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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 団扇ゆらゆらと

2009年07月31日 | 今日も生かされて
一カ月にわたる祇園祭は三十一日、八坂神社境内の摂社疫神社の夏越祭で幕を閉じた。山鉾巡行を終えるとやがて「夏」本番、という例年の流れに乗れないままでいる。夏らしい雲が湧きあがることもない。雨続きで蒸し暑く、こもりがちだった湿気を飛ばそうと窓を開け風を入れることにした。

家の造りは夏を基本とするのがよいと。夏の部屋着も、もっぱら涼しさが旨となる。‘涼しげ’ではなく実質‘涼しいこと’を追い求める。当然肌の露出面は広くなる。誰も見ていやしないという気楽さ。ただ、油断しきっているわけでもない。なぜなら、‘着て出るもの’をちゃんと椅子の背もたれなどにかけておくのだから。

来客!誰!? 着るべきか、否か?……瞬時の判断を下す。「は~い」と声だけ届けて、しばしお待ちいただく。
裏返しで身を飾らないよう気を配り、何度でも速攻での利用可能状態で待機させておく服。あまりざっくばらんな格好でも、…口封じの手を持ち合わせないこの身。世間体だけは気にするようだ。これだって私流のエコライフだと開き直るとしようかな。

  『…… / まろやかに 満月のよう /  ゆらゆらとそよ風を送り / 
  君が衿もとにしのび入る  / 気がかりでならぬは 秋が来て  /
  涼風が熱気を消し去るとき / ……』

夏には愛用されても秋には不用となる扇。帝の寵愛を失ったわが身にたとえ、漢の帝の愛妃班婕(はんしょうじょ)が詠っている。
                            
冷夏だと言っているのが聞こえてくる。団扇で微風を起こせば済むだろうか。

                  (鈴木春信「団扇売り」)
コメント (5)
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