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老後は京都で !

京都の町中(堺町六角)と東京(青山)を気ままに行き来する二地域居住を実践中。 

歴史(とき)の記憶 ~ 石田梅岩邸址の石碑

2021年02月12日 | 江戸時代の京都

歴史都市・京都には

当然のことながら

石碑が多い。

池田屋騒動や龍馬暗殺など

事件現場を示す石碑はもちろん、

歴史上の人物の邸宅跡

を示す石碑なども。

冒頭の写真は、

堺町通蛸薬師上ルにたつ

江戸中期の思想家

石田梅岩の邸宅址の石碑。

下は、その石田梅岩の

「都鄙問答 」の現代語訳。

「『都鄙問答』は 松下幸之助氏が座右の書 とし、

「経営や仕事に行き詰まったら読みなはれ」

と他の人にも勧めていたといいます。

また、京セラ創業者の稲盛和夫氏 も 

「石田梅岩が私に与えてくれたものは計り知れない」と述べ、

福沢諭吉や渋沢栄一にも大きな影響を与えています。

しかし『都鄙問答』は原文が難解で、

現代人に読まれる機会は限られていました。

本書は史上二冊目となる全文現代語訳。

江戸期、石門心学の創設者・石田梅岩が

門弟や士農工商の枠を超え、

多くの人と交わした問答が収録されています。

「人はなぜ祈るのか」「人の性は善か悪か」

といった根源的な問いに始まり、

商人の心得、読書の仕方、

息子を医者にと考えている親への助言など、

そのやりとりは示唆に富みます。

不正な手段で儲けることを厳しく戒め、

「正直な商人道」を貫くように

と説いたその教えは

「日本のCSR(企業の社会的責任)の原点」として、

今日高く評価されています。

企業のあり方が問われる現代こそ、

『都鄙問答』の精神を学び直す

絶好の機会と言えるでしょう。 

石田/梅岩

1685~1744年。江戸中期の思想家。

石門心学の始祖。

丹波の人。本名、興長。小栗了雲に師事。

実践的倫理思想をわかりやすく説き、

町人層に歓迎された       」(内容)

( 追記 )

下に掲げたのは、

「石碑道楽」を自認されている

伊東宗裕という方の書かれた

「京都石碑探偵」。

こういうライフワークが

成り立つのも、

京都という街の魅力 !

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