歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪産業革命~高校世界史より≫

2023-07-31 19:00:06 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪産業革命~高校世界史より≫
(2023年7月31日投稿)

【はじめに】


 今回のブログでは、高校世界史において、産業革命に関して、どのように記述されているかについて、考えてみたい。
 参考とした世界史の教科書は、次のものである。

〇福井憲彦、本村凌二ほか『世界史B』東京書籍、2016年[2020年版]
〇木村靖二ほか『詳説世界史 改訂版』山川出版社、2016年[2020年版]

 また、前者の高校世界史教科書に準じた英文についても、見ておきたい。
〇本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』講談社、2017年[2018年版]

なお、産業革命について、次の著作により、補足説明しておく。
〇浜林正夫『世界史再入門』講談社学術文庫、2008年[2012年版]
〇斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社新書、2020年[2021年版]




【本村凌二ほか『英語で読む高校世界史』(講談社)はこちらから】
本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』講談社






〇本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』講談社、2017年[2018年版]
【目次】

本村凌二『英語で読む高校世界史』
Contents
Introduction to World History
1 Natural Environments: the Stage for World History
2 Position of Japan in East Asia
3 Disease and Epidemic
Part 1 Various Regional Worlds
Prologue
The Humans before Civilization
1 Appearance of the Human Race
2 Formation of Regional Culture
Chapter 1
The Ancient Near East (Orient) and the Eastern Mediterranean World
1 Formation of the Oriental World
2 Deployment of the Oriental World
3 Greek World
4 Hellenistic World
Chapter 2
The Mediterranean World and the West Asia
1 From the City State to the Global Empire
2 Prosperity of the Roman Empire
3 Society of the Late Antiquity and Breaking up
of the Mediterranean World
4 The Mediterranean World and West Asia
World in the 2nd century
Chapter 3
The South Asian World
1 Expansion of the North Indian World
2 Establishment of the Hindu World
Chapter 4
The East Asian World
1 Civilization Growth in East Asia
2 Birth of Chinese Empire
3 World Empire in the East
Chapter 5
Inland Eurasian World
1 Rises and Falls of Horse-riding Nomadic Nations
2 Assimilation of the Steppes into Turkey and Islam
Chapter 6
1 Formation of the Sea Road and Southeast Asia
2 Reorganizaion of Southeast Asian Countries
Chapter 7
The Ancient American World

Part 2 Interconnecting Regional Worlds
Chapter 8
Formation of the Islamic World
1 Establishment of the Islamic World
2 Development of the Islamic World
3 Islamic Civilization
World in the 8th century
Chapter 9
Establishment of European Society
1 The Eastern European World
2 The Middle Ages of the Western Europe
3 Feudal Society and Cities
4 The Catholic Church and the Crusades
5 Culture of Medieval Europe
6 The Middle Ages in Crisis
7 The Renaissance
Chapter 10
Transformation of East Asia and the Mongol Empire
1 East Asia after the Collapse of the Tang Dynasty
2 New Developments during the Song Era ―Advent of Urban Age
3 The Mongolian Empire Ruling over the Eurasian Continent
4 Establishment of the Yuan Dynasty

Part 3 Unification of the World
Chapter 11
Development of the Maritime World
1 Formation of the Three Maritime Worlds
2 Expansion of the Maritime World
3 Connection of Sea and Land; Development of Southeast Asia World
Chapter 12
Prosperity of Empires in the Eurasian Continent
1 Prosperity of Iran and Central Asia
2 The Ottoman Empire; A Strong Power Surrounding
the East Mediterranean
3 The Mughal Empire; Big Power in India
4 The Ming Dynasty and the East Asian World
5 Qing and the World of East Asia
Chapter 13
The Age of Commerce
1 Emergence of Maritime Empire
2 World in the Age of Commerce
World in the 17th century
Chapter 14
Modern Europe
1 Formation of Sovereign States and Religious Reformation
2 Prosperity of the Dutch Republic
and the Up-and-Coming England and France
3 Europe in the 18th Century and the Enlightened Absolute Monarchy
4 Society and Culture in the Early Modern Europe
Chapter 15
Industrialization in the West and the Formation of Nation States
1 Intensified Struggle for Economic Supremacy
2 Industrialization and Social Problems
3 Independence of the United States and Latin American Countries
4 French Revolution and the Vienna System
5 Dream of Social Change; Waves of New Revolutions

Part 4 Unifying and Transforming the World
Chapter 16
Development of Industrial Capitalism and Imperialism
1 Reorganization of the Order in the Western World
2 Economic Development of Europe
and the United States and Changes in Society and Culture
3 Imperialism and World Order
World in the latter half of 19th century
Chapter 17
Reformation in Various Regions in Asia
1 Reform Movements in West Asia
2 Colonization of South Asia and Southeast Asia,
and the Dawn of National Movements
3 Instability of the Qing Dynasty and Alteration of East Asia
Chapter 18
The Age of the World Wars
1 World War I
2 The Versailles System and Reorganization of International Order
3 Europe and the United States after the War
4 Movement of Nation Building in Asia and Africa
5 The Great Depression and Intensifying International Conflicts
6 World War II

Part 5 Establishment of the Global World
Chapter 19
Nation-State System and the Cold War
1 Hegemony of the United States and the Development of the Cold War
2 Independence of the Asian-African Countries and the "Third World"
3 Disturbance of the Postwar Regime
4 Multi-polarization of the World and the Collapse of the U.S.S.R.
Final Chapter
Globalization of Economy and New Regional Order
1 Globalization of Economy and Regional Integration
2 Questions about Globalization and New World Order
3 Life in the 21st Century; Time of Global Issues
The Rises and Falls of Main Nations
Index(English)
Index(Japanese)




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・産業革命の記述~『世界史B』(東京書籍)より
・産業革命の記述~『詳説世界史』(山川出版社)より
・英文の記述~本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』(講談社)より
【補足】
・各国の産業革命について~浜林正夫『世界史再入門』より
・産業革命について~斎藤幸平『人新世の「資本論」』より






産業革命の記述~『世界史B』(東京書籍)より


産業革命について、『世界史B』(東京書籍)では、次のように述べている。

第15章 欧米における工業化と国民国家の形成
2 工業化による経済成長と社会問題の発生
【ヨーロッパの人口増加と農業革命】
 イギリス・オランダ・北フランスなど北西ヨーロッパを先頭に、西ヨーロッパでは、18世紀前半には休耕地を設けない輪作法など新農法が普及して農業生産力が増大し、家畜の品種改良ともあいまって食糧事情は好転した(農業革命)。貿易の拡大は大都市の経済を活性化させ、農村の一部には海外輸出を目的とした問屋制の手工業を発展させた。14世紀から猛威をふるってきたペストも、西ヨーロッパでは18世紀前半には姿を消した。こうした好条件のなかで、ヨーロッパ諸国の人口は持続的な増加局面に入った。人口の増加が穀物の需要を高めると、イギリスでは、大地主が村の共用地や小作地を囲いこんで大農場とし(第2次囲いこみ)、市場向けの大規模な穀物生産が発展した。小農や小作農は自分たちの農地や仕事を失い、大農場で農業労働者となるか、都市へ移住して工業化を支える工場労働者となった。
 
【イギリスではじまった産業革命】
 18世紀後半のイギリスでは、世界に先がけて工場における生産の機械化と動力化が開始された。産業革命(Industrial Revolution)の開始である。農村の余剰人口が工場労働者を準備する一方、マニュファクチュアによる時計工業などの飛躍的発展が、精密な機械をつくる技術を用意した。国内では立憲王政のもとで政治が安定し、自由な経済活動をさまたげる特権やギルド組織も除去され、意欲的な企業家があらわれていた。オランダやフランスとの覇権抗争での勝利や大西洋三角貿易は、産業革命の前提となる資本を十分に蓄積させ、原料や市場を世界規模で確保させた。
 インド綿布と同様の綿織物を自国でも生産したいという動機が、奴隷貿易で繁栄した港町リヴァプールに近いマンチェスターで綿工業を勃興させた。従来の主要産業であった毛織物生産のために開発された飛び梭が、18世紀後半には綿工業に応用され、さらに織布や紡績の機械が改良されていった。機械を動かすエネルギーは、18世紀にはまだ水力が主流であったが、ワット(Watt, 1736~1819)が改良した蒸気機関が自然力や人力をこえた新たな動力源を用意した。
 産業革命による機械化の進展は、機械をつくる機械工業やその素材を提供する製鉄業を発展させた。すでに18世紀前半には、木炭のかわりに石炭を加工したコークスを燃料とする製鉄法が、ダービーによって開発されていた。また、この時期のイギリスでは、十分な石炭と鉄鉱石が産出されていた。石炭は、蒸気機関の燃料ともなった。
 
<製鉄法>
はじめのうち製鉄で大量に用いられた木炭は、原料伐採による森林枯渇をもたらしていた。コークス使用によってこれがくいとめられ、19世紀からは森林復活に転換するが、石炭の活用は煤煙による大気汚染という別の環境破壊の原因となった。

【工業化と都市の発展】
 産業革命によって、農業ではなく工業が経済の主軸となる。しかしイギリスの産業革命は、18世紀中に完了したわけではない。綿工業では、はじめ紡績の機械化が急速にすすんだが、糸の供給が容易になったことで、かえって織布の家内手工業が発展した。織布においても機械制工場が圧倒するのは、1830年代以降であった。
 工業が経済の主軸として発展する一連の長期的過程を、一般的に工業化という。工業化は流通や消費のあり方も大きく変化させ、都市を発展させた。イギリスのリヴァプールやマンチェスター、バーミンガムのような商工業都市がその典型である。また機械制工場は、職人による自律的な手仕事ではなく、機械のリズムに適合した、時計の時間を単位として管理される労働形態を普及させていった。
 
【交通・運輸の革命】
 大量の原料や商品を運搬するために、18世紀から運河の建設や道路整備も推進された。
 1825年にスティーヴンソン(Stephenson, 1781~1848)が蒸気機関車を実用化すると、イギリスでは鉄道建設が急速にすすみ、19世紀半ばまでには鉄道網が完成した。同時期にはまだ幹線のみであった大陸諸国でも、19世紀後半には鉄道網の構築がすすんだ。鉄道建設は大量の鉄需要をもたらし、製鉄業をさらに発展させ、石炭業も成長した。また、1807年にアメリカ合衆国のフルトン(Fulton, 1765~1815)が開発した蒸気船は、19世紀半ばから急速に改良されて海上交通を発展させた。鉄道や汽船の進歩は世界各地の結びつきを迅速にし、人やものの動きを容易にしていった(交通革命)。
 
【産業革命の波及と新しい世界秩序】
 産業革命で先行したイギリスは、19世紀には「世界の工場」として、繊維製品のみでなく工作機械を含めた工業製品や資本輸出を武器に、世界経済の覇権を握った。他の国々は、先行するイギリスに対する経済的な従属や依存をさけるため、これに対抗して工業を発展させる必要にせまられた。とくに資本蓄積や技術革新の欠如、労働力の不足や国内市場の未成熟など、産業革命の前提が十分でなかった後発資本主義国では、政府による資本援助や保護関税などの助成政策によって、鉄道や機械などの重工業部門を中心に産業革命が推進された。
 ナポレオン戦争後に解禁されたイギリスからの機械と技術の輸出は、ベルギーやフランスで工業化を促した。しかしフランスでは、その進行は緩慢で、七月王政(1830~48)をへて製鉄業の発展した第二帝政期(1852~70)にようやく本格化した。ドイツでは、プロイセンが関税同盟による統一市場の形成をすすめた1830年代から、鉄道建設と軍備増強をテコにした重工業中心の産業革命がすすめられた。アメリカ合衆国では、1810年代のアメリカ=イギリス戦争(米英戦争)のころから機械化がはじまり、南北戦争期(1861~65)に北部で本格化した。アメリカ合衆国と統一後のドイツは、19世紀末に工業生産力ではイギリスに追いつき、追いこすまでに成長する。ロシアや日本では19世紀末から、国策による産業革命が推進された。
 19世紀を通じて欧米世界で展開した技術革新と工業化は、経済活動の世界規模での膨張と長期的な経済成長をもたらした。産業革命を達成した国々は、国際政治経済のなかで少しでも有利な位置を占めようと、国内体制の整備のみでなく植民地拡大にも力を入れるようになる。そのなかで世界は、パックス=ブリタニカ(イギリスのもとでの平和)といわれるようにイギリスを中心として、それを追いあげる一群の後発資本主義国と、さらにアジア・アフリカ・ラテンアメリカの周辺的諸国や植民地へと再編され、相互に関連しあう一体化がすすんだ。
 
【社会問題と労働運動の誕生】
 18世紀後半にイギリスのアダム=スミス(Adam Smith, 1723~90)は『諸国民の富』を著し、自由な経済活動と市場経済の発展を理論化した。自由主義の経済思想は、マルサス(Malthus, 1766~1834)やリカード(Ricardo, 1772~1823)らに受けつがれて今日の経済学の原型となり(古典派経済学)、政治的な自由主義とも結びついた。これに対してドイツのリスト(List, 1789~1846)は、後発資本主義国の立場から、国家による産業の保護育成の必要を唱え、のちの歴史学派経済学の先がけとなった。
 都市化が進行した19世紀のヨーロッパ諸国では、中流・上流の社会階層がコンサートやオペラ、演劇やバレエなどの芸術表現をはじめ、都市の娯楽や消費生活を楽しむようになった。そのいっぽう、労働者の場合には、住居をはじめとした生活条件は劣悪で、工場では安い労働力として10時間以上の労働を強いられた。とくに19世紀半ばまでは、工場の安全性が無視されていただけでなく、都市では、貧困や犯罪が問題となり、1830年代からくりかえし生じたコレラ流行に示されたような衛星問題が深刻になった。上下水道の整備は急務であった。また、犯罪を取り締まるための近代的な警察機構が、多くの国で組織されはじめた。
 都市の生活環境や労働のあり方をめぐる、さまざまな社会問題を重視した人々が、現状調査を開始した。さらには労働者を組織して、その生活や待遇の改善を求める運動が多様な形で推進されはじめたのも、19世紀であった。社会改良運動や、労働運動の誕生である。低賃金の長時間労働や劣悪な労働環境の改善、女性や児童の酷使の廃絶などが、緊急を要する重大な労働問題であった。

<総人口に占める都市人口の割合(%)> 
         1851年      1886年      1911年
 イギリス    52.2        69.4       78.1
 ドイツ     36.1        53.0       60.0
 フランス    25.5        35.9       44.2
(都市人口の増加 ベルトラン、グリゼ『フランスの経済成長 1815-1914』1988年)
(福井憲彦、本村凌二ほか『世界史B』東京書籍、2016年[2020年版]、268頁~272頁)

産業革命の記述~『詳説世界史』(山川出版社)より


『詳説世界史』(山川出版社)では、産業革命について、次のように述べている。

第10章 近代ヨーロッパ・アメリカ世界の成立1 産業革命
【世界最初の産業革命】
 工業中心の社会をうみだした産業革命は、まずイギリスでおこった。イギリスでは近世にはいって商工業が発達し、豊かな国内市場と有利な投資先を求める資本が用意されていた。また国家が重商主義政策をとり、17世紀後半にオランダ、18世紀にフランスをおさえて広大な海外市場を確保した。他方、市場向け生産をめざす農業が発達し、産業革命期に急増する都市人口を支えた。大地主は中小農民の土地や村の共同地をあわせて大規模な農地をつくり(第2次囲い込み)、すすんだ技術をもった農業資本家にこれを貸し出して経営させた(農業革命)。
土地を失った農民は、農業労働者や都市の工業労働者となった。さらにイギリスは、石炭・鉄などの資源にめぐまれ、また17世紀以来、自然科学と技術の進歩もめざましかった。
 このような条件がととのっていたイギリスでは、新しい生産技術が発明されれば、これを応用して工業生産の拡大に役立てることができ、18世紀後半に世界最初の産業革命を経験することになったのである。

【機械の発明と交通機関の改良】
拡大する市場に向けての大量生産を可能にする技術革新は、まず綿工業の分野で、マンチェスターを中心に始まった。従来イギリスのおもな工業は毛織物業であったが、17世紀末には、インドから輸入された、より軽い綿布の需要が高まった。綿布と、その原料である綿花は、大西洋の三角貿易で重要な商品となり、綿工業がイギリス国内に発達した。
1733年、ジョン=ケイ(John Kay, 1704~64頃)によって飛び杼が発明されると、綿織物の生産量が急速に増えて綿糸が不足した。その結果、ハーグリーヴス(Hargreaves, 1720頃~78)の多軸紡績機(ジェニー紡績機、1764年頃)、アークライト(Arkwright, 1732~92)の水力紡績機(69年)、クロンプトン(Crompton, 1753~1827)のミュール紡績機(79年)などがつぎつぎに発明され、良質の綿糸が大量に生産されるようになった。そこで再び織物機械の改良がうながされ、85年、力織機がカートライト(Cartwright, 1743~1823)によって発明された。また18世紀初めにニューコメン(Newcomen, 1663~1729)が蒸気力によるポンプを発明していたが、1769年にワット(Watt, 1736~1819)が蒸気機関を改良すると、これが水力にかわって紡績機や力織機などの動力として利用され、生産の効率をさらに高めた。
 このような紡績・織布・動力の諸部門における発明は綿工業を繁栄させ、資本家は多数の労働者を雇用する機械制の大工場の経営に乗り出した。それにともなって、機械を製造する機械工業、機械の原料である鉄をつくる鉄工業、蒸気機関や溶鉱炉で使われる石炭を生産する石炭業など、ほかの部門も飛躍的な発達をとげた。
大規模な機械制工業が発達すると、大量の原料・製品・石炭などをできるだけはやく安く輸送するため、交通機関の改良の必要がうまれた。18世紀後半には国内の輸送路として運河網が形成されたが、19世紀にはいると鉄道がこれにかわった。スティーヴンソン(Stephenson, 1781~1848)により1814年に製作された蒸気機関車は、25年に実用化され、30年にはマンチェスター・リヴァプール間の旅客鉄道が開通した。これ以後、鉄道は公共の陸上輸送機関として急速に普及した。また1807年には、アメリカ人フルトン(Fulton, 1765~1815)が蒸気船を試作した。こうして19世紀には交通・運輸の一大変革(交通革命)がおこり、世界各地を結ぶ産業・貿易・文化の交流発展に貢献した。
産業革命の結果、イギリスは良質で安価な工業製品を大量にヨーロッパ内外の市場で売りさばき、「世界の工場」の地位を獲得した。それは最初ヨーロッパ諸国の産業を圧迫したが、ナポレオンの没落後、イギリスが機械技術の輸出を解禁すると、まずベルギーやフランスに産業革命が波及した。

【資本主義体制の確立と社会問題の発生】
産業革命をとおして、イギリスは農業中心の社会から工業中心の社会(産業社会)に移行した。産業革命以前の工業は手工業に基づくもので規模も小さく、農家の家内工業やギルド制手工業が残存していた。ところが産業革命によって大規模な機械制工場が出現し、大量生産で安価な商品が供給されはじめると、従来の家内工業や手工業は急速に没落した。一方、大工場を経営する資本家(産業資本家)は経済の大勢を左右するようになり、社会的地位を高めた。こうして資本主義体制が確立した。
産業革命の結果、それまでの生活様式は激変し、伝統ではなく進歩こそが望ましいものとされるなど、人々の生活感情や価値観も大きく変化した。都市への人口集中の結果、たとえば、マンチェスター・バーミンガムのような大工業都市や、リヴァプールのような大商業都市がうまれた。大規模な工場で働く労働者は、規律正しく働くことを強く求められるようになり、また団結する機会が増えたことで、労働者階級としての意識にめざめて、労働組合を結成した。他方、分業がすすんで、女性や子どもも工場や鉱山で働くことが可能になったが、当時の資本家の多くは利潤の追求を優先して、労働者に不衛生な生活環境のもとでの長時間労働や低賃金を強制した。そのため労働者と資本家の関係は悪化し、深刻な労働問題・社会問題が発生する一方、社会主義思想など、その解決をめざす思想も誕生した。

<イギリス主要都市の人口(単位:万人)> 
都市名         1750年      1801年      1851年
 ロンドン       67.5        96.0       236.2
 バーミンガム     2.4        7.1         23.3
 リヴァプール     2.2        8.2         37.6
マンチェスター    2.0(1757年)    7.5         30.3
グラスゴー      ―         7.7        34.5
 ※産業革命期の商工業都市の急速な成長が明らかである。
(木村靖二ほか『詳説世界史 改訂版』山川出版社、2016年[2020年版]、241頁~245頁)

英文の記述~本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』(講談社)より


産業革命について、英文でみてみよう。

Chapter 15 Industrialization in the West and the Formation of Nation States
2 Industrialization and Social Problems
■Increase in European Population and Agricultural Revolution
In western Europe in the early 18th century, agricultural productivity grew by
encouraging new farming methods like the crop rotation system(輪作法). In addition to breed improvement of farm animals, food conditions changed for the better
(the Agricultural Revolution 農業革命) . Enlargement of trade stimulated the economy in major cities and some farming communities developed a wholescale handicraft industry
(問屋制手工業) to export abroad. The plague that spread from the 14th century disappeared in the midst of the 18th century in western Europe. Under favorable conditions, the population of Europe entered the sustainably increasing phase. Increase in population created increased demand for grain, and it caused large landowners to enclose common lands and crofts to make a large farm (second enclosure 第2次囲い込み),
and then large-scale grain production for market was developed. A large number of farmers
lost their jobs and lands. Some of them became agricultural laborers in larger ranches and
others became industrial laborers to support industrialization by moving to the urban areas.

■The Industrial Revolution in Britain
The world’s first mechanization and motorization of production in factories began in
Britain in the latter part of the 18th century. Surplus population prepared for the labor
force on the one hand, and on the other hand, rapid progress of the industry like the watch
industry by “manufacture(マニュファクチュア)” provided the skill to make accurate machines. In the domestic constitutional monarchy political stability was realized,
and aspiring entrepreneurs appeared by eliminating guild organizations which prevented free economic activity. Victory in the struggle for supremacy fully made accumulated capital which was prerequisite to industrial revolution, and secured the material and market on a global scale.
Motivation to domestically produce cotton textile equivalent in quality to Indian cotton
textiles created the cotton industry in Manchester(マンチェスター) near Liverpool, a port town which had prospered in the slave trade. The technology of flying shuttles(飛び梭) developed for the woolen industry which had been the main traditional industry was applied to the cotton industry in the latter 18th century, and moreover fabric cloth weaving
machines and spinning machines were improved. In the 18th century, hydro-power
was employed on many sites in Europe. However, the steam engine(蒸気機関) ameliorated by Watt(ワット) became a new power source surpassing the elemental power and human power.
Progress of mechanization by the industrial revolution(産業革命) developed the machinery industry which made machines and the steel industry to provide its material.
In the early 18th century, Darby had developed ironmaking process fueled by coke, which was processed from coal instead of charcoal. Fortunately Britain in this period produced sufficient coal and iron ore. Coal was also used as fuel for steam engines.

■Industrialization and Urban Growth
Through the industrial revolution, the manufacturing industry, not agriculture, became
a key factor of the economy. However the industrial revolution was not completed during
18th century. The cotton industry made rapid progress with spinning mechanization, but in
fact the domestic handicraft industry of fabric cloth developed since the supply of thread
became plentiful. It was sometime after the 1830s when the mechanical factory prevailed.
Generally, industrialization is referred to the long term process of the development of
industry to become a major factor of the economy. Industrialization significantly changed
the methods of distribution and consumption, and it made it easier for cities to develop.
Typical examples are industrial cities like Liverpool, Manchester, and Birmingham in
Britain. Moreover, mechanical factories spread labor patterns which were managed on an
hourly basis in order to conform laborers to the rhythm of machines, instead of self-reliant
handiwork by craft workers.

■Revolution of Traffic and Transport
From the 18th century canal construction and road improvement were promoted in order
to convey commercial products and materials for mass production.
After Stephenson put steam locomotives to practical use in 1825, railway construction
rapidly advanced in Britain and railway networks were completed by the middle of the
19th century. During the same period, nations on European continent had only artery
railways, but in the latter half of the 19th century construction of railways system advanced
Railway construction created large demand and developed the iron and coal industries.
Moreover, the steamboat developed by Fulton, an American, in 1807, was rapidly improved
from the middle of the 19th century, and improved marine traffic. The progress of railway
and steamboat connected the whole world, and it made the movement of people and goods
easier (the traffic revolution 交通革命).

■Spread of the Industrial Revolution and New World Order
Britain, which was given an advantage in the industrial revolution, gained world
economic hegemony as the “world factory(世界の工場)” due to export of not only textile products but also industrial products and capital. Other countries were driven by necessity
to develop their industry against Britain in order to avoid economic subordination. Many
less developed capitalist countries were unable to satisfy the condition of the industrial
revolution, especially due to their lack of capital and technological innovation, labor
scarcity and immature domestic markets. Consequently, each of such countries promoted
the industrial revolution with a focus on the heavy industry sector, like railways and
machines, subsidized by the government with capital assistance and protective tariffs.
Lifting a ban on export of machines and techniques from Britain after the Napoleonic
Wars encouraged industrialization in Belgium and France. However, in France its progress
was slow. After the July monarchy, and finally in the second imperial period when the
iron industry developed, the industrial revolution began to hit its stride. In Germany
from the 1830s when Preussen promoted building the common market by the customs
union, the industrial revolution was promoted focusing on the heavy industry with
railway construction and arms buildup as a driving force. In the United States of America,
mechanization began since around 1810s, and developed in earnest in the northern part
of the country during the period of the Civil War. At the end of the 19th century Germany
after the unification and the United States of America caught up with Britain in industrial
productivity, and developed to the point of overtaking Britain.
In Russia and Japan, from the end of the 19th century, the industrial revolution was
promoted by the national policy.
The technological revolution and industrialization advanced in the Western world led to
expansion of worldwide economic activities and long term economic growth through the
19th century. Countries which achieved industrial revolution made a strong effort not only
to improve and strengthen their domestic regime but also to enlarge colonies in order to
have an advantage over the international political economy. The world promoted unification centering around Britain, which was called Pax Britannica (peace under Britain パックス=ブリタニカ) . This led to reorganizing groups of the less developed capitalist countries which tried to catch up with Britain, groups of colonies, and other countries in Asia, Africa and Latin America.

■Social Problems and the Birth of Labor Movement
In the late 18th century, Britain’s Adam Smith(アダム=スミス) wrote The Wealth of Nations(諸国民の富), where he theorized free economic activity and development of market economy. Liberal economic thoughts succeeded by Malthus and Ricardo became prototype of economic today (classical school of economics 古典派経済学), and were also connected with political liberalism. In contrast to this, Germany’s Friedrich List stated the need for protecting and nurturing industry by the state as a less developed capitalist country. He became a pioneer for the historical school of economics(歴史学派経済学) in the future.
In the 19th century, when modernization progressed, middle and high social classes enjoyed urban entertainment such as concerts, opera, theater and ballet. On the other hand, laborers were in very poor life conditions including their dwellings. They were forced to work more than 10 hours a day at low wages in factories. Especially until the middle of the 19th century, not only the safety of factories was ignored, but also urban cities had problems with poverty and crime. Hygiene issues became more serious as shown in repeated cholera epidemics from the 1830s. It was urgently necessary to build the water and sewage systems. Many countries started to organize a modern police structure in order to control crime.
It was in the 19th century that people, who emphasized social problems(社会問題) such as the urban living environment and labor conditions, organized laborers and promoted a variety of movements to improve labor’s life and treatment. It was the birth of the social reform and labor movements. Urgent critical labor issue(労働問題) was to improve cruel working condition with low wages and long hours by working and to eliminate exploitation of women and children.
(本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』講談社、2017年[2018年版]、212頁~216頁)

各国の産業革命について~浜林正夫『世界史再入門』より


浜林正夫『世界史再入門』(講談社学術文庫、2008年[2012年版])は、ヨーロッパの各国の産業革命の特徴について、簡潔にまとめている。

第6章 資本主義の時代
1 産業革命
 17世紀に二度の革命をおこない、地主と資本家が中心を占める議会が権力を握ったイギリスでは、これまで生産力発展の障害となっていたギルド制や農村の共同体規制が最終的にとりはらわれ、国内市場や、植民地を中心とする海外市場も大きくひろがったので、新しい技術の開発もすすみ、1760年ごろから生産のめざましい発展がみられ、それに応じて社会の構造も大きく変化した。こういう技術革新による生産力の飛躍的発展とそれにともなう社会の変化のことを産業革命という。
 産業革命における技術革新は「道具から機械へ」という点に中心があった。道具というのは人間が直接に作業機を動かすもので、イギリスでは16世紀の中ごろから労働者を一カ所にあつめ、分業と協業によって生産を拡大する新しい経営方式が生まれていたが、ここではまだ機械は使われず、技術的には道具にたよっていたので、こういう経営は工場制手工業(マニュファクチュア)とよばれる。これにたいして機械というのは動力を使い、この力を作業機につたえてこれを動かすもので、風力や水力も一種の動力であるが、人間がつくりだす動力(産業革命期には蒸気、のちに電気、原子力)を用いるようになったところに産業革命のさいの技術革新の中心があった。
 産業革命のトップをきったのは綿工業であった。イギリスには毛織物産業の長い伝統と技術の蓄積があり、これにアメリカ合衆国南部で生産されるようになった綿花という豊富で安い原料が結びついて、イギリスの原綿消費量は1780年代に5倍近くにふえ、1790年から1840年までにさらに約15倍にふえた。これにつづいて製鉄業と石炭業が発展し、また工作機械の発明によって機械産業がおこり、さらに鉄道と蒸気船によって運輸交通の面でも交通革命といわれるほどの技術革新がおこった。
 産業革命によってイギリスは農業国から工業国へ転換し、イギリスの農業人口は1820年にすでに国民の3割以下となった。人口の都市集中がはじまり、環境破壊も目立つようになった。しかし産業革命の最大の産物は労働者階級の誕生である。農民や手工業者は没落し、土地をとりあげられ、他人に雇われて賃金をもらって働く以外に生活することのできない労働者となり、19世紀のはじめには労働者が国民の過半数を占めるようになった。
 イギリスにつづいてフランスやドイツでも産業革命がはじまった。しかしこれらの国ぐにやそれ以後に工業化にふみだした国の場合には、イギリスとの競争という圧力のなかで、多かれ少なかれ、封建制の遺物をかかえたままの工業化であったので、イギリスのような生産力の順調な発展をとげることはできなかった。フランスでは革命のさいに農民解放がイギリスよりも徹底しておこなわれたために多くの自作農が生まれ、このため農業国からなかなか脱しきれず、ドイツでは1807年にはじまる農民解放がきわめて不徹底なものであったので、ユンカーというプロイセンの地主が大きな勢力をもちつづけ、工業の発展はなかなかすすまなかった。ロシアや日本の産業革命はさらにおくれ、20世紀以降のこととなる。
 こうしてイギリスは世界最大の工業国となり、「世界の工場」とよばれるようになった。19世紀の中ごろ、イギリスは世界の石炭総生産量の3分の2、鉄の半分、自家消費用以外の綿布の半分を生産し、世界のすみずみにまでその製品を売りさばいていた。世界中のおもな国ぐにの鉄道もイギリスの資本と技術でつくられた。世界の経済はイギリスを中心としてまわるようになり、ポンドが世界通貨となった。19世紀の終わりまでに世界の主要資本主義国は金本位制を採用するようになったが、それはイギリスがまず金本位制をとってポンドと金を結びつけ、その他の国ぐにへもこれをおしつけたためであった。
(浜林正夫『世界史再入門』講談社学術文庫、2008年[2012年版]、176頁~180頁)

産業革命について~斎藤幸平『人新世の「資本論」』より


斎藤幸平氏は、イギリスの産業革命について、現在の気候危機と関連させて、独自の“斎藤節”で論じている。その一部を紹介しておこう。
資本主義の生み出す希少性とコミュニズムがもたらす潤沢さの関係を説明するのに役立つのが、マルクスであると、斎藤幸平氏は理解している。
『資本論』第一巻の「本源的蓄積」論を紹介している。

▶「本源的蓄積」が人工的希少性を増大させる
 「本源的蓄積」とは、一般に、主に16世紀と18世紀にイングランドで行われた「囲い込み(エンクロージャー)」のことを指す。共同管理がなされていた農地などから農民を強制的に締め出したのだ。
 なぜ、資本は「囲い込み」を行ったのか。利潤のためだ。利益率の高い羊の放牧地に転用したり、あるいは、ノーフォーク農法のような、より資本集約度の高い大土地所有の農業経営に切り替えたりするために、囲い込みは実施されたのである。
 暴力的な囲い込みによって、住まいと生産手段を喪失した農民は都市に仕事を求めて流れ込んだ。そうした人々が、賃労働者になったとされる。囲い込みが資本主義の離陸を準備したのである。(中略)
 本当は、この囲い込みの過程を「潤沢さ」と「希少性」という視点からとらえ返したのが、マルクスの「本源的蓄積」論なのである。マルクスによれば、「本源的蓄積」とは、資本が<コモン>の潤沢さを解体し、人工的希少性を増大させていく過程のことを指す。つまり、資本主義はその発端から現在に至るまで、人々の生活をより貧しくすることによって成長してきたのである。
 まずは歴史をさかのぼって、この仕組みを詳しく説明していきたい。

▶コモンズの解体が資本主義を離陸させた
 第四章のゲルマン民族やロシアの農耕共同体の議論でも触れたが、前資本主義社会においては、共同体は共有地をみんなで管理しながら、労働し、生活していた。そして、戦争や市場社会の発展によって、共同体が解体されてしまった後にも、入会地や開放耕地といった共同利用の土地は残り続けた。
 土地は根源的な生産手段であり、それは個人が自由に売買できる私的な所有物ではなく、社会全体で管理するものだったのだ。だから、入会地のような共有地は、イギリスでは「コモンズ」と呼ばれてきた。そして、人々は、共有地で、果実、薪、魚、野鳥、きのこなど生活に必要なものを適宜採取していたのである。森林のどんぐりで、家畜を育てたりもしていたという。
 だが、そのような共有地の存在は、資本主義とは相容れない。みんなが生活に必要なものを自前で調達していたら、市場の商品はさっぱり売れないからである。誰もわざわざ商品を買う必要がないのだ。
 だから、囲い込みによって、このコモンズは徹底的に解体され、排他的な私的所有に転換されなければならなかった。(中略)
 一方、生活手段を失った人々は、多くは都市に流れ、賃労働者として働くよう強いられた。低い賃金のため、子どもを学校に行かせることもままならず、家族全員が必死に働いた。それでも、高価な肉や野菜は手に入らない。食材の品質は低下し、入手できる品の種類も減っていく。時間も金もないので、伝統的な料理レシピは役立たずのものとなり、ジャガイモをただ茹でたり、焼いたりする料理ばかりになっていったというわけだ。生活の質は明らかに落ちたのである。
 ただ、資本の観点からは、様子が異なる。資本主義とは、人々があらゆるものを自由に市場で売買できる社会である。土地を追われた人々は生きるための手段を失い、自分の労働力を売ることで貨幣を獲得し、市場で生活手段を購買しなければならなくなった。そうなれば、商品経済は一気に発展を遂げることになる。こうして資本主義が離陸するための条件が整ったのだ。

▶水力という<コモン>から独占的な化石資本へ
 土地だけではない。資本主義の離陸には、河川というコモンズから人々を引きはがすことも重要であった。河川は飲み水や魚を提供するだけのものではない。その水は、潤沢で、持続可能で、しかも、無償のエネルギー源だったのだ。
 イギリスの産業革命は、石炭という化石燃料と切り離すことができず、そのことが現在の気候危機にもつながっていることを背景に考えてみると、水力の無償性は、非常に興味深い。
 つまり、なぜ無償の水力が排除されたのか、という問いが浮かんでくる。どうやら、ここでも、希少性の問題がからんでいそうだ。潤沢なものを排除し、特定の場所にしか存在せず、それゆえ独占可能で、希少な資源をエネルギー源にすることが、資本主義の勃興に欠かせなかったのだ。
 この点を理解するのに役立つのが、マルクス主義の歴史家アンドレアス・マルムの『化石資本』(2016年)である。マルムは、なぜ人類が水力を捨てたのかを資本主義との関連で説明してくれる。(中略)
 マルムによれば、この移行を説明するためには、「資本」を考慮に入れる必要がある。当時の企業が化石燃料を採用するようになったのは、単なるエネルギー源としてではなく、「化石資本」としてなのだ。
 石炭や石油は河川の水と異なり輸送可能で、なにより、排他的独占が可能なエネルギー源であった。この「自然的」属性が、資本にとっては有利な「社会的」意義をもつようになったというのである。
 水車から蒸気機関へと移行すれば、工場を河川沿いから都市部に移すことができる。河川沿いの地域では労働力が希少であるがゆえに、資本に対して労働者が優位に立っていた。けれども、仕事を渇望する労働者たちが大量にいる都市部に工場を移せば、今度は資本が優位に立つことができ、問題は解決する。
 資本は、希少なエネルギー源を都市において完全に独占し、それを基盤に生産を組織化した。これによって、資本と労働者の力関係は、一気に逆転したのだ。石炭は本源的な「閉鎖的技術」だったのである。
 その結果、水力という持続可能なエネルギーは脇に追いやられた。石炭が主力になって生産力は上昇したが、街の大気は汚染され、労働者たちは死ぬまで働かされるようになった。そして、これ以降、化石燃料の排出する二酸化炭素は増加の一途をたどっていったのだ。
(斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社新書、2020年[2021年版]、236頁~242頁)




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