水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

大阪再訪(前置き①)-饒速日尊を訪ねて-

2023-01-18 | ├ 大阪(ひとり旅)

 

昨年10月、
饒速日尊(にぎはやひのみこと)に会うため、
およそ6年半ぶりに大阪再訪。

(前回記事 →

 

例によって本編はずーっと先になるので、
さわりだけご紹介します。

 

 

今回お邪魔したのは、

石切劔箭神社 上之社(東大阪市)
星田神社(交野市)
星田妙見宮(交野市)
二ノ宮神社(枚方市)

以上4社です。

 

 

 

最後の1社を除き、
ほぼ100%ニギハヤヒさん目当てで行ってきました。

 

 

まず、のぞみで名古屋~新大阪へ。

さらに地下鉄・近鉄と乗り換え、
最初の目的地である、東大阪市の石切に着いたのが9時頃でした。

続いて、交野市の星田へ向かいますが、
公共機関だととても遠回りになるため、
石切駅からタクシーに乗り四条畷駅まで。

星田駅で下車したのち、
徒歩と電車移動を繰り返して北上し、枚方市へ。

最後は、京都から名古屋へと戻りました。

 


(クリックで拡大)

新大阪(大阪メトロ御堂筋線)
 |
・なんば → 大阪難波(近鉄奈良線)
 |
石切
 |(徒歩10分)
石切劔箭神社 上社】9:15~10:00
 |(徒歩10分)
・石切
 |(タクシー20分)
・四条畷(JR片町線)
 |
星田
 |(徒歩15分)
星田神社】11:30~12:30
 |(徒歩10分)
星田妙見宮】12:40~14:30
 |(徒歩25分)
・私市(京阪交野線)
 |
・枚方市(京阪本線)
 |
樟葉
 |(徒歩20分)
二ノ宮神社】16~16:45
 |(徒歩20分)
・樟葉(京阪本線)
 |
・近鉄丹波橋 → 丹波橋(近鉄京都線)
 |
京都(のぞみ)~ 名古屋

 

 

けっこう移動したかなと思うけど、
前回の鬼のような乗り換えに比べればずっとラクでした。

 

 

 

式内社 石切劔箭神社 上之社

 

 

前回の大阪旅では、
時間の都合で石切劔箭神社(本宮)にしか参拝できなかったので、
是非とも訪れたかったところ。

 

 

 

住宅街にひっそりと佇む境内。

生駒山の中腹に鎮座しているので、とても静かです。

 

 

 

境内には誰もいません。

平日に参拝する事がほとんどなので、
いつも大体こんなかんじ。

 

 

社殿を目にした瞬間、癒される。

 

 

 

あー。もっと早く来ればよかった。

素晴らしい神社だわ。一日中いられる。

 

 

御祭神:饒速日命荒魂、可美真手命荒魂

 

 

こちらは、
石切劔箭神社の奥宮(御祭神の最初の鎮座地)となります。

 

 

社伝によれば、上之社の創祀は神武天皇紀元2年。

生駒山山頂に程近い宮山へ、
饒速日尊を奉斎した事が始まりとされます。

 

 

その後、崇神天皇の御代には、
御祭神の御子である可美真手命を祀る下之社(現在の石切劔箭神社)が建てられ、
宮山(饒速日尊)、下之社(可美真手命)のあわせて「石切劔箭神社二座」として、
長らく祭祀が継承されてきました。

 

 

1650年になると、生駒山中腹の光堂山(上之社の現在地)へ御遷宮が行われ、
以来、当社は上之社と称されるようになります。

 

 

そして明治40年、政府の神社合祀政策により
上之社は下之社(石切劔箭神社)に合祀され、

境内に石碑を残すのみとなりましたが、
人々の上之社への崇敬篤く、
1972年に再興し今に至ります。

 

 

 

 

本殿:
室町時代(460年前)に下之社本殿として造営された社殿で、
昭和7年に石切劔箭神社の現本殿建立を機に、
解体保存されていたもの。

 

 

 

虚空見つ日本国(そらみつやまとのくに)〟


時折ブログに書いていますが、
わたしの好きなもののトップに来るのが、物部氏です。

なので、気が向くと物部氏系の神社や聖地を訪れては、
饒速日尊や宇麻志麻治命と語らって帰ってきます。

 

 

ちなみに、今まで参拝した主な物部氏関係の場所は次のとおり。

(リンク先が開かないものは現時点で未掲載です)

 

 

石切劔箭神社(東大阪市)※主祭神
磐船神社(交野市)※主祭神
矢田坐久志玉比古神社(大和郡山市)※主祭神
等彌神社(桜井市)※御祭神であるとも
志貴御縣坐神社(桜井市)
登彌神社(奈良市)※御祭神 
饒速日命墳墓(生駒市)
真弓塚(生駒市)※一説に饒速日尊の墓
伊弉諾神社(長弓寺境内)(生駒市)※一説に登彌神社とも
廣瀬大社(北葛城郡)※相殿神
石上神宮(天理市)※物部氏総氏神
石上布都魂神社(赤磐市)※石上神宮の元宮
物部神社(大田市)※相殿神
伊奈波神社(岐阜市)※式内物部神社
金神社(岐阜市)※式内物部神社
物部神社(名古屋市)※主祭神
味鋺神社(名古屋市)※主祭神
高牟神社(名古屋市)※かつて物部氏の武器庫
洲崎神社(名古屋市)※境内社御祭神
二子山 白山神社味美白山神社古墳(春日井市)※式内物部神社を合祀
石巻神社(愛知県豊橋市)※三河国造大木食命が三輪大神神社分霊を勧請

(個人的には、奈良の三輪山も関わりがあるのではと思っています)

 

 

上記のほか、饒速日尊の別名(同一神)を含めると、

籠神社(宮津市)
真清田神社(一宮市)
南宮大社(不破郡)
伊富岐神社(不破郡)
水無神社(飛騨市)
氷上姉子神社 元宮(名古屋市)

このあたりも関係神社ということになるかな。

 

 

 

饒速日尊(にぎはやひのみこと)は物部氏の祖神で、
別称は、天火明命、彦火明命、櫛玉命、天照御魂大神、
天照国照彦火明櫛玉饒速日命など。

神武東征と饒速日尊降臨のくだりは、
古事記・日本書紀・先代旧事本紀とで所々異なるのですが、
ざっくりまとめると次のようになります。

 

 

天孫饒速日尊は、天神御祖から賜った十種神宝を携えて、
高天原より天磐船に乗り哮ケ峯
降臨。

辺りを見渡し、「虚空見つ日本国(「空から見た日本の国」「空に光り輝く日本の国」)
と賛美すると、これが日本の国号の始まりとなったとされます。

 

 

一帯の土着豪族の首長だった長髄彦(登美能那賀須泥毘古、登美毘古)は饒速日尊に順じ、
妹の登美夜毘売(三炊屋媛)は饒速日尊の妃となって宇摩志麻遅命を産みます。

 

 

一方、東方の美しい土地に天磐船で降りた者がいると知った神武天皇は、
日向の高千穂を出て東進を続け(神武東征)、大阪、生駒山へと赴きます。

そこで長髄彦に抵抗されて戦い、これを破り、
その主君であった饒速日尊を帰順させて大和統一。

 

・・と、だいたいこんな経緯になっています。

 

 

既述した「十種神宝(とくさのかんだから)」とは、
天璽瑞宝十種(あまつしるしみずたからとくさ)とも呼ばれるもので、
霊力を宿した十種の宝物のこと。

 

 

鏡(2種)、剣(1種)、玉(4種)、比礼(3種)の計10種あり、
奈良の
石上神宮では、十種神宝に宿る霊威を、
「布留御魂大神」として称え御祭神としています。

 

 

十種神宝には、病気の治癒や死者蘇生を行う強力な霊力が宿っており、
十種祓詞(とくさのはらへのことば)の奏上により力を発揮するとされます。

崇神天皇7年、
勅命により神剣「韴霊(ふつのみたま)」と共に、
石上布留高庭(現:石上神宮)へ遷し祀られました。

 

 

せっかくなので、【十種祓詞】全文。

 

 

高天原に神留坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以ちて
皇神等の鋳顕し給ふ 十種の瑞寶を 饒速日命に授け給ひ
天津御祖神は言誨詔給はく 汝命この瑞寶を以ちて
豊葦原の中國に天降坐て 御倉棚に鎮め置て
蒼生の病疾の事あらば 茲十種の瑞寶を以ちて
一二三四五六七八九十と唱へつつ布瑠部 由良由良と布瑠部
かく為ては死人も生反らむと 言誨給ひし随まに
饒速日命は天磐船に乗りて 河内國の河上の哮峯に天降坐給ひしを
爾後大和國山邊郡布留の高庭なる 石上神宮に遷し鎮め斎奉り
代々其が瑞寶の御教言を蒼生の為に 布瑠部の神辞と仕奉れり
故この瑞寶とは
瀛津鏡 邊津鏡 八握劔 生玉 足玉 死反玉 道反玉
蛇比禮 蜂比禮 品物比禮の十種を
布留御魂神と尊み敬ひ斎奉ることの由縁を 
平けく安けく聞食て
蒼生の上に罹れる災害及諸の病疾をも
布留比除け祓ひ却り給ひ 寿命長く伊加志八桑枝の如く立榮えしめ
常磐に堅磐に守り幸へ給へと 恐み恐みも白す

 

 

 

しばし境内でくつろいだ後、次の目的地へ。

出来ることなら2時間でも3時間でもここに居たいんだけど、
さすがに不審者めいてるからねw

 

上社の神さん、穏やかな時間をありがとうございました。

 

 

 

続いて、石切から四条畷駅へ。

公共機関だと時間がかかり過ぎるので、
タクシー移動です。

 

 

星田駅で降り、のんびり歩くこと約15分。

 

 

交野市の星田神社へ到着。

 

 

 

 

 

とてもきれいに手入れがされ、
目に見える様々なものが丁寧に扱われている。

大切にされている神社なのだなあ。

 

 

境内も明るくて清々しいです。

なんて心地良い所なんだろう。

 

 

拝殿

 

 

御祭神:住吉四神(表筒男命、中筒男命、底筒男命、息長帯姫命)

 

 

社伝によれば、
一本の大杉に饒速日尊を当地の氏神(交野大明神)として祀ったことに始まるとされます。

その後、宝永年間(1704~1711)になると、
総社磐船神社の神霊(住吉四神)を勧請して
主祭神とし、
饒速日尊(交野大明神)の社は、「交野社(古宮)」として崇敬されてきました。

 

 

海のない場所になぜ住吉大神?と一瞬思いましたが、
物部氏が蘇我氏に大敗したことで饒速日尊を祀れなくなり、
物部系津守氏が奉祭していた住吉四神を、
表向きの御祭神にする場合も多かったそう。

 

 

摂末社

天照社(御祭神:天照大御神、豊受大御神)
天満社(御祭神:菅原道真公)

 

 

向かって左から、

交野社(御祭神:天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊、建速須佐之男命、大雀命)
八幡社(御祭神:誉田別命、息長帯姫命、大雀命、武内宿禰)
恵比寿・琴平社(御祭神:事代主命、大国主命、三輪明神、市杵島姫命)

 

 

個人的メインの交野社 ✩*˚

 

 

神名を変え、あるいは主祭神を交替し、
ひそかに隠し祀ることで守り
奉祀されてきた地主神。

いにしえから連綿と続く奉斎者の想いに、頭が下がる。
私のようないち参拝者には計り知れない御苦労もあったのだろう。

 

 

交野社の前で撮影しまくっていたところ、
宮司さんがお声をかけて下さいました。

そして、饒速日尊はじめ神々や地域の歴史など、
貴重なお話をたくさん伺い、マスクの下でにやけ顔の私・・。

日ごろ饒速日尊の話題などそうそう出ませんからね。
うれしくて目が輝いていたのではと思います(笑)

 

 

さらには大切な本殿にまでご案内くださって、もう感無量・・。

間近で見る美しいお姿に感動し、
許可を得てカメラに収めさせていただきました。

(※ブログへの掲載許可もいただいております)

本当にありがとうございました。

 

 

では、当社の境外社でもある星田妙見宮へと向かいます。

 

 

その2へつづく・・