秋ならば名におふ声を聞かましを山ほととぎす今日は鳴くなり
「花洛名勝図会」の安楽寺(左京区鹿ケ谷)に掲げられた国学者・堀尾三子の歌。
秋なら、名に負う鈴虫と松虫の声を聞きたいところだが…。と歌われる安楽寺は、法然上人の弟子の十蓮と安楽が「鹿ケ谷草庵」を結んだことで始まっている。
二人が勤める声明は、まことに美しく、魅かれて出家する者が出るほどだったとか。“五木親鸞”連載中もそのような個所は印象に残った。
その中には、後鳥羽上皇からことさら寵愛を受けていた女官の松虫と鈴虫の二人がいて、夜中に密かに庵を訪れ剃髪出家し、尼僧となっている。
これを知った上皇は激怒した。ここから専修念仏教団への弾圧が始まり、十蓮・安楽両上人は斬首、法然上人は讃岐国に、親鸞聖人は越後国に流罪に処せられていく。流罪地から戻られた法然上人が、弟子の二人の菩提を弔うために荒廃していた草庵を復興し、「十蓮山安楽寺」と名付け追善の寺とした…。
そんな由来のある安楽寺への道すがら、ほととぎすが「ほーー」と声を引きながら鳴き交わしていた。
お地蔵さんの日ですからと、受付ではパンフレットに飴玉が二つ入った小袋を添えてくれた。普段は公開されていないので、いつ通っても拝観はかなわないというタイミングの悪さ、今日が初めての参拝になった。
本堂の中、正面に低い木の台を据え、わざわざヒールの靴を履いて上がった女性によってメキシコの歌だとかが歌われ出した。靴など脱いだらいいのにと思ったものだ。若い人たちが集い、なかには外国人の顔も見え、大きな笑い声が上がっていた。寺は町ののりしろ。人と人とをつなぐ場へと様々な取り組みがなされているが、お地蔵さんの日でもあり、その一つの企画なのだろう。
受付にいた黒い作務衣を着たかわいい女性が出てこられて「ようお参りでした」と笑顔で送られた。嬉しや嬉しや。一番あたたかく心に響いた。
「花洛名勝図会」の安楽寺(左京区鹿ケ谷)に掲げられた国学者・堀尾三子の歌。
秋なら、名に負う鈴虫と松虫の声を聞きたいところだが…。と歌われる安楽寺は、法然上人の弟子の十蓮と安楽が「鹿ケ谷草庵」を結んだことで始まっている。
二人が勤める声明は、まことに美しく、魅かれて出家する者が出るほどだったとか。“五木親鸞”連載中もそのような個所は印象に残った。
その中には、後鳥羽上皇からことさら寵愛を受けていた女官の松虫と鈴虫の二人がいて、夜中に密かに庵を訪れ剃髪出家し、尼僧となっている。
これを知った上皇は激怒した。ここから専修念仏教団への弾圧が始まり、十蓮・安楽両上人は斬首、法然上人は讃岐国に、親鸞聖人は越後国に流罪に処せられていく。流罪地から戻られた法然上人が、弟子の二人の菩提を弔うために荒廃していた草庵を復興し、「十蓮山安楽寺」と名付け追善の寺とした…。
そんな由来のある安楽寺への道すがら、ほととぎすが「ほーー」と声を引きながら鳴き交わしていた。
お地蔵さんの日ですからと、受付ではパンフレットに飴玉が二つ入った小袋を添えてくれた。普段は公開されていないので、いつ通っても拝観はかなわないというタイミングの悪さ、今日が初めての参拝になった。
本堂の中、正面に低い木の台を据え、わざわざヒールの靴を履いて上がった女性によってメキシコの歌だとかが歌われ出した。靴など脱いだらいいのにと思ったものだ。若い人たちが集い、なかには外国人の顔も見え、大きな笑い声が上がっていた。寺は町ののりしろ。人と人とをつなぐ場へと様々な取り組みがなされているが、お地蔵さんの日でもあり、その一つの企画なのだろう。
受付にいた黒い作務衣を着たかわいい女性が出てこられて「ようお参りでした」と笑顔で送られた。嬉しや嬉しや。一番あたたかく心に響いた。
京都は外国人が多いのは知っていますが、
その人たちは安楽寺も含めて、どれほどの
ことを知っているのでしょうね。
鹿ケ谷と聞けば私は「鹿ケ谷の陰謀」「俊寛」など
浮かんできますが
全て小説からで知識とは言えませんが…
申しわけないことですが、安楽寺も知りません。
これを機に記憶に留めたいと思います。
寺社仏閣だけでもあちこち観光しているようですが、
どんなふうに感じているのでしょう…。
溢れかえっていますよ。場所によっては歩けなくて、前に進まず少々イラッとすることも…。
ホテルばかりが増えていますし、おかしな現状です。
昨年1月にi庫裏からでしたか出火し、ニュースでびっくりさせられました。お一人亡くなられているのです。
私も深くは知りませんが、十蓮、安楽のお二人が念頭にあり、一度と思いながら逃し続けて、
ちょうど特別公開の二日間にお地蔵さんの日が重なりまして、
明るい笑い声が嬉しくもありました。
魅力があるお寺ですね。
パンフレットにあめ玉が2つ。
心が籠っていますね。
作務衣の若い女性の見送りにも
心が洗われたことでしょう。
外国の方は靴を履いて....。
お国の習慣の違いなのでしょうか。
私も最近は体がきついことばかりです。
加齢との戦いですね..。
「600円です」のそれっきり。
参拝者もほとんどなく静かでいうことありませんでしたが…。
「ようお参りでした」、言葉は心の表れですね。
寺のこれほどの由緒を多くの方は知らないと思います。
門は開いていましても公開されていないので、忘れずにようやくつかんだ機会でした。