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電影フリークス ~映画のブログ~

電影とは、映画のこと。その映画を一緒に楽しみましょう。

江島

2011-08-30 00:00:00 | その他・研究

江島の部屋へようこそ(笑

少し前に『少林英雄榜』(79)を観て以来チャン・タオが面白いなと思って、その時の彼を思い出すたびクスクスとひとりで笑ってます。

 

邵氏作品にも多数出場、じゃなかった出演しているチャンタオですが、独立プロのカンフー映画にも、うれしい事にしょっちゅう登場してましたね。
さて、彼は70年代後半『少林英雄榜』などに登場してあのキャラを作り上げるまでにどんな経験をしてきたのでしょう。
主役を張れるような人物ではなかったようですが、役者としての才能もきっとありますよね。

70年頃に俳優をスタートした台湾出身の彼は1942年生まれ。(現在は69歳になっていると思います。)最近『七十二家房客』でも元気な姿を見せていたのでホッとしていました。また例によって彼の作品を洗ってみようと思います。

コメント (4)
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七十年代倉田作品のすべて

2011-08-28 00:00:00 | その他・研究

香港そして台湾で活躍した数少ない日本人の倉田さん。
倉田さんはなぜ邵氏にはいったのでしょうか?入ったというと語弊がありますがつまり契約のことです。
70年のとある日、帝国ホテルに来ていた邵氏のランランショウが若手の俳優を探していた。そして東映にいた倉田保昭はオーディションを受ける。

自伝には何も書かれていなかったけど、倉田さんは最善を尽くしたに違いない。結果は見事オーディションをパスして香港でのデビュー作『悪客』に出演するのである。
その後、南海影業の二本を経て、韓国ロケした『四騎士』へ出演。これも邵氏の作品です。 その国内盤DVDが発売されたと聞いたときはとても嬉しくなりました。(私はこの四騎士がリリースされたのは倉田さんの出演作だからこそできたのだなぁと確信しています。)ここで倉田さんはしばらく邵氏から離れることになります。

呉思遠関連については以前記事を書きました。
それにしても73年頃が一番多忙な時期だったんじゃないでしょうか。

ここに一枚の写真があります。

呉思遠と契約する倉田さん


この時、富国影業と契約して、呉思遠が熱望した『餓虎狂龍』に出演しました。
この契約が倉田さんの映画人生でとても大きな出来事だったんじゃないかなと思っています。倉田さんが過去共演したスターを振り返ってみると本当に凄いメンツなのです。その共演スターを再確認にしながら70年代の凄さを総まくりしてみたいと思います。

『悪客』(1971) いきなりデビッド・チャンとティ・ロンと共演。チェン・チェ監督とも共演できましたね。  

   これが倉田さんの香港映画初出演シーンだ!

『小拳王』(1971) メンフェイ、ラウ・コンと共演。

     倉田さんのヌンチャク・アクション!!

『四騎士』(1972) チェン・カンタイと共演。

四騎士劇中でテレビに映った倉田さん


『方世玉』(1972) メンフェイ、王青と共演。子供のころ見たこの倉田さんの悪役は強烈だった。

      古いファンはやっぱりコレですね。


『餓虎狂龍』(1972)   陳星とはじめて共演。

   まだやっぱり若いね。


『猛虎下山』(1972)     続いて陳星と共演。

 白の衣装がビシッと決まった倉田さん。この頃眼光が鋭くなる

『麒麟掌』(1972) ユニコーン・チャン共演

 麒麟掌で倒される倉田さん


『爬山虎』(1972)   「子連れドラゴン女人拳」の孫嘉林と共演。  
両手両足で壁のぼりしちゃう倉田さんが登場

『英雄本色』(1973) そして、台湾でついにジミーさんと共演!!! 

   濃い3人(笑)。薄い、濃い、中くらいの順。

『[走旱]盡殺絶』(1973)  陳星、上官霊鳳、エディー・コー共演。

   銀行のトップの倉田さん

『死對頭』(1973)金剛と共演

この金剛との作品、結構好きかなぁ。

 

『女英雄飛車奪寶』(1973)上官霊鳳と共演。
この時の上官霊鳳とってもかわいらしいので一番好き。    


『怒髮衝冠』(1973) アラン・タン共演

 先日亡くなったアランタンとも。

『大小通吃』(1973)これは豪華。 黄元申、フーチン、シー・フォン共演。(黄元申の”申”は甲羅の甲によく勘違いされます。)

     黄元申とのバトルがインパクト大。 

『黒豹』(1973) 陳星と共演

 港で陳星とバトル

    
『除暴』(1973)  江彬共演。 出番殆ど無し。  
多忙だったんでしょうねぇ。スーツでチラッと出演。

『強中手』(1973)  マニアックな田野と共演

    自伝に貴重なカラー写真が載ってましたね。


『飛虎小霸王』(1973)王冠雄、シルビア・チャン共演作。
シルビア・チャンのデビュー作。

川原を投げる、投げまくる倉田さん。

『雙面女殺星』(1973)  上官霊鳳と金剛と共演

 この組み合わせも多いですね。

    
『虎拳』(1973)   陳星との共演。   出演シーンは少ないけど龍飛を魯平と一緒にブンなぐっていました。
 ちょっと笑顔の倉田さん

『両虎悪鬥』(1973) 金剛と共演。

   Tシャツ姿が印象的でした。

 
『大小游龍』(1973) 上官霊鳳、金剛と共演。おなじみの鄭富雄なんかも。

最近、知野さんもブログを書いてましたね。

『狼對狼』(1973) 陳強と共演。

  倉田さんの出番少ない。陳強と戦う。

  
『神龍小虎闖江湖』(1973)  ブルース・リャン共演。この「帰って来たドラゴン」のブルース・リャンがやっぱり有名ですねぇ。   
 黄韻詩さんとツーショット

『金三角龍虎門』(1974) チャンリーと共演。フィリピンでの撮影。

     ナイトショーのぼよよーんにうっとり


『香港小教父』(1974)  またまたブルース・リャン

    大舞台・ローマでの格闘!!

『大追蹤』(1974)   ハン・インチェと共演。これはうれしかったのかな。

長い顔のチョイ・ホンさんとも。

『神拳飛龍』(1974)   もちろん、ブルース・リャン。(あと、ヤン・スエなど) 

得意の素早い蹴り。これが好き!!  

『方世玉大破梅花椿』(1977) メンフェイとラウ・カーウィンと共演。

日本人らしい日本人役


『旋風方世玉』(1977) メンフェイ、譚道良と共演。クレジットはしっかりあるけど、冒頭だけチラッと出演

 挿入だから共演とは言えないかも。

『傳奇方世玉』(1977)  同じくメンフェイ、譚道良と共演。

 これも復讐のドラゴンからの流用     

『中華丈夫』(1978) 劉家輝、そして劉家良とも共演。劉家輝の話は確か倉田さんの著書・交友録にも無かったね。

  カニ拳を見せた倉田さん

   
『撈家撈女撈上撈』(1978)  ブルース・ライと共演。カンロク出てきた高遠も目立ってましたけど。

   龍方と対決する倉田さん(右:龍方)

『猛男』(1978) チャーリー・チャンと共演。at インドネシア

  この頃もなかなかかっこいい。

以上、80年代以降も倉田さんの活躍は続きますが、とりあえず70年代までをざっと書いてみました。

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跳灰

2011-08-22 00:00:00 | その他・研究

『跳灰』JUMPING ASHは1976年、「ザ・ポップマン」の監督であるレオン・ポーチがイギリスで映画を勉強した経験から放った第1弾である。(広東語音声)
香港新浪潮(香港ニューウェーブ)の先駆けとして知られている本作だが、こちらのウィキペディアを読むと、イムホーのところに『夜車』なんてものあって驚いた。
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E6%B8%AF%E6%96%B0%E6%B5%AA%E6%BD%AE

主題曲は当時流行っており”大丈夫”や”問我”といった曲もyoutubeなどでは現在視聴可能となっている。
【参考】こちらは海外のブログより
http://suling213.blogspot.com/2010/05/blog-post.html

刑事物も流行していた香港で、社会問題になっていた麻薬をテーマに主役の刑事(嘉倫)が組織と対決する。
本作ではオランダロケを敢行。リアルな映画作りで、当然アメリカの刑事ものを意識している。陳星とチャーリー・チャンが出演しているが、やはり注目は嘉倫か。

オランダと言えばコレ

また、共同で監督そして製作や脚本にも関与したジョセフィーン・シャオが花を添えている。


競馬場のシーン。これは香港かな?
そうだ、そうだ。これを見て思い出した。邵氏などのカメラマンだった西本正さんが、競馬場のシーンを「MrBOO!ギャンブル大将」と何かの映画と掛け持ちで撮影したとかって話を思い出した。確かハーベストの映画を撮っていてその映画のタイトルを思い出せなかったとか。(あれはなんだったっけ?)

スラムの九龍寨城の嘉倫さん

冒頭、キャストは3人だけクレジットされていた。陳星とチャーリー、ジョセフィーンの3人だ。
なのでこの2人の対決はやはりこの映画では一番の見所になっている。

いいねぇ、この2人。


ラストのクレジット。こんなのもいいね。

執行製片にはあのロニー・ユーが。

武術顧問がチャーリーになってる。

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ブルースリャンの初武術指導

2011-08-11 00:00:00 | その他・研究

ブルースリャンは、70年代はじめ、ある映画ではじめて武術指導という役目をつとめることになります。

ちょっと、その前に先日の『達摩五形拳』ですが、その方面に詳しい方々からメールをもらいまして詳細不明でした『達摩五形拳』の詳細が判明しました!(メールを送って頂いた皆様。どうもありがとうございました。)
結論としては、ブルースリャンは出演していないという事。そして『達摩鐵指功』とは一応別映画であるということです。
これらの貴重な情報はすべてデータベース上に登録、蓄積させておきたいと思います。(これが皆さんのための共有資源になりますので。)英語版のトレジャーオブブルースリーも海外ショップなどで是非購入してみたいと思います。(まだ買えるかな?)

ではここから本題に。ブルースがはじめて武術指導をした作品とは何か?陳星vs倉田の『餓虎狂龍』?それともパイ・インの『黄色殺手』? いえいえ違うんです。

ブルースリャンにもこの時期はこの会社というその時々の遷移、移り変わりというものがあると思うのですが、呉思遠の目に止まる前、つまり邵氏での作品が最初であるはずですよね。武術指導をするからには、まして邵氏のような大会社であれば必ずクレジットされると思います。

私の考えでは72年の『林冲夜奔』がそうではないかと。72年といっても実際は72年の早い段階で撮影してますのでこの『林冲夜奔』の武術指導が最も早いという考えです。
 これがおそらく初のクレジット
この映画の冒頭で、ルイス・ファンのお父様ファン・メイサン(水滸伝で有名な魯智深の役)が大暴れして目立ってますが、その場面で見せるリャンのとても地味〜な出演場面です。 
 一番右:リャン

表情もぽか〜んとしてどっかに行っちゃっているような感じです(笑)。空手のチャンピオンなのにね。
いやいや、でもこのリャンが魅せるギャップが最高ではないですか。実力を隠して、武術指導は叔父さんと共同作業、おまけに出演まで。(で、そのうち呉思遠の目に止まる)

面白いのでリャンについてもう少し続きますが、最近続いているネタであります香港カンフースター濃い人物編。つぎに登場する濃いスターはやはり陳星がいいですかね(爆。

 

 

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BLと陳星の『達摩五形拳』とは?

2011-08-09 00:00:00 | その他・研究

70年代を通して武術指導家としても活躍していたブルース・リャン。
龍の名の付く男としては、龍の付く大スターとの比較は避けられなかった。
ブルースリーとの共演はなかったけれども、ジャッキーチェンとしっかり共演していた(これが微妙なタイミングでの共演なんですよね!)

倉田さんとの共演作などについては次回にでも回すとして、今回は標題のとおり”ある作品について”です。

70年代の後半を整理していて、実はどうしても気になってしまった事があるのです(笑)。台湾時代に陳星とは一緒に仕事をしているのですが、80年に陳星と共演したという『達摩五形拳』についてのなのです。

英語ではTREASURE OF BRUCE LEE. 会社は英珊というところ。
製作会社を分析すると何か分かるかも知れない。
『達摩五形拳』はポスターによればP.T.INSANTRA FILM(=英珊影片)
という会社で作られているようだ。


 rjtというマークも見えます。

 
別の映画のオープニングから。
ジャカルタ、香港、マニラ、アメリカという都市と国がごっちゃの何といい加減なのだろう(笑)。

現在『達摩五形拳』は東方影業という会社が権利を握っているようですが、他に『忠烈精武門』(77)『霹靂龍拳』(78)『金殺手』(81)なども製作している会社です。

これらを見ていると要するに、『達摩五形拳』は『達摩鐵指功』(78)のことではないのかな?? (というか、スッキリするからそうだといいなぁというのが率直な感想なのだが。)

トレジャーオブブルースリーは私自身見た事が無く、本当にブルース・リャンが出ているのか分からないのですが、出ていたとしても『達摩鐵指功』に出演シーンを付け足したのでは?というのが私の勝手な予想です。(どなたか御存知の方、いらっしゃいませんか?)

ほかにも陳星との共演が意外に多かったので↓に列記しておきます。
【参考】共演リスト
『名單』(72)
『餓虎狂龍』(72)
『猛虎下山』(73)
『趕盡殺絶』(73)
『雙龍出海』(73)
『瘋拳癲腿』(79)
『龍門豪客』(79)
-------------------------
『瘋拳癲腿』は威霊公司の作品で戚冠軍も参加しています。『龍門豪客』は、つい最近になって香港影庫でも追加された韓国作品のようです。ということで陳星とは79年頃にまた一緒に出演するようになっています。

瘋拳癲腿より
 
つづく

 

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梁小龍のフィルモグラフィー研究

2011-08-07 00:00:00 | その他・研究

ブルース・リャンのフィルモグラフィーを研究してみると、
武侠片エキストラ(70~71)
武術指導&端役時代(72~73)
「帰ってきたドラゴン」以降の倉田保昭とともに歩んだスター時代(74~76)
思遠影業以降のカンフー作品出演時代(77~83)
ホラー作品出演時代(80年代後半)
カンフーハッスル以降(2000年代)
現在に至る

例えば大きくこんな感じの分類が出来ますね。

但し空白の時期があって、その時はテレビの方の仕事をしていたり
90年代など、どうしていたのか不明な長期のブランクがあったりします。
ブルース・リャンのクラスになると出演作品総数も50本を超え、
整理するのはかなり大変ですね。

こちらのウィキペディアによれば、ブルース・リャンは1948年4月8日生まれ。本名:梁財生。
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%81%E5%B0%8F%E9%BE%8D
(通説では武術指導家として邵氏に入ったと言われている。ここではその記述は見られない。また、69年には空手選手権でチャンピオンになっているらしい。)

彼のデビュー作を是非とも知りたいのですが、毎度のことながら公称のデビュー作もハッキリしませんので非公式に一番古い出演作品を探し出さなければならなくなってしまっているのが難点というか、そもそもプロフィ-ルが曖昧ですね。

60年代の武侠片が見当たらないが、梁小松の動きを追っていけば見つかる可能性もあるでしょうね。(もしかしたら『天劍絶刀』(67)あたりがそうなのかも知れない)

上記のサイトでとりあえず筆頭に挙がるのが、70年の『斷魂刀』と『神劍游龍』
となっており、『神劍游龍』をまずは確認してみる。

うーん、これは確認できないな。
(でも収穫はコレ) 

 『神劍游龍』右端にいるのはサモハン?

いまのところ邵氏の『鍾馗娘子』(70)が確認済みですが、これが最古の作品となるのではないでしょうか。(『鍾馗娘子』は70年のはじめ頃より製作)
シーズーに斬りかかる梁小龍

つづく

 

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ブルース・リャンとラリー・リーの共通項

2011-08-06 00:00:00 | その他・研究

ブルース・リャンとラリー・リーは『黒帯空手道』の他に同じ映画で共演したことがあるのでしょうか?

正解は思い浮かばなくてNoだと思ったらYesでした。。。

早速kungfu‐sionシステムでチェックしてみましょう。

結果はこちら。

未公開ばかりですが、『黒帯空手道』と併せて4本のカンフー作品がヒットしました。いまのところは(爆)。

見たことない作品ばかりですが、共演した時期はある期間に集中しているようです。この時期(実質1年くらい?)だけ一緒に仕事をしていた様に見える。しかも会社はバラバラで(笑)。

単なる偶然なのか、気が合つてしまってしばらく共演して一年後にまた分かれたのか、ホントのところどうしてなのか気になりますが、実際に2人の様子を確かめてみたくなります。

当サークルの巨大ストレージに眠るファイルをサーチしてみると幸運にもすべて見つかりました。残念ながらオンラインじゃありませんが(涙)、瞬時に再生できるので超便利です。(見たいものがすぐに再生できると便利だと思います)

まず興味をひくのが『過江龍獨闖虎穴』(78)ですが
ノラミャオが77年頃にかかわったということでどうしても『蛇鶴八拳』と比較してしまうが、これはアクションシーンがあって良かった(笑)。まったくアクションなしのもあるからね。

 ほらこの通り。


ラリー氏は空手じゃありませんけど(髪型がやっぱり『黒帯空手道』のときに似てますね)

  ノラさんとのツーショット
残念ながらリャンはやられちゃうんですが。

つぎの『黄飛鴻四大弟子』(77)です。これが一番古く多少地味ですが、ただの映画でないところがさすがのブルースリャンですね。
林世栄ということでお約束の肉屋が登場。
 必ず肉屋なんだよね(笑


ラリー氏のカンフーは赤いトンファーなんかも使ってなかなかのカンフーアクションを披露。
 トンファーが冴える!!

これは、ぜいたくな絵ですね(笑)。

黄飛鴻4大弟子の面々。これなら最強か!?

参考までに、劉家勇が77年と比較的早い時期に洪拳道場の門下生として登場してます。これも見逃せないポイントですね。


最後の『廣東十虎』は78年後半の作品だけあってなかなかのクオリティで
リャンが蹴って蹴って蹴りまくる気分爽快の楽しい作品です!
監督は『黄飛鴻四大弟子』に引き続き魏海峰でブルースリャン主演でもう1本撮ってたんですね。(出演者も近いものがあります。)
時代劇カンフーでちょっとカツラがアレですが(笑)、前作と随分イメージが変わってます。

広東十虎の一人である蘇乞兒役の韓國材が酔拳を見せてました。

 この時期、ホント酔拳が流行っていました!

次回はブルース・リャン周辺に注目してみようかなと思います。

 

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台湾ニューシネマ『光陰的故事』

2011-07-31 07:00:00 | その他・研究

80年代に入ってとある映画が製作されました。香港のショウブラザースと
台湾の中影が共同製作した『辛亥雙十』(81)です(監督は丁善璽)。


実はこの映画は豪華キャストを使ったにもかかわらず台湾で全く受けず興収的にも大失敗に終わっています。
なぜ失敗してしまったのか。
簡単に言ってしまえばこんな話ではないだろうか。
ニクソンショックで世界が揺れた71年頃、諸事情により台湾では反日感情が高まった。政策映画、戦争映画などが量産されるようになり香港でも人気のあった
カンフー映画も大量に作られた。
70年代は台湾でこのような映画、それを真似た作品が長く続いていた事で
観客が飽きてしまったことが、80年代に入ってからの台湾での映画離れを生じさせた1つの要因ではないかと思います。(でもそんな悲運の映画でも、ティ・ロンやチェン・カンタイなどかなり豪華キャストであるのでどんな映画なのか見てみたくなりますよね)

そして『辛亥雙十』の失敗でどん底に落ちてしまった台湾映画界で、新しい監督・脚本家を起用し、財政難となっていた中影が低予算で打ち出したのが『光陰的故事』In our time(82)でした。一般人、子供を多数出演させた台湾ニューシネマの幕開けとなった作品です。

2007年に開かれた第20回東京国際映画祭でもしっかり上映されているのに
シルビア・チャンがこの4話からなるオムニバス作品に出演していた事はあまり
知られていません。(台湾ニューシネマなので大きく言ってしまうと矛盾してしまうということもあったのかも知れないですが)

ちなみにですが、『光陰的故事』のhkfaでの英語名は"IN OUT TIME"と誤表記となっており、ここから流用したHKMDBでも同様の誤りがありました。

構成は下記に書いておきます。実際の中身は2話目が御存知エドワード・ヤンが監督をしています。

1話『小龍頭』(監督:陶徳辰)
2話『指望』(監督:エドワード・ヤン)
3話『跳蛙』(監督:柯一正)
4話『報上名來』(監督:張毅)

全編を通してみると、小学生~大学、社会人と各エピソードで描写時期を分け、
台湾の人々が子供から大人へ成長していく過程での心理を描いていることになります。

1話のあらすじはこんなものでした。
小学生の小毛は恐竜が大好き。書くのは恐竜の絵ばかり。
いつしか小龍頭というあだ名で呼ばれるようになっていた。
内気な性格で友達からも仲良くされず、両親から怒られてばかりであった。ある時好きな女の子が出来たときも小毛は馬鹿にされてしまう。
しかしその女の子とは気が合い、ある夜その子とある物を探しに冒険に出る。

第2話。
エドワードヤンが最初に描いたのは
女子中学生と自転車の少年でした。
ヤン最初の作品に『指望』(=希望)という題名を与え
このエピソードでは1人の女の子の希望が描かれています。

父親のいない家庭の末っ子の中学生の女の子。
姉はわがままな大学生。
母親は子供を育てるため仕事をしながら
忙しい毎日を送っている。
夕飯を3人で食べたあと、中学生の娘には食器を洗うように、姉にはしっかり勉強しなさいときびしく言い仕事へ向かう。
(このきびしい母親を演じるのが『新精武門』でスリの爺さんの妹だった劉明であった。久々に彼女を見たっすよ!)
この女の子は自転車に乗る少年と仲良くしながら生きていくこととは何かを学んでゆく。

第4話。シルビア・チャンが「悪漢探偵」と同じく気の強い女性を演じています。


「山中傳奇」を見てすぐにこの『報上名來』を見たりすると強い違和感を覚えてしまうけれども(笑)、それが女優さんですからね。それにしても80年代のシルビア・チャンは面白い動きをしてます。(香港で「悪漢探偵」シリーズで引っ張りダコになっている一方、台湾ニューシネマなどの映画にも出演して、86年には『最愛』で香港と台湾の最優秀主演女優賞を獲得していますしね。)

全4話の中では4話目が一番面白いでしょうか。
シルビアチャンの夫が全編を通してB.V.Dのパンツ1丁かバスタオル一枚で
登場していて彼はどうしてそんな格好でいるのか。まぁ何も考えなくても笑えてきます。
よく吠えるのが隣の部屋のワンちゃんなのです

82年に台湾の新人監督たちが作り出した『光陰的故事』は、台湾の人々に受け入れられ興収も成功して”台湾ニューシネマ”は新しい台湾映画の潮流になっていきました。

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Jumping Ash ソフト集

2011-07-13 00:00:00 | その他・研究

前回記事の嘉倫さんの映画ですが
香港新浪潮の出発点言われている『跳灰』(76)が、あるではありませんか!

ちなみに台湾にも”台湾ニューシネマ”ってのもあって(笑)、四話オムニバスの『光陰的故事』が出発点になりますね。(またこの辺りは今後のネタにでもしたいと思います)

で、『跳灰』の過去のソフトを探してみると、いろいろあったみたいですね。

キーワードは"Jumping Ash"

たとえば海岸のVHSなんかは当然の如くあり、(んー、なんか面白そう)

陳星の頭の毛も気になる(笑)

その後、VCDもしっかりリリースされてました。(当然、廃盤。)

VCDもかなり入手困難・・・。

 

そして、コレ。Greek VersionのVHS。

 ギリシャ語のVHSだ!

ギリシャだとPALになるから、安くゲット出来てもPALのデッキも無いしどうにもならないけど。

hkcp123をフォローしましょう

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赤膽好漢

2011-07-05 00:37:38 | その他・研究

 「孫文の義士団」(以下、『十月圍城』)のパンフには面白い記述がいくつかあります。その中で『赤膽好漢』という作品が「孫文の義士団」の原案となった映画であると書かれていましたが、これがどんな映画だったのかちょっと気になりますね。

そして、その映画を監督したのが『十月圍城』プロデューサー、ピーター・チャンの父・チャン・タンマン(以下、陳銅民)であるという記述がありました。今をときめくピーター・チャンの父親も映画監督だったんですね。そういえば私が中学生の頃の夢は映画監督になることだったっけ。子供の頃、父に連れられて映画館に行ったのがきっかけだったのかも知れない。(とっくに夢は破れましたが。。)その頃父はアメリカ映画が好きだったけど記憶に残っているのは「戦艦ポチョムキン」と「惑星ソラリス」だ(爆)。

さて、『十月圍城』にありました要人を守って船に乗せるというプロットは「ワンチャイ天地大乱」や『上海灘十三太保』(84年の張徹作品。これもティ・ロン演じる教頭が刺客から江明扮する高先生を守り抜き船に乗せる)などがありますが、『赤膽好漢』も実際に観てみると同様のプロットがありました。今回はこの台湾で一週間だけ公開されたという作品『赤膽好漢』The Bodyguard (74)について見ていきます。

まず監督の陳銅民は息子のピーター・チャンを尽く自ら監督した映画に出演させており、小さな役が多いですが息子に機会を与えていましたね。

・73年『奪命客』killer in the Dark 

カンフーを演じるチャン少年

タイロケの『大地雙英』も可能性がありますが、こちらは未確認。

・77年「激殺!邪道拳」

千葉真一と共演するチャン少年

勿論、『赤膽好漢』においても登場させています。

 ラーメンを買っているチャン少年

 ということで完全に映画の世界に引き込んでいます!これが無ければ『十月圍城』もあの『武侠』も、『金枝玉葉』だって見れなかったかも知れないのでこれは許しちゃいましょうか!(嘘)。

さて、『赤膽好漢』で主演するのは『火燒紅蓮寺』(76)でしか確認できないというマイナー俳優・揚子江。

 揚子江

ちなみに脱線しますが『火燒紅蓮寺』ですが、正確には『呂萱良火燒紅蓮寺』という題名が正式なタイトルであったようで海報にはとても小さくさらっと人名の”呂萱良”が書かれていますね(苦笑)。

 これでは誰も気がつかない・・・。

ジュディ・リーもとても人気がありますが、少しずつですが興味を持っていろいろ調べていければいいかなと思います。 ついでに未見ながら『新火燒紅蓮寺』という作品も製作されていますね。(ただしジュディ・リーは出演していないようですが。)紅蓮寺が燃える・・・とは何なのか気になりますね。
 どこが”新”なのでしょう。

あと、もう一人の主役である李錦坤について。かなりの実力者だと思っていたのですが、グーグル先生で調べてみると李錦坤は剛柔流空手8段の腕前で香港での剛柔流代表者なのでした。(現在は橋治会の館長を務めています。)http://kugekai.org/

こんな本まで書いてます。著書『館長親傳空手道』より

映画は、この李錦坤と上述の揚子江がアサシン部隊から孫文を守り抜くという設定になっています。

共演するスターたちも『十月圍城』ではレオン・カーファイの演じた陳少白(ちんしょうはく)には重鎮の唐菁が。(これは比較は出来ないですけどね(笑))
孫文も『十月圍城』同様、あまり顔を見せない設定にしています。(孫文を演じたのは劉家勇の父・何寶星ではないでしょうか? )
まだまだ、この映画には長江電影で魯俊谷との共演が多かった胡茵茵が出演していたり、武術指導ラウ・カーウィンなど邵氏にいた武師たちが多数出てきますのも見逃せないポイントであります。
あと、南宮勲はどうして出演?と思ってしまうのですが、これは同時期の『一網打盡』にも出演していたことが考えられますね(一応、納得)。 


映画の冒頭で孫文が船でやって来ます。

 
反政府派の揚子江の父は牢屋に入れられ拷問にかけられてしまいます。そして、もうここから外に出ることは叶わないと最後に血文を書き残し、そのまま自ら命を絶ってしまうのです。
血で書いたメッセージを息子に託す…なんて今では全く有り得ず想像できませんがそれだけ魂を込めた必死の思いでメッセージを残したシーンがとても印象的でした。(また更にその父を房勉が演じていたというのも心に残ったと思います。)

毒牙のような南宮勲と朱鐵和の二人が凄い!

頭突きが強烈!

アサシン部隊が迫っている・・・。

決戦を前に誓い合う3人

李錦坤と揚子江の二人が孫文を擁護して無事に船に乗ることが出来ればいいのですが、まだ主人公たちが激しいバトルを続けてるというのにさっさと船に乗ってしまう孫文…。

まぁでも最後にはちゃんと見送っていましたけど。(良かった、良かった!)

見届ける主人公の2人

映画を製作した独立プロ・歐亞公司の創業作でもあった『赤膽好漢』でしたが、やはり『十月圍城』の原案だったということで脚本家に注目されると思います。脚本を書いたのは邵氏でいくつかの作品を書き、「スカイホーク鷹拳」や私の好きだった「燃えよ!ジャガー」を書いたペンネーム・易方こと葉逸芳であり(邵氏の『悪虎村』や徐増宏の『大羅剣侠』も彼によるもの)この70年代に、ボディーガードたちのストーリーを書いてます。監督・陳銅民や70年代の脚本家たちを尊敬しつつ、30年以上も経って『十月圍城』という素晴らしい作品に生まれ変わったということで新しい映画を作った男たちにも感謝したい気持ちでいっぱいです。終

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下記は文字の色を見えなくしてあります。
Result:
○揚子江 VS 黄哈●
○伍元勳 VS 田豊●
●伍元勳 VS 南宮勳○
○李錦坤 VS 楊斯●
●伍元勳 VS 朱鐵和○
○揚子江 VS 南宮勳、朱鐵和●

コメント (9)
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