2010年10月5日中国集安の公園での映像
石川知裕小沢元代表の元秘書が録音した『動かぬ証拠』によって検事が作った
供述調書は信用できないとして指定弁護士が証拠申請した48通のうち16通については
全面的に証拠採用されないことになった。
と何を突然言い出したかというと私がこの裁判『政治資金規制法違反(虚偽記入)
の罪で強制起訴された民主党元代表小沢一郎被告の裁判』については考えても考えても
わからないことだらけでわからないことなど山ほどあってわからないことなど普通の
ことでわかっていることなどなにもない私だがこの件については2010.10・5に
第五検察審査会の2回目の「起訴すべき」とする議決により強制起訴された経緯があって
その日の事をはっきり覚えていてあまり覚えていることがない私が覚えていることが
あったので少し自慢で覚えている覚えていると言いたいばかりに食い下がっている。
どうして覚えているかというとその時私は中国の集安にいて中国の巨大スクリーンに
写し出された小沢さんのアップされた顔を鮮明に覚えているからだ。
中国でそれだけの扱いなのだから日本では蜂の巣をつついたような騒ぎになって
いることは明らかだった。
その検察審査会が判断する資料として採用されていた資料が今回『検察官の取り調べに
威圧や利益誘導があった』として証拠として採用されないという事実について
あの時は大騒ぎして良かったのだろうかとかもしあの時今回不採用となった資料が
なかったら検察審査会は起訴すべきだとしたのだろうかとか言うニュースが全くない
ことがまたしても頭を抱える材料になっているのだ。別に私が頭など抱えることは
ないのはわかっているが人間ってあの人は悪い人だ悪い人だと言ってしまった手前
あの人は悪い人だと誰からも認めて貰わないと納得しないのだろうか。
悪い人だと思っていた人がいい人だったりいい人だと思っていた人がもう顔を
見るのも嫌だというようなことはよくあることだがなんのことはないほかでもない
この私の都合によっていい人にも悪い人にもなるというような無名の人間のこと
ではなく中国の巨大スクリーンにまで大写しされた事件なのだから同じような
大きな扱いになっていないことが気にくわない。
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