歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪イタリア・ルネサンス~高校世界史より≫

2023-07-25 19:00:18 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪イタリア・ルネサンス~高校世界史より≫
(2023年7月25日投稿)

【はじめに】


 今回のブログでは、高校世界史において、イタリア・ルネサンスについて、どのように記述されているかについて、考えてみたい。
 参考とした世界史の教科書は、次のものである。

〇福井憲彦、本村凌二ほか『世界史B』東京書籍、2016年[2020年版]
〇木村靖二ほか『詳説世界史 改訂版』山川出版社、2016年[2020年版]

 また、前者の高校世界史教科書に準じた英文についても、見ておきたい。
〇本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』講談社、2017年[2018年版]

なお、イタリア・ルネサンスについて、次の著作により、補足説明しておく。
〇浜林正夫『世界史再入門』講談社学術文庫、2008年[2012年版]
〇中野京子『はじめてのルーヴル』集英社文庫、2016年[2017年版]




【本村凌二ほか『英語で読む高校世界史』(講談社)はこちらから】
本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』講談社






〇本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』講談社、2017年[2018年版]
【目次】

本村凌二『英語で読む高校世界史』
Contents
Introduction to World History
1 Natural Environments: the Stage for World History
2 Position of Japan in East Asia
3 Disease and Epidemic
Part 1 Various Regional Worlds
Prologue
The Humans before Civilization
1 Appearance of the Human Race
2 Formation of Regional Culture
Chapter 1
The Ancient Near East (Orient) and the Eastern Mediterranean World
1 Formation of the Oriental World
2 Deployment of the Oriental World
3 Greek World
4 Hellenistic World
Chapter 2
The Mediterranean World and the West Asia
1 From the City State to the Global Empire
2 Prosperity of the Roman Empire
3 Society of the Late Antiquity and Breaking up
of the Mediterranean World
4 The Mediterranean World and West Asia
World in the 2nd century
Chapter 3
The South Asian World
1 Expansion of the North Indian World
2 Establishment of the Hindu World
Chapter 4
The East Asian World
1 Civilization Growth in East Asia
2 Birth of Chinese Empire
3 World Empire in the East
Chapter 5
Inland Eurasian World
1 Rises and Falls of Horse-riding Nomadic Nations
2 Assimilation of the Steppes into Turkey and Islam
Chapter 6
1 Formation of the Sea Road and Southeast Asia
2 Reorganizaion of Southeast Asian Countries
Chapter 7
The Ancient American World

Part 2 Interconnecting Regional Worlds
Chapter 8
Formation of the Islamic World
1 Establishment of the Islamic World
2 Development of the Islamic World
3 Islamic Civilization
World in the 8th century
Chapter 9
Establishment of European Society
1 The Eastern European World
2 The Middle Ages of the Western Europe
3 Feudal Society and Cities
4 The Catholic Church and the Crusades
5 Culture of Medieval Europe
6 The Middle Ages in Crisis
7 The Renaissance
Chapter 10
Transformation of East Asia and the Mongol Empire
1 East Asia after the Collapse of the Tang Dynasty
2 New Developments during the Song Era ―Advent of Urban Age
3 The Mongolian Empire Ruling over the Eurasian Continent
4 Establishment of the Yuan Dynasty

Part 3 Unification of the World
Chapter 11
Development of the Maritime World
1 Formation of the Three Maritime Worlds
2 Expansion of the Maritime World
3 Connection of Sea and Land; Development of Southeast Asia World
Chapter 12
Prosperity of Empires in the Eurasian Continent
1 Prosperity of Iran and Central Asia
2 The Ottoman Empire; A Strong Power Surrounding
the East Mediterranean
3 The Mughal Empire; Big Power in India
4 The Ming Dynasty and the East Asian World
5 Qing and the World of East Asia
Chapter 13
The Age of Commerce
1 Emergence of Maritime Empire
2 World in the Age of Commerce
World in the 17th century
Chapter 14
Modern Europe
1 Formation of Sovereign States and Religious Reformation
2 Prosperity of the Dutch Republic
and the Up-and-Coming England and France
3 Europe in the 18th Century and the Enlightened Absolute Monarchy
4 Society and Culture in the Early Modern Europe
Chapter 15
Industrialization in the West and the Formation of Nation States
1 Intensified Struggle for Economic Supremacy
2 Industrialization and Social Problems
3 Independence of the United States and Latin American Countries
4 French Revolution and the Vienna System
5 Dream of Social Change; Waves of New Revolutions

Part 4 Unifying and Transforming the World
Chapter 16
Development of Industrial Capitalism and Imperialism
1 Reorganization of the Order in the Western World
2 Economic Development of Europe
and the United States and Changes in Society and Culture
3 Imperialism and World Order
World in the latter half of 19th century
Chapter 17
Reformation in Various Regions in Asia
1 Reform Movements in West Asia
2 Colonization of South Asia and Southeast Asia,
and the Dawn of National Movements
3 Instability of the Qing Dynasty and Alteration of East Asia
Chapter 18
The Age of the World Wars
1 World War I
2 The Versailles System and Reorganization of International Order
3 Europe and the United States after the War
4 Movement of Nation Building in Asia and Africa
5 The Great Depression and Intensifying International Conflicts
6 World War II

Part 5 Establishment of the Global World
Chapter 19
Nation-State System and the Cold War
1 Hegemony of the United States and the Development of the Cold War
2 Independence of the Asian-African Countries and the "Third World"
3 Disturbance of the Postwar Regime
4 Multi-polarization of the World and the Collapse of the U.S.S.R.
Final Chapter
Globalization of Economy and New Regional Order
1 Globalization of Economy and Regional Integration
2 Questions about Globalization and New World Order
3 Life in the 21st Century; Time of Global Issues
The Rises and Falls of Main Nations
Index(English)
Index(Japanese)




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・イタリア・ルネサンスの記述~『世界史B』(東京書籍)より
・イタリア・ルネサンスの記述~『詳説世界史』(山川出版社)より
・英文の記述~本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』(講談社)より
【補足】
・イタリア・ルネサンスの記述~浜林正夫『世界史再入門』より
・ラファエロ『美しき女庭師』~中野京子『はじめてのルーヴル』より






ヨーロッパの封建社会の記述~『世界史B』(東京書籍)より


【東京書籍より】
第2編 広域世界の形成と交流
第9章 ヨーロッパ世界の形成
6 ルネサンス
 ルネサンスは、まずイタリアでおこった。ここでは、古代ローマの遺跡が模範として各地に残っており、さらに地中海交易によって都市が繁栄し、イスラーム文明やビザンツ文明との接触も、多くの刺激を与えていた。
 毛織物業や金融業で栄え、豊かなトスカナ地方を支配下に置いたフィレンツェでは、メディチ家など富裕な市民が芸術家や学者を保護し、いち早くルネサンスが花開いた。詩人ダンテ(Dante、1265~1321)は、知識用語としてのラテン語ではなく、日常使われていたトスカナ地方のイタリア語で、人間の心の機微をみごとに描いた『神曲』を著し、文学における先駆をなした。つづいてペトラルカ(Petrarca、1304~74)は、ラテン語古典の研究に努め、すぐれた叙情詩をつくり、ボッカチオ(Boccaccio、1313~75)は『デカメロン』で、ペスト流行下の人間の欲望や偽善を風刺した。美術では、人体や自然の観察にもとづく写実的な描写や、遠近法、色彩表現が発展し、ジョット(Giotto、1266ごろ~1337)がこうした動きの先駆となった。メディチ家は15世紀に隆盛をきわめ、ブルネレスキ(Brunelleschi、1377~1446)、ボッティチェリ(Botticelli、1444ごろ~1510)らの芸術家を保護し、アカデミーをつくって思想研究を奨励した。15世紀末からフィレンツェの政治が混乱すると、メディチ家出身のレオ10世(Leo X、在位1513~21)などの教皇が文芸の保護者となり、聖ピエトロ大聖堂の新築をすすめ、ルネサンスの中心はローマに移った。この混乱期に、フィレンツェのマキァヴェリ(Machiavelli、1469~1527)は『君主論』を著し、政治を宗教や道徳とは別個のものとして論じ、のちの政治思想に大きな影響を与えた。
 イタリアのルネサンスは16世紀のはじめに最盛期を迎え、多彩な才能を発揮した「万能人」レオナルド=ダ=ヴィンチ(Leonardo da Vinci、1452~1519)、彫刻や建築の巨匠ミケランジェロ(Michelangelo、1475~1564)、聖母子像で有名なラファエロ(Raffaello、1483~1520)、建築家のブラマンテ(Bramante、1444~1514)らが活躍した。しかし16世紀のイタリアは、外国軍の度重なる侵攻を受けたうえ、宗教改革に対抗したローマ教会が文化の規制を強めたため、ルネサンスの活力は失われていった。
(福井憲彦、本村凌二ほか『世界史B』東京書籍、2016年[2020年版]、164頁~166頁)

イタリア・ルネサンスの記述~『詳説世界史』(山川出版社)より


・イタリア・ルネサンスの記述~『詳説世界史』(山川出版社)より
第Ⅲ部の「第8章近世ヨーロッパ世界の形成」の「2 ルネサンス」
【ルネサンスの本質】
中世末期の西ヨーロッパでは都市が発展し、そこから中世の文化を引き継ぎながら、人間性の自由・解放を求め、各人の個性を尊重しようとする文化運動があらわれた。これがルネサンス(「再生」の意味)で、およそ14世紀から16世紀にわたってヨーロッパ各地に広まった。ルネサンスは近現代につながる文化の出発という側面から理解されることが多いが、中世の文化の継承・発展という面もある。
カトリック教会の権威のもとにあった中世盛期の文化とくらべて、ルネサンスでは現世に生きる楽しみや理性・感情の活動がより重視されたが、これを支えたのがヒューマニズム(humanism)、すなわち人文主義(人間主義)の思想である。人文主義の立場をとる知識人(ヒューマニスト)は、おもにビザンツ帝国やイスラーム圏を介して西ヨーロッパに伝えられたギリシア・ローマの古典文化を深く研究することで、人間らしい生き方を追求しようとした。また、フィレンツェのマキァヴェリ(Machiavelli, 1469~1527)は『君主論』を書いて、政治を宗教・道徳から切り離す近代的な政治観を提示した。
ルネサンスは、地中海貿易の盛んなイタリアや、南北ヨーロッパ商業の中継地として毛織物工業が成長したネーデルラントではやくから展開したが、まもなくほかの国々にも広まった。ルネサンス期の学者や芸術家は都市に住む教養人で、その多くは権力者の保護のもとで活動した。イタリアでは、フィレンツェの金融財閥メディチ家やミラノ公、ローマ教皇などがルネサンスの保護者として知られ、イギリス・フランス・スペインでは国王の保護下にルネサンス文化が栄えた。そのため、ルネサンスは貴族的性格をおび、既存の政治・教会・社会体制を正面から批判する力とはならなかった。
(木村靖二ほか『詳説世界史 改訂版』山川出版社、2016年[2020年版]、205頁~206頁)

【文芸と美術】
ルネサンス文芸は、古代ローマの伝統が強かったイタリアでまず展開した。イタリアには、『神曲』で知られる詩人ダンテ(Dante, 1265~1321)やボッカチオ(Boccaccio, 1313~75)らが出たが、その影響下にイギリスでもチョーサー(Chaucer, 1340頃~1400)が『カンタベリ物語』を著した。16世紀頃になると、ネーデルラントの人文主義者エラスムス(Erasmus, 1469頃~1536)の『愚神礼賛』をはじめ、社会を風刺する作品が多く書かれ、各国の国民文化が形成されていった。イギリスで16世紀末から17世紀初めに活躍したシェークスピア(Shakespeare, 1564~1616)の戯曲をはじめとして、すぐれた文芸作品は、それぞれの国の言語を発達させるのに貢献した。
絵画でもイタリアに新しい動きがおこり、15世紀前半には遠近法の確立により、近代絵画の基調である写実主義の基礎がすえられた。建築の領域では古代ローマ建築の要素を取り入れて、大ドームをもったルネサンス様式がうまれ、16世紀にはローマのサン=ピエトロ大聖堂が新築された。彫刻家では、「ダヴィデ像」の制作者で、サン=ピエトロ大聖堂の建築にも関わったミケランジェロ(Michelangelo, 1475~1564)が知られる。ルネサンスの理想であった「万能人」の典型ともいうべきレオナルド=ダ=ヴィンチ(Leonardo da Vinci, 1452~1519)は絵画のほか、解剖学をはじめ自然諸科学と応用技術にも才能を示した。また、多くの聖母子像を描いたラファエロ(Raffaello, 1483~1520)は、この2人とともにルネサンスの三大巨匠に数えられている。ネーデルラントでは、油絵の技法を改良したファン=アイク兄弟(Van Eyck, 兄1366頃~1426、弟1380頃~1441)がフランドル派を開き、ドイツのデューラー(Dürer, 1471~1528)は版画も多数残した。

<「ヴィーナスの誕生」>
15世紀半ば、イタリアのフィレンツェでうまれたボッティチェリの代表作の一つ。メディチ家のために描かれたともいわれる。

<「最後の晩餐」>
レオナルド=ダ=ヴィンチ作。遠近法をたくみに利用した作品として有名である。

<「ダヴィデ像」>
ミケランジェロの彫刻作品の代表作の一つ。1504年完成。
フィレンツェの市庁舎前におかれた。

<「聖母子と幼児ヨハネ」>
ラファエロ作。ラファエロは聖母子像を生涯描き続けた。

<「農民の踊り」>
フランドルの民衆生活を描いたブリューゲル晩年の作品の一つ。
(木村靖二ほか『詳説世界史 改訂版』山川出版社、2016年[2020年版]、206頁~208頁)

【科学と技術】
大航海とルネサンスの時代には、科学の新しい考え方がうまれた。16世紀前半、ポーランド人コペルニクス(Copernicus, 1473~1543)は、古代の天文学に刺激されて地動説をとなえ、聖書の天地創造説話に基づいて天動説をとっていた教会の世界観に挑戦した。この時期にはまた、技術面でも重要な改良・実用化がおこなわれ、ヨーロッパの社会に大きな影響を与えることになったが、そうした技術はいずれも、もともとは中国で発明されていたものであった。
羅針盤は中国の宋で知られていたが、14世紀のイタリアで改良され、天文学や海図製作の発達とあいまって、遠洋航海を可能にした。火薬もすでに元で実戦にもちいられていたが、その後ヨーロッパで鉄砲や大砲などの火器が発達して、従来の戦術を一変させ、騎士が没落することになった。さらに、15世紀半ば頃ドイツ人グーテンベルク(Gutenberg, 1400頃~68)が改良した活版印刷術は、製紙法の伝播と結びついて、書物の製作を従来の写本よりもはるかに迅速・安価なものとし、新しい思想の普及に大きく貢献した。
(木村靖二ほか『詳説世界史 改訂版』山川出版社、2016年[2020年版]、208頁~209頁)



英文の記述~本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』(講談社)より


・英文の記述~本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』(講談社)より
イタリア・ルネサンス The Renaissance in Italy
The Renaissance
Creation of a New Culture
From the 14th century to 16th century, the movement to create a new culture which made much of human thinking and feeling was developed in western Europe. This is the so-called
“Renaissance(ルネサンス)”.
Many people died from the spread of the Black Plague and in wars between the 14th and 15th centuries. Thus, the society stood on the edge of a crisis. But such a critical situation
tends to make people think more deeply about how to live, and develop new ideas that
were free from traditional values in various fields. They covered a fairly broad spectrum,
such as study of philosophy and thought, and architecture, sculpture, painting, literature,
music, and technological developments. Even in theology, people began to reconsider the
relationship between God and human being. Are we human beings predestined to our fate,
or to what extent is our active nature of mind permitted? The basic idea of asking about a
life of human being is called Humanism(ヒューマニズム, 人文主義).
The Renaissance means “rebirth(再生)”. The revitalizaion of learning and art which started at this time in Italy was stimulated by going back to learn the classical arts and sciences of the ancient Greek and Rome. By chance, scholars of the Byzantine Empire who escaped from the oppression of the Ottoman Empire greatly helped to promote these studies of Greek and Roman classics. It was not surprising to think that the classical world was the ideal model, due to its harmony and high level of achievement compared to this contemporary chaotic world of crisis. On the other hand, the ancient world should not be absolutely separated from the Middle Ages. Because the Renaissance was born in cities at the end of the Middle Ages under the contemporary economic and social conditions, it developed in the cradle of political powers and local cultures.

The Renaissance in Italy
The Renaissance began in Italy, where people could find ruins of ancient Rome in various
places as the classical models. Also, many cities had access to the Mediterranean Sea trade,
which gave them frequent contact with the Islamic and Byzantine civilizations, from which
they were influenced.
In Florence(フィレンツェ), which prospered in the woolen textile industry and finance and had Tuscany(トスカナ地方) as its territory, rich families such as the Medicis
(メディチ家) sponsored artists and scholars. Thus the Renaissance bloomed very early in Florence. Dante(ダンテ), a poet, pioneered in the field of literature by writing The Divine Comedy(神曲), which described well the subtleties of the human mind. He did not write in Latin, the language of the intellectuals, but in the Tuscan Italian dialect. Petrarch
(ペトラルカ) followed, studying Latin classics deeply and writing beautiful lyrics. Then Boccaccio(ボッカチオ) wrote the Decameron(デカメロン) to satirize the greed and hypocrisy of people at the time of the plague. In art, realistic description based on observation of the human body and nature, perspective and colorful paintings were developed. Giotto(ジオット) was a pioneer in this field.
The Medici family was extremely wealthy in the end of the 15th century and supported
artists such as Brunelleschi(ブルネレスキ) and Botticelli(ボッティチェリ).
They established an academy to encourage the study of thought. When politics in Florence got into trouble from the end of the 15th century, Popes such as Pope Leo X(レオ10世), out of the Medici family, became patrons of literature. He promoted to build St. Peter’s Basilica, (聖ピエトロ大聖堂)and then the center of the Renaissance moved to Rome.
In these troubled days, Machiavelli(マキアヴェリ) wrote The Prince(君主論) and stressed that politics should be different from religion and morality. This gave a huge impact on future political thought.
The Italian Renaissance reached its peak at the beginning of the 16th century. Leonardo
da Vinci(レオナルド=ダ=ヴィンチ), a universalist with many talents, Michelangelo
(ミケランジェロ), a maestro of sculpture and architecture, Raffaello(ラファエロ),
famous for the “Madonna and Child(聖母子像)”, and an architect Bramante(ブラマンテ),
etc. played great roles. However the Renaissance gradually lost its influence
in the 16th century as Italy was frequently attacked by foreign armies and the Roman Church, which opposed the Religious Reformation, strengthened its control on culture.
(本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』講談社、2017年[2018年版]、130頁~131頁)

イタリア・ルネサンスの記述~浜林正夫『世界史再入門』より


・浜林正夫『世界史再入門』(講談社学術文庫、2008年[2012年版])では、イタリア・ルネサンスについて、次のように述べている。
〇第5章「近代世界の成立」3 ルネサンスと宗教改革(139頁~)
3 ルネサンスと宗教改革
 ヨーロッパ諸国のアジア、アフリカ、アメリカへの進出が近代世界の幕あけのひとつであったとするなら、ヨーロッパの内部においてはルネサンスと宗教改革がその幕あけをつげるものであった。ルネサンスはキリスト教世界に外部から衝撃を与え、宗教改革はキリスト教世界を内部からゆさぶったのである。
 ルネサンスはイタリアからはじまった。それはキリスト教によって異教的なものとしてしりぞけられてきた古典古代(ギリシア、ローマ)の文化の見直しと再生をはかろうとするもので、イタリアには古典古代の文化の伝統があり、さらに東方貿易の窓口としてイタリアの諸都市はイスラムなどの異文化と接する機会が多く、また都市には自由な雰囲気があったこともルネサンスの背景となっていた。キリスト教が聖書をとおして人間や社会や自然をみるのにたいし、ルネサンスの基本思想はこれらをありのままにみようとする。ダンテの『神曲』(1300ごろから1320年代にかけて執筆)は全体としてはキリスト教文学の枠でないものであるが、初恋の女性ベアトリーチェへの愛の讃歌がこめられ、またそれがラテン語ではなくイタリア(トスカーナ)語で書かれたことも大きな意味をもっていた。ボッカチオの『デカメロン』(1353年)は人間の欲望をあからさまにえがき、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロは人間の美しさを絵画や彫刻にえがきだし、マキアヴェリは『君主論』で宗教や道徳にしばられない政治の原理を主張した。(下略)

<ダ・ヴィンチのアイデア>
ダ・ヴィンチは1482年ごろ、ミラノの有力者に自分を売りこむための手紙を書いているが、そのなかで軍用橋、大砲、機関銃、戦車などのアイデアを絵入りで説明し、またミラノの都市計画をも立案した。そのほか数学や機械学でもすぐれた着想をしめし、人体解剖もおこなっている。しかしこれらのアイデアは実用化されなかった。当時の社会にはまだこの天才の着想をうけいれるだけの条件がなかったのである。
(浜林正夫『世界史再入門』講談社学術文庫、2008年[2012年版]、139頁~140頁、143頁)

ラファエロ『美しき女庭師』~中野京子『はじめてのルーヴル』より


私は、以前、ルーヴル美術館について、次のようなブログ記事を投稿した。
≪中野京子『はじめてのルーヴル』を読んで その1~ 私のブック・レポート≫
(2020年4月1日~投稿)

そのうち、ラファエロについては、≪中野京子『はじめてのルーヴル』を読んで その5~ 私のブック・レポート≫(2020年4月18日投稿)において、解説している。

〇中野京子『はじめてのルーヴル』集英社文庫、2016年[2017年版]
以前、この書物を紹介することを通して、イタリア・ルネサンスについて考えてみた。
ここでは、ラファエロについてのブログ記事を再録しておきたい。興味を抱いた人は、中野京子氏の著作、ブログ記事を参照していただきたい。

なお、中野京子氏の本の目次は次のようになっている。
【目次】
第① 章 なんといってもナポレオン ダヴィッド『ナポレオンの戴冠式』
第② 章 ロココの哀愁       ヴァトー『シテール島の巡礼』
第③ 章 フランスをつくった三人の王 クルーエ『フランソワ一世肖像』
第④ 章 運命に翻弄されて     レンブラント『バテシバ』
第⑤ 章 アルカディアにいるのは誰? プッサン『アルカディアの牧人たち』
第⑥ 章 捏造の生涯   ルーベンス『マリー・ド・メディシスの生涯<肖像画の贈呈>』
第⑦ 章 この世は揺れる船のごと  ボス『愚者の船』
第⑧ 章 ルーヴルの少女たち    グルーズ『壊れた甕』
第⑨ 章 ルーヴルの少年たち    ムリーリョ『蚤をとる少年』
第⑩ 章 まるでその場にいたかのよう ティツィアーノ『キリストの埋葬』
第⑪ 章 ホラー絵画        作者不詳『パリ高等法院のキリスト磔刑』
第⑫ 章 有名人といっしょ     アンゲラン・カルトン『アヴィニョンのピエタ』
第⑬ 章 不謹慎きわまりない!   カラヴァッジョ『聖母の死』
第⑭ 章 その後の運命       ヴァン・ダイク『狩り場のチャールズ一世』
第⑮ 章 不滅のラファエロ     ラファエロ『美しき女庭師』
第⑯ 章 天使とキューピッド    アントワーヌ・カロンまたはアンリ・ルランベール『アモルの葬列』
第⑰ 章 モナ・リザ        レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』
あとがき
解説 保坂健二朗

第⑮章 不滅のラファエロ ラファエロ『美しき女庭師』


ラファエロ(1483~1520)
『美しき女庭師』(『聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ』)
1507年 122cm×80cm ドゥノン翼2階展示室8グランドギャラリー

聖母マリアについて


聖書には、聖母マリアについての記述が少ない。受胎告知や厩(うまや)での出産、カナの婚礼(結婚式に母子で出席し、そのときイエスが水をワインに変える奇蹟を起こす)など、わずかである。
男尊女卑の色濃い聖書および初期教会の教えでは、イエスの聖性を強調するため、母マリアは単に神の子を産む女性にすぎない扱いだった。

しかし、マリアを崇めたがる人々は増えていく。母なるものへの素朴な憧れや、かつての地母神(じぼしん)信仰の遠い記憶が、くり返しマリアと結びつこうとしたようだ。
カトリック公会議はマリアを聖なる存在と認め、マリアは礼拝の対象となる(プロテスタントはこの限りにあらず)。

画面上のマリアは、単独であったり、大天使ガブリエルに受胎を告げられる姿であったり、幼子を抱く聖母であったり、イエスを屍(しかばね)を膝におくピエタ像であったりする。
中でももっとも好まれたのは、聖母子像である。若いマリア、愛らしいイエス、時に洗礼者ヨハネ、稀に養父ヨセフなども加わった。

ところで、イタリア・ルネサンス期は、独立的な富裕市民層の台頭とともに、宗教画の世俗化が進んだ時代である。だから、家父長として威厳あるヨセフ、子を慈しむ母マリア、守られる幼子といった聖家族が、家庭の理想像としてもてはやされた。

ルネサンス三大巨匠の聖母子像


ルネサンス三大巨匠ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロの聖母子像について、中野氏は比較検討している。
例えば、ダ・ヴィンチの『岩窟の聖母』(ルーヴル美術館、ドゥノン翼2階展示室5グランドギャラリー)は、背景が異様な洞窟であり、幼子の上で広げた指の形の無気味さとも相俟って、マリアには、モナ・リザと同じ神秘性を中野氏は感じている。母という以前に、人間を越えており、存在自体が謎で、親しみやすさは無いという。

次に、ミケランジェロによる『聖家族』(イタリアのウフィツィ美術館蔵)のマリア像も、別の意味で人間(というか女性)離れしているとみる。
ミケランジェロは筋肉フェチであったので、女性の身体をもマッチョな姿で描いている。まるで男性を変形させたかのように、不自然な逞しさがある。ダ・ヴィンチもミケランジェロも、同性愛者であったから、女性のもつ官能性をほんとうのところはわかっていなかったのであろうと、手厳しく評している。

最後にラファエロは、「聖母子の画家」と異名をとるほどで、30点近い聖母子像を描いている。ラファエロのマリアは優美そのものである。
ラファエロ自身、世に聞こえた美男で、しかも女好きであった。
(若死にの原因は女性遊びが過ぎたためという美術史家もいる)

ラファエロのマリアは、ダ・ヴィンチのように手の届かぬ天上的な存在ではなく、ミケランジェロのように筋肉を着ぐるみのようにまとってもいない。理想化されてはいるが、この世のどこかにいる、血のかよった、触れることの可能な女性である。

ラファエロの『美しき女庭師』


ルーヴル所蔵の『美しき女庭師』(ルーヴルでのタイトル『聖母子と幼き洗礼者ヨハネ』)は、『大公の聖母』や『小椅子の聖母』とともに、ラファエロの傑作聖母子像のひとつとされる。そして「ルーヴルにおける聖母子像の最高作」と讃えられている。

絵のタイトルは、当時の画家が自分で付けることはなかったようだ。後世になり、多くのラファエロ聖母子像を区別する必要ができて初めて、王室の美術品管理者、あるいは学者や学芸員がニックネームを付けた。
『大公の聖母』は大公が所有していたからで、『小椅子の聖母』は文字どおり小さな椅子に座っているからである。

この作品も最初は『農民の聖母』と呼ばれていたようだ。しかし、18世紀に入ってからは『美しき女庭師』で定着した。風景が牧歌的で、草花がたくさんあるので、農地ないし庭にいるマリアということで、『美しき女庭師』という通称になった。
(ほとんど同じ背景の別作品が、ウィーン美術史美術館には、『牧場の聖母』という名がついているので、著者は釈然としないという。近代に入って、画家が自らタイトルを決めることにした気持ちがわかるそうだ)

この絵は安定した三角形構図で、静謐な空間を作り上げ、明るく穏やかな色彩的調和が感じられる。まさに新プラトン的に呼ぶにふさわしい作品として、賞讃されてきた。慈愛そのものの優しい聖母である。

また、宗教画としての決まりもきっちり押さえられている。聖母の衣装の色については、赤は犠牲の血の色ないし深い愛を、そして青は天上の真実を意味している。そして三人の頭上には、目立たないながらも、金の光輪が描かれている。
右下の幼児ヨハネ(後にヨルダン川でイエスに洗礼をほどこす)は、聖書に記されているとおりのラクダの毛衣(もうい)をまとい、葦で作った十字架の杖を持つ。幼子イエスは救世主の受難を予告する旧約聖書に手を伸ばす。

マリアの左足の足指の上のマントの裾に「RAPHAELLO URB.」という金文字が見える。これは「ウルビーノのラファエロ」の意で、画家の署名である。
(ウルビーノはラファエロの出身地である)
またマリアの左肘のところには「MDDⅡ」とあり、1507年という制作年度が記されている。ラファエロが24歳のときの作品である。

当時すでにウルビーノからフィレンツェへ出てきていたが、この花の都には31歳年上のダ・ヴィンチと、8歳年上のミケランジェロが活躍していた。ラファエロはダ・ヴィンチからミラミッド型構図と人物の心理表現を、ミケランジェロからボリュームある人体造型を吸収したといわれる。

模倣の天才ラファエロは、モーツァルトと同じく、ありとあらゆるものを海綿のように吸い取って自己のものとした。ただし、ラファエロにはダ・ヴィンチのような執拗さや、ミケランジェロのような激越さはなく、ほどほどにブレンドして、万人向けの美しさを呈示した。

ラファエロという画家


ラファエロは、宮廷画家だった父親に手ほどきされ、幼少時からその才能は傑出し、10代でもう一人前の仕事を請け負っていた。画才に加え、人好きする容姿と、礼儀正しさがあり、陽気な性格であった。そして教皇ユリウス2世およびレオ10世という大パトロンにも恵まれ、20代後半には50人を超す工房を経営していた。

ラファエロは原因不明の熱病で、37歳という若さで急死した(しかも自身の誕生日に)。
同じく、40間近で死去した画家は少なくないようだ。パルミジャニーノ、カラヴァッジョ、ヴァトー、ゴッホ、ロートレックがいる。
ルネサンス三大巨匠のダ・ヴィンチやミケランジェロが長寿だったのに比べ、ラファエロはまだこれからの画家というイメージを持たれがちだが、それは誤解であると中野氏は釘をさしている。

大工房の親方として世俗的成功を収めていたし、名声はヨーロッパ中に鳴り響いていた。今でこそルネサンス三大巨匠という言葉があるものの、19世紀前半までの西洋絵画史において、古典的規範として渇仰され続けたのは、ラファエロだったからである。ルネサンスの典雅端麗とはラファエロ作品を指した。ルネサンスはラファエロによって完成されたとされ、400年近くもイタリア、フランス、イギリスのアカデミーのお手本であり続け、ラファエロ的円満と中庸が理想とされた。

ところが、近代以降、ラファエロ作品は批判の的となる。謎がないため、ダ・ヴィンチのような深みに欠け、過剰さがないため、ミケランジェロの迫力に及ばないとされた。
19世紀半ばのイギリスで、「ラファエル前派」という美術革新運動が起こり、ラファエロを規範としたアカデミーに対して異議申し立てをし、ラファエロ以前の芸術へ復帰することを目的とした。後の印象派へとつながる、大きなうねりの最初の波であった。そして21世紀を費やし、ついに美術界はラファエロから脱却した。

中野氏はラファエロの『バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像』(ルーヴル美術館 ドゥノン翼2階展示室8 グランドギャラリー)に注目して、ラファエロはもう少し別の道をゆけたかもしれないと残念に思うという私見を付記している。

この肖像画は、ルーベンスも模写した傑作である。これはラファエロの真の力量をありありと見せつける作品である。甘やかな美しい聖母子を描いた同じ画家が描いたとは思えないほどであり、レンブラントを先取りしたような表現であると賞賛している。注文作品を量産するのではなく、こうした作品をもう数点残してほしかったそうだ。
ラファエル前派にせよ印象派にせよ、このような肖像画を描けただろうかと疑問を呈し、彼らが排除すべきだったのはラファエロではなく、ラファエロを錦の御旗にしたアカデミーだったはずだという。
(中野、2016年[2017年版]、198頁~211頁)

【中野京子『はじめてのルーヴル』はこちらから】



はじめてのルーヴル (集英社文庫)




最新の画像もっと見る

コメントを投稿