京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

『渡良瀬』

2019年06月05日 | こんな本も読んでみた

「こんな電気工事の教科書みたいな小説のどこがおもしろいのか」と書いた評者がいたという。 『渡良瀬』(伊藤整文学賞受賞)

作品では最も細かく、熱を入れて、芸術作品づくりのような愛情をこめて、配電盤の配線についてが描写されている。その分量も半端ではない。
まったくわからず、理解しようにも想像すらできないので難しい単語は読み飛ばす個所もあったが、主人公・拓の仕事へかける思いが熱く伝わる。
職場の人間関係も、それぞれ職人としての描写も、丁寧に細やかだ。時代の背景は昭和天皇が倒れ、平成に移る時期。

28歳の拓は東京で電気工として仕事をしていたが、妻と子供3人を連れて茨城県古河市に転居。配電盤団地内の電気工場で配電制御盤配線工として勤務する。長女が緘黙症、末っ子の長男が川崎病になり、主人公もアスベスト禍で肺を痛めている。進んで残業をこなし、夜遅く玄関灯も屋内の電気も消えた家に帰って行く。妻は子供と一緒に休んでしまっている…。
読み進むにつれて28歳の拓が好きになっていく。
渡良瀬の遊水地、田中正造、谷中遺跡についての個所も関心をもった。

佐伯一麦氏自身の人生が反映されている作品。氏は私小説作家とは言われるが、私小説の概念を変えたい、広げたいという一つの思いがあると言われ、「自分の内面をほじくり出して描いていくのはあまり得手ではない。自分を取りまいているものを書くことによって、自分というものを描けないかと思います」と語られていた。
新著『山海記』を読んでみたいと思っている。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする