京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 「デンデラ」

2011年07月21日 | 映画・観劇


「めでてえな」と男の声。
70歳になったカユ(浅丘るり子)は山行きだった。
画面は、死装束を身につけたカユが、降りしきる雪の中を姥捨山へと仰向けに背負われたまま、無言で山深く入っていく姿を捉え続けていた。合掌して男が去ると、運命と受け容れているのかカユは「極楽浄土へ、極楽浄土へ」とつぶやき出し気を失ってしまう。

命を助けられたカユは、そこに30年前に捨てられたメイ(草笛光子)によってデンデラと呼ばれる共同体が築かれていることを知る。顔見知りや親しかったものたちが生きていたのだ。カユでちょうど50人。家族のために生きてきて、村や家族を救うためにと捨てられた女達は、村を襲撃する準備と訓練を重ねていた。
女達の形相はすさまじい。それを見ながら、復讐心に燃えるメイは言う。「他の多くのものにとっては本当は復習などどうでもいいのだ。何か目的があったほうが生きることは楽しい」と。

五日後に村襲撃を控え、熊に襲われる。目を背けたくなるような何度かの熊との格闘、さらには雪崩に巻き込まれてと、メイをはじめ多くの女が次々に死んでいく。熊を捜しに出たカユだが、雪の斜面を駆け下りたその先は…。そして、熊を目の前にして「…結局どっちが勝ったことにるのだ?」の一言でエンディングとなった。どう解釈しよう…。

デンデラで暮らしながら「死にたくはなかった」「生きていたいと思った」と聞こえるつぶやき。
メイは言っていた、「ここにいる者たちは捨てられたことで一度死んだ。けれど、ちゃんと死ぬためにもう一度生き返ったのだ」と。いくつかの言葉が頭に残っている。

『デンデラ』、生きようとする執念や力強さにあふれ、手に力が入りっぱなしの映画でした。




コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする