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老後は京都で !

京都の町中(堺町六角)と東京(青山)を気ままに行き来する二地域居住を実践中。 

京都市営バス(市バス)

2008年08月08日 | 記憶のなかの京都 (昭和40・50年代)

薄グリーン色の地に、横に濃い緑の帯のボディの、京都の市バスの車両のデザインは、私の学生の頃(三十数年前)のままだ。

大学を卒業し京都を離れた後、何年か振りで、京都を訪れる度ごとに、まだあのバスが走っている、と確認し安緒していた。

あたかも、その時々の変わりゆく京都と、「私が学生時代を過ごした街、京都」との、連続性や同一性を、バスのデザインが同じであることが担保しているかのように。

今でも市バスはよく使う。

特に、新幹線で京都に着いた夜は、拙宅のある堺町六角の近くにバス停のある、5系統を使う。

地下鉄やタクシーという手もあるのだが、少なくとも京都に着いた夜に地下にもぐる気はしないため地下鉄はバツ、タクシーも(距離が近いので、複数人数だと料金的には割安になるのだが)、視線の位置が低く、視界も狭いため、京都に着いた、という感興がイマイチ盛り上がらないため、これもバツ。

結局、市バスが一番、ということになった。

5系統に乗ると、京都駅から烏丸通りを北上するのだが、ライトアップした東本願寺の山門をかわぎりに、バスのフロント・ガラスやウィンドー越しに、次々に展開する、夜の京都の街は、実に美しい。

四条高倉のバス停(野村證券・京都支店の前)で降りるから、せいぜい10分もない短い時間なのだが、「京都に着いた気分」を高めるには、これ(市バス)が欠かせない、というのが現在の結論だ。

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レストラン菊水

2008年07月21日 | 記憶のなかの京都 (昭和40・50年代)

三条大橋の両側の景観は、私の学生時代(30年以上前)とは随分変わったが、

四条大橋のそれは昔のままだ。

橋の西側には東華菜館があり、東側には南座とレストラン菊水のビルがある。

菊水の一階は軽食&喫茶、二階はレストランになっているのだが、

夜の時間帯、四条通りに面した二階の席から、

ライトアップされた南座の前の人通りを見下ろしながら食事をするのが私は好きだ。

それは、鴨川の対岸の川床からライトアップされた南座を見るのと似ていて、

「変わらない京都」を確認できる、

私にとってのノスタルジック・スポットとでも呼んでみたい場所なのだ。

この菊水には、作家の山村美沙さんも通われたと、以前何かで読んだことがある。

京阪四条駅のすぐ上、阪急河原町駅からも近く、

とにかく目立つ南座の建物の向かい、ということもあり、

一階の喫茶は、大阪方面から京都にくる人との待ち合わせにもよく使われる。

【追記】

らくたび文庫の「京の近代建築」に、レストラン菊水や東華菜館、南座などの建物が、たくさんの写真入りで紹介されている。

京の近代建築 (らくたび文庫) 京の近代建築 (らくたび文庫)
価格:¥ 500(税込)
発売日:2008-09

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「京の学生文化を歩く」

2008年07月06日 | 記憶のなかの京都 (昭和40・50年代)
京の学生文化を歩く―’60‐’70年代グラフィティ (らくたび文庫) 京の学生文化を歩く―’60‐’70年代グラフィティ (らくたび文庫)
価格:¥ 500(税込)
発売日:2007-11

らくたび文庫は東京の書店でも京都本のコーナーにそれなりのスペースをとって陳列されている。

その、らくたび文庫のシリーズの一冊としてこの本が出たときは思わず中身も確認せずに買ってしまった。

執筆は、伊藤公雄という社会学が専門の京大教授のゼミ生たちによるものらしい。

最近の京都本でも、必ずといってもよいほど採り上げられる、学生街の喫茶店「進々堂」や、四条の路地裏にある「築地」、鴨川沿いの「リバーバンク」のほかに、

「デューク」、「なかじま」、といった懐かしい名前がどんどん出てくる。

それにしても、高野悦子さんの「二十歳の原点」にもしばしば登場した「シアンクレール」や、高瀬川沿いの桜並木が窓から見えた「みゅーず」の、当時の写真というのは、なんとしても手にはいらなかったのだろうか?

(→この種のテーマの本で、現在の、駐車場や焼肉屋の写真をのせられても、オジサンやオバサンたちは決して納得しないだろう)

いずれにしろ、500円で、昭和40年代の、学生がまだ熱かった時代の京都に、タイムスリップできる面白い企画だ。(Y)

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「東西書肆街考」

2008年07月04日 | 記憶のなかの京都 (昭和40・50年代)

 

東西書肆街考 (岩波新書 黄版 87) 東西書肆街考 (岩波新書 黄版 87)
価格:¥ 819(税込)
発売日:1979-06

京都には古書店の数が多い。

経済学者の脇村義太郎氏が

「東西書肆街考」(岩波新書)で紹介した

老舗古書店もほとんど健在だ

(同書は、前半で京都の、後半で東京の

古書街の歴史について書かれた本で、

個々の古書店の歴史についても

ふれられている珍しい本だ)。

同書にも出てくる河原町通りにある

京阪書房、キクオ書店、赤尾昭文堂などは、

学生の頃よく通ったし、

今も、京都に行った際は

必ず立寄るようにしている店だ。

「赤尾昭文堂という店はもうないんですか」

ある時、少し慌てた感じで、

年配(といっても私より少し上なだけ)の男の人が

キクオ書店でご主人にたづねている。

その時、温和なご主人は、

「二階に移ったために少しわかりにくくなったようですネ」

と答えられたので、

その年配の男性は安心したようだったのだが、

そうした問答を聞いていると、

三十年以上前に京都で学生時代を送った人間にとって

京都の老舗の古書店というものがどういうものか、

あらためて伝わってくる。

河原町通り(西側)を四条から上がっていくと、

赤尾昭文堂、それから、大学堂、

三条の交差点を渡れば京阪書房、

渡らずに北上すればキクオ書店、

これらは、その距離感を含め、

京都で学生時代を送った人間には、

身体的な記憶といってよい程のものなのだ。

あるべきところにあるはずのものがない、、、、

前述の男性はだから、パニックに陥ってしまったのだろう、

大げさにいえば、

まるで東山五条から八坂の塔が消えてしまったかのように。

京都にはこうした店や建物が実に多い、

みんなが、永遠にそこに在るのだろう、、、

と勝手に思い込んでいるものが。

京都というのは、いわば、そうした記憶の中にある街なのだ。

だが、現実の京都は少しずつだが変わっていく。

そのギャップに気づいたときパニックに陥る。

他人事ではない。

東西書肆街考 (岩波新書 黄版 87) 東西書肆街考 (岩波新書 黄版 87)
価格:¥ 819(税込)
発売日:1979-06

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