kyon's日誌

つれづれに・・・

遺跡発掘を見て・・・

2014年05月12日 | 日記
先だって、な~んも見たい番組も無くて、ひょいと番組検索してたら遺跡の発掘を教育テレビでやってた。
何気に見入ってしまった(^_^;)
歴史の過去を暴く作業だ。
コツコツと土を掘り、丁寧に丁寧に淡々とやるが、地味~な仕事だ。
わぁ~~っっっ!!!・・・とか、きゃぁぁ~~っとか・・
まぁ、そのような熱狂するような騒ぎ方はしない(笑)
例え、そこに新しい発見を見出したとしても・・・思いを抱きしめるような静かな喜び方をしてる。
爆発するような感動を受けながら、何だかしみじみしてる。
過去をほじくり返して何が楽しいのか・・・と思わないでもないが、違う。
違うのだ。
そこに古代の人々の思いを見出すのがどれほどの価値なのかも私には分からん。
分からんけど、何だかロマンを感じる。

今はアヤシゲな外交問題になってる朝鮮半島と、倭国と呼ばれた日本との古代の深い関係性が推察される証拠を見出す作業なのだ・・・面白くないはずが無い。
テレビの遺跡は馬具に関するものだったが、
同じものが朝鮮半島でも発掘されていて、明らかに貰い受けたものか?・・・っつう
箱に納められ、まるで隠すように急いで土に埋められたもの・・・らしいと推察していた。
中でも珍しいのは、
馬の顔を守る面、背や尻に付ける飾りが優れモノで、細工技術的にも当時の日本には見当たらない。
よほどの良い関係性が無ければ有り得ないモノらしい・・・と。

案外ね・・・古代では今よりずっと大らかに自由に行き来できていたのかしらね~?

国という柵はあっても、人と人の交流は政治的なものを越えて、深い信頼関係で結ばれていたのかしら~・・
思いはあれこれ巡る訳であります。
一体、どこから線引きして対立するようになってしまったかと思ったりする訳です。

私らの学生時代は「任那」が日本の出先機関のような役割を果たしたと習った。
秀吉はその任那を足掛かりに朝鮮出兵を断行した経緯はくだらないが。

その「任那」には「伽耶国」として、ちゃんと王国があったらしいとか、
新羅との交流は思った以上に濃厚だったのだな~とか、
その朝鮮半島内でさえ、国同士の権力争いがあり、日本との関係性はかなり密接だったとか・・

海という、たやすくは行き来は出来ない距離があったのに、
古代ではひたすら船を漕いだのねぇ・・・とか、
想像はあれこれ巡る訳です。
古代に思いが馳せる訳です。
そういう作業を淡々としている・・・発見の喜びを噛みしめる・・・
その発見者達の作業は慎重で丁寧、静かに行われている・・・凄いなぁ・・・と思いながら見た。

古代人も現代人も、
結局は大して変わらない・・・
人が生きてく過程で、思いにそんな劇的な進化は無いのだね・・・
物理的な肉体や道具は進化しても、人としての在り様は、進化しようがないものなのかもね・・・
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする