいがっていたときに、姉が病気になることが
あったので、(家の中が)なにかと騒がしくて(=取り込
んでいて)、この猫を北側の部屋(=北に面した使用人が
いる部屋)にばかりいさせて(こちらに)呼ばないでいる
と、やかましく鳴き大声で騒ぐけれども、「やはり
(猫というものは)そのようなものであるのだろう」と
思っていたところ、病気の姉が目を覚まして、「どこ、
猫は。こっちへ連れて来て」と言うので、(わた
しが)「どうして」と聞くと、「夢にこの猫がそばに来
て、『わたしは侍従の大納言殿の姫君がこのように
なっているのである(=侍従の大納言殿の姫君の生まれ変
わりである)。そうなるはずの前世からの因縁(=
宿縁)が少々あって、ことらの中の君がしきりに(わ
たしのことを)懐かしいと思い出してくださるので、
ほんの少しの間ここにいるのだが、このごろは卑しい者の
そばにいて、とてもつらいこと』と言って、ひど
く泣く様子は、高貴で美しい様子の人(である)と
思われて、目を覚ましたところ、この猫の声であっ
たのが、とても心にしみた[感慨深かった]のです」
と語りなさるのを聞くと、ほんとうに悲しくなる[つ
らくなる・胸をしめつけられる]。

(武田博幸/鞆森祥悟『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』桐原書店、2014年[2004年初版]、140頁~141頁)

第二章 重要語 長文問題『枕草子』<鳥は>


 鶯は、文などにもめでたきものに作り、声よ
りはじめて、さまかたちも、さばかりあてにうつ
くしきほどよりは、九重の内に鳴かぬぞいとわろ
き。人の、「さなむある」と言ひしを、「さしもあら
じ」と思ひしに、十年ばかり候ひて聞きしに、まこ
とにさらに音せざりき。さるは、竹近き紅梅も、い
とよく通ひぬべきたよりなりかし。まかでて聞け
ば、あやしき家の見どころもなき梅の木などには、
かしがましきまでぞ鳴く。夜鳴かぬもいぎたなき
心地すれども、今はいかがせむ。夏秋の末まで老い
声に鳴きて、虫食ひなど、ようもあらぬ者は名をつ
けかへて言ふぞ、くちをしくすごき心地する。
それもただ雀などのやうに、常にある鳥ならばさも
おぼゆまじ。春鳴くゆゑこそはあらめ。「年たち返
る」など、をかしきことに歌にも作るなる
は。なほ春のうちならましかば、いかにをかしか
らまし。人をも、人げなう、世のおぼえあなづら
はしうなりそめにたるをば、そしりやはする。鳶、
烏などの上は、見入れ聞き入れなどする人、世に
なしかし。されば、いみじかるべきものとなりた
れば」と思ふも、心ゆかぬ心地するなり。祭のか
へさ見るとて、雲林院、知足院などの前に車を立て
たれば、時鳥も忍ばぬにやあらむ、鳴くに、いと
ようまねび似せて、木高き木どもの中にもろ声に鳴
きたるこそ、さすがにをかしけれ。

[注]
竹近き紅梅――宮中には清涼殿の庭に竹も梅も植えられていた。
年たち返る――「あらたまの年たち返る朝(あした)より待たるるものは鶯の声」(拾遺集・春)
祭のかへさ――賀茂(かも)祭(葵祭)の斎王(さいおう)が翌日紫野(むらさきの)へ帰る行列。

【現代語訳】
鶯は、漢詩などでもすばらしいものと詠
み、声をはじめとして、姿も顔立ちも、あれほ
ど上品でかわいらしい割には、内裏の中で鳴かな
いのは、とてもよくないことだ。誰かが「そうなん
ですよ(=内裏では鳴かないんですよ)」と言ったが、
「そうではあるまい」と(私は)思っていたが、十年ほ
ど(内裏に)お仕えして聞いていたが、本当にまった
く声がしなかった。そのくせ実は、(内裏の清涼殿の庭
の)竹の近くの紅梅は、(鶯が)よく通って来(て鳴き)
そうな都合のいい場所であるよ。(内裏から)退出し
て聞くと、身分が低い(人の)家の、見所もない梅の木
などには、やかましいまで(鶯が)鳴いている。夜鳴か
ないのも、寝坊な感じがするが、今さらどうしようも
ない。夏・秋の末までしゃがれ声で鳴いて、虫食いなど
と、下々の者は名前を付け替えて言うのが、残念で
ぞっとするような感じがする。それも、ただ雀など
のように、いつ(どこにで)もいる鳥であるならば、それ
ほどにも思われはしないだろう。春に鳴くものだから
こそであろう。「年たち返る」など、趣のある言葉で和
歌にも漢詩にも詠んだりするというのは。やはり
(鶯が鳴くのが)春の間だけだったならば、どんなにか
すばらしかったことだろう。人についても、一人前
でなく、世間の評判も悪くなりはじめた人を、(うる
さく)批判したりするだろうか。鳶や烏など(平凡な鳥)
のことは、目をつけたり聞き耳を立てたりなどする人は、
まったくいないものだよ。だから、「(鶯は)すばらし
いはずのものとなっているから(なのだ)」と思うが、
(鶯が夏・秋まで鳴き続けるのはやはり)納得のゆかない
気がするのである。(初夏の)賀茂祭の帰り(の行列)
を見ようと思って、雲林院、知足院などの前に牛車を止め
ていると、ほととぎすは(季節柄、鳴くのを)こらえ
きれないのだろうか、鳴くのだが、(その声を鶯が)とて
もよくまねて似せて、木高い木などの中で、声を合わ
せて鳴いているのは、なんといってもやはりすばらしい。
(武田博幸/鞆森祥悟『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』桐原書店、2014年[2004年初版]、222頁~223頁)

敬語の章 長文問題『大鏡』<時平>


(この左大臣は)物のをかしさをぞ、え念ぜさ
せ給はざりける。笑ひたたせ給ひぬれば、すこぶ
る事も乱れけるとか。北野と世をまつりごたせ給
ふ間、非道なることを仰せられければ、さすがにや
むごとなくて、せちにし給ふことを、いかがはと思
して、「この大臣のし給ふことなれば、不便なりと
見れど、いかがすべからむ」と嘆き給ひけるを、な
にがしの史が、「ことにも侍らず。おのれかまへて
かの御事をとどめ侍らむ」と申しければ、「いとあ
るまじきこと。いかにして」などのたまはせける
を、「ただ御覧ぜよ」とて、座につきて、事きびし
く定めののしり給ふに、この史、文刺に文はさみ
て、いらなくふるまひて、この大臣に奉るとて、
いと高やかにならして侍りけるに、大臣文もえ取ら
ず、手わななきて、やがて笑ひて、「今日は術なし。
右の大臣に任せ申す」とだにいひやり給はざりけれ
ば、それにこそ、菅原の大臣、御心のままにまつ
りごち給ひけれ。
 また、北野の神にならせ給ひて、いと恐ろしく
神なりひらめき、清涼殿に落ちかかりぬと見えけ
るが、本院の大臣、太刀を抜きさけて、「生きても
我がつぎにこそものし給ひしか。今日神となり給へ
りとも、この世にはわれに所おき給ふべし。いかで
かさらではあるべきぞ」と、にらみやりて、のたま
ひける。一度はしづまらせ給へりけりとぞ、世の
人申し侍りし。されどそれは、かの大臣のいみ
じうおはするにはあらず、王威の限りなくおはしま
すによりて、理非をしめさせ給へるなり。

[注]
北野――右大臣菅原道真(すがわらのみちざね)。
史――太政官の主典(さかん)で、文書を扱う役人。
座――宮中の公事(くじ)のとき、公卿(くぎょう)が列座する座席。
文刺――文書をはさんで貴人に差し出すための杖。
ならして――「ならす」は放屁すること。

【現代語訳】
(この左大臣は)ものごとの滑稽さを、我慢する
ことがおできにならなかった。(いった
ん)笑い出しなさってしまうと、ずいぶんとものごと
が乱れたとか(いうことです)。北野(=右大臣菅原道
真)と(一緒に)世を治めなさっていたときに、(左
大臣が)理にかなわないことをおっしゃったので、な
んといってもやはり(左大臣は)重々しく、(その人が)
無理やりになさることを、(北野は)どうして(止め
られようか)とお思いになって、「この左大臣がな
さることであるので、不都合だと思うけれども、どうす
ることができようか(いや、できはしない)」と嘆きな
さっていたところ、なんとかという主典が、「(たいし
た)ことでもありません(=簡単なことです)。わた
しが必ずあの(左大臣のなさる)ことを止めましょう」
と申し上げたので、(北野は)「とてもできるはずもな
いことだ。どうして(そんなことができようか)」などと
おっしゃったが、(主典は)「まあとにかく(黙って)
御覧になっていてください」と言って、(左大臣が)座
について、議案を厳しく裁定して大声を上げなさって
いると、この主典が、文ばさみに書類をはさんで、(わざ
と)大げさに振る舞って、この左大臣に(書類を)差し
上げるという(まさにその)ときに、たいそう音高く放
屁しましたので、左大臣は書類を(手に)取ることも
できず、手が震えて、そのまま笑って、「今日はどうしよ
うもない。右大臣に(政務は)任せ申し上げる」とさ
え言い終えなさらなかったので、そのことによって、
菅原の大臣が、お思いどおりに政務を執り行いなさった。
 また、北野が雷神におなりになって、とても
恐ろしく雷が鳴り(稲妻が)光って、(宮中の)清涼殿に
落ちかかったと見えたが、本院の大臣(=左大臣時平)
が、太刀を抜き放って、「(あなたは)生前もわたしの次
(の位)でありなさった。(たとえ)今雷神になりな
さっているとしても、この現世ではわたしに対して遠慮
なさるべきである。どうしてそうでなくてあってよい
だろうか(いや、よいはずがない)」と、(雷の方を)にら
みやって、おっしゃった。(すると、その時)一度
だけは(雷神も)鎮まりなさったと、世間の人が申
し上げました。しかしそれは、あの(本院の)大
臣が立派でいらっしゃる(からな)のではなく、帝の
ご威光がこの上なくていらっしゃるために、(道真公
の霊が、朝廷で定めなさった官位の順序を乱してはならな
いという)分別を示しなさったのである。

(武田博幸/鞆森祥悟『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』桐原書店、2014年[2004年初版]、246頁~247頁)


≪【参考書の紹介】『現代文 キーワード読解』Z会出版≫

2022-04-03 18:09:20 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪【参考書の紹介】『現代文 キーワード読解』Z会出版≫
(2022年4月3日投稿)

【はじめに】


今回のブログでは、次の参考書を紹介してみよう。
〇Z会出版編集部編『現代文 キーワード読解[改訂版]』Z会出版、2005年[2015年版]

「はしがき」にも述べてあるように、現代文を正確に読解するためには、文章の論理展開を把握する力の他に、「語彙力」と「テーマ知識」が欠かせない。
(「テーマ知識」とは、評論文で扱われる特定のテーマについての知識のことである)
本書では、「語彙力」と「テーマ知識」の両方を身につけることができるように工夫されている。
評論文における頻出キーワード(第1部)、入試頻出の評論テーマ(第2部)、さらに小説分野の重要語(第3部)と分けて、収録している。
 私の関心に沿って、キーワードをピックアップして、紹介してみる。




【Z会出版編集部編『現代文 キーワード読解[改訂版]』はこちらから】

現代文キーワード読解[改訂版]






Z会出版編集部編『現代文 キーワード読解』
【目次】
はしがき
本書の構成と利用法
第1部 キーワード編
第1章 基本
第2章 科学
第3章 言語
第4章 文化・宗教
第5章 哲学・心理
第6章 近代
第7章 現代社会

第2部 頻出テーマ編
テーマ1 自己/他者
テーマ2 身体論
テーマ3 メディア・芸術論
テーマ4 政治論
テーマ5 経済論
テーマ6 歴史論

第3部 小説重要語編
補講 読解ツール
1 同内容表現
2 対比表現
3 否定→肯定
4 譲歩表現
5 逆接表現+筆者の主張
6 具体例の読み解き方
7 因果関係
8 時間・時代の変化
9 空間の比較
10 常識批判
11 疑問→解答+根拠はワンセット
12 呼応表現
付録 反意語・カタカナ語
索引




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・【はじめに】
・No.73文化とNo.74文明~「第1部キーワード編」より
・No. 89主観とNo. 90 客観~「第1部キーワード編」より
・No.141大衆社会~「第1部キーワード編」より
・No.148グローバル化(グローバリゼーション)~「第1部キーワード編」より
・第2部頻出テーマ編 テーマ6歴史論~カー著『歴史とは何か』より
・夏目漱石と森鷗外の作品にみえるキーワード~「第3部小説重要語編」より
・コラムで紹介された夏目漱石と森鷗外
・岡本かの子という作家と小説『家霊』
・小説重要語の確認テスト






No.73文化とNo.74文明~「第1部キーワード編」より


「第1部キーワード編」の「第4章 文化・宗教」には、「No.73文化」と「No.74文明」には次のように記してある。

No.73 文化
人間の精神活動によって生み出されたもの。普遍的な文明に対して、「時代や地域に固有」というニュアンスで用いられる。
No.74 文明
技術や物質面で普遍的な影響力をもつ文化のこと。

「入試でキーワードをチェック!」では、文章が入試問題から取り上げられている。実際の入試問題を読みながら、文脈の中でキーワードを学習できるという利点がある。

文化と文明について、村上陽一郎『文明のなかの科学』から、次のような評論が引用されている。(出題:立教大学・経済学部)

 ある一つの「文化」は「普遍化への意志」を持って、他の諸文化への
攻撃的な姿勢を示したときに「文明」となり得るのではないか。そして、
そのことは、ヨーロッパの十八世紀に「文明」という概念が造られたときに、
暗々裏にその概念のなかに込められた潜在的な前提ではなかったか。
 もちろん、実は「普遍化」への意志だけがあっても「文化」は「文明」には
なれない。その意志を実行に移すだけの、社会的な制度や機構(そのなかに
は軍隊や警察のような、権力の施行を円滑にするための統治制度も、あるい
は自らの文化的価値を布教し教化するための教育制度も、重要な一つの要素と
して含まれる)を備えていることが必要である。言い換えれば、「文明」とは、
一つの「文化」が、そうした普遍化への意志を持ち、その意志を実行に移すだ
けの装置を備え、そして事実、多くの異なった文化を、自分の文化的な価値
のなかで統一する形で支配し統治したときに、その状態に対して付される術語
ではないか。

「読解のポイント」では、文章を読解する際に要点となる箇所を示している。文章の論理がどのように展開されているかを確認するのに役立つ。

たとえば、上記の評論については、次のようにまとめている。
読解のポイント
ある一つの「文化」
⇓普遍化への意志+社会的な制度や機構
「文明」

「要約」では、文章の内容を短くまとめている。ここを読むと、文章の内容がつかみやすくなる。自分でも要約を練習してみるとよい。

要約
文明とは、ある一つの文化が普遍化しようとして、そのための社会的な制度や機構を備え、多くの異なった文化を自分の文化的な価値のなかで統一した状態のことである。

(Z会出版編集部編『現代文 キーワード読解[改訂版]』Z会出版、2005年[2015年版]、8頁、112頁~113頁)



No. 89主観とNo. 90 客観~「第1部キーワード編」より


「第1部キーワード編」の「第5章 哲学・心理」の「No. 89主観」と「No. 90客観」には次のようにある。

No.89主観
対象を認識する自分の意識。または、自分だけの感覚や考え。
No.90客観
①自分の意識と関わりなく存在する対象。
②誰にとっても同じであること。

「入試でキーワードをチェック!」には、主観と客観について、山下勲『世界と人間』から、次のような評論が引用されている。(出題:センター本試験(国語Ⅰ・Ⅱ))
 
 私(主観)が物(客観)を見るというのは、結果として現れてきた
現象である。私という意識は意識されるもの(客観)なしにはありえず、客
観も意識するものなしにはない。そこで、人間がものごとを知るという主観と
客観の関係の基礎には両者が一体となった状態があり、その原初の世界が分化
することによって知るという意識の現象があると見なされなければならない。
この意識の根源にある世界は直観の世界であり、古来、主客合一、物我一如と
いわれてきた。我々が我を忘れてものごとに熱中している時や、美しい風景に
うっとり見入っている時のことを考えれば理解しやすい。しかしこの例に限ら
ず、どのような場合にもそのような一体化した状態が意識の根源に存在してい
る。それが分化した時、人間の意識の世界が現れてくる。それは意識するもの
とされるもの、知るものと知られるものの世界である。これは、主客対立とか
主客分裂とかいわれるが、私と私でないものの区別が明瞭となる世界である。

読解のポイント
意識の根源にある原初の世界
 =直観の世界
 =主客合一・物我一如
 主客対立・主客分裂
主観(意識するもの)
 ⇕
客観(意識されるもの)

要約
主観と客観という意識の世界の根源には、主客合一、物我一如という原初の世界があり、それが分化した時、人間の意識の世界が現れてくる。

(Z会出版編集部編『現代文 キーワード読解[改訂版]』Z会出版、2005年[2015年版]、140頁~141頁)



No.141大衆社会~「第1部キーワード編」より


「第1部キーワード編」の「第6章 近代」の「No.141大衆社会」には次のようにある。

No.141大衆社会
大多数の人々の集団が、大きな力をもつ社会。
※大衆社会という語は、入試現代文で使われる場合には、ほとんどよい意味では使われない。

「入試でキーワードをチェック!」には、大衆社会について、中西新太郎「文化的支配に抵抗する」から、次のような評論が引用されている(出題:センター本試験(国語Ⅰ・Ⅱ))。

 政治権力との対抗関係がないという意味ではないが、マス・メディアは、
全体として、現代社会の権力と権威的秩序の一端をになう位置へと変化し
てきた。マス・メディアがつくりだす文化も、したがって大衆文化の多くも、
文化という次元のうえで、弱者の抵抗表現を核にした下位文化とはとてもいえ
ない権威的な存在へと変貌している。大衆文化のつくり手のもつ意識がこの秩
序どおりでないとしても、大量生産のかたちを介するかぎり、大衆文化は大
衆社会に固有の権威的構造・秩序のなかに組みこまれざるをえない。フォー
マルな、権威のある文化に押さえつけられた大衆文化がある、という図式は崩
れ、たとえばクラシック音楽とポピュラー音楽との落差にかんして私たちがま
だなんとなく感じている、「高級―低級」という文化秩序も実際には(文化
生産とその消費のありようとしては)逆転しつつある。

中西新太郎「文化的支配に抵抗する」 センター本試験(国語Ⅰ・Ⅱ)

読解のポイント
≪マス・メディアがつくりだす大衆文化≫
<従来>=弱者の抵抗表現を核とした下位文化
 ⇕
<現在>=権威的な存在へと変貌
➡権威ある文化に押さえつけられた大衆文化があるという図式は崩れ、文化秩序は逆転しつつある

要約
マス・メディアは、全体として権威的な存在へと変化しており、権威ある文化に押さえつけられた大衆文化という図式は崩れつつある。

(Z会出版編集部編『現代文 キーワード読解[改訂版]』Z会出版、2005年[2015年版]、222頁~223頁)



No.148グローバル化(グローバリゼーション)~「第1部キーワード編」より


「第1部キーワード編」の「第6章 近代」の「No.148グローバル化(グローバリゼーション)」には次のようにある。

No.148 グローバル化(グローバリゼーション)
物事が世界的・地球的になっていく動き。
国際化という傾向はあくまで「国家」を中心としているが、グローバル化は国家や国境に関係なく、物事が地球的規模で展開することを言う。

「入試でキーワードをチェック!」には、
間宮陽介「グローバリゼーションと公共空間の創設」から、次のような評論が引用されている。
(出題:新潟大学・人文学部)

「国際化」を英語でいえば、internationalizationということになろう。
internationalとはnationとnationをつなぐ(inter)という意味である。
がんらい異質なあるものとあるものを「つなぐ」というのがinterという接
頭辞である。日本、アメリカ、韓国、中国、これらの国々には似た面もあれば
異なる面もある。すべての面で同じであれば国と国をつなぐ必要は生じない、
違った面があるから国と国をつなぐ、すなわち国際化する必要が生じるわけで
ある。
 「国際化」に対して、「グローバル化」にはもともと違っているものを同
質化するという含みがある。ボーダレス化する、国境をなくすとは、国と国を
分け隔てる障害を取り除き人や物の往き来を自由にするということを通り越し
て、当の異質性を消去する、そうしたニュアンスがグローバル化という言葉に
は含まれているのである。
(間宮陽介「グローバリゼーションと公共空間の創設」)

読解のポイント
国際化=異質な面があるからつなぐ
 ⇕
グローバル化=もともと違っているものを同質化する

要約
国際化は、がんらい異質な国同士をつなぐという意味をもつのに対して、グローバル化には、境界をなくして異質性を消去するというニュアンスがある。

(Z会出版編集部編『現代文 キーワード読解[改訂版]』Z会出版、2005年[2015年版]、236頁~237頁)



第2部頻出テーマ編 テーマ6 歴史論~カー著『歴史とは何か』より


「第2部頻出テーマ編 テーマ6歴史論」においては、カー著『歴史とは何か』が「入試にチャレンジ!」において取り上げられている。

 歴史家と歴史上の事実の関係を吟味して参りますと、私たちは二つの難所の
間を危うく航行するという全く不安定な状態にあることが判ります。すなわち、
歴史を事実の客観的編纂と考え、解釈に対する事実の無条件的優越性を説く支持
し難い理論の難所と、歴史とは、歴史上の事実を明らかにし、これを解釈の過程
を通して征服する歴史家の心の主観的産物であると考える、これまた支持し難い
理論の難所との間、つまり、歴史の重心は過去にあるという見方と、歴史の重心
は現在にあるという見方との間であります。
 考えてみれば、歴史家の陥っている窮境は、人間の本性の一つの反映なのであ
ります。人間というものは、決して残りなく環境に巻き込まれているものでもな
く、無条件で環境に従っているものでもありません。その半面、人間は環境から
完全に独立したものではなく、その絶対の主人でもありません。人間と環境との
関係は、歴史家とそのテーマとの関係でもあります。歴史家は事実の慎ましい奴
隷でもなく、その暴虐な主人でもないのです。歴史家と事実との関係は平等な関
係、ギヴ・アンド・テークの関係であります。
 歴史家は事実の仮りの選択と仮りの解釈で出発するものであります。仕事が進
むにしたがって、解釈の方も、事実の選択や整理の方も、両者の相互作用を通じ
て微妙な半ば無意識的な変化を蒙るようになります。そして、歴史家は現在の一
部であり、事実は過去に属しているのですから、この相互作用はまた現在と過去
との相互関係を含んでおります。歴史家と歴史上の事実とはお互いに必要なもの
であります。事実を持たぬ歴史家は根もありませんし、実も結びません。歴史家
のいない事実は、生命もなく、意味もありません。そこで、「歴史とは何か」に
対する私の最初のお答えを申し上げることにいたしましょう。( X )

出典 E・H・カー著/清水幾太郎『歴史とは何か』 出題 中央大学・経済学部

【問】( X )に入れるのに最も適当なものを一つ選べ。
A 歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去
との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。
B 歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去
との間の限られた会話なのであります。
C 歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不変の前提であり、現在と過去
との間の尽きることを知らぬ独白なのであります。
D 歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不毛の過程であり、現在と過去
との間の無限の対話なのであります。
E 歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不変の過程であり、現在と過去
との間の限られた独白なのであります。

【解法】
ヒント
・事実または解釈のどちらか一方だけでは、歴史はとらえられないということ。
・現在に属す歴史家と過去に属す事実との相互作用によって生きた歴史はつくられていくということ。

☆筆者は、歴史家と事実との相互作用は「現在と過去との相互関係を含んでおります」と言っている。
だから、それを「独白」ととらえているC・Eは×。
☆「歴史家と歴史上の事実とはお互いに必要なもの」なのだから、それを「不毛の過程」と否定的にとらえているDも×。
☆「現在」は刻々と変化するものであることを考えれば、Bのように現在と過去との関係を「限られた会話」とするのはおかしい。

【解答】 A
(Z会出版編集部編『現代文 キーワード読解[改訂版]』Z会出版、2005年[2015年版]、288頁~289頁)



夏目漱石と森鷗外の作品にみえるキーワード~「第3部小説重要語編」より


「第3部 小説重要語編」について紹介しておこう。
例えば、No.163には次のようにある。

No.163 懐かしい
①心引かれ、愛着を抱く。
②過去のことに心引かれる。

「文章でキーワードをチェック」において、「懐かしい」というキーワードを、森鷗外『雁』という作品から引用している。

場面
高利貸しの愛人であるお玉は、日中、よく窓の外を眺めて暮らしていた。ある時、通りかかった医学部生の岡田に恋心を抱く。

お玉のためには岡田も只窓の外を通る学生の一人に過ぎない。しかし際立って立派な紅顔の美少年でありながら、己惚(うぬぼれ)らしい、気障(きざ)な態度がないのにお玉は気が附いて、何とはなしに懐かしい人柄だと思い初めた。

出典森鷗外『雁』
(Z会出版編集部編『現代文 キーワード読解[改訂版]』Z会出版、2005年[2015年版]、293頁)

また、No.178には次のようにある。
No.178気が(気の)置けない
遠慮する必要がなく、心から打ち解けることができる。
<気が許せない・油断できない>という意味に間違えやすいので注意が必要。

「文章でキーワードをチェック」において、「気が(気の)置けない」というキーワードを、夏目漱石『彼岸過迄』という作品から引用している

場面
高木という人物が、叔母や母たちのいる別荘に遊びに来る。

高木の去った後、母と叔母は少時(しばらく)彼の噂をした。初対面の人だけに母の印象は殊に深かった様に見えた。気の置けない、至って行き届いた人らしいと云って賞めていた。叔母は又母の批評を一々実例に照して確かめる風に見えた。
出典夏目漱石『彼岸過迄』
(Z会出版編集部編『現代文 キーワード読解[改訂版]』Z会出版、2005年[2015年版]、304頁)

同じく、「No.181 棹(さお)さす」についても、夏目漱石『草枕』から引用している。まず、
「No.181棹さす」とは、次のような意味である。

No.181 棹(さお)さす
時勢・流行に合わせて物事を進める。
※<流れに逆らう・勢いを止める>という反対の意味に誤用しやすいので注意。

場面
主人公の画工は山路を登りながら感慨にふける。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)に人の世は住みにくい。

出典夏目漱石『草枕』
(Z会出版編集部編『現代文 キーワード読解[改訂版]』Z会出版、2005年[2015年版]、307頁)

また、「No.196なおざり」についても、夏目漱石『明暗』から引用している。「No.196なおざり」とは、次のような意味である。

No.196 なおざり 
物事に真剣に取り合わず、いい加減に対処すること。おろそか。
※漢字では「等閑(とうかん)」と標記する。「おざなり<=その場限りの間に合わせ>」との意味の違いに注意しよう。

場面
読書家の「彼」は机の上の洋書を手にする。

彼は坐るなりそれを開いて枝折(しおり)の挿(はさ)んである頁を目標(めあて)に其所(そこ)から読みにかかった。けれども三四日等閑にしておいた咎(とが)が祟って、前後の続き具合が能く解(わか)らなかった。
出典夏目漱石『明暗』

(Z会出版編集部編『現代文 キーワード読解[改訂版]』Z会出版、2005年[2015年版]、318頁)

もう一度、森鷗外に戻るが、「No.200鷹揚(おうよう)」というキーワードが、森鷗外『普請中』から引用されている。

No.200 鷹揚(おうよう)
鷹揚(おうよう)
ゆったりとしている様子。
※鷹(たか)が大空をゆうゆうと飛ぶ様子からできた語。

場面
渡邊は知り合いのドイツ人女性とホテルで会食する。

「長く待たせて。」
 独逸語である。ぞんざいな詞(ことば)と不吊合(ふつりあい)に、傘を左の手に持ち替えて、おうように手袋に包んだ右の手の指尖(ゆびさき)を差し伸べた。渡邊は、女が給仕の前で芝居をするなと思いながら、丁寧にその指尖をつまんだ。

出典森鷗外『普請中』
(Z会出版編集部編『現代文 キーワード読解[改訂版]』Z会出版、2005年[2015年版]、323頁)



コラムで紹介された夏目漱石と森鷗外


コラムで紹介されている夏目漱石と森鷗外について記しておく。

【夏目漱石について】
・夏目漱石は国民的作家と言われる。
・その作品の魅力の一つは文体にあると考えられる。
⇒江戸っ子らしい、くだけていてしかも明快な、話し言葉に近い言い方や、和漢洋にわたる深い教養からおのずとにじみ出てくる格調の高さなどが、その独特の文体の魅力を形づくっている。
・漱石は、自然主義一色で文学が塗り込められようとしていた時代に、それに理解を示しながらなお独自な位置を占め、森鷗外とともに文学を一段高いところから照らし出すような存在だった。
⇒その<高さ>を保証したものの一つは、漱石の抱いた問題意識の大きさ、深さであっただろう。

【森鷗外について】
・森鷗外は漱石に比肩する明治文学の巨匠である。しかし、それだけではない。
⇒当時の日本の超エリートとしてドイツに留学し、コッホなどの著名な医学者から指導を受け、陸軍軍医総監にまで上り詰めた人物としても知られている。
・ドイツ留学中の経験は『舞姫』という浪漫主義作品に結実するが、その舞台を日本に移したのが『雁』だという指摘もされている。
⇒たしかに『舞姫』のエリスも『雁』のお玉も、封建社会に埋没し、薄幸な人生を送る女性である一方、『舞姫』の豊大郎と『雁』の岡田には、最終的には傍観者的な態度をとる知識人エリートという類似性が見られる。
・なお、鷗外は晩年、歴史小説や史伝を発表した。
・ちなみに、現実の鷗外はなかなかの愛妻家であった。
⇒陸軍師団のあった広島に出張した際の、夫人に宛てた配慮に満ちた手紙や歌が残されている。
⇔この点、漱石とは対照的である。
 漱石は、「自分は信用されているほど君子ではないから、外では何をしているかわからない」と夫人を煙に巻いた。
(Z会出版編集部編『現代文 キーワード読解[改訂版]』Z会出版、2005年[2015年版]、295頁)



岡本かの子という作家と小説『家霊』


岡本かの子という作家の小説『家霊(かれい)』が、No.164「しかつめらしい」という小説重要語のところで、引用されている。そして、コラムにも取り上げられている。(コラムでも言及されているように、この『家霊』という小説は入試でよく出題されているそうだ。)

No.164 しかつめらしい 岡本かの子『家霊』
①もっともらしい。
②まじめぶった様子だ。
※もとは「しかつべらしい」で、音が変化してできた語。「鹿爪(しかつめ)らしい」と字をあてる。

場面
何度も食事の代金を店に払わずに帰る老人がいた。彼は今夜も店に来て、注文をして言い訳を述べる。

老人は娘のいる窓や店の者に向って、始めのうちはしきりに世間の不況、自分の職業の彫金の需要されないことなどを鹿爪らしく述べ、従って勘定も払えなかった言訳を吶々(とつとつ)と述べる。
  ※吶々――口ごもりながら話すさま。
出典岡本かの子『家霊』

コラム「女流文学1 岡本かの子」より
・岡本かの子は、与謝野晶子に師事した歌人として、また仏教学者としての一面もあったが、一方では、夫婦関係で多くの苦労を経験したことでも知られる。
・小説に専心したのは晩年の数年間だけだが、芥川龍之介をモデルにした小説を発表して作家的出発を果たしたあとは、多数の作品を残した。
・食と生命に関したテーマの作品が目立つ。その中でも『家霊』は入試によく出題されているという。
・多くの人間を巻き込み波乱に富んだ、かの子の人生は、瀬戸内晴美(寂聴)の『かの子繚乱』にくわしい。
・なお、かの子の息子は画家の岡本太郎である。

(Z会出版編集部編『現代文 キーワード読解[改訂版]』Z会出版、2005年[2015年版]、293頁、331頁)



小説重要語の確認テスト


「第3部小説重要語編」には、確認テストが4つ出題されている(確認テスト24~27)。
そのうちの1つである確認テスト24には次のようにある。

確認テスト24
次の空欄に当てはまる語を、あとの①~⑥からそれぞれ一つずつ選べ(同じものを二度使ってはならない)。なお、空欄には活用させて入るものもある。

ア 思いを寄せている人が手の届かないところにいる時は、何とも□□ものだ。
イ 読書中の小説で、主人公の性格が自分と似ていることに気づき、□□気がした。
ウ いつもはひょうきんな彼が、皆の前で話をする時は急に□□顔になるのが、何ともおかしい。
エ その程度の勉強量で「猛勉強」などと言うなんて、□□にもほどがある。他の人は君の三倍は勉強しているよ。
オ 通学途中で気になっていた、名前も知らない彼女に思い切って声をかけたら、あからさまに□□顔をされてしまった。
カ 今日は一人でいたいのに、しきりに携帯電話にメッセージが届く。こんな時、いつもは便利な携帯電話が□□てたまらない。

【選択肢】
①懐かしい ②しかつめらしい ③いぶかしい ④片腹痛い ⑤うとましい ⑥やるせない

【正解】
ア=⑥、イ=①、ウ=②、エ=④、オ=③、カ=⑤
【参考】
イ…「懐かしい」には、<心引かれる>という意味もある。
オ…「いぶかしい」の動詞形は「いぶかる(訝る)」で、<疑わしく思う・不審に思う>の意。

(Z会出版編集部編『現代文 キーワード読解[改訂版]』Z会出版、2005年[2015年版]、300頁~301頁)