朝鮮学校に対する高校授業料の無償化について、
先月、政府は結論を先送りして、協議し直す方針を出しています。
しかし、文部科学省は「授業の内容は判断の基準にしない」としており、
民主党代表者選挙に決着がつけば、
そう時間をあけずに無償化の方向で再び動き出すのでしょう。
先日、テレビの報道番組で、
北朝鮮の大人や子どもたちが整列し、
金日成の肖像を前に直立不動で礼をしている場面が放映されました。
今さら珍しい光景でもありませんが、
北朝鮮の国民教育は、日本の戦前のそれに極めてよく似ています。
朝鮮学校の無償化を主張する人々は、
「教育を受ける権利は平等」を主張しています。
「論ずべきは、教育の内容ではない」と。
果たしてそうでしょうか。
整列してお辞儀をしているのが日本人の高校生で、
その先に天皇陛下の肖像画と日の丸があっても、
朝鮮学校の授業料無償化を主張する人々は、
「教育の内容は問わない」「教育を受ける権利は平等である」
そう言って容認するのでしょうか。
そもそも、彼らは「朝鮮学校への授業料無償化を適用しないのは、
在日朝鮮人に対する差別である」と主張しています。
日本の高校が在日朝鮮人の入学を拒否しているのなら、確かに差別でしょう。
しかし、実際にはそんなことはありません。
多くの在日朝鮮人は、日本の公立学校に通っています。
この時点で、「差別」を論ずることは、同じ土俵ではありません。
民主主義においては、「平等」とは「機会」が平等であることを言います。
誰にも同じだけのお金をばらまくことを「平等」と言うのではありません。
また、「朝鮮の民族教育を尊重する」という主張もあります。
確かにハングル語や朝鮮史、朝鮮文化の教育も行われているでしょう。
しかし、一党独裁で個人崇拝を強要する教育の
どこが民族教育と言えるのでしょうか。
それは朝鮮労働党の思想教育であって、民族教育とは言いません。
国税は、国益のために使われるべきものです。
カネを出すなら、口も出すべきです。
ものわかりの良い顔をして、
せっせと朝鮮労働党教育のために血税を注ぎ、
世界中の物笑いのタネどころか、
国益に害悪でももたらすことにでもなってからでは遅いのです。
せめて 金利だけでもなくしてあげて
欲しいものですね
いまの経済政策じゃ、大学を卒業してから、ちゃんと返していけるのか不安で、借りることすらできません。