随分シンプルに原作は映画化されたと感じた。
『長いお別れ』(中島京子)を取り出して開いてみると、ティッシュペーパーにはさまれたままのモミジの葉っぱが3枚出てきた。読んでいたのは17年の10月頃だった。帯には「認知症の父と家族の温かくて切ない十年の日々」とある。
「少しずつ記憶を失くして、ゆっくりゆっくり遠ざかっていくから、認知症のことを英語でロンググッドバイ(『長いお別れ』)と呼ぶんだよ」
「遠からず訪れる永遠の別れのその先にも、自分は何度も母の言葉を思い出すだろう。いつも、何度出会いなおしても、母が好いてくれたという確かさに、自分はきっと勇気づけられるだろう」
「母」を「父」に置き換えてもいい。一つの命とこのように関わり合う生があって、(母の)いのちは輝きを放つ。
そして、再度「人間は思い出の器」という言葉を思い出している。
この言葉を引いて、福島泰樹氏は「だから大切に葬ってあげなければいけないんです」と言われていた。
老々介護の母は娘たちに愚痴って愚痴って、怒って、揺れて。介護の壮絶さ…。でも、介護される側の生だって壮絶だ…。全ての人生は、壮絶であると…。あれこれ原作を振り返ってみた。