
噴火後の捜索の模様は、逐次 ニュース等を通じて伝えられてきましたが、時間経過と共に、捜索作業は過酷さを増すばかりであることも報じられました。
私たちは 一刻も早い安否確認を願いながらも、一方で 捜索隊の二次災害についても憂慮の念を強めたところであり、その故をもって 捜索本部としても。これから冬季に向かい、寒さと降雪による さらなる危険の可能性を憂慮しての中止判断となったようです。
この 捜索一時打ち切り判断については、家族の方々をはじめ 誰よりも悔しい思いをしたのは、他ならぬ捜索に当たった 自衛隊をはじめ関係者の方々でしょう。
極限にまで達した疲労感と、無念さを胸に 解団式に臨む 彼らの胸中はいかばかりかと推察される中、そんな彼らの心に 一陣の涼風を吹き込んでくれるひとときがあったそうです。
解団式に際し、捜索隊が陣を張った 王滝小中学校の生徒たちが、捜索隊のご労苦に 感謝と慰労の心を込めて、ふるさとを思う 「いつまでも」 の歌を贈ってくれたそうです。
子どもたちなりに 捜索隊のご労苦を その背中に見ていた彼らは、今年最後の捜索活動の終了に際し、自分たちの歌声をもって 慰労の意を顕(あら)わしてくれたそうです。
それに じっと耳を傾ける自衛隊員の 無言の感激ぶりが 画面を通じて伝わってきて、こちらまでも胸を打たれたところです。
不測の事態により大きな被害が発生、仕事とはいえ それを救援すべく全力を尽くす大人の姿をしっかりと目に焼きつけた 地元の子どもたちは、もしかしたら 他の誰よりも、捜索隊に敬意を抱いていたのかもしれません。
思わぬ 「プレゼント」をもらった自衛隊員は、これまでの苦労を忘れ 感激している風でした。
何らかの形で 「心を伝えること」 が、温かさを感じさせてくれる美談だったのでした。
いずれにしても、この冬、御嶽山周辺が大過なく経過することを祈るばかりです。
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「都市内分権」 の推進に伴い、地域住民が さまざまな活動を通じて 自らの手で地域を盛り上げる取り組みを行っています。
ここ川中島地区においても、長野冬季オリンピックを契機に立ち上げたフェスティバルを今に受け継ぎ、年に一度の一大行事として催しているものです。
実は 昨年は あいにく雨にたたられてしまったのですが、今年に関しては ホントウにイイ天候となり(朝は 放射冷却現象で寒いくらい) 昨年の分もと言わんばかりの陽気に恵まれました。
祭りの開催に先立ち、地区内を大きく3ヵ所に分かちたうえで、それぞれの拠点から山車(だし)=舟 が運行されます。
地区ごとの法被をまとった役員さんを中心に、豪勢にしつらえられた山車が、悠然と町内を練(ね)っていきます。
船頭さんは、と見れば、ムラの重鎮たちが 笑顔で手を振ってくれていました。
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さて、イベント会場になったJR今井駅前のメイン通りでは、さまざまな出し物が披露されていました。
私が着いたときには、四ツ屋地区の 「子ども神楽(かぐら)」 が披露されていました。
ムラの伝承文化を、将来を担う子どもたちが 元気に演じています。
太鼓の演奏に続いては 獅子舞も披露してくれ、古き佳き演目のお披露目に 温かい拍手が送られていました。

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森永氏は、テレビで流されるとおりのユーモアセンスと小気味良い論調で聴衆を引きつけ、新自由主義に伴う格差社会の課題について論を張っておられました。
謎の手提げ袋を持参され、中から、イタリア製の玩具などを取り出し 商品に付加価値を付けることの面白さなどについて語られ、高校生たちを退屈させることなく話しを進められます。
講話のオチは、イタリア人に倣って、明るくユーモアに富んだ人生を送りなさい というような趣旨で、40周年を寿(ことほ)ぐにふさわしい数十分だったのでした。
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講演の後は、にぎにぎしく記念式典が行われ、それぞれの立場で 節目の年に祝意が送られていました。
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私は 「記念品贈呈」 の目録の朗読を仰せつかり、祝意を込めながら記念品を紹介させていただきました。
40周年の記念品として、教室の冷暖房機・楽器のティンパニー・マイクロバス(野球部との共同購入)が寄贈され、校長先生から、末永く大切に使う旨の謝辞が述べられ、贈呈者の冥利に尽きたところです。
節目の年を皆で寿(ことほ)ぐ、厳粛かつおめでたい時間が流れていきました。
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さて この日は、去る10/13に、台風の影響で延期となった、長野中央ライオンズクラブ主催の 「フード ドライブ」 の贈呈式が、クラブメンバーの菩提寺である、市内田子の 「地蔵院」 の庫裡(くり)をお借りして行われ、記念式典の合間をぬって参加しました。
市民の善意により集められた保存食を、予め決められた寄付先の施設ごとに等分に分けられ、贈呈式が行われました。
施設の方からは 異口同音に感謝のことばが寄せられ、汗を流して保存食をまとめたライオン諸氏も、冥利に尽きた表情をたたえていました。
継続事業として行われている この 「フード ドライブ」 について、今後も真に市民生活に定着されるよう、地道に取り組んでいくべき、という思いを、一同は起用有していたのでした。
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フード ドライブに参加した後、大急ぎで 東高40周年の祝賀会々場に駆け付け、なつかしいメンバーと再会し、旧交を温めました。
当時の担任の先生、先輩・また後輩と 「同じ釜の飯」 を食った者同士の懐古の時間が流れ、一同は 「あの頃」 に戻った感でした。
時間は確実に過ぎていきますが、共に学んだ空間は、いつまでも変わらないことを 互いに再確認し合ったところです。
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☆オマケネタ・・・40thの素敵なロゴ
式典を迎えた学校敷地には、まっさらなマイクロバスが留(とま)っていました。
同窓会から贈呈された、遠征ようのマイクロバスです(野球部と共同購入)
このマイクロバス、リヤゲートに 瀟洒なロゴが入っています。
と いうのも、資料に入っていた40thのロゴのデザインが あまりにすばらしかったので、私の方(ほう)で 「こんないいデザインロゴがあるのなら、せっかくのマイクロバスのボディーにも載せるべき。」 と進言し、実現したものです。
訊けば、東京で活躍する7期生の現役デザイナーの作だそうで、東高のテーマである 「東雲(しののめ)」 をイメージし、朝陽が上るをデザイン化したそうです。
一芸に秀でたOBのセンスが光っていたのでした。
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