当日参加できなかった人や、ぜひ体験したいという申し込みなどがあったため、今回は、茶臼原自然芸術館の染色工房で、本格的な染色を行ない、データも得られたので記録しておく。
お茶の若葉は、友愛社の庭に植えられている茶の木からいただいた。
採集した葉をよく洗い、煎じる。この間、布に「絞り」を入れておく。
沸騰後15分~20分煮沸すると、少し茶色がかった淡黄色の煎液が得られる。
煎液を飲んでみる。「新茶」の味と香り。口中に清々しさが広がる。
煎液を布で漉しながら他の容器に移す。
布を入れ、煮沸。沸騰後約15分で布は淡い黄色に染まる。
これを木酢酸鉄を混入した媒染液に浸けてよく揉む。
するとたちまち液は黒く変色し、布が黒っぽい紫色に染まった。
10分ほど布を媒染液に浸しておき、もとの煎液に戻し、加熱。
約5分で濃い紫となる。
洗って干す。乾くと少し色は薄くなるが、紫がかった銀色に染め上がった。
古名「紫鼠(むらさきねず)」に近い色である。ここでは「銀紫」と名づけておこう。
以下は、「こもれ陽クラフト市」の記録(復習です)。
多くの来場者で賑わった高鍋町舞鶴公園「木もれ日クラフト市」の一角で、茶臼原自然芸術館では、お茶の新葉、山桜、枇杷の葉による染織ワークショップを行なった。
山桜は3月に開花前の枝を採集したものである。山桜は、採集後すぐに染めることを原則とするが、大量に得られて余分が出た場合などには蕾を付けたままの枝を細かく裁断し、保存しておけば、2~3ヶ月の間は利用できる。枇杷の葉は一年中使える。お茶の葉染めは、鉄媒染では「グレイが染まる」となっているが、若葉を用い、水・媒染剤・繊維等の相性がよく、染色の手順がよほどうまくいった場合にかぎり、紫がかった銀色に染まることがある。
椎葉村や米良山系など、宮崎県の中央山岳地帯すなわち九州脊梁山地の山々を歩くと、焼畑で焼かれたり、切り払われて新しい植生が芽生え始めていたりする所で、たくましく芽吹いているお茶の木を見ることがある。これを山の人たちは「山茶」と呼び、採集して茶葉として利用する。山仕事の昼休みなど、弁当を終えた後の焚き火で、山茶の葉を枝ごと折り取ってきてさっと炙り、ブリキのヤカンに入れて沸騰させ、飲用する。これをみると、喫茶の起源は渡来僧が伝えた頃に求められるだろうが、「山茶」は、古来この地に自生し続けてきた在来種なのだろうと思う。
「お茶は中国から伝わった」という定説は一考を要するのではないか。
山茶は、放っておくとどんどん伸びて、ちょうど剪定をしないサザンカ(山茶花)と同様の樹木となる。これと同じような茶の木から、直接手で摘み取りお茶の葉として利用している風景を、中国雲南省と国境を接するタイ・ミャンマー・ラオス国境の村(黄金の三角地帯)で見たことがある。九州脊梁山地の照葉樹林文化は、まさに東南アジア・中国雲南省南部等と連環しているのだ。
さて、今回のお茶の葉染めは、飲用の茶葉で染めるのではなく、あざやかな緑に輝く新葉で染めるのである。写真のようにたくましく野生化した茶の木から若葉を採集し、煮沸すると、ご覧のように淡い黄色に染まり始める。これだけでも参加者から驚きの声が上がるが、これに「鉄媒染」を加えることにより、紫がかった銀色に染め上がるのである。ポイントは「水」のようである。この日は、前日、スタッフが汲んできてくれていた500キロ近い水を利用した。その水がどこの水かは、スタッフの労力に敬意を表し、当分の間、内緒にしておこう。染色は「染める」作業だけではなく、染料の採集や準備などの下仕事を黙々とこなす裏方の存在があってはじめて良好な結果が得られるのだ。
お茶の新葉染めでは期待したとおりの紫がかった銀色(写真の一番右)が出た。古名「紫鼠(むらさきねず)」に近い色である。当日は、枇杷の葉染め、山桜の鉄媒染ともに上々の成果であった。染め上がった布が、若葉に映え、風に翻った。
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