地球の危機!

私は、「環境goo」のファンです。
私も 地球を(人も)守りたい!

「米兵」

2010-03-18 18:12:43 | Weblog
「米兵」


JSN 沖縄と共に『自立国家日本』を再建する草の根ネットワーク
HP●http://jiritsukokka.com/

にあったのですが、このブログの中のどこかは、捜し出せません。すいません。

海兵隊のフェスティバルというか、一般の人がヘリコプターの中に入っても良いのです。沖縄の歌や踊りを、海兵隊員&地元の人々が一緒になって楽しんでいる雰囲気の映像がありました。

その中で、地雷除去の機械を操作している(操作させてもらっている)、多分、小学生がいました。その機械を米兵に持ってもらって、小学生はレバーを引いたり、押したり… しているように見えました。

あのデッカイ米兵が、小学生の背の高さに合わせて、ずっと中腰でいてくれているんです。その小学生が機械を操作し終わるまで、ずっと。

画面のコメントに、「ご苦労様でした!」と書かれていたけれど、本当にその通りだと思った。

米兵は(兵隊というものは)、訓練の時に、多分、非人間的な扱いを受けているのだろうと思う。

それが、実際に、こういうことも してくれているなんて。

悪いニュースばかりでなく、こういう事も知らせてほしいです!


私はこの映像を見て、気持ちが変わりました。米軍やアメリカを悪く言うことは止めようと思いました。(ケンカをしません、ということではないですが) もっと感謝しようと思いました。

「教育基本法、他」

2010-03-18 16:21:50 | Weblog
「教育基本法、他」


☆教育基本法

(新)教育基本法:

第1章 第1章  教育の目的及び理念
 第1条(教育の目的)教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。


 第2条(教育の目標)教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

 一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。

 二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。

 三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。

 四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。

 五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


第1条に、「必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成」とあります。ひねくれた見方か知れませんが、生まれつき病気を持って生まれてきた人は、どうなるの? と思いました。

病人や障害者は排除されているんじゃないの、と思いました。

「教育基本法」の中に、「個(の確立)」、「家族」、「公(公共のために)」の、どの言葉も入っていないといけないと思います。

「自分が自立すること」と、「自立できていない人がいたら助けてあげる事」とは、同じくらい大事だと思う。


☆靖国問題
(『大地の咆哮ーー元上海総領事が見た中国』 杉本信行著、PHPより)

(引用始め)
国のために戦った兵士を、その国の最高指導者が慰霊すること自体は、中国共産党の指導者たちは、なんら批判的な意見を述べていない。

中国がA級戦犯にこだわる理由は、

1972年、日中国交正常化の際、賠償放棄は戦争体験者が多くいる状況で、難しい問題だった。

周恩来の「先の日本軍による中国侵略は、一部の軍国主義者が発動したものであり、大半の日本国民は中国人民同様、被害者である」 という説得で可能にしたのだが、

「一部の軍国主義者であるA急戦犯を首相が参拝するとなれば、「’72年当時のロジックが壊れてしまう」と中国側は主張している」

つまり、東京裁判を覆すことであり、侵略行為を否定することになるということだ。

これに対して筆者の杉本氏は、「丁寧に説明すること」と主張している。

(引用始め)
・「靖国神社」は、日本国民一般の中に、各国で絵戦没者を追悼する「無名戦士の墓」と同等の施設として定着している。

・「靖国神社」への参拝はこれら無名戦士を追悼し、平和への近いを新たにすることにあり、決してA級戦犯を「顕彰する」意図はない。

・東京裁判の結果を否定したり、侵略戦争を否定したり美化したりする意図は全くない。
                                 (引用終わり)


私も、日本軍は侵略行為をしたし、日本人として反省すべき、と思っています。

でも、日本の首相が靖国参拝することを、他国に「参拝するな」と言われたくはないです。中国に対しては、

「日本の首相に「靖国参拝をするな(侵略行為を否定するな)」というのなら、中国も、周辺少数民族を迫害する事を止めろ」、というのが手っ取り早いかな、と思ったりする。



☆ASEANへの仲間入りをする。

日本のシーレーンを守るためにも、アジア各国と協力するべき、と思う。



☆「子供とケータイ」の講演の中で、尾花紀子さんは、こんな話をされました。

子供用のケータイに付いている安全機能の一つに、「今どこに居るのかが分かる」というのがあるそうです。親が、(子供はまだ学校に居るんだな)とか、(公園へ行っているんだな)
というのが分かるそうです。

尾花さん:
「今、皆さんに悪い人になっていただきます。
もし皆さんが、このケータイを持っている子供を誘拐したいとしたら、どうしますか?

子供を誘拐しても、居場所が分かってしまいますね。

居場所を知られたくないと思ったら、子供を誘拐して、ケータイを、子供がいつも行っている遊園地とかに置いておきませんか? お母さんは(ああ、遊園地で遊んでいるんだな)と思って安心する。

ということは、この機能が付いたケータイは、犯人からすれば、ですよ、時間稼ぎの道具にもなるわけです。…  」

日本人は、こういう悪知恵が足りないと思います。

いつの時代にも、悪い事をする人は居る筈だから、こういうふうにして守ればいいんだ、ということの、抵抗力もつけましょう、と思います。悪知恵も、働かせましょう。


☆原口大臣が遅刻をした(のは問題だ)という、ニュースがあったけど、どうしてこういうことがニュースに、なるんですか?




「拉致被害者、寺越武志さん」

2010-03-17 10:37:12 | Weblog
「拉致被害者、寺越武志さん」


拉致被害者の方々には、失礼な言い方をさせていただきます。お許し下さい。

(*)を読んで,日本の政治家や官僚は、なんて無能なんだ、という印象をもたれた方もいるかもしれませんが、私は(日本人全体がそうなんだ)、と思いました。

「拉致は犯罪だ!」と、北朝鮮に対しては激しく怒るけど--アメリカが殺した日本人の数は、北朝鮮による被害者の数よりもずっと多いのにーーアメリカに対しては、怒らない。

別に人が殺されなくても、狂牛病の検査の仕方とか、私が腹が立ってたまらないのは、「えひめ丸」ーー米潜水艦によって沈没させられたのに、「えひめ丸」を引き上げる費用は日本が持たされたーーの事件です。

一線を越えたことを、アメリカは多くしていると思うのに、日本人は怒らない、否、「怒れない」のです。

なぜか分からないけど、アメリカがするのは、○なのです。

米は格差社会。ということは、「奴隷国家」ということでしょう。(所得の低い人は奴隷扱いされている)

南アフリカのアパルトヘイトは、非難轟々だけれど、米の「奴隷国家」というのは○なのだ。なぜか知らないけど、米は、○。

そういう中で、日本人は「悪いこと」に対しても、だんだん何も言わなくなっていくように思う。

北朝鮮に対して政府が強く出られない理由の一つにはこういうこともあるんじゃないか、と思いました。



(*)
(『新証言・拉致ーー横田めぐみを救出せよ!』 安明進著、廣済堂出版より)

北朝鮮が寺越武志さんを拉致したのは、紛れもない事実である。だが日本政府は彼を「拉致被害者」と断定していない。武志さん自身が拉致を認めていないというのが、その理由だ。しかし、一体日本政府はどうやって、武志さんに自ら拉致を認めろというのだろうか? そんことをすれば北朝鮮にいる家族に危険が及んでしまうのは明らかではないか。

(寺越)友枝さんは、外務省に対し、武志さんが一時帰国する際、日本政府がその受け皿になるよう要望したことがある。しかし対応した外務省の斎木アジア大洋州局審議官(当時)の反応は冷たいものだった。

「拉致と認定されていないから、出来ません。」

こうしたことが重なって友枝さんは、日本政府への不信感を募らせていく。何の罪もない息子を北朝鮮に連れ去られ、日本国民を守ってくれる筈の国の援助もなく、どうにもならない現実をたった一人で背負っている友枝さんの苦労は察するに余りあるものだ。

武志さんが拉致後に初めて日本の土を踏んだのは2002年10月、曽我ひとみさんら5人の拉致被害者が帰国する直前である。しかし政府の反応はこの時も冷淡だった。

拉致被害者たちが政府のチャーター機で羽田空港に降り立ったのに対し、武志さんは飛行機代も自腹、帰りの小松空港までの自動車すら知り合いに頼んでやっと工面して乗せて貰った。

これにはさすがに友枝さんも我慢ならず、地元出身の自民党の大物政治家事務所に電話で訴えた。

「息子の件も拉致と認めて下さい。それが出来ないなら責任を取って(帰国させて)ほしい。」

その時の政治家事務所の反応は驚くべきものだった。

「今まで40年も黙っとって、何でもうちょっと黙っておれんか。ほんなに騒いだら(武志さんは)殺されて交通事故に遭ったんだと、言われますよ」

無力な老女を相手に、よくそんなことが言えたものである。

さらに後日、その政治家からも直接電話があって、こう釘を刺されたそうだ。

「お母さんは黙っていなさい。息子さんは北朝鮮で偉くなっている立場なんだから」

要するに「騒ぐな」ということだ。この話を友枝さんから聞かされた時、私も怒りで身が震えたのを覚えている。その政治家に関しては、武志さんもこう漏らしたという。

「僕が亀城という田舎から平譲に出てこられたのは、あの人のお陰と日本の人は思っているが、実は何の関係もない」

武志さんが平譲に移住したのは北朝鮮が朝鮮総連を通じて友枝さんら親族を調べた結果、犯罪などの問題がなかったので許した、というのが真相なのだ。

さらに友枝さんの話は続く。

「武志さんを帰してほしいなら、5億円出すように自民党の大物に言いなさい」彼女は以前北朝鮮を訪れた際に、通訳の男性からこう告げられたそうだ。そのことを友枝さんは、講演で石川県を訪れた当時の最高実力者といわれた人物に話した。

「先生、北朝鮮の方に、武志を帰国させてやるから5億円出してくれって言われたけど、そんなことできるんですか?」

すると彼はポツリと述べたという。

「(私も北朝鮮から)横田めぐみさんを会わせるから金をくれと言われている。」

彼女は私の目の前で涙を流してこう訴えた。

「人の子だと思ってみんな勝手なことを言うけれど、あれからもう40年も経ちました。それを、黙っていろ、黙っていろなんて、あまりにも酷すぎるでしょう。」


私のは友枝さんが不憫でならない。ずっと友枝さんは武志さんを政府に「拉致被害者」と認めてもらえるように活動してきた。その母を、武志さんでさえ、非難するのだ。

「お母さん、お金に目がくらんだのか。お金がほしくてやるのか。」 友枝さんが途方にくれるのも無理はない。

一時帰国していた武志さん夫妻に対して友枝さんが「日本に帰る気はないか」と尋ねたところ、その時、武志さんは一言言ったという。「遅かった」と。

一方で武志さんはこんな言葉も漏らしている。

蓮池さんや地村さんたちは20歳を過ぎてから北朝鮮へ連れて行かれたから、親離れも出来る。でも僕は13歳で来たから、親が恋しくて寂しかった。その気持ちは分かるから自分の子供は捨てられない。」

それを聞いた友枝さんは永住帰国の件にも一切触れない決心をしたそうである。

武志さんが日本を訪れた最後の夜、友枝さんは、東京のホテルで親子水入らずで過ごした。二人は遅くまで語り合い、やっと寝ようとした朝5時過ぎ、52歳になる息子は母親の身体を触りながらつぶやいたという。
「お母さんのぬくもりが一番いいです。」

友枝さんの話を聞きながら、私は北朝鮮に残る自分の母親のことを重ね合わせていた。私自身12歳の時に親元を離れた経験がある。だから母の手料理をたくさん食べてみたり、一晩でいいから一緒に寝たい思いが今でも強くあるのだ。

「北朝鮮」

2010-03-15 21:07:07 | Weblog
「北朝鮮」

(『新証言・拉致ーー横田めぐみを救出せよ』 元北朝鮮工作員、安明進著、廣済堂出版より)

「韓国人化教育」について(→(*))、筆者の安明進氏は、北朝鮮(金正日氏)は、ここまで酷いんだ、という感じで書いておられると思いますが、私は逆のことを考えました。

資本主義国を倒すために、ここまで出来るのならば、それを平和のために使ったら、どれだけすごいことができるだろう! と。

そういうこと(拉致など)をやらせるのは、現体制維持のためでしょう。ならば、現体制というか、金正日氏の命は守られるという保障があれば、北朝鮮国民にもう少し衣食住が与えられても構わないのでしょう。


(引用始め)
○彼ら、韓国人拉致被害者の心境を思い知った経験もある。実習の合間に韓国人教官と話をしていた時のことだ。教官が、「私が幼い時はこうだった」という話しかしないので、私が思わず、「大人になってからはどうだったのですか?」と突っ込んだ。すると教官は、「まだ小さい頃こちらに来たから」と言葉を濁したのだ。


○飲み屋で実習をした時、韓国人教官がつぶやいた一言も印象に残っている。
「将来あなたが韓国に行った時、海岸で何も知らずに遊んでいる子供だけは連れて来ないでください。」
教官は達観したような表情を浮かべていた。自分が子供の頃に拉致されたことを婉曲に伝えようとしたのかも知れない。             
                                

○(寺越)武志さんが日本を訪れた最後の夜、友枝さん(武志さんの母上)は東京のホテルで、親子水入らずで過ごした。二人は遅くまで語り合い、やっと寝ようとした朝5時過ぎ、52歳になる息子は母親の身体を触りながらつぶやいたという。
「お母さんのぬくもりが一番いいです。」
                                  (引用終わり)


拉致被害者の方には、とても失礼な言い方をさせていただきます。お許しください。

武志さんは、「お母さんのぬくもりが一番いいです」と言うことができます。

金正日氏には、出来ないのだと思います。

武志さんにとって、、「お母さんのぬくもりが一番いいです」に当たるものを、金正日氏も表現することが出来たら、聴いてもらえる相手がいたら、もしかしたら、非人道的なことを、もう少ししなくても済んだのかもしれない、と思います。

これも失礼な言い方ですが、人数でいくと、アメリカに殺された日本人の数の方が、拉致被害者の方の数よりも、ずっと多いと知りました。

アメリカも、陰謀国家だと思います。

その理由は、私は、「本音を言えないから」だと思います。




(*)
P.178
私は金正日政治軍事大学で韓国人になりきって韓国に潜入するための「韓国人化教育」を受けていた。

その際、度肝を抜かれたのが「以南(韓国)環境館(もしくは教育館)」の存在だった。

同館があるのは、龍城区城新美里10号洞、平譲市の中心部から北へ30~40キロメートル行った山奥の地下に韓国の街が再現されている。

… 模造とはいえ、この施設では実際に電力を供給していた。環境館で消費される電力は龍城で暮らす20万人のそれより多いのだ。…

以南化環境館の内部はまさに韓国そのもので、韓国にあるものは全て揃っていた。警察署から学校、郵便局、スーパー、ホテル、市場、飲み屋、さらには驚くことに売春宿まであった。また北朝鮮では想像も出来ない贅沢品の宝庫でもあった。飲料品など全て賞味期限内の新しいものが揃えられていた。あれだけのものを揃えるのにはかなりの外貨をつぎ込んでいたに違いない。

ここでは商店や品物に限らず、運転免許証や住民登録証、パスポート、ビザ、銀行の預金通帳まで、韓国生活に必要な物は何でも揃った。しかも働いているのは本物の韓国人だ。私が見ただけで80人以上はいた。彼らは皆、工作員教育のために韓国から拉致されてきた人々なのである。

どれほど韓国化教育が徹底されていたか、…

これも亡命後の話だが、私の身辺警護を担当していた警察官と一緒に、あるホテルまで急いで行かなければならないことがあったのだが、あいにく渋滞に巻き込まれてしまった。そのとき、裏道を教えたのは、私の方だった。初めは私の指示を疑っていた警察官もずいぶん早く目的地に着くことになってびっくりしていた。

金正日政治軍事大学ではソウル市内の裏道まで教えていたのである。環境館の中の「ソウル市館」には縦150メートル、横100メートルの場所に、ソウル市内の各区がフロアごとに再現してあり、電動椅子に乗って行き来できるようになっていた。

例えば10階建てのマンションなら、20センチほど、ソウル市内で最も高い「63ビル」は40センチほどといった具合に、ミニチュアがびっしりと並んでいた。いつか環境館の存在が明るみになれば、世界中の人々がソウル市館を見て息を飲むに違いない。

それほど忠実にソウルの町が再現されていた。しかもソウルの工作員から、あるビルで工事が始まったという情報が入ると、ミニチュアビルでも同様に工事が始まり、毎日届く報告に従って同じペースで工事が進んで行くのだ。

こんな調子だから工作員になるためのテスト問題も、「今あなたは京幾道議政府市の議政府北駅にいる。これから○○分以内でソウルの南山にあるタワーホテル韓国館まで行かなければならない。出発!」といった具合だ。

学生たちは通勤ラッシュなどの時間帯も考慮に入れつつ、どの交通機関を使うべきか、どの道を選ぶべきか、といったことを、シミュレーションして解いていくのである。

「間違えることは良くないが、「間違えたら、こうしなさい」も言おう」

2010-03-14 19:24:43 | Weblog
「間違えることは良くないが、「間違えたら、こうしなさい」も言おう」

ネット上で民主党政策への反対意見を読んでいると、「こういう理由で間違っている。(だから民主党は引っ込め!)」という、民主党を全否定しているような、そういう言い方ばっかり、と感じます。

私も「外国人参政権」には反対だし、沖縄政策で、「沖縄だけの通貨を作る」、ですか、(これはいけない、私でも分かる)と思いました。私も(民主党は引っ込め!)と思ったのですが、国会討論を聞いていると、民主党の方が「「討論」になっていると思います。

私が思うのは、非難轟々をされたら、国民と(民主党)首脳部との間を取る人はいないのかな、ということです。


誰でも間違えることはあるし、得手不得手もある。トップになったら、常に正しく、何もかも出来なければいけないんだと、そういう論調で言う(責める)のも、またそれも悪いだろう。

私は(人と人とがもっと助け合えばいいのに)と思います。

個人主義は、その個人がどういう結果を作ったか、しか評価されないと思うから、「助け合うこと」を、「個人主義」が妨げていると思います。

「個人主義」は、傲慢な思想だと思います。

「沖縄の人々へ」

2010-03-14 08:18:22 | Weblog
「沖縄の人々へ」

沖縄の人々に対して、私は、「「沖縄に基地は要らない!」と言われるなら、「中国と、このように関わります」という案を出してください!」と思います。

中国は周辺異民族を迫害しています。

「台湾は中国の一部だ」といっています。

沖縄がもし独立をしたら、中国は現在、世界で、防衛力No.1か、No.2です。(No.1か、No.2に)なりつつあるのではなく、もうなっているのです。--中国が「沖縄も中国の一部だ」ということは簡単だろうと思います。

沖縄(琉球)は、1609年に薩摩に侵攻されたではないですか。武器を持たなくて、どうやって強力な武力を持っている国に立ち向かうのですか?

「中国の脅威に対してどうするか」ではなく、

「中国とどのようにして、世界平和を築いていくか」の案を出してください!

「アメリカの医療保険改革」

2010-03-11 20:55:32 | Weblog
「アメリカの医療保険改革」

読売新聞、(2010、3、7)の「国民皆保険、なぜ不人気」という記事に(筆者は慶応大学教授、竹森俊平氏)、

「2期を務めたクリントン大統領も皆保険だけは実現できなかった。なぜなのか。 答は医療についての国民意識に帰着する。これは伝統の問題なのだ」、とあります。

(引用始め)
「医学の進歩が続く限り寿命が延びて、医療費は上がる。  (引用終わり)

(引用始め) 
米国は格差社会だから高所得者と低所得者の購買力が違う。いくら着飾っても健康でなければ幸福は得られないから、消費の自由を認めたら高所得者は医療消費に一番金を使う。

それで医療費が上がり、医療が高級品となって低所得者が締め出されるわけである。
                                   (引用終わり) 

例えば、
診察料が1回、500円とする。
医学の進歩によって新しい機械が出来て、1台1000万円とする。この機械を購入したら、診察料が1000円に値上がりする。そういうことですか?

また新機械が出来て、2000万円とすると、診察料が2000円になる。    

例えばそういうことですか?

これは、低所得者が、高所得者の医療費も負担していることになりますよね。新機械1000万円分を、診察を受けた人皆が分担しているわけだから。

低所得者が高所得者の負担増も共にいくらかずつでも負担するというのは構わない、そういう社会なのだアメリカは、ということになりますよね。

(引用始め)
「医療保険への加入が難しい低所得者を政府が援助する」のがオバマ政権の医療改革案の柱である。

しかるに改革が不人気な理由がまさにこれなのだ。

補選で勝ったブラウン候補のメッセージは明確だ。いわく政府は保険未加入者のために諸君から所得を奪おうとしている。
                                  (引用終わり) 

つまり、保険未加入の2割の人々の負担を、加入している8割の人々も共に負担する(8割の人々にとっては少し負担増になるだろうが)のは嫌だ、それがアメリカ社会なのだ、ということですね。

これは、「所得が高額なほど良いのだ、立派なのだ」という目線、認識があるからですか?

つまり、個人がどれだけ頑張れるかが評価される、ということですね? 「個人主義」の考え方ですか?

「個人がどれだけ頑張れるか」しか評価されないとしたら、生まれつき病弱な人等は、評価されない、ということになりますね?

生まれつき病弱な人は、どんなに頑張っても(病弱でなくならなければ=健康で頑張れるようにならなければ)、評価されない、ということになりますよね。

もしアメリカの医療保険改革が失敗すれば、「格差社会のままでいいんだ」ということが、全世界で、より定着して行くでしょうね。

「個人主義」について(も)、検討してみていただきたいです!
                            


「学び」

2010-03-09 20:12:51 | Weblog
「学び」

(『日中「アジア・トップ」への条件』 (莫邦富著、朝日新書)より)

筆者の莫邦富氏は、「日本と中国は、刺激しあい、学びあえるライバルになれ!」と、具体的な例を挙げて、推奨/甘口、辛口の発言をしておられます。

朝日新聞の記事から、2007年11月17日

(引用始め)
「日本に学ぶ必要ない?」

フィリッピン商工会議所に招かれての講演で、地元の華僑、華人の女性記者から質問された。

「最近中国のメディアで、大国としての中国は、謙虚に日本に学ぶべきだと、発言しているようですね。日本のどこにそんなに学ぶ必要があるのでしょうか?」

緊張感が部屋に充満した。「なぜ学んではいけないのですか?」 私もいたずらっぽく反問した。

「バブル経済が崩壊した日本に、まだ学ぶべきものがあるのですか?」

気の強い中国人女性らしく、彼女も譲らなかった。
                              (引用終わり)

(要約させていただきます)
そこで莫氏は、日本の住宅には、中国よりも厚く断熱材が入っていて、省エネになっている事を取り上げて説明された。

(引用始め)
彼女は、「そうですね。学ぶべきです。」と、素直に頷いた。

「そこに置いてあるハサミを取ってください」と私は頼んだ。

彼女はハサミを渡してくれた。

「ほら今、あなたは刃の部分を私に向けたまま渡しましたね。日本ではこんなことはしない。」
                                  (引用終わり)

ハサミを渡す時は、持つ方を相手の方へ向けて渡す、言われてみれば、そうかな。

莫氏によれば、日本人は、ゴミが落ちていれば、誰でも拾うのが普通、ということになっています。(私は思わず、汗、でした)

とにかく、この女性記者氏は、莫氏にこういうことを示されて、「先ほどは無知な質問をぶつけてすみませんでした」と言われたそうだ。

私は(素晴らしい!)、と思いました。

たったこれだけのことで、といったら莫氏に失礼ですが、断熱材のことと、ハサミの渡し方、その他で、納得できたら素直に謝る、というのは、素晴らしいことではないですか!



私は中国人に、人を殺さないでほしいです。

ということは、「断熱材」や「ハサミの渡し方」に当たるものを、見つければいい、ということです!

何だろう?…





分かった!  「サッカー南アフリカ大会」が、成功することだ!!


「利益」

2010-03-08 19:20:00 | Weblog
「利益」

『牛丼1杯の儲けは9円』 (坂口孝則著、幻冬舎新書)に、こんな例が挙げてありました。

1、「ラーメンの麺を2本減らしたら」

昼間のお客さんには2本減らして、夜のお客さんには、飲んだ後に来られるお客さんも多いから、4本減らしてみよう。

そうすると、お客さんが、昼100人、夜100人、来てくれるとして、

1日当たり、+1200円になる。


2、「鉄板を、0.05ミリ薄くすると」

厚さ1ミリの鉄板を作る時には、どうしてもプラスマイナス0.1ミリの誤差がでる。この、プラスマイナス0.1ミリというのは、許容範囲です。

作る方は、大体、1ミリ、プラスマイナス0.05ミリの範囲内で作っている。

それならば、最初から、0、95ミリで注文すればいいじゃないか。

そういうふうにすると、購入費が5%安くなる。


3、「居酒屋さんでは、手間と時間まで計算する」

ビールであれば、

注文を受けて(30秒)
   ↓
グラスを手に取り(15秒)
   ↓
ビール・サーバーのハンドルを引きグラスを一杯にし(15秒)
   ↓
配膳完了(30秒)    (計90秒 )


チューハイであれば、さらに、香味料や着色料を加える/ コップが洗いにくければ、 +20秒とかになります。

これって、人間の誤差(失敗)が許されなくなる(狭くなる)のだな、と思いました。

私が思い浮かんだのは、新聞の勧誘です。

A新聞社の方が「A新聞を取って下さい」と来られる。

B新聞社の方が、「B新聞をとって下さい」と来られる。

C新聞社から、電話で「取ってください」と言われる。

こういう時、困ったな、と思います。

提案ですが、例えば、A衣料品店とB衣料品店が隣り合わせくらい近くにあった場合、

A点では、ズボンとソックスを、(わざと)品薄にする。
B店では、スカートとブラウス、シャツ類を、品薄にする。

というふうにしたらどうか、と思いました。

同様に、新聞も、

地方紙はその地方のことを重点的に、全国紙は、全国のこと/国際関係を重点的に、これは現在、そうなっています。

福祉に関しては、A新聞が詳しい、
教育に関しては、B新聞、
環境問題に関しては、C新聞  …

というふうにすれば、どこの新聞社も、最低部数は売れるのではないか。…   そんなことでは、ダメなんですか。


原田武夫氏が、『NO」と言える国家』 (ビジネス社)という本で、「公営第二放送を作る」ということを、提案しておられます。

私も賛成です。国民が、異なる意見も知ることが出来るようにしたら、(今の)NHKも「偏向放送じゃないか」と叩かれることもなくなると思うし…

NHKは、中国に関することを重点的に放送するとかして、各々の会社が、各々の会社の特色を作っておけば、利益の額が巨大にはならないと思うけど、続けてはいけるのではないかと。これではいけないのですか?

『反貧困の学校』 (宇都宮健児/湯浅誠 編、明石書店)という本の中に、「経済の貧困」、「関係の貧困」という言葉が出てきました。

「上位○社」という発表を見ることがあります。これは、「経済の豊かさ」(のみ)ですよね。「関係の豊かさ」は入ってないと思います。

それは、アンフェアです。「関係の豊かさ」も、取り戻そう! みんな、つながろう!!


 

「(アメリカ)農業、新たなアプローチ」

2010-03-07 19:53:13 | Weblog
「(アメリカ)農業、新たなアプローチ」


NATIONAL GEOGRAPHIC (http://www.nationalgeographic.co.jp) に

「(アメリカ)農業、新たなアプローチ」という映像があります。

これは良いですね!

鳥の声や風の音は、英語を話す人にとっては雑音のようなものだ、というのを読んだことがあったのですが、アメリカ人の中にも、鳥の声を聞くのが良い、という人もおられるのですね。(日本人と一緒だ、良かった)

「沖縄の人々」

2010-03-06 23:15:25 | Weblog
「沖縄の人々」

沖縄では、今までは、「米軍基地は要らない!」という声が大半であったように思う。それが今は、「沖縄に米軍基地があっても良い。沖縄の人も「国防」に関することを、もっと考えよう。沖縄ほどではないにしても、本土だって主な都市は空襲で焼かれた。日本人としての自覚をもとう!」 という声もあるそうだ。

私は、「沖縄に基地は要らない!」という声が強かったら都合の良い人がいることに、やっと気がつきました。

もしも、後者の声の方が大きくなったら、前者の人たちを、「洗脳されて、バカヤロウ!」というような言い方をするのではないかと、私はそのことが心配になりだした。

「沖縄に基地はいらない!」と主体的にデモをしたり、人々をデモへと駆り立てたるようにしたりしている人々がいる(存在している)、というのです。

それに気が付いた人は、「今まで、沖縄の世論を操作していた人がいます。そのやり方は、このようです」という事実を、沖縄のまだ知らない人に、教えてあげるだけで良い。「知らないヤツの、ばか者め」というような言い方は、しないでね、と思う。

改める=自分の今までのやり方を変える、というのは、ものすごく大変なことなのだ。(すぐできる人もいるかもしれないが、) それにもってきて、’非難する’ような言い方をされると、踏んだり蹴ったり、というか、恨みのような気持ちを持つこともあるだろうと思う。

このやり方(!)が伝わる事が、サタンの目論見なのだ。(サタンは巧妙なのだ!)

正しい人から見たら、その人を、間違っている ように見えるかもしれないが、その人の「今」は、その人にとっての精一杯の姿なのだ。まずは、そのことを認めて、評価して(!)、と思う。

これは私の要望です。自分が間違えた時、他人から非難されないコツだと思います。

どう思われますか?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「サタン」というのは、聖書に、その存在が明記されてあります。

私は、オーム真理教(旧称)の事件の時、(なんでこんな大それたことをやったのだろう? 陰で何か大きな力が働いていたんじゃないか)と思いました。

「普天間めぐる元米国防副次官インタビュー」

2010-03-06 07:53:15 | Weblog
「普天間めぐる元米国防副次官インタビュー」


これは、ネット上の記事です。(asahi.com、2010年3月3日20時44分)



(引用始め)
――日本側には、与党は合意見直しを掲げて選挙に勝ったのだから、政策変更は当然という考えがあります。

 それは米国の問題ではない。鳩山政権が掘った政治的な「穴」に、米国を引きずり込まないでほしい。これまでも、日本の防衛政策をめぐっては、米国を日本政府と沖縄との間の板挟みにさせるという問題があった。今回もそうだ。沖縄との調整をする責任は日本政府にある。

 ――たとえ鳩山政権が、「辺野古案にする」と決めても地元の反対で実施不可能だという見方もあります。

 それはありうるシナリオだと思う。だからこそ、そうなった場合の影響について両国で真剣に話し合う必要がある。

 米国は実施可能な代替案があるとは考えていない。したがって、日本の結論が辺野古案にならなければ、我々は普天間に居残るしかない。

 ――なぜ、他の案はありえないのですか。

 すでにありとあらゆる案を検討したが、どれ一つとして満足なものはなかったからだ。これは日米双方の一致した結論だった。実際、今までのところ鳩山政権は、現実的で米国が受け入れられるような代替案を見つけられていないようだ。

 ――それでも鳩山政権が辺野古案以外の案を提示したら米国はどうしますか。

 普天間飛行場は、安全や騒音の問題を抱えているから継続使用となっても長続きしない。最終的には海兵隊は撤退しなければならなくなる。

 これは日本の政治家や政府当局者もよく分かっていることだ。

 普天間にヘリコプター部隊がいられなくなれば、沖縄全体さらには日本全体の海兵隊のプレゼンスももたなくなる。単にヘリコプター部隊、海兵隊の飛行場だけにとどまらない話だ。米軍の日本における軍事プレゼンスが持続できるかどうかという問題になる。



――米国は日本を防衛しないというのですか。

 そういうことではなくて、鳩山政権は、米国の日本防衛能力を低下させると、一体どういう影響があるのかということをよく考える必要があるということだ。

 ――しかし米国としても、日本から撤退するわけにはいかないのでは。

 米国の立場からすれば、撤退するわけにはいかない。しかし、そうするしかない状況に追い込まれれば撤退する。そうなって最も影響を受けるのは日本なのに、日本にはそれが分かっていないように思える。すでに現状がそれに非常に近づいていることも理解していないようだ。

 ――撤退したら何が起きますか。中国が尖閣諸島に侵攻すると思いますか。

 どうなるかは全く予想がつかない。しかし、友好国、潜在的な敵国を含めた地域の各国に対して明確なシグナルになることは間違いない。日本と米国は安全保障関係を適切に維持できないということだ。各国は事態の成り行きを注視している。

 実際のところ、豪州やシンガポール、インド、韓国など地域の各国の方が、今の事態を日本より深刻に受け止めている。驚くべきことだ。
                                (引用終わり)




私がもし取材者だったら、この記者氏と同じような質問をしていたと思う。

でも読んでみたら、(何か、変)と感じた。

日本の国内問題を、元米国防副次官に質問するというのは…

お詫びと、このように丁寧に答えてくださったことに対して、感謝を申し上げます。





「イランの人々」

2010-03-05 18:58:41 | Weblog
「イランの人々」


『例えばイランという国ーー8人のイランの人々との出会い』 奥圭三著、新風舎)という本には、筆者、奥氏がイランを旅して出会った、イラン人8人とのやり取りや出来事が、書かれてあります。

代表選手として、高校生のジャバードさん(君)とのやり取りを引用させていただきます。(→*)


=========================================


湾岸戦争の時も、イラク戦争の時も、日本人は、アラブの人たちの声を知ることは出来なかった。

こうやってイランの人々の思いを知ってみると、(他の7人の方々の意見もおおむねジャバード君と同じ)、イラン人て、血も涙もある、それどころか、何て感情豊かな人たちなんだろう! 否、ジャバード「君」なんて、書けません! (これからは、「ジャバード氏」とさせていただきます)

私の中での、「イラン人=日本の町で麻薬を売る人」は、吹っ飛びました。

日本国憲法9条に関して私は、外国の人は、(他国に押し付けられた憲法を、後生大事に守って。戦争をしないというのを、いつまでも守って。日本人てバカだなあ)と思われていることに、と思っていました。

「他国を攻撃しない、自衛の軍隊しかもたない日本という国に、なぜテロリストがテロを仕掛けなければならないのでしょうか」と言われて初めて、私は(イランの人々は「平和憲法」を評価してくれているんだ)と知ることができました。

私は、(平和憲法は)外国からバカにされているのに決まっていると思っていたので、こういうふうに、言ってくれた/ 表現してくれた/ 説明してくれた/ 知らせてくれた ことに対して、私は涙が出るくらい嬉しかった。

言ってくださるのと、「シーン」とは、全く違うのです!
 
 もう一つ、これは私の「間違い」だったのですが…

奥氏は、イランのテヘラン・メフラーバード空港に着いてから、歓待を受けたのです。「自分は日本人です」と言ったら、何かと親切にされたり…

そこで奥氏は、(日本人は自分たちと同じ目線で物を見てくれるし、第一、問題を起こさない。そしてもちろん金払いが良い、というのも、理由の一つなのではあるまいか…)と考えたのである。

これを私は、イラン人が、(日本人は自分たちと同じ目線で物を見てくれる)と思ってくれているのだ、と勘違いしてしまったのだ(爆)→そこで私は、こう閃いたのだ。

(「同じ目線」て、いい言葉だな…  「同じ目線」。これだ!  これだよ!! この言葉がこれからのキーワードだ!!)と。

イランの人々のーー特にジャバード氏の理路整然と考え、他の人に説明する様には圧倒されてしまいましたがーー人間性豊かな面を見せられ、「アラブ人は、テロリスト」は、大間違いだと確信しました。


「これからどうぞ宜しくお願いします!」と申し上げたいです。



(*)
「あなたはどうしてイランに? この国に興味があったのですか?」とジャバードは言った。

「日本人はイスラムの人々と接することが本当に少ないからね。特にこの国は神権政治の国でしょ? 僕は学生時代、イスラム関係の勉強もしていたし、ずっと興味はあったよ。この年齢になってようやく、現地視察というところかな。皆、本当に親切だし、雰囲気が明るい。こういっちゃなんだけど、元々思っていたイメージとはちょっと違ったかも知れないな。」

ジャパードは、眉一つ動かさずに会話を続ける。

「イランという国に対して、周りの国があまり良い印象をもっていないというのは、何となく分かるような気がします。でも、あなたはイランに来て、それが全くの誤解だってことを分かってくれたでしょう? イランだけでなくて、イスラム教の国の国民はみんな親切ですよ。ところで、このエスタファーンは、どうです? どこを見られました?」

「昨日はゴレスターネ・ショハダーに行ってきた。イラクとの戦争で、とても若い子たちが戦死したのを知って驚いたよ。」

ジャバードは、時々私の言ったことを周りのクラスメートたち(2人ーー注、井上)に翻訳して話していた。そして、今度は身を乗り出すように少し姿勢を変えた。

(中略)


「…僕が例えばアメリカのことを非難するのには、パフレビー時代のアメリカの暴挙を父などから聞いたり、自分で歴史を学んだりしてその事実を知っているから。例えば当時アメリカの援助で作られた秘密警察(サバック)などが、イラン人に対してどれだけの差別行為を行ってきたか、アメリカが我々イラン、そしてイスラム圏の者たちをどれだけ見下しているのか、我々がどれほどの屈辱をアメリカに受けてきたか、僕には分かっているつもりです。」

パフレビー朝時代のアメリカの行為に対しては、例えばテヘランのネザーム(投資家--注、井上)なども同じ事を言っていた。

「でも、今のイランの政教一致の体制には不満をもったりしないの? 正直なところ、全て自由がきくという状態にはないように見えるけど」と私は聞いてみる。

「イランの現況が必ずしも好ましいものだとは、僕も思っていません。ハタミ大統領になって自由化はかなり進んできたけど、まだまだそのバックには原理主義勢力の権力が絶大なものとして控えてますから。その中でイスラムの規律を半ば強要するという姿勢は、国民の中に反発心を抱かせているところもあります。

中には本心からのアッラーに対する信仰心が薄れて、政府の強制力からモスクにいたりする者もいるかも知れません。でも僕は今の体制に反対したりなどしない。なぜなら僕はなぜこの体制にイランが至らざるを得なかったのか、列強が支配していた頃のイランがいったいどんな状態だったのか、その経緯を十分過ぎるほど知っているつもりだから。」

ジャバードの言葉の節々に興奮の色が見えてきたのが私には分かった。彼は自分の意見を一気にまくし立てる。

「イランは昔から東西の中継点としての魅力を持った国ですからね。18世紀ごろには、イギリス、そしてその後はアメリカといった国の手に落ちたわけです。列強ってヤツは、本当に自分たちの利権のことしか考えていない。それは石油であったり、そして列強同士の覇権争いが絡んでいたり。例えばアメリカは、イランを当時のソ連に対する防波堤の役割として考えていました。

イラクとの戦争時には、あのサダム・フセインに軍事援助まで行って、僕たちを押さえつけようとしたんです。そんな侵略行為同然であるのにもかかわらず、彼らは自分たちのスタイルが全て正しいと思っている。兵器で自分たち流の自由主義とやらを強制しておいて、感謝されてしかるべきだと思っている。それは冗談じゃないと言わざるを得ません。どうしてこの伝統あるイランという国が、高々数百年の歴史しか持たないアメリカのような国に、いいように振り回されなきゃならないのか。イラクとの戦争などで経済も最も苦しい状態が続いているけど、そんなことじゃない。僕たちはもう列強の力を借りたり、奴らの思うままにされるのはごめんなんです。自分たちだけの力でイランを良くして行くためには、僕はどんな努力だって惜しまないつもりですよ。」

ジャバードは、私が話に入り込む隙を全く与えることなく熱弁をふるい続けた。彼は私がイランで出会って話をした人の中では最も若く、それでいてイラン愛国者の最たる人であったといえる。

だが、これからのグローバリゼーションの時代に、彼のような少し閉鎖的ともいえる考え方をもち続けるとしたら、それは次なる発展のためには得策であるとはいえないのではないか。アメリカのような列強諸国は「一人勝ち」や「不平等」といった状況を生みださない努力は必要だとは私も思う。例えば、いくら他国に資本主義の形態を導入して競走の体性を作っても、結局は列強諸国がカネを掻っ攫ってしまう仕組みになっていては、どこかでひずみが生じるのは必然的なことかもしれない。その中で競走に負けた者(正確には、最初から負けることが決まっている者)、また競走に参加すら出来ない者たちは、貧困の一途をたどるしかない。

そのような自由競争に対する免疫が出来ていないイスラム諸国や発展途上国においては不満が鬱積する一方であることも分からないでもない。だがその一方でイランのようなイスラム諸国は自らの情報開示をもっと徹底させ、他国の文化も受け入れる姿勢も、少なからず必要ではないかとも感じる。西洋諸国に対してイスラム側から入ってくる情報量は、圧倒的に少なすぎる。だから得体が知れなくなり、いわゆる「有事」にはお互い「敵対心」が生まれてしまう要因の一つとなっているのではないだろうか。

「じゃあ、例えば、日本に対しては、君はどう思ってる?  日本もアメリカとは同盟国だからね」

「どうして我々が日本に不快感を感じたりする必要があるんですか?」

「じゃあ、ちょっと気を悪くしないで聞いてほしいんだけど…」と私が言うと、彼は益々身を乗り出して目を鋭く見つめた。

「イランはテロリズムを支援している国家として日本でも認識されているのは事実。僕がもっている情報でも、例えばレバノンのテログループ、ヒズボラなんかに援助をしたりすると聞くけど、テロリズムに対してどう思ってる? いくらアメリカが横暴だと言っても、無差別に人を殺傷するテロに対しては、もちりん僕は容認できない立場に立つけどね。日本人もそのことに対して脅威を抱く人はとても多い。」

彼は私の質問を聞き終わると、芝生の草を引きちぎって少々声を荒げた。

「Mr.オク、言わせていただきますけど… 」

彼の言葉には怒りの響きすら込められていた。

「イランも西洋諸国に、テロ支援国家としてのレッテルを貼られていることなどは承知しています。でもテロと言っても、全て自分の身を守るためです。列強の抑圧や横暴に対抗するには、テロリスト側としては、テロという方法しかもてないのだということに対しては僕は理解を示すことはできます。抵抗する手段がそれしかないのだから、仕方ありません。

僕は暴力は嫌いだし、テロリストを全面的に支援するわけでもない。でも、アメリカ側にもそれを非難する資格はないと、僕は思いますね。例えば湾岸戦争では、アメリカはイラクを攻撃したけど、フセエインを飼いならしたのは、アメリカ自身です。アメリカこそ、テロ支援国家なのではないですか?」

彼はなおも話を続ける。

「また、日本の方で、自分たちも過激派の標的になるのでは、とでも考えている方がいるのだとしたら、それは誤解です。日本は我々イスラム教徒に尊敬されこそすれ、一体どこにテロリストに狙われる要因があると言うのでしょうか? 他国を攻撃しない、自衛の軍隊しか持たない日本という国になぜテロリストがテロを仕掛けなければならないのでしょう? もしイスラムにおいて日本を狙うテロリストがいたとしたら、彼らは全く民衆から支援は得られないでしょう。それ以前に、そんなこと、どう考えてもあり得ない。日本がアメリカと組んで、イスラム諸国に攻撃を仕掛けたとでも言うんなら別かもしれませんが。テロリストは何の理由もなしに全く無差別に世界中の人々を殺傷する狂気の集団だとでも思って折られるのでしょうか?

アメリカだって、あの大国をテロリストの力で壊滅させたりするなんてことは、絶対のに可能ですよね。テロというのは、相手に対するある種のメッセージであり、主張です。僕たちもテロという暴力手段を取って主張」することに対しては全てを容認できない部分はあります。でも自分たちの同胞が無差別に、しかも大量に殺されたりしている事実を考えた時、彼らを応援したくなってしまう気持ちがどこかにあれば、それは正直なところ、否めない事実かも知れません。」

抑圧からの民族解放と捉えられているテロ行為を一方的に糾弾するアメリカの論理がイスラム諸国にとって納得しがたいものであるというその「事実」自体は、理屈ぬきで認識は出来る。しかし、だからと言ってテロ行為が正当化できるということには、決してならない。

「でもどちらかが暴力行為を止めないと、これっていつまでも続くことなんんじゃないの? この中で無差別に殺されたりするたちがいることに対しては、どう思う?」

ジャバードは間髪いれずに答えを返してくる、興奮からだんだん早口になってきて、聞き取れない部分が多くなって来るのが分かる。

「何度も言うようですが、僕たちは、アメリカからこれまでも酷い仕打ちを受け、そして今でも、経済的な制裁を受けてもいます。しかし、他にテロ支援国家同然のことをしている国家などたくさんあるというのに、アメリカは穏便な政策を取ったりする国もある。結局アメリカにとっては、2種類の国しかない。それは、彼らにとって「利用できる国」か、「利用できない国」のどちらかです。そんな彼らが正義を振りかざして、「自由を勝ち取る」と叫んだりすることに、僕たちはもういい加減、うんざりだと言わざるを得ない。それに、イラン=テロ国家として非難されるとするのなら、自由を守るとやらの理由で、国連決議を無視して、一国の強権発動による爆撃に出たりするアメリカ、彼らのやっていることは一体なんだと言うんですか? イランは確かに、レバノンなどのテログループに支援をしたりすることはある。

でも、放って置いてパレスチナの民や、あるいは他のイスラム教徒などが異民族の占領の下で迫害を受けたり、殺害されたりするのを黙って見ておけ、とでも言うのですか? 何の罪もない民衆が大量に殺傷されているのはこちらこそ、です。Mr.オク、それはちょっと視点が違うとボクは思いますが。」




「エイズ」

2010-03-04 09:03:51 | Weblog
「エイズ」

1、
アフリカやアジアでは、薬が不足しているそうだ。

エイズの治療をすると、軍需産業より儲かれば良いと思う。

エイズの治療薬を、一つの会社、あるいは、一つの国に、限定したらどうだろう? その会社(国)は、儲かると思う。

2、
自然界には、気持ちを落ち着けてくれる植物があるので、ハーブやミントなどを、部屋の中に置いておく。(かえってイライラする?  それなら置かない方が良い)


3、これは日本でのことですが、エイズ検査で(+)とわかって、役所に補助金の申請用紙をもらいに行ったら、「自分はエイズです」と告げたとたんに職員の態度が変わり、申し込み用紙を投げるように渡された、という話を聞いたことがある。

治療とは直接関係ないかもしれないが、「自分の思い」を吐き出せる場があれば良いのでは? と想像する。

たとえそういう場がなくても、自分の思いとか、経過などを書く、とか、表現してみられることを、お勧めします。

「教育基本法」

2010-03-01 19:37:44 | Weblog
「教育基本法」


『公立炎上ーーこれでも子供を通わせますか?』に、こういう例がある。

(引用初め)

(あとがき)
最後に一人の教師の話をしたい。

ある中学校の数学教師(28)は、生まれつき体が弱かったが、頭脳は明晰で、有名国立大学の工学部を卒業し、数学の教師になった。彼はエンジニアとして一流企業にも就職できたが、企業の最前線で働くことに不安を覚え、比較的余裕のある教師の道を選んだ。ただ運動部の部活動を引き受けると体力的な負担が大きいので、事情を話し、パソコン部の顧問にしてもらった。

数年間、問題なく教師としての仕事をこなしてきたが、ある年、野球部の顧問が胃潰瘍で倒れた時に不幸は訪れた。彼は突然野球部の監督にさせられたのだ。実は、初めに事情を話した校長は2年前に退職して、新しい校長には体調のことを話していなかった。慌てて彼は事情を話したが、校長は単なる言い訳と捉え、半ば強引に野球部顧問を引き受けさせた。

野球などやったこともない彼にとって、指導などできようもない。野球部の生意気盛りの子供たちからはさんざんバカにされ、コケにされた。中でも決定的だったのはノックである。大会の時は試合前、監督が生徒にノックするのが慣わしである。彼も例外ではいられなかったが、もちろんノックなどやったこともない。

衆目が集まる中、彼のバットは空を切るばかりだった。ざわつき始めた球場で、背中にはじっとりと冷や汗が流れたことだろう。仕方なく、彼はノックを止めて手でボールを投げてノックの代わりとした。それを見ていた相手チーム、観客からは失笑が起こった。失笑はいつしか爆笑に変わっていった。自分のチームの生徒たちは恥ずかしさで頬を真っ赤に染めていた。

学校に帰ってから生徒に、「先生、ノックぐらいできねえのかよ」と激しくなじられた。だが、運動の出来ない彼がどんなに頑張っても、バットにボールは当たらなかった。

次の試合の時も、彼は手で投げてノックをした。それが始まると、心無い他校の生徒たちがやってきて、晒し者にした。他の監督たちも手助けが出来ないまま、ただ見守るしかなかった。管理職にも事情は知らされたが、「それも愛嬌。慣れればノックも出来るだろう。」と問題にされなかった。彼の手ノックが始まると、冷笑とあざけりで、いつも、球場は渦を巻いた。

何回かそれが繰り返された。9月の大会直前に彼は失踪した。そのまま連絡は取れず、規定により退職となった。今でも彼の行方は分かっていない。
                             (引用終わり)


私はこれを読んで、オリンピックのバレーボールの試合を思い出しました。

男子決勝戦。アメリカと、どこだったかな。

アメリカチームのリベロさんが、サーブレシーブをミスして、それからは、リベロさんばかりが狙われた。(はて? リベロさんの腕の見せどころの筈なのに)その時たまたま調子が悪かったに違いない。

こういう時は他の誰かが代わってレシーブをすれば良いのに、と思った。それどころか、広範囲にリベロさんに拾わせるのだ。

もちろん、オリンピック、それも、決勝戦なのだ。だからミスをしてはいけないのは分かる。しかし、2回失敗して、3回、4回… 最後まで本人の責任に帰するというのは… アメリカって、これが当たり前の国なのか、と思ったのだ。

思うに、罪を犯した人(犯してしまった人)や、人生につまずいた人等に対する対処の仕方が違っているのだ。「助け」になっていなくて、「いじめ」になっているのだ。(される側にとって)


(他人のことも、もう少し気にしよう…)と思っていた時、私は「教育基本法」のことが頭に浮かんだ。

日本国憲法に基つ゜いて昭和22年に制定された旧教育基本法は、次のようだ。

第一条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび(尊びーー注、井上)、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身とも健康な国民の育成を期して行われなければならない。

第二条(教育の方針) 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。
                                   (引用終わり)


「個人」にのみ力が置かれて、「弱い立場の人々にも、配慮しましょう」など、「公」/「公共のために」という視点がなさすぎると思った。


(新教育基本法は、「公共の精神を尊び」/「伝統を継承し」/「公共の精神に基つ゜き」/「主体的に社会の形成に参画し」 という文言が入っているが、やはり、個人に重きがおかれていることは、否めないと思う)


アメリカの教育基本法には(州によって違うそうだが)、「公共のために」という文言が入っているのだろうか? 入っていないとしたら、「他者のことを、気に掛けてはいけません」と教えている事にならないか?

(入っていないなら)アメリカ以外の国がどうなろうと(国の財産を損しようと、人々が殺されようと)気に掛けないことが正しい、ということにならないか?