水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

志貴御縣坐神社 <奈良県桜井市金屋>

2015-09-25 | ├ 奈良(ひとり旅)

 

奈良ラスト。

 

 

 

 

天理駅からJRで三輪駅下車。

 

 

ここから徒歩で10分ほどの所に、
式内社の志貴御縣坐神社(しきの みあがた にいます じんじゃ)は鎮座しています。

 

 

この辺を歩いたのはちょうど1年ぐらいまえだったなあ・・。

大神神社 から、すぐ近くの神坐日向神社まで歩いたんだっけ。

 

 

道中の景色がとても素敵で、またここを歩けるのがうれしい。

 

 

 

の鳥居はっけん。

 

 

来た道を振りかえると、おだやかな風景が広がっていました。

 

 

二の鳥居

 

 

志貴御縣坐神社に到着です。

 

 

 

夕方の境内は、ひっそりとしていて誰もいません。

 

 

木々が生い茂っており、この時間になるとほとんど日も差さない。

とても静かです。

 

 

記紀によれば、神武東征の折にこの磯城(しき)の土地を総べていたのは、
兄磯城(えしき)・弟磯城(おとしき)兄弟。

大和勢力の侵入に際し、
帰順した弟磯城は、磯城県主に任命されて当地を支配。

一方で、最後まで抵抗した兄磯城は滅ぼされたといいます。

宇陀の兄宇迦斯(えうかし)・弟宇迦斯(おとうかし)などのパターンと同じです。

 

 

 

外来勢力に服さなかった人々が、凶者・悪神として貶められ、歴史の闇に葬られる。

恭順した者は地位と権力を与えられ、後の世まで神として崇められる。

あらゆる時代のあらゆる場所で起きた出来事でしょうけど、前者の虚しさを思うとやはり複雑です。

 

 

 

 

ところで、弟磯城(黒速)って、事代主神の子である天日方奇日方命(三輪氏祖)ですよね・・?

 

 

となると、受け入れたからこそ後の繁栄にも繋がったわけで、
後裔たちから見れば、それはそれで正しい選択だったんだろうなあ。

 

 

弟磯城には先見の明があったのか、それとも結果論なのか。

移りゆく世の中で、誰がのちに最後に天下を取る事になるかなんて、
そのときわかんないもんね。

 

 

 

それから、こちらの御祭神である天津饒速日命。

でも本来ここに祀られていたのは饒速日命でなくて、弟磯城(黒速)じゃないかと。

 

 

また、饒速日命は「磯城県主の祖」とされていますが、
磯城県主の家系は本来、饒速日命の奥さん(御炊屋姫命)の側じゃないかなと思っています。

 


(拝殿左手の境内社。右手に「辨才天」と刻まれた石碑があるので、こちらは厳島社。)

 

御炊屋姫命といえば、その兄は長髄彦。

饒速日命&御炊屋姫命の御子である、宇摩志麻遅命に倒されたとされる人です。

(宇摩志麻遅命に殺されたってのも怪しいと思っていますが。)

 

そして、

 弟磯城 = 事代主神の子である天日方奇日方命。

 長髄彦 = 事代主神の子。または事代主神の弟である建御名方神。

 

・・個人的にはそう結論付けているので、

磯城県主の直系は奥さん(御炊屋姫命)のほうになるのでは。

 

というか、「磯城県主の宗家」がこの何代か後に断絶したために、
「磯城県主の女系」が入った物部系が、それを継ぎ復興した。・・という流れだとおもう。

そういう意味では、物部の祖である饒速日命が「磯城県主の祖」というのも、間違いとは言えないかな。

 


(拝殿右手には磐座いっぱい)

 

事代主神と、その子 弟磯城(天日方奇日方命)は、外来勢力に帰順した。

でも、もう一人の子 兄磯城や、弟である建御名方神は抵抗した。

 

事代主神の家系は、瓊瓊杵尊に始まる神武系に翻弄されたんだなあ。

 

 

 

 

第10代崇神天皇の磯城瑞籬宮(しきのみずがきのみや)の跡地の石碑

二の鳥居をくぐり、石段をあがると左手にあります。

 

 

実際の宮跡は境内ではなくて、もう少し西側だったと推定されているそうです。

 

 

二の鳥居からの石段を上がったところにある万葉歌碑 

磯城島の 大和の国に 人二人 ありしと思はば 何か嘆かむ
(万葉集 詠み人知らず/筆者・山口誓子)

 

 

神社の境内はこじんまりとしていますが、ここに蓄積されている“想い”というか、
人々の念みたいなもんが溢れている気がする。

時は流れるのか積み重なるのか。

この場所に限っていえば、後者かな・・。

 

 

でも重苦しさや暗さは無いので、上手に層になっているような気がしました。

大量の蚊さえいなければ、もう少し長居したかったです。

 

 

けっきょく最後まで、境内には私ひとり。

のんびり写真を撮らせていただきました。

帰り際、鳥居を出て歩いていたら自転車で神社へ向かう男性とすれ違ったぐらい。

 

よく、自分が神社を出るタイミングで誰か入っていくという事がありますが、
おかげで遠慮なく写真が撮れるのでありがたいです。

 

 

桜井駅へ向かう途中の道に見かけた社号標

下のほうが地面に埋まっていて、「式内大社志貴」までしか見えませんでした。

 

 

ここから、桜井駅まで歩きます。

徒歩20分ぐらいなので、時間の合う電車を待つよりも断然早い。

 

 

 

太陽に向かって歩いているので夕暮れっぽく撮れちゃっうけど、
背後はこんな景色です。

 

 

 

 

夕景がきれいだったので写真を撮りながら歩いていたら、
道の向こうから「上手に撮れた~?」との声が。

自転車に乗ったおじさんが、こっち見て手を振っていました。

「ありがとう!とれましたー!」と手を振り返す。

わたしがカメラを降ろすまで、一寸だけ停止しててくれたみたい。すみません。(;ω;*)

 

 

 

桜井駅

 

 

出発時刻まで少しあったので、隣接するカフェに入ってみた。

 

 

さつまいもとりんごのパイを頼んだら、なにやらすっごく可愛いのが運ばれてきました。

プレートにキティちゃんっぽいのが描いてあるし。

やーん幾つになってもこういうの見るとちょっとテンション上がるわ。

 

正直、時間調整で何となく利用したお店だったのですが、このパイがとても美味しくて。

ほんとにちょっとしか時間なかったから、運ばれてきた5分後にはお店を出てましたが、
大満足のお味でございました。

桜井あたりに来ることがあったら、是非また食べたいなー。

 

 

ホームに着いたら着いたで、これまたきれいな夕焼け。

うれしくて撮りまくる。

 

 

次回の奈良旅プランを練りつつ、美しい夕景を思う存分楽しみました。

 

 

毎回充実の奈良旅。

物部氏の祖神(饒速日命、宇摩志麻遅命)と三輪氏祖をめぐる今回の旅も、
とても心に残るものだったな。

 

 

何事もなく予定通り参拝できたことを神さんに感謝しつつ、
帰路に就きました。

次は、事代主神さんのとこに行ってこよう。

 

 

 


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