地球の危機!

私は、「環境goo」のファンです。
私も 地球を(人も)守りたい!

「日の丸」

2010-02-27 20:21:29 | Weblog
「日の丸」

国歌斉唱をしない、国旗掲揚をしない、学校、先生、生徒がいるということです。

私はその理由が分かりませんでした。そういう私自身、祝日に日の丸を揚げるようになったのは今年からなので(昨年まで揚げていませんでした)、大汗なのですが、今はともかく、日本人ならば、日本の国旗、国家を掲揚、斉唱するのが自然だと思っています。

反対派の人は、「日の丸強制に、反対!」と言われていました。

「強制でなければ、○」ですか? だったら、「「どちらでも良いですよ」だったら○」、ということですか?

「「日本人が、日本の国で、日の丸(国旗)を揚げても、揚げなくても、どちらでも良いです」だったら、○」ということですか?

どこの学校にも、校歌、校章はありますよね。「校歌、校章のない学校も、OKです」ということですよね。(では「校則」も決めないのもOKですよね」と、ツッコミたくなりますが)

「日教組」のYou Tubeを見ると、組合員は「日教組の歌」を歌っておられました。

「君が代」を歌わないのならば、「日教組の歌」も歌わないようにしちゃえ!」と思いますが。

「君が代」は歌わないで、「日教組の歌」は歌う、その理由を説明していただきたいです。

思うに、「国旗掲揚反対」は、「強制」であるか、ないか、ではないと思います。「日の丸」そのものが問題なのだと思います。


「この国のゆくえーー教科書、日の丸、靖国」 (梅田正己著、岩波ジュニア新書)に、このように書かれてあります。

P.142
「ある人々は、この戦争(大東亜戦争)を、欧米の植民地支配からのアジアの開放、アジア独立のための戦争だったと主張する。今の自民党主流の人たちの考えだ。いわゆる、「自由主義史観」の人々もそうだし、文科省の幹部たちも、多分同じだろう。

それに対し、あの戦争は紛れもなく、侵略戦争だったと考える人たちがいる。武力による侵攻、占領、略奪、暴行、殺戮は、侵略に他ならない」と見るからだ。

ではこうした戦争観の違いが、なぜ「日の丸」の見方の違いになるのかーー進軍する日本軍の先頭にいつも翻っていたのが「日の丸」に他ならなかったからだ。

従ってこの戦争を、アジア開放の戦争だったと見る人にとっては、日の丸は、誇らしい’開放の旗’に見えるだろうし、逆に、あの戦争を侵略戦争だったと見る人には、日の丸は血塗られた’侵略の旗’にしか見えないのだ。

しかし、日の丸問題の本質は、この点にあるのではない。」
                                (引用終わり)

続けて、こう書いてある。

(引用始め)

「歴史をどう見るかは、人によって違う。異なる歴史観を互いに排除し、傷つけ合ったのでは、この社会は成り立たない。

ところが、第二次世界大戦前の日本では、そうではなかった。日本は「万世一系」の天皇が君臨する’神の国’であるという「皇国史観」が国全体を支配し、それを批判するものは「非国民」、「国賊」として迫害され、弾圧された。

そのことの痛切な反省から、新しい憲法では、こう決められた。

「第19条 思想、及び、良心の自由は、これを犯してはならない」

では一つの歴史観(思想)に基つ゜き、権力を発動して、日の丸掲揚を強制することは異なる歴史観を持つ人々の思想、良心の自由を侵すことにはならないのだろうか?

さらに、日本国憲法の成立を受けて、1947年3月、教育基本法が定められた。その第1条には、教育の目的がこう書かれてある。

「教育は、人格の完成を目指し、平和的な国家、及び、社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」

では日の丸強制は、この教育基本法第1条から見てどうだろうか? それは果たして、「真理と正義を愛し」、「個人の価値を尊び」、「自主的精神」を育成するのにふさわしいと言えるだろうか?

憲法は国の最高法規であり、教育基本法は文字通り’基本法’である。それに対し、「学習指導要領」は、「法」ですらない。その「法」ですらないものが、最高法規に違反し、基本法に背く疑いの濃厚な行為を、強権を発動して強制するというのは、どういうことなのか?
                                 (引用終わり)


つまり、「皇国史観」によって、(国全体を)戦争へと導いていった、「戦争に協力します」以外は悪とみなされた。

「そのことの痛切な反省から」と書いてある。

日本が戦争をした理由は、「国の独立を守るため」で、

当時の世界情勢は、帝国主義(殖民地主義)の大嵐の中にあった。筆者の梅田氏は、「侵略はいけない」と言われるが、当時は、「他国に侵略できるのに、しないのは、(しない方が)マヌケだ」と、どこの国が1番侵略するか、そのゲームを必死でやっていた、そういう情勢だったのだ。

だから、
①日本が戦争をしたーー戦争をしてでも、国の独立を守ろうとしたーーこのことが間違っていたのだろうか

②「皇国史観」に基つ゜き国民を一つにまとめて戦争をしようとした(国を守ろうとした)ことが悪い(他の思想を認めなかったから)、という主張は、

「帝国主義(植民地主義)は正しかったのだ。(何も言うな)」と言っているのと同義ではないのか?

筆者は、
・「日本国憲法の成立を受けて、教育基本法が定められた」
・「憲法は国の最高法規であり…」

と、あたかも、「日本国憲法こそ、最高のものだ」と言わんばかりの書き方をしておられると思う。その、「日本国憲法」を作ったのは、GHQ なのだ。

③自国の最高法規である「憲法」を外国人に作ってもらって、それに従うのが、日本人として当然のことなのか?


「最高法規」に違反してはいけない」と言われるなら、

「天皇制」ーー今まで日本で連綿と続いてきた「天皇制」が、
・学校で「天皇制」について、教えられなくなった
・皇族の縮小
・天皇家の財産の処分
等、どう見ても、(日本国憲法は)天皇制廃止の方向へ導こうとしているように思われてならない。

④つまり、「今まで続いてきた日本の伝統を捨てよ」ということだ。

あなたは、「(日本の伝統を)捨てるべきです」、と言われるのか?

天皇陛下は、日本国民はもとより、世界の民が幸せであるようにと、祈っておられる。(古来からずっと、そのことが天皇の任務)(私はこのことも最近知りました)

このことも、「捨てよ(破壊するべきだ)」と言われるのですか?


敗戦直後、GHQは、「真相はこうだ(かうだ)」という放送を流した。

目的は「日本国民の発想自体を解体せよ」ということだった。(「日本解体ーー『真相箱』に見るアメリカ(GHQ)の洗脳工作」 (保阪正康著、産経新聞社より)

「太平洋戦争が、(日本のーー注、井上)軍国主義者によって、いかに無慈悲に進められ、そして正当な理由もなく、侵略性を帯びたものだったか、そして国民にはその真実が隠蔽されていたために、いかに重大な被害が与えられたか」という主旨の下に、昭和6年(1931年)~昭和20年(1945年)までの経過が盛られていた。

米国は「正義」なのだ。

日本は、戦争中は、「鬼畜米英」と言って戦った。

それが戦後は、「日本の軍国主義の指導者こそ、悪」、「アメリカン・ドリーム」だ。これは不自然でしょう。

そのカラクリは、GHQが、日本人を洗脳したからだ。


このことに目覚めよう!
そして、日本人としてのアイデンティティを取り戻してやろうじゃないか!!



「人を守るということ」

2010-02-26 21:32:00 | Weblog
「人を守るということ」

1、
『ソ連のスパイたちーーKGBと情報機関 1917~1991』 (スラウ゜ア・カタミーゼ著、原書房) という本を読もうとして、初めから読めなくなった。

1917年は、レーニンたちボルシェビキ(共産党員)が権力を得た年。(「権力を握った」というより、「たまたま手に入れた」と書いてある)

彼らは初めから、不法ーー破壊あるのみ を、目指していたようなのだ。

彼らのスローガンは、「収容者からの収容」、つまり、「泥棒から盗め」という事。

「その結果、ボルシェビキの指導者らが期待した通り、略奪、地主の家の放火、強盗、レイプ、殺人が、すぐさまはびこった」と書いてある。

「指導者らが期待した通り」、である。略奪、放火、強盗、レイプ、殺人を、「起こそうと思っていた」のだ。

ところが、当然のことながら、抵抗が起きる。レーニンら、ボルシェビキは、「あらゆる反対勢力に対してテロを行うようになった。これこそ、レーニンとトロツキーが達成したいと望んでいた、ブルジョワジーと知識階級に対する最終的なテロであり、「暴徒」はそのための理想的な道具だった」とある。

「共産主義」って、「初めに破壊ありき」のようなのだ。否、「初めから終わりまで破壊のみ」らしいのだ。

私はびっくりしてしまった。

ソ連崩壊は1991年。ソ連の人々は、こんな中を生き抜いてきたのだ!


2、
『日本解体ーー「真相箱」に見るアメリカ(GHQ)の洗脳工作』 保阪正康著、産経新聞社)

アメリカ政府からマッカーサー宛の指令に、「… 日本の軍事占領は連合国の利益のために行われるものであり…」と書かれていた。

「日本国民の意識と発想自体を解体してしまえ」と命令されていたのだ。

今から思えば、(まあよくも、やってくれたわなあ)と思う。

これは、過去のことではなくて、現在も続いているのだ。アメリカは日本の資産をガッポガッポ横取りしているのだ。(される方がマヌケなのか)

冷静に考えれば、(アメリカも、ソ連の(共産主義の)影響を受けてないことは、ないよな)と思えた。


3、
『平和に暮らす戦争しない経済学』 (森永卓郎著、アスペクト)に、「アメリカの手法は、村上フアンドそっくり」とある。

「村上フアンド」のやり方は、
「株価が比較的低く優良な資産をたくさん持っている企業を見つけると、カネの力に物言わせて株を買い占めて、大株主になって、「私は物言う株主だ。もっと配当を出せ!」などと言う。同時に、リストラをさせる。→一時的に経営コストが下がるので、株価が上がる。そこで、売り抜ける。」

後に残された企業は、資産はない、有能な人材もないという、スカスカになる。


イラク戦争も同じ。

大義名分を立てて乗り込んで行く。国中をぶっ壊し、人命を失わせ、利権だけを奪って逃げて行く。(イラクからは、まだ逃げられていないが)

’おいしい’思いをしている人は大勢いる。



4、アメリカは、健康保険の改革に難渋している。



1、~4、より、私は(ひょっとしたら、アメリカも、ソ連→ロシアも、破壊することしか出来なくなっているんじゃないの?)と思い当たった。

「好きにしていいよ。お金をいくら使ってもいいよ」と言ったら、人を守ることをしてくれるだろうか?

私はアメリカの保険改革が成功してほしい。が、しかしーー。

私は喜べないのだ。外国のことは放っ散らかしで、アメリカ国内だけが良くなることを、私は喜べない。そんな自分がいた。


そこで提案ですが、ちょっと立ち止って、いろんな人がいることを見てみてほしい。高額所得者のような優れた人たちばかりではないです。(こういう人がいるんだなあ。ああいう人もいるんだなあ)と、知ってほしいです。 


「北方領土に関して、5つの提案」

2010-02-24 14:05:03 | Weblog
「北方領土に関して、5つの提案」

1、根室~歯舞諸島の貝殻島まで、泳いで往復する (→*1)

2、本籍地を、北方四島に移す (→*2)

3、日本人は、北方四島へ自由に行ける/ ロシア人は、日本へ自由に行けるという、ビザなし交流期  間を設ける (→*3)

4、北方四島を借り上げる (→*4)

5、北方四島を世界遺産に推薦する (→*5)


 (1、 2、は、『これでいいのか 日本戦後60年の失敗』 上坂冬子著、大和書房より
3、~5、は、『9条を輸出せよ!』 吉岡達也著、大月書店より )


(*1)
P.116
(自衛隊の)厳しい訓練といえば、海上自衛隊幹部候補生学校の実技訓練として、卒業間際に、男女を問わず8マイルを8時間で泳いでみせなければならない。それを聞いて反射的に私の頭に浮かんだのは、北方領土である。詳しくは第4部で述べるが、根室のノサップ沖から一番近い貝殻島までわずか3、7キロだ。その真ん中にロシアが勝手に線を引いて、越えれば殺すぞ、ということになっており、現に平成18年(2006)夏に、日本人漁師がロシア警備隊の銃撃によって殺された。

だが線を越えるのを禁止されているのは、漁船で、例えば人間が泳いで行った場合は、どうやらこの限りではないらしい。

ならば、海上自衛隊の卒業訓練として北方領土までの往復遠泳を課題にしてはどうかと、私の頭からは漁師の無残な死が離れない。卒業訓練に8マイル≒13キロの遠泳を果たした海部候補生なら、根室~貝殻島間の往復ほぼ8キロは朝飯前だろう。


(*2)
P.140
思えばかつては日本政府も腰が据わっていたものである。昭和57年(1982年)に、日本政府は日本人なら誰しも北方領土に本籍を移せるよう、「北方領土問題等解決促進特別法」を決めている。

本籍を移したからどうなるというわけでもないが、国家としてせめて国民に領土主張の手がかりを与えたかったのであろう。私は著書をまとめながら このことを知って、機会があれば私の本籍地は北方領土に移そうと早くから決心していた。
(中略)


本籍地移転の手続きは根室市役所で行っている。電話を掛けると、担当の女性が、たちどころに私の申し出た国後島へ移転手続きを取ってくれた。
(中略)

毎年2月7日に行われる「北方領土の日」に、東京、九段会館で、3分スピーチの時、私は、新しい戸籍謄本を片手に、「私の本籍地は北海道国後郡泊村(とまりむら)大字泊村字ウエンナイ1番地」と言ってのけたのである。


(*3)
(長いので要約します)
P.170
択捉(えとろふ)島には、単冠湾(ひとかっぷわん)の隣に、ブレベズニック空軍基地がある。ここには、ミグ25戦闘機やバックファイヤー爆撃機が配備されていて、あっという間に東京に核爆弾を投下することもできる、といわれていた。

そのブレベズニック空軍基地へ私は、1991年、ソ連崩壊前夜に訪れた。

まず驚いたのは、有刺鉄線を越えて基地内に入っても、一人の警備兵にも出会わなかったことだ。

滑走路では最新鋭のミグ29が離着陸訓練をしていたが、よく見ると、その滑走路の隣には牛やブタがいたのである。私は手当たり次第写真を撮った。

気が付くと、一人の兵士が、カラシ二コフ銃を手に、こちらに近付いてくるではないか。絶体絶命だ。が、おどおどしていても始まらない。ニコニコしながらゆっくりカメラをおろして挨拶しようとした。すると、何と、兵士は、ポーズを取ったのだ!

恐怖と驚きで、「アジン(1)、ドウバ(2)、トウリ(3)!」とシャッターを押した。

その兵士は、「最近は食料難で困るよ。燃料も十分無いので離着陸訓練も出来ない」とぼやいていた。

これが、「北方領土の脅威」なのだ! ソ連側では、日本に対する軍事的緊張が極端に低くなっていたのだ。

ついにソ連と平和条約を結ぶチャンスが来たということではないか、と思ったのだ。

私の友人で、サハリン在住のロシア人の報道関係者が、「9条がなくなれば、半閉鎖状態にあるブレベズニック空軍基地に、再びミグ戦闘機やスホーイ攻撃機が配備されるだろう」と言ったことがある。

私は、「9条を堅持して1日も早く日ロ平和条約を締結すべし」と言いたいのだ。

プーチン政権下の原油高で、完全にオイル成金となったロシアが、即四島一括返還に応じる可能性は限りなくゼロに近いとすれば、二島返還か、四島返還かよりも、四島の非核化と非武装地帯化を最低条件に平和条約の締結を目指した方が、日ロ関係が悪化したある日突然中距離ミサイルや核搭載型爆撃機が、択捉島や国後島に配備されるよりも安全保障上、はるかにましであろう。


(*4)
P.177
ソ連崩壊前夜の1991年、色丹島で奇妙な事件が起こる。

日本の不動産業者が色丹島の村長を通じて278ヘクタール、東京ドーム約60個分の土地を当時、1ha約30万円(1坪あたり100円)で50年間の借地契約を結んだのだ。

(この不動産屋は、カジノに利用しようとした。この業者の両親が台湾出身であったため、日本政府は不許可にした)
(中略)

この事件を平和的領土問題の解決方法という視点から見ると、なかなか面白い事件だったともいえるのだ。
(中略)

その契約交渉過程で浮き彫りになってくるのは、まず色丹島の一村が、まるで中国からイギリスが香港を租借したような超長期の借地契約を結んだという当時のロシアの異常さ、いわば、国家主権の危機的状況である。

また一方では村長を含む色丹島住民の日本資本熱烈歓迎ムードだ。当時、国後島唯一の新聞「ナルペジュ(国境)」の新聞記者は、「島の人間は皆、遠くてケチなモスクワより、近くて金持ちの日本」というのが本音」、と言っていた。

島民へのアンケートでも、条件つきながら「返還賛成」派が過半数を超えたこともあったくらいである。

実際日本政府がロシア人の現島民の居住権を認めるか、彼らが満足するだけの立ち退き保証金の支払いを明確に示していたら、過半数の島民が返還に賛成していたことは、私自身の現地体験から言っても確実だった。結局日本政府は、そのチャンスを生かすことなく今に至っているのだが。

このような当時の北方四島の状況が、先の某不動産業者の色丹島50年借地契約を可能にしたわけである。もちろん私はカジノで一儲けを目論んだ某不動産業者の暗躍を支持するものではない。しかし考え方によっては、政府が指一本触れることのできなかった北方領土のうち東京ドーム60個分を50年間とはいえ、日本国民がロシアから平和的に取り戻した、とも言えるのだ。

もちろん今となっては何もかも遅きに失したわけだが、頭の体操と思って、ちょっと考えてみるとこの色丹島の50年借地事件から、2つのアイディアが浮かんでくる。

1つは当時、北方四島の借地代は1坪50年で約100円というマーケットプライスが明らかになったのだから、その計算でいけば、北方四島の面積は約5036平方キロメートル=約15億2600万坪なので、日本政府は約1526億円で50年間借りる交渉をしうる、ということでもあったわけだ。年間で計算すると、約30億円だから、F15戦闘機1機で4年分というかなりコストパフオーマンスの良い安全保障政策だったのではないだろうか。少なくとも50年間中距離ミサイルとミグ戦闘機とバックファイヤー爆撃機は配備されずに済むのだ。それ以後のことについては、また時間を掛けて返還交渉すれば良い。

何をバカげたことを、と思われる方もおられるかも知れないが、そんな方は、東欧の民主化、特に東独解体時にいかに凄まじい国家財産のたたき売りが実際に行われたかを、是非調べてもらいたい。
「東独解体工場」とまで呼ばれた、当時の西独政府が設立した民営化推進機構「トロイハンド」の幹部に私自身直接会って話を聞いたが、国営だった巨大な駅ビルや、製鉄工場、炭鉱、学校などが、まさにタダ同然の値段で払い下げられていた実態を目の当たりにしている。

ソ連崩壊時の、ロシア、ウクライナではさらに大きな規模で国家資産のたたき売りが行われた。当時の最新鋭空母「ミンスク」や核ミサイルまで叩き売りの対象だったのだから、北方四島がそのうちの一つだったとしても、何の不思議もない。


(*5)
もう一つ思いつくのは、イギリスなどで一般的な市民の寄付によって土地を買い、自然保護区を作っていく「ナショナル・トラスト」方式の活用である。

例えば、日本の市民NGOが世界の市民NGO に呼びかけ、有志の地球市民で金を出しあって平和と地球環境のために北方四島を50年間借りてしまう。そして、領土問題が解決するまで四島を、非武装地域、かつ、自然保護地域とし、「東北アジア、ピース&グリーンアイランド」といったものにしてしまう、といったアイデアだ。

このアイデアは、過渡的であれ、平和的領土問題解決への具体的な行動であり、日ロ双方の安全保障に貢献すると同時に、地球環境保護、特に、貴重な島の動植物保護にもなるところがポイントだ。

「北朝鮮」

2010-02-22 19:11:05 | Weblog
「北朝鮮」

『極秘潜入ーー金正日政権、深奥からの決死レポート』 (李英和著、小学館)に、

「2003、3、20、米英軍によるフセイン抹殺を狙ったピンポイント爆撃でイラク攻撃の先端が開かれた。フセイン政権打倒こそ、最終目標であることを象徴している。金正日は毎夜、隠れ家でCNNの実況中継を通じ、固唾を呑んで戦況を見守っていた筈だ。胸中さぞかし複雑な思いがよぎったことだろう」とある。

これを読んで、私はハッとした。もし金政権が倒されたとして、それを、「固唾を呑んで見守」っているのは、中国ではないか?

スターリンが死んで、フルシチョフ氏が「スターリン批判」をした時、毛沢東は仰天したそうだ。自分もスターリンのようにされるのではないかと、心底恐れたそうだ。

北朝鮮が、’軟着陸’出来なかったら、中国は、チベット人やウイグル人を殺すのを止めないのではないか、とそんなことを思った。

何を隠そう、私自身が、自分の非を指摘されるのが恐いのだ。

私は、「こういうふうに、’軟着陸’をしたら、どうですか?」、ということを捜すぞ!

「対等な関係」

2010-02-21 19:02:09 | Weblog
「対等な関係」

『例えばイランという国ーー8人のイランの人々との出会い』 奥圭三著、新風舎)という本の中に、「対等な関係」という言葉が出てきました。イランの人は、日本人を、「対等に向き合ってくれる」、とか何とか…

ともあれ、私は、(これだ! 「対等に」という言葉がこれからのキーワードだ!」)と思ったのでした。

イランの人々に感謝します。

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「白人はカラードを見下げている」とか、時々目にすることがあります。

その理由が分かりました!

クリスチャンの人は、「イエス・キリストを救い主として信じているから、自分は正しい」と思っておられるでしょう? それだと思います。

「クリスチャンは、イエス・キリストを信じているから、正しい、貴い」、ということは、必然的に、「イエス・キリストを信じていないノン・クリスチャンは、正しくないし、貴くない」。

言ってしまえば、ノンクリスチャンは下劣だということ。

要は、クリスチャンが上で、ノン・クリスチャンは下だということ。

アメリカでは、人種差別がなかなか改まらなかった。今は、格差が益々広がっているそうです。(賃金格差のみならず、教育格差、住居の格差、医療費など…)

これは、努力しても力及ばす、ではなくて、アメリカの指導者が、そういうふうにアメリカをもっていこうとしているから、だと思います。

わざと格差を作り、とにかく、自分たちはVIP待遇を受けられる仕組みを作ってきたのだと思います。

それはどうしてかな、と考えたら、キリスト教会のことに、思い当たったのです。

ノン・クリスチャンは、「イエス・キリストは救い主である」ということが正しいかどうかは、クリスチャンの言動を見て決めるのです。(私は、そうです)

「イエス・キリストを救い主として信じたら、いいよ」ではなく(その人が、イエス・キリストを信じる、信じないを、クリスチャンが支配するのではなく)、

「信じる、信じないは、その人に任せよう」というのは、いけないのですか?(なぜいけないのですか?)

自分たちは(ノン・クリスチャンは/ アメリカ以外は)、見下げられていると感じるから、アメリカに対して反発するのだと思います。






「昆虫兵器」

2010-02-20 20:23:37 | Weblog
「昆虫兵器」

どこで見たか忘れましたが、虫を利用して兵器を作っているそうです。2008年のニュースだったと思うので、もう実用化されているのかも知れません。

アメリカだったように記憶しています。

例えば、昆虫に、チップのようなものを埋めこんで、人間の思い通りに動かす。本部→支部まで情報を運ばせる、とか。

そんな事するのならば、(善用しなさい!)
毒矢の復活ですよ。

’毒’って、本当に強烈なのがあるらしいです、自然界の動植物には。

ならば、今度は、毒矢の兵器だって?

文明人が毒を探している間に、(その道の専門家から毒矢を)命中されるのがオチですよ。

ネイティブ・アメリカンの人たちに、怒られますよ!!



「モンゴル」

2010-02-19 10:24:34 | Weblog
「モンゴル」

朝青龍はもう、モンゴルに帰ってしまわれたのですよね?
相撲のことは、相撲界の方々にお任せします。私は何も言えません。


ところで、今モンゴルでは、特に都会が、急激に変化しているそうです。

(「もっと知りたい国、モンゴル」 西村幹也著、心交社より)

首都ウランバートルでは、60万人くらいの想定で、整備を進めていたらしいですが、草原から出てくる人が増えて、他の都市には行かなくて、あれよあれよと言う間に100万人になった。

そしたら、都市の周りに’ゲル’を建てて住む人も増えて、ゲルで燃やす薪やら、車の排ガスやらで、大気汚染が進んでいるそうです。

人々の意識も、お金を儲けられる人が出てくると、格差が広がって、’人脈’がものをいうようになって、賄賂が恒常化しているそうです。

モンゴルの学校は定住地域にあるので、草原の子供たちは、学校の近くに定住します。そのまま都市に住みついてしまう人もいるそうです。

都市で生活してる人は、私たち(日本人)と同じような感覚です。服装も洋服で、’時間’は人間の都合によって区切られていて、土地も水も、所有者がいます。

けれど草原では、その反対です。’時間’は、人間の都合には行きません。土地も空間も水も、一時的に借りているのです。

もしも、「都市生活が正しい」とすると、草原文化は、廃れて行くでしょうね。


モンゴルは多民族国家で、北の方には、「ツァータン」と呼ばれる人々がいるそうです。「ツァータン」とは、「トナカイを持つ者」という意味だそうです。

文字通り、トナカイのみとの生活(あと、狩猟と木の実などを採集)が、本来の彼らの様式だったようですが、ここが少数民族の悲しさだと思うのですが、多数派のモンゴル人に、牛や馬、羊、ヤギ、ラクダを持つようにさせられ、自然環境も破壊されているとかで、彼らの生活様式は変化を余儀なくさせられています。

もしも「多数派であるモンゴル人のやり方が正しい」としてしまうと、ツアータンの人々の文化は、これまた破壊されていくでしょうね。

私はこの本を読んで、「モンゴル」という国の中で起きていることを、傍から見させてもらって、そしたらよく分かりますね。

「都市のやり方が正しい」とか、「多数派が正しい」とか、そういうやり方が間違いじゃが(間違っているよ)、って、すぐ分かりますね。

たとえ少数でも、その人たちの文化を守っていかないといけないよ(当たり前じゃないの)、と、自然に思えますね。

各々の人たち(民族)の、各々のやり方を大事にすることを、鉄則にしないといけないな、と思ったことでした。

「中国の台頭は…」

2010-02-19 09:48:17 | Weblog
「中国の台頭は…」

「中国の台頭は世界的な課題」という新聞記事があった。(読売新聞、2/12)

独、メルケル政権の実力者であるカウタン氏が述べている。

「台頭する中国は世界的な課題であるとし、中国の隣国である日本に学びたい」

「中国などの新興国を、持続的、平和的に、世界秩序の中に取り込むことが、独(外交)の目的」

私は、「中国に、教われば良い、教えてもらえば良い」、と思います。

「中国などの新興国を、持続的、平和的に、世界秩序の中に取り組むことが独(外交)の目的」
と言われても、

「取り込む」とはどういうことですか?

「世界秩序って、何ですか? 独のモノサシですか、米のモノサシですか?」

ということになると思うので、まずか、(相手から)教わって、そこから出発したらいと思いま

「沖縄の人に望むこと」

2010-02-18 09:09:34 | Weblog
「沖縄の人に望むこと」

中国は、「台湾は中国の一部だ」と言い、少なくとも、経済的には「壁」がかなり取り払われているようです。

さらに尖閣諸島も中国領だ、という意味のことを言っています。

これを受けて「中国脅威論」を言う人がいます。

私は、原田武夫氏の、「「No」と言える国家ーー奪われ続ける日本の国富」を読んで、納得がいきました。

「奪うアメリカ
手助けする中国、
奪れる日本」 と書いてありました。

今はアメリカは、’黄信号’くらいになっているのかも知れないけど、米、中は、つながっていると思います。(中国は英からアヘン戦争をされたのに、なんで英のことを悪く言わないのだろう??? と私は思っていたのですが、分かりました。「中国は英の仲間です」ということでした)

原田氏の別の言葉で言えば、

「東(米)には、ハゲタカ
西(中国)には、虎」   だそうです。


沖縄は、1945~1972の間、米の統治下に置かれていて、米がどんな国か、分かっているのでしょう?

「米には、こんな危険な面もあるぞ」と教えていただきたいです。

中国に対しては、私の野心は、中国の武器を無用の長物に出来ないか、と思っています。

沖縄は、かつて、中国=明に、一番信頼を置かれていて、沖縄(琉球)に武器はあったけど、使わなかったのでしょう。どうしてそんなことが可能だったのですか?

今も、中国に対して、「武器を使うのはお止めなさい」、と言ってほしいです。



「中国脅威論」、かつ、「日米安保堅持」を言う人とは、私は絶交です! (中国だけ悪く言っても、意味がない)


「一戸建住宅」

2010-02-18 09:07:28 | Weblog
「一戸建住宅」

住宅建設を、マンションではなくて、一戸建住宅を多数建てるようにしたら良いと思います。
出来れば、いくらかの庭が付いているくらいの広さ。出来なければ、耕作放棄地を畑地に分譲する。そこで、いくらかの野菜でも作れば、無農薬の野菜を食べられると思います。

都会では難しければ、過疎地域に作る。

これだけでは暮らしていけないだろうけど、とにかく、安全な野菜を食べたいとか、化学物質化敏症の人にとっては、良いのではないかな、と思いました。

このことを思いついたのは、南アフリカは、治安が悪いそうだ。その理由の一つに、極端とも言える賃金格差があるそうです。(黒人は白人の1/7) それなら、盗みが多いのも頷ける、と思いました。

そこで、「一戸建」または、「家+畑の分譲地」をしたらどうだろう、と思ったのです。

いくらかでも食べ物があれば、盗みも減るのでは、と思った次第です。


もう一つ、ウォルマートという全米No1の小売店は、従業員の待遇が悪いそうだ。低賃金で働かされても、無農薬の食べ物があれば良いのでは、と思いました。(アメリカは、こんな政策はしないか)


畑が無くても、ベランダに、「腐葉土」を、袋ごと置いて、直(じか)に植えれば、よく育つそうだ。私もやってみよう。


「脱石油社会に向けて」

2010-02-16 18:17:24 | Weblog
「脱石油社会に向けて」

○温暖化防止について

温暖化ガスには、CO2の他に、CH4(メタン)、N2O(亜酸化窒素)、ハイドロフルオロカーボン、パーフルオロカーボン、六フッ化硫黄、があるそうだ。中には、CO2の、100倍以上も温暖化効果があるものもあるそうだ。

これらの物質も、(CO2に換算するとかしても)、計算に入れたら良いのに、と思う。


○原発はもちろん、廃止の方向にもって行くべきと思う。そのためには、自然エネルギー利用を考えたら良いと思う、

屋根の上に温水器をつける=太陽光でお湯をわかす。

太陽光を電気エネルギーに変えて、それでお湯を沸かすのではなくて。
(電気エネルギー(電気器具等))は、人体に、影響があるそうだ。神経が刺激を伝える時、わずかだが、電位差があるそうだ。そのわずかの電位差によって情報が伝えられているわけで、屋根の上に太陽光パネルを置くと、’化学物質化敏症’のような状態になる人もいるそうだ。


○着色料は、「赤2」とか、「黄3」というのは、石油から作られているそうだ。熱帯アジアで、「ラックカイガラムシ」という虫から赤色色素が取れるらしい。(『熱帯林の恵み』 渡辺弘之著、京都大学学術出版会より)

「ラックカイガラムシ」という虫は、ハナモツヤクノキ、セイロンオーク、インドナツメ、アメリカネムノキ等に付くそうだ。

著者の渡辺氏は、「熱帯アジアの山村周辺に樹木を植え、そこでラックカイガラムシを養殖し、その分泌物を(日本が)輸入すれば、山村が潤い、伝統社会が維持できる。」と言われている。


○洗剤は、私は水を電気分解したものを使っています(触媒に重曹を使います)。私が知っている限りでは、これが一番良いです。食器と衣服用の洗濯に、オススメです。

あと、豆を煮た汁とか、ミカンの皮なんかも油を落とすと思う。洗剤の会社はこういうものからも、洗剤を作ることを研究されては? と思いますが。…




○船底にフジツボなどが付着するのを防ぐためにスズ化合物を塗ったら、貝がメス化したそうだ。

ノアの箱舟は、松脂を塗った、と書いてある。防水用には、松脂を利用したら良いのではないですか?



○薬は、植物や昆虫、微生物を利用する。

プラスチックが分解されなくて困る、という話を聞いた。
石油を分解してくれる微生物がいるそうだ。利用できないのかな、と思う。


(以下の2つは)、『昆虫がヒトを救う』 赤池学著、宝島新書より)
○蚊は人間の血を吸うが、人間の血は、体外に出ると、固まる性質がある。だから、蚊の口には人の血を固まらせない物質が含まれているそうだ。この物質を取り出せば、脳梗塞などに効果があるのでは?

○ヤママユ(天蚕)は、9月~翌5月まで卵の状態で過ごす(休眠)。休眠を維持する物質があるそうだ。

この物質(ヤママリン)をガン細胞に作用させれば、ガン細胞が休眠する。(ヤママリンをラットの肝ガン細胞に入れてみたところ、ガン細胞増殖が止まった)
ヤママリンは、抗ガン剤になる。
      ↓
昆虫や植物を利用することを、製薬会社が研究する、というのはどうですか?


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以上、思い付きを書いてみました。

「モンゴル人」

2010-02-14 21:46:19 | Weblog
「モンゴル人」

(『もっと知りたい国、モンゴル』 西村幹也著、心交社より)

モンゴルは、首都ウランバートルのような都市と、都市以外の草原とに分かれている。

都市に住む人と、草原に住んでいる人とでは、行動パターンが全く違うそうだ。

都市に住んでいる人は、日本の都市(多分、世界の都市)に住んでいる人と、同様の感じ。

草原で暮らしている人は、時間の感覚が、’自然時間’になる(ならざるを得ない)。


P.29
「草原で生活をする遊牧民は、朝起きたら家族各々がすぐに仕事で忙しくなるので、食卓を囲むなんて、考えられない。昼食にしても家族は各々に仕事をしつつ、家畜の世話の合間を縫って適宜食べる。やはり、さあ、みんなでご飯を食べよう、なんて言っている暇はない。

みんなの仕事が一段落するのが、夕方過ぎである。そして、するべき仕事が終わったから休もう、というのが本当のところなのかも知れない。家族みんなで一日を終えたという実感が湧く瞬間でもある。」

(中略)

狩りに出たならば、家に戻るまでが一まとまりの単位の時間となり、獲物を獲るか、諦めるかまで、この仕事は終わらない。

草原に暮らす彼らの仕事は、「何時から何時まで、何をする」というように時間で区切りをつけられない。「何かを始め、終わったら、次を始める」というように、仕事は時間の流れに中で連なって行く。制限時間が設けられることは稀で、「終わった時が、終わった時」という心つ゛もりで仕事をする。

旅をしていても、「今日はいつまで走る?」と運転手に聞くと、「走れなくなるまで、走るよ」と言う。

(中略)

彼らにとっては、事象や事件の連続が時間となるのだ。そして、生起する事象や事件は、自然のサイクルなり、変化の影響下になる。この影響は、人間の都合にはお構いなしに及ぼされる。つまり、人間は自然に支配されている。そして、この支配を受け入れなければ、生きていけない。

(中略)

東京の、とある居酒屋で久しぶりに会った友人(モンゴル人)と、一緒に飲んだ時のことである。

私:「いやあ、本当、久しぶりだなあ 何年ぶりだぁ? ん、おおー、3年にもなるかぁ 」

友人:「お前は忙しいって言って、なかなか会ってくれないしなあ。冷たいヤツだよ。オレのこと、忘れたんじゃないのか?」

私:「いやいや、すまん! 忙しかったんだってば。明日もさ、人と朝から会わないといかんのだよ。ごめんなぁー、今日も、あんまり長居、できんのよ。」

友人:「ん! そうかそうか。ま、とにかく、飲め、飲め。」


数時間後

私:「さて、明日も早いから、今日は帰るよ」

友人:「なにい、帰るだと? なんで? 明日? 関係ないだろ? 今、オレはお前と飲みたいんだ。ん? お前、大して飲んでないな。 こらあ! 飲め!」

私:「だめだってばぁ! 明日、酒臭かったら困るし」

友人:「そんなの、関係ないだろ! 大丈夫だ! 大丈夫だ!」

私:「何が大丈夫なんだよ。大丈夫じゃあねえよ! じゃあな!」


私はこの久しぶりの再会を心から楽しんでいただろうか? と、後日、自問した。明日のことが気になって、飲む量を抑えながら飲む酒は、自分が勢いつ゛くのを抑制しながらとなるため、どうも酔えない酒だった。一方のモンゴル人だって、明日はきっと何か用事があったはずだ、しかし、「久し振りの再会」をその場で’力いっぱい’楽しんでいたのは、彼の方だ。

酒が強いとか、そういうことではなくて、その時にもつべき最高の気持ちで、私との再会を喜んでくれていたのだ。後で聞いた話によると翌日は、この酒のせいで寝過ごして、仕事に遅刻したらしい。

しかし彼は、「昨日は、大切な友人と久しぶりに飲んだんですよ、あははははっ」とだけ言って、遅れたことに対する侘びの言葉は出さなかったという。彼にとって前日の私との酒は、その時点では最優先事項であったから、その場をとりあえず、しっかり楽しめたことで満足しているのだ。

’今、この場を利用しなければ、次はない(かも知れない)’

’今、このも問題を解決しなければ、次はない(かも知れない)’という、’今’に対する考え方は、草原地域のモンゴル人と出会うと、しばしば感じる。

常に変化する自然環境の中で、暮らしているためか、彼らは、’変化’に対して非常に敏感に反応する。極端な言い方をすれば、いつ死んでもおかしくないような環境にいるのだから、楽しめる時に楽しみ、食べられる時に食べ、飲める時に飲み、遊べる時に遊ぶ、という考え方に至っているようだ。

(中略)

草原での生活は、結果を出さねば意味がない。その結果は、その時出さねばならない。例えば、手持ちのナイフで何とかしなければならない時とか、現状打破のためにできる限りのことをする様子は、実にたくましく、頼もしく、カッコいい。

(中略)

ところが、目的遂行第一主義というのは、草原地域で、自然環境を対象に適応されている時はすがすがしく頼もしいが、一旦、草原を離れると厄介なものになる場合もある。

特に、日本のような人間関係を重視しながらの共同作業や会社組織などの場においては、人々の和を乱しかねない。

スタンドプレーになり、他の人が何をしていようが、お構いなしに、自分のやりたいように自分のやり方で、自分が良いと思うレベルで、勝手に結果を出すことになる。

(中略)

手順その他を教えても、「私はこのようにやってきたから」と言って、勝手なやり方をしてしまう彼らに共通するのは、目的が果たされてさえいれば、過程はどうでも良いという考え方なのだ。

例えば、書類を作るのに、決まったフォーマットによらず、勝手に書式を作り、「書かれていることが同じなのだから、いいでしょう」

(中略)

また、雪かきにしても、道具の使い方にしても勝手な判断で手順を変えてしまい、結果、仕事の効率を悪くし、一緒に働く人に負担をかけていることに気付きもせず、「終わったから、いいでしょう」

(中略)

しかし、目的遂行第一主義というのは、人の顔色を窺いながら何もできないより、ずっと生産的な考え方だと、私は思っている。必ず何かが生み出されるのだから。ここで述べたような弊害もあるが、モンゴル人たちの行動力、実行力、バイタリティは、実に、素晴らしい。自分の力を無条件に信じて、失敗を失敗と思わず、恐れず、怖がらず、突き進んで行くだけの図太さは’ある程度は’必要なのだと思う。
                             (引用終わり)


私は、モンゴル人の、爪の垢でも良いから,煎じて飲みたいです。


どっちが正しいか、ではなく、やり方にも、いろいろあるのですね。


「目標を…」

2010-02-13 12:07:18 | Weblog
「目標を…」

「「目標を達成できるように頑張りなさい」という指導の仕方」

「世界温暖化防止会議」のやり方を見ていて、欧米のやり方は、指導者が先に目標を決めて、被指導者(この場合は欧米以外の国、日本にとっても高い目標だった)に、「達成できるように頑張りなさい」というやり方をするのだなあと思った。

このやり方が、欧米の国々にとっては当たり前なんだろうか?と思った。

キリスト教会は、「イエス・キリストを救い主として信じたら、いいよ」だと思う。だから「イエスの死と復活」を言い続けている。

これは良いのだ。「良い」どころか、神の目から見たら「至高」なのだと思う。

問題は、「イエスを救い主と信じない人たちに対する扱い方」だと思う。

私は、「イエス・キリストを救い主として信じたら、いいよ」ではなく、「イエス・キリストは救い主です」、そこまででいい(そこまでであるべき)と思う。

信じる、信じないを、どうして、本人が決めたらいけないのか、と思う。


私は教会に通っている時に、「あなたがイエス・キリストを救い主として信じたのは、聖霊様が働いてくださったからですよ」と言われた。

その通りだと思う。しかし、今はこう思う。

私たちの命は、他者の(動物や植物の)命を奪って保たれている。だから(動植物のお陰で)、私たちは人間らしい生活ーー精神的に、肉体的にーーを送ることができているのか?

イエス・キリストを救い主として信じたのは、自分が納得して、信じようと決めたからじゃないの?

全てが聖霊様のお陰なの?

じゃあ、喜怒哀楽や、自由といった生き方は、全てが動植物のお陰、ということにならないか?


これを、「屁理屈」というのだろう。」

話を元に戻そう。

温暖化防止会議は、先進国が目標を決めるのではなくて、各国が(先進国であれ、途上国であれ)、達成できたことを報告する場にしたらどうだろうと思う。

どうして先進国が、目標を決めて、他の国にもやらせなければならないのか?

どうして各々の国が、自国の目標を決めることが出来ないのか?

私は、この指導のやり方こそ、争いの源だと思っている。(された側は、敵意が生まれてしまう)

キリスト教国、特に、欧米の国は、このやり方を、検討してみていただきたいです。

といっても、欧米の国は、イエス・キリストを信じていない者(国)のことなんか、無視だよね。

ならばこっちも、これから欧米の国を無視するからねッ。



「沖縄について」

2010-02-12 10:12:57 | Weblog
「沖縄について」

沖縄は今、危ないのだそうです。

「中国は軍備を着々と増強させているのに、沖縄では、「米軍基地はいらない」だの、「日米安保反対!」だの言っている。」中国に侵略させない為に、今戦わなければいけないのに、とんでもないこと!、なのだそうだ。


私の考えていることを書いてみます。

1、「日本人の手で日本を守るぞ!」と思うことが最優先。
2、核は、もってはいけない
3、憲法9条を堅持すべき
4、自衛隊を、「平和部隊」として、アジアと手を結ぶというのはどうか?


1、「日本人の手で日本を守るぞ!」と思うことが最優先

「日本て、何なんだ?」、「国を守るって、どういうことなんだ?」

(『これでいいのか、日本戦後60年の失敗』上坂冬子著、大和書房より)

上坂氏は、「そもそも国とは何なのか。政府でもないし、総理大臣でもないし、煎じ詰めればつめるほど、イメージが分散して、具体像を結ばない」と書いている。

(新)教育基本法の中に、「伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我国と郷土を愛する」という文言が入れられたが、上坂氏は、「国家とは、個人にとって何なのか、ピタッとつかめていない故に、愛国心よりも具体的で、私たちが拠り所に出来る対象は他に無いものかと、ぐらつく」と、「軍国少女は戸惑う」と、言われている。

私は、今の日本人て、「日本を守るぞ!」と思うことが出来なくなっているのではないかと思う。

「伝統と文化を尊重し」と言われても、皇室のことも教わることは無くなった。

上坂氏は、戦争中のことを書いてくださっている。

○「1941、12、8の開戦の日、「帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋において英米軍と戦闘状態に入れり」とアナウンスが流れるや、父と母が顔を見合わせた。その時の何とも言いようのない表情は両親が世を去って20年経った今も忘れられない。

ショックに耐えているというのでもない、困ったというのでもない。言わば、つかみ所のない逡巡の表情とでもいおうか… (中略)

両親は国家を信じきっていたはずだから、開戦のニュースを聞いて、やるぞッと、決意を表したかったのであろうが、シナ事変の終わらぬうちにもう一つ戦争が加わったことで、子育てを案じつつ(8人+胎児の子がおられた)、すぐには意志が定まらなかったのかも知れない。

○福田恒存氏は(開戦のニュースを聞いて)、「大手柄だ。これでうまく行くぞ」と思われたそうである。

○「こういう言い方は誤解を生みやすいが、物資の極端に逼迫した中で、日本人は決して惨めな思いのみで暮らしていたわけではない。国家が国民を叱咤激励、あるいは鼓舞し、その一丸となった姿を聖なるものとするのが戦時体制である。「欲しがりません、勝つまでは 」、「撃ちてしやまん」と音頭を取りながら、国家も国民も、もちろん10代の私たちも、精神主義が、原子爆弾という近代科学に敗れるまで、勝利を夢見て神風に期待をかけていた。

それは、一種の快感といっていい。その快感に酔いしれた日本が状況判断を誤って敗れたことは間違いないのだが、人間の弱さをくすぐるあの快感がある限り、この世から戦争はなくなるまい。」
                                    (引用終わり)

こういう、戦争中のことを書いてくださると、ありがたいのだ。

私自身は自分の親や近所の人たちが、「戦争」に関しては、何か言われていた記憶がほとんどないのだ。昔どうだったかを語り継るがれることは、若者が聞くことが出来なくなっているのではないかと思う。戦後生まれは、「アメリカン・ドリーム」と言われて育ったのである。

昔日本ではこんな事実があったんだよ、とか、こんな心情だったんだよ、ということを語って聞かせる大人がおらにゃいかん、と思う。

こうあるべきだよとか、君はここがいけないよ、という(上から目線の)大人しかいなくなったように私は感じている。

そういう私こそ、大人の歳で恥ずかしい限りだが、日本人は、アメリカの良いところは学ばせてもらえば良いのだが、アメリカの間違っているところに対しては、「それは違うぞ!」と言うべきだと思う。

それを言わずして、「初めにアメリカのやり方ありき」で、年長者がそれを言われないから、若い人は「国を守るって、どういうこと?」という感じではないかと、危惧する。

「真相箱」(GHQが、「あの戦争は、こんなにも日本の指導者が間違っていた」という、「問い」と「答え」を用意して、そのように、日本人の意識を導いていった、そういう放送を、戦後直後に流した)

やらで、日本人はハメられてしまったよ。「気持ち」を無くしていないか?

自分が子供の頃のことを、もっと話して聞かせてやろう。(日本人としての気持ちを、伝えていかなきゃ、いかん!)


2、核は、もってはいけない

そう思う理由は、「核は、人間には、管理できない」と思うから。

核を管理するには、人間が完璧であることが前提でないといけない。事実はそうではないのだから、もってはいけない。原発も無くしていかないといけない、と思う。


3、憲法9条を堅持すべき

「戦争をしない」=「武力を放棄して平和を維持する」というのは、膨大な根ルギーがいるのだ。

まず、信頼関係を築くこと。これが出来なければ、9条なんて守れない。

うまく言葉で表現できません。これから考えます。


4、自衛隊を、「平和部隊」として、アジアと手を結ぶというのはどうか?

「中国は脅威だ」という。私もある面では、そうだと思う。

「ある面では」というのは、毛沢東は自分に反対する者を、次々と消していった。

「文革」で中国人は傷つけれら、その傷が癒えていないのだろうと思う。

加えて現在は、お金が最優先の人も少なくないと聞く。軍備は世界一。その辺のところが「脅威」だと思う。

私は、自衛隊は、武器を使った訓練も必要なのだろうと思う。

私は、「国民皆兵」じゃなくてーー「兵」は、武器を持っての訓練、戦争のための訓練だと思う--そうではなくて、災害時の救助が出来るための訓練をしたらどうか、と思う。

武器を使うか、使わないか、が違うだけで、上官に従うとか、統率の取れた行動とかは、軍隊と同じものが要求されると思う。

それを、国民皆制でやったらどうか、と思う。

そして、この「救助隊」の同盟をアジアと結ぶ。

中国に対して、「人を殺すな」ということで圧力を掛ける、というのはどうだろう、と思う。

「ハプスブルグ展」

2010-02-10 20:42:23 | Weblog
「ハプスブルグ展」

「ハプスブルグ展」に言ってきました。豪華! 美しかった!

家具も食器も、服装も、宮殿も、庭も、全て beautiful!

なんでこんなに美の粋を尽くさないといけなかったのかな、と思ったのですが、権勢を誇示して見せる必要があったのですね。

当時は、食うか、食われるか、でしょう。(今もそうだと思いますが)

日本でいえば、戦国時代。宮殿は、お城に当たると思います。

煌びやかなドレスは、十二単でしょうか、江戸時代も、十二単かな?

私は、マリー・アントワネンットの本を1、2冊読んだことがあります。その中に、

マリー・アントワネットはフランス王妃になって、贅沢三昧をしたかのように言われているけれど(「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言ったとか)、彼女が羽振りが良い時はちやほやして、彼女が処刑されるとなると、蜘蛛の子を散らしたようにサーッといなくなってしまう。彼女が困っている時こそ、ちょっとアドバイスをしてあげるような人はいなかったのか、と怒っていました。(藤本ひとみ氏か、中野京子氏のどちらかだったと思う。後で捜したけれど、分かりませんでした)

私はこのことが忘れられずにいて、マリア・テレジアは16人も子を産んだけれど、「子宝」なんていっている暇は無くて、みな政略結婚させた(させざるを得なかった)でしょう。当時は食うか、食われるかで、熾烈な状況だったんだと思います。

ハプスブルグ帝国→現在のオーストリアは、面積はそんなに広くはないけれど、何とかして、約600年も続いたハプスブルグ帝国の夢よ、もう一度、と思っていました。

モーツアルトやベートーベンやハイドンなど、クラシック音楽の全盛期は、マリア・テレジアの頃だったんですね。

&ロココ式の美術。

宮殿の中には、中国式の広間もありました。中国式の紋様で。豪華でしたね。

日本の伊万里焼もありました。

マリア・テレジアは、ヨーロッパの中心、のみならず、世界の中心も意識していたのでしょうか。

「食うか、食われるか」は卒業して、今度は、「協調と○○(何とか)の世界一」なんてどうかなと思ったりして…