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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

鹿ケ谷安楽寺

2019年06月02日 | こんなところ訪ねて
    秋ならば名におふ声を聞かましを山ほととぎす今日は鳴くなり  
「花洛名勝図会」の安楽寺(左京区鹿ケ谷)に掲げられた国学者・堀尾三子の歌。


秋なら、名に負う鈴虫と松虫の声を聞きたいところだが…。と歌われる安楽寺は、法然上人の弟子の十蓮と安楽が「鹿ケ谷草庵」を結んだことで始まっている。


二人が勤める声明は、まことに美しく、魅かれて出家する者が出るほどだったとか。“五木親鸞”連載中もそのような個所は印象に残った。

後鳥羽上皇からことさら寵愛を受けていた女官の松虫と鈴虫の二人がいて、夜中に密かに庵を訪れ剃髪出家し、尼僧となった。
これを知った上皇は激怒した。ここから専修念仏教団への弾圧が始まり、十蓮・安楽両上人は斬首、法然上人は讃岐国に、親鸞聖人は越後国に流罪に処せられていく。流罪地から戻られた法然上人が、弟子の二人の菩提を弔うために荒廃していた草庵を復興し、「十蓮山安楽寺」と名付け追善の寺とした。


そんな由来のある安楽寺への道すがら、ほととぎすが「ほーー」と声を引きながら鳴き交わしていた。
お地蔵さんの日ですからと、受付ではパンフレットに飴玉が二つ入った小袋を添えてくれた。普段は公開されていないので、いつ通っても拝観はかなわないというタイミングの悪さ、今日が初めての参拝になった。

本堂の中、正面に低い木の台を据え、わざわざヒールの靴を履いて上がった女性によってメキシコの歌だとかが歌われ出した。靴など脱いだらいいのにと思ったものだ。若い人たちが集い、なかには外国人の顔も見え、大きな笑い声が上がっていた。寺は町ののりしろ。人と人とをつなぐ場へと様々な取り組みがなされている。
受付にいた黒い作務衣を着たかわいい女性が出てこられて、「ようお参りでした」と笑顔で送られた。嬉しや嬉しや。一番あたたかく心に響いた。

コメント (4)
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