②「ボーナスは多額でなければならない」→「多額をもらえない奴はどうでも良い」、と言っているかのように聞こえる、その理由」
もしAIGの高額ボーナス受給者たちが、「多額をもらえない奴は、どうでも良い」と思っておられるのであれば、彼ら以外の、99、99999%の、彼らよりも低所得者層の人たちはそのままで良いのだ、ということになる。
つまり、今地球上で困っているアフリカなどの人々は、そのままで良いのだ、ということになると思う。
私はこれが分からない。なぜ、他者はどうでも良いのか?
間違っているかも知れないが(間違っていると思うが)、その根っこは、聖書の「エペソ人への手紙」にあるのではないかと思いました。→「エペソ人への手紙」の、解釈の仕方が間違っているのではないかと思いました。
1章4節 「すなわち、神は、私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び…」
ここです。「私たちを… 選び」→「私たちは、選ばれている」→だから私たち(キリスト教徒)は、すごい(正しい、素晴らしい)のだ、というふうに(キリスト者は)解釈しておられるのではないかな、と思うのです。(植民地支配も、このように解釈すれば、是とされると思う)
4節 「(すなわち、神は、私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び)、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」 (実際は、キリスト教徒といえども、聖くなく、傷がある、ということになります)
5節 「神はただ御心のままに私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。」 (あらかじめ定められていたキリスト教徒がすごいわけじゃない)
6節 「それは、神がその愛する方によって、私たちに与えてくださった恵みの栄光が褒め称えられるためです。」 (ほめたたえられるのは、「恵みの栄光」です(キリスト者ではありません))
7節 「私たちはこの御子のうちにあって、御子の血による購い、すなわち、罪の赦しを受けているのです。これは、神の豊かな恵みによることです」 (神の一方的な恵み、でしょう)
8節 「神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と、思慮深さをもって
9節 御心の奥義を私たちに知らせてくださいました。それは神が御子において、あらかじめお立てになったご計画によることであって、
10節 時がついに満ちて、この時のための御心が実行に移され、天にあるものも、地にあるものも、一切のものが、キリストにあって一つに集められることなのです。
このキリストにあって
11節 私たちは彼にあって、御国を受け継ぐものともなったのです。私たちは御心により、ご計画のままをみな実現させる方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです。」 (あらかじめ定められていたキリスト者がすごいわけじゃない)
12節 それは前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光を褒め称えるものとなるためです。 (神の栄光を褒め称えても、キリスト者はすごくない。(キリスト者が神の栄光を褒め称えるのであって、キリスト者が褒め称えられるのではない))
13節 「また、あなた方もキリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなた方の救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって、証印を押されました。」 (であるならば、益々もってキリスト者は謙虚でいなければいけないと思う。「証印を押されたキリスト者はすごいのだ」、と思ってはいけないと思う)
14節 「聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは、神の民のための贖いのためであり、神の栄光が褒め称えられるためです。」 (「神の栄光が褒め称えられるためです」!)
私は、この箇所は、一にも二にも、三にも、四にも、五にも、六にも、「キリスト者は謙虚でいなさい!!!!!!!!!!」という、神からの呼びかけではないかと思う。(ノンクリスチャンは、キリスト者に、そのようであっていただきたいのである)
この箇所を、「何が何でも、キリスト者は素晴らしいのだ」と解釈すると(そのように指導者が、におわせると)、ノンクリスチャンにとっては、180度違ってくるのである。(地獄になる。ノンクリスチャンは神に選ばれていないのだから、尊くないのだ、(だから何をされても仕方が無いのだ)、とか何とか… )
キリスト教会の指導者の方、いかがでしょう?
「神に選ばれているキリスト者は、(文句なしに)すごいのだ!」
「多額の利益を生む金融商品を作り出した人は、(何が何でも)多額のボーナスを与えられなければならない!」
似ていませんか?