森の空想ブログ

巨大な狐面の神が降臨:米良山中に秘められた究極の神楽/西米良村・狭上神楽③[宮崎神楽紀行19-20<17>]





*上記までの画像はHiroshi Kanemaru氏のFBから転載。

狭上稲荷神社に供えられる供物が山の神信仰、狩猟民俗との集合を物語る。




「清山」。宮司と禰宜が舞う神迎えの舞。






淡々と舞い継がれてゆく「採り物舞」。採り物舞とは、榊、鈴、御幣、扇、劔などを手に採り、振りかざしながら舞う素面(直面=ひためん)の舞。「挟舞」「天任」「地割」は、御神屋を清め、地霊を鎮め、結界を画定して神々を迎える舞。「幣差」「住吉」などは仮面神降臨の地舞となっている。



「八幡様」が降臨した。この八幡神は、本社である村所八幡神社の「お代理様」である。村所八幡は、もともとは南朝の皇子・懐良親王を祭る「大王宮御川神社」だったが、後に宇佐八幡を勧請して村所八幡神社となったものである。西米良村内に分布する矢村・元山神社、竹原神社、横野神社とこの狭上稲荷神社が末社として分布し、それぞれに神楽を伝える。神楽を務めるのは村所八幡の社人で、神面は各神社に伝わる仮面が使用される。村所八幡の神面は出御せず、お代理様が出る。



主祭神「狭上稲荷大明神」の降臨。これが稲荷神の本体である。大山祇命すなわち山の神となっている。米良山系の神楽には銀鏡神楽の七社稲荷(赤い鬼神面)と六社稲荷(白い鬼神面)、越野尾神楽の赤稲荷(赤い鬼神面)と白稲荷(白い鬼神面)が分布し、赤白一対の稲荷面として降臨する。銀鏡の七社稲荷は山の神の伝承が付随する。



「奥方様」。米良山系の神楽の奥方様は磐長媛信仰、山姥=山の神信仰、産土神信仰、女神信仰などが混交しながら伝えられている。村所神楽の奥方様は当時の領主米良氏の奥方で、戦に破れて逃走中に夫を追って自刃するのだが、妊娠中であった。村人がそのことを哀れみ手あつく祀ると、村の女性の安産を約束する守護神となったのである。横野神楽の「産土様(さんどさま)」は山の神の化身である鹿を射た領主の一族に不幸が相次いだため、産土様として祀ると、村の守護神となった。小川神楽の主祭神として降臨する「磐長媛命」は悲運の生涯を小川川の辺で閉じるが、山の神として祀られ、山系一帯に分布した。狭上神楽の奥方様はこの系譜に連なっている。




「眷族様」の降臨。人頭大より一回り大きな狐面である。眷族様とは眷属神であり、山の神・稲荷神のお使い様である。一般的に、「狐」といえばお稲荷様と認識されているがそれは正しくない。稲荷の本体は前述の稲荷神であり、狐はあくまで眷属神なのである。眷属神には山の神の使い=猿、水神の使い龍・河童・蛙などがある。狐もその分類に入る。
狭上稲荷神社の社伝・口伝を要約すると、
『29代欽明天皇のとき、疫病が流行、五穀も実らず、多くの死者を出した。そこで、倉稲魂(うかのみたま)の夢の中に稲荷神が現れ、困り果てた群衆を救ったという稲荷縁起譚がある。
さらに時代を経て、4人の山岳修行者(山伏)が米良山に入り、狭上の東西南北に柴のいおりを結び、カズネ(葛根)、ヤマイモ(自然薯)、草木の実を食べ、木食の行を修めていた。4人の名は中山堂栄、煮田之尾勝法、山之左礼左近、西世法師と伝えられる。ある夜、西世法師の夢まくらに白髪の翁(おきな)が現れ、「われこそはオオヤマツミノミコトなるぞ。ここには自分の墓があるが、合わせて稲荷を祭れ。そうすれば、お前たちの子孫は末ながく栄えるであろう」と告げた。お告げに従って、4人は陵の隣に稲荷社を建立した。すると数日後、稲荷神の使いである白キツネが現れ、ヒエ、クリ、大豆、小豆を夜ごと運び、4人の行を助けた。この伝承を裏付けるように、東面する鎮座地には、オオヤマツミの陵と言われる塚を中心に、従臣の塚が囲んでいる。
その後、南北朝期に菊池の姓を隠し、米良と改めた米良佐太夫が入山、狭上の深山に隠れ住んだ。先祖の霊を同社に合祀(ごうし)、新たに社殿を造営、別当寺も置いた。社蔵の三鉾(みつぼこ)は佐太夫の名を刻み、菊池ゆかりの人々の参拝でにぎわった。』
となる。今もなお、米良山系や球磨郡一帯から参詣者がある。前述したように、米良山・椎葉一帯の山脈に狭上の修験・山伏が狩りの文書を配布したという根拠もここにある。


・この画像はHiroshi Kanemaru氏のFBから転載。

稲荷信仰の古形。古いといえば、ちっとやそっとの古さではない。口伝・伝承を辿るだけでも南北朝から飛鳥時代を飛び越えて、大和王権樹立前夜の天孫降臨の時代すなわち1800年前の日向神話の時代まで、その起源は遡るのである。いつの日か、大山祇命の陵墓と伝えられる古墳の調査が実施されれば、科学の光が当てられることもあろう。それまでは、想像力を駆使し、伝承を語り継ぎ、山中深く舞い継がれた神楽を継承してゆくことこそ現代に生きる者たちの大切な役割であろう。




夜が明けた。
米良山系の雲海を見ながら峠を越える。
上り10分、下りが10分の急な山道。それから谷沿いの道を10分で村所着。行きも怖いが帰りも怖い。
まだ身体の奥に神楽の音楽が響き続けている。

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