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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「鹿の國」 神前に鹿を捧げる

2025年01月17日 | 映画・観劇

神前に鹿を捧げる古代の神事を今に伝える信州の古社・諏訪大社。
諏訪大社の一年を記録し、幻だった「御室(みむろ)神事」の芸能を〈再現〉し、諏訪の古代信仰の世界を描いたドキュメンタリー映画『鹿の国』を観てきた。

厳冬の3ヵ月間、神域の穴倉に籠められた、大祝(おおほうり)の代理であるオコウさま(神使 -少年)の前で芸能が繰り広げられ、祈りを捧げたりする。
そして春4月になると、化粧を施されて大祝が出現し、鹿の首を捧げる御頭祭(おんとうさい)が行なわれる。

大祝(おおほうり)とは、「くまん……の、この諏訪の地のあらゆる神、生命、精霊をも含めた集合体(?)」、確か、「9万7千〇びゃく〇〇」と聞き取ったはずが、忘れてしまった。
室町頃までは75頭の生首が捧げられたというが、今は本物の鹿であっても剥製を捧げている。


物の種をまき命を育み、田植えをして収穫を喜び合い、自分たちの生活圏近くに住む獣を狩猟し、その肉をいただくなど、生命の循環に感謝と祈りを捧げ、人間の四季の営みが繰り返される。
過去から現在、そして未来への祭りの継承の場面に、「鹿なくてハ御神事ハすべからず」だった。鹿は、海のない諏訪の里の産土神かしら。

「鹿の國」と聞かされてもさっぱりで、事前に監督の弘 理子(ひろ りこ)さんへのインタビュー記事を拝見しておいた。
諏訪信仰って…。ちょっと調べてみようか。




かつて観た死と再生の物語、映画「チロンヌㇷ゚カムイ イオマンテ 白川善次郎エカシの伝承による」を思い出している。

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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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鹿の国 (Rei)
2025-01-18 10:02:30
神事はいつも厳かなものですね・・・
神事には縁遠くてすみません。
北海道の熊祭りは何かで見ましたが鹿とは。
剥製を使うなど今風ですね。動物愛護の観点からでしょうか。
武田信玄好きで諏訪大社などの歴史を小説で知りました
諏訪から姫君が信玄に嫁ぎ(側室)秀頼を生みました。
秀頼は悲劇的な最期を遂げました。
信玄に思いを馳せ諏訪湖一周などしました。
返信する
思いを馳せながら (kei)
2025-01-18 12:11:01
古来から続く、八百万代の神への感謝と祈りが祭祀の源流にあるわけですよね。
御室にこもって、さまざまな所作(即興)で舞い、歌い、大声で笑いあい、音を立てて囃すのも、
人の心はカミへ向けられているのですから神事なのですね。
この先も長く継承されるには、人と人との交歓(神賑行事)も祭りには欠かせない要素です。
さすがに生首は時代も変遷、変化しますよね。

「信玄に思いを馳せ諏訪湖一周」でしたか。
信玄は大河ドラマで見る程度しか知らないで居ります。それすら??です。
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おはようございます! (みょうが)
2025-07-10 10:58:36
keiさま
いつもありがとうございます
「鹿の國」神前に捧げるを拝見いたしました
こちらの写真/ポスターはたいへん厳かですね
諏訪地方を訪れた時
初めて生き神さまのお話しを私は聞きました
「百年ほど前までいらしたそうです」とガイドさんは説明してくれました
今でも生き神さまはいらっしゃるのでは?と私は思いました
数々の神事も変化はあるもののずっと続いているような気がいたします
とても興味深かったです
また拝見させてください
返信する
生き神さま  みょうがさん (kei)
2025-07-10 17:51:57
みょうが さん、こんにちは。
こちらこそご縁をいただきありがとうございます。
私は大昔、学生時代に諏訪地方を訪れているのですが、
目的が違ってか(笑)神事に関して何も知らぬまま…。
今ならそうしたお話をうかがいたいものです。
大自然への畏敬の念、大地の恵みに感謝して生きる古来からの祈りや感謝が脈々と流れ伝承され、今に至るのですね。

このようなことをお話させていただく機会がありませんでしたね。ザンネン(笑)
コメントありがとうございました。
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