森の空想ブログ

小さな愛嬌者・高千穂神楽の八鉢/太鼓の上で逆立ちをする、芸能の神・薬学の神[MIYAZAKI神楽画帖-神楽を伝える村へ―<21>]

小さな愛嬌者・高千穂神楽の八鉢/太鼓の上で逆立ちをする、芸能の神・薬学の神[MIYAZAKI神楽画帖-神楽を伝える村へ―<21>]
高千穂神楽の「八鉢(やつばち)」は怪異な面を被り、覆面
をして現れ、印を切りながら呪的な舞を舞う。そして、逆立ちをしたり、客席に出て観客と遊んだりする。愛嬌たっぷりの神様である。最後に、太鼓の上に飛び乗り、太鼓を叩いたり、逆立ちをして足指で御幣をつまみ、神楽の所作をしたりする。
この神は、少彦名命といい、蛾の羽の衣装をまとい、ガガイモの葉の舟に乗って常世の国からやってきたという、小さな神様である。その由縁(いわれ)や神楽に取り込まれて演劇化された過程などはなかなか面白い。

*以下は「森の空想ブログ」2014年1月22日の記事を再録。



「狂言記」(岩波書店/1996)は、江戸初期に纏められた「狂言」の台本集だが、その原本として「天正本」「祝本」「虎明本」等の中世から戦国期にかけて著された狂言の台本が使用されていることから、内容は、中世にはすでに確立していた狂言の古体を伝えるものであることがわかる。
この書物の中に、「羯鼓焙烙(かっこほうろく)」という演目があり、新しく立った市場への先乗り争いをする「羯鼓売り」と「焙烙売り」の問答が記録されていて、そこに「八撥(やつばち)」という言葉(芸能の一形態)があって興味深い。
―前段略
・羯鼓売り「すなわちこの羯鼓と申すは、稚児・若衆たちが羯鼓遊び、八撥などと申してござりまする」
とあり、羯鼓売りと焙烙売りの丁々発止の問答の末、羯鼓売りがその撥で焙烙売りの鍋を打たせて(叩かせて)割らせようとする策略であったことが明らかになるのであるが、この後、羯鼓売りと焙烙売りは掛け合いで「相打ち」に太鼓と鍋を叩きながら舞を舞う。すなわち場面は、新市の「祝儀舞」へと転換されてめでたく終わるのである。ここには、狂言のもつ呪術的祭儀・祝福芸としての古形が示されるが、そこに「八撥」という言葉があることは、高千穂神楽の「八鉢」を見てゆくうえでの参考となる。
「羯鼓」とは、雅楽に用いられる小さな鼓のような打楽器のこと。高千穂の「八鉢」が太鼓の上で逆立ちをして太鼓を打つ所作をしたり、御幣を逆立ちした足指の挟んで神楽の舞い振りをまねる所作などが関連していると思われる。



その神は、芋茎で出来た船に乗ってやってきたという。蛾の皮またはミソサザイの羽で出来たお洒落な服を着たこの神は、生まれた時、父神の神産霊神の指の間からこぼれ落ちたほど、小さな神であったという。
その可愛らしい神・少彦名命は、海の彼方から出雲の国にやって来て大国主命と出会った時、大国主命が掌の上で玩ぶと、跳んでその頬を噛んだという悪戯者である。その後、大国主命と力を合わせ、国作りをする。その活躍によって薬学の神・穀霊神・酒造りの神・芸能神など多くの神格を獲得して人気者となった。

高千穂神楽「八鉢」は、この少彦名命伝承に基づく演目である。口をへの字に結んだいかめしい表情の仮面を着け、赤い布で頬被りをした八鉢は、腕組をした気難しい表情で現れるが、神庭の中に寝そべったり、でんぐり返りをしたりして愛嬌をふりまく。そして、太鼓の上に逆立ちをしたり、足の指に挟んだ御幣を振って舞う所作をしたりして神楽宿の中を大いに賑わせる。
2008年の秋元神楽では、妙齢の婦人が、誤って拝観者の荷物(カメラバッグ)を跨いで客席を横切ったことに怒った荷物の主が、失礼を詫びる女性に、大事な道具を跨いで通るとはなにごとか、と絡んだ。神楽の場は白けたが、その数番後、「八鉢」が客席に踊り込み、その荷物を、くるんでいた毛布と一緒に放り投げた。観客の拍手は一層盛大なものとなった。後で聞くと、八鉢役の舞人は、客同士のいざこざは知らなかったというから、この時の八鉢の行為は、「神意」というべきであろう。
たちまちその女性は八鉢=少彦名命に恋をしたが、粟殻に弾かれて常世の国へと去ってしまったというその神は、もうその場にはいなかった。

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