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≪古文の読解と問題~藤井貞和『古文の読みかた』より≫

2024-02-29 19:00:01 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪古文の読解と問題~藤井貞和『古文の読みかた』より≫

【はじめに】


  今回のブログでは、引き続き、次の参考書をもとに、古文の読解と問題について見ておく。
〇藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]
 前回では、主語の省略という古文の特徴と文法事項を解説したので、今回は、「Ⅲ古文を読む」以降の項目を説明しておきたい。
 出典としては、『源氏物語』『紫式部日記』『かげろふ日記』である。
 そして、『徒然草』からの試験問題も添えておく。
 最後に、古文学習の目的と『源氏物語』の現代語訳について藤井貞和先生の考えをまとめられた「古文学習と現代語訳」について、紹介しておく。
 ところで、大河ドラマ「光る君へ」では、藤原道長の父である藤原兼家(段田安則)が権力をもった高級貴族として描かれている。
 藤井貞和先生も言及されているように、『かげろふ日記』(『蜻蛉日記』)の作者の夫にあたる人が、藤原兼家である。藤井先生は、高級貴族の当時の婚姻形態について解説しておられる。
 『蜻蛉日記』の作者はふつう藤原道綱(道長の異母兄、上地雄輔)の母とされる。藤原道綱母の実名は、紫式部同様に、伝えられていないので、大河ドラマでは「寧子(やすこ)」という名で、財前直見さんが演じていた。『蜻蛉日記』の作者であることも紹介されていた。
 周知のように、『蜻蛉日記』の題名は、「なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心地する、かげろふの日記といふべし」との記載に由来する。蜻蛉とは、空気が揺らめいて見える「陽炎」(かげろう)から名付けられた、儚くもか弱く美しい昆虫のことでもある。
 藤井先生は、『かげろふ日記』で道綱母と子どもとのエピソード的な話(飼っていた鷹について)を紹介しておられる。



【藤井貞和『古文の読みかた』はこちらから】

古文の読みかた (岩波ジュニア新書 76)






藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書
【目次】
はじめに
Ⅰ 古文を解く鍵
1 古文はどのように書かれているか
2 主語の省略
3 話し言葉としての敬語
4 最高敬語から悪態まで
5 丁寧の表現について
6 係り結びとは何だ
7 係り結びが流れるとき
8 助動詞のはなし――時に関する助動詞を中心に
9 人は推量によって生きる――推量の助動詞
10 助詞の役割

Ⅱ 古文の基礎知識
11 受身について――る・らる(1)
12 ”できない”ことの表現――る・らる(2)
13 使役と尊敬――す・さす・しむ(1)
14 助動詞による尊敬表現――す・さす・しむ(2)、る・らる(3)
15 尊敬表現のまとめ
16 謙譲表現のまとめ
17 敬語の実際――二方面敬語
18 「打消」の方法――助動詞「ず」など
19 希望の表現――まほし・たし
20 仮定(ば・とも・ども・その他)と仮想(まし)
21 推量の助動詞「らし」と「べし」
22 推量の「めり」と伝聞の「なり」
23 断定の助動詞「なり」と「たり」
24 比喩をめぐって――ごとし・やうなり
25 格助詞とは――「に」を中心に
26 接続助詞とその周辺
27 副助詞いろいろ
28 係助詞とその周辺(1) ――ぞ・こそ・なむ
29 係助詞とその周辺(2) ――や・か・は・も
30 終助詞、間投助詞、並立助詞

Ⅲ 古文を読む
31 説話文
32 事実談
33 寓話
34 物語文(1)
35 物語文(2)
36 日記文(1)
37 日記文(2)
38 万葉集
39 軍記物
40 批評文
41 徒然草(試験問題から)
42 古文学習と現代語訳
付編
さくいん
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、v頁~viii頁)




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・32 事実談~『源氏物語』(帚木の巻)より
・35 物語文(2)~『源氏物語』より
・36 日記文(1)~『かげろふ日記』より
・37 日記文(2)~『紫式部日記』より
・41 徒然草(試験問題から)
・42 古文学習と現代語訳





古文を読む 32 事実談


Ⅲ 古文を読む 32 事実談
〇つぎは事実談である。
 男たちが集まって、昔つきあっていた女のことを語りあう場面で、頭中将(とうのちゅうじょう)という人が語る体験談の一部。
 有名な「雨夜のしな定め」である。

 親もなく、いと心細げにて、さらば(a)この人こそはと、事にふれて思へるさまも、らう
たげなりき。かうのどけきにおだしくて、久しくまからざりしころ、この見たまふるわ
たりより、情けなくうたてあることをなん、さる便りありて、かすめ言はせたり(b)ける、
後にこそ聞きはべりしか。(『源氏物語』帚木の巻)

問一 傍線部(a)の「この人」とはだれですか。
問二 傍線部(b)の「ける」について、説明しなさい。

【現代語訳】
親もなく、じつに心細げな生活状態で、それならばこの人を頼みにしようと、何かに
つけて思っている様子も、かわいい感じだった。こんなに女がおとなしいことに安心し
て、長らく参らずにいたころ、こちらの、愚妻のあたりから、思いやりに欠けた、不快
なことですが、あるつてがあって、それとなく言わせてあったのだそうで、そのこと
をあとになって、聞きました。

※古文は、しばしば主語が省略される。
 とくにこれは談話であるから、どんどん主語は省略される。
 このはなしのなかで話題になっている人物は何人いるのか。
 話し手もいれて、三人である。
 なぜ話し手もいれるのかというと、事実談だからである。
 話し手の体験談であるから、当然、話し手は登場人物の一人になる。
 事実談であることは、助動詞「き」がたくさん使われていることによって知られる。
 「き」がたくさん使われているのに、一箇所だけ「けり」が使われているのは、なぜか。
 これが問二の問題である。
 
 親もなく、いと心細げにて、さらばこの人こそはと、事にふれて思へるさまも、らう
たげなりき。かうのどけきにおだしくて、久しくまからざりしころ、この見たまふるわ
たりより、情けなくうたてあることをなん、さる便りありて、かすめ言はせたり(b)ける、
後にこそ聞きはべりしか。

・先の文章で、助動詞「き」(連体形は「し」、已然形は「しか」)で、話し手の体験談であることを示している。
 「き」は、目撃した過去の事件を、たしかに見た、と証言する助動詞。

・「親もなく、じつに心細げな生活状態で、それならばこの人を頼みにしようと、何かに
つけて思っている様子も、かわいい感じだった」というのは、話し手の男(頭中将)が、女の様子をたしかに見て、それはかわいい感じだった、といっている。
 問一の「この人」はだれか、ということであるが、女が頼りにしたのはだれかといえば、話し手であるこの男以外にはありえない。(問一の答、頭中将)

・問二の「ける」は、「き」「し」「しか」のなかにたった一つだけまじっている「けり」(の連体形)である。
 「き」「し」「しか」は目撃したことをあらわす。
 それにたいして、「けり」は、目撃していなかったことがらをあらわす。
 つまり、男の本妻のほうから、新しい女へ、脅迫やいやがらせがあったことを、男は、知らなかったのである。
 知らなかったから、「けり」でそのことをあらわした。
 あとから知ったので、そのときは知らなかったのだから、伝承をあらわす「けり」をここだけ使うのは当然である。
 問二の説明は以上になる。

※このように、「き」と「けり」とは、はっきり使い分けられていた。
 なお、「この見たまふるわたり」は、男の本妻のことをさしている。
 「たまふ」(下二段)は謙譲をあらわす語で、自分の妻のことであるから、へりくだって言った。

〇先の本文には、いくつも形容詞や形容動詞とが出てきている。
<形容詞>
・なく→なし 久しく→久し のどけき→のどけし (情け)なく→なし おだしく→おだし
<形容動詞>
・心細げに→心細げなり らうたげなり→らうたげなり
※形容詞も形容動詞も、活用する語であるから、本文のなかでは、かならずなんらかの活用形としてあらわれる。
 →の右は終止形であるが、終止形もまた活用されている状態をいうのであるから、厳密にいうと、「なし」「のどけし」「心細げなり」という言いきりのかたちは、英語の不定詞にあたるものと言うべきであろう。
 活用の種類に、形容詞はク活用とシク活とがあり、形容動詞はナリ活用とタリ活用とがある。
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、156頁~159頁)

物語文(2)『源氏物語』


〇35 物語文(2)『源氏物語』
光源氏が紫上と出会って、彼女を盗む、という『源氏物語』若紫の巻をひらくことにする。

※姫君を盗む、とは、男の境遇や身分と、女の境遇や身分とが、格段の差のある場合に成立する結婚形態で、物語のなかでは非常に好んで使われたようだ。
 例の光源氏が、少女の紫上(むらさきのうえ)をつれ出した(『源氏物語』若紫の巻)というのもそれで、四年後、光源氏は紫上と結婚し、生涯をともにすることになった。
 女にそれなりの後見(うしろみ)や経済力があれば、盗みという結婚は成立する必要がなく、通い婚や住みという結婚形態をとったり、男が家を経営して女を迎えたりするのがふつうのことであった。(167頁)

紫上をはじめて見かける、きわめて有名な箇所であるが、このような有名な箇所こそ、じっくり読んでほしいという。

 清げなる大人二人ばかり、さては童べぞ出で入り遊ぶ。中に、十ばかりにやあらむと
見えて、白き衣、山吹などのなえたる着て、走り来たる女子、あまた見えつる子どもに
似るべうもあらず、いみじう生ひ先見えて(a) うつくしげなるかたちなり。髪は扇をひろげ
たるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。
(尼君)「何ごとぞや。童べと腹立ちたまへるか。」とて、尼君の見上げたるに、(b)すこし
おぼえたるところあれば、子なめりと見たまふ。(紫上)「雀の子を(c)いぬきが逃がしつる。
伏籠のうちに籠めたりつるものを。」とて、いと口惜しと思へり。このゐたる大人、「例
の、心なしの、(d)かかるわざをして、さいなまるるこそ、いと心づきなけれ。いづ方へか
まかりぬる。いとをかしうやうやうなりつるものを。(e)烏などもこそ見つくれ。」とて立
ちてゆく。
(中略)
 尼君、「(f)いで、あな幼や。言ふかひなうものしたまふかな。おのがかく今日明日にお
ぼゆる命をば、何とも思したらで、雀慕ひたまふほどよ。罪得ることぞと常に聞こゆる
を、心憂く。」とて、「(g)こちや」と言へば、ついゐたり。  (『源氏物語』若紫の巻)

問 傍線部(a)~(g)を現代語訳しなさい。
(a) いかにもかわいらしい顔だちである。
 ・「うつくし」は「かわいらしい」、「うつくしげなり」は「いかにもかわいらしい」」という感じである。
 ・「かたち」は主に容貌について言う。

(b) すこし似ているところがあるので、子であろうとご覧になる。
 ・「おぼゆ」に注意する。「子であろう」というのはあくまでのぞき見している光源氏の判断で、本当は孫娘なのであった。

(c) いぬきが逃がしちゃったの。
 ・「いぬきが逃がしつる」の「つる」は連体形。
  これは連体形止めの言いかたによって、余情を出しているところ。
 ・このあとの「いづ方へかまかりぬる」の「ぬる」は、「いづ方へか」と呼応した連体形止めで、「どこへ(今ごろ)行ってしまっているのか」と言っている。

(d) こんな不始末をして、わたしたちが責められるのは、ほんとにいやなことだわ。
 ・さいなまれるのは、(1)いぬき、 (2)大人たち、のいずれとも考えられるところだが、いちおう、大人たちとみた。

(e) 烏なんかが見つけでもしたら大変です。

(f) まあ、なんと幼いことを。
 ・「いで」も「あな」も感動詞。「あな」に続く形容詞は語幹だけになり、「幼(をさな)」となる。
 ・シク活用の形容詞は、例えば「うらやまし」は、そのまま語幹だから、「あなうらやまし」と言う。「幼し」はク活用の形容詞。

(g) 「こちらへ」と言うと、女の子は膝をついてすわっている。
 ・「ついゐる」は、「つきゐる」が音便化したもの。

【登場人物】
・登場人物を整理しておくと、まずこの場面をのぞき込んでいる光源氏がいる。
 光源氏が視点人物である。
 場面には、大人(成人の女房のこと)が二人、「童べ」(女の子)が何人か、それに幼い紫上
と紫上のおばあさんにあたる尼君、以上がいる。
・紫上は「十ばかりにやあらむ」(十歳ぐらいであろうか)と書かれているが、あくまでのぞき見している光源氏から見た第一印象だから、ほんとうの年齢をあらわしているかどうかはわからない。

(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、167頁、168頁~171頁)

36日記文(1)~『かげろふ日記』より


〇36日記文(1)『かげろふ日記』
日記文学からの例文。
・平安時代の日記文学といえば、女性が、じぶんの生涯を回想して書いたものを主にさす。
 この日記の書き手である女性には、十四、五歳の男の子が一人いる。
 夫は思うようにたずねてきてくれない。
 この男の子は鷹をだいじに飼っているが、その鷹をどうしたのだろうか。
(さきの幼い紫上(『源氏物語』若紫の巻)は、雀が逃げたといって大さわぎしていた)

 つくづくと思ひつづくることは、なほいかで心として死にもしにしがな、と思ふより
ほかのこともなきを、ただこのひとりある人を思ふにぞ、いとかなしき。(a)人となして、
うしろやすからん女に預けてこそ、死にも心安からんとは思ひしか。いかなる心地して、
さすらへんずらんと思ふに、なほいと死にがたし。「いかがはせん。(b)かたちをかへて、
世を思ひはなるやと、心みん。」とかたらへば、まだ深くもあらぬなれど、いみじう、
さくりもよよと泣きて、「さなりたまはば、まろも法師になりてこそあらめ、なにせん
にかは、世にもまじろはん。」とて、いみじくよよと泣けば、われもせきあへねど、い
みじさに、たはぶれに言ひなさんとて、「(c)さて鷹飼はでは、いかがしたまはむずる。」と
いひたれば、やをら立ち走りて、しすゑたる鷹を、握りはなちつ。
                              (『かげろふ日記』中)

問一 傍線部(a)の内容を説明しなさい。
問二 傍線部(b)「かたちをかへて」は、どういうことを指しますか。
問三 傍線部(c)について、この日記の書き手は、子どもに、なぜこのようなことを言ったのですか。

【解説】
・『かげろふ日記』の作者の夫にあたる人は、藤原兼家(かねいえ)という当時の高級貴族。
 まず、高級貴族はなぜ妻を何人も持っていたか、説明している。
 高級貴族の男は、A女と結婚し、その女のもとに通う。A女は懐妊し、出産する。つぎにB女と結婚し、その女のもとにも通う。B女は懐妊し、出産する。するとC女と結婚し、その女のもとにも通う。C女は懐妊し、出産する……。模式的にいうと、こんな感じだった。
 高級貴族の男としては、次期政権を担当する勢力を身につけるために、できるだけたくさんの子女が欲しい。そのために、多くの女性を妻として、子どもを生ませようとする。A女もB女もC女も、正式の妻だった。懐妊や出産を見とどけてから新しい女性関係をつくり出す、というのがルールのようだった。

・『かげろふ日記』の作者が、藤原兼家と結婚したとき、兼家にはすでに子どもの何人もいる時姫という先妻がいた。
 でも『かげろふ日記』の作者は、美貌だったようだし、子どもは男の子一人(道綱)しかできなかったけれども、子どものあるなし、多い少ないは正妻レースの必要条件でもなかったらしくて、男に迎えいれられる可能性はいちおう彼女にもあった。
 実際は、藤原道長など優秀な人材をたくさん生んだ先妻の時姫がレースのトップを走りつづけ、『かげろふ日記』の作者は(他の女性たちとともに)敗色濃くなっていく。
 つまり、兼家は、だんだん通ってこなくなり、道綱一人をかかえて、彼女の苦悩は深くなる一方である。死んでしまいたい、と思ったり、尼になろうかしら、と考えたりするようになる。
先の本文はそんな苦悩する彼女をめぐる一エピソードである。

・傍線部(a)は、死んでしまいたい、と思う『かげろふ日記』の作者が、あとにのこすことになる道綱のことを心配するところで、「人となして」とは、元服させ、成人にして、ということである。
 「うしろやすからん女に預けて」という表現は、バックのしっかりした女性を配偶者にして、それに道綱の身柄を託して、ということであるが、面白い表現だと思う。
 結婚は、男にとって、女が拠り所であった、という一面をこの表現は語っている。
 傍線部(a)の現代語訳を施しておこう。
「道綱を成人させて、バックの安定しているような女に託してはじめて、死んでも安心であろう、とは思った」

・傍線部(b)「かたちをかへて」は、出家すること。女性であるから、尼になること。

・傍線部(c)は、母親が「尼になる」というと、子どももまた、「それならぼくも法師になろう」という、そのいじらしさに耐えられなくて、冗談のようなことをあえて言おうと、「もし出家したら鷹を飼うことはできないが」ということを前提にして、「法師になって鷹を飼わないとして、あなたはどうなさるおつもりですか(がまんできますか)」と聞いているところである。
 母が子に敬語を使っているが、不思議ではない。
 道綱は、出家のときの妨げにならないように、飼っている鷹を放してしまった。
 そんなに急いで放してやらなくてもいいのに、いじらしいことである。
 (藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、172頁~175頁)

37 日記文(2)~『紫式部日記』より


〇37 日記文(2) ~『紫式部日記』より

日記文学から。
紫式部は、中宮彰子(しょうし)のお座所から退出する途中、ひょいと弁の宰相の君という女房の部屋をのぞいて、彼女の寝姿を見てしまう。

 上より下るる道に、弁の宰相の君の戸口をさしのぞきたれば、昼寝し給へるほどなり
けり。萩・紫苑、いろいろの衣に、濃きが打ちめ心ことなるを上に着て、顔は引きいれ
て、硯の筥に枕して伏し給へる額つき、いとらうたげになまめかし。絵に描きたる物の
姫君の心地すれば、口おほひを引きやりて、「物語の女の心地もし給へるかな。」といふ
に、見あげて、(a)「もの狂ほしの御さまや。寝たる人を、心なくおどろかすものか。」とて、
すこし起きあがり給へる顔の、うち赤み給へるなど、こまかにをかしうこそ侍りしか。
おほかたもよき人の、をりからに、またこよなくまさるわざなりけり。(『紫式部日記』)

問一 紫式部はなぜ弁の宰相の君を起こしたのでしょうか。思うところを、三百字以内の
文章にしなさい。
問二 傍線部(a)を口語訳しなさい。

※紫式部は、『源氏物語』の作者である。
 物語の作者の名は、ふつう、わからないが、『源氏物語』の場合、幸いなことに、紫式部がその大部分を書いたことが知られていて、そればかりか彼女は『紫式部日記』という貴重な日記文学をのこしてくれた。

問一は、なぜ弁の宰相の君(宰相の君)を起こしたのか、という問題である。
 どう答えたらいいのだろうか?
 「思うところを、三百字以内の文章にしなさい」という作文ふうの問題になっている。
 こういう問題を、愚問であると批判する人がいる。つまり、ぴったと一つの答えを出せないような問いを、作文ふうの設問にしているのはおかしい、あるいは、「思うところを」書け、というのだから、どう書いてもよく、したがって採点などできないはずだ、という批判である。
 その批判はあたっているだろうか?
 数学では、ある範囲をあらわせ、という問題がある。領域を示せ、という問題である。
 答えが計算題のように一つないし数個出てくることもあるが、その一方、答えが無数にあってそれを広がりとしてとらえればよい、という問題もある。その場合はどうするか。あてはまる条件を数えていって、限定できる範囲をあらわせばよい。
 国語の問題には、ぴたっと答えを一つに出せないのや、「思うところを」書け、という作文ふうの問題がしばしばあるが、数学でいえば広がりを求めている、範囲の問題である。かなり慎重に計算しなければならない。数学における計算力にあたるものが、国語における作文力である。思うところをはっきりと表現できる力が作文力であるという。

 問一の、あてはまる条件を数えてみよう。
 まず宰相の君はどのような寝姿だったか。萩とか紫苑とかいうのはすべて重ねの色目(いろめ)である。さまざまな色を重ねた袿(うちぎ)を着て、上には濃紅色のとくに光沢の美しい打衣(うちぎぬ)をつけ、その中にうずもれるように顔を引きいれて、硯筥(すずりばこ)を枕に仮眠している。額ばかりが見える。美しく着飾った女性の、はっとする美しさである。その寝姿を「いとらうたげになまめかし」と表現している。
 その寝姿を見たとき、紫式部は何と思ったか。これがつぎの条件である。
 「絵に描きたる物の姫君の心地」がした、という。「物語の女の心地もし給へるかな」とも、はっきり言っている。つまり「絵に描きたる物の姫君」とは、「物語の女」と同じであることを見ぬいてほしい。当時の物語は、よく絵本になっていた。宰相の君は物語絵本に描かれる美しい姫君にそっくりだったのである。寝姿を見たとき、物語絵本からぬけ出してきた姫君かと思って、はっとした、というのである。
 第三の条件として、紫式部が『源氏物語』という物語の作り手であることを、ぜひ思いおこしておこう。
 第四の条件は、起こされた宰相の君が、紫式部のことを「もの狂ほしの御さまや」と言っているので、よほど紫式部の行動が異常な感じのものであったことに注意する。

(問一の解答例)
弁の宰相の君の盛装したままで仮眠する姿は、いかにもあいらしげで、はっとする美しさを持っていた。紫式部は、それを見た瞬間、物語絵本からぬけ出てきた姫君かと思わずにはいられなかったのである。物語作者として、そのような美しさは、物語のなかにこそ苦心して描かれるものであった。その物語的な美しさに、現実において出会った瞬間の異常ともいえる興奮を、ここに読みとることができる。もしかしたら紫式部は、物語のなかに描かれるべき美しさが現実に存在することを、許せず、激しく拒否したかったのかもしれない。そのような、あってはならない現実を壊そうとして、宰相の君を乱暴に起こしてしまったのではなかろうか。
(291字)
※この答案は、解答者の意見を前面に出した一例である。10点満点の8点ぐらいか。満点をとる必要はないとも著者はいう。

問二の口語訳は、現代語訳と同じことである。
 「物狂いのような御様子だわ。寝ている人を思いやりなく起こすなんて。」
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、176頁~179頁)

41 徒然草(試験問題から)


41 徒然草(試験問題から)
〇昭和59年度の共通一次試験から、古文の問題をかかげておく。

・次の文章を読んで、後の問い(問一~六)に答えよ。(配点 30)
 世には、心得ぬ事の多き(ア)なり。ともある毎には、まづ、酒を勧めて、強ひ飲ませたる
を興とする事、いか(イ)なる故とも心得ず。飲む人の、顔いと堪へ難げに眉をひそめ、人目
を測りて捨てんとし、逃げんとするを、捉へて引き止めて、(a)すずろに飲ませつれば、う
るはしき人も、忽ちに狂人となりてをこがましく、息災(ウ) なる人も、目の前に大事の病者
と(エ) なりて、前後も知らず倒れ伏す。祝ふべき日などは、(b)あさましかりぬべし。明くる日
まで頭痛く、物食はず、によひ臥し、生をへだてたるやうにして、昨日の事覚えず、公・
私の大事を欠きて、煩ひとなる。人をしてかかる目を見する事、慈悲もなく、礼儀にも
背けり。かく辛き目に逢ひたらん人、ねたく、口惜しと思はざらんや。人の国にかかる
習ひあ(オ) なりと、これらになき人言にて伝へ聞きたらんは、あやしく、不思議に覚えぬべ
し。
 人の上にて見たるだに、心憂し。思ひ入りたるさまに、(c)心にくしと見し人も、思ふ所
なく笑ひののしり、詞多く、烏帽子ゆがみ、紐外し、脛高く掲げて、用意なき気色、日
来の人とも覚えず。女は額髪晴れらかに搔きやり、まばゆからず顔うちささげてうち笑
ひ、盃持てる手に取り付き、よからぬ人は、肴取りて、口にさし当て、自らも食ひた
る、様あし。声の限り出だして、おのおの歌ひ舞ひ、年老いたる法師召し出だされて、
黒く穢き身を肩脱ぎて、目も当てられずすぢりたるを、興じ見る人さへうとましく、憎
し。或はまた、(d)我が身いみじき事ども、かたはらいたく言ひ聞かせ、或は酔ひ泣きし、
下ざまの人は、罵り合ひ、争ひて、あさましく、恐ろし。恥ぢがましく、心憂き事のみ
ありて、果ては、許さぬ物ども押し取りて、縁より落ち、馬・車より落ちて、過ちしつ。
物にも乗らぬ際は、大路をよろぼひ行きて、築泥・門の下などに向きて、えも言はぬ事
どもし散らし、年老い、袈裟掛けたる法師の、小童の肩を押さへて、(e)聞こえぬ事ども言
ひつつよろめきたる、いとかはゆし。
 かくうとましと思ふものなれど、(f)おのづから捨て難き折もあるべし。月の夜、雪の朝、
花の本にても、心長閑に物語して、盃出だしたる、万の興を添ふるわざなり。つれづれ
なる日、思ひの外に友の入り来て、とり行ひたるも、心慰む。馴れなれしからぬあたり
の御簾のうちより、御果物・御酒など、よきやうなる気はひしてさし出だされたる、い
とよし。冬、狭き所にて、火にて物煎りなどして、へだてなきどちさし向かひて、多く
飲みたる、いとをかし。旅の仮屋、野山などにて、「(g)御肴何がな。」など言ひて、芝の上
にて飲みたるもをかし。(h)いたう痛む人の、強ひられて少し飲みたるも、いとよし。よき
人の、とり分きて、「今ひとつ。上少なし。」などのたまはせたるもうれし。近づかまほ
しき人の、上戸は、ひしひしと馴れぬる、またうれし。
 さは言へど、上戸は、をかしく、罪許さるる者なり。酔ひくたびれて朝寝したる所を、
主の引き開けたるに、惑ひて、惚れたる顔ながら、細き髻差し出だし、物も着あへず
抱き持ち、ひきしろひて逃ぐる、搔取姿の後ろ手、毛生ひたる細脛のほど、をかしく、
つきづきし。

(注)〇によひ臥す――うめきながら横たわること。〇すぢる――身をくねらせること。
 〇搔取姿の後ろ手――裾をちょっとたくしあげたうしろ姿。


問一 傍線部(a) (b) (e) (f) (g)の語句の意味として最も適切なものを、次の各群の①~⑤のうちから、それぞれ一つ選べ。
(a) すずろに
①むやみやたらに
②落ち着きがなく
③ひとごとだと思って
④何度も何度も
⑤思いがけない折に

(b) あさましかりぬべし
①自分でもおかしい姿と思うにちがいない
②たぶんなさけない思いだったろう
③きっとみっともないことになりそうだ
④ひょっとするとあきれたことになりそうだ
⑤さだめし嘆かわしいことであったろう

(e) 聞こえぬ事ども言ひつつ
①口の中でぶつぶつと小さな声で言いながら
②わけの分からぬことを言いながら
③よく聞こえないぞなどと言いながら
④うわさに聞いたことを声高に言いながら
⑤宴席で言上したことをくどくどと言いながら

(f) おのづから
①万一
②自分から
③いつのまにか
④時には
⑤考えようでは

(g) 御肴何がな
①酒の肴は何があるか
②酒の肴が何かほしいなあ
③酒の肴など何でもいい
④酒の肴が何もないのか
⑤酒の肴は何がいいだろう

問二 傍線部(ア)~(オ)の「なり」「なる」のうち、次の【例文】の「なる」と同じ用法のものはどれか。次の①~⑤のうちから、一つ選べ。
【例文】竹取泣く泣く申す、「この十五日になむ、月の都よりかぐや姫の迎へにまうで来なる。」
(「竹取物語」)
①多き(ア)なり ②いか(イ)なる ③息災(ウ)なる ④病者と(エ)なり ⑤習ひあ(オ)なり

問三 傍線部(c)「心にくしと見し人も、思ふ所なく笑ひののしり、」の解釈として、次の①~⑤のうちから、最も適当なものを一つ選べ。
①圧倒されるほどすばらしいと思っていた人も、ばか笑いをしたり人の悪口を言ったりし、
②何となく虫が好かないと思っていた人も、遠慮会釈もなく大声で笑ったり騒ぎ立てたりし、
③立派な人だと思っていた人も、何の思慮もなくなり別人のように人を嘲笑したりし、
④しかつめらしく憎らしい人だと思っていた人も、気取りを捨てて大声で笑ったり罵り声をあげたりし、
⑤奥ゆかしいと思っていた人も、何の分別もなく笑ったり騒ぎ立てたりし、

問四 傍線部(d)「我が身いみじき事ども、かたはらいたく言ひ聞かせ、」の解釈として、次の①~⑤のうちから、最も適当なものを一つ選べ。
①自分の方で起こった風変わりな出来事を、おおげさに語って聞かせ、
②自分の不幸せな運命を、聞いている者がめいってしまうほどに語って聞かせ、
③自慢話を、聞いている者が聞き苦しく感じるほどに語って聞かせ、
④自分の事や世の中の変わった出来事を、こっけいに感じられるほどに語って聞かせ、
⑤聞き手自身のすぐれている点を、聞いていてつらくなるほどに語って聞かせ、

問五 傍線部(h)「いたう痛む人の、強ひられて少し飲みたるも、いとよし。」の解釈として、次の①~⑤のうちから、最も適当なものを一つ選べ。
①たいそう心を痛めている人が、うさばらしにと酒を強く勧められて、少しばかり飲んでみるのも、大変よいものだ。
②体の加減のひどく悪い人が、酒は百薬の長だからなどと勧められて、少し飲んでみる様子も、大変よいものだ。
③大変恐縮しきっていた人が、酒を強く勧められて少し飲み、次第にくつろいでゆくのも、大変よいものだ。
④日ごろ敬遠している相手から、酒を強く勧められて少し飲んで、次第にうちとけてゆく様子も、大変よいものだ。
⑤ふだん酒をひどく苦手にしている人が、時に人から強く勧められて少しばかり飲んでいる様子も、大変よいものだ。

問六 次の①~⑤は、本文について説明したものである。最も適当なものを一つ選べ。
①費やしている文章の量は前二段に多く、「あさまし」「心憂し」などにもうかがえるように、酒の害を説くところに全体の主題があらわれている。
②第二段落末の形容詞「かはゆし」は、酒の徳を説く第三段落の内容とも通じ合い、前半と後半とをつなぐものになっている。
③第三段落冒頭に「……なれど、……もあるべし。」とあるように、酒の害と酒の徳とを合わせて説く筆者のかたくなでない姿勢がうかがえる。
④前半では「あさまし」「心憂し」などと酒の害を説いているが、「いとよし」「またうれし」などと酒の徳を説く後半に筆者の主張がある。
⑤「かくうとましと思ふものなれど」と始まる第三段落に対して、第四段落では「さは言へど」と再び逆接的に書き起こされ、酒の害を説く第一・第二段落の主張にもどっている。

以上が、問題文である。
『徒然草』(百七十五段)が出典となっている。



【解答】
※なぜそのような解答になるか、辞典を片手に、よく調べてみてほしいという。
問一 
(a) すずろに①
(b) あさましかりぬべし③
(e) 聞こえぬ事ども言ひつつ②
(f) おのづから④
(g) 御肴何がな②

問二 ⑤
問三 ⑤
問四 ③
問五 ⑤
問六 ③


【著者の補足】
〇『徒然草』について
・『徒然草』はすぐれた古文の入門書であるとともに、人生を見つめた軽妙な筆致が、どこを読んでもわれわれをとらえてはなさない。
 生涯の伴侶となるべき古典の一つである。
 古典の名にふさわしい書物とは、長く読まれつづけて、人生の意義をおしえ、また指針をあたえてくれるものことであろう。『徒然草』は古典のなかの古典である。

・人生の達人といってよい四十台の兼好法師の書いたこの古典の中の古典である『徒然草』は、若者がぜひ入門書としてひもとくべきものであるが、それで終わってはならないので、あくまで入門であり、準備を終えたというだけのことである。
 読者は成長しながら、二十台にも、三十台にも、そして四十台にも、『徒然草』をひもとくといい。読むたびに深まった読書体験をうることになろう。
・すぐれた古典入門書はと聞かれたら、古来読まれつづけてきた『徒然草』や『枕草子』を第一にあげることにためらいはない、と著者はいう。

・『徒然草』百七十五段は、酒の害とともに酒の興趣をも説いて、今日にもそのまま通用しそうな内容である。
 かなりの長文なので、問題文は一部が省略されている。それでも長文であるが、四つの段落ごとに、趣旨をよく読みとってほしい。
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、192頁~203頁)

42 古文学習と現代語訳


・昔の古文を現代人が読むということは、古文から現代への、一方的な交通、一方的な伝達にすぎないのだろうか?と著者は問いかけている。
 コミュニケーションという言葉と、その意味を、知っているはずである。
 伝達とは、このコミュニケーションのことなのである。
 communicationのcom-は、“お互いに”“共通の”ということを意味しているが、そのとおり、昔の古文がわれわれ現代人に伝達されるということは、けっして一方的におこなわれるのではなく、現代人からも積極的に古文にたいして、はたらきかけることによってはじめて成りたつ、コミュニケーションとしてある。
 古文と、現代人とが、対等に向きあい、対話する関係である、といったらいい。
 では、どのように現代人から古文へはたらきかけるのか?
 本書で重視してきた現代語訳(口語訳)は、その試みの一つであるという。
 古文が正確に理解できるということを、現代人が実際に紙と鉛筆とを使って証明する、それが現代語訳のしごとであるとする。



さて、『源氏物語』桐壺の巻の引用を、本書ではこのように訳文をあたえておいた。

【訳文】
中国にも、こうした発端からこそ、世も乱れてひどいことになったのだったと、だんだん、世間一般にも、おもしろからぬ厄介種(やっかいだね)になって、楊貴妃の例をも引き合いに出しかねないほどになってゆく事態に、まことにいたたまれない思いのすることが多くあるけれど、おそれ多い帝の御愛情のまたとないことを頼みにして、宮仕えなさる。

※ぎこちない訳文だが、正確さを優先させたと著者はいう。

・『源氏物語』は、与謝野晶子や谷崎潤一郎といった、近代の歌人や作家が、現代語訳を試みている。最近のものでは作家の円地文子(えんちふみこ)も現代語訳を完成させた。
(いずれも文庫本になっており、手にはいりやすくなっている)

・与謝野晶子の現代語訳を見ると、つぎのようになっている。
 唐の国でもこの種類の寵姫(ちょうき)、楊家の女(じょ)の出現によって乱が醸(かも)されたなどと蔭ではいわれる。今やこの女性が一天下の煩(わざわ)いだとされるに至った。馬
嵬(ばかい)の駅がいつ再現されるかもしれぬ。その人にとっては堪えがたいような苦しい雰囲気の中でも、ただ深い御愛情だけをたよりにして暮らしていた。
(『全訳 源氏物語』上、角川文庫、昭和46年版)

※なかなか流麗な、味わいの現代文になっているという。

・谷崎潤一郎のほうはどうか?
 唐土(もろこし)でもこういうことから世が乱れ、不吉な事件が起ったものですなどと取り沙汰をし、楊貴妃の例なども引合いに出しかねないようになって行きますので、更衣はひとしお辛いことが多いのですけれども、有難いおん情(なさけ)の世に類(たぐい)もなく深いのを頼みに存じ上げながら、御殿勤(ごてんづと)めをしておられます。
(『潤一郎訳源氏物語』一、中公文庫、昭和48年版)

※こちらは“です”“ます”調の文体になっているが、晶子訳にくらべて、『源氏物語』の本文にかなり忠実な訳文であることが、ざっと読んでみるだけで明らかだろう。
 晶子訳は大胆な意訳で、潤一郎訳はかなり忠実な意訳である。
 意訳であることには変わりはない。

※高等学校の教科書では、二年生ぐらいになると、『源氏物語』の一部を勉強する。
 桐壺の巻か、若紫の巻か、あるいは夕顔の巻かをおそわることになる。

☆もっとたくさん読みたいと思ったらどうするのか?
 『源氏物語』全体は五十四巻あるといわれている。その全部を読みたいと思ったらどうするか?
 与謝野晶子の訳した『源氏物語』を読んだらいい。あるいは、谷崎潤一郎の訳した『源氏物語』を読んでみるとよい。また円地文子の訳した『源氏物語』(新潮文庫に入っている)を読むのもいい。他にも現代語訳はある。
 晶子訳がいいか、潤一郎訳がいいか、文子訳がいいか、それはまったく好みの問題。
 いずれも、訳者が、精魂こめて『源氏物語』に取りくんだものであって、どの一つを取りあげても、『源氏物語』であることにちがいはない。
 くれぐれも、原文を読まなければ『源氏物語』を読んだことにはならない、などと思わないように、と著者はいう。現代語訳を読んでも、りっぱに『源氏物語』を読んだことになる。
 つまり、『源氏物語』の全体を読みたいと思って、すぐれた近代の歌人や作家の作った現代語訳を読んだことによって、現代人から古文の世界へ積極的にはたらきかけたのである。
 コミュニケーションを成しとげたことになるという。

・ただし、条件があるという。
 コミュニケーションは伝達であるから、媒介になるものがかならずある。
 その媒介物が、『源氏物語』の原文にほかならない。原文の実態をまったく知らないではすまされない。原文の一部を学ぶことによって、その実態をおおよそ理解できるようにしておきたい。必要があれば、現代語訳のもとになった原文に立ちかえって、たしかめることができるようにしておきたい、とする。
⇒これがわれわれの、古文を直接学習しようとする目的なのであると著者は強調している。

・晶子訳は大胆に意訳しており、原文にある敬語などを省略して、ダイナミックな『源氏物語』にした。潤一郎訳は、原文に忠実のようでも、ときに原文にない説明を加えるかと思うと、敬語はやはり省略したりして、現代人に読みやすい『源氏物語』にしている。
・原文の実態は敬語もあり、さまざまな助動詞や助詞の使いわけもあるので、われわれはひととおり学習して、古文の特徴をだいたい知る必要があるという。
 だから、皆さんの試みる現代語訳は、学習のためだから、ぎこちなくていいので、正確であることを心掛けてほしいと著者はいう。敬語を省略してはいけない。助動詞や助詞を訳し分けてほしい。
 
※本書は、「はじめに」でも述べたように、
Ⅰ 古文を解く鍵
Ⅱ 古文の基礎知識
Ⅲ 古文を読む
の三段階に分けて、その古文の特徴を、平易な叙述のなかにも、深く掘りさげて解説している。
敬語の理解につまずいたり、助動詞や助詞の訳し分けがわからなくなったら、該当するページに何度でも立ちもどって、研究してほしいという。
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、204頁~208頁)


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