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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

三歳の子に教えられ…

2009年07月17日 | 明日何が咲くか-①

お地蔵さんに手を合わせている。「何もお願いしてへんわー」。昨日、Jessieを連れて祇園祭で賑わう四条烏丸周辺へ出かける途中のこと。

傍らに誰がいようともJessieにとって、この世で最も尊いのはマミィちゃんのようだ。たとえ私と二人きりの時間を過ごしていてもだ。姿を見たとたんに私の存在など無きに等しい。
親子(わが娘)でも生き方・信条、性格、感性……には相違がある。似ていたとしても、生きてきた社会的・人的環境も違うのだから、個人的なことで当然だろう。とやかくいう必要もないはずだが、いさかいは生じる。

毎日Jessieを引っ張って行っては覗き込んでいた朝顔の葉っぱ・ほてい草、ねじり花。
お祭りから帰宅して二人で見つけた蕾。ほてい草の伸びた茎の先に、少し黒ずんだ紫色がかった蕾がわずかに膨らみをおびている。「やったね~、明日の朝は、きっとお花が咲いているね」「うんうんうん・・・」

♪咲いた~ 咲いた~
今朝、それとなくJessieに聞かせるように口ずさむ。
一瞬の間を置いて、「咲いた?」
「お花が咲いた~~~」と言葉を添えると、
即、反応した。通じた!うれしいよ~~
「きれいに咲いたー」 あかるい声が返ってきた。

「マミィちゃん、ほらっ・ほらっ!」と誘いだす。
まったく!な~んにも見てないんだから…。わが娘、3歳児によって教えられ開花してゆく世界なのか。もっとも、子に教えられることが多いのも事実だが。

自分とは異なる感性に触れてわくわくし、感動の持てる存在を発見したりしては喜んで暮らせることも、素敵な日常だと感じている。人、他人への思いを深めるに違いないだろう。
私の世界なんて狭いし、体験も知れている。だからこそ、他人の経験や考え方を知ることで、人生もろもろ…の見方を豊かにもし、深めてもいけるのだろう。

今後、違った環境で生きるJessie。私に聞く耳さえあれば、彼女を通しいくつもの発見をし、多くのことを教わることになるのでしょう。
コメント (6)
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